小樽簡易裁判所 昭和35年(ハ)153号 判決 1962年10月24日
判 決
原告
本間愛一
右訴訟代理人弁護士
宮沢純雄
被告
淵田正一郎
右訴訟代理人弁護士
倉谷海道
右当事者の建物収去土地明渡請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
被告は原告に対し、別紙目録第一(一)、(二)地上に存する同第二(一)の家屋、同第一(三)の地上に存する同第二(二)の家屋を各収去して右各土地の明渡をせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者双方の申立
(一) 原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決及び担保を条件とする仮執行の宣言を求めた。
(二) 被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二原告主張の請求原因
(一) 別紙目録第一記載(一)、(二)、(三)の宅地はいずれも原告の所有に属する。
(二) 被告は右(一)、(二)の土地上にまたがつて別紙目録第二(一)の家屋、右(三)の土地上に同(二)の家屋を各建築所有し、よつて、右(一)、(二)、(三)の土地を占有している。
(三) そこで原告は被告に対し右各家屋を収去して右各土地の明渡をなすよう請求する。
第三被告の答弁及び抗弁
(一) 答弁
原告主張の請求原因事実は全部認める。
(二) 抗弁
1 被告の先代淵田正治は原告の先代本間愛蔵を介して原告より本件(一)、(二)の土地(但し合計二七坪)及び(三)の土地(但し二四坪七合五勺)を昭和八年頃から賃料一ケ月金五円で期間を定めなく賃借した。しかして昭和二四年五月頃に至り、右正治は原告より右(一)、(二)、(三)の土地のうち右従前賃借している部分以外の部分を賃借した(但し賃料、期限については後日協定する約であつた)。
2 右正治は昭和三五年一一月二五日死亡し被告が相続したので右賃借権は被告が相続によりこれを承継取得したものである。
第四被告の抗弁に対する原告の答弁及び再抗弁
(一) 答弁
1 被告の抗弁事実中、原告が被告先代淵田正治に対し昭和八年頃、本件(一)、(二)の土地のうち一部一二坪を賃料一ケ月五円で期間の定めなく賃貸したこと及び右正治が被告主張の日に死亡し被告が同人を相続したことは認める。
2 その余の事実は否認する。
(二) 再抗弁
1 右正治は右一二坪の土地上に木造柾葺建物約一〇坪五合を所有存置して、右の土地を占有使用していたところ、右建物は昭和二四年五月一〇日古平町の大火に際して焼失若しくは破損滅失したので前記賃借権は同日消滅した。
2 仮りに消滅しないとしても右正治は原告に対しその頃右賃借権を放棄した。
3 仮りにそうでないとしても右正治は昭和二四年五月の右大火後しばらくして原告の承諾なく勝手に右一二坪をこえて(一)、(二)の土地上に不法に侵入し、原告の制止もきかず右(一)、(二)の土地上にまたがり建坪約二八坪の建物を建設し右の土地を使用しはじめたのであつて、右は賃貸借における当事者間の信頼関係を著しく破壊する不信行為というべきであるから原告は前記(一)1の賃貸借につき解除権を取得した。よつて原告は右正治の有していた右賃借権を相続により承継取得した被告に対し昭和三六年一一月二八日右賃貸借契約解除の意思表示をし、右意思表示はその頃被告に到達したから右賃貸借契約はその頃解除された。
第五原告の再抗弁に対する被告の答弁及び再々抗弁
(一) 答弁
原告の再抗弁事実を否認する。
(二) 再々抗弁
1 仮りに再抗弁事実が認められるとしても原告の解除権の行使は権利の濫用である。すなわち被告の先代正治は、前記大火の際、前記(一)、(二)の土地上にあつたその所有建物の取こわしをして延焼を防止したが、更に被告は本件に関してなされた調停手続においても、代金を三回分割払にして本件土地を買い受けたい旨原告に申出たにもかかわらず原告は代金の一時払を主張してゆずらなかつたものである。そして原告はその後解除権を行使した次第である。
2 仮りに本件土地の賃貸借契約が解除されたとした場合においては、原告に対し、被告は本件家屋の買取を請求する。しかして本件家屋の価格は時価五〇万円である。
第六被告の再々抗弁に対する原告の答弁
再々抗弁は全部争う。
第七証拠関係<省略>
理由
一原告主張の請求原因事実については当事者間に争いがない。
二被告の抗弁について判断する。
(一) 被告先代淵田正治が原告から昭和八年頃本件(一)及び(二)の土地のうち一部を賃料一ケ月五円で期間の定めなく賃借したことならびに右正治が被告主張の日に死亡し被告において右正治を相続したことは当事者間に争いがない。
(二) ところで被告は、右正治が右賃貸借において原告より借受けたのは右(一)、(二)の土地中の二七坪と本件(三)の土地中二四坪七合五勺であり、更に昭和二四年五月頃に至つて右正治は原告より本件(一)、(二)、(三)の土地のうち以上従前賃貸借していた部分以外の部分をも賃借した(但し賃料、期限については後日協定する約であつた)旨主張し、原告は昭和八年頃原告が右正治に対し右(一)、(二)の土地中一二坪を賃貸したことを認め、その余の点を争うので検討するに、証人(省略)の証言及び被告本人尋問(第二回)の結果中には右被告の主張に副う部分があるけれども右は証人(省略)の証言、原告本人尋問の結果ならびに本件口頭弁論の全趣旨に照らして採用できず、その他本件全証拠によるも右被告主張の事実を認めるに充分でない。
(三) してみれば、被告は、少くとも本件(一)、(二)の土地中一二坪を除くその余の部分についてこれを不法に占拠しているものといわねばならない。
三原告の再抗弁にについて判断する。
(一) 原告は、前記一二坪の土地について前記正治の原告に対し有していた賃借権は、右正治においてその地上に所有存置していた約一〇坪五合の建物が昭和二四年五月一〇日古平町の大火災に際して焼失若しくは破損滅失したことにより同日消滅した旨主張する。しかしながら土地の賃貸借においてその地上に在る建物自体の滅失は朽廃による場合は別として何らその土地の賃借権を消滅させるものではなく、右建物がいわゆる非堅固の建物であつたとしても、少くとも賃貸借成立のときから三〇年間はなお賃借権が存続するのであるから原告の再抗弁はその主張自体から失当というほかはない。
(二) 次に原告は右正治において原告に対し右の頃右一二坪の土地に対する賃借権を放棄したと主張するが、原告の全立証その他本件全証拠によるも右主張事実はこれを認めるに充分でない。
(三) 更に原告は、右土地の賃貸借契約は、被告の不信行為により賃貸借における当事者間の信頼関係が著しく破壊されたことに基いて解除された旨主張するのでこの点を考える。およそ賃貸借契約は貸主、借主相互の継続的な信頼関係の上に成立つものであるから、賃借人に債務不履行があつた場合のほか、賃借人に重大な不信行為があつて賃貸借関係を継続させることが賃貸人に酷であるような場合にも賃貸人はその賃借人との間における賃貸借契約を解除しうるものと解すべく、しかして土地の賃借人がその借地に隣接する賃貸人の所有地に無断で建物を建設してその土地を不法占有するが如き行為が賃貸人に対する賃借人の不信行為であることはいうまでもないところである。しかしながら右のような不信行為による信頼関係の破壊は通常賃貸人が不法占有を排除して自己の占有を回復することによつて主観的にはともかく客観的には復元しうると考えられるから、右のような不信行為を理由として賃貸人が正当に存続してきた賃貸借契約を解除しうるのは右不信行為の程度が高く占有の回復によつてもなお客観的見地よりして賃貸借当事者間の信頼関係を復元しえない程に重大ないしは悪質な不信行為の存否が認められる場合であることを必要とするものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、(証拠―省略)ならびに本件口頭弁論の全趣旨を綜合すると次の事実が認められる。すなわち本件(一)の土地(三〇坪一合)と(二)の土地二九坪とは前者が北側、後者が南側に境を接して並び存し、その更に南方(日本海海岸側)の歩道、国道、歩道の順に並行して走る道路をへだてて本件(三)の土地(四〇坪七合二勺)があること、被告先代淵田正治は昭和八、九年頃から原告より右(一)、(二)の土地中西端の一二坪を賃借し、なお訴外中谷某から右土地の西側に隣接する若干の土地をも借受けた上、以上の土地上にまたがつて家屋を建設、居住していたこと、他方その頃右(一)、(二)の土地上には右一二坪の土地の東側に若干の距離をおいて原告が建坪一八坪二階坪七坪の家屋を建設所有しこれを訴外伊賀与八に賃貸していたこと、そして同時に同訴外人は原告から右(三)の土地を賃借してその地上に土木仕事の道具置場としての小屋や便所を建てていたが、右正治は右伊賀から右(三)の土地の一部を転借して使用していたこと、しかし原告は右転借を承諾していたものではないこと、ところが昭和二四年五月一〇日古平町に大火(災)があり、これによつて右原告所有の家屋、訴外伊賀の建てた右道具置場の小屋、便所は全焼し、右正治の建てて住んでいた建物も、当時自衛隊員等の手によつて行われた延燃防止のための破壊消防作業によつてその半ば以上が破損滅失するに至つたこと、その後間もなく右正治は、右(一)、(二)の土地中従前から訴外伊賀の賃借していた原告所有家屋があつた土地にくついて一時仮小屋を建てさせて貰いたい旨右伊賀に申入れたこと、同訴外人は右土地について原告の承諾を得てこれを原告から借り受けた上、この上に家屋を建築することになつていたが、資金難からこれを果せずにいたので右正治の申入を承諾したこと、かくて右正治は同地上に仮小屋を建てたので原告はこれを収去して右土地を明渡すよう右正治に申入れたが同人はこれに応せず、結局そのままひきつづき、従前同人の賃借していた土地及び右訴外伊賀が原告から借り受けた土地にまたがつて本件(一)の家屋の本建築を施工しなおその後遂次増改築を行いこれを建てるに至つたこと、そこで訴外伊賀は本件(二)の土地上に家屋を建てようと思い、建築材料の用意をしていたところ右正治はこれを無視し、更に原告の制止に応ぜずなお原告が杭を打つて右土地の周囲をかこんで阻止しようとしたが右正治はこれを抜きとり、遂に右(三)の土地上に本件(二)の建物を建てるに及んだこと、訴外伊賀は右正治の行為に対し抗議を申入れたが同人はこれをききいれなかつたこと、その後原告と右正治あるいは被告との間に紛議を生じ、原告において賃料を受けとらないので、昭和二四年以後の分は引続き、少くとも昭和三五年まで弁済供託されていること、訴外白岩三之亟が右紛議の解決について斡旋を試みたが結局解決に至らなかつたこと、がそれぞれ認められるのであつて、右認定を左右するに足る証拠は存しない。してみれば、前記正治の行為の如きは、明らかに原告に対する高度のそして重大且悪質な不信行為というのほかなく、ここに原告は右正活との間における本件(一)、(二)の土地中前記一二坪に関する賃貸借につき解除権を取得することとなつたものといわねばならない。しかして右正治が被告主張の日に死亡し、被告において右正治を相続したことは前記のとおりであるから右正治の賃借人としての地位は被告が包括的に承継したものというべきところ、原告(訴訟代理人)が本訴第一一回口頭弁論期日において昭和三六年一一月二八日付原告準備書面を陳述することにより右の如き被告の不信行為を理由として右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしこれが被告(訴訟代理人)に即日到達したことは本件記録上明白であり、この認定に反する証拠は存しない。従つて原告と被告との間における本件(一)、(二)の土地中一二坪に関する賃貸借契約は同日解除されたものというべきである(なお右の場合においては、原告の被告に対する催告はこれを要しないものと解するのが相当である)。
四被告の再々抗弁について判断する。
(一) 被告は原告の前記解除権の行使は権利の濫用であると主張するけれども、被告のこの点に関する主張事実のみを以てしては未だ右原告の権利行使が権利の濫用であるということはできない。のみならず右主張を首肯するに足る資料もない。
(二) 続いて被告は本件建物について買取を請求すると主張する。しかしながら上来説示の如き場合においては被告において本件建物についての買取請求権はこれを有しないものと解すべきであり(借地法所定の場合に当らないことは勿論である)、その他右被告の主張を首肯すべき資料もない。それ故右主張は失当といわざるをえない。
五結論
以上の次第であつてみれば、結局原告の本訴請求は正当であるからこれを認容すべく、仮執行の宣言はこれを附さないのを相当と認めざるからその申立を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
小樽簡易裁判所
裁判官 仙 田 富士夫
目録第一、第二(省略)