富山地方裁判所 昭和47年(行ウ)1号 判決 1979年5月25日
原告
矢合喜美子
右訴訟代理人
葦名元夫
外四名
被告
高岡労働基準監督署長
池崎孝元
右指定代理人
前蔵正七
外四名
主文
一、被告が、訴外亡矢合外喜子に対し、昭和四四年七月一四日付でなした労働者災害補償保険法による休業補償給付を支給しない旨の処分のうち、昭和三八年六月一一日から昭和三九年三月一六日までの間の休業補償給付を支給しない旨の部分を取消す。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告(請求の趣旨)
1 被告が、訴外亡矢合外喜子(以下「亡外喜子」という。)に対し、昭和四四年七月一四日付でなした労働者災害補償保険法による休業補償給付を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告(請求の趣旨に対する答弁)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 原告(請求原因)
1 亡外喜子は、昭和三一年四月訴外日本ぜオン株式会社(以下「訴外会社」という。)に入社し、同会社高岡工場で英文タイプ及び一般庶務事務に従事していた。
2 発症の経過と休職
(一) 亡外喜子は、昭和三四年ころから時折手が疲れ、しびれ感がおこつてタイプが打ちにくい状態となり、冬期手指が青つぽくなることがあつたが、昭和三七年春頃から仕事中手指に痛みを訴えはじめ、同年九月ころから右手指に腫脹をみるようになり、上腕にまで痛みが及ぶようになつた。
(二) 亡外喜子は、同年一〇月二〇日、日曹病院で診察をうけたところ、タイプの打ちすぎではないかといわれたが、病名は「レイノー氏病の疑い」であつた。昭和三八年二月、日本ゼオン本社カウンセラー医師(関東逓信病院内藤医師)の診察により、日曹病院から副腎皮質ホルモン剤ベトネランの服用方を指示され、同年三月一四日から七月上旬までこれを服用した。同年五月ころから顔面が満月状を呈しはじめたので、医師の指示によりベトネランの服用を徐々に減量したが、顔面が紫色をおびるようになり、食欲が減退して体力が衰えはじめ、日曹病院への通院が困難となつたので、休職したうえ近くの山田医院に転医した。同年七月ころ山田医師からベトネランの服用を即時中止するよう指示され、肝機能障害の病名で治療を受けたが、同年一二月一日には日曹病院においてレイノー氏病の疑い、肝機能障害、リウマチ性関節炎等の病名で治療をうけた。
昭和三九年三月一五日復職して事務職となつたが、昭和四〇年七月ころから手足が痛み、電車のタラツプにのぼりがたいという症状がおこり、同年八月一日から桂木整形外科病院にて多発性関節ロイマチスの病名で治療をうけた。昭和四一年四月六日発熱がはじまり、桂木病院より総合病院へ転院するよう指示され、同月七日富山日赤病院へ入院したが、リウマチ熱、敗血症の診断があり、翌年九月一八日同病院をいつたん退院した後、同年一〇月一一日、富山県立中央病院に入院して治療を継続した。
(三) 亡外喜子は、右疾病のため昭和三八年六月一一日から昭和三九年三月一六日までの間、及び昭和四〇年七月一二日から昭和四三年一月一一日までの間、それぞれ訴外会社を休職した。
3 本件処分の存在と不服申立の前置
亡外喜子が、被告に対し、昭和四四年七月一〇日、労働者災害補償保険法に基づき、前記2の(三)の休職期間の休業補償給付を請求したところ、同月一四日被告は、同人に対し、右休業補償給付を支給しない旨の処分をなし、右決定通知書を同人に送達した。同人は、同年八月一〇日、富山労働者災害補償保険審査官に対し審査請求したが、同審査官は同年一二月一五日、これを棄却する旨の裁決をなし、同月二六日、右裁決書を同人に送達した。同人は、昭和四五年二月二五日、更に労働保険審査会に対し再審査請求したが、同審査会はこれを棄却する旨の裁決をなし、右裁決書は昭和四六年一二月一六日、同人に送達された。
理由
一請求原因1、2の(二)、(三)及び3の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
二亡外喜子の症状・治療経過等
<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 亡外喜子(昭和一二年一二月一六日生)は、地元の高校を卒業後昭和三一年四月訴外会社に入社し、同会社高岡工場(当初の所属は総務課、その後試験課に転属)で英文タイプ及び一般庶務事務に従事したが、入社時までは特記すべき既応歴はなく、おおむね健康であつた。
2 亡外喜子は、入社後昭和三五年ころまでの間は、かなり長期にわたり冬期間凍傷で治療を受けたほかは特段の症状は見当らない。昭和三六年ころから両手指先の冷感(カルテには病名としてレイノー氏病との記載がある。)や手指、腕等の痛みを訴えるようになつたが、当時は未だ継続的な治療を要するほどの状態ではなかつた。ところが、昭和三七年ころから両手指先冷感の症状に対し血管拡張剤、手指等の痛みに対しては鎮痛消炎剤の投与等の継続的治療が行われるようになり、このころ茶碗や箸の持ち方に異常が認められ、手の先のこわばりや肩の痛みを訴え常時レースの手袋をして通勤するようになつた。また、その症状は帰宅後が相対的に悪化し、手が腫れあがることもあつた。昭和三八年にはいつても右各症状は軽快せず、痛みが悪化したため(当時のカルテには病名としてリウマチ性関節炎・関節ロイマチスとの記載がある。)、医師の指示により同年三月から副腎皮質ホルモン剤ベトネランを服用した。同年五月ころ、右ベトネラン服用の副作用により顔面が満月のように腫れあがり(満月様顔貌)、同時に食欲不振、全身衰弱、肝機能障害の諸症状が発現し、通院が困難となるほどの状態になつたため、転医のうえ医師の往診を依頼し、同年六月一一日より昭和三九年三月一六日まで、訴外会社を休職して主として肝機能障害の治療を受けた。
3 亡外喜子は、昭和三九年三月、一応右各症状が軽快したので復職して一般庶務事務を担当していたが、昭和四〇年七月ころから手足が痛み、電車のタラツプをのぼりがたいほどになつたので、同月一二日より再び訴外会社を休職し、多発性関節ロイマチスの病名で両膝関節痛等の治療を受けた。そして、昭和四一年四月発熱がはじまり、富山赤十字病院に入院したが、治療に当つた同病院の今井医師は、右各症状、心内膜炎等心臓の疾患、全身にあらわれた紅色発疹、及びASLO検査、RAテスト各陽性、血沈亢進等の諸検査をもとにリウマチ熱、敗血症と診断した。症状は次第に全身各臓器に及び(腎臓疾患、精神症状なども発現した。)、同年五月には一時危篤状態に陥るなど急激に悪化したが、昭和四二年九月ころ及び昭和四三年九月ころには一時軽快するなどして一進一退を繰り返した後、亡外喜子は昭和四八年二月七日死亡した。
4 右今井医師は、主として昭和四一年四月以降の亡外喜子の各症状、諸検査に加えて顔面に生じた蝶形紅斑及びLEテスト陽性の結果により、昭和四四年一〇月、同人の右原因疾病を全身性エリテマトーデスと診断した。右診断によると、同人の昭和四一年以降の各症状は全身性エリテマトーデスの症状であり、当初の診断によるリウマチ熱等の病名は全身エリテマトーデスと訂正されるべきものである。そして右診断は同人死亡後の剖検診断によつても確認された。
三業務起因性
1 原告は、本件疾病を業務によつて生じた頸肩腕症候群であると主張し、被告は亡外喜子の死亡原因である全身性エリテマトーデスの初期症状であると主張するので、まず頸肩腕症候群及び全身性エリテマトーデスの原因、治療、症状、診断基準等について、本件の判断に必要な限度で簡単に検討しておくこととする。
(一) 頸肩腕症候群
<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 昭和三〇年ころからキーパンチヤー等を中心に腱、腱鞘の障害が発生したため、労働省では、昭和三九年九月一六日、「キーパンチヤー等の手指を中心とした疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第一〇八五号)を発して職業病認定の行政基準としていたが、その後他の職種にも同種の障害が拡大し、症状も手指だけでなく頸、肩にも及ぶことが明らかとなつたため、労働省労働基準局長は、昭和四四年一〇月二九日、「キーパンチヤー等手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第七二三号)を発し、さらに昭和五〇年二月五日、「キーパンチヤー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第五九号)を発し、この新基準をもつて職業病認定の行政基準とし現在に至つている。
(2) 右通達及びその解説によると、いわゆる「頸肩腕症候群」とは、種々の機序により後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれかあるいは全体にわたり、こり、しびれ、痛みなどの不快感をおぼえ、他覚的には当該部諸筋の病的な圧痛及び緊張若しくは硬結を認め、時には神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全などの症状をも伴うことのある症候群であると定義され、それが業務上の疾病と認定すべき基準として、①上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業を主とする業務に相当期間(一般的には六カ月程度以上)従事した労働者であること、②業務量が同種の他の労働者と比較して過重であるか(但し、当該労働者の肉体的条件等も補充的に留意すべきこと。)又は業務量に大きな波のあること、③右の頸肩腕症候群の症状のみられること、④その症状が当該業務以外の原因(外傷及び先天性奇形による場合、関節リウマチ及びその類似疾病等八項目の疾病による場合)によるものでないと認められること、⑤当該業務の継続によりその症状が持続するか又は増悪の傾向を示すこと(三カ月程度適切な療養を行つても症状が消退しない場合は他の疾病を疑う必要がある。)等を掲げている。そして、右基準に合致するものは、規則三五条第三八号に該当する疾病として取扱われている。
(3) 一方、日本産業衛生学会頸肩腕障害研究会(労働省委託「頸肩腕症候群に関する研究」委員会を兼ねる。)は、右の業務に基づく頸肩腕症候群を「上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業により神経・筋疲労を生ずる結果おこる機能的あるいは器質的障害である。」と定義し、これを頸肩腕障害と呼ぶことを提案している(以下、便宜上右の用語例にならつて、右の如き作業を原因とする頸肩腕症候群を「頸肩腕障害」ということにする。)。
(4) 頸肩腕障害の病理、診断基準、症状、治療方法については、未だ十分に解明されているとは言いがたい段階にあるが、その症状及び治療方法はおおむね次のとおりである。
(イ) 症状
自覚症状が主な症状であり、その初期症状として、使用してきた指の疲れやすさ・ふるえ・痛み・上肢全体のだるさ、肩こり、疼痛、第二期症状として、右諸症状の増悪持続、指先のしびれ・冷感、両上肢のだるさ、部位不定の痛み、重症症状として、第二期症状の固定増悪、頸肩上肢及び手指の固定する運動痛・圧痛、知覚麻痺、精神症状(抑うつ、いらいら、不眠など)などがみられる。他覚症状としては、顕著とはいえないが、筋肉疲労(指の力、握力、頸筋力、背筋力等の低下)、筋圧痛、筋硬結、神経症状、循環障害等がみられる。
(ロ) 治療方法
何よりも作業を中止すること(局所の安静、精神緊張からの解放)が第一であるが、治療としては鎮痛筋弛緩剤、循環促進剤、精神安定剤の投与、副腎皮質ホルモン剤の投与、理学療法などがなされる。
(二) 全身性エリテマトーデス
<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(1) 全身性エリテマトーデス(紅斑性狼瘡・SLE)は、一九四二年にクレンペラーらによつて病理学的に結合組織に主要病変が存するところから膠原病として分類された非腫瘍性、非感染性、全身炎症疾患であるが、臨床的には関節、筋肉症状を呈するので広義のリウマチ性疾患に含まれ、免疫学的には代表的自己免疫疾患であり、比較的最近になつて研究されるようになつた原因不明の疾患である。
(2) その症状は、皮膚、筋、骨格系、心血管、肺、肝、腎、消化管、中枢末梢神経、血管などの全身ほとんどすべての臓器に及び、発熱、関節痛ないし関節炎、顔面蝶形紅斑などの皮膚発疹、レイノー症状(手指等が白くなりかつしびれ感、冷感及び疼痛が伴う症状)、脱毛等の症状が高頻度にみられるが、症例によつてどの臓器が強く犯されるかが異なるので臨床症状は極めて多彩であり、その経過も変化に富み一様ではない。かつては電撃的に進行し死の転帰をたどる疾患と考えられていたが、現在では時々急性症状を間にはさみながら寛解と再燃を繰り返して進行するものと理解されており、長期にわたり全身症状が少なく経過しある時期に急性症状を示す例もある。
(3) 本症は女性に圧倒的に多く認められ、その初発はあらゆる年令層に認められるが一〇代から二〇代が最も多い。その初期症状も多種多様であるが、比較的多くみられるものは多発関節痛ないしは関節炎であつて(この場合は関節リウマチと誤診されやすい。)、患者の半数以上の初期症状がこれである。どの関節にも関節症状は発現するが、通常は指の近位指骨間関節、手、肘、肩、膝、足などにあらわれる。またレイノー症状が初期症状として報告されている例も多い。
(4) 本症は臨床的にも免疫学的にも病理所見にも絶対的な特異所見がみられないことから、その診断は臨床症状と検査所見をいろいろ組合せて総合的に診断される。その診断基準には定説はないが、その一例をあげると別紙(三)記載のとおりである。
(5) 治療としては決め手はないが、安静を保ち抗炎症剤として副腎皮質ホルモン剤の投与が多用され、また免疫抑制剤も用いられるが、いずれも副作用の強い薬であるため感染症の合併症状の予防と治療のため抗生物質を併用するのが常である。その他、発熱、関節痛などに対しては対症療法が施される。
2 労働者災害補償保険法によつて休業補償給付の支給対象とされる疾病は業務上の疾病であり、その範囲は労働基準法施行規則三五条の規定するところであることは労働者災害補償保険法一二条の八第二項、労働基準法七五条によつて明らかであるが、右の業務上疾病とは業務と疾病との間に相当因果関係があることを要するとともにそれをもつて足りるものと解するのが相当である。従つて、規則三五条一号ないし三七号に列挙されている疾病は業務と疾病との間に定型的に相当因果関係の認められるものを例示的に列挙したものと解され、同条三八号にいう「その他業務に起因することの明かな疾病」も業務と相当因果関係のある疾病を意味するにとどまり、「明かな」なる文言が用いられているからといつて同号が他の各号の場合に比して業務上の疾病の認定について要件を加重しているものと解するのは相当でない。
ところで、亡外喜子には前記認定のとおり手指、腕等の痛みなどいわゆる頸肩腕症候群の症状が認められるのであるが、それが業務に起因するもの(頸肩腕障害)であるか否かは、自覚症状及び他覚症状(筋力検査等の諸検査を含む。)並びに作業と発症経過との関連(作業内容、作業環境、同種作業従事者の発症の有無等)を総合的に検討して決するのが相当である。その意味において、前記労働省労働基準局長通達による基準は、前記認定の基準②について、業務量が当該労働者の肉体的条件から考えてその個体にとつて過重であると認められれば足りるものと修正し、同④について、業務以外の他の疾病によるものでないと積極的に認められることまで必要とするものではなく、また仮にそれが他の疾病による症状としての性格をもつ場合であつても、医学上業務を原因とする疾病としての性格をも有力に合わせもつ場合には業務上疾病と認定してさしつかえないものと修正すれば、おおむね妥当なものと考えられる。すなわち、本件の如きタイプ業務等による頸肩腕症候群の業務起因性の判断は、前記のとおり規則三五条三八号該当性有無の判断ではあるけれども、同条一号ないし三七号の場合に準じて、タイプ業務等上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業を主とする業務に相当期間相当密度で従事した労働者であることと、頸肩腕症候群の発症の事実が認められれば、右業務が当該労働者にとつて過重な負担でなかつたこと、あるいは右症状が業務以外の原因によつて発症したものであることを、当該疾病が業務上疾病ではないと主張する者において積極的に立証しないかぎり、原則として業務起因性が事実上推定されるものと解するのが相当である。
3 そこで、以上の考え方に従つて、本件疾病が業務起因性を有するか否かにつき、以下において判断する。
(一) 亡外喜子の作業歴・作業内容・労働条件等
<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 亡外喜子は、昭和三一年四月訴外会社に入社以来、昭和三八年三月まで一貫して同社高岡工場総務課及び試験課(後に技術課と呼称変更)に所属して英文タイプ作業及び一般庶務事務に従事した。
(2) 右入社当時、同工場は建設途上にありタイプ業務は少なかつたが、同人が試験課に転属となつた昭和三三年五月ころには同工場の生産も本格的になりタイプ作業量も増加した。
(3) 昭和三六年四月に訴外木村が入社し同年中には徐々に製造係関係の英文タイプ業務の一部が同人に分担されるようになつたが、それまでは同工場の英文タイプ業務はすべて亡外喜子が担当していた。また、昭和三九年同人が訴外会社を休職した後は四名の従業員が同工場の英文タイプ作業を分担して処理した。
(4) 同工場の英文タイプ業務は毎日打つものとして五種類の定期文書があつたほか各種の定期、不定期文書があり、月末から月初めにかけて繁忙であつた。
(5) タイプ作業時間は、平均すると一日三〜四時間ほどであつたが、繁忙時には五〜六時間に及ぶこともまれではなく、その間正規の残業(昭和三六年においては年間121.5時間、休日出勤の分も含めると148.5時間である。)のほか届出をなさない残業(いわゆるサービス残業)もかなりなされた。
(6) タイプ作業の内容も、神経疲労度の高い白紙打ち作業(白紙に一定の場所を設定して打ち込んでいく作業)や、複写枚数が多いため指先に負荷のかかる作業も少なくなかつた。
(二) 同種業務従事者の発症
<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 日本ゼオン高岡工場労働組合が、昭和四二年一一月に行つたアンケート調査の結果によると、同工場に勤務していたタイプ業務従事者一〇名中七名の者が手指等の痛み、肩こり、目の疲れ、背骨等のだるさなどの自覚症状を有していたが、そのうち訴外徳市末知子及び同豊本和子の両名はその症状が特にひどかつた。
(2) 右徳市は昭和三一年四月入社し、約四年間和文タイプ業務に従事していたが、昭和三五年四月から、これに加えてテレタイプ業務をも合わせて担当するようになり、昭和三八年からはカナタイプ業務に従事した。昭和三四年ころから繁忙時の肩こり、頭痛、右手首の痛みなどの症状が、昭和三七年ころには手がこわばつたり茶碗が持ちにくいなどの症状が、昭和三八年になると腰痛、背痛のほかペンが持てないなどの症状があらわれ、症状は次第に悪化した。その間の仕事量は、一日中ほとんど休みなくタイプを打ち続けるほどの激務であつて、いわゆるサービス残業も相当なされた。昭和四二年ころから前記労働組合がタイピストの職業病問題を取り上げたことを契機として同人の疾病の問題も表面化し、昭和四三年三月及び九月に名古屋大学医学部労働衛生学教室の山田信也医師の診察を受け、同医師は問診、視・触診、手指筋力測定、上腕緊迫測定等諸検査の結果、自覚症状、業務内容等を総合検討して明らかに頸肩腕障害であると診断した。同じ時期に診察した金沢大学医学部及び高岡市民病院の各医師も同様の診断をなした。訴外会社は右徳市の右症状を昭和四三年四月以降準公傷扱い(欠勤については労働災害によるそれと同様の処理をする扱い。)とした。
(3) 右豊本は昭和三一年三月入社し一般庶務事務作業に従事していたが、昭和三八年四月より総務課に所属してテレタイプ業務及び電話交換業務に従事した。昭和四〇年一〇月ころより繁忙時に左右の肩こり、右手第一指の鈍痛などの症状が、昭和四二年ころには右前腕から手指にかけて全体に倦怠感、右手首から右手第一指つけ根にかけて鈍痛などの症状が発現し、次第に症状は悪化して昭和四三年ころには乗物のつり皮にぶらさがれない、ハンドバツクを腕にかけているとだるいなどという状態となつた。そして、右徳市と同様の経過で山田医師により頸肩腕障害と診断され、他の数人の医師の意見も同様であつた。
(三) 山田所見の検討
証人山田信也の証言(第一、二回)によれば、前記山田医師は労働衛生学を専攻し、事務労働者等の機械取扱いに伴う健康障害の問題について研究する医学者であるが、亡外喜子の診療録、同人の関係者による陳述等の資料によつて知りえた同人の発症経過及び症状(前記二で認定の事実)、同人の作業歴及び作業内容等(前記三の3の(一)及び(二)で認定の事実)を総合検討した結果、昭和三九年三月までの同人の症状は業務に基づく疾病(頸肩腕障害)であると認めてよいとの結論に達した。同医師は、前記徳市及び豊本の場合とは異なり、亡外喜子を直接診察しておらず、また、同人に対しては、筋疲労測定検査等の頸肩腕障害診断の資料となるべき諸検査は全くなされていないのであるが、同医師による右見解は、事務作業従事者の職業病を専門的に研究している医学者の常識的見解として、労働衛生学上も根拠のあるものと認める。
4 以上のとおり、本件においては、亡外喜子に対し頸肩腕障害の診断の資料となるべき諸検査がなされていないこと、同人の死亡により自覚症状につき同人自身の供述がえられなかつたこと、頸肩腕障害及び全身性エリテマトーデスの病理、診断基準等が未だ十分解明されていないことなどの事情から、業務起因性の判断は極めて困難である。殊に、亡外喜子の昭和三九年三月ころまでの症状は、前記認定の頸肩腕障害の症状及び全身性エリテマトーデスの初期症状と対比してみても、頸肩腕障害の症状であつたのか、全身性エリテマトーデスの初期症状であつたのか、あるいは両者が併存していたのかは必ずしも明らかでなく、また、いずれによつてでも一応説明可能な症状といわねばならない。しかしながら、右の事実に前記認定の亡外喜子の作業歴、作業内容及び作業量、同種業務従事者の発症、山田医師の所見等を総合すると、昭和三九年三月ころまでの前記症状は、全身性エリテマトーデスの初期症状としての性格をも有するものであつたかどうかはともかくとして、頸肩腕障害の性格を有力に備えていることは否定しえず、このことは労働衛生学上も十分根拠のあるものと認められ、従つて、右症状は業務に起因するものであると認めるのが相当である。
そして、亡外喜子は、手指、腕等の痛みに対する治療として副腎皮質ホルモン剤ベトネランの投与を受け、その副作用による症状を直接の原因として昭和三八年六月一一日より昭和三九年三月一六日まで訴外会社を休職したことは前記認定のとおりであるから、右事実によれば、亡外喜子は業務に起因する疾病によつて右期間訴外会社を休職したものというべきである。
5 次に、亡外喜子は、昭和四〇年七月から両膝関節痛、ひきつづき翌年四月からの発熱にはじまる一連の全身症状により、昭和四〇年七月から昭和四三年一月一一日まで訴外会社を休職したが、その間の休職が業務上の疾病によるものであつたかどうかについて検討する。
全身性エリテマトーデスの発症時期については必ずしも明らかではないが、前記認定の今井医師の診断の結果によれば、遅くとも昭和四一年四月にはこれが発症していたのであり、亡外喜子が昭和三八年六月以降タイプ作業を中止して治療に専念し、約二年後に症状が再び発現し休職するに至つていること、それ以降は全くタイプ作業を行つていないこと、頸肩腕障害及び副腎皮質ホルモン剤ベトネランの副作用の症状がこのような休養期間を経過した後にも残存・発現する可能性は否定できないとしても、それが従前より増悪しつつ発現するとは考えにくいこと、右期間の主たる症状は全身性エリテマトーデスの典型的症状であること等の事実に照らすと、右期間の休職の原因となつた症状は主として全身性エリテマトーデスのそれであつたと認めるのが相当である。もちろん、右期間の症状に頸肩腕障害あるいは前記副作用の症状が含まれていなかつたものとまで断定しうるものではないが、これが右期間休職するに至つた原因として有力なものであるとは到底認められない(このことは、前記山田医師の所見からも看取される。)。従つて、右期間の休職は業務に起因する疾病を原因とするものと認めるに足らず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
四時効の抗弁について
労働者災害補償保険法四二条によると同法に基づく休業補償給付を受ける権利は二年を経過したときは時効により消滅する旨規定されているが、その消滅時効の起算点については明文がない。右休業補償給付請求権を含む同法所定の災害補償請求権の法的性格については、不法行為に基づく損害賠償請求権と同質ないしはその発展としてとらえる伝統的見解をはじめとして種々の見解のわかれるところであるが、休業補償給付請求権の消滅時効の起算点は、不法行為に基づく損害賠償請求権に準じて、民法七二四条の類推により、被害者が損害及び加害者を知つたとき、すなわち、業務上の疾病であることを覚知した時点であると解するのが相当である。
けだし、労働者が業務上の疾病により休職したにもかかわらず、右休職が業務上の疾病によるものであることを知りえない場合のありうることは不法行為の場合と異らないのであり、そのような場合に、休業補償給付請求権につき民法七二四条を類推することは、労働者の保護を目的とする災害補償制度の立法趣旨に合致こそすれ、何ら反するものではないと解されるからである。
そして、<証拠>によれば、亡外喜子が業務上の疾病である頸肩腕障害によつて休職したことを確定的に認識したのは、本件疾病が頸肩腕障害である可能性が強い旨の判断を記載した前記山田医師の昭和四三年一一月二七日付意見書の内容を亡外喜子が了知した同月末ころであると認めるのが相当である。もつとも、証人矢合照明の証言によれば、昭和三七年ころ、亡外喜子が医師からタイプの打ちすぎではないかといわれたこと、昭和三八年ころ同人が訴外会社の総務課長に対し本件疾病はキーパンチヤー病ではないか、そうだとすると労災ではないかと申し述べたことが認められ、右事実によると同時同人が本件疾病が業務上疾病ではないかとの疑いを抱いていたことがうかがわれるけれども、右の事実のみでは、いまだ同人が確定的に業務上疾病であると認識していたものと認めることはできないから、右事実は前記認定を妨げる資料となるものではなく、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
従つて、本件休業補償給付請求権の消滅時効は昭和四三年一一月末ころから進行を開始したものであるところ、亡外喜子が、右時点より二年以内である昭和四四年七月一〇日、被告に対し、本件休業補償給付の請求をなしたことは当事者間に争いがないから、右消滅時効は未だ完成していないものといわねばならない。
五休業補償給付請求権の承継
そして、請求の原因6の事実は当事者間に争いがない。
六結論
以上の事実によれば、本件処分のうち、昭和三八年六月一一日から昭和三九年三月一六日までの間の休業補償給付を支給しない旨の部分は違法であり、その余の部分は適法である。よつて、本訴請求は、本件処分のうち昭和三八年六月一一日から昭和三九年三月一六日までの間の休業補償給付を支給しない旨の部分の取消を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。
(大須賀欣一 福井欣也 杉森研二)