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山口地方裁判所 昭和23年(行)1号 判決 1948年12月24日

原告

下松土地株式會社 外一名

被告

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負擔とする。

請求の趣旨

第一次の請求として

別紙第一目録記載の土地が原告の所有に屬することを確認する。

右請求が理由なしと判斷せられるときは第二次の請求として

被告が原告に對し別紙第一目録記載の農地の買收處分における買收の對價を夫々該目録の請求對價欄記載の如く變更する。

右いずれの場合も訴訟費用は被告の負擔とする。

事實

原告訴訟代理人はその請求の原因として次のように述べた。

請求の趣旨表示の土地はもと原告の所有農地である。

被告は自作農創設特別措置法(以下自創法という)に基いて別紙第一目録記載の原告の所有農地を夫々同目録記載のような對價をもつて買收する旨の處分をなして、原告に夫々買收令書を交付し、原告は同目録記載の月日にこれを受領した。右買收處分における買收の對價は、前記自創法第六條の規定するところによつたものであるが、同條に定めた買收の對價即ち田については地租法による賃貸價格の四十倍の範圍内の價格は右買收當時における經濟事情からみて相當な價格であるとはいえない然るに憲法第二十九條には「財産權はこれを侵してはならない私有財産は正當な補償の下にこれを公共のために用いることができる」と規定し正當な補償をしなければ、私人の財産權を侵害することができないことを明定し、もつて私人の財産權を保障している。憲法にいう正當な補償は私人の財産を公のために徴收するについての對償であるから、その徴收當時における一般經濟事情を考慮して公平妥當に決定すべきものであることは言をまたない。自創法第六條に定める賃貸價格の四十倍という價格が憲法にいう正當な補償に該當するかどうかは、專ら買收處分の當時における經濟事情からみて相當な對價に該當するか否かにより決すべき問題で或る時期に正當な補償たるに十分な價格といえども他の時期には經濟事情の變化によつて正當な補償たるに足りないことがあり得るのであつて專ら買收處分の當時における經濟事情を基準として正當な補償かどうかを決定すべきものである。同法第六條が買收農地の對價はこれを賃貸價格の四十倍の範圍内において、定むべきものとした根據を政府が發表した資料によつてみれば反當り玄米收量を二石としこれを基礎として收支計算を行い、自作農が收得する純收益を算出し、これを國債利廻により遡算して、自作農が有する反當經濟價値即ち自作農收益價格なるものが金七百五十七圓餘なることを算出し、この金額が標準賃貸價格金十九圓一錢の約四十倍に該當するということに在るのである。然るに右收支計算の内容として掲げられた事項の内、單に收入のみについてみるも、米價は何れも政府が任意の法令により定めた政府の買上價格又は消費者價格等を標準としておるものであるが、これは憲法の規定する正當な補償なりや否やを解決するについての標準とはならないものである。憲法第二十九條が正當な補償を要求する財産の價格なるものは經濟界における取引上認められる本質的經濟價格をいうものであつて、法令により任意に定め又は制限せられた價格若くはかくの如く定められ又は制限せられた價格を基礎として算出せられた價格をいうものではない。農地の自作收益價格及地主採算價格を算出する基本的要素である收穫米の換價につき右のような不當な價格を標準として農地の買收價格を定めたことは、憲法の右法條に反するものと謂わねばならない。米の闇相場をもつて直ちにその本質的經濟價格なりといふことはできないとするも、それは日本銀行券の發行數量、その他一般主要物資の價格と比較する等合理的に決定すべきものであつて、決して特殊の目的をもつて政府が任意に定めた、生産者價格、地主價格又は消費者價格等をもつて、そのまゝこれに當てはむべきものではない。米の本質的經濟價格を算出することが相當困難であることは認められるけれども、さればとて、これをもつて自創法が採つた買收農地の價格算定の基礎とした米價を、正當ならしめる理由とすることはできない。同法に規定する買收價格は、前述の政府のとつた資料にもとずく算定後における經濟事情の激變は少しも考慮に入れることを豫定していないために、田一段の買收對價が、その田の藁のみの賣買代價にも及ばないというような奇怪な結果となり、その對價は今日の經濟事情よりすれば、殆んど名目上のものたるに止まり、實質上は無償で取上げられると異ならない事態となつたものである。以上によつて明かなように同法第六條に規定する對價で農地を買收することは憲法第二十九條に違反する違法の處分である。同條第三項が私有財産を公共のために用いるについて、正當な補償をしなければならぬと規定しているのは公用徴收をする當時に於ける正當な補償を命じている趣旨である。本件買收處分の當時に於て反當り金七百圓乃至八百圓の價格が正當な對價でないことは何人も承認するところである。憲法にいう正當な補償とは收用の對象たる財産の時價に當るか否かで決すべきである。而して自創法第六條に定めた對價は今日では二束三文である。原告は公定價格と闇價格の中間ともいうべき實効價格の存在を信ずる而して農地の買收は之によるべきである。

法律に定めた價格で而かも立法當時正しい評價をしたから之が即ち憲法にいう正當な補償であるとは言えない。又自創法第六條の規定が、立法當時假に憲法に適合していても、新憲法の實施を見た今日は、これに適合しないならば無効のものであることは憲法第九十八條の明定する通りである。從つてこの自創法第六條の規定に基いてなした、被告の前記買收處分は無効で、原告等は本件土地の所有權を失わない結果に至るものと謂わなければならない。こゝにおいて原告等は第一次には右買收處分の無効であることを主張し、原告等が本件土地の所有權を失わないことの確認を求めるものであるが、若し買收處分は無効に非ず買收の對價が不當であるに過ぎないと判決せられるならば自創法第十四條に基いて、對價の是正變更を求めるため本訴に及ぶもので、原告等は本件農地の相當價格は夫々第一目録中「請求金額」として表示した額であると主張するものである。尚下松土地株式會社は諸物價低廉の戰時においても、本件農地に近接し又は類似した別紙第二目録記載の農地を昭和十九年六月五日附認可書により坪當り金四十五圓の割合で下松市に、同第三目録記載の農地を、昭和二十年七月二十四日附認可書により坪當り金三十八圓の割合で日本石油株式會社に、同第四目録記載の農地を昭和二十一年一月十五日附認可書により坪當り金三十八圓の割合で株式會社日立製作所に、各山口縣知事の認可を得て賣買した事實があつて、この事實は本件農地の相當價格を決定するについて當然參考とせられるものであり現在の諸物價は認可の當時の數十倍乃至百倍であると述べ

被告の本案前の抗辯に對し、原告は本訴において、日本國政府のした農地買收處分の對價が不當でありそれが憲法に違反することを理由としてその是正を求めるものであるから、初め當該買收處分實行機關である地方長官を、被告として表示しそれが正當なりと信じたのであるが、昭和二十二年十二月二十六日公布の法律第三百四十一號自作農創設特別措置法の一部を改正する法律第十四條第二項によれば對價の是正を求める訴は、國を被告とすべき旨を新設規定したので(原告は本訴提起後にこのことを知つた)、被告の表示を國と訂正したのである。而して原告は初から日本國政府の買收處分に對し不服の訴を提起しているのであるから、右訂正によつて新たに別の訴を提起したものではなく單に被告の表示を訂正するに過ぎないと見るべきであり而も斯の樣な表示の訂正は許されること勿論であると述べ、本案の答辯に對し、農地改革がポツダム宣言に淵源する無血革命であることは原告もこれを承認するが、これは決して不當な對價による買收を強制するものではない。新憲法も均しくポツダム宣言に由來する民主革命の基本法である。地主に對し、農地の強制買收という、この上もない犠牲を強いる代りに、正當な補償を命じているのである。これが農地法及憲法を綜合して貫く民主革命、經濟民主化の眞髓であつて、農地解放、農村の民主化といふ大方針の名の下に地主に殆んど沒收に等しい買收を強行することは決して民主主義の眞精神ではなく正しい補償を要求することは憲法上認められた權利である。その他原告の主張に反する點は全部爭うと述べ乙第一號證は木下彰が盛岡地方裁判所の委托によつてなした鑑定の報告書を掲載した農地改革資料第五〇號であることは認めると述べた。

被告代理人は本案前の抗辯として本件訴却下の裁判を求め、その理由を次のように述べた。

原告は本件訴訟を山口縣知事を被告として提起し、昭和二十三年三月二十五日の第一回準備手續期日において、訴状訂正申立書を提出し、被告の表示を國と訂正したものである。日本國憲法及裁判所法の施行に伴い從來の行政訴訟の制度は廢止され、すべて公法上の權利關係に關する訴訟は國を被告として提起されることゝなり、その中行政廳の違法處分の取消又は變更を求める訴については、特に行政廳を被告として提起することができることゝなつたもので、このことは「國の利害に關係のある訴訟についての法務總裁の權限等に關する法律」第五條の規定に徴しても明かである。行政廳の違法な處分の取消又は變更を求める訴訟は實質的には國を被告とすべきであるが、訴訟における當事者の形式に從つて、特に當該行政廳を被告とするという前提に立つものである。本件について山口縣知事は行政廳であり、國を代表して公法行爲を行う機關であるから、違法な行政處分の取消變更を求めるならば、山口縣知事を被告とすべきであるが本件のように所有權の確認及び對價の增額を求める訴訟は當然國を被告とすべきもので買收處分の一實行機關である山口縣知事と國とは別個の人格として取扱うべきことは明かで單なる誤記ではない殊に既に訴訟が準備手續に入つた以上は山口縣知事を國と訂正し又は補正することはできないものである假に右山口縣知事を國と變更したことは訴状の補正に非ずして訴の變更であるとするならば國と山口縣知事とは別個の人格である以上訂正をした昭和二十三年三月二十五日において訴の交替的變更即新訴の提起があつたものとみるべきであるから當日迄に原告等が買收令書を受領した日から既に自創法第十四條所定の一ケ月の出訴期間を經過しているからこの點においても訴訟條件を缺いたものとして却下されるべきものであると述べ次いで本案について主文同旨の判決を求め請求原因に對する答辯の要旨として左の通り述べた。原告主張の土地がもと原告等の所有であつて被告が自作農創設特別措置法(以下自創法という)に基いて原告主張の農地をその主張の對價で主張月日に買收處分をしたこと及右對價が同法第六條第三項本文前段の規定により定められたこと並びに同條に規定した法定倍率が原告主張のような計算に基いて定められたことは何れもこれを認めるがその他の原告主張は爭う。抑々右自創法は、農地調整法と共に我が國が敗戰後その再建のため、議會の協賛を得て自主的に制定した法規の一としての性格と連合國最高司令官の日本政府への覚書に基き制定されたもので日本管理法令としての性格との双方を有するものである。

憲法第九十八條第二項は「日本國が締結した條約及び確立された國際法規はこれを誠實に遵守することを必要とする」旨規定している。右は改正憲法施行以前に成立した條約若くは確立された國際法規又はそれ等の誠實なる遵守が、新憲法の規定に牴觸するような場合は改正憲法によつてこれを廢止又は變更したものと解すべきでなく、これ等は寧ろ改正憲法の他の條項に優先して適用されるべきである。ポツダム宣言並びにその受諾は國際間の附合契約と見るべきであるから一種の條約というべく假に然らずとするも日本の承諾を條件とした單獨行爲によつて、確立された國際法規というべきである。

而してその内容は日本の國家機構に重大なる變革を加えることをも包含していて、その條項を誠實に遵守するためには憲法の改正、法律の制定等は缺くことのできないものである。ポツダム宣言によれば「日本國政府は日本國民の間における民主主義的傾向の復活強化に對する一切の障碍を除去すべし」となし、新日本建設の基礎條件は日本國民の民主主義化であることを明かにしている。而して民主主義的政治はその前提として國民の各々が社會的にも經濟的にも自主獨立の地位をもつことが必要でそれが封建的の状態であつてはならない。ところが我が國農村においては、その封建性は特に甚しいものがあつたので、これを改革して、農民を社會的にも經濟的にも、自主獨立の状態におくことが必要でそのために「耕作者の地位を安定しその勞働の成果を公正に享受させるため自作農を急速且廣汎に創設し以て農村における民主的傾向の促進を圖る」ことを目的とする法律を制定することは絶對的に必要になつてくる。その目的のために日本が自主的に制定した自創法はポツダム宣言の條項を具體的に誠實に遵守するためのものである。

かような性格をもつ本法と憲法の他の條項との關係を見るに、改正憲法は本法及農地調整法の存在を前提としている。即ちこれ等法律の基盤の上に改正憲法の各條項がその所を得ているのである。換言すれば改正憲法はこれ等の法律によつて農村が民主化された後における民主主義政治の形式及内容を規定しているもので憲法第二十九條もかような状態における私有財産の關係を規定したものである。從つて憲法の他の條項が先立ち憲法の他の條項を存立させる基盤をなす、本法は憲法の他の條項が豫定はしてゐるが之によつてこの法律を規定してゐるものではない。

されば自創法は憲法第九十八條第二項によつて、憲法の他の條項に優先して適用されるもので、要するに本法は憲法第二十九條の適用外にあるものと謂わねばならない。

假に憲法第二十九條の適用があるとするも自創法による農地買收の對價は、農地調整法に定める農地の公定價格と同額に定められている。農地の一般取引は現在農地調整法に定める制限の下に許されているに過ぎないのでありこの公定價格を超えた代金額による農地の取引は法の禁止するところであるから農地の交換價値は今日においてはこの公定價格に相當するという外はなく、從つて買收による農地所有權の衷失によつて豪るべき損失の補償額を客觀的法律的に考察すれば、この公定價格に相當するといわざるを得ない。このことは買收對價決定後において經濟事情の變動があつても同樣であつてこれに應じて農地の公定價格が改訂されない以上客觀的法律的な意味においての農地の價格はこの公定價格以外になく從つて之と同額の對價によつて農地を買收することは憲法第二十九條に所謂正當な補償の下になされたものと認むべきである。故に自創法第六條に定めた對價で買收したのは正當である。

更に附演すれば自創法は「農業生産力の發展」と「農村に於ける民主的傾向の促進」という「公共の福祉」のため制定されたもので同法第六條の對價が憲法第二十九條に謂う正當な補償に該當するかどうかは經濟的に又國家的社會的に決定されなければならないと同時に、本法制定に至つた國際的觀點からも決定されなければならない。農地は自由經濟の下においては生産手段であると同時に商品として取扱われるがそれは自然の所與であつて人間勞働の産物ではない。この意味に於て農地は商品と全く異るのである。農地は耕作者が勞働及投資の對象としてこれを利用し、農産物を生産し、その生産された農産物價格から地代を生ずるという意味に於て、價格をもつものである。即ち農産物價格の中から穫得される地代を社會一般の利子率で資本還元したもの即ち收益上の元本として價格をもつもので、土地の價格は預金の元本や公債の額面と同樣の性質を有するものである。

政府が農地價格公定の基礎とした自作收益價格は農業粗收入から生産費と平均利潤を控除した地代部分を國債利廻で資本還元したもので、農地の正常の價格と一致する。故に農地の公定價格は農地價格決定の法則に則り客觀的に妥當である。

農地については夙に國家的立場から使用目的變更の制限、農地價格及小作料の統制、農地移動の制限が行われ從つて農地所有權の重要なる内容は、現在耕作する者が農地として使用收益することである。

從つて「耕作者の地位を安定してその勞働の成果を公正に享受させる」ためには、働く農民が自分の農地を耕作する場合の價格、即ち自作收益價格によることが合理的でありそれ以上であつてはならない。そこで農地法が農地價格算定の計算上の基準として自作收益價格を採り田にあつては當該農地の賃貸價格の四〇倍、畑にあつては四八倍とすべきものとしたのである。要するに自作收益價格を基礎とすることは自作農を創設し且自作農になつたものが大きな負擔を負わずして、十分生産力を增加し、經濟的にも民主化するという國家公共の立場から定められたものである。又農地を小作させている農地所有權の内容を見るに、農地調整法は夙に小作料を金納化しその引上を禁止し小作地引上を制限しているのでこの樣な農地の所有權の内容は法律的にも金錢債權なる小作料を收納し得る財産權一定の元金に對し一定の利息を收納する預金若くは國債と同樣の内容を有するに至つたものである。從つて預金の元本及國債額面が他の物價の變動によつて變更されないのと同樣に農地價格も米價の引上その他物價の變動によつて變更されるものではない。農地價格もインフレ阻止という戰後の重要政策から見て引上ぐべきではなくいわんや農地は昭和二十年十一月二十三日に封鎖され、農地改革は同日現在の事實に基いて定められるものであるから、その後の變化によつて農地價格を引上ぐべきものではない。買收價格決定の資料となつた、米價がその後引上げられたのは米の生産費の增加によるもので、地代部分の增加によるものではないから之に從つて農地の價格を引上ぐべき理由はない。

原告は實効價格の存在を主張するがかような觀念は田畑については適用せらるべきではなく原告の主張は抽象論である。即ち憲法第二十九條の正當なる補償とは具體的な金錢をもつてする補償を意味するもので、財産の抽象的價値を補償することも意味するものではない。正當なる補償は財産所有者がその財産收用によつて蒙るべき損害を補填する意味である。しかもその財産所有者の損害というのは、特殊事情による特殊な損害は多くの場合加味されずその財産の客觀的な現實な價格によるべきことが原則でなければならぬ。しかも「正當な補償」とは「完全なる補償」とは異り個人的價値を顧慮すべきではなく又純然たる經濟上の價格のみによるべきではなく「國家的正當」「社會的正當」こそ最も重要なる要素として、決定せられなければならぬ。故に經濟的な地主採算價格のみによつて、對價が決定されるべきものではなく、我が國が當面する封建的殘滓を一掃し、民主主義的傾向の復活強化のための農地改革という、國家的社會的必要を考慮することが、正當な補償を決定する資料とせられるべきである。以上述べたような理由により原告の本訴請求は何れの點からするも失當であるから、その請求は棄却されるべきであると述べ立證として乙第一號證を提出した。

理由

先ず本案前の被告の抗辯について判斷する

原告等が本件訴状に山口縣知事を被告として表示して本訴を提起し昭和二十三年三月二十五日午前十時の第一回準備手續期日に被告の表示を國と訂正した。而して本訴の請求の要旨が第一次には山口縣知事が買收令書を交付してなした、原告等各所有農地の買收處分は、正當な補償の下になされたものでないから、憲法第二十九條の規定に違背し、當然無効である。從つて右買收處分の對象となつた農地の所有權は國に歸屬しないで、依然原告等の所有に屬するから、その所有權の確認を求め、第二次に、假に右買收處分が無効でないとしても、その買收對價が不當であるから第一次の請求が理由ないと判斷せられる場合は自作農創設特別措置法第十四條により買收對價の是正變更を求めるものであることは記録に徴し明白である。

而して第一次の請求の訴訟物は形式上私法上の權利關係である。土地の所有權の確認を求めるようにみえるが、その實質は、山口縣知事が行つた農地買收の行政處分の無効確認を求めるものと解するから、行政事件訴訟特例法第一條に所謂「公法上の權利關係に關する訴訟」の範圍に屬するものというべく、又第二次の請求の訴訟物が公法上の權利關係に關する行政訴訟(同法第一條)であることは疑を容れない。元來國の行政機關が行つた行政處分の効力を爭う訴訟について、何人を被告として提起すべきかの問題は相當疑義のあつたところで、現實に當該行政處分を行つた處分廳の如何に拘らず、行政の主體である國又は公共團體をもつて、被告とすべきものとも一應考えられる然し從來の取扱は原則として處分廳を被告とすべきものとされていた。行政事件訴訟特例法第三條も、行政廳分の取消又は變更を求める訴即抗告訴訟は他の法律に特別の定のある場合を除いて、處分をした行政廳を被告として提起すべきことを規定したので、同法施行の今日においては抗告訴訟に關する限り一應この點に關する疑義はなくつたのである。而してかような訴訟においても、實質上權利義務に影響を受けるものは、被告となつた行政廳ではなく結局當該行政權の主體である國又は公共團體であるから訴訟提起後に被告を變えても、實質的にはその代表者の變更をしたに過ぎず被告にはさまで不利益を與えないので、前記特例法第七條は所謂抗告訴訟について被告の變更を認めたのであるこの理は行政廳を國に變える場合にも抗告訴訟以外の行政訴訟に於ても變りはないから、右規定は行政廳を國に變更する場合をも包含すると解されるし、尚抗告訴訟以外の一般の公法上の權利關係に關する行政訴訟についても準用すべきものと解する。

然らば本件の樣な訴訟を提起するには原告が本來國を被告とすべきところ、誤つて當該行政處分の實行機關であつた行政廳たる山口縣知事を被告として表示したのであるが、本訴はその根本において、國の買收處分に對し不服を訴えるもので、被告の表示訂正をしても何等訴訟物に實質的の變更なく、又右表示を誤つたことについて、特に原告に故意又は重大なる過失があつとは認められないから、原告の爲した本件被告の表示訂正は、前記行政事件訴訟特例法の各規定の趣旨に徴し適法である。

尤も被告が主張する如く本件は原告が被告を國と表示すべきを誤つて行政廳を表示した場合でもなく又表示訂正が右特別法施行以前であつても結論に變りはない。從つてこの點に關する被告の抗辯は全部理由がない。

次いで本案の請求についてその當否を審按する。

原告主張の土地がもと原告等の所有農地で、被告が自作農創設特別措置法(以下自創法という)に基いて、原告主張の農地を、その主張の對價で、主張月日買收したこと及び右對價が同法第六條第三項本文前段の規定により定められたことは何れも當事者間に爭がない。

そこで

第一、右自創法が憲法第二十九條の適用外のものかどうかについて判斷する。

自創法は、我が國がポツダム宣言を受諾し、これを誠實に履行する義務を負擔し、その條項の一である「日本國政府が日本國民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に對する一切の障碍を除去する」ためその具體的處置として、農地改革に關する連合國最高司令官からの覺書の趣旨に從つて制定實施をみたものであることは、その成立の經過その他に徴し、顯著なところである。

而して右條項又は指令の趣旨を誠實に履行することが日本國民の至上の義務にして、それがためには凡ゆる既存の法律制度等も變革され、これに伴い國民の權利義務に、重要なる變動を來たすことのあるのは、固より當然のことである。

しかし前記のような目的を實現するために制定された自創法も、その形式においては、我が國議會の協賛により自主的に成立した法律である。

その淵源がポツダム宣言に發するからというて、これが新憲法の適用外にあるとの論は直ちに首肯し難い。新憲法も固よりポツダム宣言の條項の誠實なる履行として、民主的に議會の協賛により制定されたもので、既にその公布實施をみたる現在では、國の最高法規として、その條規に反する法律命令詔勅等は一切その効力を有しないもので、自創法も當然法律として、憲法の條項に違反することを得ないものといわねばならない。

固より自創法の規定を解釋運用するについては、前記立法の淵源に關する重要なる至上命令の達成を念頭に置いて、その企圖せんとするところを正當に理解すべきものではあるが、立法の經過、その他において、一般の法律と異つたものであるからというて、共に我が國内法である憲法と自創法相互の關係に於て自創法が直ちに憲法の適用外にあるものとは斷じ得られないから、この點に關する被告の主張は排斥ぜざるを得ない。

第二、自創法第六條の買收對價が憲法第二十九條の「正當な補償」であるかどうかを判斷する。

所有權が憲法によつて保障されているのは所有權が社會生活上有用又は必要であるが故であるから憲法で保障さるべき所有權の内容は社會制度としての所有權でなければならない。

從つてその内容は決して先天的に一定不動のものではなく社會の必要に應じて當然變動するものである。即ち憲法第二十九條に正當な補償といふ意味は現在の社會制度としての所有權の客觀的内容から見て完全な補償の意味であつて現在の社會制度を離れて先天的な所有權を假定しその完全な補償を意味するものではない。又所有權の主觀的價値を以て定めることもできない。

即ち憲法の補償が果して正當であるかどうかは現在の社會生活上有用必要と認められる社會制度として法律に依つて定められている所有權の客觀的内容を基準として判斷せらるべきである。

よつて以下順次今回の農地買收の對價が如何にして定められたか又農地所有權の客觀的内容がどうであるか等を檢討して所謂正當な補償であるかどうかを判定する。

(一)自創法第六條第三項によると農地の買收對價は原則として田にあつては土地臺帳法(地租法)による賃貸價格の四十倍畑にあつてはその四十八倍の範圍内に定めることになつている。そして右のような基準を定めるについては中庸田について自作農の反當純收益(反當生産米の價格から生産諸掛費及公租公課の負擔額を控除したもの)から、四分の利潤を控除した地代相當部分である金二十七圓八十八錢を、國債利廻三分六厘八毛で還元して自作收益價格七百五十七圓六十錢を得た上、これを中庸田反當の標準賃貸價格十九圓一錢で除した三九・八五を四〇に引直し、又畑については、昭和十八年三月勸業銀行調査の田の賣買價格七百二十七圓に對する畑の賣買價格四百三十九圓の比率五九%を、田の自作收益價格に乘じて得た四百四十六圓九十八錢を、その自作收益價格とした上、これを中庸畑反當標準賃貸價格九圓三十三錢で除して得た四七・九を四八に引直し、以て田畑についてそれぞれ自作收益價格の現行賃貸價格に對する倍率を求め、これによつて個々の農地について簡易に自作收益價格を算出することができるようにしたもの即ち自作收益價格を以て買收の對價の基準としたものであることは、顯著な事實である。而してこの自作收益價格に據ることが正當な補償と謂えるかどうかを判定せねばならない。

(二)土地を公共のために徴收するについては、原則としてその一般取引價格即ち時價を補償すべきものであるが、農地については夙に農地調整法により、その賣買及價格を統制(第四條第六條の二)されていたもので一般取引市場における時價というものはなく、農地の取引價格は右統制額の範圍内で定めるべきものである。そしてその統制額は昭和二十一年一月十六日農林省告示第十四號によつて、前記農地買收の對價決定の基準と同一に定められているから、右買收の對價決定は合理的な根據によつて決定されたものというべきである。次に

(三)農地の所有權は從來農地を全面的に支配する絶對的な權利とされていたものであるが、農地調整法によりその處分の制限(第四條)使用目的變更の制限(第六條)土地取上の制限(第九條)小作料の金納化(第九條二)小作料の統制(第九條の三から九まで)小作契約の書面化(第九條の十)等の規定を設けている點、更らに自創法が農地所有權を收用して現に耕作の業務を營む小作農に對しこれを附與せんとしている點等から考察すれば、その内容は著しく變化し、既に統制された金錢債權である小作料を收納し得る權能のみで、農地所有權の本體は農地を自ら耕作して使用收益し得ることに存するものと解すべきである。從つて農地の買收によつて生ずる損失の補償は自作收益價格をその基準とすることは正當であるといわなければならない。

(四)自創法制定後インフレの昂進に伴い貨幣價値が暴落を續けていることは顯著な事實でこの點から考えると制定當時と本件買收決定當時とは、著しく經濟事情を異にしているので、當初の買收對價をそのまゝ適用することは、公平妥當を缺いで、正當な補償にならないのではないかと一應考えられる。而して原告の主張は主としてこの點にかゝつてゐるのであるが經濟事情の變動に伴いその都度買收の對價を引上げるが如きは著しく買收の手續の完了を遷延し且耕作農民の負擔を加重することになりかくては本法が農村に於ける民主主義的傾向の復活強化のために自作農を急速且廣汎に創設することを企圖した大理想の實現に甚しい障害を與えるものである。又今次の農地改革は昭和二十年十一月二十三日を以て農地を封鎖し原則として同日現在の事實に基いて實施されているものであるから、被買收農地の所有者の權利は同日現在に於て一般的に買收對價請求權なる財産權に轉化したものとみるべきである。而してその價格は釘付された地代の額を平均利廻で還元して得られるものである。かような點から考察すれば物價の變動に伴う不利益は地主においてこれを甘受すべきことは前掲大理想の下には止むを得ないことでこの場合に當初の買收對價を維持することは敢て不當ではないそれは公債や預金の所有者がインフレのために打撃を蒙つているのと同一であつて地主だけが不當な損害を蒙つたとは謂はれないのである。

以上のように考察すると自創法に定める買收對價は憲法第二十九條第三項に規定する正當な補償にして、同條項に違反するものに非ずと認める。

然らば法定買收對價の違法又は不當を前提とした原告等の本訴請求は全部その理由がないからいずれもこれを失當として棄却すべきものとする。

よつて、訴訟費用の負擔について、民事訴訟法第八十九條第九十三條第一項本文を適用して、主文の通り判決する。

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