岐阜地方裁判所 昭和30年(行)2号 判決 1955年12月12日
原告 清水政喜知 外二名
被告 岐阜市長
主文
原告等の請求を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
事実
第一請求の趣旨並答弁の趣旨
原告等訴訟代理人は、「被告が昭和二十九年八月九日岐阜市告示第四八号を以てなした別紙記載の市道路線変更処分はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告訴訟代理人は本案前の裁判として「原告等の訴を却下する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、本案の裁判として「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求めた。
第二当事者双方の主張
一、原告等訴訟代理人は請求原因として、岐阜市加納寿町五丁目道路(以下本件道路と略称する。)は旧鶉街道を昭和四年以来区劃整理により直線貫通道路に変更したもので、附近の住民たる加納西校下全般三里六条方面の町民にとつても通行上重要な市道である。しかるに岐阜市加納大黒町一丁目訴外奥田毛織株式会社は本件道路附近の宅地を工場敷地に買収し、密かに昭和二十九年四月三十日附にて本件道路は「交通量極めて少なく奥田毛織の設置により当地方は莫大な利益ある故廃道を適当と認める」旨の意見書と題する書面に寿町三、四丁目広報会長小島竹治、加納西広報連合会長笠原憲一両名の捺印を求め、これを添附して同年五月七日廃道願を岐阜市長宛に提出した。これにより岐阜市議会は右廃道の議案を土木委員会に付託し、同委員会は同年七月二十七日これを可決し、翌二十八日本会議はそのままこれを鵜呑みに承認可決し、これに基き同年八月九日当時の岐阜市長東前豊は岐阜市告示第四八号を以て別紙記載の市道路線変更処分をなし、以て本件道路を廃止した。しかしながら右処分は次の如き理由で違法なものである。即ち、(イ)道路の廃止、変更は交通関係町民の公共の福祉に関する重大問題で、一営利会社の移転便益の犠牲に供せらるべき筋合のものでなく、関係町民多数の賛成を得て事を運ぶのが条理上当然の処置でなければならない。しかるに本件変更処分の基礎となつた意見書は事実に反するものであるばかりでなく、地元関係町民の全然知らない間に、奥田毛織株式会社が前記連合会長等に対し既に承認済みなりと詐言を弄して捺印を得たものであり、従つて市議会においても地元関係町民の異議なきことが廃道決議の前提となつている。しからばかかる誤れる前提に立つ決議に基く本件変更処分は違法で取消を免れない。(ロ)仮りにそうでないとしても、本件変更処分は道路法第十条第二項に基きとあるも、詳さに検討すると、何等路線の認定変更ではなく、実は同条第一項の路線の廃止であるから、同項所定の一般交通の用に供する必要がなくなつたと認められる場合においてのみ、これを許容すべきもので、この点においても本件変更処分は違法で取消さるべきものである。(ハ)仮りにそうでないとしても、以上の如く廃道となつた経緯は極めてインチキであり、関係町民多数の反対あるに拘らず、名を工場誘致の美名にかくれて既成事実を以て押し通そうとするが如き強暴は著しく社会正義に反し、権利の濫用として許されないところと信ずる。而して原告等は本件変更処分のあつたことを昭和三十年三月中旬知つたのである。そこで原告等は右処分を違法として本訴においてその取消を求めるものであると述べた。
二、被告訴訟代理人は、本案前の主張として、市道とその住民との関係は、法律上は所謂地方自治体の営造物とその住民との関係である。この関係は、住民はその営造物自体に対し共有の権利を有するのでなく、その営造物の存する限りこれを「共用」する権利があるというにすぎず、行政処分により営造物が廃止されれば、共用権も亦当然消滅すべきものなることは地方自治法第十条により明かである。而して右営造物の廃止処分によつて住民個々の共用の権利が毀損されたとなすことが出来ないこと勿論である。蓋し、共用権の毀損は、営造物が営造物として現存しているにかかわらず、行政処分により住民の共用権が行使し得ない場合にだけ生ずるものであり、営造物が行政処分により廃止された場合は、住民としては、営造物が現存すれば、それを共用し得る権利を持ち得るという利益即ち営造物の存在の事実上の利益を廃止処分により失つたにすぎないものと認められるからである。従つて本件変更処分の取消を求める訴訟は、裁判所法第三条にいう法律上の争訟ではなく又右処分により原告等の権利を侵害したものとはいえないから、原告等は本訴において権利保護を求める利益がない。以上のことは道路法の規定によつても明かである。即ち同法第九十六条には、道路管理者のなした処分については異議の申立、訴願等の救済手続の規定あるにかかわらず、同条中に道路法第十条の処分は含まれていない。しかも右第九十六条引用の各条の行政処分は、営造物が現存し且住民個人の権利を直接に毀損する結果を来たすものに限られている。のみならず右第十条による処分が違法であるときは、同法第七十五条によつて監督官庁がそれを監督処分し得ることになつている。住民より不服申立の方法なき行政処分即ち住民個人の法益の侵害にあたらない事実上の問題に関する場合に、かかる監督官庁の監督処分を認めることは行政法規の常道であるから、このことによつても道路法が同法第十条の処分によつて住民個人の権利が侵害されたものとみていないこと明かである。以上いずれにしても原告等の本訴は不適法であつて、却下を免れないと述べ、本案の答弁として、原告主張事実中本件道路は旧鶉街道を昭和四年以来直線貫通道路に変更したものであること、右道路が市道であること、原告等主張の如き廃道願の提出、委員会の議決、本会議の議決並市道路線変更処分のあつたことは認めるが、その余の事実は争う。殊に本件道路は区劃整理による道路ではなく、耕地整理によつて設定された道路であり、当時も並行線ありて、通行殆んどなき市道であつたと述べた。
三、原告等訴訟代理人は、被告の右本案前の主張に対し、(イ)被告主張の如く共用権と共用権を持ち得る利益とを区別し、本件変更処分は共用権を侵害したものでなく、共用権を持ち得る利益を喪失せしめたにすぎないとすることは許されない。即ち道路管理権は公共用目的のためのものであり、従つて住民の通行の利便のためにのみ行使さるべきものであるから、市長が管理権を行使するには、一部市民の便益よりもより多くの市民の便益に反するといつた場合に限り道路使用の自由や権益を制限することが許されるものというべきである。してみれば市民の道路に対する共同使用権は営造物の主体たる集合体の一員として各人に属する権利であつて営造物の目的によりその内容を定められるべき公法上の権利である。地方自治法第十条の規定は正にこの趣旨を規定したものとみるべきである。従つて原告等は岐阜市の住民として本件道路について共用権を有していたものといわねばならない。しかるところ原告等は本件変更処分により右共用権を喪失したのであるから、とりもなおさず右処分は原告等の共用権自体を毀損したものに外ならないのである。(ロ)仮りに本件変更処分による共用権の毀損がないとしても、原告等住民は本件道路が一般公衆の使用に開放されている結果、その反射的利益として右道路を通行する自由を有し、若しかかる通行の利益が侵害されるならば、これは民法は勿論刑法によつても充分保護されているのであるから、右法律上の利益に他ならない。而して行政訴訟の要件としての権利毀損とは、法律上の利益の侵害を指称するものであるから、原告等の右法律上の利益を侵害した本件変更処分は、原告等の権利を毀損したものといわねばならない。(ハ)以上の主張が理由なしとしても、共用権を持ち得る利益を事実上の利益として権利と区別したり、反射的利益を権利と区別して、前者に対する侵害には抗告訴訟を認めないと解釈することは、裁判所において裁判を受ける権利を奪うものであり、憲法第三十二条の「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない。」との規定に違背する。尚道路法第十条の廃止変更処分について同法には何等の救済手続の定をなしていないから右処分は権利侵害を生ずるものではないとなす被告の主張は不当である。蓋し、道路法は、憲法の主権在民、地方自治の精神に徴して、行政庁の道路の認定、廃止、変更をすべて住民代表の議会の議決を要件とし、よつて以て住民の通行権益を擁護し、道路管理の適正を期することに万全の配慮をつくし、共用権を確保しているのである。而して行政庁の違法な管理による共用権に対する不都合についてすら異議、訴願の途を拓いている。況や共用権自体に対する廃止、変更処分が違法なるにかかわらず、これに対し法の救済を仰ぎ得ない道理はないからであると述べた。
理由
被告が昭和二十九年八月九日岐阜市告示第四八号を以て別紙記載の市道路線変更処分をなしたこと、本件道路が市道であることは当事者間に争なく、これにより本件道路は廃止されたものといわねばならない。被告は原告等が本件変更処分の取消を求めるについて原告たるの適格を有しない旨抗争しているから此の点について検討してみよう。
元来道路は一般公衆の共用に供されることを本来の性質とするが故に各人は道路が公衆の共用に開放された結果の反射的利益として、道路管理者の許容の範囲内において且他人の共用を妨害しない限度においてこれを使用する自由を享有するに止まり、これ何人も享有する一般自由権の効果たるにすぎず、特別の権利たるものではない。従つて原告等はこの関係においては本件道路について何等の権利をも有するものではない。
原告等は、道路管理権は公共用目的のために存在するもので、その目的のためにのみ管理権に基き道路使用の自由や権益を制限することが許されるから、原告等は本件道路の主体たる岐阜市の一員として道路につき共同使用権を有し、地方自治法第十条は此の趣旨を規定したものであると主張するので、考察するに、道路管理権の行使には、道路の公共用物たる性質上法律上の制限が存することは道路法の諸規定(例えば第十条、第三十二条、第三十三条、第三十七条、第四十六条、第四十七条等)からして明白であるが、右制限は道路共用の目的を達するために存するもので、かかる制限の反射的利益として道路の主体たる地方公共団体の住民或は一般公衆は道路を自由に使用し得るにすぎない。従つて右制限があるからといつて直ちに原告等が岐阜市の一員として本件道路について共同使用権を有するものとなすことはできない。又地方自治法第十条にいう「営造物を共用する権利」とは、住民が住民たる資格に基いて公共の利用に供される公の設備を平等に利用し得べきことを意味するにすぎず、住民でないものの利用を妨げるものではないから、右は正確なる意義においての権利ではないと解するのが相当である。従つて原告等は個人としては勿論、住民としても本件道路について権利を有しているものではない。以上のとおりであるから、原告等の右主張は理由がない。
次に原告等は、道路通行の自由乃至利益は民法は勿論刑法によつても保護されている法律上の利益であると主張するので考察するに、なるほど民法第七百九条は道路の通行に妨害を加えた者に対し損害賠償の責任を課し、刑法第百二十四条は往来の妨害となるべき行為をなした者を処罰しているが、前者の被侵害法益は身体的活動の自由であり、後者は公共危険罪で、その保護法益は公衆の交通の自由と安全であるから、右はいずれも原告等が本件道路の使用乃至利用につき法律上の利益を有することの根拠となすことはできない。従つて原告等の右主張も理由がない。
以上の通りであるから原告等が本件道路そのものにつき占用使用権等の如き特別の権利を主張立証した場合はともかく本件の場合の如くその主張も立証もなされていない場合においては原告等は本件変更処分による右道路の廃止によつてその権利を毀損されたものと認むべきではなく、単に道路が公衆の共用に開放された結果としての反射的利益を害されたにすぎないことゝなるものといわねばならない。このように権利毀損なくして提起された本件訴訟は、住民としての公共的行政監督的立場から、行政法規の違法な適用に対しこれを是正するためになされる一種の民衆訴訟たる性質を有するものといわねばならないから、法律の特別の規定をまつてはじめて之を提起し得ると解するのが相当である。しかるに本件変更処分に対しかゝる訴を認めている法律規定は存在しないから原告等は本件変更処分の取消を求めるにつき原告たる適格を欠くものといわねばならない。
原告等は、反射的利益を権利と区別して本訴請求を理由なしと解釈することは、憲法第三十二条に違背すると主張するが、憲法の右規定は、本件の如く原告たる適格なき場合においてまでも裁判所において裁判を受ける権利を認める趣旨のものではないから、原告等の右主張は理由がない。
以上の理由により、原告等の本訴請求は、爾余の点について判断するまでもなく失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十三条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 奥村義雄 小淵進 佐竹新也)
(別紙省略)