岐阜地方裁判所 昭和34年(レ)27号 判決 1960年10月31日
控訴人 加藤キヲル
被控訴人 末次藤雄
主文
原判決を取消す。
本件訴を却下する。
訴訟費用は第一、二審共に控訴人の負担とする。
当裁判所が本件につき昭和三十四年八月三日なした強制執行停止決定はこれを取消す。
前項にかぎり、仮りに執行することができる。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。控訴人と被控訴人間の岐阜簡易裁判所昭和三一年(イ)第九六号貸金和解申立事件について成立した和解調書に基く強制執行はこれを許さない。訴訟費用は第一、二審共に被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の主張並びに証拠関係は、次に付加するほかは原審判決中の事実欄記載のとおりであるから、こゝにこれを引用する。
控訴代理人は
一、仮りに本件和解につき代理権欠缺、虚偽表示、民事紛争不存在等の無効原因が存在しないとするも、なお次の如き瑕疵がある。
(1) 本件家屋は、控訴人が昭和二十八年中、訴外松本曹行と離婚するにあたつて、子供二人を養育する代償として同人から贈与を受けたもので、控訴人等親子三名にとつて唯一の生活の本拠である。それ故、控訴人は、右和解により右家屋を奪われまたは強制執行を受けることを知つていたならば、かゝる和解をしなかつた筈であるが、控訴人はその間の事情を認識する余地もなかつた。従つて、右和解には要素の錯誤が存在する。
(2) 訴外大橋梅一は、本件和解にあたり、控訴人の代理人となると共に、他方被控訴人からも和解をなすべきことの委任を受けているから、右和解は実質的には双方代理行為である。
(3) 右和解の内容となつている消費貸借上の債権額は、実際には和解当時金九十九万六千九百四十六円にすぎないが、右和解は債権額を真実に反して金百十万円となしたうえ、時価約百万円に相当する控訴人所有の本件家屋及び時価約百三十万円に相当する訴外加藤得誠所有の土地家屋の双方を担保となし、わずか一ケ月の短期間内に右百十万円を支払わないときは、右各不動産を代物弁済とし、即時かつ無条件に明渡しの強制執行を受けるべきものとしている。かゝる契約は、相手方の無知と急迫に乗じてなされた暴利行為である。
二、仮りに、本件和解調書自体について瑕疵がなかつたとするも、その後において、次の如き事情が生じたから、これに基く強制執行が違法もしくは不当であることに変わりがない。
(1) 右和解の内容となつた債務の弁済期は、和解調書の記載上は昭和三十一年四月十一日となつているが、実際は同年五月末日とするものであつた。そして、右弁済期以前の同年五月四日、控訴人の共同債務者たる訴外加藤得誠は前記債権額中の金七十四万四千二百三十二円の弁済をなし、残額はわずかに金二十五万余円にすぎなくなつた。それ故、かくわずかな残金額のために時価百万円以上の本件家屋を以つて代物弁済となすことは暴利行為となり、その効力を生じない。
(2) 本件和解調書上は、被控訴人のために代物弁済契約が締結せられると共に、同一目的物につき抵当権が設定せられ、被控訴人は代物弁済契約に基く権利の行使と抵当権の実行とのいずれか一方を選択しうるものとされているが、被控訴人は弁済期後において、被担保債権につき任意の弁済を求めたので、これに応じて前記加藤得誠は昭和三十一年八月十六日、右債務を完済した。
従つて、本件家屋が代物弁済によつて被控訴人の所有となることはない。
(3) 被控訴人が昭和三十一年七月二十八日、右和解調書に基き本件家屋に対してなした強制執行は、債務名義たる右和解調書の送達なくして行われ、その違法なることが明らかである。
と述べ、立証として当審証人加藤得聞、同加藤得誠の各証言、当審における控訴本人尋問の結果を援用し、乙第十号証は成立を認め、同第十一号証は不知と述べた。
被控訴代理人は、控訴人の右主張事実を否認し、立証として乙第十、第十一号証を提出し、当審証人加藤俊永の証言を援用した。
理由
被控訴人が、控訴人と被控訴人間の岐阜簡易裁判所昭和三一年(イ)第九六号貸金請求和解申立事件につき成立した和解調書により、原審判決目録記載の家屋に対して明渡しの強制執行をしたことは当事者に争いがない。そこで先ず、右執行により、右和解調書に基く強制執行がすべて終了するに至つた旨の被控訴人の抗弁につき判断する。
成立に争いのない甲第一号証(乙第十号証と同一のもの)、乙第七号証、原審証人奥村善之助、同神谷さだゑの各証言、当審における控訴本人尋問の結果によれば、右和解調書は、控訴人及び訴外加藤得誠の両名が被控訴人に負担する金百十万円の借受金債務を昭和三十一年四月十一日迄に完済しないときは、本件家屋の所有権は被控訴人に移転し、控訴人は右家屋を明渡すべき旨を定めていること、被控訴人は右和解調書の正本に基き、同年七月二十八日、岐阜地方裁判所執行吏奥村善之助に委任して、控訴人に対する右の家屋明渡しの強制執行をしたこと、しかし当時、右家屋玄関東側の六畳の間には、同家の間借人訴外浅野健二が居住し、なお同人は右家屋中、玄関、勝手場、廊下の一部につきその所有物件の若干を置き、この部分を控訴人と共同使用中であつたこと、そのため、右執行を実施した執行吏は、これら六畳の間及び玄関等の部分にあつては、右浅野が控訴人とは別にそれ自身独立の占有をなしているものと認め、これに対しては、本件債務名義を以つてしては執行しえないものと考えてこれを見合わせたこと、しかし、その余の部分に関する限り、控訴人所有動産はすべて戸外に搬出して控訴人に引渡すと共に、この部分を被控訴人の代理人に引渡したこと、右執行の結果、控訴人は同家屋における日常生活が不可能になり、隣家の神谷さだゑ方で寝泊りするようになつたことが認められる。
ところで、強制執行は、原則として、その基本たる執行力ある債務名義に表示せられた当事者間においてのみ、効力が及ぶもので、他方その実施も、右の当事者間においてなせば、当該債務名義に基く執行は終了に帰するものというべきであるが、右に認定した事実によれば、執行吏が本件家屋中玄関東側の六畳の間及び玄関、勝手場、廊下の一部について執行を見合わせたのは、前記浅野の単独または共同の独自的占有を認め、本件の執行力ある債務名義の効力の及ぶ主観的範囲を尊重したことにあつて、その判断、措置はもとより正当である。それ故、右執行を見合せられた部分について、控訴人が右浅野に対する関係で、実体法上の問題として代理人による占有権を有するか否かはともかくとして、右執行の程度としては、もはや右債務名義にもとずくものとしてなしうる残存部分はなく、従つて控訴人に対する関係では既に執行の完了を来たしたものといわねばならない。もつとも、右の玄関及び勝手場に存在するであろう控訴人の所有物件が戸外にまで搬出せられたか否かは必ずしも明らかでないけれども、がんらい家屋明渡の強制執行なるものは、執行債務者の当該家屋に対する占有を解き、これを債権者に得させることを本質とし、その中心的内容は債務者を目的物たる家屋から退去させることにあり、多少の債務者所有物件の搬出の如きは、その一つの手段ないし付随的側面に関することであるところ、本件にあつては、現に執行債務者たる控訴人は退去せしめられたうえ、その主要な家財道具も殆んど家屋外に搬出せられ、わずかに右家屋の一部にして、かつ右家屋の効用上本質的部分とはみられない玄関、勝手場についてのみ執行が見合わされたというに止まり、さらに前記認定事実によつて明らかな如く右執行の見合わせなるものは、前記浅野に関することで、同人にのみ占有を継続させる旨の執行吏の意思の表明であつたものとみるに充分であるから、かゝる場合には、控訴人の占有はすべて喪失せられ、従つて控訴人に対する関係では、右家屋明渡の前記執行が未了であるとはいえないのである。
以上のとおりであるから、本件和解調書にもとずく強制執行は、すでに終了に帰したものといわねばならないからら、右強制執行の不許を求める請求に関する異議の訴を提起することが許されないものであつて控訴人の本件訴は不適法なものというべく、進んで異議の理由の存否について判断するまでもなく、却下を免れない。
してみれば、右と同旨でない原判決は失当として取消すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用し、なお本件につき当裁判所がなした強制執行の取消並びにこれに対する仮執行の宣言付与につき、同法第五百六十条、第五百四十八条第一、二項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 村本晃 小森武介 鶴見恒夫)