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山口地方裁判所 昭和32年(ワ)91号 判決 1959年3月05日

原告 古川馨

被告 小野田セメント株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「原告と被告との間に昭和二十二年十一月二十一日成立した原告が被告会社の雇傭する労働者であることを内容とする雇傭関係が存続していることを確認する、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として次のように陳述した。

被告は、セメント事業を営む株式会社であるが、原告は昭和二十二年十一月二十一日被告会社と雇傭契約を結び同会社の工務員(臨時工に非ざる正式の社員)として就業してきたものであり、且つ昭和二十四年五月一日日本共産党に入党し同二十五年六月脱党しその後その同調者であり、且つ被告会社の従業員を以て組織する小野田セメント小野田労働組合(以下単組と略称する)の組合員で、執行委員をしていたものである。被告会社は昭和二十五年十一月十三日原告を解雇する旨通告し同月十六日解雇した。右通告の内容は別紙一の通告書のとおりである。右解雇は右通告書の前文を見ても明らかな通りその頃全国的に各種企業において一斉に行われたレッド・パージの一つとして実施されたもので、当時朝鮮戦争遂行の必要上、平和を称える共産党員並びにその同調者を追放しようとしたアメリカ政府に協力し、その政策に便乗した吉田政府並びに独占資本家等が企業防衛の口実の下に日本共産党員並びにその同調者を企業破壊の虞れある危険分子として企業体から排除したものである。従つて(一)本件解雇は、原告の思想、信条、所属政党を理由とする不利益処分であるから憲法、労働組合法、労働基準法に違反し無効である。(二)又、原告は単組の執行委員として労働運動こそ活溌にしたけれども勤務成績は良好で真面目な労働者で、解雇事由のない者であるから、本件解雇は被告会社と単組の上部団体である小野田セメント労働組合連合会(以下労連と略称する)との間に当時有効に成立していた基本労働協約第十六条及び被告会社の当時の就業規則第四十条、第五十六条に違反し無効である。(三)然らずとするも被告会社はレッド・パージに便乗して原告解雇したのであるから、本件解雇は不当労働行為に該当し、無効である。

然るに被告はこれが有効であつて原告と被告間の雇傭関係は消滅したと主張するから、右雇傭関係の存続していることの確認を求めるため本訴に及んだのである。

次に、原告訴訟代理人は被告の主張に対し次のとおり述べた。

被告の主張事実のうち、原告が被告主張の日に別紙二の退社願を提出したこと及び被告主張の日に被告から別紙三の領収書記載の金員を受領したこと、原告が被告主張の日にその離職票の交付をうけたこと、その離職票に被告主張のような記載があり原告が押印していること、原告が被告主張の日から失業保険金の給付をうけ、被告主張の金額の金員を受領したこと、原告が単組から被告主張の金額の金員を受領したこと及び原告の妻静枝が被告主張の日から被告に雇傭され被告主張の給料を受けていることはこれを認め、被告主張の組合各機関が適法に成立したものであることはこれを争わないが、その余の点はすべて否認する。

(一)  被告は原告の任意退職が組合大会で承認され、不当労働行為でないと確認されている旨主張するが、一組合員の任意退職の問題を組合大会の議案にすることが矛盾である。本件が任意退職でなく被告に対する一方的解雇であるからこそ被告会社は労働政策上労働大衆の憤懣を回避するため組合大会その他の組合機関に対してレッド・パージの諒解工作を行つたのである。仮りに労働組合が本件解雇を承認したとしてもそれは労働組合の権限踰越の行為であるのみならず、無効の解雇が組合機関の承認によつて有効化するものではない。

又、被告は原告がその所属する単組から餞別金、退職資金を受領した点を指摘して原告の任意退職を主張するが、原告は退職資金を受け取つたのではなく生活資金として若干の金員の援助を受けたにすぎないから、これを以て原告が任意退職したものとみることはできない。

更に又、被告の別紙一の通告書意思表示部分の意思表示の解釈は労働問題を市民法理念によつて律せんとする誤つた解釈である。被告は強力な大資本の会社であり、原告はその一労働者である。かかる強者対弱者間の雇傭関係については市民法理論の前提である取引当事者対等の原則は実質的に適用し難いからこそ、憲法は労働者保護の特別規定を設け、労働関係諸法規により具体的に労働者を保護しているのである。一方的解雇を通告して力関係上被解雇者が闘争し得ないことを予測して「但し一定期間内に退社願を提出すれば依願解雇の取扱をする」旨を申入れた通告書の意思表示は労働法理念に照して解釈する限り解雇と解すべきである。現に別紙一の通告書、同三の領収書に「解雇予告手当」なる文字を使用しているのなども右解雇であることの一つの表われである。

(二)  原告が昭和二十五年十一月十四日被告に対し別紙二の退社願なるものを提出せざるを得なかつた理由は次のとおりである。

昭和二十五年に全国的にレッド・パージが行われ、本件解雇もまた右レッド・パージの一つであることは前述のとおりである。而して、レッド・パージは占領軍当局と日本政府並びに日経連その他有力資本家等の合作により憲法下の諸法規によつて保障されている労働者の権利を無視した暴挙である。この暴挙によつて昭和二十五年六月六日日本共産党中央委員全員が公職から追放され、続いて同党機関紙「アカハタ」編集関係者が追放されやがて「アカハタ」の発行が停止され、更には新聞報道関係の企業においてレッド・パージが行われたのを皮切りに一般民間企業においても各種企業にわたつて全国的にレッド・パージが強行されたのである。この狂暴なレッド・パージ旋風に対して原告が単身で闘争することは当時の客観情勢上不可能であつた。

加之当時の労働組合もまたレッド・パージに対して反対闘争をなす態勢ではなく原告がその所属する単組に本件解雇通告について相談してもむしろ労働組合自体が狂暴なレッド・パージ旋風に屈服していた事態であつたので、組合の力により反対闘争することもできなかつた。

かかる情勢の下で被告は原告に対し別紙一の通告書のとおり昭和二十五年十一月十六日限り一方的絶対的に原告を解雇し、同日以降原告が被告会社に立入ることを禁止する旨通告した。従つて原告は退社願を提出しなくても右十六日に解雇されることは必至であつたから、被告と原告との間に締結されている雇傭契約を終了せしめるか否かにつき原告自らの意思に基いて決定する自由はなく、他面、若し原告が退社願を提出しないで被告と争えば入金が遅れるばかりでなく被告指定の支払期日を経過すれば種々煩瑣な手続を要するうえに入金額は四分の一以下に減ずることとなり、一労働者であつて他に資金のない原告としては離職と同時に忽ち生活に窮するので名目の如何を問わず被告の支給する若干の金員を速やかに入手せざるを得なかつた。当時原告は家族として妻静枝、母古川シゲ(昭和二十六年九月死亡)、長男古川智万、長女古川とし子、伯父内富林一の五人を擁し、而もとし子は昭和二十四年六月頃から小児結核に罹り約三年間療養を続け多額の費用を要し、又原告の住家に原告の出征留守中昭和十七年八月風水害によつて倒壊したので原告は昭和二十一年七月復員して以来家屋の修復その他家計立直しのため苦労していた。原告は当時約三反の田地を耕作していたが、之とても昭和二十五年九月のルース台風によつて収穫は皆無の状態であり、他に財産としてとりあげるものもなかつた原告としては、妻静枝の税込八千円の月収では到底家族を養うことは出来なかつた。かような事情のところに本件解雇を通告されたので、原告としては退職金等の条件を少しでも有利にして生活の行き詰りを打開しなければならなかつた。

以上諸般の事情から、原告は被告からの解雇強行に対し身を守る余地のない窮地に立たされ本件解雇通告を前にして強要強迫に屈し、やむを得ず別紙二の退社願を提出した次第である。

(三)  従つて、原告が昭和二十五年十一月十四日被告に別紙二の退社願を提出した行為は次の理由によりその効力がない。

(1)  前述のとおり被告は昭和二十五年十一月十三日原告に対し別紙一の通告書のとおり通告して原告をして身を守る余地のない窮地に陥らしめ、原告はこれに屈して別紙二の退社願を提出したのであるから、右は公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為であつて、無効である。

(2)  原告及び被告はいずれも真意は解雇であることを知つていたにもかかわらず双方の打算から通謀して表面上依願退職の形式を整えたにすぎないから、本件合意解除(任意退職)は通謀虚偽表示に該当し、無効である。

(3)  仮りに原告の退社願提出行為が無効でないとしても、右は前述のとおり被告の強迫に屈し原告がなした意思表示であるから取消し得べき行為である。而して、原告は昭和三十一年十月頃訴外阿部久次郎、同浅田清両名を原告の代理人として被告に対し退社願の取消及び原告を被告会社へ復帰させるよう申入れ、取消権を行使した。従つて、原告が昭和二十五年十一月十四日別紙二の退社願を提出した効力は同日に遡つて失わしめられた。

被告は原告の右取消権が時効により消滅したと主張するが、本件解雇はレッド・パージであり、アメリカ占領軍の示唆に基き、日本政府及び資本家が全国的に断行したものであるから日米合作の占領体制が排除されるまでは取消権の消滅時効期間は進行しない。而して右占領体制は昭和二十七年四月二十八日平和条約が発効した時に排除されたから右取消権の消滅時効は同日から甫めて進行を開始したものと解するのを相当とする。従つて原告の右取消権行使は民法第百二十六条所定の消滅時効完成前になされたこととなる。

(四)  よつて、以上いずれの点においても原告の退社願提出行為はその効力がないから、原告と被告間に昭和二十二年十一月二十一日締結された雇傭契約は現在も有効であり、原告は今もなお被告会社に雇傭されている労働者たる地位を保有するものである。(立証省略)

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め次の通り答弁した。

原告主張事実のうち、被告が原告主張のような会社であること、被告が原告と原告主張の日に雇傭契約を結び原告を原告主張のように就業せしめたこと、被告が原告主張の日に別紙一のとおりの通告をなしたこと、訴外阿部久次郎、同浅田清が原告主張の日に被告会社に来たことは認める、原告が日本共産党員或いはその同調者であつたこと、レッド・パージに関することは知らない、その余の点はすべて否認する。

(一)  原被告間の雇傭関係は解雇ではなく昭和二十五年十一月十四日合意解除契約の成立により終了したのである。即ち同日原告は被告に対し退職を願出で任意退職したものであつて、同日以降は被告会社の従業員ではない。

(二)  右任意退職について詳しく述べると次のとおりである。

(1)  被告会社は従業員数約三千六百名、セメントの年生産高は我国セメント生産高の約二割を占める大セメント会社であつて、その企業は重要基礎産業の一つに属し、企業運営の適否は我国の経済再建、国民の日常生活に重大な影響をもたらすものであるから、被告会社としては企業の正常な運営の確保に日夜腐心してきた。ところが、被告会社の一部従業員の中には組織された指導の下に企業の秩序を無視し、集団的に煽動的な言説や暴力的行動によつて職場の不安を醸成し、従業員の生産意欲の減退を図る等の行為に出て企業の正常な運営に多大の脅威を与えているものがあり、被告会社はかかる破壊的行動に対し企業の秩序を防衛するため苦慮していた。当時の日本共産党が暴力主義的な方針によつて指導されていたことは党自身もこれを肯定していたところであり、特に二、一スト当時から昭和二十四、五年にかけての日本共産党の動きは今日のそれと異り甚だしく破壊的であつたのでかかる集団的な企業阻害の危険に対し必要な防衛措置を講ずることは当時における社会の客観的な要請でもあつた。そこで被告会社も右の危険を排除し以て企業を破壊から防衛するため、事業の正常な運営を阻害する破壊的な共産主義者又はこれに準ずる者の退職を希望しようと決意し、昭和二十五年十一月頃被告の責任において被告会社の全国各工場における人員整理(本件を含む)を計画し、事前に組合に対してもその協力を求めることとした。

(2)  そこで被告は労働組合に対し原告を含む二名に対して任意退職の勧告をすべき旨申入れ、昭和二十五年十一月中に数回会社と組合が協議した。被告の右申入れに対し組合(単組)は同年十一月六日、同月八日、同月十三日、同月十八日小野田市所在の被告会社本社内において職場委員会を開催した。右各委員会はいずれも当時の「小野田セメント小野田労働組合規約」第二十五条乃至第三十一条によるもので、右規約が第三節委員会なる節を設けて規定した正式の組合機関たる委員会である。そうして昭和二十五年十一月六日の分は第一四九回委員会、同月八日の分は第一五〇回委員会、同月十三日の分は第一五一回委員会、同日十八日の分は第一五二回委員会と称されている。第一四九回委員会においては、勧告の適用基準を明かにし、退社を必要とする資料を示して勧告が不当労働行為に該当しないことを確認するとともに、具体的に退社を必要とする者の氏名を明かにしてその当否につきあらかじめ組合と協議すること、その者に解雇手当、退職金を支給し、その額を明示することを会社に要請することとした。次いで第一五〇回委員会はこの問題に関する単組と会社との交渉を執行部に一任する旨決定した。以上の方針により被告会社小野田工場長松本松之助と小野田セメント小野田労働組合(単組)組合長(執行部代表者)宮崎久雄が協議した結果、小野田工場従業員中から二名の退職を求める会社側原案を一名のみとし、その一名は原告とすること、原告に対しては、任意退職の場合には普通退職金のほかに特別退職金(餞別金)及び解雇予告手当相当額の特別加給金を別紙三の領収書の金額(合計五万二千百二円(税込))のとおり支給すること、解雇の場合には別紙一の通告書のとおり区別して支給することに決定した。従つて、本件自発退職の勧告は組合と協議を重ね組合の同意を得た後に行われたのであつて、原告の任意退職に関しては組合も異議がなかつたのである。

(3)  被告は昭和二十五年十一月十三日午前十時小野田市小野田六千二百七十六番地所在の被告会社小野田工場生産課控室において(原告は生産課機動班所属であつた)、同工場松田二郎生産課長、宮崎久雄労働組合組合長、市村訓次工務員及び原告の四名が会合した席上、松田課長から原告に「この際退職する意思はないか」と申したところ原告は「任意に退職する考えである」と述べた。そこで、松田課長から「それでは明十四日から出勤しなくてもよろしい」と申し渡したところ、原告は穏かに同日から出勤しないことを承認した。

次いで、同月十四日原告は被告に対し別紙二の退社願を提出したので、被告はこれをうけとつた。そして、原告から退職金支払の求めに応じ、同日同工場勤労課事務室において別紙三の領収書と引換えに、五万二千百二円(税込)を支払つたが、これは原告の取立に応じた支払であり、会社窓口における支払であり、原告が任意にうけとつたものであつて、被告が原告宅等に赴き、押しつけて支払をしたものではない。受領者は原告本人であり、係員新山敬治の手から交付したもので、立会人は勤労課員西岡理、労働組合(単組)書記長池田利道の両名である。かくして退職に関する一切の手続を終り、原告は昭和二十五年十一月十四日を以て退職したものであつて、原告主張の如く、同月十六日を以て解雇されたものではない。十六日より以前である十四日に既に雇傭関係は終了している。別紙三の退社願の文言は「赤追放」が単なる動機にすぎないことを示しており、自発的に任意退職する旨を明示しているものである。

(4)  原告の離職票は昭和二十五年十一月十五日原告本人に交付されており、その離職票には「離職年月日昭和二五年一一月一四日」「離職事由赤色分子追放により自発退職」等の記載があり、「上記の事項を確認する」として原告が押印している。原告が昭和二十五年十一月十四日に任意退職したことは右離職票の記載及び同月十五日に原告が離職票の交付を受けている事実からも明白であつて、原告主張の如く十一月十六日に解雇されたものではない。

(5)  原告は昭和二十五年十二月六日より失業保険金の給付を受け、失業保険金として総額五万二千二百円を受領している。

(6)  昭和二十五年十一月十三日に開催された第一五一回委員会において議長は執行部が被告の原告に対する退職勧告を承認した態度について白紙投票を行う旨宣し、立会人伊藤、田村両委員立会の下に賛成か否かを問うたところ、二十一名投票し、二十一名賛成して執行部の態度を承認した。

次いで、昭和二十五年十一月十五日東京において開催された小野田セメント労働組合連合会第二〇回執行委員会は原告の任意退職を承認した。右執行委員会は当時の「小野田セメント小野田労働組合規約」第三十二条乃至第三十七条によるもので、右規約が第四節執行委員会なる節を設けて規定した正式の組合機関たる執行委員会である。

その後、昭和二十六年四月十五日三重県所在の被告会社藤原工場の社員クラブにおいて開催された小野田セメント労働組合連合会第九回定期大会は一同異議なく原告の任意退職を承認した。

以上の経緯からして原告に対する通告が妥当であつたことが明かであり、組合活動を理由とした通告でないことは、不当労働行為に最も敏感な組合が終始全員の賛成を以て被告を支持して来たところからしても明白である。

原告は本件雇傭関係の終了につき原告の所属する労働組合が異議なく承認したことを自認しながら、これを労働組合の権限踰越の行為であると主張するけれども、組合員であつた原告の雇傭関係の終了に関しては労働組合が至大の関心と利害をもつ立場に立つことは当然であつて、これを市民法の論理を以て第三者にすぎないとすることは労働法の解釈を誤つたものであり、これを以て原告の主張する如く労働組合の権限踰越行為となすことはできない。労働組合はその性質上所属組合員に関する無効の雇傭関係の終了を容認することはできないのであり、その無効を有効化するために努める理由はないのである。本件雇傭関係の終了後が組合大会その他の組合機関にかけられ全然何らの異議をとどめず承認されたことは原告主張の如き労働大衆の憤懣をもたらすような何らの違法も不当もなかつたからにほかならない。又、原告の任意退職が円満かつ平穏に任意に行われたからこそ組合は全面的にこれを支持したのである。被告が昭和二十五年十一月十三日別紙一の通告書の勧告を原告に発する以前労働組合との間に交渉をもつたのは事実である。組合員の利害に関しひいては組合の利害に関する勧告を行わんとするのであるから、被告自ら進んで勧告の内容、対象となる組合員の人数、氏名、支給すべき退職金等の額について組合と協議し、ついに労資完全な一致をみるまで努力したのであつて、被告としてなすべきことをしたにすぎず、原告主張の如くやましい行動をとつたものではない。しかる後、被告の責任において別紙一の通告書の発送、原告に対する雇傭契約の合意解除の申入れ、その際の条件の明示をしたのであつて、右勧告の後被告が組合に本件について交渉したり、レッド・パージの諒解工作をしたりしたことはない。その後、組合が自発的に独自の行動を起し組合大会にかけ本件任意退職を承認し有効であることを確認したとしても、これは被告の関知するところではない。ただ、任意退職成立後に労働組合の組合大会においてこれを承認しているので、これは適法な合意解除であつたことを示す一資料といわなければならない。従つて、被告としては決して一組合員の任意退職を組合大会の議案としたことを強調しているのではなく、原告に対する合意解除の申入をなすに先立つて万全の措置を講じたこと、本件は利害関係のある組合が承認した方式、人数、対象、金額、方法に従つて被告の責任において一切の処理を完了したものであることを明かにしたのみである。

(7)  原告は昭和二十五年十一月二十二日小野田セメント小野田労働組合(単組)から餞別金二千五百円の交付をうけ、又ほかに組合から退職資金として三万五千円を受領した。右は第一五一回及び第一五二回委員会において決定された後支給されたが、原告は任意退職を前提とする退職資金も異議なく受領している。当時原告の退職が自発的に行われ、原告がこのことを承認していた証左といわねばならない。

原告はその所属する労働組合から若干の金員をうけとつたことを認めながら、右は生活資金として応援をうけたにすぎないと主張するけれども、右金員の名目が生活資金であるか餞別金並びに退職資金であるかにかかわらず贈与者である小野田労働組合が原告の雇傭関係の終了したことを確認したので支出した金員であることは明かであり、又原告も原告と被告間の雇傭関係が確定的に終了したからこそうけとつたのが当時の原告の真意である。従つて、この事実は原告の任意退職を裏付ける一資料である。なお、右金員の中三万五千円の口は第一五二回委員会では「古川氏餞別の件」として付議決定しており、原告の退職を確認して支出し贈与した性質のものであつたことは明かである。

(8)  原告の妻古川静枝は昭和二十二年七月二十一日被告に雇傭されて以来現在もなお引続いて被告会社小野田工場に勤務し、現在同工場試験課に所属している。被告は右静枝を他の従業員と区別することなく待遇し一般なみに昇給させている。昭和二十五年十月頃の静枝の給料は本給八千百五十円であつたが、現在は一万七千円に逐次増給されている。従つて、原告が生活費に窮して自己の生活のためにのみ普通退職金、特別退職金、失業保険金、組合からの餞別金、退職資金などをうけとつたものではない。

(9)  一定期日を以て解雇するが、右期日前の所定期間内に退社願を提出した者は依願退職の取扱をする旨の意思表示は単独行為である一方的解雇の意思表示のほかに右所定期間内における雇傭間係の合意解除(契約)の申込が同時になされているものと解すべきところ、右意思表示に対し右所定期間の経過前に退社願が提出された場合には、既になされた一方的解雇の意思表示は退社願の提出という条件の成就によつて遡つてその効力を失うとともに、合意解除の効果が確定的に発生するものと解するのが相当である。一定期日を以て解雇するが、右期日後の所定期間内に退社願を提出した者は依願退職の取扱をする旨の意思表示に対し右一定期日の経過後所定期間内に退社願が提出されたときは、合意解除の効果が同期日に遡及して発生するとともに、既に発生した一方的解雇の意思表示は退社願の提出という条件の成就によつて遡つてその効力を失うものと解されるところ、本件においては一定期日前の所定期間内に退社願が提出されているのであるから、一方的解雇の意思表示がその効力を失うことは当然の理である。被告は昭和二十五年十一月十三日原告に対し別紙一の通告書意思表示部分のとおり一定期間内(同月十五日迄)の雇傭関係合意解除の申込と条件附解雇の意思表示とを同時に為したものであり、これに対し原告は右一定期間内である同月十四日に別紙二の退社願を提出したのであるから、被告のなした一方的解雇の意思表示は右退社願の提出という条件の成就により通告の日である同月十三日に遡つてその効力を失つたので全然効力を生ずることなく、原告と被告との間の本件雇傭契約は同月十四日に合意解除され、同日右雇傭関係は終了したのである。又、被告にはかような退社願提出者をもあえて一方的解雇処分に付して雇傭関係を終了せしめる意思はなかつた。従つて、本件雇傭契約が被告の解雇の意思表示のみによつて終了したとの原告の主張は失当である。

被告が原告に対し退職金のほかに金一万四千五百十円を支払つたのは、通告書において任意退職の場合にも解雇予告手当相当額の特別加給金を退職金に附加して支払う旨約したのでその約旨の履行として支払つたにすぎない。別紙一の通告書の勧告に応じ退職願を提出した場合における「解雇予告手当」及び別紙三の領収書の「解雇予告手当」はいずれも解雇予告手当相当額の特別加給金の意味である。原告と被告との雇傭関係の終了原因が解雇でないことは領収書に「自発退社願を提出し」との記載があることからも明かであり、又その終了の日が十一月十六日でなく「昭和二十五年十一月十四日を以て退職致します」と記載されていること、日附として「昭和二十五年十一月十四日」と記載されていること、日附、現住所、退職後の連絡先、所属がいずれも原告の自筆である点及び原告の自署であり、自署下の捺印も本人の印章を自ら押捺したものであることからも明白である。更に又、別紙二の退社願は全文原告の自筆自署である。原告が被告から受領した金員は普通退職金、特別退職金、解雇予告相当額の特別加給金の三口合計五万二千百二円(税込)であるが、右のうち特別退職金とは被告からの餞別金として特別に支払われたものである。右三口の金員をうけとる際原告は何らの異議をも述べていない。又、原告の妻静枝は当時から今日まで何らの差別待遇もうけずに被告会社に就労しておりその給料を以てしても生活に資するに十分であり、原告の資産状態も良好で原告主張の如く退職勧告をうけた結果窮地に立たされたような事実はない。以上の次第であるから、原告は任意退職するか否かについて選択の自由を与えられている状況のもとで諸般の情勢を考慮し彼是考量の上真意に基き自ら退社願を提出したものである。

仮りに、退職当時の社会情勢からみて任意退職の勧告に応ぜず解雇の効力を争うことが有利でなく退職につき内心不満を有していたことが推測できるようなときでも、自ら任意に選択して退社願を提出し退職金等を受領してその領収書をも提出しその後本訴提起まで六年間以上にわたり裁判の申立はもちろん会社又は組合に対して特別の異議を申立てないようなときには、そのことからも真実任意退職の意思で退社願を提出したものと認定すべきであり、雇傭関係は合意解除により終了したものと云わねばならない。いわんや本件においては原告において自筆の退社願、退職金等の領収書を提出して退職金等を受領したのであつて自由且つ任意の退職と推測できるのであるから、昭和二十五年十一月十四日任意退職により雇傭契約は合意解除を理由として終了したもので、右合意解除には瑕疵なきものである。

当時原告が真実退職する意思を有していたことは疑いない。むしろ原告が真実退職する意思であることについて被告が何らの疑を抱かなかつたからこそ原告に対して退職金を増額して交付し、普通退職金のほかに前記の如き金員を交付したのである。又所定期限までに退社願を提出すれば普通退職金のほかに特別に餞別金等を加給するとしたのは、原告に特別の利益を与えるために定められたものと解すべきであり、原告の利益を擁護しようとする労働組合の要請と組合と会社間の協議決定に基く措置であつて、原告に何らの不利益を与えないのみならず結局原告の利益に帰しているのである。

(三)  原告は原告の退社願提出行為は公序良俗に反する事項を目的とする法律行為であるから無効であると主張するけれども、被告の本件退社勧告は企業防衛の立場から破壊的な言動によつて業務の正常な運営を阻害する者を排除する目的でなされ、共産主義者或いはその同調者だけを対象としているのではなく、事業の正常な運営を阻害するものである限り一般者をも対象としているのであるから、労働者に対する思想、信条、所属政党を理由とする不利益取扱ではなく、憲法、労働組合法、労働基準法等に違反する廉はなくもちろん民法第九十条に反する行為でもない。

又仮りに右勧告当時の社会状勢が原告に多少不利であつたとしても、原告は客観情勢に基き諸般の事情を考慮して進んで任意に退社願を自筆でしたためて提出し、被告の雇傭契約の合意解除の申込に対し承諾する旨を明かにしたのであつて、被告が殊更原告を窮地に陥れてこれに乗じて退社願を書かせたことはないのであるから、民法第九十条に反するところはない。

(四)  原告は昭和二十五年十一月十四日円満に任意退職した後約六年間任意の退職を了承しつつ経過したのであつて、被告は原告からその六年間一度も復職を希望する申出に接したこと及び退職に対する異議申入をうけたことはなかつたのみならず、その他原告の任意退職に関し何らの申入も原告からうけていない。又本訴提起の直前に至るまで原告の任意退職に関し他の何人からも何らの申入もうけなかつた。原告から本訴提起前に書面による通告をうけたこともない。労働組合法第二十七条第二項によれば、労働委員会への救済の申立は解雇後一年以内にしなければならないことになつているが、原告はかかる申立もしなかつた。退職の無効又は取消の訴訟ないし仮処分をしたこともない。従つて原告は任意に退社したのみならずその効力を争う意思もなかつたことが明かである。しかるに原告が退職後六年以上経過した今日にわかに本訴を提起したことは首肯できない。このような雇傭関係存続を主張する訴権の行使は法の保護をうけるに値しないのであり、特に継続的且つ流動的雇傭関係においては、このような久しき権利の不行使はその結果として相手方たる被告に対しもはや退職の効力を争う権利は行使されないものと信じるにつき正当の事由を有せしめるのであつて、社会通念からしても原告が本訴において雇傭関係の存続を主張することは信義誠実の原則に反するものとして許されないところである。被告は原告の退社願提出が任意のものであり真意に基くものであると確信して今日に至つたのであり、原告との雇傭関係は完全に終了したものとして六年間経過したのであるから、その後今日までの間に確定されて来た法秩序を今さら覆えすことはできない。

(五)  原告は昭和二十五年十一月十四日になした退社願提出行為は強迫による意思表示であるから取消す旨主張するけれども、右退社願提出行為は原告の自由な判断に基いてなされた任意の行為であるから取消の原因を欠き取消し得べきものではない。昭和三十一年十月十七日訴外阿部久次郎、同浅田清両名が被告会社小野田工場に来り、森清治工場長に対し、原告の復職闘争を起そうと思うが、色をつけるならやらない。すなわち若干金員をだすならば復職闘争を止めてもよい旨の申入があつたが、森工場長は「退社願を出して円満に辞めたものを今さらそういうことを言えない筋ではないか」と答え諾否を明かにしなかつた。しかして右は原告の代理人として来た趣旨ではなかつた。従つて取消権の行使などは全くなかつたのである。

仮りに、然らずとするも原告が昭和二十五年十一月十四日任意退職の意思表示をしてから現在まで既に六年以上を経過しているので、民法第百二十六条が適用され、原告の取消権は時効により消滅している。

原告は右取消権の消滅時効期間は講和条約の発効した昭和二十七年四月二十八日から進行を開始したものと解すべきであると主張するけれども、平和条約の発効ないし占領体制の排除と右取消権の消滅時効の進行開始とは何ら関係のない事項であつて、原告の取消権については現在既に時効が完成している。(立証省略)

理由

被告がセメント事業を営む株式会社であり、原告が被告と昭和二十二年十一月二十一日雇傭契約を締結し、爾来被告会社の工務員(臨時工に非ざる正式の社員)として就業していたことは当事者間に争がなく、原告本人尋問の結果(第一回)によると原告は昭和二十四年五月一日日本共産党に入党したが同二十五年六月脱党しその後同党の同調者であつたこと、被告会社に入社後機関班に所属していたが昭和二十四年三月から機動班に配置換えされたこと及び原告は被告会社の従業員を以て組織する小野田セメント小野田労働組合(単組)の組合員であり且つ昭和二十四、五年中その執行委員として組合活動をしていたことを認めることができる。

連合国最高司令官ダグラス・マツカーサーが昭和二十五年五月三日反共声明を発表した後、同年六月六日同司令官が同日付吉田内閣総理大臣あて書簡を以て日本政府に対して日本共産党中央委員会の全員を構成する中央委員二十四名を公職から罷免し排除するために必要な行政上の措置をとるように指令したこと、同月七日同司令官が同日付同大臣あて書簡を以て日本政府に対して日本共産党の機関紙「アカハタ」の内容に関する方針に対して責任を分担していた十七名の者を右六月六日付書簡のうちに加えるために必要な行政上の措置をとるように指令したこと、同月二十六日同司令官が同日付同大臣あて書簡を以て日本政府に対して右「アカハタ」及びその後継紙並びに同類紙の発行を三十日間停止させるために必要な措置をとることを指令したこと、同年七月十八日同司令官が同日付同大臣あて書簡を以て日本政府に対して右六月二十六日付書簡の実施のためにとられた措置を引き続き強力に実施し、日本国内において煽動的な共産主義者の宣伝の播布に当つて来た「アカハタ」及びその後継紙並びに同類紙に対し課せられた停刊措置を無期限に継続することを指令したことは当裁判所に顕著な事実であり、又これらの書簡を契機として昭和二十五年の夏から秋にかけて日本国内においても、まず新聞報道関係の企業において大量の日本共産党員及びその同調者の排除が行われ、ついで電気産業、鉄鋼、石炭、造船その他の全国各種重要産業と目される一般の企業体や一部官公庁においても同様の排除措置がとられたことは公知の事実であり、この日本国内で発生した一連の社会的出来事である日本共産党員及びその同調者の企業体からの排除措置が通常世にレツド・パージと呼ばれているところのものである。

占領治下においては連合国最高司令官の発する命令指示は日本国内法規の最上位にある日本国憲法以上の効力を有していたから日本の法令は右命令指示に抵触する限りにおいてはその適用を排除されたのであるが、共産党員竝にその同調者追放に関する前記指令はいずれも公職又は新聞報道関係の企業に関するものであるに過ぎないからこれを以て連合国最高司令官が日本政府に対して新聞報道関係の企業以外の一般企業体から共産主義者及びその同調者を排除する措置をとるように指令したものとは解せられないし、このほかに当時の新聞報道関係以外の一般企業体におけるレツド・パージを超憲法的に適法ないし正当視せしめる根拠はないから、結局これらの企業体におけるレツド・パージについては占領治下であると否とを問わず日本国憲法下の系列に属する我が国の国内法規に基いて個々のレツド・パージについて適法か否か、正当か否かを判断すべきである。そうだとすれば日本共産党は当時にあつても合法政党としてその存在を公認されていたのみならず、日本国憲法第十四条はすべて国民は法の下に平等であつて人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において差別されないことを宣言し、その精神をうけて労働法上の分野では、労働組合法第五条第二項第四号は何人もいかなる場合においても人種、宗教、性別、門地又は身分によつて組合員たる資格を奪われないことを規定し、労働基準法第三条も使用者は労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として賃金、労働時間その他の労働条件(解雇を含む)について差別的取扱をしてはならないと規定しているから、当時全国の新聞報道関係以外の一般企業体が単にその従業員を日本共産党員又はその同調者であることだけの理由を以て解雇すればその解雇は無効である(ここにいう解雇とは使用者がその従業員に対して形成権の性質をもつ解雇権の一方的行使をなす旨の単独行為をなし雇傭契約を終了せしめることをいう)。ところが法は、一般私法(市民法)上契約について之を締約するか否か、その内容をいかに決定するかその契約の方式をいかに定めるかの三点において契約当事者は自由であるのを原則としているけれども、労働法上の一種の契約である使用者と労働者との間の雇傭契約(労働契約とも呼ばれる)については右三点のうち内容決定の自由と契約方式の自由の二点につき国家は労働基準法を制定して直接積極的に監督的介入をなし種々の制限を加えて労働者の保護を図つているが、締約自由の点(一旦締結した雇傭契約を別個の解除契約によつて合意解除するか否かについての自由をも含む)については何らの制限をも加えていないから、この点は契約自由の原則に従い雇傭契約締結の当事者である使用者と労働者との自由な意思決定に委ねているものである。従つて、雇傭契約の合意解除の性質をもつ退職についても自由であるといわねばならない。而して、雇傭契約の終了原因としては解雇と退職との二形態のあることはもちろんであるが、両者はその法律構成を異にし又それぞれの法律要件は異つているから、具体的な一雇傭契約の終了原因は解雇であるかそれとも退職であるかの二律背反の関係に立ち、それが解雇でもあり且つ退職でもあるということは論理上あり得ない。そうして結局具体的に解雇であるか退職であるかは各事件毎の事実認定によつて決せらるべき問題であり、この場合退社願が存在していれば直ちに退職であると認定すべきものでもないし、又解雇通告が存在していれば直ちに解雇であると認定すべきものでもなく、結局は当該事件の全証拠によつて形成せられる心証上の判断であると解せられるところ、被告が原告に対し昭和二十五年十一月十三日別紙一のとおり通告したこと及び被告主張の各組合機関が適法に成立したものであることは当事者間に争がなく、原本の存在並びに成立に争のない甲第二号証(基本労働協約写)、同第三号証(就業規則写)、成立に争のない甲第一号証(通告書)、同第四号証(当裁判所昭和二十九年(ワ)第二九二号事件の証人太田薫の証言調書)乙第一号証(退社願)、同第二号証(領収書)、同第三号証(小野田セメント労働組合連合会規約)、同第四号証の一、四、五(順次自昭和二十五年九月至昭和二十六年二月委員会議事録表紙、第一五〇回委員会議事録、第一四九回委員会議議事録)、同第五号証(第二〇回執行委員会報告)、と証人池田利道、同宮崎久雄、同安近勲治、同松本彦九郎、同阿部久次郎、同山田喜一、同吉田助治、同松田二郎、同新山敬治、同松本松之助、同安藤外之の各証言並びに原告本人尋問の結果(第一回)(原告本人尋問の結果(第一回)中後記認定に反する部分は前掲各証拠に照しにわかに措信し離い)によると次のとおりの事実を認めることができる。

被告会社は終戦後企業再建の必要に迫られていたところ、当時の混乱した社会では企業破壊を来すような不穏事件がしばしば発生し、被告会社小野田工場においてもボイラーのチューブが破裂したり、タービンのピストンがきれたり、ベヤリングに砂が入つているなどの事故が起つたがその原因は不明であつた。そこで被告は企業破壊を防止し、又企業破壊の虞れのある者を職場から排除する必要があると考え、該当者を調査した結果被告にとつて過激と思われる記事を掲載した「アカハタ」を工場内に配布したことやその他の風聞等を資料として、被告は原告を企業破壊活動に同調する言動がある者と認定した。その結果昭和二十五年十月中旬頃被告の本社は小野田工場に対し同工場の従業員中原告外一名に対して退職の勧告をせよとの指令を発した。右指令をうけた小野田工場勤労課長兼工場長代理であつた安近勲治は小野田単組組合長であつた宮崎久雄に対し原告外一名の名前を明示して右二名は企業を破壊に導く者であるので会社としては退職の勧告をしたいから交渉に応じられたい旨申入れ、その後通告までの間に会社と組合と数回交渉を重ねた。その間に組合側では同月二十四日第十九回労連執行委員会を開き、ここにおいて労連としては(一)追放者の適用基準を明かにすること(二)追放者の追放理由を明かにすること(三)この追放に便乗して、企業整理及び組合運動を圧迫する意図による解雇をしないこと(四)追放者決定については予め組合と協議すること(五)追放者の解雇手当、退職金等を明示することの基本的な五項目のみを会社側に申出ることにし、その余の具体的処理については各単組において単独に処理することが決定された。そこで小野田単組では宮崎組合長が副組合長松本彦九郎と協議し、組合員の利益を守る立場から会社に対して意見を表明するとともに会社側の真意の捕捉に努め、又勧告を受ける予定者である原告外一名の言動について調査した。その結果、宮崎組合長は会社側の申入はレッド・パージを動機としているが専ら企業防衛の目的でその範囲内で退職勧告をなすものと確認し、組合としても企業破壊活動の虞れある者に会社が退職勧告をなすもやむをえないとの方針をとり、勧告を受ける予定者中原告については勧告を受けるのもやむをえない疑いがあるが、他の一名については企業破壊の虞れはないから会社が退職勧告することに反対すべきであると確認した。そこで小野田単組では第十九回労連執行委員会の決議に基き、同年十一月六日に第一四九回委員会(この委員会には原告も執行委員として出席した)、同月八日に第一五〇回委員会を開き、第一四九回委員会においては宮崎組合長がレッド・パージについて説明するとして前記の労連の基本的五項目の報告をし、第一五〇回委員会においてはこの点について議題名「レッド・パージの件」と掲げて継続的議案として質問、討議がなされたがここでは勧告を受ける予定者の氏名は挙げられずに議事がすすめられ、結局この問題に関することを執行部に一任することと決つた。右決定に基き宮崎組合長は小野田単組執行部代表者として会社側と交渉した結果、原告以外の一名については会社側が組合側の申入を諒承して退職勧告をすることに撤回したけれども、原告については組合側も原告に企業破壊の言動ありとみられても仕方のない点があるとして会社が退職勧告することを承認したが、条件として原告が任意に退職した場合には被告が原告に対し普通退職金のほかに餞別金の意味で特別退職金を、又解雇予告手当相当額の特別加給金(別紙一、同三参照)を支払うよう申入れ、被告も同月十三日これを承諾した。そこで昭和二十五年十一月十三日小野田市所在の被告会社小野田工場生産課控室において原告の上司である同工場生産課長松田二郎が原告に対し宮崎組合長、市村訓二工務員立会の上、安近勲治工場長代理から予ねて手渡されていた別紙一の通告書(甲第一号証)を読み上げて上司の命によりこれを渡す旨告げ、原告に右通告書を交付した。原告は松田課長から通告書をうけとつた後これをゆつくり時々うなずきながら読み終り「承諾する場合には十五日までに退社願を提出すればよいのですか」と同課長に尋ねた。これに対し松田課長は「そうです」と答えた上「この際貴男から任意に退職されてはどうですか」と尋ねたのに対し、原告は「自分もかねて考えていたことなので任意に退職するつもりです」と答えた。そこで松田課長は「任意退職されるのなら明日(十一月十四日)から出勤してもしなくてもよろしいです」と告げたところ、原告は承知した旨答え、松田課長、原告のほか立会人の宮崎組合長、市村工務員らの四名は互に挨拶を交して別れた。右通告の際原告の態度は穏かであり、その場の雰囲気も終始なごやかであつた。原告は同日午前十一時半頃帰宅したが、原告宅にも被告から別紙一の通告書が内容証明郵便をもつて送達された。そこで原告は自らの意思決定の参考とするため小野田市所在の労働会館において日本共産党山口県南部地区書記長島本某及び同地区小野田市委員会委員長阿部久次郎に右通告書を示して善後策を相談したところ、右両名は「闘争してみても勝目はないから退社願を出して金を多く貰つた方がよかろう」と意見を述べた。同日夜原告は家族とも相談し退社願を書く決意をした。翌十四日小野田工場労働組合事務所において組合の用紙を用いて別紙二の退社願(乙第一号証)全文を自ら記載し、即日被告会社小野田工場勤労課に提出した。そこで被告は同所において人事係々員新山敬治をして別紙三の領収書(乙第二号証)記載のとおり普通退職金七千五百九十二円(税込)、特別退職金三万円(税込)、解雇予告手当一万四千五百十円(税込)合計五万二千百二円(税込)を交付した。右乙第二号証の領収書の記載中七行目の「十四」、九行目の「十四」、現住所欄の「小野田市高砂町」、退職後の連絡先欄の「右同」、所属欄の「生産課機動班」、氏名欄の「古川馨」はいずれも原告自ら記入したもので「古川」という印影は原告の印章の印影である。

右金員中特別退職金については甲第一号証(通告書)、乙第二号証(領収書)いずれにも「特別退職金」との記載があるけれども、右金員の性質は前示認定の会社と組合との交渉の経過に徴し特別退職金名義の餞別金であり、解雇予告手当についても甲第一号証(通告書)、乙第二号証(領収書)のいずれにも「解雇予告手当」との記載があるけれども、右はその計算上の基礎を明かにするための表示であつて、金員の性質は右交渉の経過に照し解雇予告手当名義と同手当相当額の特別加給金であると解される。そしていずれも被告が原告に対し退社願を提出することを条件として特別に利益を与えたものである。

そこで、甲第一号証の通告書を以てなした会社側の意思表示の法律上の性質について考えてみると、原告は右意思表示は一方的解雇通告以外の何物でもなく、退社願が提出されても雇傭契約の合意解除が成立する余地はない旨主張するけれども、右通告書でなされている意思表示全体の趣旨は被告が原告に対し、第一次に昭和二十五年十一月十五日を終期とする期限付雇傭契約の合意解除契約の申込をなすとともに第二次に同月十六日始期とし且つ退社願が同月十五日までに提出されないという消極的事実の確定を停止条件とする始期付停止条件解雇の意思表示を行つたものと解するのが相当である、そうだとすれば原告が通告書に基き承諾期限である同月十五日までに退社願を提出すれば、原被告間の雇傭契約はその提出の日に承諾がなされたものとして合意解除契約が成立し、その効力の発生を阻げる特別の事由のない限りその時合意解除の効力も生じ雇傭関係は消滅するものであり、従つて始期付停止条件付解雇の意思表示はその効力を生ずる余地がないものと解せられるところ、前示認定のとおり原告は被告の右のような意思表示に対し昭和二十五年十一月十四日別紙二の退社願(乙第一号証)を提出して合意解除の申込を承諾する旨の意思表示をなしたのであるから、原被告間に昭和二十二年十一月二十一日成立して雇傭契約はこの時特別の事由のない限り(原告のこの点についての主張については後に判断する)合意解除せられたものといわねばならない。

なお、原告が昭和二十五年十一月十五日離職票の交付をうけたこと、その離職票に「離職年月日昭和二五年一一月一四日」「離職事由赤色分子追放により自発退職」の記載があり、「上記の事項を確認する」として原告が押印していること、原告が昭和二十五年十二月六日から失業保険金の給付をうけ、失業保険金として総額五万二千二百円を受領したこと、原告が小野田単組及び職場の者から合計三万七千五百円の金員を受領したこと及び原告の妻古川静枝が昭和二十二年七月二十一日被告に雇傭されて以来現在も被告会社小野田工場に勤務し、昭和二十五年十月頃本給月八千百五十円を支給されていたことは当時者間に争がなく、成立に争のない乙第四号証の二、三(順次第一五二回委員会議事録、第一五一回委員会議事録)、同第五証(第二〇回執行委員会報告)、同第六号証(第九回定期大会議事録)と証人池田利道、同宮崎久雄、同松本彦九郎、同吉田助治、同安藤外之の各証言によると次のとおりの事実を認めることができる。

昭和二十五年十一月十三日午後零時三十分から午後二時の間に開かれた第一五一回委員会において単組執行部の被告が原告に対し別紙一の通告をなすことを承諾した態度を承認するか否かについて討議がなされた後、議長はこの点について白紙投票を行う旨宣し、伊藤、田村両委員が立会い二十一名が投票したところ、二十一名全員が執行部の態度に賛成し、執行部の態度を事後承認した。次いで原告に対し資金カンパ(救援)するか否かについて討議がなされたが、結局救援するが執行部において細則を立案して第一五二回委員会に計ることとなつた。原告が退社願を提出した後である同月十八日午後三時から午後四時三十分の間に開かれた第一五二回委員会においては、右継続議案は議題名「古川氏餞別の件」として討議され、小野田単組組合員一人五十円宛出捐して単組からの餞別金として金三万五千円を原告に贈与することが決められた。右餞別金の額が三万五千円と決められたのは会社側の特別退職金名義の餞別金が三万円であつたのでこれを基準として執行部が立案して決定し、第一五二回委員会において可決されたのである。右金員は同月二十日頃原告に贈与された。

原告は右金員は生活資金として若干の金員の応援をうけたにすぎないと主張するが、これを認めるに足る証拠はない。

又、原告の所属する機動班の同僚六、七十名は一人百円宛拠出しあつて、その頃原告に対し約六千円の餞別金を贈与した。

ところで、同年十一月十五日東京において開催された労連第二〇回執行委員会は前示認定の同年十月二十四日決定した基本的五項目を会社に申入れたその後の経過について(一)本件に関し今回各単組の執つた措置並びに方法を労連執行委員会は承認する(二)執行委員会としては本件の為に臨時大会の開催は要求せず次回定期大会において承認を求める(三)労働協約並びに曩の労連申入れ事項に照し会社の執つた措置には遺憾の点があつたので厳重な抗議を要する(四)今後と雖も便乗馘首は絶対行わないよう申入れる(五)特別退職手当支給につき考慮する、との結論を出し、右(三)(四)(五)の項について同月十六日会社に申入れたところ、会社は(四)(五)項は労連の申入れを諒承し、(三)項については「本件は超憲法的なものであつたので労働協約、組合の申入れも一応考えたが特別の措置をとらざるをえなかつた、特例として諒承して貰いたい」旨回答した。労連は右回答を承認した。次いで、昭和二十六年四月十五日から同月十七日の間に藤原において開催された第九回定期大会は本件を「レッド・パージの件」として全代議員が承認した。以上の経過からみると本件はレッド・パージの一つとみるのが至当であるが、それは被告の企業防衛の立場から通告がなされたものであり、原告は被告の雇傭契約の合意解除の申込を承諾して退職したものと認めるのが相当であるといわねばならない。

そこで右認定の第一五一回委員会から第九回定期大会に至る組合機関の承認の法律上の性質と効果について考えると、原告は右承認は労働政策上労働大衆の憤懣を回避するためのレッド・パージの諒解工作であり、而も労働組合の権限踰越行為であると主張するけれども、これらの承認は使用者である被告と労働組合との間の集団的(団体的)労働関係の場において使用者である被告と労働者である原告との間の個別的労働関係の場における雇傭契約(労働契約)の合意解除についてなしたものであるから、かかる合意解除が労働協約上の協議事項とされていない限り(成立に争のない甲第二号証(基本労働協約)にはかかる協議約款のないことが認められる)、個別的労働関係に対しては法律上何らの効力も有しない。従つて、無効であるべき合意解除が組合機関の承認によつて有効化するものでもなく、反面有効であるべき合意解除が組合機関の承認がないことによつて無効となるものでもない。しかしながら、会社別(経営別)労働組合の形態をとる労働組合にあつては当該会社の従業員であることが当該組合の組合員であるための資格要件であるから、当該会社との雇傭関係の終了は同時に当該組合の組合員であることの資格の喪失を意味するから、組合としては組合員の雇傭関係の終了を承認することは組合員の構成の変更を確認することを意味する点において組合独自の利害関係を有するといわねばならないところ、成立に争のない乙第三号証(小野田セメント労働組合連合会規約)によると本件の労働組合も会社別労働組合であることが認められる。従つて、組合各機関のこれらの承認行為を一概に組合の権限踰越行為と解することはできない。

以上の次第で原被告間の雇傭契約は合意解除(退職)によつて終了したのであるから、原告の主張中甲第一号証の通告が一方的解雇の通告であることを前提とする部分は爾余の判断を俟つまでもなく理由がない。

成立に争のない乙第七号証ないし同第十二号証(いずれも登記簿謄本)と原告本人尋問の結果(第一回)によると原告は右退職当時田三反六畝五歩のほか宅地百九十四坪と一、木造瓦葺平造住家建坪三十六坪付属一、木造瓦葺平造職場建坪二十七坪を所有していたこと、原告の家族は原告の母、妻、子供二人、原告の伯父の五人であつたこと、原告の長女が昭和二十五年五月六日小児結核に罹り、同二十六年末まで治療を要したことを認めることができる。

原告は原告が退社願を提出したとしても右退社願提出行為はその効力がない旨争い公序良俗違反、通謀虚偽表示、強迫による取消の三点を主張するので、以下これらの点について順次判断する。

雇傭契約の合意解除をすることは当事者の自由であり、期限付合意解除の申込に対し所定期限内に退社願が提出されればその時承諾があつたものとして合意解除契約が成立したものと解すべきことは前述のとおりであるが、右退社願の提出行為自体に、強行法規違反(公序良俗違反)とか、意思と表示との不一致(通謀虚偽表示)とか、瑕疵ある意思表示(強迫による意思表示)とかの事由がある場合には、私法の一般法である民法の原則に基きそれぞれ右提出行為は無効或いは取消し得べき法律行為であると解すべきであり、この理は特別法である労働法に特別の規定がない限り、労働法の分野においても妥当するのである。而して、これらの事由についての法律要件もまた民法の原則と変りがないものと解せられる。

まず原告は窮地に立たされて退社願を提出したのであるから公序良俗に反し無効であると主張するが、右主張は民法第九十条中の窮迫行為を主張するものでありこゝに窮迫行為とは他人の無思慮、窮迫に乗じて不当の利を博する行為は無効であるというにあると解せられるところ、本件全証拠に徴するも被告が原告の無思慮、窮迫に乗じて退社願を提出せしめたこと及びこれによつて被告が不当の利を博したものとは認められない。もつとも当時日本全国においてレッド・パージが大量に行われたこと、本件も右レッド・パージの一つであること、原告の所属する小野田セメント労働組合が被告が原告に対し別紙一の通告をなすことを承認したこと及び原告の長女が通告当時小児結核に罹り治療中であつたことは前示のとおりであるが、このことによつて原告が窮迫状態にあつたものと認めるには十分でなく、むしろ前示のとおり原告は右通告をうけて後党員の島本某及び阿部久次郎と善後策を相談し、家族ともいろいろ相談して、諸般の情況を考慮して退社願を提出したことが認められるから、原告が無思慮に退社願を提出したものとは考えられないのみならず、別紙一の通告書の意思表示には期限付合意解除の申込と始期付停止条件付解雇の意思表示とが含まれており、原告が期限付合意解除の申込に対し承諾するか否かについては自由に意思決定をなしうる状態にあつたのであり、これを承諾しないことも可能であつたのであるから、原告が窮地に立たされて退社願を提出したものとは認められない。なお、右窮迫行為の主張は法律行為の動機と関連するので、被告の通告書に表われた意思表示の動機が不法か否かについて考えると、前示のとおり被告の通告の動機は企業破壊の防止と企業破壊活動の虞れある者を排除する点にあつたことが認められ、経営者にとつてかかる措置をとることはその経営権の行使として許されるところであつて、かような動機は不法ということはできない。従つて、いずれの点においても、本件雇傭契約の合意解除が民法九十条に反する無効のものであるとすることはできない。

次に、原告は本件合意解除は通謀虚偽表示であつて無効であると主張するが、通謀虚偽表示においては真意と異る意思表示をすることについて相手方と通謀し、単に双方が心裡留保をするだけでなく、仮装的表示をすることについて双方が合意することが必要であると解せられるから、本来事実上社会的に対立する関係にある労働者と使用者間において虚偽の意思表示をなすことを通謀することがありうるか疑問であるのみならず、本件全証拠を精査するもこれを認めるに足る証拠はない。従つて原告の右主張は理由がない。

更に、原告は被告の強迫によつてやむをえず退社願を提出したのであるから、退職の意思表示は強迫による意思表示として取消しうべき行為であると主張するが、強迫とは、違法に害悪を示して畏怖を生じさせる行為をいい、強迫による取消しうべき行為であるためには強迫者に相手方に畏怖を生じさせ、この畏怖によつて意思表示をさせようとする二段の故意のあること、相手方に畏怖を生じさせる強迫行為のなされること、相手方が強迫行為によつて畏怖を生じたこと、その畏怖によつて意思表示をしたこと及び強迫が違法であることが必要であると解せられるところ、当時日本全国においてレッド・パージが大量に行われたこと、本件も右レッド・パージの一つであること、原告の所属する小野田セメント労働組合が被告が原告に対し別紙一の通告をなすことを承認したこと及び原告の長女が通告当時小児結核に罹り治療中であつたことを以て直ちに原告が被告の強迫によつて退社願を提出したものとは考えられないのみならず、原告は本件通告書を交付された結果、被告の申込に応じて退社願を提出しなくとも十一月十六日には必ず解雇になることが決つていたという点を特に強調して右強迫を主張しているけれども、前に縷々説示した通り別紙一の通告書の意思表示に対し多少の経済的不利益をうけるにしても原告が合意解除の申込を承諾しないことが可能であつたのであるから、原告は自由な意思決定によつて右申込を承諾したものと認めるのほかなく、其の他にも昭和二十五年十一月十四日原告が退社願を提出するまでに原告に対し強迫がなされたような事情はない上、同月十三日通告をうけるや原告は「自分もかねて考えていたことなので任意に退職するつもりです」と意思を表明していることが認められ、本件全証拠に照すも被告に原告を強迫する意思のあつたこと及び被告が原告に対し違法な強迫をしたことは認められない(この点に関する原告本人尋問の結果を措信できないことは既に説示したとおりである)。従つてこの点において原告の主張は理由がない。

よつてその余の原告の主張(強迫を前提とする取消権の行使、取消権の消滅時効の起算点に関する部分)並びに被告の主張(失効の抗弁、取消権の時効による消滅の抗弁)についての判断を俟つまでもなく、原告の請求は失当であるから之を棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 永見真人 黒川四海 丸尾武良)

(別紙一)

通告書

第一、セメント事業は諸産業復興開発の基礎産業であり、又外貨獲得の国策に最も貢献し更には現下特需産業としてその円滑な運営と健全な発展は、政府としても注目し又占領軍よりも関心を持たれているものでありますが、之が経営に当る当社としてはその要望に答えるため、企業の再建整備を計り又社員の福祉に付諸種の施策を講じて来たのでありますが、世上往々にして民主的政府機構延いては民主主義に悖り、各種企業を破壊に導かんとしてその機を伺いつつある一部の人達が存在し、之等の同志が当社内にも在籍することは、いつ如何なる場合に、企業の運営を高度に阻害され、不測の損害を加えられるか知れない危険性を包蔵するに等しいので、此際上述の整備、施策の全きを期しその成果を全うすることを念願する企業防衛の立場から、慎重考慮の結果前述の同志と認められる貴殿には遺憾乍ら退職を願うの已むなきに至つた次第です。(この部分を通告書前文と略称する。)

第二、就ては本状に基き御熟慮の上十一月十五日迄に貴殿自発的に退社願御提出の際は、退職金を左の通り区分して御支払致します。

万一期限迄に退職の御申出なき場合は、期限の翌日を以て解雇のことと致し本状を以て解雇の辞令に代えます。

従つて期限以降は出勤に及びません、又会社の承認を得ないで当工場構内及びその他会社の指定する諸施設内に立入ることを禁止します。(この部分を通告書意思表示部分と略称する。)

第三、追て貴殿に対する退職金、解雇予告手当及び未払給料を、左記により支払ひます。支払期日が経過した後は、会社が適当と考える方法で支払ひますが、退職金及び解雇予告手当は地方法務局出張所へ供託致します。

一、退職金

(イ) 勧告に応じ退職願を提出した場合

普通退職金 金 七五九二円也

特別退職金 金三〇〇〇〇円也

合計金   金三七五九二円也(税込)

税引支払額 金三〇七二四円也

(ロ) 勧告に応じない場合

普通退職金 金 七五九二円也

特別退職金 金 一〇〇〇円也

合計金   金 八五九二円也(税込)

税引支払額 金 七六四九円也

二、解雇予告手当

(イ) 勧告に応じ退職願を提出した場合

(ロ) 勧告に応じない場合

右何れの場合も平均賃金の三十日分

金一四五〇九円也(税込)

税引支払額 金一三〇二五円也

三、給料

昭和二十五年十一月分

四、以上支払期日

自 昭和二十五年十一月十三日

至 至 昭和二十五年十一月二十五日の間

毎日九時より十五時迄(除工場休日)

五、支払場所

当工場正門守衛所

六、会社貸付金品の返戻は、前記支払場所で退職金、解雇予告手当及び給料支払の際精算致します。(この部分を通告書手続部分と略称する。)

昭和二十五年十一月十三日

小野田市大字小野田六二七六番地

小野田局区内

小野田セメント製造株式会社

小野田工場

工場長 松本松之助

小野田市高砂町

古川馨殿

(別紙二)

退社願

私儀

今般赤追放措置に基く御勧告に従い退社仕度此段及御願候也

一九五〇年十一月十四日

生産課機動班

古川馨<印>

小野田セメント株式会社

小野田工場 御中

(別紙三)

領収書

一、金七千五百九十二円也 普通退職金(税込)

一、金三万円也      特別退職金(税込)

一、金一万四千五百十円也 解雇予告手当(税込)

合計金五万二千百二円也(税込)

私儀今回会社の通告の趣旨を諒承し自発退社願を提出し、昭和二十五年十一月十四日を以て退職致します。

依而右金額正に領収致しました。

昭和二十五年十一月十四日

現住所 小野田市高砂町

退職後の連絡先 右同

所属 生産課機動班

氏名 古川馨<印>

小野田セメント製造株式会社

小野田工場長 松本松之助殿

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