大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

山形地方裁判所新庄支部 昭和29年(ワ)30号 判決 1956年8月31日

原告 大場辰蔵 外三名

被告 東邦亜鉛株式会社

主文

被告は原告辰蔵に対し金四万八千四百十六円、同松男に対し金四万五千三百九十四円、同久一に対し金四万八千七百八十九円、同シゲヲに対し金四万百四十四円及び各原告に対し右各金員に対する昭和二十九年十月二十日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分しその三を被告の負担その一を原告等の各自平等負担とする。

事  実<省略>

理由

原告等が被告人夫として雇われ被告の営む最上郡最上町大字満沢地内における永富鉱業所ダム工事現場で働いていたところ昭和二十九年七月二十七日その日の労働を終つての帰途訴外岸正雄の運転する自動三輪車に塔乗したが、途中事故を起こし十数名の負傷者を出したこと、及び右訴外正雄が当時被告の使用人であつたことは当事者間に争いがなく成立に争いのない甲第四ないし第六号証及び証人岸正雄の証言並に検証の結果を綜合すると右自動三輪車は長さ二米一四巾一米五七の荷台をそなえた一屯積の貨物用トラツクであつて同日午後五時過頃原告等を含め約二十名を満載して同町大字満沢字一刎部落中央附近にさしかかつたが現場は急カーブや下り勾配が多く右塔乗者達の多くは起立したままであつたから運転者は当然車の重心が上部にあることを考慮し速度を減ずる等細心の注意を以て運転の安全を期すべかりしに拘らず、右正雄は漫然と時速約四十粁の速度のままで進行しカーブにかかるに及んで急激に把手を切つたのでたちまち重心を失つて横転したものであることを認めることができる。ところで被告は訴外正雄の右運転は被告の業務の執行とは関係がないと主張するので、この点につき考えてみるのに、証人大場ヨソエ同奥山乗吉同石山永子同野口峯吉同渡部末松同奥山昭(一部信用できない部分を除く)同岸正雄同高橋稔の各証言並に原告石山松男同奥山久一同野口シゲヲ各本人尋問の結果を綜合すると、訴外岸正雄は右事故当日の約四日前から訴外奥山昭の紹介で被告会社に雇われ前記ダム工事現場の臨時人夫になつたものであるが自動三輪車の運転免許は受けていないけれども且つて消防手をやつたことがある経験から運転の心得があつたので、訴外昭の希望により後記の通り工事現場で働いていた同人の助手をつとめることになり昭の運転する車に同乗して積荷の積降しその他助手として同人の仕事に協力することを被告の雇人としての職務の内容としていたが、本件事故を起すに至るまでに約二回程昭の承諾を得て同人の自動三輪車を運転し工事現場と富沢との間を走行していたこと、訴外奥山昭は自動三輪車を所有し最上町大字富沢で薪炭業を営むかたわら運搬業を営むものであるが昭和二十九年六月二十五日頃から前記永富鉱業所のダム工事現場で働くようになり被告会社の使用人ではないが被告の注文を受けてダム工事用の資材等を運搬していたが事故当時は殆ど毎日工事現場に出向き同所と赤倉駅(元富沢駅)との間を数往復しその間被告会社の依頼によつて(この事実は、被告が同年五月頃永富鉱業所長の名を以て新庄警察署に対し訴外昭所有の本件自動三輪車につき朝夕の人夫の通勤に便宜をはかるためという理由で永富鉱業所より赤倉駅(元富沢駅)までの区間に対し定員外乗車許可の申請をなしその許可を受けていたこと―証人高橋稔の証言による―並に被告方人夫頭渡部末松が原告松男及び同シゲヲに対し同人等が被告方の人夫として働くことを勧誘するに際し訴外昭の車で現場に送り迎えするからといつてその承諾を求めたこと―右原告等本人尋問の結果による―等の事実によつて推認することができる)原告等を含む臨時人夫等の工事現場への通勤に便ならしめるよう同人等を朝夕乗車せしめていたこと、及び本件事故当日人夫等は帰途につかうとしていつもの通り訴外昭の自動三輪車に乗車しようとしたが右昭は偶々仕事の打合せ等所用のため出発することができなかつたのでこれを拒んだところ訴外正雄(当時まだ昭と共に工事物資を運搬すべき当日の仕事が残つていたので同人の用務は終了していなかつた)が昭に代つて同人等を乗車せしめ自ら操縦して出発したが右昭はその傍らにありながら之を制止せず正雄が出発するにまかせたことを認定することができ、右認定に反する証人荒木金次同奥山寿助同奥山昭の証言部分は信用することができないし他に右認定を覆すに足る証拠はない。

以上認定の事実についてみるのに、被告がその使用する人夫等の通勤の便宜をはかるため訴外昭に依頼してその運転する自動三輪車に同人等を塔乗させることも又人夫の一人に命じて右昭のため工事物資の運搬傍々人夫の輸送について同人に協力させることもダム工事にともなう被告の業務の一部に属するものというべきであつて、訴外正雄が昭の助手として人夫等の輸送に協力することは即ち被告の業務の執行であると解すべきである。ところで本件の場合訴外正雄は運転免許を受けていないことは前記の通りであり、それにも拘らず被告が同人に運転を命じた事実は認められないのであるから、同人の本件運転行為は同人が被告によつて命ぜられた訴外昭の助手としての職務の範囲を超えるものと一応考えられるのでこの点につき按ずるのに本件事故現場附近のような山間部の工事現場等においては運転手の不足に加えて当局の取締りの困難等の実情から無免許者の自動車運転もとかく行われがちであることは世上見られるところであつて、現に前記の通り訴外正雄は既に二回程訴外昭の承認を得て同人の自動三輪車を運転して附近を走行しており、本件事故発生の場合も昭は正雄の運転をあえて制止しなかつたのであつて現場における敍上の慣行に徴すると訴外正雄の所為は一途に同人の個人的行為であるとは断じ難く勿論違法ではあるけれども矢張り助手としての職務とは不可分の関係にあつたものというの他なく、同人の行為の結果については被告は使用者としての責任は免れないものというべきである。

次に本件事故により原告等の受けた損害の点につき審究するのに証人高橋久夫の証言により成立を認め得る甲第一、第二号証の各一ないし四その方式並に趣旨より成立を推定すべき同第三号証の一ないし四(請求書の部分)の各記載右証人高橋久夫並に大場ヨソエの各証言及び原告石山松男同奥山久一同野口シゲヲ各本人尋問の結果を綜合すると原告等は本件事故のため各自主張通りの負傷をし事故当日より最上町立病院及び古川市所在医師高橋久夫方において同年八月三十一日まで入院加療し、その後原告辰蔵は四週間通療したが翌年春頃までは就労することができず、同松男は三週間通療したがなお十数日は就労できず現在冬期には患部に疼痛あり同久一は約一ヶ月通療したがなお就労までに四十数日を要したが現在でも重労働に従事することができず、同シゲヲは三週間通療したが現在なお疼痛を残し労働に従事できない状態にあつてその間原告等がそれぞれ別紙目録(省略)記載の通り診療費の支出を余儀なくされ且つ事故当日より入院並に通療中の期間(原告辰蔵は六十三日同松男は五十六日同久一は六十五日同シゲヲは五十六日)中就労不能のため男子は日当額一日金三百五十円女子は一日金二百五十円(日当額については争いがない)の割合による人夫として就労し得べかりし利益を喪失したことを認めることができる。次に原告等主張の慰藉料請求の当否についてみるのに本件原告等が前認定の通り本件事故のため各自相当の重傷を受け多大の痛苦に悩み且つ長期間就労も意の如くでなかつたことによる心身の打撃は察するに余りあるものがありこれに対する慰藉料額は原告主張の通り各自に対し金三万円宛が相当である然し乍ら本件事故が訴外正雄の過失によることは前記認定の通りであるとは云えその原因は山間の悪路を行く積載量一屯の本件自動三輪車に約二十名が乗車した塔乗者側にもその責の一半のあることは前認定の事実によつてもうかがえるところであつてその点原告等にも過失のあつたことは明かであるから、原告等の請求金額はこの理由から減殺を免れない。右原告等の過失を斟酌することによつて原告等の請求金額より相殺すべき金額は各自につき金一万円宛とするのが相当であると思料する。

以上によつて本件事故に基き被告に対し物質的精神的損害の賠償を求める原告等の本訴請求は別紙目録記載の通りの金額並にこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明かな昭和二十九年十月二十日より支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容しその余の部分を棄却すべく訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条本文第九十三条第一項本文を適用しその全部を四分しその三を被告のその一を原告等各自等分の負担とすべく主文の通り判決する。

(裁判官 藤本久)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例