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山口家庭裁判所下関支部 昭和62年(家)163号 審判 1987年7月28日

申立人 武智道子

相手方 林文義

事件本人 林真紀

主文

事件本人の親権者を申立人と指定する。

理由

第1申立の趣旨及び実情

1  申立の趣旨は主文同旨である。

2  申立の実情

(1)  申立人と相手方は、昭和53年ころから親しく交際し、昭和55年7月26日婚姻し、昭和56年1月15日下関市において長女である事件本人をもうけた。

(2)  申立人と相手方は、やがて不和となり、別居し、申立人は昭和58年6月ころ、事件本人を連れて、下関市から広島市の現住居に移住し、ホステスとして稼働し、事件本人を養育した。

しかし、相手方は、昭和60年5月9日ころ、通園途上の事件本人を申立人の意に反して連行し、以後、事件本人を下関市の相手方実母方に住まわせるようになった。

(3)  申立人は広島地方裁判所に対し、人身保護法による救済を求め、同裁判所は同年8月19日、事件本人を申立人に引き渡すべき旨の判決を言い渡し、上告審においても上告棄却の判決が言い渡されたにもかかわらず、相手方はこれに従わなかった。

(4)  申立人は、同年11月5日、家事調停を経た上で、山日地方裁判所下関支部に対し、相手方を被告として、同人との離婚、事件本人の親権者指定を求めて、訴えを提起した。同裁判所は昭和61年11月26日、申立人と相手方との離婚を宣告する判決をしたが親権者の指定はせず、申立人を事件本人の監護人とするに止めた。この判決は間もなく確定した。

(5)  それでも、相手方は申立人に対し事件本人を引き渡さないので、申立人は、昭和62年2月、相手方を被告として、山口地方裁判所下関支部に対し、幼児引渡請求の訴えを提起し、当裁判所に対し、本件申立をした。

(6)  申立人は、事件本人の親権者と指定された場合には、事件本人の国籍を日本に変え、事件本人を養育したいと考えている。

(7)  相手方は、昭和61年12月ころから相手方実母方に帰らなくなり、事件本人を実際に養育していた相手方の実母は、昭和62年3月16日事件本人を申立人に引き渡した。その後、事件本人は申立人の両親方である肩書住所に預けられ養育されている。

第2当裁判所の判断

1  家庭裁判所調査官○○○○作成の調査報告書及び一件記録、当裁判所が職務上知りえた事実によれば、申立の実情(1)ないし(7)の事実のほか次の事実が認められる。

(1)  申立人と相手方は昭和54年秋ころから下関市で同棲するようになり、申立人はスナックで、相手方は土木作業に従事して働いていたが、昭和55年3月相手方がプロボクサーを志したので二人で上京したこと、しかし、相手方の志は成功せず、申立人も妊娠したので同年11月ころ申立人らは下関市に帰り、事件本人を出産することになったこと、昭和56年4月ころからは申立人ら親子3人は申立人の両親の所有家屋に居住するようになったが、相手方は親子3人を養なうに足りる収入を挙げることができず、申立人の両親の援助に頼るようになったため、申立人の相手方に対する愛情も次第に失なわれて行ったこと、やがて、申立人は相手方に離婚の申し入れをしたが拒否され、昭和58年6月ころ事件本人を連れて広島市に行き、ホステスをしながら事件本人を養育していたが、申立の実情(2)記載のとおり、相手方から事件本人を連れ去られたこと

(2)  相手方は、土木作業等に従事して月収15万円位を挙げ、事件本人を実母に預けて養育したのであるが、前記の人身保護事件、離婚請求事件のいずれにおいても、事件本人の幸福のためには事件本人は、申立人の下において養育されるべきであるとの判断がされたこと

(3)  前記のとおり、事件本人は、昭和62年3月16日以来申立人に引き取られ、現実には、申立人の両親の家で養育されているところ、申立人の両親は現住の家屋敷のほかに貸家2軒を所有し、年金、家賃収入が年額合計400万円位あり安定した生活を送っていること、事件本人は現在近くの小学校に1年生として通学していること

(4)  申立人は、未だに広島市でホステスをしているが、月収は22万円あり、雇主に信頼されて稼働していること、申立人は、事件本人に対する愛情は深く、週末には下関市に帰り事件本人との接触を忘れないように心掛けており、近い将来、広島市の住居を引き払って帰郷する考えであること

(5)  相手方は、昭和61年12月以来、家に帰らず、所在不明となっていたが、その後恐喝未遂事件を起して昭和62年6月13日、山口地方裁判所下関支部に同罪で起訴され(同裁判所昭和62年(わ)第126号)、現在、保釈中であって、その制限住居が肩書住所地であることが判明したこと、そこで、相手方の意向調査をしたところ、相手方としては、事件本人を愛育したい気持ちはあるが、今となっては、申立人に事件本人をまかせるより外に方法がないと考えていることが明らかとなったこと

2  ところで、本件では、事件本人及びその父である相手方ともに朝鮮国籍であって、親子間の法律関係は父の本国法である北朝鮮の法律によるべきものと考えられるところ(法例20条)、我が国と北朝鮮との間には未だに正式な国交がなく同国の法律制度は必ずしも明白とはいえない。しかし、過去の裁判例(札幌地裁昭和43年4月16日判決、家月21、4、170)で採用された鑑定書によれば、北朝鮮の離婚判決においては、子の養育問題を同時に解決しなければならないとされているだけで、子の親権者ないし監護権者を定める明文の規定はないことが認められる。

前記裁判例においては、先の鑑定結果を受けて、北朝鮮においては子に対する両親の権利義務は同等と考えられるので、親権者を一方に指定することは他方の親権を根本的に変更することとなり、親権者の指定はできないが、子の養育上必要と認められる場合には親権に対して根本的な変更をきたすおそれのない監護人の指定はこれをなしうる、としたのであり、本件の申立人と相手方との離婚判決においても、事件本人の親権者の指定はなされず、監護人の指定のみがなされたのである。

しかし、翻って考えるに、夫婦関係が破綻して離婚した場合には、親権を父母が円満な状態で共同行使しうるとは考えにくく、父母のどちらかを親権者とすべきであり、我が民法819条1、2項は、その故に、父母が離婚する場合にはその一方を親権者と定めなければならないと規定しているのであろう。そして、通常は現に子を監護養育する者を親権者と定めるべきであろう。

本件において、申立人と相手方とは、夫婦関係が破綻して離婚しており、事件本人をどちらが監護養育するかについて、前記のとおり、数個の訴訟を経緯する等して、相当深刻に争っているのであるから、円満な状態で親権を共同行使しうるものとは全く考えられないのであり、そのうえ、現在においては、申立人がその両親とともに事件本人を監護養育していて、相手方は、一時所在不明の状態となりその後刑事事件を起して起訴されていることを考慮すれば、親権を共同行使する余地はなく、我が民法上は申立人を親権者とすることが相当である。

3  そして、親権者の指定に関して明文の規定のない北朝鮮の法制に従い親権者をいずれとも定めず不確定のままに放置することは我が国の公序良俗に反し、法例30条により許されないと解するべきである(最高裁昭和52年3月31日判決、家月29、9、79参照。)。

そうすると、申立人と相手方の離婚判決確定後の現時点においては、我が民法819条1、2、5項を類推適用して、申立人を事件本人の親権者と指定することが可能であり相当であると考えられる。

なお、前記離婚判決は、親権者の指定を遺脱したものではなく、法例、北朝鮮法の解釈上、前記離婚判決の時点においては親権者の指定が困難とした上、原告(本件申立人)の請求の趣旨を「事件本人の親権者を原告と指定する。」から「事件本人の監護人を原告と指定する。」と変更させて判決したものであり、本審判は、前記離婚判決後の事情の変化をも考慮し、現時点において、法例、北朝鮮法、我が民法の解釈上親権者の指定が可能とした上でなすものであるから、前記離婚判決に抵触するものとは考えられない。

よって、主文のとおり審判する。

(家事審判官 前原捷一郎)

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