山形家庭裁判所 昭和54年(家)76号 審判 1981年3月30日
申立人 清川まき
相手方 大塚文子 外二名
主文
一 被相続人の別紙目録記載の各不動産(建物については共有持分二分の一)はいずれも申立人の取得とする。
二 申立人は相手方大塚和太郎、同山川よしみ、同大塚俊一、同大塚正行、同大塚英夫に対し名金四八万一、〇〇〇円を、相手方大塚文子、同山藤一雄、同山田幸子、同大塚良子、同井口秋子に対し各金九万六、〇〇〇円を、相手方大田一輝、同中村君子に対し各金二四万円を(合計金三三六万五、〇〇〇円を)各支払え。
三 審判費用中鑑定人に支給した分は、申立人、相手方大塚和太郎、同大塚俊一、同大塚正行、同大塚英夫が平分して負担し、その余の分は各支出者の負担とする。
理由
一 被相続人清川正次は昭和五三年六月二一日山形市内において死亡した。その相続人はその妻申立人(明四五生)、亡長姉山藤ヨシミ昭和三二年四月二九日死亡につき代襲相続人であるその長女相手方文子(昭三生)、その長男相手方一雄(昭五生)、その二女相手方幸子(昭七生)、その三女相手方良子(昭八生)、その四女相手方秋子(昭八生)、被相続人の長兄相手方和太郎(明四一生)、二妹相手方よしみ(明四五生)、三妹亡大田クニエ昭和二三年八月一九日死亡につき代襲相続人であるその長男相手方一輝(昭一八生)、その長女相手方君子(昭二一生)、被相続人の三弟相手方俊一(大六生)、四弟相手方正行(大八生)、六弟相手方英夫(昭二生)である。右各相続人の法定相続分は、申立人三分の二、相手方和太郎、同よしみ、同俊一、同正行、同英夫が各二一分の一、相手方文子、同一雄、同幸子、同良子、同秋子が各一〇五分の一、相手方一輝、同君子が各四二分の一である。
二 被相続人の遺産は別紙目録記載の各不動産であり、その昭和五六年二月当時の価額は、土地につき一平方メートル単価が一三万六、三六〇円であるから目録記載1の土地が八三一万六、五九六円、同2の土地が二、六五九万五、六五四円であり、同3の建物が被相続人の共有持分二分の一につき二三二万九、〇〇〇円である。
三 次に申立人の寄与分について検討するが、本件については、申立人に大幅な寄与分を認めるべきである。すなわち、
(一) 申立人は昭和一二年歯科医師となり、同一四年七月被相続人と婚姻し、同年一一月目録記載2の土地で目録記載3の建物の旧建物(被相続人が養子先から家督相続したもの)で歯科医院を開業して来たが、昭和四八年右建物を取り壊して本件建物を新築し、引き続き現在まで歯科医を営業しているものであるところ、被相続人は、もと県庁職員であつたが、病弱であり、昭和一六年八月退職し、以後狭心症や肺炎を繰り返し、さらには白血病のような症状を呈するにいたつて昭和五三年六月死亡するまでの約三七年間、県庁退職後はり・きゆうの資格を取得して自宅で「心療院」を開業していたものの、その収入は月一万円程度であり、その生活は殆ど申立人の収入に頼り、二人の間には子がいなかつたことから専ら申立人が約三七年の間被相続人を扶養し、かつ看病して来たといえる。
(二) 被相続人は大塚左与エ門の二男であつたが、昭和一三年三月清川サチの養子となり、以後相手方和太郎ら大塚家の者とは別居して清川家に入り、その後継ぎとして遇され、昭和一三年四月養母の家督相続により目録記載2の土地(前叙のとおりその上の建物も)を取得し、また昭和二六年実父左与エ門が死亡し、その遺産相続に際しては、長男である相手方和太郎に相続させることで他の相続人を説得し、結局それを実現させて自らは何ら遺産を取得しなかつた。
(三) 目録記載1の土地は昭和四四年専ら申立人の収入により他から買い受けたものであるが、ただ申立人が「夫の顔を立てるため」との気持からその所有名義を被相続人にしたものであり、また昭和四八年に新築した目録記載3の建物も、専ら申立人の収入に依るものであるが、同様に「夫の顔をたてるため」にその所有名義を申立人と被相続人の各二分の一の持分の共有としたものである。
(四) 被相続人と、その同胞である相手方和太郎、同よしみ、同俊一、同正行、同英夫らとは、同人らが特に申立人と気が合わなかつたことから余り兄弟らしい交際をせず、いわんや経済的な援助は殆どしていない。従つて相手方甥姪らにいたつては尚更である。しかし、相手方英夫だけはある程度申立人とも気が合い、申立人や被相続人とも交際し、家の新築や被相続人の葬儀の世話をしたようであるが、これとて一般的な兄弟としての行動の域を出ず、特別同相手方が被相続人の遺産の形成維持に貢献したということはできない。
(五) 本件遺産分割に関する相手方甥姪らの一部を除く他の殆どに共通する考え方は、必ずしも遺産やあるいは金銭の取得を望んでいるものではなく、被相続人と申立人夫婦に子がなかつたことから申立人がしかるべき養子を迎え、清川家の後継者を決定するのが先決だということであつて、そしてできるなら養子は大塚家一族の者の中から選んで欲しいということである。しかし、申立人は養子に関しては他から干渉されたくないと強く反発している。また一応遺産の取得を望んでいる一部相手方甥姪らも、それほど強い意思を持つているものではなく、多分に他の相手方らに同調する気持もあるとみてよい。このことから本件遺産分割審判に先立つ調停が不成立に終つたのも専ら右のような養子の問題によるものであつて、遺産の配分に関するものではなく、総じて相手方らはすべて本件遺産を取得するという積極的な意思を有していないというべきである。
(六) 民法上兄弟姉妹には遺留分が認められておらず、また、本件が係属中の昭和五六年一月一日民法の一部改正法の施行により、妻と兄弟姉妹が相続人である場合の兄弟姉妹の相続分が従前の三分の一から四分の一に引き下げられ、半面妻の相続分があらゆる場合において引き上げられた。このことからも民法は兄弟姉妹の相続をそれほど重視せず、その半面妻の相続をいちだんと重視するにいたつているということができ、このことは、妻と兄弟姉妹が相続人である場合の妻の寄与分を考える上でも考慮すべきことであるといえよう。また右民法改正法により寄与分の制度が法律上設けられるにいたり、寄与分の上限については何らの定めもなされなかつた。
以上の諸点を考慮すれば、特に目録記載1の土地と同3の建物は実質的には申立人の単独所有であるとみられないこともないこと、申立人が三七年間にわたつて病弱の被相続人を扶養看護して来て、相手方らの援助を殆んど受けなかつたこと、相手方らが本件遺産の取得を積極的に望んでいないこと等から、本件各遺産につき、申立人の寄与分を大幅に認めるべく、結局目録記載1の土地と同3の建物につきいずれも八〇パーセント、同2の土地につき七〇パーセントの寄与分を申立人に認めるのが相当である。
四 前叙の事情から、本件遺産分割においては、申立人に遺産全部を取得させ、申立人から相手方らにその相続分相当の金銭を支払わせるのが相当である。そこで、右のとおりの寄与分を考慮し、目録記載1の土地の価額につきその八〇パーセントを控除すれば残額は一六六万三、三一九円、同2の土地の価額につきその七〇パーセントを控除すれば残額は七九七万八、六九六円、同3の建物の価額につきその八〇パーセントを控除すればその残額は四六万五、八〇〇円となり、その合計は一、〇一〇万七、八一五円となる。これを三で除すれば三三六万九、二七一円となるので、結局これが相手方ら全員の取得分合計となる(後記のとおり若干の変更がある)。これを各相手方ごとに分けると、相手方和太郎、同よしみ、同俊一、同正行、同英夫は一人あたり右金額の七分の一の四八万一、三二四円となり、相手方文子、同一雄、同幸子、同良子、同秋子は一人あたり右四八万一、三二四円の五分の一の九万六、二六四円となり、相手方一輝、同君子は一人あたり右四八万一、三二四円の二分の一の二四万六六二円となる。これをすべて一、〇〇〇円未満を切り捨てると右四八万一、三二四円が四八万一、〇〇〇円と、右九万六、二六四円が九万六、〇〇〇円と、右二四万六六二円が二四万円となり、その合計は三三六万五、〇〇〇円となる。従つて、結局申立人は本件遺産全部を取得する代りに相手方らに右金銭を支払うべきことになる。審判費用中鑑定人に支給した分については諸般の事情から申立人と相手方兄弟らのうち相手方よしみを除く他の者とが平分(すなわち各五分の一)して負担し、その他の費用は各支出者の負担とするのが相当と認める。
よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 穴澤成巳)
別紙目録<省略>