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山口地方裁判所下関支部 昭和57年(ワ)166号 判決 1991年9月30日

主文

一  被告は各原告に対し、別紙原告一覧表(一)の各原告対応の金額欄記載の各金員及びこれに対する同表遅延損害金発生日欄記載の各年月日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告らの請求の趣旨

1  被告は、各原告に対し、別紙原告一覧表(二)の各原告対応の請求金額欄記載の各金員及びこれに対する同表遅延損害発生日欄記載の各年月日からそれぞれ支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  当事者

(一) 被告は、大正一三年七月九日下関市において設立された自動車による一般旅客運送事業等を目的とする資本金約四億五〇〇〇万円の株式会社であり、昭和五七年五月二九日当時、従業員数一一四一名(内バス運転手五三六名)、バス四四四両を所有し、自動車による一般旅客運送事業については、下関市を中心に山口県西部地域をその事業区域としていた。

(二) 原告私鉄中国地方労働組合サンデン交通支部(以下「原告組合」という。)は、昭和二一年二月二八日被告の従業員によって結成された山陽電軌労働組合として発足し、昭和二八年二月私鉄総連傘下の私鉄中国地方労働組合に加盟し、以後現在の組織形態に改め、今日に至っている。なお、被告には、昭和三四年一二月原告組合から分裂して結成されたサンデン交通労働組合(以下「第二組合」という。)があり、昭和五七年五月二九日現在の組合員数は、原告組合員が一二〇名(被告の傍系会社従業員を含む。内被告従業員は一一二名)、第二組合員が七八二名である。

(三) 原告組合を除くその余の原告らは、それぞれ別紙原告一覧表(二)の記載の生年月日に出生して、同表入社年月日に被告に入社し、以後同表指数欄記載の期間、車掌又は運転手(電車運転手としての期間を含む。)の業務に従事し、昭和六一年六月一日現在、同表所属営業所記載の被告営業所において勤務しているバス運転手(以下一括して「原告運転手」という。)であり、いずれも現在原告組合に所属している。

2  労使関係の推移

(一) 原告組合は昭和二一年二月二八日に結成された後、労働条件改善闘争を進めるなかで組合の力を強め、昭和二六、七年頃からは全国的にみて最高に近い水準の労働条件を獲得し、山口県はもとより、中国地方労働界の中核的存在として活動していた。

被告も、営業収益が増大の一途をたどり、昭和三〇年まで発展の歩みを続けていた。

(二) ところが、被告は、昭和三三年の関門国道トンネル開通によるバス路線拡張の計画が挫折したことや、バス路線収入が停滞するに至ったことから人件費の上昇をいかに低く抑制するかを経営の最重点施策として認識、実施するようになった。

被告は、このような立場から労務政策に全力を傾注し、機構改革、補導掛員の増員、組合活動家の係長への登用、時間内組合活動の制限、懲戒同意権剥奪等を内容とする従来例を見ない労働協約改悪を提示し、労務ニュースを創刊して不況宣伝を強化する等の諸施策を打ち出していった。

被告は、これらを布石としながら、裏面では新登用の係長を中心とする新労働組合の結成、また、原告組合の一部幹部を抱きこんでの新労働組合結成という組合分裂を実行に移し、昭和三四年一二月二九日新組合(第二組合)の結成大会が開かれた。

(三) 原告組合は、昭和三五年地労委の斡旋のもとで、第二組合の妥結額を上回る賃上げを獲得し、多数の復帰者を勝ちとった。これに対し、被告は、原告組合に対し、壊滅を意図した過酷な組織攻撃をかけ、昭和三六年の春闘においては、第二組合は、その組織機構全部を被告に委ね、被告の下部組織として、原告組合に対する組織破壊工作の実行に加わった。

(四) 被告は、原告組合が採用した争議戦術たる車両確保戦術を強盗罪、窃盗罪と称して山口県警に告訴したが、裁判所は、昭和四五年七月九日一三名の被告人中七名に無罪、六名に威力業務妨害罪で有罪を宣告した。

(五) その後、原告組合は、被告と第二組合の結託による分裂差別政策と対決し、組織拡大の運動に取り組んだ結果、昭和四六年八月小月営業所において、六名のワンマンバス運転手が第二組合から原告組合に復帰した。

これに対し、被告は原告組合復帰の動きを阻止するため、復帰した運転手に対してはその意志に反し、ワンマンバスに乗務させずにワンマン手当を剥奪し、廃車寸前の老朽車両をわざわざ他営業所から持ち込んでこれに乗務させるという不利益な処遇をなしたり、それまでの慣行に反し、夜勤終了後短時間しか経過していないのに早朝勤務を命じるといった乗務をさせる等の嫌がらせを強行した。

そのため、原告組合と当該運転手らはワンマンバスの運転手であることの地位を仮に定める仮処分命令を求め、被告が右運転手らを従前どおりワンマンバス運転手として扱うことを内容とする裁判上の和解が成立した。

原告組合はその後も組織拡大の努力を続け、昭和四六年末までに二〇名余りの原告組合への復帰者があった。

(六) 被告は、その後も、組合分裂政策を維持し、原告組合の組織拡大を阻止しようとして、後記山陽急行バスの配車差別事件の他、所持品、身体検査の差別的実施、懲戒処分の差別的濫発、登用差別、配車差別等考えつく限りの不当な差別行為を続けてきた。

即ち、被告の子会社である山陽急行バス株式会社において、私鉄支部組合に対し、被告と同様の配車差別が行なわれているとして、私鉄支部組合とその組合員がその配車差別につき慰謝料請求の訴えを提起した。

昭和五二年一月三一日一審裁判所は、右請求を認容し、被告山陽急行バス株式会社に対し、総額一一五万円の慰謝料を支払うべき旨の判決を言渡し、昭和五五年四月四日広島高等裁判所において、同被告会社が、遺憾の意を表したうえ、八〇万円の和解金を支払い、以後配車差別をしないことを約する旨の和解が成立した。

3  配車差別

(一) 担当車両の労働条件規定性

被告においては、各バス車両につき運転担当者を決めている(担当制)が、その車両には新旧の差があり、担当する車両がいずれであるかの違いは次に述べるように運転手の労働内容を左右し、担当車両が労働条件を規定するという関係にあり、運転手の重大な関心事となっている。即ち、

(1) 新車であれば故障の心配はなく、ハンドル操作等も楽であり、精神的、肉体的に負担が少なく、快適に業務を遂行することが可能であるのに対し、古い車であれば常に故障の心配をし、ハンドル、ブレーキ操作等においても想像をこえる余分な負担がかかり、精神的、肉体的に疲労し、過重労働を強いられる結果となる。

新車と中古車の主な労働条件の差異は別紙一覧表(三)のとおりである。

(2) 新車の場合には、貸切業務向きにつくられた車両もあり、これが配車された場合には貸切業務に従事する度合いが多く、貸切業務に従事するか否かにより、時間外手当等賃金面に影響が生じる。

(3) バス企業においては、担当車両は運転手の技能経歴を象徴するものと一般的に考えられており、担当車両の良し悪し、新車の担当の有無によって運転手の人格まで評価されることになる。

(二) 配車慣行及び配車協定の存在

(1) 組合分裂前の配車慣行

前記のとおり、労働条件を基本的に決定する担当車が、どのように決定されるか、とりわけ新車が誰に配車されるのかということは運転手にとって最大の関心事であるため、被告においては、このような運転手の心情をくんで、組合分裂以前は熟練度を基準とし、それをはかる目安としての勤続年数に事故歴、年令、車両の取扱い方等を考慮し、各営業所の所長が、運転掛、技工班長の意見を聞いたうえで新車担当者を決定し、その結果を本社の自動車部に上申させ、本社で配車を決定していたが、結果的にはその選考が一般的にはほぼ合理的なものとして現場運転手に理解されていた。

組合分裂当時までに確立されていた新車の配車慣行(以下単に「配車慣行」という。)は次のとおりである。

(イ) 入社後一定期間経過した者は、新車を配車される対象となる。

(ロ) 勤続年数の経過により順次新車を配車する。その場合、事故歴、車両取扱いの優劣を考慮する。

(ハ) 期間の経過(二ないし四年)により車両の状態が低下したときは、改めて勤続年数を基準として順次配車する。

(2) 配車協定の締結

被告は、組合分裂の後、第二組合員に優先的に新車を配車するようになったため、原告組合から明確な配車基準を作成するように申し入れがなされ、昭和三六年春闘終結の際、地労委の斡旋案をうけて、昭和三六年六月六日被告と原告組合との間で締結された争議妥結に伴う協定の中で配車問題に関し次のとおり合意(以下単に「配車協定」という。)が成立した。

(イ) 配車については、①勤続年数、②免許取得年限、③出退勤、④事故回数、⑤諸規定の遵守程度を加味してその公正を期する。

(ロ) 配車基準は労使双方が協議して決めることとし、各要素の重要度はその際協議する。

(ハ) 配車基準は就業規則に明記し、協約には載せない。

(三) 配車差別の実態

被告は、組合が分裂するや、前記のような配車慣行及び配車協定を無視して新車の配車をするようになった。昭和三八年初めから昭和六一年五月までの間、被告が新車の購入に伴い行なった配車の状況は、別紙営業所別配車一覧表記載のとおりであるが、これによれば、第二組合員には前記慣行に従って配車されているのに、原告組合員については、以下において述べるように、一部例外を除くほか全く新車の配車がなされておらず、これは原告組合員であることを理由とする差別待遇であることは明白である。即ち、

(1) 昭和三八年初めから昭和六一年五月までの間、被告において購入された新車は少なくとも四四四台である。

(2) そのうち、原告組合員に配車された新車は三台にすぎない。しかも、これは原告組合らが地労委に不当労働行為救済申立てを行なったことに関係して例外的に配車されたものにすぎない。

(3) 原告運転手で過去において新車の配車を受けている例があっても、それは第二組合に所属している期間中である。

(4) 逆に、原告組合を脱退し、第二組合に移籍した運転手のうちには、まもなく新車の配車を受けている例がある。

4  被告の責任

被告による前記配車差別は、原告運転手らが原告組合の組合員であることを理由とするものであり、以下において述べるように、故意による原告らの団結権及び原告運転手の期待権、人格権侵害の不法行為であり、被告は、これによって生じた原告らの損害を賠償すべき責任がある。

(一) 団結権の侵害

(1) 団結権は、憲法二八条によって労働者に保障されているが、それは、国家からの干渉を排除するという意味での自由権としての性格のみならず、使用者に対する関係でも、その権利性を有していると解すべきであり、さらに、人格権の保障を基礎として、その担い手たる地位を承認した意義をも有するというべきである。

(2) 被告の前記差別待遇は、原告組合の組織を切り崩し、組織拡大を阻止することを目的としてなされたもので、原告組合の団結権を侵害する(原告組合の活動に対する支配介入)と共に、原告組合員に対する不利益取扱いとして原告組合員個々人が有する団結権を侵害するものである。

(二) 期待権の侵害

被告の配車慣行に従えば、原告運転手らは、新車の配車につき強固な期待的利益を有する地位にあるものというべきである。そして、原告運転手らには、第二組合所属運転手の同経歴のものに比し、配車慣行の適用を拒否される例外的事情が存しないのであるから、原告運転手らの有する地位は、単なる事実上の期待もしくは希望にとどまらず、一種の期待権として法律上の保護が与えられるべきである。

(三) 人格権の侵害

原告組合員らが独立の人格者として社会的に尊重されるべき人格権を有することはいうまでもない。そして、被告が原告組合員らに対してした差別的行為は、その内容の重大さ、継続性に照らせば、原告組合員らの人格権を侵害するものというべきである。

5  原告らの損害

(一) 損害

(1) 原告運転手の損害

(イ) 原告運転手は、いずれも新車の配車を長期にわたって受けられないため、新車を利用する貸切業務にはほとんど従事できず、常に定期運行業務に従事することを余儀なくされており、そのため、第二組合所属運転手に比し、時間外手当受領額が明らかに少なく、のみならず、同じ定期運番の中でも第二組合所属の運転手に比べ、収入が上らず、かつ身体にこたえる厳しい運番につけられるため、全収入においても第二組合所属運転手に劣っている。

(ロ) 原告運転手らは、新車を配車されないため、車両が渋滞したり、混雑したりする中で、古い車両を、故障の心配をしつつ、重くて操作の難しいハンドル、クラッチ、ブレーキ等を操作し、しかも夏には冷房もなく、暑さ、騒音、排気ガスに悩まされながら耐え難い精神的、肉体的苦痛を被っている。

(ハ) 原告運転手は、新車の配車を受けられないばかりか、経歴の浅い第二組合運転手の使い古した車両を担当させられ、名状し難い屈辱を与えられている。

(ニ) 原告運転手は、新車の配車を受けず、いつまでも古い車両を担当させられているため、家族を含めた周囲の者から勤務成績や人格まで疑われるようなこともあり、その心労は極めて大きいものである。

(2) 原告組合の損害

原告組合は、合理的理由のない限り、第二組合より不利益な取扱いをされないという労働法上の保障規定によって保護されるべき法律上の利益を有するものであるところ、前述のような被告の非合理的な差別的取扱いによって、右法律上の利益を侵害され、組合員の減少をきたし、組織拡大を妨害され、組合固有の団結権を侵害された。そのうえ、労使間の法秩序たる不当労働行為禁制によって自主的労働者集団たる原告組合が当然享受している、組合と組合員は不可分であるということから生ずる主観的、客観的感情利益をも侵害された。

(二) 損害額

このように、原告らが被った損害は、無形の損害であり、その損害賠償の内容は、無形の精神的損害に対する補償的賠償と、労働法上の無形の法益の損害に対する民事懲罰的賠償の双方を含むものである。

原告らの右損害内容を考慮すれば、これを慰謝するためには、別紙原告一覧表(二)の、昭和六一年六月一日現在の被告(長門鉄道を含む。)運転手経験年数と、車掌(事務員を含む。)経験年数の二分の一を加算した係数(以下「指数」という。)が二五以上の原告運転手については各三〇〇万円、指数二四以上二五未満の原告運転手については各二〇〇万円、指数二四未満の原告運転手については各一〇〇万円、原告組合については五〇〇万円をそれぞれ要するものというべきである。

6  結論

よって、原告らは民法七〇九条に基づく損害賠償として、前記各金員及びこれに対する訴状送達の日もしくはその翌日(別紙原告一覧表(二)の遅延損害発生日欄記載の各年月日)から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因第1項(一)、(三)の事実は認める。

同項(二)の事実のうち、被告には、原告組合及び第二組合が存在すること、原告組合員のうち、被告従業員が一一二名であることは認め、その余の事実は知らない。

2  同第2項の事実は否認する。

3  同第3項(一)の事実のうち、被告において、各バス車両につき運転担当者を決めていることは認め、その余は否認する。

同項(二)の事実は否認する。

同項(三)の事実のうち、昭和三八年初めから昭和六一年五月までの間に被告が別紙営業所配車一覧表記載のとおり、新車の配車を行なったこと(但し、坪井繁之、能美計一、蔵田義光、吉松栄一、滝村史郎、上総寛については、昭和五〇年四月一日付で長門鉄道株式会社から被告に再雇用されたものであるから、それ以前の配車状況は知らない。また、新車担当台数の欄中端野瑛利の昭和四〇年、板屋直行の同四八年、末永恒幸の同四八年分は否認。)、昭和三八年初めから昭和六一年五月までの間に被告において購入された新車が少なくとも四四四台であること、そのうち三台を原告組合員に配車したことは認め、その余は否認する。

4  同第4、5項の事実は否認する。

三  被告の主張

1  配車差別について

(一) 被告における配車に関する基本方針

(1) 被告は、バスによる旅客運送業務開始当時(昭和五年)から、担当車制を採用している。担当車制は、車の保有台数はかさむものの、運転手が車の性能、癖を熟知でき、事故防止に役立つほか、車の保守、手入れなど整備面も行き届くため、車両の耐用年数が他社より長いなどの長所がある。

(2) 被告は、①車両の耐用年数と車両の程度により廃車計画に基づいて廃車の代替が必要な場合、②新規事業計画による車両の増車による場合、に新車を購入する(したがって、営業所によって、毎年新車の配車があるところと、数年間にわたり配車のないところがある。)ところ、その新車の担当は、各運転手の所属営業所の管理監督者(営業所長、所長代理、副長、事務主任、整備班長、運転主任、運転掛等)の意見を参考に、当該営業所長が一応原案を作成し、それを本社に上申して本社において決定する方法を採っており、その際には、運転手の日常の業務改善及び運営に対する協力度、勤務成績、事故歴及び車の保守、手入れの良否等を主体に、個々の事項について配分点数等は決めておらず、これらの総合評価に基づいて選考しているのであって、現在に至るまで変更はなく、したがって、単純に年功序列(勤続年数の長短。年齢の高低等)によって決定されるものではない。ここにいう「日常の業務改善及び運営に対する協力度」とは、臨時運行及び時間外の協力度、業務改善に関する協力、会社の各種キャンペーン(夏期、冬期のシーズンオフを主に実施する特別バスツアー旅行、回数券の特売等)による販売及び顧客の紹介などの各種の業務関連事項についての積極性などを総称している。したがって、職場の運営面において、職場交渉とか、所長交渉と称して、組合役員ら多数の者が大挙して押しかけ、喧噪な状況の中での交渉を求めたり、抗議と称して、荒々しい言動による職場秩序紊乱の抗議行動をなしたり、争議行為と称して、その実態が業務妨害や違法行為を繰り返したりすることは、当然各営業所長の負の評価となる。

(二) 昭和三八年八月までの配車状況

(1) 被告には、従来、従業員をもって組織する私鉄中国地方労働組合山陽電軌支部が存在していたが、昭和三四年一二月二四日第二組合が右組合より分裂したため、以後、被告は従来より実施してきた配車に関する基本方針に添って両組合員平等にバスの配車をなしてきた。

(2) 原告組合は、昭和三六年春闘に際し、数多くの要求を掲げて争議行為に及び、昭和三六年六月二日地労委の職権斡旋がなされ、争議は妥結したところ、右斡旋案中、配車については、労使双方話し合い、円満に取り決めること等の内容であったため、同年六月六日被告と原告組合間で締結された争議妥協に伴う協定において、配車について原告主張の配車協定が明記されたが、同協定中の配車基準において、①ないし⑤の配分点数をいかに定めるかにつき、数回にわたる協議をしたにもかかわらず、労使双方で合意に至らなかった。

(3) そこで、被告は、従来の方針(配車協定中の各評定項目も参考にしている。)に従って、購入した新車のうち、昭和三七年に下関営業課に配車された三両は全部原告組合所属の運転手に、彦島営業課に配車された三両のうち、原告組合所属の運転手に一両、第二組合所属の運転手に二両それぞれ配車しており、昭和三八年にも、彦島営業課に配車された三両のうち、原告組合員一両、第二組合員一両、小野田営業課に配車された二両のうち、原告組合員二両、第二組合員一両、西市営業課特牛分所に配車された一両は原告組合員に配車した。以上のように、昭和三七年、三八年前期までは、従来の被告の基本方針に添って配車をしてきた。

(三) 昭和三八年以降の事情

(1) 昭和三〇年代後半以降、年々自家用自動車の普及、増大に影響され、全国的に電車、バスの利用客の減少をきたし、被告としても、企業の発展、存続、従業員の生活向上、労働条件の維持改善等について最善の努力をすることは経営者として当然の責務であるから、企業存続のために必要な合理化を積極的に推進しなければならなくなった。

(2) 昭和三八年被告は原告組合と第二組合に対し、被告の窮状を訴え、バス部門において、従来のツーマンバス運行(運転手、車掌二人乗務)をワンマンバス運行(運転手一人乗務)に逐次移行することで、合理化に対する協力要請を行ったところ、第二組合はこれを了承し、同年八月にワンマンカー勤務取扱いの協定を行ない、ワンマンバス運行が一部路線で開始されたが、原告組合は全てこれらに反対し、ワンマンバス運行については継続して基本的に反対の意思表示を行ない、全面ストライキ、指名ストライキ等を継続して実施し、被告の合理化推進に極めて非協力的であり、ワンマンカー乗務に不可欠な「バスワンマンカー乗務員勤務取扱いに関する協定」やその具体的な実施要領(細目協定)の締結を拒否したため、被告において、この期間は、第(一)項記載の基本方針にもかかわらず、原告組合員に現実に新車配車を行なうのは不可能であった。

(3) また、同年被告は、電車部門においても、両組合に対し、電車収支改善問題に関して説明し、電車の利用客衰退による経営悪化の窮状を訴え、企業の存続を図るべく協力を要請し、第二組合とは電車収支改善委員会を設立し、合理化を推進してきたものである。

さらに、昭和四〇年代に入ってから、前記バス同様自家用自動車の波に押され、電車利用客の減少により莫大な赤字が累積するところとなり、これを存続させれば、企業の倒産を招くことが必至であると予測されたことから、被告は、両組合に対し、電車の利用客状況、収支状況をつぶさに説明し、廃止やむなしとする被告の方針について、理解と協力を要請し、利用者である地域住民多数の理解と了承のもとに関係官庁に逐次廃止申請を行ない、昭和四四年一〇月二九日限りで一部の路線を廃止し、残りの市内線をワンマンカーで運行し、経営の存続を図ったが、結局、昭和四六年二月六日限りで全線廃止に至った。第二組合は、この電車廃止に際し、全面的に協力したが、原告組合は、右電車一部廃止に際し、時限スト、二四時間指名スト、全員による二四時間全面ストなどを継続、反覆して実施し、次いで、電車ワンマンカー反対、全面廃止反対を称えて、同様のスト及び実力による運行阻止などを断続、反覆して実施するなど極めて非協力的であった。

(四) 昭和四六年以降の事情

(1) 被告は、右のような経過を経て、逐次ワンマンカーの導入を推進し、合理化を図ってきたところ、昭和四六年八月頃に至り、小月営業所において、それまで第二組合に所属していた運転手が原告組合へ移籍するという事態が生じたため、被告としては、前記のとおり、原告組合との間にバスワンマンカー乗務のための細目協定の締結がなされていないことから、原告組合所属の運転手をワンマンカーに乗務させることは不可能との考えのもとにこれら移籍の運転手について、ワンマンカーの配車を中止した。ところが、これら運転手から、ワンマンカーへの乗務を認めるべき旨の仮処分申請がなされ、同事件において、大要次のような和解が成立した。

① 原告組合らは、被告のワンマンカー拡大実施に対し、私鉄総連の基準に合致する限りにおいては反対しない。

② 原告組合と被告は、バスワンマンカー乗務員勤務取扱いに関する協定及びその具体的実施要領を昭和四六年九月二〇日に締結する。

③ 被告は、右運転手らを小月営業所のワンマンカー運転手として、従前どおり、同月二一日から就労させ、他のワンマンカー運転手と平等の取扱いをする。

(2) 被告は、右の結果、右運転手らについては、ワンマンカーに乗務させることにし、その後第二組合より原告組合に移籍した運転手については、右和解条項を確認せしめ、ワンマンカーに乗務すべく指示し、また従来より原告組合に所属する運転手については、ワンマン教習を実施し、ワンマンカーに乗務すべく指示してきたところ、原告組合はその後においても、一部ワンマン運番に勤務指示されたその担当運転手の指名ストライキの通告を重ね、ワンマンカーの導入に対する原告組合及び所属運転手の反対行動を継続した。

したがって、被告は、このような事情のもとにおいては、これら原告組合員にワンマンカーの新車を配車することが現実的には不可能であった。

(五) 昭和五一年以降の事情

(1) 被告は、昭和五一年一〇月一六日に至り完全なワンマンカーの導入を漸く実現したところ、従前の経過に加えて、更に営業所の移転及び統廃合、不採算路線の廃止、ダイヤ改正、運番変更等の企業合理化の必要に迫られ、それらの実現に向けて努力したが、第二組合及びその所属組合員が被告の企業合理化に協力する立場をとってきたのに比べ、原告組合及びその所属組合員は、交通政策反合理化、労働条件低下反対(昭和五一年一二月)、配車、配転、貸切運番等の差別反対(昭和五五年一二月七日以降、小月分会員)を指標に掲げ、ダブル勤務拒否、運番外時間外拒否、時限スト等の争議行為を、年末年始の繁忙期に実施したりして会社の運行に支障をきたしたり、給与計算上の月極めとなる毎月の一五日を指定して同様の争議行為を実施する等し、被告の企業合理化に反対の態度で臨み、輸送繁忙期を狙っての争議行為を継続してきた。

(2) 被告は、オールワンマン化したことではあるし、原告組合とのワンマン乗務の教習、細目協定の締結などの経過から、新車の配車については、各営業所長が従来の被告の方針に従い、日常の業務改善及び運営に対する協力度、勤務成績、事故歴及び車の保守、手入れの良否を主体に運行整備の両面にわたって調査、評定のうえ、一応の原案を作成し、本社の自動車営業部に上申し、同部はこれを原案として検討の結果、決定し、配車している。

(六) 最近の新車の担当状況

原告田中昭夫は、昭和五五年頃から、また、原告岸本定雄は昭和六一年七月からそれぞれ担当車をはずしてフリーの扱いになり、極く最近は、新車もしくは新車に近い車に乗務している。

また、第二組合に所属し、かつバス運転手一〇年以上の経験者でも、新車の配車を受けたことがあるのは六〇パーセントにも充たない。

2  損害について

(一) 被告の営業所別の新車の割当ては、前記のとおり専ら物理的な営業所の事情によるものであって、従業員の事情によるものではないから、新車割当ての営業所に勤務の従業員が新車担当者に選定されたとしても、他営業所勤務の勤続年数、経験年数のより高い従業員が、当然自己に割り当てられるべきだとする期待権など存在しない。

また、原告らは、新車の割当てを受けなかったことによる苦痛に対する慰謝料として一律に一定額の請求をしているが、いつ割当てを受けるべきであったにもかかわらず、割当てを得なかったとする具体的な主張はないから、その損害の発生を認めることはできない。

(二) 原告組合所属の運転手と第二組合所属の運転手との間に、収入差があったとしても、それは単に第二組合所属の運転手が貸切業務に従事しているからではなく、第二組合所属運転手の方がダブル勤務や残業等時間外の勤務時間が長いからにすぎない。

四  被告の主張に対する原告の認否

(一)  被告の主張第1項(一)(1)のうち、被告が担当車制を採用していることは認め、その余の事実は知らない。

同項(一)(2)の事実のうち、新車の担当決定に際し、運転手の日常の業務改善及び運営に対する協力度を配車基準としていることは否認し、その余の事実は知らない。

(二)  同第(二)項の事実は認める。

(三)  同第(三)項の事実は認める。

(四)  同第(四)項の事実のうち、原告組合らと被告が被告主張の和解をしたことは認め、その余の事実は否認する。

(五)  同第(五)、第(六)項の事実は否認する。

(六)  同第2項の事実は否認する。

第三  当事者の提出、援用した証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  当事者

請求原因第1項(一)、(三)の事実及び同項(二)の事実のうち、被告には原告組合及び第二組合が存在すること、原告組合のうち、被告従業員が一一二名であることは当事者間に争いがなく、証拠(甲八の一・二、九、証人菊永)によれば、原告組合は、昭和二一年二月二八日被告の従業員によって結成された企業内単一の山陽電軌労働組合として発足し、昭和二八年二月私鉄総連傘下の私鉄中国地方労働組合に加盟し、以後現在の組織形態に改め、今日に至っていること、第二組合は、昭和三四年一二月原告組合から分裂して結成された組合であり、昭和五七年五月二九日現在約七八〇名の組合員を有していることが認められる。

二  労使関係の推移

前記認定の事実及び証拠(甲四、五、八の一・二、九、一〇、一五、一六、二七、二八、四六の一・二、一二八、一二九の一、乙六、証人菊永)によれば次の事実が認められ、右認定事実を覆すに足る証拠はない。

1  原告組合は、昭和二一年二月二八日に結成された後、職場を中心とした活発な闘争を行い、組合の力が漸次強化されるに伴い、昭和二六、七年頃には全国的にも最高に近い水準の労働条件を獲得し、中国地方労働界の中核的存在として活動し、春闘、年末闘争等においても、私鉄大手に遜色のない賃金を獲得するなど、その力は強大なものとなった。

一方、被告もバス路線の伸びが順調で、営業利益も向上の一途をたどり、昭和三〇年上期まで、発展の歩みを続けていた。

2  ところが、被告は、昭和三三年の関門国道トンネル開通をひかえ、バス路線の拡張を目指したが実現せず、かえって借入金金利の増加は経営圧迫の一要因となり、さらに、これまで伸び続けてきたバス路線も停滞し始めたことなどから、人件費の上昇をいかにして低く抑えるかということが企業経営の第一の重点施策として認識されるようになった。

被告は、このような立場から、昭和三四年下期に入ると「労務ニュース」を創刊して不況宣伝を始め、同年一〇月頃に労務関係を強化し、従業員の監督、指導を任務とする指導員を大幅に増員し、機構改革を行い、元組合三役、あるいは執行委員の経験者を抜擢して新係長に当てるなどして態勢を立て直し、原告組合と対決する姿勢を強めていった。原告組合は労働協約(一年契約)の改訂期を迎え、昭和三四年一〇月末頃、組合大会において、私鉄総連の指導方針に則り、(一)各職場における定員の確保、(二)労働時間の短縮と走行キロ制限、(三)ダイヤの逓減、(四)労使双方で構成するダイヤ編成委員会の設置等を骨子とする約八〇項目に及ぶ改訂案を決定し、会社に提示したところ、被告も同年一一月中旬、(一)就業時間中の組合活動の制限、(二)争議期間中の就労要因の拡大、(三)懲戒条項における組合の同意権の廃止、(四)祝祭日休暇の有給制を無給制に改める、(五)生理休暇三日間の有給制を廃止し無給とする等を中心とした六八項目に上る今まで例を見ない多くの改訂案を提示したため、労使双方で激しく対立し、団体交渉においても平行線をたどったまま、同年一二月二二日原告組合を唯一交渉団体と定め、完全ユニオン条項を含む労働協約は失効した。

そして、被告は他方で原告組合弱体化対抗策の一戦術として積極的な分裂工作を展開し、それを主たる原因として原告組合は分裂するに至った。即ち、昭和三四年一二月二四日に至り、政治闘争偏重、闘争至上主義、共産党色の強い組合、会社の支払能力を越える無謀な賃金要求をする組合などと原告組合批判を掲げ、前記機構改革によって新係長に登用された者を組合三役とする被告従業員九七名をもって組織する山陽電軌従業員組合が編成され、右三役らは直ちに失効した従前の労働協約と同じ内容の労働協約を締結し、翌二五日には、原告組合元副委員長を委員長とする山陽電軌労働組合結成準備会が誕生し、同日午後、右と同一の労働協約を締結したが、同月二七日両新組合は合同することを決め、同月二九日頃新組合の結成大会を開き、山陽電軌労働組合(第二組合)が発足した。

3  原告組合は、分裂によって組織破壊の危機に見舞われ、昭和三五年になると、従来の被告に対する攻撃的経済闘争から組合員の第二組合への脱落の防止、被告側による第二組合への加入換えの勧誘等の不当労働行為の監視、摘発といった組織防禦に組合活動の重点を切り換え、守勢にたたされるに至り、一方、新生の第二組合は被告の援護下に組織は拡大の一途をたどり、昭和三五年五月当時、六〇〇余名に増加し、完全に原告組合とその所属従業員数において相半ばする勢力を獲得した。

このような状況の中で、原告組合と被告との関係はますます悪化し、原告組合は、昭和三五年春闘において、被告の営業バス車両を確保する車両確保戦術の成功により、優勢のうちに展開し、地労委の斡旋のもとで、第二組合の妥結額を上回る賃上げ等を獲得した。

4  昭和三五年春闘以後も、労使関係の正常化は見られないばかりか、被告は、第二組合に比べ、原告組合所属の従業員に対し、人事上の処分、配転、また執務におけるバス担当替え、新車割当て、運番の取決め等多くの関連で強い差別的、攻撃的態度を示したことから、それらを重要な原因として昭和三六年春闘が行われた。

原告組合は、昭和三六年春闘において、車両確保戦術をとり、これに対し、被告は車両分散策を講じるなどして激しい車両確保戦が行われ、結局、双方が地労委の斡旋策を受諾することで争議は妥結した。

しかしながら、被告が、右争議につき、強盗罪等の嫌疑で告訴したことから、刑事事件に発展して、一三名が強盗傷人罪、建造物侵入罪等で起訴されたが、右事件は、昭和五二年二月一〇日、広島高等裁判所において、傷害罪、威力業務妨害罪等で全員に有罪判決がなされた。

5  組合分裂以後も、原告組合と被告との間の労使紛争は絶えず、次のような事件が発生した。

(一)  原告組合は、昭和三五年、被告において不利益取扱い、支配介入の不当労働行為がなされているとして、地労委に提訴し、同委員会は、昭和四一年八月六日、右申立てを棄却したが、その理由中で右事項に関する被告の処置に問題があったことを指摘し、特に担当車問題に関しては、「被告は、担当車替えが運転手にとって大きな関心の的であることをよくよく承知しておりながら、合理的配車基準の設定について真剣な努力を怠り、いわば担当管理者の任意にゆだねてきたところに、原告組合をして不当労働行為と疑わしめるような原因の一端があったことは否定できない。」と説示した。

(二)  原告組合は、昭和四二年、被告の職制らが原告組合員に対し、第二組合加入を勧誘しているのは不当労働行為であるとして、地労委に提訴し、同委員会は、昭和四三年七月二日、右申立ての一部を認め、「被告は、利益代表者あるいは職制が原告組合員に対し、利益誘導等の方法により第二組合加入を勧誘することを放置してはならない。」という命令を発した。

(三)  原告組合は、昭和四三年、被告彦島営業所において、原告組合の掲示板を移転したこと、右移転にからむ懲戒処分が不当労働行為であるとして、地労委に提訴し、同委員会は、昭和四五年八月三一日、右申立ての一部を認め、被告に原告組合掲示板の移転についての話合いを命じ、右懲戒処分の取消しを命じる等の命令を発した。

(四)  昭和四六年八月、被告小月営業所において、六名のワンマンバス運転手が第二組合を脱退し、原告組合に復帰したところ、被告は、右運転手の意志に反し、原告組合とのワンマンバス乗車の細目協定(基本協定は、昭和四一年に締結されており、原告組合が細目協定の締結に反対していたわけではない。)を締結していないことを理由に、ワンマンバスに乗車させないなどの扱いをした。

そこで、原告組合らは、右運転手らがワンマンバスの運転手であることの地位保全等を求める仮処分申請をなし、昭和四六年九月一六日、次のような裁判上の和解が成立した。

(1) 原告組合は、被告のワンマンバス拡大実施に対し、私鉄総連の基準に合致する限りにおいては、反対しない。

(2) 当事者双方は、被告と第二組合間のワンマンカー乗車の細目協定が労組法一七条によって原告組合にも適用されるものであることを確認し、原告組合と被告は、昭和四六年九月二〇日右と同趣旨の協定に署名、調印する。

(3) 被告は、右運転手らを小月営業所のワンマンバス運転手として従前どおり来る昭和四六年九月二一日から就労させ、他のワンマンバス運転手と平等の取扱いをする。

(五)  被告は、原告組合員であるバス車掌の小林栄治が、被告による所持品検査を拒否したことを理由に昭和四八年七月二四日雑務手に(検査車両の洗車役)に降格する旨の懲戒処分をした。

右小林らは、裁判所に、右懲戒処分無効確認と慰謝料の支払いを求める訴えを提起し、右事件は昭和五六年二月一九日広島高等裁判所において小林を同年同期の同僚と同じ職階級である整備士に登用する等の内容の裁判上の和解が成立した。

(六)  被告は、原告組合員杉山秀彦が、昭和五二年に勤務時間外に酒気帯び運転で自動車事故を起こしたことを理由に諭旨解雇した。右杉山は、右懲戒処分が権衡を失し、懲戒権の濫用であるとして、地位保全等の仮処分申請をした。裁判所は、右申請を認め、結局、本案訴訟の一審で、昭和五七年一二月に、杉山が和解時に任意退職し、被告が杉山に対し、右懲戒処分がなかった場合と同様の額の金銭を支払う旨の裁判上の和解が成立した。

(七)  被告は、原告組合員中村省三が第二組合運転手に暴力を振るったとして中村を諭旨解雇処分にしたことから、右中村らは、地位保全等の仮処分申請をなし、裁判所において、原職復帰の内容の和解が成立した。

(八)  被告の関連会社である山陽急行バス株式会社において、私鉄中国地方労働組合山陽急行支部が、同組合員は、同組合から分裂した山陽急行バス労働組合の組合員に比し、バスの配車に関し違法な差別を受けた等として、昭和四六年に慰謝料の支払いを求める裁判を提起し、右事件は最終的に広島高等裁判所において、昭和五五年四月四日、右会社が右組合らに遺憾の意を表し、合計八〇万円の和解金を支払うこと及び、右会社は今後運転者に対する配車を公正に実施すること等を内容とする和解で終了した。

三  配車差別

1  担当車両の労働条件規定性

被告において、各バス車両につき運転担当者を決めていることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と証拠(甲五七、証人菊永、同服部、原告田中、同豊嶋、原告組合代表者)によれば、被告においては、各営業バス車両につき運転担当者を指定し、原則として、当該バスにはその運転担当者しか乗務させないいわゆる担当車制を採用していること、担当車が新しく購入された新車であるか、それ以外の旧車であるかによって整備等の面で概ね、請求原因第3項(一)(1)で原告らが主張するような差異があり、バス運転手が新車を担当するか旧車を担当するかによりその身体的、精神的疲労度が異なること、貸切業務用の新車を配車されると貸切業務に従事できるが、旧車を担当している限り、貸切業務に従事できることはほとんどなく、貸切業務の方が通常の定期業務に比較して時間外手当等で収入が多く得られる傾向があること、このような結果、バス運転手においては、担当車両が収入、労働環境等労働条件そのものを規定する関係にあるうえ、さらに、担当車両の良し悪しが当該運転手個人の技能、企業内外における人格的評価を示すものとして意識されていたこと、したがって、運転手らは、担当車両の決定、とりわけ新車の配車につき重大な関心を示していたことが認められる。

2  配車慣行及び配車協定の存在

(一)  組合分裂前の配車慣行

証拠(甲一〇、原告田中)によれば、組合分裂前においては、新車をどの運転手に割り当てるかの配車基準については、原告組合、被告間に別段協定はなく、また被告においてあらかじめ明示して施行してきたような一定基準もなかったこと、ただ、これまでの事実上の取扱いにおいては、概ね各運転手の勤続年数、運転経験年数、運転技術、これまでの担当車歴、健康、勤務成績並びに事故回数及び内容などを比較考慮して、適当にある程度の序例を想定し、ランクがより上の者には、より上位の車両(新車を含め)を担当させる方法がとられていたこと、右諸事項の中では勤続年数、運転経験年数が大きな比重を占めていたこと、その結果が若干の例外を除き、現場運転手間において予想された互の序例におよそ一致する傾向にあったことが認められる。

(二)  配車協定の成立

証拠(甲一一、乙八、九、証人梶山、同梅田、同菊永)によれば、昭和三六年六月六日原告組合と被告は、地労委の斡旋により、昭和三六年の春闘妥結に伴う協定を締結し、その中で、配車に関し、請求原因3(二)(2)(イ)ないし(ハ)記載のとおりの合意をしたこと、その後、右基本協定に基づく細目協定の締結に向けて協議を重ねたが、右基本協定中の具体的な基準となる要素についての重要度、配分点数について、被告は、勤務年数は一〇点、諸規定の遵守を三〇点と主張し、原告組合はその逆の配分を主張して双方が譲らず、結局細目協定の締結にまでは至らなかったことが認められる。

3  配車差別

証拠(証人梅田、同梶山、同樋本、同渡辺、同山本)によれば、以下の事実が認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

(一)  新車の配車決定の手順

被告においては、老化した車の耐用年数、老朽化の状況により廃車を決定し、営業所の必要に応じ新車を配車割当てするが、本社(被告)から、新車の配車割当てを受けた営業所では、営業所長以下幹部職員で構成される管理者会議を開き、新車の割当台数に応じた担当者の候補を決定し、これを本社営業部に推薦上申し、本社では右の推薦された候補者について再度適格性を審査したうえ、取締役が最終的に新車の担当者を決定する。

(二)  営業所の推薦基準

各営業所においては、新車の担当者選考について明文化された基準を有していないが、年令、在籍年数、経験年数、勤務態度、服務状況、事故歴、臨時運行や時間外勤務等会社への協力度、車両の整備、保守の良し悪し等を考慮して選考している。

また原告組合員ら個々人については、運転手として優秀な者も含まれているし、特に問題とすべき点があったということもないが、前記協力度の点について、同じ臨時運行に協力するのであっても、積極的に協力するのと、しぶしぶ協力するのとでも、評価に差をつけている。

右の基準のうち、会社への協力度の点については、個々の運転手について具体的に判断するのではなく、日常業務の中で原告組合そのものについて協力度がないと評価しており、その前提で評価するため、原告組合員らは協力度が足りないと評価され、営業所からの推薦候補者にも上らないのが実状である。

(三)  本社の配車基準

各営業所から上申された新車担当候補者について、本社で最終的に審査、決定するのであるが、選考の基準としては、在籍年数、運転手歴(経験年数)、出退勤、事故回数、会社の諸規程に違反していないか等といった点もみるが、これらの基準は良いことが当然のことであるからあくまでも第二義的なものとなり、そもそも、会社が、合理化することにより生産性を上げ、従業員の待遇を改善し、会社の維持、向上を図るものであることから、会社の合理化に賛成している者であることが絶対の第一要件とされている。したがって、合理化して体質を改善することに積極的に協力する者と否とでは差がつくことになる。

原告組合についてみると、被告の経営状態、合理化の必要性を理解せず、原告組合は、ワンマンカー採用実施、電車の廃止、不採算路線の廃止、営業所の統廃合等の合理化政策に全て反対しており、したがって、これらに賛成する第二組合に所属する者と原告組合員との間では差がつくことになる。

右の観点から、原告組合員と第二組合員との間で具体的に取扱いに差が出てきたのは、昭和三八年八月のワンマンカー採用の後である。

(四)  具体的な配車の状況

(1) 別紙営業所別配車一覧表記載のとおり、昭和三八年から昭和六一年五月までの間に購入された(したがって新車として配車された)バスは少くとも四四四台あり、そのうち、原告組合所属の運転手が、同組合に所属中に配車されたのは、昭和三八年度の三台だけで、残りは第二組合の組合員に配車された(当事者間に争いがない)。

(2) 前記新車割当ての期間内に、第二組合から原告組合に移った後再び第二組合に戻った運転手について、その後成績が良くなったとして、畑尾昭一は昭和五四年に、松山滋は同五五年に、藤川和人は同五六年にそれぞれ新車が割り当てられている。

(五)  差別の有無

以上認定の事実から配車差別の有無につき判断する。

被告の配車割当ては、右認定した基準、配車の実施状況、被告の主張及び現に実施された配車実績等から、在籍年数、運転手歴、事故歴等々の客観的に点数評価しうる基準以上に、被告の合理化政策に理解を持ち、積極的に会社の方針に協力し、生産性の向上に努力する組合に属する運転手に優先的に新車を配車していることが認められる。

(1) そこで、先ず、右被告の基準自体について考えるに、被告が私企業である以上、経営の合理化に努め、生産性の向上を目指していることは当然のことであり、したがって、これに積極的に協力する運転手をしからざる者より優遇し、その一つの方策として、運転手間で極めて関心の強い新車の割当てについて、右協力的な者に優先的に配車しようとすることも当然のこととして肯ずることができる。

しかしながら、一方労働者及び労働組合は憲法上、法律上保障された団結権、団体行動権等の基本的な権利を有しているのであって、右の新車の配車方法が、差別性を有し、そのため労働者の基本的な権利を否定し去ることになる場合には、かかる配車方法は許されないといわなければならない。

これを本件についてみると、被告においては、前記労使関係の推移において認定したとおり、原告組合と被告間の長年にわたる闘争の歴史をふまえ、原告組合が、ツーマンバスからワンマンバスへの切替え、電車の廃止、営業所の統合といったような、時代の流れに則して求められる被告の合理化政策にことごとく反対していることからすると、生産性を上げるための貴重な資産であり、合理化の結果購入し得た新車を、いわば褒賞として与えるには、原告組合の組合員は適しないというのであるが、そうすると、原告運転手らにおいて、新車の配車を受けたいと考えるならば、勢い団結権、団体行動権或いは団体交渉権を放棄し、もしくはこれを行使しないでおくより他なくなり、このような結果を強制することは憲法その他の法の趣旨に照して許されないといわなければならず、かかる結果を招来する被告の基準はそれ自体差別性を有するものと認められ、したがって、同基準を適用してなされた配車は、現実に、昭和三八年に原告組合員には、三台配車されて以降全く新車を配車されていないという結果に照しても不当な差別になっていることが明らかである。

被告の主張するとおり、原告らの争議の目標が時代の趨勢に反するものであったとしても、被告としては、原告らの正当な争議権等の行使を尊重し、これによりもたらされる不利益はあえて甘受せざるを得ないものというべきである。

即ち、原告らが争議権等を行使することにより、被告の合理化が阻害されることがあったとしても、この点を原告らにとって減点の理由として扱うことは原告らの争議権等を否定することにつながり、不当に差別扱いすることになると認められるところ、前記認定のとおり、被告の合理化に対する協力度に重点を置き、原告らは協力度が低いとして新車担当者の推薦上申をしなかった営業所長及びこれを受けて昭和三九年以後全く原告運転手に新車を割り当てなかった被告は、原告運転手全員に対し、不当な差別による配車を行ったと認めるのが相当である。

(2) 右被告の配車方法の差別性は、前記昭和三六年以前の慣行に基づく配車基準或いは昭和三六年の配車協定に基づく、客観的な要素を主とする配車基準(実施のための細目が定まっておらず、各基準に対する配分点数を被告の主張とおり定めるとしても)に照して判断しても変るところはない。

(六)  証人梶山の証言によれば、ストライキは権利であるから、ストライキをしたことを捉えて不利益に差別扱いはしておらず、ストライキが平和的説得の限界を越えるような場合や、違法とまではいえないものの嫌がらせと思われるような行動、或いは合理化反対の争議行為以外にも、午前と午後のダブル勤務を、当日片方だけを拒否するとか、運番外、時間外の勤務や公休出勤を拒否したりするようなことがあるが、これらも長年の間には非協力ということで、差がつく理由となり、全体として原告組合は合理化に協力してくれないので新車も配車しない方針であるというのであるが、同証言によっても、右のような行動は昭和三〇年から四〇年にかけてのことであり、昭和五一年以降は懲戒処分の対象となるような行為は特にないということであるし、本件各証拠によっても、正当な争議行為の場合を除いて、原告らが特に非協力的であったことは認められず、他に前記不当な差別であるとの認定を覆すに足る証拠はない。

(七)  被告は、昭和三八年以降、原告組合がワンマンバス運行に移行することに反対し、ワンマンカー乗務に不可欠な協定やその具体的な実施要領(細目協定)の締結に反対していたため、原告組合員に新車を配車することは不可能であったと主張するが、被告は、原告組合員には同期間内にワンマンバスのみならずツーマンバスの新車も割り当てていないのであるし、同期間内の配車に当っては、ワンマンバス関係のみならず、原告組合の電車廃止に対する非協力ということが大きく考慮されたものと認められ、いずれにしても、被告が原告組合員に対して新車を配車しなかったことを合理化しうる事由とは認め難いものである。

四  責任

被告は、前叙のとおり、原告運転手に対して配車差別をなし、原告組合を第二組合に比して不利益に扱ったことが認められる。

右配車差別により、原告運転手は、労働内容を左右し、賃金にも反映する新車担当の期待権を奪われ、新車を担当できない者として、運転手仲間或いは社会において低い評価を受ける等して人格権を侵害されたこと、原告組合は、その構成員たる原告運転手が不当な差別を受け、第二組合の組合員より不利益に扱われることにより、団結権の基礎が揺がされ、原告組合が第二組合より不利益に扱われ、低い評価を与えられることにより組織の維持、発展が阻害され、憲法その他の法律により保障されている団結権が侵害され、原告らは後記損害を被ったことが認められる。

被告の右行為は、労働組合法七条一号に該当する不当労働行為であると共に、故意により、原告らの権利を侵害したものとして、民法七〇九条の不法行為を構成すると認められるので、被告はこれにより被った原告らの損害を賠償すべき責がある。

五  損害

(一)  原告運転手は、新車の配車を受けられなかったため、貸切業務にほとんど従事できなかったことの他第二組合の運転手に比べて収入の上らない運番につけられたため、収入が劣っている旨主張しているが、本件全証拠によるも、右現実に逸失した賃金相当の損害金は認められない。

しかしながら、原告組合代表者、原告田中によれば、原告運転手は、運転手にとっての、一種のステータスシンボルともいえる新車の割当てを受けられないことから、常に第二組合所属の運転手が使い古した自動車を担当させられることになり誇りを傷つけられ、日常生活においてもしかるべき評価を受けることができず、多大の人格的利益を毀損され、精神的損害を被ったことが認められる。

ところで、被告は、原告運転手がいつ新車を割り当てられるべきであったのかの具体的主張をしていないこと、第二組合所属の運転手で、一〇年以上の経験者でも、新車の割当てを受けたことがある者は六〇パーセントにも満たないので、原告らに損害は発生していない旨主張している。原告運転手が右の具体的主張、立証をしていないことはそのとおりであり、証人梅田の証言によれば、第二組合所属の運転手四三〇名中で、新車を割り当てられたことがある者は一八〇名であることが認められるが、原告運転手は、昭和三九年以降は全く新車を配車されていないのであるから、第二組合所属の組合員と対比し、新車の割当てが期待しうる別紙原告一覧表(二)の指数22以上の原告運転手については、原告組合に所属しているという以外の理由で新車の割当てが期待できない者であることにつき反証がない限り、原告運転手ら全員につき不法行為が成立し、損害があったものと認めるのが相当であるところ、被告において、原告運転手の個々人につき、新車の担当につき不適格であるとの主張、立証がなされていないので、右被告の主張は採用することができない。また、第二組合所属の運転手の中にも新車を割り当てられていない者があることは右認定のとおりであるが、その新車割当ての比率等は原告運転手の損害額の算定に当って考慮するのが相当である。

そうすると、原告運転手の損害額は、前記配車慣行、配車協定上の基準、特に新車の配車を受けられる期待度の大きさを表わすと認められる別紙原告一覧表(二)の指数の多寡に応じ、三段階に分け、昭和六一年六月一日現在の指数が二五以上の原告運転手については四〇万円、同二四以上二五未満の者については三〇万円、同二二以上二四未満の者については二〇万円と認めることができる。

(二)  原告組合は、合理的理由のない限り、第二組合より不利益な取扱いを受けない法律上の利益を有しているところ、被告による前記差別的取扱いをされ、労働組合固有の団結権を侵害され、組織の維持、拡大を図らんとする活動を妨害され損害を被ったことが認められ、右の損害は金銭的賠償に馴染むということができ、前記認定の諸事情を総合すると、損害額は一〇万円と認めるのが担当である。

六  結論

以上のとおりであり、原告らの本訴請求は、原告運転手につき、別紙原告一覧表(一)記載の各原告に対応する請求認容額及びこれに対する訴状送達の日(同表の原告田中昭夫から同袈裟丸實好及び原告組合)又はその翌日(同表の原告中島清一から同奥村勝利)であることが記録上明らかな同表記載の各原告に対応する遅延損害金の発生日から支払い済みまで、原告組合につき、一〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五七年六月四日から各支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるのでこれを認容し、この余の請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

山口地方裁判所下関支部第一部

(裁判長裁判官兒嶋雅昭 裁判官加賀山美都子 裁判官神山隆一は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官兒嶋雅昭)

別紙

原告一覧表 (一)

原告氏名

金額

(万円)

遅延損害金発生日

(昭和年月日)

田中 昭夫

四〇

五七・六・三

長岡 和男

四〇

同右

阿曽 健一

四〇

同右

岸本 定雄

四〇

同右

松田 一成

四〇

同右

紺藤 義雄

四〇

同右

山本  馨

四〇

同右

中村 柳治

四〇

同右

土井 慶一

四〇

同右

大下 静雄

四〇

同右

下村 繁人

四〇

同右

原田 敏幸

四〇

同右

福井 善光

四〇

同右

野村 孝利

四〇

同右

木本万寿夫

三〇

同右

空岡 義夫

四〇

同右

境 百合人

三〇

同右

佐々木 悟

四〇

同右

尾崎 清登

四〇

同右

滝村 史郎

四〇

同右

田代  淳

四〇

同右

林  文雄

四〇

同右

角谷 茂也

四〇

同右

雑賀  矢

四〇

同右

横田 健助

四〇

同右

中野  実

四〇

同右

岩目地泰孝

四〇

同右

中村  進

四〇

同右

小田 正司

三〇

同右

藤永 浩二

三〇

同右

豊鳴 信行

三〇

同右

峰永 宏正

三〇

同右

藤田 龍雄

三〇

同右

池本 喬治

三〇

同右

加藤  正

三〇

同右

鹿島 正美

三〇

同右

袈裟丸實好

三〇

同右

中島 清一

二〇

六一・七・二五

千羽 幸夫

二〇

同右

山本  賢

二〇

同右

井上 敬治

二〇

同右

山田 昭治

二〇

同右

豊島 幸行

二〇

同右

田村 健治

二〇

同右

奥村 勝利

二〇

同右

私鉄中国地方

労働組合

サンデン交通支部

一〇

五七・六・三

別紙

原告一覧表 (二)

S61.6.1現在

氏 名

生年月日

(昭和)

所属

営業所

指数

入社

年月日

運転手

登用年月日

支部

脱退日

支部

加入日

請求金額

(万円)

遅延損害金

発生日

田中 昭夫

6.10.30

新下関

36.8

23.2

26.4

300

昭和57年

6月3日

長岡 和男

6.8.5

長 門

35.6

23.9.1

28.1.21

37.2.5

47.5.1

300

阿曽 健一

6.3.1

小野田

35.4

24.9.7

27.4.16

300

岸本 定雄

6.7.15

小 月

34.7

24.12.14

29.10.11

300

松田 一成

7.8.8

小野田

34.2

24.1.15

30.4.15

300

紺藤 義雄

9.4.1

新下関

32.2

27.6

30.12

35.2.9

35.3.10

300

山本  馨

10.5.25

小 月

31.11

26.4.11

32.7.21

43.2.10

47.12.9

300

中村 柳治

9.9.23

小 月

31.9

26.9.10

32.7.21

300

土井 慶一

7.6.26

小野田

31.4

27.6.6

32.7.21

300

大下 静雄

9.1.2

川 棚

30.10

28.12.21

32.1

44.10.9

47.5.19

300

下村 繁人

5.6.21

彦 島

30.8

30.9.16

30.9.20

300

原田 敏幸

10.5.3

新下関

30.2

27.9

34.8

42.5.6

51.4.30

300

福井 善光

3.12.14

豊 田

25.11

31.4.16

31.4.16

43.1.25

49.3.2

(60.12退職)

300

野村 孝利

4.8.9

新下関

30.1

31.4.26

31.4.26

(長鉄より)

50.4.1

300

木本万寿夫

2.3.18

新下関

24.11

32.4

32.4

(57.6退職)

300

空岡 義夫

6.12.15

彦 島

29.1

32.4

32.4

300

堺 百合人

4.8.12

新下関

24.10

32.5

32.5

(60.8退職)

300

佐々木 悟

10.12.22

小野田

28.8

30.9.16

34.8.1

300

尾崎 清登

10.12.25

彦 島

28.6

30.12.5

34.9.3

300

滝村 史郎

5.11.4

小 月

28.5

32.12.25

32.12.25

(長鉄より)

50.4.1

300

田代  淳

10.9.11

長 門

28.2

28.7.11

37.10.6

34.12

49.8.1

300

林文  雄

5.5.13

新下関

28.2

33.3

33.3

300

角谷 茂也

9.5.23

新下関

27.6

28.7

39.3

48.2.6

300

雑賀  矢

11.4.19

新下関

26.11

30.3

38.8

300

横田 健助

14.2.14

彦 島

26.3

31.12.24

38.4.16

42.12.9

300

中野  実

9.1.16

豊 北

26.2

34.9.9

35.8

48.1.30

47.5.19

300

52.5.11

岩目地泰孝

14.3.21

彦 島

25.7

32.4.10

39.3.16

35.2.9

52.2.11

300

中村  進

12.5.25

長 門

25.7

33.10.15

37.10.16

38.9.26

300

小田 正司

11.7.7

新下関

24.9

30.12

42.4

200

藤永 浩二

12.12.21

新下関

24.7

31.4.26

42.4.16

43.1.10

35.4.9

200

46.8.22

豊嶋 信行

8.2.26

彦 島

24.5

28.3.3

45.9.25

200

峰永 宏正

13.1.29

小野田

24.5

32.4.10

41.7.1

41.6.3

200

藤田 龍雄

12.3.14

新下関

24.5

35.3

38.9

39.4.27

200

池本 喬治

11.7.11

小 月

24.4

34.9.9

39.5.16

35.2.1

47.5.11

200

加藤  正

11.7.20

新下関

24.4

34.11.16

34.11.16

35.12.9

42.9.4

39.4.22

52.2.24

200

鹿島 正美

12.5.16

新下関

24.4

34.11

39.3

39.4.27

200

袈裟丸實好

9.9.5

北 浦

24.0

37.5.10

37.5.10

43.6.2

42.8.12

44.7.14

200

昭和57年

6月3日

中島 清一

14.1.23

新下関

23.9

31.4.26

31.4.26

52.5.3

100

昭和61年

7月25日

千羽 幸夫

15.6.17

小 月

23.6

34.9.9

40.12.1

35.4

46.8.26

100

山本  賢

16.3.14

小 月

23.0

35.7.7

41.2.16

(長鉄より)

50.4.1

100

井上 敬治

11.4.11

小 月

22.8

38.9.2

38.9.2

(長鉄より)

50.4.1

100

山田 昭治

10.5.27

長 門

22.4

38.10.16

40.1

48.1.8

100

豊島 幸行

8.3.13

新下関

22.4

38.10.16

39.3

59.3.10

100

田村 健治

18.3.15

小 月

22.3

36.2.16

42.2.20

46.11.24

100

奥村 勝利

18.2.27

川 棚

22.2

36.2.16

42.3.6

47.5.10

100

私鉄中国地方

労働組合

サンデン

交通支部

500

昭和57年

6月3日

※ 指数

車掌経験年数 1年×0.5

運転手経験年数 1年×1

退職者の指数は甲49号証のとおり。

別紙一覧表(三)<省略>

別紙営業所配車一覧表<省略>

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