山口地方裁判所岩国支部 昭和51年(わ)146号 判決 1980年3月19日
主文
被告人弘中勝之を懲役二年に、同松村賢二を同一年に各処する。
但しこの裁判確定の日から被告人両名に対し各二年間各その刑の執行を猶予する。
右被告人両名に対する本件公訴事実中、同被告人らが小島一二と共謀して、その任に背き別表(二)の各追認保証決定をなし、もつて山口県信用保証協会に対し合計金五〇〇万円の債務の保証をさせて財産上の損害を加えたものであるとの点については、右両被告人とも無罪。
訴訟費用は被告人らの連帯負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人弘中勝之は、昭和四〇年三月から同五〇年二月まで、山口県信用保証協会岩国支所長として、被告人松村賢二は、同四七年二月から同五〇年二月まで同支所長代理として、いずれも同保証協会において中小企業者が銀行その他の金融機関から融資を受けるに当たり、その債務保証の申込みを受けた際、申込者の資産状況等を正確に調査して弁済能力の有無を判断するはもちろん、支所長に委任された一企業者について、当時合計金七〇〇万円を限度とする一般保証については、支所長の権限でこれをなし得るが、右委任の範囲を越える信用保証については、右調査結果を正確に記載し、意見を付して同保証協会長あてに稟議し、同協会長がこれを検討したうえで指示した事項についてはこれを遵守して同保証協会のため誠実に職務を執行しなければならない任務を有するものであるところ、右被告人らは共謀のうえ、同保証協会岩国支所に対して右保証供与の申込をなした分離前の相被告人小島一二の利益を図る目的で、右任務に背き右小島が当時多額の負債を抱えその資産状態が不良で弁済期に完全な弁済をなすことはとうてい期待し得られないことを知りながら、
第一 昭和四九年九月二五日岩国市今津一丁目一八番一号所在の前記保証協会岩国支所において、高林アサコ名義による前記小島一二の金一、〇〇〇万円融資にかかる同月二〇日付保証の申込みにつき同協会本部の稟議の結果、同協会長より田中正昭外一名所有の不動産に対し抵当権を設定することを条件として保証する旨の決定指示のあつた信用保証書を受け取つたのに、被告人弘中、同松村は右抵当権設定の手続をしないで即日前記岩国支所において右小島に対し右信用保証書を交付し、同月二八日右小島において岩国市所在の山口相互銀行岩国支店において前記信用保証に基づいて金一、〇〇〇万円を借入れ、
第二 前記小島には既に高林商店高林アサコ名義で金二、七〇〇万円の一般保証、および高林一二(「高林」姓は、右小島の旧姓)名義で金三〇〇万円の追認保証がなされており、被告人弘中、同松村としては右小島に対し岩国支所長に委任された範囲内での信用保証はなしえないのに、別表(一)記載のとおり、昭和四九年一〇月八日から同年一二月三一日までの間前後三回にわたり、右小島において自己名義および大隅観光株式会社名義を使用して、保証額欄記載のとおり合計金九五〇万円の一般保証の申込みをした際、被告人弘中、同松村において、同保証協会長に稟議せずに勝手に保証年月日欄記載の日に信用保証を決定し、その頃同協会岩国支所において各信用保証書を右小島に交付し、右小島において借入れ年月日欄記載の日に借入銀行欄記載の金融機関において、それぞれ右の信用保証に基づいて借入金額欄記載の金員を借入れ、
もつて、前記保証協会に前同額の債務の保証をさせて財産上の損害を加えたものである。
証拠の標目(省略)
(弁護人らの主張に対する判断)
第一 因果関係
一 先ず第一に被告人松村賢二(以下単に松村ともいう。)の弁護人は、判示第一の事実について、右訴因における損害と牽連関係にある所為は、担保を設定せずして保証供与をなしたことにあり、右任務懈怠は被告人弘中勝之(以下単に弘中ともいう。)によるものであつて、右松村は共犯としても之に加担した事実はない旨の主張をする。
二 然しながら、右事実関係に関しては前記判示のとおりであるのみならず、更に詳言すれば右に関する保証書を直接前記小島一二(旧姓高林一二、以下単に小島ともいう。)に手渡したのは右松村であることが認められるのである。
即ち、右保証書が山口県信用保証協会岩国支所(以下単に支所という。)に到達したのは昭和四九年九月二五日であつたことは右被告人弘中、松村共に一致してこれを認めるところであるが(弘中7/2(二)(員)、松村6/12(員))、一方右小島の当公判廷における供述によれば、右保証書は、「同保証書が来て、すぐもらつたと思う」旨の供述が存するところ、この点松村も当初捜査機関の取調べでは右保証書が支所に到達した日に右小島に連絡したところ小島が来所し右保証書が交付された旨を述べているところで(松村6/12(員))、この限りで両者の供述は符節するのみならず、更に右小島の当公判廷における供述では、右交付は松村からなされ弘中とはその際会わなかつた旨を述べるところであるが、この点弘中が日誌として利用していた手帳(同前符号40号)によれば、右保証書が到達した昭和四九年九月二五日付の記載には、同日右弘中は午后一時半から同五時四〇分まで金融税務合同委員会が会議所議員室で開かれこれに出席していた事実が認められるところでもあり、唯小島の右供述では、その交付を受けた時刻は午前一〇時半頃と言うことで、この点の記憶に誤りがなければ、右弘中と会う可能性の程も否定出来ないが、右当日の弘中の行動状況に照らして、会わなかつた可能性も強くこの限りで右小島の供述は右手帳記載の事実と符合するところのものがあり、殊に日付記載については比較的正確性を認め得る高林アサコ関係の調査説明書(同人名義の債務保証一件綴、同前符号41添付のもの)には、明らかに保証書の発行日は九月二五日と記録されているところであり、右彼此勘案すると保証書が小島に交付されたのは右同年九月二五日と認めざるを得ないのである。
次に松村(6/12(員))の供述によれば、右保証書が到達した日に、保証書は弘中から、担保設定手続関係の書類は松村から渡されたと言うものであるが、弘中(6/12、7/2(二)以上(員))の供述によれば、担保設定手続書が発行されたとする日は右同年九月二六日であることが認められるのである。
そうだとすると、松村が右九月二五日に本件保証に関するなんらかの書類を小島に交付したとせば、保証書以外にないと言う事になろう。
この点、弘中、松村共に保証書を渡したのは弘中である旨一致して供述するところであるが(弘中6/12(員)、松村6/12(員)、7/24(検))、この弘中の供述では、担保設定手続書は九月二六日で、保証書は翌二七日に、各日を異にして渡した旨を供述するところ、右松村の供述では、九月二五日か翌二六日かとするものの、いずれにしても、右両書類は同一日に交付されたと言うものでこの点で両者の供述は大きく齟齬するところであり、殊に右弘中の右供述では、保証書交付の時刻については、右九月二七日午后四時頃と言うが、同人前記手帳(同前符号40号)の右同日付の記載では、午後は市の制度融資について委員会が開かれ、午後五時五〇分終了せる旨の記載があり、かかる時間的関係からして右同日弘中から保証書が交付される可能性は著しく乏しいものと言わなければならず、右弘中の供述は措信出来ないのである。
以上の次第で、右手交者についても、前述した小島の供述する如く、松村であつたと認めざるを得ないのである。
然して、右事実関係から明らかの如く、右保証書は担保設定手続書の発行されたとする日以前に手交されたものと認められ、結局これ又右小島の供述する如く、右担保設定手続書は同人に手交されてなかつたと見るのが相当である。
そうして見ると、その主張の如く、右保証書の交付がともあれ弘中の意向に基くものである限り右弘中の弁護人主張の如くこれを単なる手続上の過失と見る余地はなく、又保証書の手交が松村自身の所為と認められる以上これと異なる前提事実のもとで立論する松村の弁護人の前記主張はその余の点について判断するまでもなく、これ又理由がないものと言うべきである。
二 のみならず右松村については、いずれにしても同人は右保証書交付時点で、既に抵当権設定の指示の存在および右保証書交付が右指示に反して、右設定未了前になされたものであることと共に、その際これを認識していたものであることは自認しているところでもある(6/12(員)、7/24(員))。
然らば、右交付についてその次長たる職責上これを阻止すべき、或は少なくとも、交付者に対してこの点注意すべき作為義務を有することも否定出来ない。
更には、右同人は、本部稟議に提出する資料の作成者であると共に意見の提出者で、その意見として担保設定のうえこれを取上げたい旨の意見を提出していることが認められるのである(松村6/12(員)、藤井健太郎6/25(員))。
然して、松村は右意見の有力な根拠として担保物件の存在を上げていたものと認められるから、そうして又右意見に適合した協会本部の決定およびその指示については右意見への全面的信頼に立つものと考えるべきであるから、かかる意見提出者としての責任からしても、右指示についてはこれを忠実に履行すべき信義則上の固有の責任、即ち作為義務があると言うべきである。
然らば、いやしくも保証書の交付が右指示に反してなされていることを知つた以上先に説示のとおりの作為義務があり、たとえそれが上司の措置であるにしても漫然これを看過することは許されないと言うべきである。
以上そうして見ると、仮に自からの交付にかかるところでないにしても、右認定の事実関係の限りでなお右松村の所為は、その主張するところの原因たる所為、即ち担保設定懈怠そのものたるを失わず、この場合だとしても、その言うところの牽連関係に立つ原因に右松村が無関係であつたとの所論は当らないと言うべきである。
第二 行為および故意
一 前記両弁護人は被告人弘中、同松村らの本件における所為は、要するに信用保証協会の存立目的、およびその趣旨に照らし背任と目さるべきでなく、謂わばその信用保証理念の神髄たる措置と言うべきである旨に解すべき趣旨、並に殊に損害を与える認識がなかつた旨の主張をする。
二 協会の存立の沿革並にその目的、公共性(信用保証協会法一条)からして、その機能は、人的、物的に信用を有しない者に対して、これに信用を供与することにあると言う事が出来る。
かかる性格からして、その対象となる者は自と信用力の乏しい者であることは否めず、端的に言つてその限りで返済能力が乏しく、協会において代位弁済の危険の高いものであることも避け難い。
然しながらともあれ協会の本質的機能、役割は信用供与であつて保証にかかる融資金の返済は基本的要請であることは明らかである。
この限りで右の如く、代位弁済の危険の高いものであるにしても、その対象者はなお返済能力のある者に限ることは否定出来ない。
唯その程度に関しては、きわめて劃一的基準の立て難いものである以上 そうして客観的担保のない者に対することからの性格上自と企業者の経営能力と言つた主観面に対する評価に基づかざるを得ない場合もある以上、その評価は可能たる限りで客観的資料に基くことを要請するも、結局は調査者又は決裁権者の主観に頼らざるを得ないことも避け難いものと言えよう。
かくて、協会の理念志向のため不安定な業務の執行方法は多分に損害発生の危険の高いものとなることも否定出来ないところと考える。
そこで、かような危険が常につきまとうことの配慮として、反面その保証金額について一企業者宛の限度額をもうけ(山口信用保証協会定款同前符号28、同協会業務方法書同前符号29)、もつて制度的に危険の拡大と、放恣にわたる保証を制約し、併せてその公共的機関としての立場から公平中立であると共に受益の適正な配分と危険の分散を図つているのである(東辰三編新版信用保証読本金融財政事情研究会発行参照)。
或は右協会の趣旨と一見矛盾するかに見える、多額な保証にわたる場合にその求償債権に対し物的担保を徴求するのも、かかる公共的側面からする配慮を否定出来ない結果と見ることが出来るのである。
右の如き配慮も、協会の資産が窮極的には地域住民の税金であることに鑑みれば蓋し当然の事柄であり、且は職務執行者としても、殊更このことは銘記さるべきものである。
そうして、右保証限度額の制度は、その実行の迅速性の要請から、下部機関に対してその決裁権を附与すると共に、その見識能力(結局は協会内部の地位に従う)に応じて更に段階的に限度額を設定していることが認められるのである(保証処理権限の取扱およびその改正について、前同符号31ないし33)。
三 以上の協会の目的、趣旨からする業務執行の特殊性から、各その委任された右保証限度額内での処理、権限行使については、各権限者に自由な裁量が認められ、場合によつてはきわめて不確定要素である経営者の手腕のみの評価による謂わば投機的志向による判断、即ち講学上に言う冒険的取引と目される処理も、右協会の理念に照らして一概に否定出来ず、右所為が、権限乱用等の格段の事情のない限り正に職務の範囲内の行為として許されるものと解するを相当とする。
然しながら、理由の如何を問わず、右限度額を超え、或は指示に背いて担保を徴求せずしてなされた場合は、この所為自体任務違背又は任務懈怠として許されざるはもとより、その損害に関する認識はこれを与える可能性の認識をもつて足り、もとより前記冒険的取引は許されず、この場合はその性格上少なくとも未必的には加害の認識を有するものと認めるを相当とする。
四 以上の観点に立つて本件を考察するに被告人弘中、同松村は、本件犯行当時の昭和四九年九月頃には既に右小島が高林商店(名義人高林アサコ)の実質的経営者であること、他に大隅観光株式会社(代表者右小島)およびキヤバレープレイタウン経営の山口商事(名義人小島正孝)をも事実上支配していたこと、右各企業間の資金関係は謂わゆるどんぶり勘定で、右小島の一存で相互に流用されていたこと等以上の事実を知つていたこと(右小島の当公判廷における供述、弘中6/10(員)、松村6/11(員)、同7/24(検)、高林アサコ、高林一二および大隅観光名義の各債務保証一件綴同前符号上から41、42、53)、又高林玲子名義での当初の保証供与申込みは、被告人弘中、同松村および右小島らが協議の末右小島(当時高林)名義での申込みに代えて右玲子名義で申込みをなさしめたものであること(弘中6/20(員)、松村6/25(員)、小島6/4(員))が認められるのであつて、以上の事実からして、先ず、本件犯行当時被告人弘中、同松村において、前記判示のとおり、右小島には、右犯行当時既に高林商店名義等で岩国支所長に委任された範囲(当時金七〇〇万円――藤井健太郎の当公判廷における供述)を超える額の保証をなしており、この上右小島に対しては、同人名義ではもとより、その事実上支配にかかる大隅観光株式会社名義等での一般保証は、その所長権限又はこれが代決権としてなし得ないことは明らかであつたと言うべきである。
以上そうして見ると、被告人弘中、松村において、判示第一については、既に説示のとおりで指示違背のあつたことは明らかであり、同第二についても右の次第で、前記判示の如き保証供与を稟議を通せずして所長権限でなすことは越権であり、共に任務違背と言うべく、右所為が例え小島の「事業に対する姿勢」を買つたものとしても、情状としては格別先に説示のとおり、本件犯行の成否を左右するものではない。
五 次に右小島は昭和四五年頃から多角経営に乗出したもので、先ずその頃前記大隅観光株式会社を設立したのを手始めに大竹市に所在のホテル「やまと」を買収して、これを岡崎清美と共同経営、更には小野田市に土地を求めて転売を図り、或はセイジンハウジングと言う建築業やそうして同四八年頃からキヤバレープレイタウンに手を出すに至つたが、先ず小野田市に求めた土地の転売に失敗し、更にはプレイタウンの経営につまずくに至つて、同四八年から同四九年にかけて右両者に対する投資に関するだけでも優に一億円を超す焦付きを出すに至り、同四八年末から同四九年九月にかけて、地元金融機関や酒類卸元、又は同業者間に右焦付きの噂が流れ、急激に信用を失うに至つたこと、その結果金融機関から先ず右小島個人又は高林商店独自の信用では手形割引を渋るに至り、結局俗に言う高利貸である街の金融業者に持込むに至つて、右小島に対する信用は極度に低下し、同四八年末頃から支払手形の手形期日の短縮を主要卸元の一である菊元酒造から求められたり、同四九年九月頃から最大の卸元である広島市所在の松下鈴木商店から取引停止を喰う破目になつて、商品の購入は現金取引を強いられるまでに至つていたこと、以上の資産状態や信用の背景で、本件犯行当時の同四九年九月頃は極度に流動資金を欠き謂わば自転車操業的状態にあり、その資金の入手は専ら協会の保証による信用に頼らざるを得ない常況にあつたこと(小島7/26(検)(一)(二)および当公判廷における供述、高瀬啓一(員)、長尾博之(員)、菊元直次郎(員)、嶋谷冬樹(員)、赤川侃(員)、八百屋仁(員)、高林アサコおよび中本明彦の当公判廷における供述、総勘定元帳同前符号73)が認められるところ、被告人弘中および同松村は本件犯行当時の同四九年九月頃には以上の小島の経済的にひつ迫していた事情を大要において把握しており、当時の右小島の負債総額は凡そ一億五千万円又は一億六千万円位は存していたとの認識があつたこと、そうして右弘中の場合は右同年七月頃に岩国信用金庫の桧垣武男から右小島に対する融資についての協会の保証の意向について打診された際に、一度は右弘中は「高林(小島一二の意)に対してはたとえ家族名義を使つても保証は一切しない」とまで言うに至つていること、又松村については、右小島の負債総額は一億五千万円で、資産は不動産を処分しても一億円位で、五千万円からの負債は残る筈との見込み計算をなしていること(弘中6/10、6/11、6/15、6/18、6/19、6/20以上(員)、7/22(検)、松村6/10、6/11、6/16、6/22以上(員)、7/24(検)、桧垣武男(員))が認められるのである。
六 以上の事実によると右小島をめぐる右当時の金融筋を含めての商取引の現象面からして先ず当然右同人の返済能力については懸念を有すべきであつたことは言うまでもなく、現に被告人弘中、同松村において右危惧を有していたと認められるのであり、更にはこの点右弘中、松村共に、捜査機関に対して協会が代位弁済を余儀なくされるであろうとの認識を当時有していた旨を自認しているところでもある(弘中6/11(員)、松村6/11、6/23以上(員))。
以上して見ると、被告人弘中および同松村において、本件各犯行時加害の認識を有していたことは明らかであると言うべきである。
然して現に、本件保証にかかる融資については、いずれも協会において代位弁済を余儀なくされ、いずれにしても右小島からの求償は殆んど不可能な状態となつていることが認められるのである(藤井健太郎の当公判廷における供述、高林アサコ、高林一二各債務保証一件綴、同前符号41、42)。
もつとも、この点被告人弘中、同松村の両弁護人は、右小島の当時所有にかかる不動産で、返済は優に可能であつた趣旨を強調するところであるが、先ず松村については、前示したとおり当時の同人の思惑とその計算で、不動産を換金するも余剰はないとの認識を有していたことが認められるところであり、弘中については、成程右小島から返済の見通しは全くないとは聞いてなかつたとの趣旨の供述(6/15(員))もあるが、その返済財源については詳かにするところではなく、当時の資産評価に触れるところもなく又残高照会するなどして不動産の調査評価をなした事跡の程を認め得べき証拠もないのである。
そうして、いずれにしても前述のとおり被告人らにおいて本件犯行当時加害の認識を有していた以上、かりに右同人らの認識と相違して客観的に弁済能力があつたとしても本件犯行の成否に消長はないのである(大判大正八年一月二五日刑録二五、四九)。
以上の次第でこの点に関する右弁護人らの主張も採用の限りではない。
第三 目的
一 その趣旨の意図につき多少相違するところあるも、被告人弘中および同松村の弁護人は共に、本件犯行の目的にかかり、右両被告人とも要するに本件各所為はいずれにしても私利私慾によつたと見るべき事情はなく、従つて自己のためにはもとより、右小島のためにも、右私利等から、その利を図る動機を欠くものであり、その意図の程は専ら右小島の「有能な事業家として」の「同人の将来性に注目し」た結果「協会の使命を完了する」目的で「信用保証の制度を活用した」に過ぎない旨を主張する。
右主張に関しては、本件が目的犯であることからの関連で言えば、本件右弘中、松村の所為は本人(協会)の為になしたものとの主張を含むものと理解されるので以下この点につき検討する。
この点成程その主張する様に右弘中、松村らが私利私慾を図つたとする動機に関しこれを明らかにする証拠は見出し難い。
せいぜい盆暮に若干の商売物の酒を得たに過ぎないことも確かで、この限りでは社交的儀礼の域を出ず、他に利得と目すべきものは証拠上見出し難い。
然しながら、右私利、私慾との動機的連ながりはともあれ、いずれにしても、右弘中、松村は前示したとおり共に協会内部において規律するところの内部規約(就業規則同前符号38、同協会業務方法書同前符号29)に反し担保徴求の指示に従わず、或はその委任せられた限度額を超えて保証供与をなし、もつて協会に損害を与えたものである。
そうして、協会の基本財産の公共的性格からして、謂わば万人の納得のいく理由のない限り基本財産を減耗してならない責任がその衝に当るものにおいて有するものと言うべきである(前掲保証読本)。
そうであるならば、単に特定中小企業者の謂わば将来性に着目して無制限に、これに投機的投資に類する如き信用供与をなすべきことの許されざることは明らかであるのみならず、従つて又協会の使命を全うする所以でもないと言うべきである。
この点前示したとおりその資金が地域住民の税金であることに思いを致せばしかく明瞭なところと言えよう。
以上要するに右弘中、松村の所為が、本人たる協会のためになしたと見る余地はないと言うを得ないのである。
現にこの点、弘中においては前示したとおり本件犯行前一時は、右小島については、その身内名義でも保証供与の意思のないことを表示した事実や松村において当時右小島の協会の出入りに当惑気味になつて来たこと(松村6/25(二)(員))に照らしても、右同人らが本件各所為をなすについて正当な職務執行をなしていたとの自覚に立つていなかつたことは明らかである。
第四 共謀
一 被告人弘中および同松村の弁護人共に、共謀の事実を否定する。
二 ところで、本件各犯行当時、右両被告人共に、右小島の経済状態が極度に悪化しており、返済能力を欠くものであつたことを認識していたことは前述のとおりであるが、かかる小島を救う為にその頃弘中は松村に対して右小島については「絶対に不渡りだけは出させるな」と言つた意向の程を示していたこと(弘中6/18(員)、松村6/12(員))、そうして、弘中は、小島の協会に対する保証供与の申込みに対して、昭和四九年七月頃実兄である小島正孝名義で金七〇〇万円、大隅観光株式会社名義で金三六〇万円、当時妻であつた高林玲子名義で金六五〇万円を支所長権限内のものとしてそれぞれ決裁して来たこと、更には同年九月頃右小島名義での追認保証に対し山口相互銀行に対し応諾して来たこと(弘中6/22(員)、坂本直規5/1員)、右保証供与のうち右小島正孝、高林玲子名義での申込みについては、松村もその処理手続に直接関与しているものであること(弘中6/21、6/22(二)(員)、松村6/25(一)(員)、6/24(員))が認められるのである。
そうであるならば、先ず弘中において、右当時既に小島の利を図る目的で、その支所長たる地位を利用して、同一企業者に対する保証供与の限度額を実質的に拡大する方法として謂わゆる名義貸しの便法をとつて来たことは明らかであり、かくては小島を絶対倒産させるなとの右言辞には、右脱法手段を弄して来たこととの志向と相俟つて、違法手段を弄しても小島の利を図ろうとする強い意図を包含するものと認めることが出来るのであり、然らば右弘中の違法手段を認識して来てた松村においても右言辞については同様の理解があつたと見るべきが相当である。
現に右松村は右言辞への理解として、判示第一に関する小島の申込み調査に際し、その提出にかかる試算表を不当に書替え操作した(小島および藤井健太郎の当公判廷における供述、弘中6/15(員))ことも、特に弘中の具体的指示にかかるものでなかつたが右言辞に対する意思忖度として右弘中の意図に沿う所以のものと解していたと述懐しているところでもあり(松村6/12(員))、或は右同年七月頃申込みの迫田正久名義での保証供与による融資金が右小島によつて流用されるものであることを知りながら、これが供与の措置をなし、剰えその一存で山口相互銀行にその融資方を口添えしていること(坂本直規(員)、5/1松村6/24(員)、迫田、坂本直規の当公判廷における各供述)が認められることからしても既に上命下服の関係からする義務性を超えて、右弘中の意図に沿つて主体的に動いていたことは明らかと言うべく、以上の事実に鑑みると、右弘中の意図に松村は全面的に加担する意思を有していたことは疑う余地はない。
然して、判示第一については前述のとおり保証書の交付は弘中の判断に従い、松村がこれを小島に手交したものであり、同事実第二の別表昭和四九年一〇月八日大隅観光株式会社名義での金二五〇万円は山口相互銀行からの保証意向の打診について松村がこれを取次いで弘中に通し、その回答を松村がなしているものであること(弘中6/20(員)、松村6/22(員))、右同表同年一二月二四日付高林一二名義での金五〇〇万円については、申込みは松村が受け、弘中がその際協会に居合わした山口銀行の平田清美に口添をして融資方の了解を求めた上、その後の処理手続は松村に委したものであること(弘中6/19(員)、松村6/19(員)、平田清美(員))、右同表同年一二月三一日高林一二名義での金二〇〇万円については、弘中と松村が相談の結果、金五〇〇万円の申込みについてたまたま右同人名義での形式的所長決裁限度額の枠残があつたので、右申込額を二口にし一部二〇〇万円を同人名義の同額の枠残で処理し残三〇〇万円については玲子名義で追認保証を受けることを指導し更には松村から山口相互銀行に融資方を口添えしたり、弘中から追認保証分は岩国信用金庫に求める様指示したりしたものであること(弘中6/20(員)、松村6/21(員))、が認められるものであるが、前記弘中、松村らの小島に対する保証供与についての協力ぶりに照らせば、右被告人弘中、同松村らの本件各所為は、両者意思相通じ、もつて共同犯行たる認識のもとになされたものと認めざるを得ず、以上の各所為について更に右小島がこれに共犯として加担したか否かはともあれ、本件における右被告人弘中および同松村の共謀共同正犯関係は否定出来ない。
(法令の適用)(省略)
別紙
別表 (一)
<省略>