大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

山口地方裁判所 昭和34年(行モ)3号 決定 1959年9月08日

申立人 長谷川俊夫

右代理人弁護士 立木豊地

同 谷川宮太郎

同 横山茂樹

被申立人 下関市教育委員会

右代表者 林トラ

右代理人弁護士 長谷川一郎

同 甲斐

主文

被申立人が申立人に対し昭和三十四年四月一日なした同年三月三十一日付、下関市立下関商業高等学校事務職員の職を願により免ずる旨の処分効力は、当事者間の当裁判所昭和三十四年(行)第五号依願免職処分無効確認事件の判決あるに至るまで、これを停止する。

申立費用は被申立人の負担とする。

理由

申立人代理人等は、主文同旨の決定を求め、その理由とするところは次のとおりである。

一、申立人は山口県下関市立下関商業高等学校に勤務する事務職員として、地方公務員法第四条第一項の規定に基き同法の適用を受ける身分を有する者であり、被申立人は下関市の教育行政を担当する合議体の機関で、申立人の任命権者であるが、申立人は昭和三十四年四月一日右校長河村達也より、「同年三月三十一日付を以て願により本職を免ずる」旨の被申立人名義の免職辞令を交付せられ、以て被申立人から依願免職処分を受けた。

二、しかしながら、右処分は、申立人が昭和三十二年三月中旬頃被申立人に提出せる後記退職願を根拠とするものではあるが、左記の理由により申立人の真意に基かずしてなされたものであるから、地方公務員法第二十七条第二項に違反する違法のものであつて、その瑕疵は重大且つ明白であるから、当然無効なものである。即ち、

(一)  申立人は昭三十二年三月初旬頃右校長河村達也より退職の勧奨を受けたのであるが、退職する意思がなかつたのでこれを拒絶したところ、続いて同校教諭中川力より再三に亘り執拗極りない勧奨の強要を受けたがため、一時のがれに真意に反して、二年後ならば退職してもよい旨告げるや、右教諭は右言をたてに、退職願の提出を強制した。そのため申立人は同年三月中旬頃、真意に反して「昭和三十四年三月三十一日を以て一身上の都合により退職する」旨を退職願を作成し、これを被申立人に提出せざるを得ないこととなつたのである。

而して凡そ依願免職処分に付するためには退職当時において退職者に退職の意思があるかどうかを十分に確認したうえでなされなければならないのに拘らず、被申立人は申立人の免職辞令交付時における右意思を確認することなく、申立人がそれより二箇年も前に提出した前記退職願を唯一の根拠として、敢えて本件免職処分に付した違法があるのみならず、前記退職願の提出による意思表示自体が前記のとおり申立人の真意に反するものであるから、これに基いてなした本件免職処分は結局地方公務員法第二十七条第二項に違反する違法のものである。

(二)  仮りに右主張が認められないとしても、申立人は昭和三十四年二月初旬頃から同年三月下旬にかけて十数回に亘り、被申立人の事務執行機関である教育長上田強及び下関商業高等学校長河村達也に対し前記退職願の撤回を申入れたものである。即ち申立人は同年二月初旬頃右校長に対し、前記退職願は自己の真意によらずして提出されたものであるが、現在では全く退職する意思がない旨再三申入れ、且つその旨を被申立人に伝達して貰いたい旨、依頼するとともに、同月二十日頃前記教育長を訪れ、同人に対し右同様の申入れを行つたのであるが、かかる申入れは校長を通じなければ受理し難い旨申渡されたので、申立人は同月二十三日教育長宛の書面を以て退職の意思がない旨を右校長に申入れ、次いで同年三月三十一日下関市教育委員会において「意に反して退職辞令が発令されても受理しない」旨記載した自己作成の書面を右教育長に提出したところ、同人から身分に関するものは校長経由の文書でなければ受理し難い旨告げられたので、同人の面前で右書面を読み開け、以て前記退職願の撤回の意思を表示したものである。

而して退職願は退職願出人が任命権者より免職処分の辞令を交付されるまでは、いつでも自由に撤回し得るものであるから、前記退職願は右撤回によりその効力を失い従つてそれに基いた本件免職処分は結局地方公務員法第二十七条第二項に違反する違法のものである。

三、以上の次第によつて、被申立人が申立人に対してなした本件免職処分は申立人の意思に反する当然無効のものであるから、申立人は昭和三十四年六月九日本件依願免職処分に対する無効確認の訴を提起し、右訴訟は現に当地方裁判所昭和三四年(行)第五号事件として係属しているのであるが、申立人は現在妻ヤエコ、長女和子、と同居しているが、何らの財産とてなく、専ら申立人の俸給月額金二万八千二百四十円(但し本給、暫定手当、扶養手当合計金額)によつて生計を維持してきたものであるところ、妻ヤエコはたんのう炎手術後で健康勝れず、現に屡々通院する状態にあり、長女和子は小学校二年の児童であつて、申立人一家の生計費は最低額、一箇月約一万五千円を要するのである。尤も申立人は恩給を受領するものであるが、その金額は年額金六万三十二円、月額にして約金五千円程度に過ぎないのである。

従つて本件免職処分の執行により申立人は前記俸給の支給が止められ、僅かに恩給による月五千円の収入で家族三名の生計を維持せねばならない訳で、これをこの侭放置するならば一家の破綻を招来すること明らかであり、右は処分の執行により生ずべき償うことのできない損害を避ける緊急の必要性があるから本件申立に及んだ次第である。

疎明として、疎甲第一乃至三号証、第四号証の一乃至三、第五号証の一、二、三、第六乃至第九号証を提出した。

被申立人代理人等は申立人の本件申立を却下する旨の決定を求め答弁として次のとおり述べた。即ち、

一、申立人が下関市立下関商業高等学校に勤務する地方公務員たる事務職員であつたこと、被申立人が下関市の教育行政を担当する合議体の機関で、申立人の任命権者であつたこと、申立人が被申立人に対し、昭和三十二年三月中旬頃、「昭和三十四年三月三十一日を以て一身上の都合により退職する」旨の申立人名義の退職願を提出して辞意を表明し而して被申立人は昭和三十四年四月一日、右退職願に基き、申立人をその主張の如く依願免職処分に付したことは認める。

二、被申立人が申立人を依願免職処分に付した経緯は以下のとおりである。

下関商業高等学校は下関市の設置する高等学校であるが、年々新任者を採用することによつて教職員の新陳代謝を計ることは教育実務を刷新させるうえに必要欠くべからざることであるから、従来、山口県立各高等学校と同一基準にて比較的高令者に退職を勧奨してきたものであるが、昭和三十一年教育年度末頃(昭和三十二年二月頃)高等学校教職員は男子が五十五才以上の者に退職を勧奨することに県の方針が定められたので、被申立委員会においても右に同調し、右基準該当者に退職勧奨をなすこととし、よつて申立人(当時五十六年)に対し右高等学校長河村達也を通じ、事務補佐員として勤務し得る道を講ずべき意思を明示して退職を勧奨したところ、申立人は「事務補佐員にして貰わなくともその間に、他に職を探すから、後二箇年間現職のまま勤務させて貰いたい。但し二年後には直ちに無条件退職する」旨を右校長を介して被申立人に申入れてきたので、被申立人においてもこれを承諾し、よつて申立人と被申立人との間に申立人が昭和三十四年三月末日限り無条件にて退職する約束が円満に成立したものである。

ところが申立人は昭和三十四年二月下旬頃教育長上田強に対し「思う職がないので、四月からも何とか学校に留まれるようお願いする」旨依頼にきたので、右教育長はかような事項は校長を通じて申出るべきである旨伝えたところ、申立人もこれを諒承したのであつて、申立人の主張するが如き退職願の撤回なるものは被申立人の少しも関知しないところであり、仮りに右撤回の意思表示がなされたとしても、一方的にこれを撤回し得るものでないのである。

以上の次第により申立人に対する本件免職処分は申立人の意思に基くものであつて、少しも地方公務員法第二十七条第二項に違反するところはないのである。

三、次に申立人には本件免職処分の執行により生ずべき償うことのできない損害を蒙る緊急の事態があると主張するがこれを認めることができない。即ち申立人には退職給与金退職手当として約金三十四万余円が支給されることになつているうえ、恩給収入は年六万余円もあり、一方門司市には貸家を有し、少なくとも月額金四千円の家賃収入があつて、最近ではテレビ、オルガン、電気洗濯機、写真機等を買求めている程であるから生活に困ることなく、畢竟本件免職処分の執行により生ずべき償うことのできない損害を避けるため緊急の必要があると認められないのである。之に反し、若し本件免職処分の執行停止決定がなされるとすれば、申立人に支給すべき俸給に対する予算なく、又、右高等学校の事務職員の数は県の基準に比し申立人を含めて二名多いので、近く県立高等学校と同一の定員まで人員整理をすることが要請されている実情であるから、教職員の新陳代謝を不可能にさせ、教育行政上多大の支障を招来し、公共の福祉に重大なる影響を及ぼす虞れがあるものである。

疎明として疎乙第一号証の一、二、三、第二乃至第十号証を提出した。

当裁判所は職権を以て申立人を審尋した。

よつて審按するのに、申立人が昭和三十四年三月三十一日当時下関市立下関商業高等学校事務職員として勤務し、被申立人が下関市の設置する学校その他教育機関に対する教育行政を担当し、被申立人の任命権者であること、申立人が被申立人に対し昭和三十二年三月中旬頃、昭和三十四年三月三十一日を以て一身上の都合により退職する旨の自己名義の退職願を提出し、被申立人がその頃それを受理したこと、被申立人は右退職願に基き、昭和三十四年四月一日申立人に対し同年三月三十一日付を以て願により本職を免ずる旨の免職辞令を交付し、申立人がそれを受領したことは、当事者間に争がない。

而して申立人が主張する本件免職処分が地方公務員法第二十七条第二項に違反する無効のものであるかどうかは、右本案訴訟の判決で最終的に判断さるべきことではあるが、申立人提出の疎甲第二号証同第九号証並びに申立人審尋の結果(第一、二回)によれば申立人は下関市商業高等学校長河村達也及び同校教諭中川力からの勧奨もあつて昭和三十二年三月中旬頃、退職願を提出したものの、退職による家計に及ぼす影響を考え、且つ、義弟松永克己に退職の飜意を促がされたこともあつて、前記退職願の撤回を決意し、昭和三十四年二月二十三日、下関市教育長上田強宛の「辞令取下願」と題する自己作成の文書(疎甲第二号証)を、右教育長に取り次いで貰いたい旨依頼してそれを前記高等学校長河村達也に提出し、その後、同月二十八日頃になつて、右校長から近いうち退職辞令が発令されるであろうことを聞知したので、是非共それを阻止すべく、同年三月三十一日被申立委員会教育長室において意に反して退職辞令が発布されても受理しない旨記載せる「退職辞令につき」と題する自己名義の文書(疎甲第九号証)を右教育長に提出したところ、同人から身分に関するものは校長経由のものでなければ受理し難い旨告げられてその受理を拒絶されたので、申立人はその場で右教育長に対し右文書を読み聞けするとともに、口頭を以て退職の意思がない旨表示したことを認めることができ、被申立人提出の各証拠によつても右認定を覆えすことができない。

右の事実によれば、申立人が右教育長に対し退職願の撤回を申入れるに際して撤回その他これと同種の文言を使用してなしたことの疎明はないけれども、先に提出した退職願による意思表示(辞意)の効力を自ら否定する新たな意思表示をしているのであるから、それはとりもなおさず先の辞職願の撤回の意思表示であり、又、右意思表示は特定の方式によつてなされねばならないとする特別の規定もその理由も見出し難いのであるから、撤回の意思表示として完全に成立したものと解するを相当とし、而して右教育長は地方教育行政の組織及び運営に関する法律第十六条以下によれば教育委員会に設置される機関で、教育委員会の指揮監督の下に教育委員の権限に属するすべての事務をつかさどる職務権限を有するのであるから、右教育長に対する前記辞意撤回の意思表示はそのまま被申立人に対しても拘束力を生ずることとなるのである。

よつて次に退職願による辞意の撤回が許されるかどうかについて考えるのに、学校の事務職員の身分取扱に関して前記法律第三十五条は、同法及び他の法律に特別の定めのある場合を除いて地方公務員法の適用を受ける旨規定し、而して地方公務員法第二十七条以下の適用に関しては、その適用を排除する特別の規定がないのであるから、その免職処分についてもそれについての同法の適用をみるものと解される。ところで地方公務員の免職処分は任命権者たる行政庁の一方的な行政行為ではあるが、それが法律的効果を生ずるためには(同法第二十八条及び第二十九条の規定する分限及び懲戒免職処分の場合を除いて)私人たる公務員の同意乃至承諾を必要とすることは同法第二十七条第二項が、職員はその意に反し免職せられない旨規定していることに徴し明らかである。而して公務員が任命権者に提出する退職願その他これと同種の願なるものは右同意乃至承諾を確かめるための一手続として行政慣行上行われているものであつて、右は行政権の相手方として任命権者たる行政庁に対してなされる私人の、公法行為と呼ばれるべきものであるが、それはそれに基いて有効な行政行為がなされるまでは後段説示の信義則に反しない限り一般に自由に撤回され得るものと解すべく、而して右行政行為は本件の場合、免職処分であつて、それは退職辞令の交付その他の方法により、私人たる公務員に表示されることによつてなされるものである。

若し、辞意の撤回を許されないものと解すれば、実質において右行政行為が公務員の意思に基いてなさるべしとする前第二十七条第二項の身分保障の規定の趣旨に反し、公務員本人の意思に反する免職処分を認め、惹いて一方的乃至恣意的な解職を許すこととなつて行政の公正を害し、公務員をして個人的考慮に左右されることなく厳密に没主観的に当該職責を完うすることを不可能ならしめるに至る虞れがあるのに対し、行政処分が行われるまで原則として自由にその撤回が許されるものと解しても、格別公法関係の秩序を害する虞はないと考えられる。

しかし乍ら右にのべた退職願撤回の自由はその退職辞令発令(交付)前にあつては何時でも無制限に自由にすることができるものではなくその発令前においても、すでに任免権者の側において遅滞なく退任の申出を受理しそれに伴う後任人事移動計画を完了し或はこれと一環する多数人事移動計画の樹立後、一律に後任者(転任者)発令の直前になつているごとき場合には折角、行政庁においてなされた計画を徒労に帰しこれがため迅速になされていた個々の移動準備を犠牲にされることとなり惹いては行政事務を遅延させることになる。このような退職願の撤回は信義則に反するものといわなければならないから、右のような特段の事情の存する時は、退職願の撤回を許さないものと解するを相当とする。

本件にあつては前段認定の如く申立人は昭和三十二年三月中旬頃、退職願を提出したもののその後、昭和三十四年二月二十三日教育長上田強宛の「辞令取下願」(退職願撤回の意)と題する文書を直近上級事務担当者である自己の所属する学校長河村達也に提出し同人を通じて被申立人に右の旨の申出をし又同年三月三十一日被申立委員会教育長室にて「意に反して退職辞令発令されても受理しない」旨の書面を提出すると同時に重ねて撤回の意思表示を最終的に申述べていることが認められ、他に右特段の事情は何等認められないから、右申立人の退職願の撤回は信義に反したものとは認められない。

而して、申立人の辞意撤回の意思表示が信義則に反せずに被申立人に到達したことは前記のとおりであつて、当時被申立人が申立人に対し未だ免職辞令を交付していなかつたことも前記のところから明らかであるから、申立人の退職願による辞意は有効に撤回されたものというべきである。

然らば被申立人が申立人に対してした本件免職処分は一応、申立人の意思によらずしてなされたものというべきであつて、地方公務員法第二十七条第二項に違反する違法のもので、その瑕疵は重大且つ明白であるから無効というべきである。

そこで進んで、本件免職処分の効力を停止する必要があるかどうかについて考えるのに当事者双方から提出された疎明資料によつて一応判断したところ、申立人を含めてその家族三名(申立人当五七年、妻当四七年、長女当七年)の生計は、これまで申立人の高等学校事務職員として支給される月額金二万八千二百四十円(但し本給、暫定手当、扶養手当合計金額)の俸給収入、月額金五千円の恩給収入、並びに申立人の所有する貸家の家賃収入月額金四千円とによつて維持されてきたものであることが一応認められる。然らば本件免職処分の執行により、申立人は右恩給及び家賃収入とによつてその生活を維持せねばならないこととなり、右金額では到底家族三名の一家の生活を保つことができないことは明らかである。

尤も被申立人が貸家の賃料収入以外にテレビ、電気洗濯機、写真機等を購入しているので相当の収入があるが如き旨主張するが、たとえ右物品を購入し使用していても収入額が前記認定の限度では申立人の生活に関する緊急性は何等緩和しているものと認められない。

又被申立人は、申立人が前記高等学校の事務職員を退職することによつて退職給与金、退職手当として約金三十四万余円を支給されることとなつている旨主張するのであるが、右退職給与金は本件免職処分によつて申立人が退職したことを前提としてはじめて支給されるものであつて、前示のとおり申立人が前記本案訴訟終結前にこれを考慮に入れるのは相当でないと解せられるのである。

そうすると右は、本件免職処分によつて申立人一家の生活の維持が困難となり償うことのできない損害を蒙る差し迫つた事態に在る場合に当る。

よつて申立人の本件申立は理由があるから、行政事件特例法第十条第二項に則り前記本案判決あるに至るまで、本件免職処分の効力を停止することとし、申立費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 菅納新太郎 裁判官 松本保三 田辺康次)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例