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富良野簡易裁判所 昭和33年(ろ)25号 判決 1958年12月22日

被告人 小野寺竹博

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、昭和三三年五月九日より空知郡南富良野村字金山パンケ金山営林署造材事業所に起居し、造林手として稼働していたものであるが、同年六月二八日午前五時〇分頃より午前六時三〇分頃までの間において、喫煙した新生(煙草)の吸殼三分の一位のもの二本の火を完全に消火せず同室内の三日位前より掃除せず使用していた吸殼約二〇本余在中の直径四寸深さ七、八分位のニユーム製灰皿の中に捨て、同日午前六時三〇分頃起床する時に該灰皿を床の間の稍中央に置いてあつた高さ六寸位、一尺五寸四方の木製の机の上に置くに当り、該机の上には紙片等が散乱し、更に床の間には毛糸衣類等が乱雑に置いてあり、若し灰皿内の吸殼が再燃して附近物件に引火する虞れがあるから、煙草の吸殼を灰皿に入れる場合は勿論のこと、かかる場合にも灰皿に入れた煙草の吸殼を充分に消火し、それを確認する等の処置を講ずべき注意義務があるのにかかわらず、漫然該灰皿を机の上に放置したため同日午前九時三〇分頃同灰皿の吸殼が再燃して附近物件に引火し、因つて金山営林署長渋谷勇二管理に係る国所有の木造柾葺平屋建四〇坪六合六勺一棟、時価四七八九三三円相当を焼燬したものである」というのである。

よつて審究するに

一、被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員ならびに検察官に対する各供述調書によると、被告人は金山営林署造材事業所の造林手として同事業所に起居していたが、昭和三三年六月二八日午前五時頃から同六時三〇分頃までの間、同事業所内自己の寝室の床の中において煙草二本をいずれも約三分の二位喫煙し、残り三分の一位の長さの吸殼をニユーム製灰皿の中に入れたが、その灰皿の中には相当数の吸殼があつた。その後被告人は午前六時三〇分頃起床し自分で床を上げたが、その際右灰皿を寝室に付いている床の間の木製の机上に置いたものであるが、右の机の上には便箋雑誌等が置いてあり、更に床の間には毛糸、衣類等が置いてあつた。そして同日午前九時三〇分頃右の現に人の住居に使用する造材事業所が出火によつて全焼したことが認められる。

二、而して検察官は、被告人は前記日時場所において吸つた煙草二本の吸殼いずれも約三分の一の長さのものを完全に消火せずそのまゝ吸殼約二〇本在中の灰皿の中に差し込んだものであるが、かかる場合実験則上暫時の時間経過後吸殼が再燃し、パツと燃上る可能性が大であることは明白であり、本件の場合においても右灰皿の中の吸殼が他の二〇本位の吸殼に徐々に燃え移り火力が次第に強くなつたところ、床の間の傍にある開放された窓から風が入つて火を煽り、同じく机上にあつた便籖等に燃え移つり、次に机が燃え、そして更に毛糸衣類等に燃え移つて、遂に床の間の板壁に火が拡がり本件の火災となつたという想像は当然に起りうる現象であつて、決して無理な推定ではないし、被告人の右過失以外に本件火災の原因の存在しないことは各証人の証言によつて明らかである、と主張する。

三、そこで本件火災の原因が果して検察官の主張するように被告人の煙草の火の不始末によるものであるどうかを考えてみるに、

1  被告人の司法警察員に対する供述調書によれば、被告人は「その朝(六月二八日)寝ながらすつた煙草の本数は二本位であつたと思います。私の使つた灰皿の中は既に煙草の吸殼が一杯になつており、二〇本余りの吸殼があつたと思います。その灰皿の中にその朝吸つた煙草の吸殼を入れておきました。私は煙草は大体三分の一位残して灰皿に入れますが、その場合もみ消して入れる場合とそのまま差し込んでおく場合、又火のついたまゝ投げ入れる場合とがありますが、その日の朝はどのようにして入れたか記憶がありません」と述べ、

更に検察官に対する供述調書によれば、被告人は「私は六月二八日の朝五時頃目をさまし、布団の中で六時半頃までの間に煙草新生を二本すい、その吸殼は枕元のニユーム製の灰皿の中に入れましたが、その灰皿の中には吸殼が二〇本位あつたと思います。吸殼を灰皿の中に入れる時火をもみ消したかそのまゝ投げ込んだか記憶がありませんが、特にその朝火をもみ消してから灰皿の中に入れた記憶はありません。」と供述しているのである。

ところが被告人は当公判廷においては、煙草の火は完全に消してから灰皿に入れたと述べておるので、この点について考察するに、結局被告人の前記司法警察員ならびに検察官に対する各供述は、これによつて或は被告人が煙草の火を完全に消火せずにそのまゝ灰皿に入れたのではないかという推測をすることも可能であるというに過ぎないものと解されるべきものであつて、右とは反対に、被告人は火を消してからその吸殻を灰皿に入れたものではないかという推定ができない訳ではないから、右各供述のみから直ちに被告人が火のついた煙草の吸殼をそのまゝ灰皿に入れたものであるという事実を確定的に認定することは困難であるのみならず、他に右の事実を認めるに足る証拠は見当らない。これを要するに前記被告人の司法警察員および検察官に対する各供述のみをもつてしては、被告人が火のついた煙草の吸殼を灰皿に入れる場合に、これを完全に消火すべき注意義務を怠つたものであると確信をもつて何等合理的な疑念なく推定することはできないから、この点に関する検察官の主張は採用できない。

2  仮りに被告人が火のついた煙草の吸殼をそのまゝ灰皿に入れたとして考えてみるに、その灰皿の中には本数の点はしばらくおき、とも角吸殼や煙草の灰で皿の底が見えない程であつたのであるから灰皿の中に煙草の残火を投げ入れた場合、右残火が徐々に他の吸殼に燃え移る可能性のあることは想像に難くないけれども、吸殼の火が次々と他の吸殼に燃え移つた場合は常に必ず火勢を強めて一時に燃え上るというものではなく、むしろ通常の場合は、灰皿の中では吸殼のみがそのまゝくすぶりながら燃焼して終るものであつて、灰皿の中の煙草の残火から火を発して家屋を焼燬するに至るためには、特別の事情例えば灰皿の中の煙草の吸殼が何かの原因によつて灰皿の外に落ちたとか若しくは灰皿の中に燃え易い物があり又は燃え易い物が灰皿の上に落ちてきてこれに引火して燃焼し、火勢を強めてこれがため灰皿の置かれてあつた机を焼くとか又は附近の便籖等に燃え移り、それから次第に他に火を移して遂に出火に至るものと考える方が、より真実に近いものであるといわなければならない。

而して右のような特別事情のないことは、被告人の当公判廷における供述その他本件各証拠によつて認めることができる。

更に本件出火当日は無風状態で、僅かに南方え徴風がなびく程度であり、又本件焼失家屋の窓は開放されていたが、南西向きであつて、床の間とは直正面に向い合つておらず、その間約二間の距離のあつたことは司法警察員作成の実況見分調書によつて明かであるから、かかる状況のもとにおいては、その窓から入つた風が部屋の一番奥の床の間にある机の上におかれた灰皿の中の煙草の火を煽り、そのためにその火が他の物に燃え移り、遂に本件家屋を焼燬したものであるとの検察官の主張は、当然起り得る現象ではなく、単なる推測の域を出でないものであり、他に右主張を認めるに足る証拠はないからこの点に関する主張も採用しない。

四、なお、本件出火が六月二八日午前九時三〇分頃であつたことは、被告人の当公判廷における供述その他各証人の証言によつて明らかであるところ、証人斎藤かね子の証言によれば、右証人が右当日の朝被告人等の部屋の掃除を終つたのは午前九時前であつたことが認められる。若し被告人の部屋の床の間に置いてあつた灰皿から火を発したものとすれば、被告人が喫煙した午前六時頃から右時刻まで既に約三時間を経過しているのであるから、右証人は掃除の際既に何等かの異常を発見できた訳であるのに何等の異状も感じていなかつたばかりでなく、更に又右証言と被告人の当公判廷における供述とを考え合すときは、被告人は右当日午前七時頃仕事のため同僚大山初三郎と共に事業所を出たのであるが、途中腹痛のため単身事業所に引返して薬をのみ幾分腹痛も回復したので午前九時一〇分頃同事業所を再び出たのであるが、被告人は斎藤かね子からの依頼によつてその出発直前に被告人らの部屋の開放された窓に置いてあつたラジオのスイツチを切つているのであるが、その際も被告人は同室に何等の異状あることも感じていなかつたことが認められる。そして被告人が再び事業所を出てから僅か二、三〇分を経過した午前九時三〇分頃には既に事業所から約一粁以上も離れた地点から望見し得る程度の火災となつて事業所が燃えていた(このことは証人大山初三郎、同柏木功等の証言によつて明らかである)等の事情からみても本件出火の原因が被告人の煙草の火の不始末に基くものであると即断することは困難である。

五、次に被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書によれば、被告人は「漏電以外に火がでたとすれば、その朝私がすつて捨てた灰皿の中の煙草の火が消えずに残つていて燃え、他の吸殼について大きくなつて燃え上り附近の毛糸か何かにその火がついて順次燃え移つて火事になつたものと思います。同事業所には他に火の気はなく、その灰皿以外に火が出たところは考えられません。若し灰皿から火が出て附近の物に燃え移つたとすれば、それは私が煙草の火を消してから灰皿の中に入れたかどうか確めなかつた私の不注意といわれても仕方ありません」との趣旨の自白をしているが、この自白は被告人に不利益な唯一の証拠であるが、他に之を補強すべき証拠は見当らないから、右自白のみをもつて被告人に過失による本件出火の責任があるものとして被告人を有罪とすることはできない。

以上の説示で明らかなように、諸般の事情を考え合せても被告人が本件起訴状記載のように、煙草の火を完全に消火し、これを確認する処置を構ずべき注意義務を怠つた過失により本件家屋を焼燬したものであると断定するには、未だその証明が不充分であるといわなければならない。してみると本件公訴事実は結局犯罪の証明十分でないということに帰するから刑訴三三六条に則り、被告人は無罪の言渡をなすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 浅田進)

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