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山口地方裁判所岩国支部 平成5年(ワ)158号 判決 1996年10月31日

主文

一  被告らは、連帯して、原告甲野太郎に対し、金五五万円、原告甲野花子に対し、金五五万円、及びそれぞれに対する平成五年一二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一は被告らの負担とし、その余は原告らの負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求関係

(原告ら)

一 被告らは、連帯して、原告甲野太郎に対し、金二二〇万円、原告甲野花子に対し、金三二六万四〇〇〇円、及びそれぞれに対する平成四年一〇月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 訴訟費用は被告らの負担とする。

三 仮執行宣言

(被告ら)

一 原告らの請求を棄却する。

二 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  事案の概要

一  本件は、原告甲野太郎と同甲野花子とは夫婦であるが、原告太郎が、被告医療法人和会(前医療法人沖井病院)の被告沖井洋一医師から精管切断手術を受けたにもかかわらず、原告花子は妊娠し、やむなく中絶手術を受けるに至ったから、被告両名は、原告両名に対し、不法行為ないし債務不履行責任があり、これによって生じた原告両名の損害(慰謝料等)を賠償ないし支払う義務がある旨主張した事案である。

二  当事者間に争いのない事実

(当事者)

1 原告甲野太郎(以下原告太郎という)は現在三一歳の会社員であり、原告甲野花子(以下原告花子という)は現在三〇歳の主婦である。原告らは、昭和六〇年五月一八日に婚姻し、両者の間には長女春子(昭和六〇年一一月一七日生れ)、長男一郎(平成元年六月三日生れ)、次女夏子(平成三年八月四日生れ)の三人の子供がいる。

2 被告医療法人沖井病院(現、医療法人和会、以下被告沖井病院という)は病院を経営し、科学的かつ適正な医療を与えるとともに学術技術の向上を促進することを目的として設立され、病院を設置経営している。被告沖井洋一(以下被告沖井という)は被告沖井病院の代表理事であり、かつ同病院に勤務している医師である。

三  争点

本件は、<1>原告花子は、原告太郎と共に本件の契約当事者であるか、<2>被告らは、原告太郎につきなした本件精管切断手術につき、原告両名に対し、損害賠償責任があるか、<3>被告らに責任がある場合には、その損害額はいくらか、が争点である。

(原告の主張)

(一) 本件手術及び原告花子の妊娠、中絶の経緯

1 原告太郎は、平成四年一〇月二四日、被告沖井病院において、被告沖井から精管切断手術を受けた。原告太郎は、手術の際、被告沖井から術後の避妊についても説明を受け、手術後はまだ精子が体内に残っている可能性があるので始めのうちは避妊するように言われたが、避妊は一週間でよいということであった。又原告太郎は精子の漏出の検査をしなくてもよいのか被告沖井に説明を求めたが、しなくても大丈夫であるとの回答であった。

2 その後、同月三一日に抜糸し、同年一一月初め頃、原告太郎は避妊について被告沖井に念を押すべく電話で確認したところ、一週間避妊すれば後はもう普通の夫婦生活をしてもよいと言われた。

3 しかし、原告花子は同年一二月初旬頃から体調が悪くなり、生理が予定日になっても来ないうえ、気分が悪くなり、頭痛も生じたことから妊娠を疑い、妊娠検査薬で検査したところ、陽性の反応が出た。そこで、同月八日、原告太郎は被告沖井に対し、原告花子が妊娠したようだと告げると、被告沖井は原告太郎の精子の漏出の有無を検査するので来院して欲しいと言ったので、同月九日、原告太郎は被告沖井病院に赴き、精子漏出の有無について検査をしたところ、精子が漏出していることが判明した。その際、原告太郎は被告沖井に対し、原告らの家庭は三人も子供がいて、経済的に子供を産むわけにはいかないので人工妊娠中絶をしたいこと、原告花子は岩国市《番地略》所在の乙山産婦人科で妊娠中絶手術をすることを希望していること、並びに被告沖井から乙山産婦人科の乙山医師にこの状況を説明して欲しいことを伝えた。それに対し、被告沖井は妊娠が本当かどうかきちんと検査して欲しいと言ったので、同日、原告花子は乙山産婦人科で診察を受けたところ、妊娠二カ月であると診断された。

なお、原告太郎が手術を受ける前、原告太郎はコンドームを使用して避妊しており、原告花子の妊娠前の最終月経は原告太郎の手術後である同年一〇月二八日から一週間であったのであるから、手術前に原告花子が妊娠した可能性はない。

4 原告花子は、同月一七日、乙山産婦人科で妊娠中絶手術を受けた。手術前、原告花子は乙山医師から、今日のこの手術は流産したことにして保険を使うからと言われ、約四〇〇〇円の費用を乙山産婦人科に支払った。原告花子は、人工妊娠中絶手術後、同月一九日、乙山産婦人科に診察に行った時には、まだ少し出血があったが、その後は出血もなく身体的には完治した。

5 原告花子が人工妊娠中絶手術をした同年一二月一七日の夜、被告沖井から電話があり、原告太郎は妻の人工妊娠中絶手術が無事に終わったことを報告したが、それに対して被告沖井は「あっそうですか。」の一言だけであり、謝罪の言葉はもちろん、原告花子に対する慰藉の言葉もなかった。そして被告沖井は、「後で医学書を見たら、一カ月位は避妊した方がよいと書いてあった。」と自分の説明の誤り並びに不十分さを認める発言をした。

6 同年一二月中旬頃、原告太郎は被告沖井に対し、再生した箇所を調べて欲しいと言ったところ、被告沖井は、その再生した箇所を調べるのには体に激痛を伴い、とても辛い検査になるのでやめた方がいいし、検査をするのなら再手術をした方がよいと言い、まだ体内に精子が残っていたかもしれないのでもう少し様子を見てみようということになり、年が明けてもう一度検査に来るように原告太郎に指示した。その後、平成五年二月三日及び同年三月三日にも被告沖井病院において原告太郎は精子漏出の検査を受けたが、精子が漏出していることが確認された。同年三月初旬頃から、被告沖井から何回か電話があり、その度に精管切断手術の再手術を早くして欲しいこと及び今回の手術は岩国市《番地略》所在の廣中泌尿器科の廣中弘医師が担当することを告げられた。そして、同年四月一〇日、原告太郎は被告沖井病院において、被告沖井の立合いのもとで廣中医師が精管切断手術を行い、原告は被告沖井病院に一日入院した。同月一一日朝、被告沖井が原告太郎を回診した際、原告花子に迷惑をかけたからと言って茶封筒を置いて行き、中を見ると金三万円が入っていた。手術中、原告太郎は腰椎麻酔を受けていたが、被告沖井と廣中医師との会話で、初めの精管切断手術は再生しやすいとのやりとりを聞いた。また、手術後、再生術の内容についての説明は全くなかった。

7 原告太郎は、同月一七日、抜糸し、同月二八日、被告沖井病院において精子の漏出の有無の検査を受け、その結果精子の漏出は認められなかった。

(二) 被告らの責任

1 被告らの責任の根拠

<一> 被告沖井の責任

(1) 不法行為責任

被告沖井は、医師として、精管をもっと長く切断するなり、切断部に十分な手当を加えるなりして、適切な方法・処置により、精管が再開通しないように精管切断手術をする注意義務、手術内容等及び術後管理についての説明義務並びに手術後精子の漏出の有無を検査する義務を負っているにも拘らず、右義務を怠るという後記診療上の過失を犯し、そのため原告太郎に対し、再手術のやむなきに至らせるとともに、原告花子に対して、妊娠及び妊娠中絶のやむなきに至らせ、後述の損害を与えた。よって、被告沖井は、民法七〇九条に基づき不法行為責任を負い、後述する損害を賠償しなければならない。

<二> 被告沖井病院の責任

(1) 債務不履行責任

<1> 医療契約の締結

原告太郎と原告花子との間には、既に一男二女の子供をもうけており、以前にも原告花子は中絶したことがあって、それ以来原告らは中絶により人の生命を奪ったことに悩んでいたので、原告らは相談した結果、以後原告花子を妊娠させないために原告太郎が精管切断手術を受けることにした。

そこで、平成四年一〇月初め頃、原告らは、被告沖井病院との間で原告太郎が精管切断手術を受けることを内容とする医療契約を締結し、同月一九日、原告花子は被告沖井病院に対し、原告太郎が右手術を受けることに同意する旨の同意書を入れた。

<2> 本件医療契約の趣旨

原告らは、医学上の専門知識を有しない素人であり、精管切断手術を完全で失敗のない避妊方法と理解していたのであり、かつ子供はこれ以上もうける意思はなく、原告花子が以前妊娠中絶をしたことがあり、万が一避妊に失敗して原告花子が妊娠した場合に中絶することは極度に嫌忌した。そこで、原告らは、確実な避妊方法を望み、そのため敢えて他の簡便な避妊方法に比べて手術の苦痛を伴う精管切断手術を被告沖井病院に依頼したのである。従って、原告らは被告沖井病院に対し、完全な避妊方法として原告太郎に対する精管切断手術を依頼し、被告沖井病院も原告らが同様の趣旨で本件の精管切断手術を依頼していることは理解したうえで、本件精管切断手術の委託契約を締結した。

<3> 本件医療契約の当事者

原告太郎は、本件精管切断手術を受ける直接の当事者であるから本件精管切断手術の委託契約の当事者であることはもちろんであるが、避妊の問題は夫婦を単位として考えられ、家族計画のための不妊手術は夫婦間で子供をもうけないと決定を行うのであり、不妊手術を夫が受けるか妻が受けるかは手術方法の選択の問題とも言い得ること、不妊手術は優生保護法上本人及び配偶者の同意が必須要件とされていて、必ず配偶者も契約に関与することになっており、本件精管切断手術においても原告花子は本件手術に同意していることからすれば、原告花子も本件精管切断手術の委託契約の当事者である。すなわち、被告らは、前記<1>医療契約の締結の項の後段事実を認めているから、原告花子が本件の契約当事者であることは自明である。さらに、原告花子は、平成四年一〇月一〇日前後に電話で自ら被告沖井病院に申込をし、同月一九日に、自ら被告沖井病院を訪れ、本件手術の申込手続に必要な、原告太郎が本件手術を受けることの同意書を同病院に提出していることからすれば、原告花子も、正に本件精管切断手術の医療契約の当事者である。因みに、不妊手術の失敗による直接の大きな苦痛の甘受を余儀なくされるのは、不妊手術失敗による妊娠後の中絶手術を受ける「女性(配偶者)」であり、同人と不妊手術との利害関係は極めて密接かつ重大である。また、原告太郎ではなく、原告花子にお見舞金を出している。よって、かかる実態及び利益衡量並びに原告花子が現に精管切断手術契約の締結手続をなした本件の事実経過からしても、本件において、原告花子を精管切断手術の契約当事者の一人と認めるのが相当である。

<4> 被告沖井病院の履行補助者たる被告沖井は、後記不完全履行により、原告太郎に対して再手術のやむなきに至らせるとともに、原告花子に対して妊娠及び妊娠中絶のやむなきに至らせ、後述の損害を与えた。よって、被告沖井病院は、医療契約に基づく債務不履行責任により、原告らに対し、後述する損害を賠償する責任がある。

(2) 不法行為責任

被告沖井病院は、事業のために被告沖井を使用する者である。被告沖井は、被告沖井病院の事業の執行につき、後記診療上の過失により、原告太郎に対して再手術のやむなきに至らせるとともに、原告花子に対して妊娠及び妊娠中絶のやむなきに至らせた。よって、被告沖井病院は、使用者として被告沖井が原告らに与えた後述の損害につき、民法七一五条に基づく使用者責任がある。

2 診療上の過失

<一> 不完全な手術をしたことの過失

被告沖井が原告太郎に対して行った精管切断手術は、精子が漏出していたこと及び再手術を実施したことから明らかなように、精管が再開通するような不完全な手術であった。従って、被告沖井には、医師として、精管をもっと長く切断するなり、切断部に十分な手当を加えるなりして、適切な方法・処置により、精管が再開通しないように精管切断手術をする義務があるにもかかわらず、右義務を怠ったものである。以下詳述する。

(1) (精子の漏出)平成四年一二月九日の精液検査の時には、一視野に一〇数個の精子が認められ、同精子が活発に動いていたことが認められる。因みに、精管膨大部における残留精子の生存期間は、最長で二〇日間であるから、手術を実施した同年一〇月二四日から四六日も経過した同年一二月九日の術後最初の精液検査において、活動していた精子が認められたことは、手術後精管が再開通し精子が漏出していたことを証明するものに他ならない。また、「手術後七回の射精により射出精液中の精子はほとんど認められない」ことと、原告太郎が右一二月九日までに少なくとも一五回以上の射精を行っていることから、一二月九日の精子検査において精子が認められたことは、手術後の精管が再開通し精子が漏出していたことを裏付ける。

(2) 又、平成五年二月三日にも一視野に二、三個の精子が確認され、同年三月三日にも、一視野に一、二個の精子が確認されていることからしても、手術後精管が再開通し精子が漏出していたことは明白である。なお、被告沖井の供述によれば、いずれもほとんど非活動の精子であったとする。しかし、精子が活動しているか否かは、カルテに非活動との記載はないうえ、原告太郎の供述によれば、二月三日も三月三日にも観察した精子は動いていたのである。しかも、平成五年二月三日及び三月三日の検査の時には、原告太郎は自宅で精子を採取し、どちらかの時はコンドームに入れて、被告沖井病院へ持って行っているのであるから、仮に、純客観的に非活動の精子があったとしても、精子をコンドームに入れて被告沖井病院に持参したこともその一原因であると考えられる。因みに、コンドームの内側には精子に対して有害物質を含んでいて、精子の生存性や運動性を阻害し、採取後二から三時間でコンドーム内の精子はほとんど死滅してしまうことが多いのである。

(3) (不完全な手術)精管切断手術は、男性の精管を切断し、精子が漏出しないようにする避妊手術であるから、精管が再開通しないように、精管をもっと長く切断するなり、切断部の結紮をしっかりする等の適切な方法・処置により精管切断手術をすべきであったにもかかわらず、被告沖井病院及被告沖井はそれを怠ったものである。

被告沖井病院及び被告沖井が原告太郎に対して行った精管切断手術は、術後三回の精液検査においても精子が漏出していたこと及び再手術を実施したことから明らかなように、精管が再開通するような不完全な手術であったことは明らかである。

(4) また、被告沖井病院及び被告沖井の実施した精管切断手術が完全であるならば、再度の手術は不要であるはずであるが、被告沖井は再度の手術をするように原告太郎に勧め、しかも早くして欲しいと電話で催促していることも、本件精管切断手術が不完全であったことを裏付けるものである。

<二> 説明義務を怠った過失

(1) 手術内容等の説明義務を怠った過失

仮に、被告沖井に不完全な手術をしたことの過失がなく、本件で極めて稀に精管が自然に再開通したとしても、被告沖井は、精管切断手術を実施しても稀には精管が自然に再開通することもありうることは医師として当然知悉しているべきにもかかわらず、本件精管切断手術に当り、原告らに対し、その点について何も説明をしなかった。

(2) 術後管理についての説明義務違反の事実

「泌尿器科治療ハンドブック」によれば、精管切断手術の術後管理として、精管切断手術後一〇~一五回の射精を行わせ、術後四~六週間後に来院させ、陰嚢内容の検査とともに精液検査を行い、無精子であることを確認することが重要である。従って、少なくとも精液検査により無精子を確認するまでは避妊することを説明する義務があるにもかかわらず、被告沖井はこれを怠り、加えて原告太郎が再三避妊はどれくらいすれば大丈夫かとの質問に対し、十分な安全性を考慮すれば約二カ月は避妊処置が必要であるにもかかわらず、避妊は一週間でよいとの誤った説明をした。以下詳述する。

<1> 精管切断手術の術後管理として、精管切断手術後一〇~一五回の射精を行わせ、術後四~六週間後に来院させ、陰嚢内容の検査とともに精液検査を行い、無精子であることを確認しなければならないのであるから、少なくとも精液検査により無精子を確認するまでは避妊するよう指示する義務があるにもかかわらず被告沖井はこれを怠った。

<2> 加えて、原告太郎が再三避妊はどれくらいの期間すれば大丈夫かとの質問に対し、十分な安全性を考慮すれば約二カ月は避妊処置が必要で、かつ最終的には精子の不存在を顕微鏡で確認しなければならないのであるから、それらのことを回答・説明しなければならないにもかかわらず、避妊は一週間でよいとの誤った説明をした過失がある。

<3> この点、被告沖井は原告太郎に対し、最低四週間は避妊するようにとのみ説明したと主張する。但し、精子の不存在の確認をするための精液検査の必要性についての説明をしなかったことについては、被告らも認めている。しかし、術後の避妊期間が四週間であることの根拠は、極めて薄弱であり、被告沖井が、真実術後四週間の避妊を指示したか、極めて疑わしい。<イ>すなわち、被告沖井は、残留精子は、二〇日間位は生存するところから、余裕をもって四週間という説明をしていると供述する。しかも、被告沖井自身も、術後の避妊期間が四週間というのは、そもそも何らかの医学上の文献に基づくものではなく、昭和四三年から昭和四五年にかけて、被告沖井が広島記念病院で教えられたものであり、文献として最近読んだものでもないと供述する。<ロ>また、被告沖井は、術後の避妊期間について、確固として定説がないと供述する。<ハ>しかし、原告らが書証として提出した文献のみならず、被告ら自身が提出した文献においてさえも、術後の避妊期間は二カ月となっている<即ち、避妊期間としてはこれが医学上の定説であり、かつその避妊に加え術後の精液検査が不可欠で、精子の不存在を確認して初めて避妊期間が終了する。>のであって、術後の精液検査による精子の不存在確認をすることなく、避妊期間を四週間とするとの見解を示す文献は見当らないことから、広島記念病院で聞いたとの被告沖井の供述は、口から出まかせの感があり、到底措信し難い。むしろ、後に指摘する被告沖井の医学知識及び医療水準の低さ並びに避妊期間が原告らの最大の関心事項であったこと及びそれを原告らが二回も同じように聞き違えることは考えにくいこと等からすると、術後の避妊期間についての原告太郎への指示は、四週間ではなく一週間といったと考えるのが妥当である。<ニ>それでは、四週間の避妊期間というのはどういう根拠によるのかというと、原告花子の妊娠時期についての誤った医学知識に基づく弁解に基づくもの(原告花子の妊娠時期が平成四年一一月一四、一五日頃という被告沖井の認識に基づき、一一月中ごろの妊娠としてもカバーできる避妊期間として、術後四週間の弁解を言い出したもの)と推論できる。なお、被告沖井の「原告花子の妊娠時期についての医学知識」に誤りがあることについては、後述のごとく、原告花子が術後四週間を経過した後の性行為によって妊娠した(被告沖井のいう術後四週間の避妊を守っていたとしても、本件の原告花子の妊娠は避けられなかった)と認定できるのであるから、明らかである。

<三> 手術前後の精液検査を怠った過失

(1) 手術前後の精液検査の必要性

精管切断手術の術後管理として、精管切断手術後、一〇~一五回の射精を行わせ、術後四~六週間後に来院させ、陰嚢内容の検査とともに精液検査を行い、無精子であることを確認することが重要である。又、術後の精液変化の観察に参考となるので、術前に精液検査を必ず施行しなければならない。

(2) 本件精管切断手術における精液検査について

被告沖井病院及び被告沖井は、術前の精液検査は勿論、術後の精液検査も行っていない(被告沖井は精子漏出有無の検査義務がある)ことは明らかであり、精液検査を怠った過失がある。加えて、原告太郎が精子の漏出の有無を検査しなくてもよいのかと再三聞いたにもかかわらず、被告沖井は、精液の漏出の検査をしなくても大丈夫だといって、精子の漏出の有無についての検査の必要性を積極的に否定している。そして、被告沖井は、平成四年一二月七日、原告花子が妊娠したことを原告太郎から告げられ、原告太郎の精液検査をしてくれとの申出を受けて、初めて精液検査をするので来院するように原告太郎に指示し、翌日九日に精液検査を実施したものである。因みに、被告沖井が自分から精液検査をすると言ったのではなく、原告太郎からの申し出を受けて、精子の漏出の有無を検査したことは被告沖井自身も認めている。なお、被告沖井は、術後の精液検査をしなかった理由につき、残留精子の生存期間は三週間で、一週間の余裕をもたせているから四週間で大丈夫だと供述するが、避妊期間を四週間としている文献はなく、次に述べるように、避妊期間が四週間では妊娠の危険があり、現に、本件の原告花子の妊娠は、精管切断手術四週間後に生じたものである。

(3) 被告らの過失の重大性

病院は、診療契約に基づき、人の生命及び健康を管理する業務に従事する者として、危険防止のために経験上必要とされる最善の注意を尽くして患者の診療に当たる義務を負担したものというべきであり(最判昭三六・二・一六、小一民集一五-二-二四四)、精管切断・結紮手術方法では結紮部以外の精管内腔は開存したままであり、結紮により精管切端の壊死が発生すれば容易に精子溢流することに起因して、一般に再開通の危険がある(精管の切断・結紮のみによる本術式の精管自然再開通の頻度は一~三パーセントである)以上、術後の精液検査は不可欠であり、かかる基本的処置を知らないということは、被告沖井病院及び被告沖井の医療知識の未熟さ、医療水準の低さを裏付けるものであり、その過失は、極めて重大である。

3 原告花子の妊娠日の特定について

<一> 平成四年一二月一四日、原告花子は、乙山産婦人科において、妊娠二カ月と言われたが、一般に妊娠〇〇週間とか〇〇カ月という場合、妊娠期間は、最終月経初日から起算し、満の日数または満の週数(最終月経初日の翌日を妊娠一日とする)で表して計算するのであるから、最終月経初日から排卵・受精日の前日迄の非妊娠期間を含んだものである。そして、受精は性交とほぼ同時期か、少なくとも性交後数時間以内におこり、荻野によると、次回月経初日前の一二~一六日であるから、受精の起こり得る期間は、およそ予定月経前一四日前後である。月経周期(月経の始まった日を第一日目として、次の月経が始まる前日までの期間)は、個人差があるし、同じ女性でも、中絶手術後に生理不順になったり周期が変わったりするが、何日型ということとは関係なく、排卵の時期は、次の月経予定日から一二~一六日前であると推定できる。そこで、受精の起こる日を次回月経初日の一四日前の日とすれば、(最終月経初日から受精の前日までの期間)=(月経周期)-一四(日間)ということになり、原告花子の月経周期は三〇~三一日であるから、月経周期を三〇日(三一日)とすると、「最終月経初日から受精前日までの期間」は一六日間(一七日間)である。そうすると、(妊娠判定日から受精日までの日数)=(妊娠期間)-(最終月経初日から受精前日までの期間)<妊娠判定日は不算入>で表されることになるから、原告花子の場合は、(妊娠判定日から受精までの日数)=(妊娠期間)-一六日間(又は一七日間)となる。この点、被告沖井は、妊娠反応が陽性と出た平成四年一二月一四日の時点において、妊娠四週間か五週間と認め、右時点から受胎までの日数は、妊娠期間と同じ期間と考えて、右時点から四週間遡って、受胎の日を特定すると供述している。しかし、この考えは妊娠期間というものが、最終月経初日から起算することすなわち最終月経初日から約二週間(原告花子の場合の右計算では一六日間又は一七日間)は、排卵がなく受精することがありえず、妊娠しえないことを看過するもので、医師としての常識が欠落していることは明らかである。従って、平成四年一一月一四日、一五日頃、受胎したとする被告沖井の供述は、明らかな誤りである。むしろ、被告沖井の「妊娠反応が陽性と出た平成四年一二月一四日の時点において、妊娠四週間か五週間」という前提で計算すると、最終月経初日から約二週間(原告花子の場合の右計算では一六日間又は一七日間)は、排卵がなく受精することがありえず、妊娠しえないのであるから、後述するごとく、原告花子の受精・妊娠日は一一月末ごろになる。

<二> 次に、原告花子の妊娠検査の結果から、受精すなわち性交の時期を特定すると、以下のとおりになる。

(1) 市販の妊娠判定薬による受精(性交)の特定

平成四年一二月七日、原告花子は、市販の妊娠判定薬によって、妊娠反応が陽性と出た。ところで、原告花子の使用した市販の妊娠判定薬は、プレディクターあるいはプレディクターAという薬で、尿中のhCGが一リットル中五〇単位で陽性になるのである。そして、尿中のhCGが一リットル中二〇~五〇単位の検出感度では、妊娠四週〇日(二八日)で、陽性反応が出るのである。従って、平成四年一二月七日に、最も早期に妊娠が判定できたとすると、妊娠判定日から受精までの期間は、二八日間から一六日(又は一七日)間を引くと、一二日(又は一一日)間となるから、受精の時期は妊娠判定日の一二日(又は一一日)前である平成四年一一月二五日(又は一一月二六日)である。仮に、二八日型を標準として妊娠検出感度が妊娠四週〇日とされているとしても、二八日間から一四日間を差し引くと一四日間となるので、受精時期は一一月二三日となる。

(2) 乙山産婦人科の尿検査による受精(性交)時期の特定

平成四年一二月九日、乙山産婦人科において、尿検査による妊娠反応は陰性であったが、同月一四日に実施された尿検査においては、妊娠反応は陽性であった。そして、乙山産婦人科で実施された尿検査は、尿中のhCGが一リットル中、一〇〇〇単位の検出感度である。一方、妊娠検査薬が、尿中のhCGが一リットル中、一〇〇〇単位の検出感度では、妊娠五週〇日(三五日)で、陽性反応が出るのである。従って、妊娠判定日から受精までの期間は、三五日間から一六日(又は一七日)間を引いた一九日(又は一八日)間であるから、受精時期は、

<1> 同月一四日に陽性反応が初めて出たとすると、妊娠判定日(一二月一四日)の一九日(又は一八日)前の平成四年一一月二五日(一一月二六日)である。仮に、二八日型を標準として妊娠検出感度が妊娠五週〇日とされているとしても、二八日間から一四日間を差し引くと一四日間となるので、妊娠判定日から受精までの期間は、三五日間から一四日間を差し引いた二一日間となる。よって、受精時期は、妊娠判定日(一二月一四日)から二一日前の一一月二三日となる。

<2> 更に、被告らに最も有利に考えて、妊娠判定が陰性であった平成四年一二月九日の翌日の一〇日に陽性反応が出たと仮定すると、妊娠判定日(一二月一〇日)の一九日(又は一八日)前の平成四年一一月二一日(一一月二二日)である。仮に、二八日型を標準として妊娠検出感度が妊娠五週〇日とされているとしても、二八日間から一四日間を差し引くと一四日間となるので、同様に計算すると、受精時期は一一月一九日となる。よって、乙山産婦人科の尿検査による妊娠判定においては、受精(性交)の時期は、平成四年一一月二一日~同月二六日の間であると特定できる。仮に、二八日型で考えると、乙山産婦人科の尿検査による妊娠判定においては、受精(性交)の時期は、平成四年一一月一九日~同月二三日の間であると特定できる。

なお、原告花子の妊娠と妊娠期間につき混乱があるのは乙山医師の方である。

(3) 超音波検査による受精(性交)時期の特定

乙山産婦人科での経膣の超音波検査について、一二月九日の検査では胎嚢(GS)は見られなかったが、同月一四日の検査では、胎嚢は八・四ミリメートルあった。推定妊娠換算表によると、胎嚢の最大径が一・〇センチメートル以上についてしか、記載がないが、最大径が一・〇~二・〇センチメートルの範囲で見ると、〇・一センチメートルで、約一日違うことから、胎嚢の最大径が〇・八四センチメートルの時の妊娠期間は、四週間三日か四週間四日であると推定できる。被告沖井も、超音波検査の胎児の大きさからして、その時点で胎児は四週間か五週間かそれくらいの胎児だと供述しており、被告沖井自身も右事実を認めているのである。よって、妊娠判定が陽性の日から受精までの期間は、四週間三日(三一日)あるいは四週間四日(三二日)から一六日(又は一七日)間を引いた、一五日(又は一四日)あるいは一六日(又は一五日)であるから、受精の時期は、妊娠判定日の一五日(又は一四日)あるいは一六日(又は一五日)前の平成四年一一月二九日(又は三〇日)あるいは一一月二八日(又は二九日)である。そして、推定妊娠換算表の誤差を考慮すれば、前述のごとく〇・一センチメートルで、約一日違うことから、胎嚢の最大径が〇・八四センチメートルの時の妊娠期間の誤差は、「四週間〇日(二八日)から五週〇日(三五日)」あるいは「四週間一日(二九日)から五週一日(三六日)」である。よって、妊娠判定が陽性の日から受精までの期間は、前記〇・八四センチメートルのときの妊娠期間の誤差から一六日(又は一七日)間を引いた、「一二日(又は一一日)から一九日(又は一八日)」あるいは「一三日(又は一二日)から二〇日(一九日)」であるから、受精の時期は、妊娠判定日の「一二日(又は一一日)前から一九日(又は一八日)前」あるいは「一三日(又は一二日)前から二〇日(又は一九日)前」の「平成四年一二月二日(又は一二月三日)から一一月二五日(又は一一月二六日)」あるいは「一二月一日(又は一二月二日)から一一月二四日(又は一一月二五日)」である。

仮に、推定妊娠週数換算表が月経周期が二八日型のものを標準に作られているとしたとしても、妊娠判定が陽性の日から受精までの期間は、四週間三日(三一日)あるいは四週間四日(三二日)から一四日間を引いた、一七日あるいは一八日であるから、受精の時期は、妊娠判定日の一七日あるいは一八日前の平成四年一一月二七日あるいは二六日である。そして、推定妊娠換算表の誤差を考慮すれば、前述のごとく〇・一センチメートルで、約一日違うことから、胎嚢の最大径が〇・八四センチメートルのときの妊娠期間の誤差は、「四週間〇日(二八日)から五週〇日(三五日)」あるいは「四週間一日(二九日)から五週一日(三六日)」である。よって、妊娠判定が陽性の日から受精までの期間は、前記〇・八四センチメートルのときの妊娠期間の誤差から一四日間を引いた、「一四日から二一日」あるいは「一五日から二二日」であるから、受精の時期は、妊娠判定日の「一四日前から二一日前」あるいは「一五日前から二二日前」の「平成四年一一月三〇日から一一月二三日」あるいは「一一月二九日から一一月二二日」である。

(4) この妊娠時期の特定については、<1>市販の妊娠検査薬、<2>乙山産婦人科の妊娠検査薬、<3>胎嚢の大きさの検査と三種類あるが、誤差率についての表記があるのは<3>の胎嚢の大きさの検査だけであるし、<1>、<2>の検査は、何月何日以前に妊娠していると言うことが判るだけで妊娠日の特定が不十分であり、<3>の検査は、胎嚢が一センチメートル前後は個人(体)差がなく正確であると言う乙山証言からすれば、妊娠日の特定には、<3>の胎嚢の大きさの検査が最も信頼度が高いと考えられるので、それを中心に、<1>、<2>を考慮して判断するのが妥当である。

以上からすると、超音波による胎嚢検査における推定妊娠週数換算表が、仮に月経周期が二八日型のものを標準に作られていたとしても、受精時期は、平成四年一一月二六日(又は一一月二七日)であり、右換算表の誤差を考慮しても、受精時期は一一月二二日以降である。又、市販の尿検査及び乙山産婦人科の尿検査による妊娠反応結果からは、遅くとも平成四年一一月二六日以前であることが認められる。よって、受精したと推定される期間は、平成四年一一月二二日から同月二六日ということになる。又、受精と性交の時期はほぼ重なることから、原告花子の精管切断手術後の妊娠に至った性交は、平成四年一一月二二日から同月二六日ということになり、一一月二二日は本件精管切断手術後、二九日後であり、同月二六日は、手術後三三日後である。

以上につき、結局、受精の時期は、次のとおりとなる。

三〇日型・三一日型・二八日型

<1>市販検査薬・11/25以前・11/26以前・11/23以前

<2>乙山検査薬(12/9未妊娠)・11/25以前(11/20以前未受精)・11/26以前(11/21以前未受精)・11/23以前(11/18以前未受精)

<3>胎嚢・11/28か11/29・11/29か11/30・11/26か11/27

(誤差)・11/24~12/4・11/25~12/5・11/22~12/2

<三> そうすると、本件は、手術後四週間後の性交によって、妊娠したと考えられる。すなわち、仮に被告沖井が原告らに対し、避妊期間は術後四週間との説明をしたとしても、本件においては、原告花子は、原告太郎との術後四週間後の性交によって、妊娠したものであって、被告沖井の説明を守っていたとしても、原告花子は妊娠していたものである。

<四> 以上の点は、精子の数と妊娠可能性からも、裏付けられる。すなわち、

<1> 顕微鏡の一視野に見える精子の数と精子の濃度との関係について、被告沖井は、四〇〇倍の顕微鏡で、精液一ミリリットル当たり三〇〇〇万個で一視野に一五〇個位であると供述するが、そうすると、一視野の一匹が精液一ミリリットル当り二〇万個の濃度ということになる。しかし、同じ四〇〇倍の倍率で、大体一視野の一匹が一ミリリットル当り一〇〇万個の濃度に当るのであるから、被告沖井のこの点に関する供述は明らかに誤りである。そして、平成四年一二月九日の時点で、原告太郎の精子は、一視野に一〇数個見られたのであるから、原告太郎の右時点においても、精子濃度は一ミリリットル当り一千数百万個(仮に二割引とみても一千万個程度である)ということになる。

<2> また、被告沖井は、一シーシーで五千万個を割ると、男性不妊症の疑いが一応出て、一シーシーで三千万個だと一応不能と考えられていると供述する。しかし、妊娠成立した精子濃度の限界は、自然妊娠で一ミリリットル当り五百万個であって、一ミリリットル当り三千万個以上で妊娠成立がぐっと増えるとされている。そして、平成四年一二月九日時点においても、原告太郎の精子濃度は右限界を優に越えており、妊娠可能である。この点、被告沖井は、平成四年一二月九日の時点での原告太郎の精液の濃度では通常であれば妊娠しないとするが、誤りである。因みに、一般には、妊娠の可能性がやや少ないかもしれないが、本件では、現に原告花子が妊娠したことは争いのない事実である。

4 被告らの過失行為と原告花子の妊娠、中絶との因果関係

被告沖井病院及び被告沖井の過失行為により、原告花子は妊娠し、右時点で原告らには既に三人の子供がいたので、中絶せざるを得ず、被告らの過失行為により、原告花子が妊娠し、中絶したことは明らかである。換言すると、原告花子の妊娠と被告らの本件手術の失敗との間には優に因果関係が認められるので、そのために原告花子が妊娠中絶を余儀なくされたことも、被告らの本件手術の失敗と相当因果関係がある。

(三) 原告らの被った損害

1 原告太郎について

<一> 慰謝料 金二〇〇万円

原告太郎は、原告花子の妊娠を全く予期していなかったうえ、精管切断手術までして原告花子の妊娠することを防止しようとしたが、その目的を達せず、自分の子供を殺すに等しいとあれだけ嫌忌していた妊娠中絶手術を原告花子に受けさせなければならなかったこと、及び二度も身体への侵襲を伴う精管切断手術を受けなければならなかったことの精神的・肉体的衝撃は極めて大きい。これらの苦痛を慰藉するには、金二〇〇万円の慰謝料が相当である。

<二> 弁護士費用 金二〇万円

原告太郎の被った損害の一割の金二〇万円が相当である。

2 原告花子について

<一> 慰謝料 金三〇〇万円

原告花子は、夫の原告太郎の精管切断手術により、もう妊娠することはないと信じていたところ、体調がすぐれないことから、妊娠を疑い、検査により妊娠を知ったときの動揺及び妊娠中絶しなければならないと思ったときのショックは言うまでもない。

そして、原告太郎とともに嫌忌していた「自分の子供を殺すに等しい妊娠中絶手術」を受けざるを得なかった精神的・肉体的苦痛は極めて大きく、これらを慰藉するには金三〇〇万円を下らない金額の慰謝料が相当である。

<二> 人工妊娠中絶費用 金四〇〇〇円

<三> 損害の填補 金三万円

<四> 弁護士費用 金二九万円

原告花子の被った損害として、<一>及び<二>の合計金三〇〇万四〇〇〇円から、<三>の金三万円を控除した金二九七万四〇〇〇円の一割である金二九万(一万円未満切捨て)が相当である。

(四) よって、原告太郎は、被告沖井病院に対しては債務不履行または民法七一五条に基づき、被告沖井に対しては民法七〇九条に基づき、連帯して前記損害金二二〇万円、原告花子は、被告沖井病院に対しては債務不履行または民法七一五条に基づき、被告沖井に対しては民法七〇九条に基づき、連帯して前記損害金三二六万四〇〇〇円及び各々に対する本訴状送達の日の翌日(平成五年一二月一〇日)または不法行為の日である平成四年一〇月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(被告らの、原告ら主張に対する認否、反論)

(一)1 原告らの主張(一)1中、被告沖井が「避妊は一週間でよい」と言ったとの点、及び精子の漏出の検査につき「しなくても大丈夫である」と回答したとの点は否認し、その余は認め、同2は否認し、同3は認め、同4は不知、同5は否認(但し、乙山医師から手術が無事に終った報告を受け、お見舞の電話をした事は認める)し、同6中、「手術中、原告太郎は腰椎麻酔を受けていたが、被告沖井と廣中医師との会話で、初めの精管切断手術は再生しやすいとのやりとりを聞いた。」との点は否認し、その余は認め(なお、金三万円を原告太郎に渡したのは、原告らから第三者(稲本県会議員)を介して「再手術をして欲しい。いくらかの見舞金を出して欲しい。」との要求があったためであり、初めの手術料相当額を渡したものである)、同7は認める。

2 原告らの主張(二)中、<二>(1)<1>中後段は認め、<三>(2)中被告沖井は精管切断手術後精子漏出の有無を検査する義務があり、被告沖井は、平成四年一二月八日、原告花子が妊娠したことを原告太郎から告げられて初めて精液検査をするので来院するように原告太郎に指示し、翌日九日に精液検査を実施したものである。そして、原告太郎からの申し出により精子の漏出の有無を検査していることは認め、その余の同主張は、不知ないし否認する。

3 原告の主張(三)は、否認ないし争う。

(二) 被告沖井病院は、昭和五〇年一〇月六日、被告沖井医師を理事長として設立された医療法人である。被告沖井病院は昭和一四年、被告沖井の父、沖井磯吉により開設されたものであり、被告沖井(神戸医科大学卆)は、昭和三七年一二月に医師国家試験に合格し、同三七年四月、広島大学病院第一外科、同四二年七月、広島記念病院外科勤務を経て同四五年六月、被告沖井病院副院長、同五七年四月、同病院院長兼医療法人理事長となり現在に至る。被告沖井病院は、所在地において医師三名を擁し、外科・麻酔科・胃腸科を標榜する病院で、病床三二床、看護婦二名、准看護婦(士)一一名、看護助手四名、栄養士一名、事務職員等一一名の計三二名の員数で構成され、鉄筋コンクリート一部四階建の病院の一階は外来・事務・厨房、二階は手術室・病室、三階は病室等の間取りの施設を有する。

(三) 医療契約の当事者について

1 原告花子の当事者性

医的侵襲は、患者の承諾によって違法性が阻却されるが、その承諾は十分理解した上でなされなければならず、不十分な説明は患者の承諾を無効とし、医師側は不法行為責任を負うとの説もあるが、同説によっても本件原告太郎の承諾は、説明内容、手術方法自体においても十分理解したうえでなされており、これに該当しない。従って、被告らに不法行為の成立する余地はなく、契約関係にない配偶者である原告花子に対する被告沖井病院に責任が発生する余地はない。

2 「原告花子が、医療契約の当事者である」と被告らが「自白」の答弁をした事実はない。原告らは、「本件医療契約の当事者」としての原告花子の立場を主張しているのであり、これに対して、被告らは「原告花子が契約当事者との点は争う」と明確に答弁している。原告太郎が受ける本件手術につき、原告花子が同意書を提出したことあるいは重大な利害関係があることが、契約関係を生ぜしめる根拠には成り得ない。

(四) 精管切断手術(あるいは精管結紮術ともいう)は、優生保護法三条にいう医師の認定による優生手術のひとつであり、配偶者の同意及び該当性を斟酌して実施するものである。被告沖井医師は、昭和四二年頃から、本件同様に配偶者の同意を得て、同様の手技・手術法で毎年二~三例程度施術しており、総計五〇例以上経験しているが、今回の如き例は無論、初めてである。

(五) 診療の経緯

1 (手術の申込と承諾)

平成四年一〇月一九日、原告太郎は被告沖井病院において、原告花子の同意の下、被告沖井病院に精管結紮術の施術の申し込みをし、被告病院は同二四日に手術することとした。

2 (手術の実施)

同一〇月二四日午前一〇時頃、原告太郎は一人で被告沖井病院を訪れ、一階受付にて問診票に記入をし、二階手術室へ入室した。当日、手術室では、介護看護婦として西村二三枝准看護婦が術前準備、剃毛をした。午前一〇時三〇~四〇分頃、被告沖井がキシロカインで浸潤麻酔を行ない、手術を開始した。局部麻酔で実施するため、手術前後にわたり、被告沖井は原告太郎に話しかけ(問診)を行ない、家族構成、生殖を不能にする手術の必要程度等を聞き出し、手術後、イセパシン(抗生物質)の筋注をするとともに、原告太郎に切除した左右の精管(一センチメートル程度)を示したうえ「残留精子による妊娠の可能性があること。したがって、術後最低四週間は避妊が必要であること」を説明するとともに「睾丸痛もあること。稀に自然再開通もあること」を話し、術後の経過観察が必要であるため通院を指示したものである。なお、精管の再開通による精子の漏出の有無の検査の必要性については、その時は説明していない。

手術は一時間くらいで終了し、原告太郎は午前一一時三〇~四〇分頃、手術室から退出した。又、タリビット(内服・・抗生物質)、セデス(内服・・鎮痛剤)を院外処方した。

3 (術後の経過)

一〇月二六日 被告沖井が診察のうえ、消毒、ガーゼ交換。術後経過良好。

一〇月二八日 右同

一〇月三一日 新原主計医師が診察のうえ、消毒、ガーゼ交換。抜糸する。術後経過良好。

一一月三日 被告沖井が診察のうえ、消毒、ガーゼ交換。術後経過良好。以後、通院の必要性を認めない。

4 (原告花子の妊娠)

一二月八日頃、被告沖井病院に原告太郎から原告花子が妊娠したようであるとの電話連絡があり、精管の再開通を危惧し、念のため精子漏出の検査をすることにし、同一二月九日、原告太郎の精液を顕微鏡検査をしたが、一視野に一〇数個の精子が認められたのみであった。ちなみに、この程度の精子数では妊娠の可能性はないし、手術後、精管が再開通したものと判断できず、むしろ残留精子によると考えられるため、避妊をしていたか尋ねたが原告太郎は言を左右にした。

このため、被告沖井は原告太郎に対し、妊娠する可能性はないが念のため避妊するように申し向けるとともに、翌二月頃に再検査を勧めたが、同人は精管の再開通の有無の検査を希望したため、再開通の有無の検査であれば、精管に造影剤を注入したレントゲン撮影となり、苦痛を伴うので再手術の方がよい旨説明した(その後、一二月一七日~八日頃、原告花子の妊娠が確認された)。

平成五年二月三日、精液の顕微鏡検査をしたところ、一視野に二~三個の精子(非活動)を確認し、被告沖井は、再開通はなく再開通の有無の検査は必要ない旨説明したが、原告太郎の検査要求は強く、結局、時期を見て再手術する旨の話をした。同五年三月三日、精液の顕微鏡検査をしたところ、一視野に一~二個の精子(非活動)を確認し、なお、精管が再開通していること(不完全な手術であったこと)への原告太郎の疑念が強く、再手術をすることを決定した。同五年四月一〇日、被告沖井病院において、廣中弘医師(泌尿器科開業医)の執刀のもと再手術を行なった。なお、今回、腰椎麻酔を選択したのは、前回、原告太郎の手術時間が同人の身体的緊張のため、通常より長くかかったことによる。同五年四月二八日、精液の顕微鏡検査をしたところ、一視野に精子を全く認めなかった。

5 再手術後一八日目で精子を全く認めない状況となったことは、再手術を通常の一回目の精管切断手術の実施と考える(再開通であれば、一回目と同様である)と日数的に不自然である。即ち、残留精子は個人差も存するが約二〇日は生存し、手術後射精の毎に漸減し、三~五カ月で精子が全く確認されない状態となる。従って、本件においては、先の手術(平成四年一〇月二四日)が不完全であった事実はないし、再開通による精子漏出の有無の検査を術後四~六週間後に行わなかったこと、あるいは検査の必要性を説明しなかったことによる被告沖井の過失はない。

(六) 本件の争点(説明義務違反との点)

原告花子の最終月経が平成四年一〇月二八日から一週間であったこと、乙山産婦人科で妊娠中絶手術を受けた当時、妊娠第四週であったと考えられていることを前提とすれば、一一月一五~一七日頃、妊娠したことになり、それ以前の性交渉で受胎したことになる。そうすると、原告太郎の手術(一〇月二四日)から、三週間以内ということになる、原告太郎の主張は、被告沖井が避妊は術後一週間でよいと誤って言ったため、避妊することなく性交渉をなし原告花子を妊娠させたかの如きであるが、

1 被告沖井が「一週間でよい」と説明するいわれが全くない。

2 原告太郎によれば、被告沖井が残留精子の説明をしながら一週間でよいと述べたうえ、さらに一一月初め頃、原告太郎が念を押すべく電話した(かかる事実はないが)ところ、再び一週間でよいと説明したという。さらには、手術後、原告太郎の精子の漏出検査をしなくてよいかとの問いに、しなくても大丈夫であると被告沖井が答えたという(かかる事実はないが)。

そうだとすると、残留精子による妊娠の可能性を説明した被告沖井が、わざわざ漏出検査も不要としたうえ、あえて一週間という短期間の避妊を原告太郎の念押し(不安・疑問)にもかかわらず指示し、その結果、原告太郎も不安・疑問にもかかわらず、あえて避妊することなく性交渉したことになる。被告沖井がわざわざ原告太郎にかぎって、かかる説明をしたとすること自体、不自然極まりない。

3 ちなみに、残留精子を予想したとき、一週間の避妊で足りるとの説明が医師の常識のみならず、一般人の常識からにも反し不自然であり、五〇例以上の手術経験を有し、かつ、事故の報告を受けたことがない被告沖井がかかる説明をするはずもない。

(七) 以上の事実を総合すると、本件は、原告太郎が被告沖井の避妊期間についての説明を充分聞いていなかったか、誤解し、あるいは切除された精管を見て勝手に思い込んで、手術後三週間以内の時点で避妊することなく原告花子と性交渉をもち、同女が妊娠に至ったと考えるのが自然である。

(八) さらに、補充する。

1 被告沖井病院の契約責任の有無は、本件の精管切断手術の委託契約の趣旨とも関連するので検討する。

被告沖井病院の履行補助者たる被告沖井は、手術前後に原告太郎から、家族構成、生殖を不能にする手術の必要程度を聞き、さらに手術方法を説明し、又、残留精子による妊娠の可能性、術後最低四週間の避妊の必要性、睾丸痛の発生、自然再開通の可能性を原告太郎に説明している。

(1) 手術内容等(手術の前提としての承諾)についての説明義務違反との点について

一般的に医療契約に基づく、医師の患者に対する説明義務の内容は、当該医療行為の種別・内容やその必要性及びこれに伴う危険性の程度、緊急性の有無等によって異なるものであり、これらを総合勘案して説明義務の有無及びその程度が決定されると解される。本件のような精管結紮術の場合には、これを実施しなければ、患者の健康上支障を生ずるという性質のものではなく、ただ患者及びその家族の生活設計のため、避妊という目的を達成するのに必要な限度で行われるものであるから、患者が本件手術を希望した場合には、専門家である医師側とすれば、手術の方法、余後及び手術の確実性等を説明し、患者がこれらを考慮して、なお手術の実施を求めるか否かを決定することができるようにする義務がある。被告沖井が、右説明義務を怠った事実はない。

(2) 術後管理(治療上)の説明義務違反との点について

患者の当該手術選択の意思自体には欠缺はないが、手術後も付加的避妊措置を講じるよう指導するという治療上の説明義務について、被告沖井は術後最低四週間の避妊の必要性、自然再開通の可能性を説明しているが、残留精子の有無についての検査、精管再開通による精子漏出の有無の検査等の必要性については説明していない。しかし、本件は、右説明がなかったことにより残留精子あるいは精管再開通により、原告花子の妊娠が生じたものではない。原告太郎が、被告沖井の説明を聞かず、あるいは安易に理解したとして、適切な避妊措置を講じなかったことによるものである。

2 被告沖井の手術方法自体の過失について

原告らは、この点につき、精管をもっと長く切断するなり、切断部に十分な手当を加えるなりして、適切な方法・処置により、精管が再開通しないように手術する義務があったと主張するが、被告沖井の実施した精管の二か所を結紮してその間を切除する方法は、医学上、一般的に是認されているものであり、手術方法としてそれ自体に当然に過失があったというものではない。

3 不完全な手術をしたとの点については、同手術後精管が再開通した事実はなく、全く理由がない(後の検査の結果、精子数が明らかに減少しているからである)。手術前後に被告沖井が精液検査をしなかった事実は、被告らはこれを認めているものであるが、これをしなかったことにより、原告花子の妊娠という結果が生じたものではない。要は、術後四週間という避妊期間についての被告沖井の説明を原告太郎が真摯に受けとめて守っていたかどうかの問題である。原告らは、この点に関し、避妊期間は一週間でよい旨被告沖井が説明したと述べ、かつ、一一月初め頃、念を押すべく電話で確認したと主張する。しかし、原告太郎は、「術後一週間」と被告沖井から言われたと述べ、原告花子は、「抜糸後一週間」と原告太郎から聞かされたと述べる。そして、抜糸後一週間程度経過して、後に述べるとおり実際に受精(妊娠)しているのである。しかし、被告沖井が、「術後一週間でよい」と説明したのであれば、何故それを信じることなく術後一一~一二日を経過した後に、再度電話で確認をしたのか、又、確認の結果、「術後一週間でよい」と言われたのであれば、何故それを再び信じることなく、避妊して性交渉をしたのか疑問である。事実は、原告太郎が、被告沖井の説明を無視あるいは忘却し、勝手に術後一週間程度で大丈夫と思い込み、原告花子に話をし、花子の抜糸後一週間ではないかとの不安を受け、抜糸後一週間を経過した一一月八日頃から、避妊することなく性交渉を持ち続け、一一月一〇~一四日頃の間に受精したこと明白である。

4 原告花子の受精時期について

原告らの受精可能日に関する主張は全く誤りである。妊娠日の推定表は一見して矛盾は明白である。最新産科学の二枚目裏の受精可能の時期の説明からも明らかなように「排卵の時期は次回月経初日の前一二~一六日であり、受精の起こり得る期間はおよそ予定月経前一四日前後と推定されうる」のである。原告花子の月経周期からは、一〇月二八日が最終月経の初日であれば、予定月経は三〇日周期として一一月二六日であり、排卵の時期は一一月一〇~一四日である。

思うに、原告らの主張は、乙山松夫医師の証言からも明らかであるが、「妊娠」とは受精卵が子宮腔内に着床した時期をいうが、妊娠期間については、最終月経の初日から起算して満日数又は満の週数で表すことから混乱しているものである。妊娠反応による妊娠の初日は受精の日をもって起算される。乙山松夫医師は受精卵が着床する時期を含めて、「一一月の一四日が排卵日それから幅をおいて一〇日間」が妊娠(着床)時期と明確に証言している。

以上から、原告花子の場合は、一一月八日~一四日間頃の性交渉により、充分な精子濃度の精液によって妊娠したものと推認できる。

5 排卵の時期は荻野学説によると次回月経初日の前一二~一六日であり、受精の起こり得る期間はおよそ予定月経前一四日前後と推定されている。

従って、妊娠反応が陽性となった時期や胎嚢の大きさから受精の時期を推定する場合には、二八日型、三〇日型、三一日型と分けて考察することは無意味である。ただし、妊娠週数を推定する場合には、二八日型を考えてよい(例えば予定月経初日=妊娠四週〇日)。

6 ところで、胎嚢の最大径により妊娠週数を推定する場合、一・〇センチメートルで妊娠四週五日(四週二日~五週二日)で一週間の個体差があるところ、胎嚢の最大径の測定は超音波電子スキャンを操作し、最大と思われる断面の現れたところで画像を肉眼で固定し、そこを計測するものであり、胎嚢が小さい程、測定値は不正確である。又、一・〇センチメートル以下については、推定結果が換算表でも用いられず、信用性がないとされている。又、乙山医師は胎嚢の有無を調べたものであり、最大径を測定したかどうか明確でない。原告らは妊娠判定薬による判定について、現実に判定のための薬を使用した日を妊娠確認日として主張しているが、いずれも、それ以前に薬を使用すれば妊娠確認の可能性があるのであるから、不正確である。

7 以上の点からは、乙山医師が、平成四年一二月一六日に中絶手術をし、子宮腔長九・五センチであったこと、絨毛とか内容を除去したものから妊娠二カ月の後半(妊娠六週〇日~七週六日)と判断した事実が重視される。

(九) 以上によれば、被告沖井に不法行為責任は存しないし、被告沖井は被告和会の債務の履行補助者であるから、独自に債務不履行責任を負うこともない。

第三  証拠関係《略》

第四  争点に対する判断

一  原告花子が、原告太郎と共に本件の契約当事者であるか、まず検討する。

《証拠略》によれば、原告太郎と原告花子とは、昭和六〇年五月一八日婚姻し、長女春子(昭和六〇年一一月一七日生)、長男一郎(平成元年六月三日生)、二女夏子(平成三年八月四日生)を儲けたことから、それ以上に子供を作るつもりはなく、しかも、原告花子は、それまで三回の中絶手術(第一回=平成四年四月以前、第二回=同月六日、第三回=同年九月二五日)を受けていたため、以後は右手術を受けたくないと固い決心をし、原告太郎と相談した結果、原告太郎がいわゆるパイプカットの手術を受けることとし、原告花子は平成四年一〇月一〇日前後、被告沖井病院へ電話し、パイプカットの手術の申し込みをしたいが、夫が一緒に申込みに行かなければならないかと尋ねたところ、女性事務員は、夫は来なくてもよいが、妻の同意書を書きに来てくれと言われ、原告花子は、同月一九日「私儀甲野花子は、夫甲野太郎が精管結紮術を受ける事に同意致します。旨の同意書」を作成して同病院に提出し、同病院は、同月二四日に夫である原告太郎の右手術をとり行う日と定め、右一九日原告花子に告知した。原告太郎は、同月二四日、一人で被告沖井病院を訪れ、本件精管切断手術を受けた。

以上認定の事実(但し、当事者間に争いのない事実を含む)によれば、当の本人である原告太郎は勿論、その妻である原告花子も、右原告太郎の手術を受けることについての申込人の一人であった(共同申込み)というべきであり、本件契約の当事者であると判定するのが相当である。

二  次に、被告らは、原告太郎につきなした本件精管切断手術につき、原告両名に対し、損害賠償責任があるか、検討する。

(一) 《証拠略》によれば、次の事実(当事者間に争いのない事実を含む)が認められる。

1 被告沖井は、平成四年一〇月二四日、被告沖井病院において、原告太郎の陰嚢の皮膚と精管を一緒につまみあげ、皮膚に局所麻酔をした後、その皮膚を切開して精管を取り出し、その精管を約一センチメートル切り取り、両方(精巣側と末梢側)の断端をそれぞれ反転させて絹糸で結紮し、(右側の陰嚢を先にしたときは、残る左側についても、右側と同様にする)、右側と左側との両方を切り取ったことを確認した上、皮膚を一針縫って閉じて、本件手術は終了した。

2 その後、原告太郎は、平成四年一〇月二六日(被告沖井診察)、同月二八日(同)、同月三一日(新原医師診察)、同年一一月二日(被告沖井診察)の四回被告沖井病院に通院し、いずれも、消毒・ガーゼの交換を受け、右三一日には抜糸され、一一月二日は念のための診察であり、以後の通院の必要は認められなかった。

3 被告沖井は、本件手術の前後において、原告太郎の精液検査を一切していない。

しかしながら、被告沖井は、原告太郎から、後記のとおり、原告花子が妊娠したとの連絡を受けた直後の平成四年一二月九日、原告太郎の精液を顕微鏡検査したところ、一視野に一〇数個の活動精子(残留精子と推認する。しかも、同日以前はこれより多かったと推認するのが相当である。)が認められ、平成五年二月三日、同様の検査により一視野に二~三個の精子が認められ、同年三月三日、同様の検査により一視野に一~二個の精子が認められたため、原告太郎は、同年四月一〇日、廣中弘医師(被告沖井立会)の再手術を受け、その結果、同月二八日同様の検査により一視野に精子が全く認められなかった。右経過に鑑みると、廣中医師の再手術を受けなくとも、精子は認められなくなる状況下にあったと推断するのが相当である。そうすると、本件手術後、精管が再開通したものであるとは到底いい難い。しかし、残留精子の心配があった。

4 ところで、被告沖井(昭和三七年医師国家試験合格)は、昭和四五年、同人の父により開設(昭和一四年)された被告沖井病院の副院長になり、昭和五〇年一〇月六日被告沖井病院(法人)とした後、昭和五七年同病院院長兼法人理事長となり現在に至るものであるが、昭和四二年ころから現在に至るまで約五〇例(毎年二~三例程度)本件と同様(手法・技法)の手術を施行してきたものであり、今まで一件も本件のように妊娠したと言われたことはない。

5 ところが、原告花子は、原告太郎の本件手術後の平成四年一〇月二八日から始まった生理(約七日間続く)(約三〇日周期)が、同年一二月初めころになってもないばかりか、食べ物を見ると吐き気がする状態となり、同月七日ころ妊娠検査薬(市販)によりテストしたところ陽性反応を示し、--原告太郎は、その旨、前記のとおり、被告沖井へ連絡した--同月九日、乙山松夫医師の診察を受けたところ、妊娠反応は陰性であったが、同月一四日、再度、同医師の診察を受けた結果、陽性反応を示し、同月一六日、人工中絶手術を受けることとし、同日、同医師の中絶手術を受けた。

6 原告花子の右妊娠は、原告花子の右月経からみて同年一一月一四日前後(排卵)(約三~四日間内)になした原告太郎の性交渉(避妊措置をとっていない)(前記残留精子)によってもたらされたもの(妊娠)であると推断するのが相当である。そうすると、右性交渉は、本件精管切断手術から四週間(四週間は同月二一日までである)内である。

7 そうすると、被告沖井は、原告太郎に対し、一週間の避妊で足りる(起算点につき、原告太郎は、本件手術直後からとし、原告花子は、抜糸直後からであると供述するが、いずれも、期間は、両者共一週間である旨供述する)と説明したか、四週間の避妊が必要であると説明したかの点について検討するに、被告らが主張するように、その道の専門家であり、被告沖井は、前記のとおり約五〇例もの本件と同様の手術をなして未だ一件も、本件のような事故に遭遇していないことに鑑みると、一週間の避妊で足りるとの説明をしていない--四週間と言った--もののようにも考えられないわけではないが、同人の法廷供述態度や乙二の文献を本件手術後に入手していること及び原告両名は切羽詰まった結果、原告太郎が本件手術を受けるに至った状況等から参酌すると、原告ら主張のとおり、被告沖井は、原告太郎に対し、二度にわたって「一週間の避妊で足りる」旨説明したと判断するのが相当である。右認定事実に反する被告本人兼代表者の供述部分は採用し難い。

8 被告沖井は、原告花子に対し、同女が平成四年一二月一六日中絶手術を受けたことについて、その直後、見舞の趣旨で金三万円を支払っている。

(二) 以上認定の事実によれば、被告沖井は、原告太郎についての残留精子(平成四年一二月九日の検査結果)により、本件精管切断手術から四週間以内は十分な避妊措置をとった上でなければ、原告花子との性交をしないようにしないと、同女が妊娠する危険がある旨、術後の説明を十分尽さなかった義務違反があったというべきでり、そのため、前記のとおり、同年一一月一四日(前後)(約三~四日間)の両者の性交により、原告花子が妊娠するに至り、同年一二月一六日、乙山医師による人工中絶手術を受けるに至った、というべきである。

1 そうすると、被告沖井は、原告らに対し、右手術後、避妊措置の説明を十分に尽さなかった過失が認められる。よって、被告沖井は、原告らに対し、民法七〇九条の不法行為責任があるというべきである。

2 被告沖井病院は、原告らに対し、同病院の履行補助者たる被告沖井の右説明不十分の過失により、債務不履行責任があるというべきである。

三  次に、原告らの損害額はいくらか、検討する。

(一) 原告太郎の損害 金五五万円

1 慰謝料

本件精管切断手術及び再手術並びにその他本件に現われた一切の事情によると、原告太郎の慰謝料は金五〇万円が相当である。

2 弁護士費用は金五万円が相当である。

(二) 原告花子の損害 金五五万円

1 慰謝料

本件妊娠及び人工中絶手術並びにその他本件に現われた一切の事情によると、原告花子の慰謝料は金五二万六〇〇〇円が相当である。

2 人工妊娠中絶費用は金四〇〇〇円である。

3 損害の填補金三万円

4 弁護士費用は金五万円が相当である。

(三)1 以上によれば、被告らは、連帯(不法行為と債務不履行の不真正連帯責任と解す)して、原告太郎に対し、金五五万円の、原告花子に対し、金五五万円の、それぞれを支払うべき義務ないし責任があり、これらに対する付帯請求については、訴状送達の日の翌日(平成五年一二月一〇日)から各支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務ないし責任が被告らにあると判断するのが相当である。

2 そうすると、原告らの本訴請求は、右の限度で理由がある。その余は失当である。また、仮執行宣言を付するのは相当ではないのでこれを却下する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 山本愼太郎)

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