山口地方裁判所 昭和54年(ワ)148号 判決 1981年11月19日
原告 国
代理人 有吉一郎 毛利甫 清水龍三 林隆康 ほか四名
被告 福元孝 ほか一名
主文
一 被告らは各自原告に対し金一四〇九万六五九八円及びこれに対する昭和五三年八月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その二を原告の、その八を被告らの負担とする。
四 この判決の主文第一項は仮に執行することができる。
事 実<省略>
理由
一 事故の発生
請求原因1(事故の発生)の事実は、原告と被告岩田の間では当事者間に争いがなく、原告と被告福元の間では同(一)ないし(五)の事実、及び(六)の事実中、加害車が亡榮人に追突し、頭蓋骨骨折等の傷害を与え即死させたことは当事者間に争いのないところ、<証拠略>を総合すれば、その余の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
二 事故発生の状況など
本件事故前被告福元が清酒を飲酒していたこと、本件事故当時降雨中であつたことは当事者間に争いがなく(原告と被告岩田の間では、更に現場道路には照明設備がなく、被告福元が加害車の前照灯を下向きにし、サングラスを着用して加害車を運転し、亡榮人らの隊列に六、七メートルの至近距離に迫るまで気づかなかつたことも争いがない。)、右争いない事実及び前記一認定の事実に<証拠略>を総合すれば、次の事実が認められる。
1 本件事故現場の道路は、山口県防府市大字田島所在の航空自衛隊防府南基地正門前を基地の北側外周に添つて、防府市内(東)方面から同市中関(西)方面に通じるセンターラインによる区分及び歩車道の区別のない幅員一三メートル、未舗装の直線道路で、北側は田に、南側は土手、堀を隔てて防府南基地に接し(但、正門の部分には土手、堀はなく、そのまま道路と接している。)、南基地正門の東方約七〇メートルの地点で、道路北側において、防府北基地に通ずる道路と丁字型に交差している。付近には街燈の設備はなく、わづかに南基地正門内の警衛所と同正門に略々相対して道路北側に存する飲食店の燈下があるだけで、本件事故当時は小雨が降り、現場付近は相当に暗く、通行車輌は少なかつた。
2 被告福元は本件事故当時被告岩田の経営する岩田建設の従業員で山口県防府市大字浜方九二八所在の右建設の事務所に居住していたものであるが、事故当日の午後四時ごろ仕事を終えて事務所にもどり、午後六時ごろから七時ごろまでの間に事務所において知人三名と飲酒して日本酒(清酒)二合余りを飲み、午後八時ごろまで知人らと話をした後、山口市内の従弟を訪ねようと事務所より加害車を運転して山口市に向つた。しかし、途中で気が変つて事務所に引きかえすこととし、そのまま車を転回させて帰路についたが、交通量の少いことや本件事故現場付近の道路幅員の広いことに気を許し、本件事故現場手前約二キロメートルの地点で対向車とすれ違つた際前照灯を下向きに切りかえたのにこれをもどさず、加えて前記のとおり降雨中で、現場付近が暗いにもかかわらず、右飲酒による酒の酔も加わつて(本件事故当時、被告福元は呼気一リツトルにつき〇・五ミリグラム以上一ミリグラム未満のアルコールを身体に保有していたもので、酔の程度は微酔と軽酔の中間程度であつた)、慢然と前方を見ながら走行を続け、時速約五〇キロメートルで本件事故現場の道路を東から西に向い、道路南端(左側)から一・五メートル付近を直進して本件事故現場にさしかかり、一瞬、視線を前記防府北基地に通じる道路(被告福元よりみて右側)に向け、正面にもどしたと同時に初めて約六、七メートル前方に黒い影(亡榮人を含む行進中の自衛隊員ら)を発見し、急拠ハンドルを右に切つて衝突を避けようとしたが、間に合わず、これに衝突し、亡榮人を含む隊員らをはね飛ばし、亡榮人を即死させた。なお、被告福元は近眼で自動車の運転に際してはメガネの使用が義務づけられており、本件事故当時も近眼用の偏光メガネ(色付き、一種のサングラス)を着用していた。
3 亡榮人の所属する航空自衛隊防府南基地第一航空教育隊第一教育大隊第四教育中隊は第一ないし第三の小隊より成り、各小隊は更に二つの分隊により編成され、亡榮人は第一小隊第二分隊に配属されていたものであるが、亡榮人ら第一小隊の隊員四八名は、事故当日右中隊で実施された野外訓練(行進演習)に参加し、右訓練を終え、帰隊すべく、第一小隊長石村昌三郎(以下「石村」という。)の指揮の下に、隊列を組んで行進し、前記北基地に通じる道路より本件事故現場の道路に至り、次いで、石村の命令により本件事故現場の道路を南(隊員ら進行方向右、以下右、左というときは隊員らの進行方向より見た場合をいう。)から北(左)に全員がすみやかに横断し終えるとともに、基地入門前における人員及び装具を点検する等の目的から道路南側(左側)に、西から第一分隊、第二分隊の順に東西に二列に整列を命じられた。右隊列は、最後尾が南基地正門より東方約六五メートル付近(北基地に通じる道路より約五メートル西方)に位置するように、また二列のうち道路中央寄りの列(右側の列)は道路南端(左端)より約二メートル付近を一列に並んでいる状態に整列させられ、亡榮人は道路中央よりの列の最後尾に位置していた。そして、人員及び装具の点検を終え、南基地正門から入門すべく、右整列の状態から行進を再開し、二、三歩歩行したところ、前記のとおり後方から進行して来た加害車が亡榮人らに追突した。
4 亡榮人ら自衛隊員の行進は、自衛隊の内部規則により規制されており、行進中の隊員は一定の歩幅、歩速で行進し、上官の命令がない限り、自由に通行場所を選択することも、後方をふり向いて後方車輌の有無を確認することも許されておらず、行進中の通行の安全は、専ら行進する隊列の前後に配置される交通整理員や隊列の外側道路中央寄りを行進する各分隊の班長(分隊長)、班付(分隊長の補佐)によつてなされ、本件事故当時における行進にあつても、第一小隊長石村は隊列の前後に各二、三名の交通整理員を配置し、班長、班付をして隊列の外側を行進させ、これらに常時点燈した懐中電燈を所持させ、通行の安全を確認しつつ行進を指揮して本件事故現場の道路に至り、前記のとおり亡榮人ら隊員をして道路を横断させ、道路左側に整列させたものであるが、その際交通の安全を一応確認しただけで、現場道路幅員の広いことや交通量の少なかつたこと、南基地正門が近いことなどに気を許し、危険のないものと判断して右交通整理員及び班長、班付の配置を解いて隊列内に加え、後方よりの車輌の確認にあたる隊員が誰もいない状態で、前記のとおり道路左側においてそのまま行進を再開させた直後本件事故が発生した。亡榮人ら隊員は、本件事故当時、濃緑色の作業服の上に紺色の雨衣を着用し、肩にカーキ色の雑のう袋を掛け、腰に弾帯及び水筒を着け、淡緑褐色のヘルメツトをかぶり、カービン銃を背負つていたもので、前記本件事故当時における本件事故現場の状況下にあつては、通行車輌の運転手からは極めて識別し難い服装をしていた。
以上の事実が認められるところ、右認定に反する<証拠略>は前掲他の証拠に照らし容易に信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
三 責任原因(被告らの責任及び原告の安全配慮義務違反)
1 被告福元
前記二認定の事実によれば、本件事故発生につき被告福元に過失のあることは明らかであり、被告福元は民法七〇九条に基づき亡榮人の損害を賠償する責任がある(もつとも、被告福元は、酒に酔い、前照灯を下向きにし、時速五〇キロメートルで加害車を運転走行させ、六、七メートルの至近距離に至るまで亡榮人らに気がつかなかつたものであり、過失の内容としては酒酔い運転、前照灯を下向きに走向したこと、前方不注視などがそれぞれ考えられ、本件事故と直接結びつく過失が何であるかについては一考を要するところである。しかして、<証拠略>によれば、被告福元は本件事故現場に至る間相当距離走行し、その間の走行経路等に対する記憶も十分に保持されていることが認められ、右事実よりすれば、本件事故当時において被告福元が酒に酔い(その酔の程度は前記のとおり微酔と軽酔の中間)、注意力が低下していたことはあつても、運転を全く正常に行い得ない程の状態にあつたとは認められず、酒酔運転自体を本件事故に対する直接の過失とは認め難いものである。また、運輸省令第六七号道路運送車両の保安基準三二条二項三号によれば、加害車にあつては前照灯は下向きにした場合でも夜間前方四〇メートルの距離にある交通上の障害物を確認できる性能を有するもので、被告福元が酒酔いのため注意力が低下しており、近眼のためメガネを着用していたこと及び本件事故現場が暗く、降雨中でもあり、亡榮人ら隊員が夜間通行車輌の運転手から識別し難い服装をしていたことを考慮しても、被告福元において慢然走行することなく、前方に対する安全確認をつくしておれば、より早期に亡榮人らを発見し得、本件事故の発生を回避できたものと認められ、結局、本件事故発生に対する被告福元の直接の過失は、前方不注意にあつたものと認められ、酒酔運転あるいは前照灯を下向きにして走向していたことはその誘因と考えるのが相当である。)。
また、<証拠略>によれば、加害車は被告岩田の所有であり、前記岩田建設の業務に使用されていたものであるが、被告福元は、事故当日被告岩田に無断で加害車を私用のため運転中本件事故を発生させたことが認められ(右認定に反する証拠はない。)、右事実によれば、被告福元は自賠法三条の運行供用者としても、亡榮人の損害を賠償する責任があるものというべきである。
2 被告岩田
加害車が被告岩田の所有であることは当事者間に争いのないところ、被告岩田は、本件事故当時私用運転を厳禁していたのに、被告福元は事務所に保管してあつた鍵を勝手に持ち出して私用運転したものであるから、本件事故当時加害車に対する運行支配、利益を喪失していた旨主張し、前記のとおり本件事故が被告福元において加害車を無断私用運転中に発生したことは認められるが、<証拠略>によれば、加害車の日常の管理は被告福元に一切委せられていたもので、同被告は、事務所の机の抽出しに保管されていた加害車の鍵を自由に取り出すことができ、被告岩田より私用運転も事実上黙認されていたことが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、右認定事実によれば、本件事故当時、被告岩田において加害車につき運行支配、利益を喪失していたとは到底認められず、被告岩田は自賠法三条の運行供用者として亡榮人の損害を賠償する責任を有するものである。
3 原告
原告が亡榮人に対し原告主張の如き安全配慮義務を負担していること、及び本件事故発生につき原告の履行補助者たる石村に亡榮人と通行車輌との接触事故を回避するに必要な通行車輌に対する注意喚起等の安全配慮義務違反のあつたことは当事者間に争いがない(しかして、右の如き安全配慮義務を原告が亡榮人に負担していることについては当裁判所もこれを相当と解するものであり、前記二認定の本件事故当時における本件事故現場の状況、亡榮人らの服装、亡榮人らが行進中のため行動を規制されていたことなどの事実に照らせば、石村に右安全配慮義務違反のあつたことも相当と認められる。)。従つて、原告もまた右安全配慮義務違反に基づき亡榮人の損害を賠償する責任がある。
四 亡榮人の損害等
1 亡榮人の逸失利益 一二七八万七三〇〇円
弁論の全趣旨によれば、亡榮人は昭和二一年一一月二八日生まれの男子で、昭和四〇年三月高校を卒業後三年の任用期間で航空自衛隊に入隊し、本件事故当時二等空士として一ヶ月一万八〇〇〇円の俸給を得ていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
右認定事実によれば、亡榮人は本件事故で死亡しなければ満六七才まで四八年間稼働し得て、このうち昭和四三年三月までは毎月右割合を下らない俸給を、自衛官を退官後は、当裁判所に顕著な現在までに公刊されている労働大臣官房労働統計調査部編の賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、旧中新高卒男子労働者の各年度に対応する全年令平均賃金(但、昭和五三年以降は同年度の賃金センサスによる。)を下らない収入をあげ得たもので、生活費は収入の五割を超えないものと認められるから、右期間中の逸失利益についてライプニツツ方式により年五分の中間利息を控除し、本件事故当時の現価を求めると計算上右金員を下らないことが明らかである。
2 亡榮人の慰謝料 四〇〇万円
亡榮人の年令、事故態様等本件記録上認められる諸般の事情に照らし右金員を相当と認める。
3 損害賠償請求権の相続
弁論の全趣旨によれば、亡榮人の両親において亡榮人の損害賠償請求権を二分の一宛相続したことが認められる。
4 損害の填補
弁論の全趣旨によれば、亡榮人の両親において、自賠責保険より一〇〇万円、防衛庁職員給与法二七条一項の規定により準用される国家公務員災害補償法の規定に基づき遺族補償一時金五九万七〇〇〇円を前記損害の填補として受領したことが認められる。
五 原告の損害賠償債務の履行
<証拠略>によれば、原告は昭和五三年八月一四日、前記安全配慮義務違反に基づく損害賠償債務の履行として亡榮人の両親に対し、前記填補後の損害一五一九万三〇〇〇円及びこれに対する原告が亡榮人の両親より支払請求を受けた日の翌日である昭和五〇年六月三日より昭和五三年八月一四日まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を合計した一七六二万七四八円を支払つたことが認められ、右認定に反する証拠はない(ちなみに、<証拠略>によれば、原告が右支払をなしたのは以下の経過による。すなわち、亡榮人の両親は原告の安全配慮義務違反を理由に、原告を相手方として昭和五〇年、東京地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起し(同地方裁判所同年(ワ)第一〇二〇一号事件)、原告はこれを争つたが、同裁判所は亡榮人の両親の請求を認め、前記填補後の損害額と同額の損害及びこれに対する亡榮人の両親より原告に対する支払請求のあつた翌日以降民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を原告に命ずる判決を言渡し、原告もこれを認めて右支払をなしたものである。)。
六 原告の被告らに対する求償権
前記のとおり原告と被告らは、本件事故により亡榮人が蒙つた全損害をそれぞれ固有の立場で賠償する責任を負担しているものであるが、損害の発生そのものは一つであるから、いずれかが賠償責任を履行すれば、当然他の者は免責される関係にある。その限りで、原告と被告らの関係は連帯債務に類似するが、お互いの間に主観的共同関係はないものというべきであるから、いわゆる不真正連帯債務関係にあるものと解するのが相当である。
ところで、前記二認定の事実によれば、本件事故は直接には原告の履行補助者たる石村の安全配慮義務を怠つた過失(具体的には、道幅の広いことなどに気を許し後方車輌に対する安全確認を怠つたこと)と被告福元の前方不注視の過失が競合して発生したものと認められ、原告及び被告岩田は、いわば石村と被告福元の共同不法行為を媒介としてそれぞれ賠償責任を負担している関係にある。しかして、右の如き関係において成立する原告、被告らの不真正連帯債務関係にあつては、少くとも原告と被告両名の間では、石村と被告福元の本件事故発生に対する過失割合(本件事故発生に対する寄与度あるいは加功度といつてよい。)によつて損害を分担させ、相互に求償関係を認めるのが公平に合致し相当であると解される(なお、参照最判昭和四一年一一月一八日民集二〇巻九号一八八六頁)。
前記二認定の事実によれば、本件事故発生についての過失割合は石村二、被告福元八と認めるのが相当であり、被告らは前記原告の支払つた一七六二万七四八円の八割に相当する一四〇九万六五九八円の求償に応ずべき義務がある。
七 被告らの主張に対する判断
1 時効(被告ら)
亡榮人の被告らに対する民法七〇九条あるいは自賠法三条に基づく損害賠償請求権は、特別の事情のない限り本件事故発生の日である昭和四〇年六月三日より三年を経過した昭和四三年六月二日限り時効により消滅したものと認められ、被告らは右時効消滅により被告らの求償義務も消滅したと主張する。
原告と被告らの関係は前記のとおり不真正連帯債務関係であり、連帯債務における時効の規定はそのまま適用されることはないものというべきで(ちなみに、適用があるとすると、一人について時効が完成すればその者の負担部分については他の者も責任を免れるなど事故の被害者に対して不利益な面が多分に出てくる。)、また、原告と被告らの間で求償関係を認める理由が前記のとおり損害の公平な分担ということにある以上、損害を賠償した者に対し、自己に対する損害賠償請求権が時効消滅したとの一事をもつて自己の負担部分に対する求償まで免れるとするのは、場合によつては、本件における被告らの如く負担部分の極めて大きい者が損害を全く分担しないことにもなり妥当とはいえず、被告らの右主張には賛同し難いものである(損害賠償請求権の時効消滅後もなお求償を免れないとすると、自己の負担部分については実質上時効期間が延びたような形となり、本件におけるように一種の債務不履行責任を負担する原告の消滅時効期間は一〇年と解されるから、被告らの三年の時効期間が無意義に帰するのではないかというように一応考えられなくもないが、損害の公平な分担という観点からは、賠償義務を履行した者がいる以上、自己の負担部分については求債を免れないものとするのもやむを得ないと考える。)。
2 和解契約の締結(被告福元)
被告福元と原告が、昭和五〇年一一月二八日、原告が本件事故において受けた損害及び支払をなした人的、物的損害のうち三一三万九九六四円及びその遅延損害金について、その合計額の支払を被告福元において昭和五〇年一一月から昭和五五年一〇月まで毎月割賦弁済する旨の和解契約を締結したことは当事者間に争いがない。
被告福元は原告が本訴で請求する求償権も右和解の対象になつている旨主張するが、<証拠略>によれば、右和解は、本件事故により航空自衛隊の所有物がき損されたことによる原告の損害賠償請求権、原告が亡榮人の両親に支払つた葬祭料、前記遺族補償一時金、亡榮人以外の被告隊員に支払つた療養補償金、亡榮人の両親などに支払つた旅費に関するものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。
右認定事実によれば、遺族補償一時金を除くと、原告が本訴において被告福元に求償する基礎となつている亡榮人の損害賠償請求権とは全く別個のものであり、また、原告が本訴において被告福元に求償しているのは前記のとおり右遺族補償一時金を控除後の損害の支払に関してであるから、結局、原告が本訴において主張する求償権は右和解の内容には含まれておらず、被告福元の和解の主張は理由がない。
八 結論
以上のしだいであり、原告の本訴請求は一四〇九万六五九八円及びこれに対する原告が支払をなした日の翌日である昭和五三年八月一五日以降支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小田泰機)