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山形地方裁判所酒田支部 昭和41年(わ)56号 判決 1967年4月28日

被告人 斎藤春雄

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実の要旨

被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四一年四月一九日午後五時一五分ころ、普通貨物自動車を運転し、時速約三〇粁ないし四〇粁で飽海郡松山町大字竹田字藤里一三番地先道路(巾員六・六米)にさしかかつた際、対向進行してきた大型ダンプカーを前方約二九米に認め、これとすれ違いをしようとしたが、同所付近はゆるい右カーブであつて、道路北側に電柱、同南側に電話柱が五〇米間隔に設置してありかつ両側に家屋が立ちならんでいて見とおしがきかないのであるから、右ダンプカーの後方車との不測の事故をさけるため、直ちに警音器を鳴らすなどした上、減速徐行して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り漫然そのままの速度で進行を続けすれ違いにかかつた過失により、右ダンプカーのかげからこれを追い越しにかかつた斎藤博(当時一八才)運転の自動二輪車を約一三米に接近して発見し、危険を感じ左にハンドルをきり急制動したが、間に合わず右バツクミラーを同人に接触の上、同人をして操向の安定を失わせて前記ダンプカーの右側面に衝突転倒するにいたらしめ、よつて同人に脳内出血左下腿骨々折の傷害を負わせ、同日午後五時二五分ごろ同所大字竹田所在松山診療所において死亡させたものである。

二、当裁判所の判断の要旨

(一)  被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する供述調書、斎藤隆久の司法警察員に対する供述調書、司法警察員作成の実況見分調書、裁判所の検証調書、医師岡田政枝作成の死亡診断書を総合すると、次の事実――

被告人は自動車運転の業務に従事しているものであるところ、被告人運転の普通貨物自動車が起訴状記載の日時場所(S字型カーブで道路両側に人家が立ち並んでいることから見とおしが悪くしかも巾員が六・六米の狭い道路)において、時速約三〇粁で進行中、対向進行してきた斎藤隆久運転の大型ダンプカーとすれ違いをしようとした際、右ダンプのかげからこれを追い越そうとして被告人の進路に出てきた斎藤博運転のバイクを約一三・七米前方に始めて発見し、危険を感じ、とつさに急制動等の措置を講じたが、及ばず、自車の右バツクミラー附近を同人に接触させた上、さらに前記ダンプカーの右側面とも衝突転倒させて同人に脳内出血等の傷害を負わせ、よつて同人を起訴状記載の日時場所において死亡させるにいたつたことの各事実を認めることができる。

(二)  そこで、先づ被告人に、検察官主張の如き、すれ違い車の後方車との不測の事故をさけるための警音器吹鳴ならびに減速徐行(検察官は時速一〇粁ないし一五粁まで減速すべきであると釈明した)の義務が存するか否かにつき考えるに、ことを一般的に論ずる限り、およそ自動車運転者は互いに相手が法規を遵守して適法相当な運転行為に出るであろうこと、云いかえれば無暴な操縦行為には出ないであろうことを期待し、又これを前提として運転しているものというべきであるから、本件のような場合、即ち、S字型カーブで道路両側には人家が立ち並んでいることから見とおしが悪く、しかも巾員が六・六米の狭い道路上で、対向のダンプカーとすれ違いをしようとする場合、その対向ダンプの背後からこれを追い越そうとして自己の進路にいきなり進出してくる無暴な車があるであろうことは、運転者の常識に照して一般に予測できないことである。運転者に対して、すれ違いをする車のうしろに後続車の存することの予測を求めることはできても、その後続車が本件のような道路状況下において、先行車を追い越そうとしていきなり自己の進路に入つてくるであろうことまで予測させて、これとの不測の事故をさけるため、予めこれに対処しうる態勢をしておくことを求めるが如きは、現在の道路状況交通常識(相手もまた車の運転者である)に照して、余りに酷なことである。従つて、本件の道路状況の下で、すれ違い車の後方車が先行車を追い越そうとしていきなり自己の進路に入つてくることを予測して、これに備えて、又これとの不測の事故をさけるため、予め減速徐行すべき義務はないものと思料する。対向してきたダンプカーとのすれ違いをするに当つて必要な注意義務を尽せば足りる。又本件現場は道路交通法第五第四条第一項所定の場所にあたらないから、特に危険がさし迫つた状況にない限り、同条第二項の法意に照して、警音器を吹鳴することは無用のことであつて、少なくともすれ違い車の後方車との不測の事故をさけるため、予め警音器を吹鳴すべき義務はない。

要するに、被告人には検察官主張の如き注意義務が存在しないものと断ずるのほかはない。

従つて、本件はまず右の点において、無罪は免かれないものであるが、検察官は被告人には起訴状記載のごとき注意義務が存在すると、あれこれ強く主張するので、二、三の点につき附言しておく。

(三)  今仮りに、検察官主張のごとく、すれ違い車の後方車との不測の事故をさけるため、時速一〇粁ないし一五粁まで減速徐行すべき注意義務が被告人にあつたとして考えてみよう。

(イ)  ところで、被告人が被害バイクをはじめて発見したのは、証拠上、その前方一三・七米(この点につき後述する)の地点であつたことが認められるが、特段の事情のない限り、被害者の方もおそらく被告人が被害者を発見したと同時位に被告人の車を発見したものと想定してほぼ間違いなかろう(被害車のスリツプ痕のつきはじめの地点等からもある程度うかがわれる)。この場合、被害者のバイクの速度は先行するダンプカー(時速二五粁ないし三〇粁)を追い越しをしかけたのであるから相当の速度を出していたものと思料され、少なくとも時速四〇粁は下らなかつたものとみるのが妥当である。

(被害者が被告人の車を発見して急ブレーキをかけた地点が果してどの地点に当るかは証拠上明らかでないが、前記のとおり被告人が被害者を発見したと同じ頃相手を発見してブレーキをかけたと仮定すると、そこから被害車のスリツプ痕のつきはじめまで四・八米あるので、いわゆる空想時間を弁護人主張の3/10秒とみると、被害車は時速五八粁で進行していたことになり、検察官主張の3/4秒とみると、時速二三粁ということになるが、当時被害者は先行車を追い越しする等のため運転のみに注意集中していたと考えられるから、空想時間を4/10秒位とみても大きな間違いをおかすものではないと思料され、従つて被害車の速度は少なくとも四〇粁は下らなかつたことになる)

(ロ)  とすると、被告人の車が仮りに検察官主張のとおり、一〇粁ないし一五粁に減速徐行していたとしても、前記認定の状況の下では、本件事故はさけられなかつたことがほぼ明らかである。即ち、前記認定のとおり、本件現場はカーブのため見とおしが悪く、しかも巾員が六・六米という狭い道路上で、被告人の車が対向してきたダンプカーとすれ違いにかかろうとしている状態にある時、約四〇粁の速度の被害バイクが対向ダンプカーのうしろからいきなり自己の進路に入つてきたのを、その前方僅か一三・七米(お互いの運転席から車の先端までの距離各一米合計二米をさし引くと一一・七米にいたつてはじめて発見したということになるから、双方とも相手を発見したと同時に急ブレーキをかけたとしても、制動距離の範囲内にあることが明らかであるから、衝突を免れないことは自明であるし、仮りに進路をかえようとしても被告人はダンプカーとすれ違つていて進路をかえることは不可能であつたし、被害者の方もすでにその時には二五粁ないし三〇粁で進行する(被告人の車とすれ違いするためもつと低速であつた可能性がある)先行ダンプカーの後部が左前方五米位に迫つている時期であつたことがうかがわれるから、右ダンプカーが邪魔になつて進路を左にかえることはできないし、又スリツプのまゝダンプカーのうしろに戻ることはなお不可能であつたことが窺知できる。

従つて、本件は被告人において仮りに検察官主張の注意義務を尽していてもさけることのできなかつた事故というべきである。

(四)  尤も、検察官は論告において、被告人が被害車をはじめて発見したのは被告人の車のスリツプ痕のつき具合からみて、その前方約二二米の地点であつたとして、起訴状記載の約一三米前方説と異なつた見解を示したので、これにつき一考するに、なるほど事故当時見分した司法警察員作成の実況見分調書によると、被告人が被害車を発見したとして指示する地点よりも三米位前から被告人の車のスリツプ痕がついていることが明らかであるから、その主張のとおり被告人は右スリツプ痕のつきはじめの地点より手前において被害者を発見したとみる方が自然で合理的であるように一見みられないではないが、しかしさらに仔細に検討してみると、被告人がスリツプ痕のつきはじめの地点より手前六・三米(空想距離を検察官は六・三米と計算した)の地点において(この地点から被害車の位置まで約二二米あるという)、被害車を発見したという見解にはなお次のような大きな疑問がある。即ち、被告人がはじめて被害車を発見した際の被害車の位置から衝突地点までの距離は実況見分調書上九米であることが明らかであるが、一方被告人が二二米の前方で(被告人の車のスリツプ痕のつきはじめより六・三米ほど手前で)被害車を発見してブレーキをかけたとみると、その地点から衝突地点までは運転席と後部車輪間の距離を考慮しても、実況見分調書上、なお一三・四米位あることになり、これはブレーキをかける前の加害被害両車のスピード(前記認定のとおり、加害車の速度は三〇粁位、被害車の速度は四〇粁を下らないものとみられる)から考えて理屈に合わず余りに不合理なことであるし、又被告人が被害車を発見した際の被害車の位置を理に叶うようにもつと遠くの方五、六米以上東寄り)へ移しかえて考えようとしても次の疑問につき当る。即ち被告人の車のスリツプ痕のつきはじめの手前六・三米の地点から右移しかえた位置の被害車を発見することは、実況見分調書、検証調書によつて認めうる道路のカーブしている状況や被害車より先行していたダンプカーの進行位置等からみて、不可能であることが明らかである。

要するに検察官の右の見解にはにわかに賛成できないものがある。ちなみに、この点についての被告人の供述をみると、被告人は警察官に対する供述調書において、「対向進行してきた大型ダンプに気づいてから、これとすれ違いをするため、左に寄りながらブレーキをふんで速度をおとし、実況見分調書の<3>の地点まで進んだとき、ダンプのうしろから飛び出してきたバイクを前同<ア>附近に(<3>と<ア>の距離は実況見分調書上一三・七米である)発見し、危険を感じて思い切りブレーキをふんだ」と供述し、さらに自車のスリツプ痕せきについて、「実況見分調書図面にかいてある私の車のスリツプ痕のつきはじめの方はうすいが、これはバイクを発見してかけたブレーキの痕ではなく、ダンプとすれ違いをするためのものです。……そしてバイクを発見するとすぐブレーキをふんでいた足に力をいれたので、それからのスリツプ痕は真黒くついたのです。」と述べていて、少なくとも、スリツプ痕のつきはじめの方の分はダンプとのすれ違いによるものであることを強調しているのであつて、このダンプのうしろから飛び出したバイクを前方一三・七米の地点ではじめて発見したという供述は前記認定したブレーキをかける前の加害車被害車双方のスピードや、衝突地点までの双方の距離等からみても十分合理性のあることが認められるし、又実況見分調書の写真によつてもその状況の一部(スリツプ痕の濃淡)がうかがわれるので、右被告人の供述は十分信用性があるものと思料する。

従つて以上述べたところから検察官の被告人は前方二二米位前で被害車を発見したとする見解は到底採用できない。

以上の次第で、被告人に対しては犯罪の証明がないものとして刑事訴訟法第三三六条に従つて無罪の言渡しをするものとする。

(裁判官 高信雅人)

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