山形地方裁判所酒田支部 平成元年(ワ)54号 判決 1991年2月28日
原告
菅原勝二
被告
富士災海上保険株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
原告は、被告に対し、金一二〇〇万円及びこれに対する平成元年六月六日から支払ずみまで年六分の割合による金員の支払を求めた。
第二事案の概要及び争点
一 事案の概要(争いない事実及び証拠上明らかな事実)
1 保険契約
原告は、被告との間で昭和六三年八月一一日、左記条項を含む自家用自動車総合保険契約を締結した。
(一) 自損事故条項
本件自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により、被保険者(本件自動車の運転者及び同自動車の正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者等)が身体に傷害(ガス中毒を含む)を被り、かつそれによつてその被保険者に生じた損害について自動車損害賠償保障法第三条に基づく損害賠償請求権が発生しない場合は、保険金を支払う。
被保険者が右傷害の直接の結果として死亡したときは、死亡保険金一四〇〇万円をその相続人に支払う。
(二) 搭乗者傷害条項
被保険者(本件自動車の正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者)が、本件自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害(ガス中毒を含む)を被つたときは、保険金を支払う。
被保険者が右傷害の直接の結果として被害の日から一八〇日以内に死亡したときは、被保険者一名ごとに死亡保険金一〇〇〇万円をその相続人に支払う。
2 本件事故の発生
原告と同居している原告の長男菅原勝(昭和四四年四月六日生)は、平成元年三月八日、本件自動車(普通乗用自動車)を運転して帰宅し、同自動車を車庫に入れて出入口扉を閉め、同自動車にエンジンをかけたまま搭乗中、車庫内に充満した排気ガス中の一酸化炭素に中毒して、午前五時頃、同自動車後部座席において死亡した。(死亡時刻につき甲第二号証)
3 原告は、菅原勝の相続人(法定相続分二分の一)として、前記保険契約に基づく各死亡保険金の二分の一及びこれに対する本件訴状送達日の翌日以降の商事法定利率による遅延損害金の支払を求めている。
二 争点
本件争点は、本件事故が前記保険契約にいう本件自動車の「運行」に起因する事故にあるかどうかである。
1 原告の主張
自動車が本来的に内包している危険が発現した事故は救済されるべきであり、その見地から、右危険が発現する恐れがある状態を「運行」と解すべきである。そして、排気ガスによる一酸化炭素中毒は、自動車が本来的に内包している危険であり、エンジンを稼働させれば、それ自体でその危険の発生の恐れがあるから、走行との関連性を問わず「運行」にあたる。
また、乗用車は、車内でカーステレオを聴いたりして寛ぐことも利用方法の一つであるから、その際、暖房のためエンジンをかけておくこともエンジンの相当な用法であり、右目的でエンジンを稼働させることは、自賠法二条二項にいう「当該装置」としてのエンジンを同項にいう「その用い方に従い用いる」ことに該当し、走行との関連性を問わず「運行」にあたる。
仮に「運行」状態にあるというためには走行との関連を要するとしても、走行はエンジンを切つて運転者が車両を離れたときに終了すると解すべきである。
勝は、アイドリングのためまたは暖房のため帰宅後本件自動車のエンジンを切らずに、本件自動車に乗車して以後の行動計画を思案していたのであるから、以上により、本件自動車は「運行」状態にあつたといえる。
2 被告の主張
「運行」とは、場所的移動を目的とする乗用車の場合、最も広く解しても、移動を開始してから目的を達して帰庫するまでの間に自動車の装置を本来の用い方に従い用いることと解するべきであり、当該装置の用い方は走行と密接な関連を有するものでなければならない。
原告の主張する事実を前提としても、勝は、帰庫して扉を閉め、単に暖をとるための目的で長時間エンジンを稼働させたまま本件自動車に長時間乗車していたものであり、前後の走行との連続性なくエンジンを用いたものであるから、本件事故当時本件自動車が「運行」状態にあつたとはいえない。
第三争点に対する判断
一 本件事故の状況について
勝が車庫内の本件自動車中で何をしていたのかについては、前部または後部の座席に座つて考えごと等をしていた、後部座席に横になり仮眠していた等複数の可能性があるが、これを確定するに足りる証拠はない。
甲第八号証及び乙第三号証の一ないし六によれば、本件車庫の容積は八〇立方メートル余りあること、原告の主張によれば、本件自動車に搭載されているエンジンの排気ガス量を実測したところ、一分間二四三・三九リツトルであつたこと、甲第七号証によれば、自動車の排気ガス中の一酸化炭素の濃度は三ないし五パーセント程度であること、以上の事実を認定することができる。
右事実を前提として、本件自動車の排気ガス中の一酸化炭素の濃度が五パーセント程度と高めであつたと仮定して本件車庫内の一酸化炭素の濃度を推計すると、六分ないし七分で〇・一パーセント、一三分ないし一四分で〇・二パーセント、三〇分余りで〇・五パーセントとなる。
そして、甲第五、第六号証によれば、一酸化炭素中毒により、激しい頭痛、衰弱、めまいなどの比較的高度な症状が出るまでに要する時間は、空気中の一酸化炭素濃度が〇・一パーセントの場合、座位で一時間程度、歩行時で三〇分程度であり、同濃度が〇・二パーセントの場合、座位で三〇分程度、歩行時で一五分程度であること、同濃度が〇・五パーセントの場合、座位で一時間程度、歩行時で三〇分程度で死亡に至ることが認定できる。
右各事実によれば、勝が帰宅までの運転等のため呼吸量が多めであつたとしても、帰宅してから高度の中毒症状が出るまで少なくとも一五分以上、死亡するまで少なくとも三〇分以上を要したと推認することができる。
二 自動車保険の自損事故条項は、自賠法三条による損害賠償責任を前提とする損害賠償責任保険制度を前提に、被害者の単独事故による人身損害等、右責任が発生しない場合を救済する目的で創設されたものであるから、同条項は同法と整合的に解釈すべきである。よつて、同条項中の「運行」については、特に異なつた意味に解すべき理由が認められない以上、同法の「運行」と同一の概念として解釈すべきであり、また、搭乗者損害条項中の「運行」についても、同じ保険約款中で同一の用語で表現されていることに鑑み、これと同一の概念と解すべきである。
よつて、本件各保険条項中の「運行」とは、自賠法二条二項により、「自動車を当該装置の用い方に従い用いること」と解すべきところ、本件ではエンジンが自動車の固有装置であり、右「当該装置」にあたることは明らかであるので、本件自動車をそのエンジンの「用い方に従い用い」ていたかどうかを検討すべきことになる。そして、自動車を当該装置の「用い方に従い用いる」とは、当該装置の使用全般を「運行」とするのではなく、当該装置を予定された相当な方法で使用し、かつ、その使用によつ、社会通念上、当該自動車を自動車として使用していると認められる場合に限り「運行」とする趣旨で「用い方に従い」と限定していると解するのが相当である。
原告は、エンジンを稼働させていれば「運行」にあたると主張するが、右解釈は、「運行」の認定にエンジンの使用態様及び自動車としての使用状況を考慮しないものであるから採用できない。
次に、本件事故当時、走行後のアイドリング等走行と関連してエンジンを稼働していたと認定できれば、本件自動車は「運行」状態にあつたといえるが、勝は、前記のとおり、本件自動車を車庫にいれて車庫の扉を閉め、重大な症状が出るまで少なくとも一五分以上、走行後のアイドリングのために必要な時間を大幅に上回つてエンジンを稼働させたままにしておいたものであり、また、間もなく出発するためにエンジンを稼働させていたとも認めるに足りないから、これを走行と関連したエンジンの稼働と認定することはできない。
さらに、自動車を仕事、娯楽、休憩等の場として使用することも、自動車の種類、使用場面によつては社会通念上普遍的な使用方法として認める余地があるが、自宅の扉を閉めた車庫内で考えごとをし、あるいは仮眠をとる場所として使用することは、乗用自動車の使用方法として社会通念上普遍的なものとは認められず、したがつて、その際、車内を暖かくするためエンジンを稼働させたとしても、これを以て、自動車を「用いる」ことにはあたらないというべきである。
三 よつて、本件事故が本件自動車の「運行」に起因すると認めることはできないから原告の請求は理由がない。
(裁判官 中山顕裕)