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山口地方裁判所 昭和36年(ワ)115号 判決 1962年10月11日

原告 国

国代理人 森川憲明 外四名

被告 友景昭

主文

被告は原告に対し金三九五、五四〇円及び右金の内別表各記載金額(但し昭和三四年八月三一日給付の五〇〇円を除く)につき各給付の日の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

事実

原告代理人は主文第一、二項と同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として

「(一) 被告は運送業を営む者であるが、その被用者として自動三輪車運転の業務に従事していた訴外山本仁は、昭和三三年四月一日午后五時頃被告の自動三輪車(二屯積山あ一〇六八号)に坑木及び素材約一一石(二・四屯)を積載し、助手席に訴外山本彦一を同乗させて防府市三田尻土場へ運搬すべくこれを運転し、山口県佐波郡徳地町大字伊賀地字古森から右三田尻土場に向つて出発し、約二百米進行したところ、同所は山の傾斜面に新設された道路で左方山手から土砂崩れがあつて道路幅が二・六米に減り(通常の場合三・五米)、かつ地盤が弱く崩壊の危険が多分にあつたので、このような場合自動車運転者としては積載重量と路面の状況を慎重に検討し、場合によつては積載重量を減ずる等の措置を講じて安全を確認した上で進行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにも拘らずこれを怠り、最大積載量二屯の車に約二・四屯積載したままなんらの措置を講ずることなく右道路を漫然進行したため、路面右側が幅一・三米、長さ三・八米にわたつて崩壊し、車は約三・八米下の田甫に転落し、ために助手席に同乗しでいた訴外山本彦一に対し全治約三ケ月を要する右腕骨々折等の傷害を負わせた。

(二) 訴外山本仁の不法行為により訴外山本彦一の蒙つた損害は合計金一、〇二〇、七九一円であり、その内訳は次のとおりである。

(イ)  金一四九、五三八円

昭和三三年四月一日より同三四年三月五日まで山口県立中央病院に入院中の治療費及び退院后同年七月一〇日まで同院に通院した治療費

(ロ)  金一八一、八六六円

昭和三三年四月二日より同三四年七月一〇日まで休業を余儀なくされ受けることのできなかつた賃金相当額(一日当り平均賃金三九一円一一銭に休業日数四六五日を乗じた額)

(ハ)  金六八九、三八七円

本件負傷治療後後遺症のため、従前の労働能力の低下を来した結果失つた得べかりし利益であつて、右労働能力の喪失率は一〇〇分の三五であると認められるから前記平均賃金の年額に右喪失率及び平均余命年数四四年五〇を乗じたものからホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除したもの

(三) 被告は使用者としてその事業に従事していた訴外山本仁の前記不法行為による損害賠償義務を負担する。

(四) 訴外山本彦一は本件事故当時防府市において坑木、パルプ材の生産業を営む訴外三鉱坑木株式会社防府事業所に素材選木夫として勤務していた者であるが、事故当日は同事業所長の命により同社所有の坑木の運送を被告に依頼し、訴外山本仁の運転する前記自動三輪車に同乗していたものであり、訴外三鉱坑木株式会社防府事業所と原告との間には労働者災害補償保険法三条一項及び六条の規定により同法の保険関係が成立していたので、原告は同法一二条、一五条により、訴外山本彦一に対し災害補償として別表記載のとおり、合計金三九五、五四〇円の保険給付を行なつた。

(五) 原告は右保険給付によつて右法律二〇条一項の規定に基き別表保険給付の日から訴外山本彦一の被告に対して有する損害賠償請求権を右保険給付の限度で取得した。

(六) よつて原告は被告に対し金三九五、五四〇円及び別表記載の各金額に対し(但し昭和三四年八月三一日給付の五〇〇円については遅延損害金の請求をしない)各給付の日の翌日から支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだ。」

と述べ、立証として甲第一、二号証、甲第三号証の一、二、甲第四、五号証、甲第六号証の一ないし一八、甲第七号証の一ないし四、甲第八、九号証の各一、二、甲第一〇号証、甲第一一、一二号証の各一、二、甲第一三号証を提出し、証人山本彦一、同大杉百合夫の各尋問を求めた。

被告訴訟代理人は原告請求棄却の判決を求め、答弁として、「原告主張事実中その主張の自動三輪車が訴外三鉱坑木の坑木及び素材約一一石(二・四屯)を積載していたとの点、原告主張の事故が訴外山本仁の過失に原因するとの点及び右事故によつて訴外山本彦一の蒙つた損害額の点はいずれもこれを争い、その余は認める。訴外山本彦一は事故の現場を詳知していたのであつて、右事故並びに右訴外人の損害の発生は同訴外人の過失が原因をなしたものである」と述べ、立証として被告本人の尋問を求め甲各号証の成立を認めた。

理由

(一)  被告が運送業を営むこと、被告の被用者として自動車運転の業務に従事する訴外山本仁が右業務として昭和三三年四月一日午后五時頃被告の自動三輪車の助手席に訴外山本彦一を同乗させて運転し佐波郡徳地町大字伊賀地字古森から防府市三田尻土場へ向つて出発し約二百米進行したところ路面右側が幅一・三米、長さ三・八米にわたつて崩壊し、車は約三・八米下の田甫に転落し助手席に同乗していた訴外山本彦一が全治約三カ月を要する右腕骨々折等の傷害を蒙つたこと、訴外山本彦一が右事故の当時防府市において坑木、パルプ材の生産業を営む訴外三鉱坑木株式会社防府事業所に素材選木夫として勤務していたこと及び右防府事業所と原告との間に労働者災害補償保険法三条一項、六条の規定により同法の保険関係が成立しており、原告が訴外山本彦一に対し災害補償として別表記載のとおり合計金三九五、五四〇円の保険給付を行なつたことはいずれも当事者間に争がない。

(二)  成立に争のない甲第二号証、甲第三号証の一、甲第四号証、甲第一〇号証、甲第一一号証の一に証人山本彦一の証言を綜合すれば、前記事故の当時前記自動三輪車には松坑木及び素材約一〇石(二・四屯)が積載されていたこと、右木材の内古森の土場で積込んだ約七石の松材は元来は訴外山本彦一の兄静男の所有であつたが、彦一はかねて三鉱坑木株式会社防府事業所長から素材の買集めを命ぜられており、静男も売渡を承諾したので彦一は三鉱坑木の従業員として被告に対し三田尻土場に運搬することを依頼して右松材を右自動車に積込んだこと、彦一は運送業者に木材の運搬を依頼する際荷送状を運転手に托したときは通常運搬する自動車に同乗しなかつたが、積卸の便宜もあつて同乗することもあり、本件事故の際は荷送状を発行せず荷卸しの都合により又は荷主たる三鉱坑木の従業員として前記自動車に同乗したのであつて、即ち彦一は右松材の所有権がなお訴外山本静男にあつたと否とに拘らず当時三鉱坑木の被用者としてその業務に従事していたこと、右事故現場は約一年前山の傾斜面の山崩れを切り開いて道幅を広くした幅員三・五米の町道で当時左方山手から土砂崩れがあつて路面の幅が二・六米に減り事故二、三日前から降つた雨のため地盤が弱くなつていたこと、右現場より約十米手前を進行する際も前記自動車の後部右車輪が土砂中にめり込んで危険を感じさせた事実のあること及び訴外山本仁は右現場にさしかかつて他に別段の処置をとることなく左手の土砂崩れを避けて前記自動車を進行させようとしたところ右側車輪がにわかに土地にめり込んだので、急ぎその場を通り抜けて安全地帯に進もうとしてアクセルを踏んだけれども及ばず、車は道路右側の土砂崩れと共に右側田甫に転落したことを認めることができ反証はない。右認定の事実によれば運転者たる訴外山本仁は右事故現場にさしかかつたときは路面の状況と積荷の関係を慎重に検討して、あるいは積荷を減じ、あるいは左手の土砂を取り除けて進路を拡げるなどの措置を講じ以て安全を確認した上進行して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたものと解せられるに拘らず右注意義務を果すことを怠つたため前記の事故を発生したものと認められるから右事故は同訴外人の過失にその原因があるといわなければならない。訴外山本彦一の住所は古森であり、日常右事故現場を往来して現場を詳知していたものと解せられることは被告主張のとおりであるけれども自動車運転の責任はあくまで運転者にあり、従つて過失によつて事故を発生せしめた場合にも他に特段の事情のない限り現場を詳知している同乗者に過失の責任を負わせることはできない。なお前記道路は町道であるから路面に押出された土砂を取除けず危険の標識をも施さず、いな二・四屯程度の積荷を有する自動車の進行によりその一部が崩壊するような道路を設置し、放置した町は土地の工作物の占有者又は所有者として損害賠償の責任を負担しなければならないのではないかとの疑がないではないけれどもこのことは運転者たる訴外山本仁の過失の責任をなんら軽減するものではない。

(三)  成立に争のない甲第三号証の一、二、甲第六号証の一ないし一八、甲第七号証の一ないし四、甲第九号証の二、甲第一三号証に証人山本彦一、同大杉百合夫の各証言を綜合すれば訴外山本彦一は前記傷害の治療のため昭和三三年四月一日山口県立中央病院に入院し、約三ケ月の後退院して通院を続け、同年七月一二日頃再度入院し、昭和三四年三月六日頃退院し、退院後同年七月一〇日まで通院治療を受けて治癒したのであるが、なお右肩関節及び肘関節拘縮、手指の背屈筋力の低下を遺し稼動能力の少くとも二〇パーセントを喪失し、その結果

(イ)  治療費として金二四九、五三八円を要し、(内金一〇〇、〇〇〇円は自動車損害賠償保険金より支払済み)

(ロ)  昭和三三年四月二日から同三四年七月一〇日まで休業を余儀なくされその間に一日の平均賃金三九一円一一銭に休業日数四六五日を乗じた金一八一、八六六円の賃金収入を挙げうべきであつたに拘らず右休業のためこれを挙げることができずに損害を受け、

(ハ)  右治癒の時二二才であつたから爾後なお少くとも四三年間同程度の稼働能力を有していたものと認められるのであるが、前記後遺障害による稼働能力の喪失により爾後四三年間平均賃金の二〇パーセントを失う結果となり、前記平均賃金の年額に右喪失率二〇パーセント及び残存稼働年数を乗じた額からホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した金三八九、七四四円の損害を受けることとなつた。

彦一の傷害の治療に右の如き多くの日数を要し、前記の如き後遺障害を生ずるに至つた原因の一半は再度の骨折に起因するものであることを肯認するに難くない。しかしながら右再度の骨折は治療に必須のマツサージ中に起つたことであつて到底その間に彦一の過失が介在していたものとは認められない。あるいは施術者に過失があつたのではないかの疑を挾む余地もないではないが、いずれにしても右再度の骨折も前記自動車事故によつて彦一の蒙つた右腕骨々折があればこそその治療のためのマツサージを必要としたのであり、右再度の骨折も亦訴外山本仁の過失と因果関係があるものと解するの外ないから同訴外人は右再度の骨折により治癒が延引し、後遺障害を残したことによる損害についてもその賠償義務を免れるものではない。仮にマツサージ施術者に過失があつたとしても訴外山本仁は右施術者と共同不法行為者として連帯責任を負うに過ぎない。

(四)  さすれば被告は訴外山本仁の使用者として同訴外人がその業務の執行中訴外山本彦一に加えた前記の損害を賠償する義務を負い労働者災害補償保険法に基き彦一の損害の一部別表記載の金額を補償した原告は右補償の限度において被告に対しその賠償を請求する権利を有する。

(五)  被告自身本件自動車事故により自動車に損傷を蒙り少からざる損害を蒙つたことはこれを推知するに難くない。資本の十分でない自動車運送業者が雇用運転者の過失のため重大な事故についてその損害賠償の責任を負担せしめられ一挙にして事業を倒壊せしめられるに至ることも考え得られないことではない。しかしながら過失によつて他人に損害を加えた者がその損害賠償の義務を負うことは当然の事理というべく、報償責任主義ないし使用者責任の原則は時代の趨勢である。損害保険制度の完備しない現在においては前記の如き使用者の困難も亦止むを得ない事態というの外ない。被害者の損害を補償した国が被害者の権利を取得するのも亦当然であり、権利者が国なるが故に損害賠償の請求に手心を加えねばならない法律上の道理はない。

(六)  よつて原告の本訴請求はその理由があるからこれを容認し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 黒川四海)

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