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岐阜地方裁判所 昭和43年(わ)121号 判決 1971年4月16日

主文

被告人を禁錮八月に処する。

但しこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は昭和三五年六月に岐阜県公安委員会から大型第二種免許を受けて以後自動車の運転の業務に従事して来た者で、同三七年八月現在の勤務先である岐阜乗合自動車株式社会に移つてからは定期路線バスの運転手として勤務し、同四〇年頃からは自動車運送事業等運輸規則第一五条一項但書の車掌を乗務せしめないいわゆるワンマン・カーの運転手として勤務して来ているのであるが、同四二年一二月一五日午前一一時四八分頃、前記会社定期路線市内バス雄総発下川手方面行大型乗合自動車いすず四一年式岐二い七一三号を運転して岐阜市加納上本町のバス停留所に一旦停車し、降客の降り終るのを待ち、折柄進路前方を斜に道路を横断して駆けて来た乗客があつたのでこれを乗車せしめて発車の措置を執るに及んだ際、右停留所にはベンチに腰を下してバスを待ち合わせていた老人の島谷進吉(当八四年)がいたことであり、被告人としても停留所に進入するに当つては同人の姿を現認していたのであるから、(一)およそ乗合自動車の運転者たる者が路線の停留所に一度停車した後に発車するときの注意義務としては、必要な合図をなしたうえ前方及び左右等附近の安全を確認し、そのうえで初めて走行進路に車両を進入するべく、人車の往来に対しては格別慎重な操縦をなすべき義務が一般的に肯認せられるところで、(二)右慎重な安全操縦の義務の中には、運転業務が元来一般公衆旅客の運送を任務としており、更に通常要せられる車掌の乗務もなしでなされる運行であるため、運転者としては車掌の用いる注意をもまた実質的には兼有するのを要求される関係にあることから、車両に設備してある機器は進んで十二分に活用して、乗降客の状況ことに客の乗降車の意思の把握につきなし得る限りの努力をなし、これに基づきその意思に副う便宜を的確に供与するべき必要があるうえ、かかる労務の提供に当つては客に老幼病者もあることであるから、保護を要する者に対しては状況に従い十分に余猶のある利便を準備するべく更に法律上義務として求められ、かりそめにも乗降客に自車両その他との接触等に基因する危険の発生がないよう万全の措置をなし、切迫した危険に対しては適切な避譲措置をなすべく、且つかかる危険避止の義務は発車の瞬時に尽くせば足りるというものではなく、当該状況に従い少くとも自車両が停留所を完全に離脱し去るまでは継続するのが通例至当であるといつて差支ない事理に鑑み、(三)なお前示の本件事実関係の時点では、車両に備えつけてあつた左後写鏡(縦三〇糎、横一六糎の長円形)を使用すれば、注視により被告人の運転席における位置からでも、車両左側中央部にある後扉降車口に接する辺から左外側に約二米の空間は、その見透しがよく効き、佇立又は移動する成人の人影はこれを容易に認識できる事情にあつたこと、(四)また右停留所において被告人は当初前記老人のみしかおらず同人は乗車の姿勢を示さなかつたので乗車専用の前扉は開かずにいたが、発車間際に前記のように駆けこんで来た別の客は降車客のために開けてまだ閉めないでいた後扉から誤認して乗車し、被告人はこれを見咎めたのであるが、かくするうち右乗車した客に釣られて急ぎベンチを起つてバス後扉口まで約3.50米歩いて来た前記老人の行動には無理からぬ判断が伴なつていたと認められること、(五)並びに当時の右停留所附近における道路状況は混んではおらず、バスの終点も間近で被告人が急がねばならぬ特別の理由は何も認められなかつた事情を考えると、被告人としては、発車時に更めて左側方の状況を確認する義務が既に具体的に発生しており、その注意を払うべきであつたのであるが、たまたま右別の乗りこんだ客が乗車口を誤つたことにつき他の乗客が車内で注意を与え被告人もこれに賛して気を許した事実があつたりし、右車内におけるやりとりに費された寸秒の時間が外部の状況把握については徒過された時間と一致する結果となり、被告人は結局不注意のまま発車せしめて若干の時間進行したため、右運転車両後扉口附近にまで至つた老人に対して不意の事態を招来したことになり、同人は半ば自動車を追う形になつたが、それより約四米バスと同一方向に進むうち、同人は被告人の業務上の過失に基づきアスファルト舗装の道路上に歩道を枕にする形で転倒せしめられ被告人は右状況の上で右転倒した老人に対し自車両左後輪でその左大腿及び右下腿を轢過し、よつて同人に対し左大腿骨折、左膝蓋骨折、左下腿開放骨折、右下腿骨折、右上腕骨折の三肢重傷骨折の傷害を与えたが、右傷害に基づく外傷性ショックにより、遂に右島谷進吉をして翌一六日午前三時一〇分頃同市上本町河合外科病院において死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)<省略>(岡山宏)

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