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岐阜地方裁判所 昭和51年(ワ)44号 判決 1983年6月15日

原告 甲野太郎

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 梨本克也

被告 岐阜市

右代表者市長 蒔田浩

右訴訟代理人弁護士 土田修三

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告甲野太郎に対し金二〇〇五万四六〇二円、原告甲野花子に対し金一九五五万四六〇二円及びこれらに対する昭和五〇年七月一八日から支払ずみまで、年五分の割合による各金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

(請求原因)

一  事件の発生

1 原告両名の長男亡甲野一郎(以下一郎という。)と乙山春夫(以下乙山という。)は、ともに岐阜市立明郷中学校二年六組に在学中のところ、昭和五〇年七月一八日午前一一時三〇分ころ、同校校舎階段において、以下のとおり、乙山の一郎に対する傷害事件(以下本件事件という。)が発生した。

2 すなわち、同日、同校舎二階の二年六組教室において第三時間目の福井一芳教諭(以下福井教諭という。)による社会科の授業中、残り一〇分位になったころ、乙山は同人の後の席に座っていた一郎の方を振り向いて「デコピー。」(乙山が一郎につけた仇名)と言ってからかった。一郎は「いらんことを言うな。前を見ていろ。」と乙山に対し注意し、一郎の隣席に座っていた同級生の丙川夏夫も乙山に対し同様に注意した。そのとき、乙山の左肘が一郎の机に掛かっていたので、一郎は乙山の左腕をぐっとつかんだ。すると乙山は右手に持っていたシャープペンシルで一郎の足のももを突ついたので、一郎は「痛い。」と大きな声を出した。黒板に向かって筆記中であった福井教諭はこの声を聞き、「甲野君、何やっとるの。そんな声を出して。」と注意し、授業を続行した。

間もなく授業が終了すると、福井教諭は一郎を同組教室前廊下に呼び出したが、乙山と丙川は、自分も関係があるということで、一郎とともに廊下へ出て来た。福井教諭は、「君たちは授業中何をしていたのか。」と問い質したところ、一郎は前記授業中の事実を訴えた。そこで、福井教諭は、乙山と一郎の両名に授業の受け方について注意、指導し、三、四分でその場を立ち去った。

乙山は、福井教諭の立ち去る後ろ姿に向かって「バカヤロウ。」と大声で怒鳴ったが、福井教諭から注意されたことについて一郎に対し憤懣の情を抑えきれず、近くの下駄箱から一郎のズック靴を取り出して、廊下北側窓から地上へ投げつけた。一郎が「お前はその位のことしかようやらんのか。」と言うと、乙山は一郎に殴りかかり、カッターシヤツの胸もとをつかんで引っ張り、シャツのボタンを取ってしまった。それでも一郎は、乙山に対し何も手出しをせず、「ちゃんとお前はこんなことをするなあ。」と言っただけであった。

この状況を見ていた丙川は、乙山を後ろから抱えて制止しようとし、同級生の丁原秋夫も、一郎の胸もとをつかんでいた乙山の手を引き離そうとして、乙山の手首を強く引っ張った。このため、乙山は一郎をつかんでいた手を離したが、丁原と一郎に唾をかけ、さらに、廊下の一角にある傘置き場から洋傘を一本持ち出し、それで一郎らを殴ろうとした。

一郎らは、乙山が洋傘を取り出したため乙山の相手にならない方がよいと考え、また、唾をかけられていたため顔を洗いに行くことも考え、丁原、一郎、丙川の順に階段の方へ走って逃げ出した。一郎が階段踊り場から五ないし八段位下の階段を降りかけたとき、洋傘を持ったまま一郎らの後を追いかけて行った乙山は、二階階段手摺りの真中辺りから眼下一・五メートルないし二メートルの階段を降りて行く一郎をめがけて洋傘を投げつけた。

右洋傘の先端石突き部分が一郎の頭頂部に三ないし五センチメートルの深さで突き刺さり、一郎はその場に昏倒すると同時に意識不明に陥った。その後、一郎は、近石病院を経て岐北病院へ運ばれ、手術を受けたが、翌一九日午前一時四〇分脳挫傷により死亡した。

二  本件事件発生に至る背景

1 乙山の知能、性格傾向等

乙山の知能指数は八一ないし八二とかなり低い。乙山は、小学校三年生のとき、交通事故にあい、頭を強く打ち、約一か月間意識不明の状態が続き、九ヶ月間にわたり休学した。右休学による学業の遅れも重なり、乙山の学業成績は極端に低い。

また、乙山は精神状態が非常に不安定で、衝動的な行動に走りやすいという性格傾向を示しており、非常に小柄で腕力的には級友達に圧倒されるため、すぐに手当り次第そばのものを投げつけたり、もので殴りかかるという危険な対人傾向を示した。

このため、乙山は小学生のころから粗暴な行動が目立ち、同級生をはじめ周りの児童生徒に多大の迷惑をかけ続けていたので、学校側でも手を焼いており、学内外においていわゆる問題児として有名であった。

2 学校における指導監督

(一) 班編成

明郷中学校では、各学級内において生徒を六、七名ずつの班に分け、班長に班員を統括させるという班組織をとっている。

西尾典教諭(以下西尾教諭という。)は昭和五〇年四月に同校二年六組の担任となったものであるが、同組の班編成のため班長会議を開いたところ、班長となった名生徒は、皆いわゆる問題児として有名な乙山が自分の班員となることを嫌がった。このため、西尾教諭は、一年生のとき担任していた一郎が成績も優秀で気心も知れていたことから、一郎に対し、乙山を一郎の班に入れて面倒を見るように依頼し、一郎がこれを引き受けたので、乙山は一郎が班長である同組第三班の班員に決まった。

その際、西尾教諭は一郎に対し、一郎が班長として、乙山が忘れ物をしたり、宿題を忘れたりすることのないよう常に注意、指導すること、乙山が粗暴な行動に出た場合は直ちにそれを止めさせることなど、乙山を学習面と生活面の両面にわたり指導監督すると共に、常に一郎自身が模範となるよう行動することによって、乙山を善導教化することに最善を尽すよう指示した。

(二) 第三班における乙山と一郎の関係

乙山は、新学期早々から、忘れ物も多く、悪戯や粗暴な行動が目立ち、級友に多大な迷惑をかける日が続いた。これに対し、一郎は、自宅から毎日のように乙山に電話をかけ、忘れ物をしないよう、宿題をやってくるよう注意したり、数学の答を教えてやったりし、また、乙山が悪戯をしていたり、他の生徒に迷惑をかけたりしているときはそれを止めるなどして、班長としての責任感から、いやむしろそれ以上に西尾教諭の前記(一)のとおりの指示を守るために、乙山を真面目にしようと懸命に努力した。

しかしながら、乙山の態度はいっこうに改善されないばかりか、五月末ころからは一層悪化し、一郎自身が授業中に乙山から邪魔されるので、落ち着いて勉強ができないところまで追い込まれていった。これは、乙山が、一郎の指導監督を次第にうとましく感じるようになり、一郎に対する劣等感や妬みとあいまって、一郎に対し敵意を抱くに至り、一郎との間に相当な精神的軋轢を生じて来たためと考えられる。

(三) 一郎の訴え

こうして、一郎は次第に自信を失ない、どうしていいかわからないと思い悩み、その悩みを、乙山の行動を具体的に指摘して西尾教諭に対し訴え続けた。とくに乙山の態度が悪化していった五月末ころからの生活記録帳における一郎の訴えは次のとおりであった。

(1) 五月二一日(木)「今日班学習をやろうとしたら、乙山が逃げて行ってしまい、追いかけたら石を僕にぶつけたので、僕もちよっと追いかけれずどうしょうもなかった。そのあとまた暴れ出し、取り押さえたりすると、椅子を取ってほかったり、竹刀を振り回したりしてどうしょうもなかった。」

(2) 六月六日(金)「乙山君のおかげで丙川君も『授業がわからへん。』と言っていたが、僕もそんなふうになって行くようだ。乙山君はシャープペンシルで十回ぐらい刺す。やめてほしい。血が三か所ぐらいでる。我慢しているとつねたっりこれではもうねをあげてしまう。」

(3) 六月一三日(金)「また乙山君が暴れた。時間中も授業中も真面目にやらず、本を読んでいて注意すると、シヤープペンシルで突き刺してくる。注意しないわけにはいかないし、するとかえって騒ぎ出し、僕も授業が判らなくなってしまうので、どうしたらよいのかと思っている。」

(4) 六月一四日(土)「反省にあれだけ真面目だった乙山君は、今日また暴れ出した。どうなっているのかわからない。」

(5) 六月一五日(日)「乙山君のおかげでこのごろあまり真面目に授業ができなくなってしまった。遊んでいるので注意すると怒り出し、僕の腕にマジックで落書はするし、突き刺すし、何をしてくるかわからない。かといって、ほかっておくのはいけないし、困っている。」

(6) 六月一六日(月)「今日はとうとう僕も丙川君も我慢しきれなかった。だから乙山君は逃げ回るようにして、掃除もサボッていた。授業中ときたら、『このまえのおかえしや。』といって、足で僕の学生ズボンに泥をつける。まったくひどいもので困ってしまう。」

(7) 七月二日(水)「今日、また乙山君と喧嘩をやってしまった。僕も大分悪い。けど一番頭にきたのは、乙山君が教科書の表紙を破って捨て、二、三ページ穴をあけたことだ。もっと物を大切にしてほしかった。」

(8) 七月三日(木)「今日班会議をやろうとしたとき、乙山ひとりいなかったのでむりやり引張ってきたら、椅子はぶつける、本で頭を殴る、唾をかける、本当にひどかったが、少したつとけろっと変わっている。どうなっているのかわからないが、真面目にやってほしかった。」

(四) 西尾教諭の対応

西尾教諭は、一方では、体罰をもって生徒を自分の指示命令に服せしめており、一郎も一年生のとき、家庭訪問の際に母親の面前で殴られるなど、何度も殴られている。他方では、一郎に対し、「班長はえらいで五群(高校進学の際の学校群の一つで、岐阜高校が含まれることから生徒の憧れの的であった。)に入れてやる。」と言って利益誘導をはかっており、以上のようないわゆるアメとムチによる強制によって、西尾教諭は一郎に乙山の面倒をみることを押しつけた。

そして、西尾教諭は、一郎に対し乙山に対する指導監督をしっかりやるよう督励し続け、一郎が乙山に注意することを忘れたり怠ったりするともっと真面目に乙山の面倒をみるよう注意したばかりか、乙山がよくならないのは班長がしっかりしていないからだといって一郎を責めた。

しかしながら、西尾教諭は、前記(三)のとおりの一郎の訴えに対しては、一郎に対し、一層乙山に対する指導監督を強め、乙山に対する模範となるよう生活態度を向上させ、乙山の善導教化に努めることが、ひいては一郎自身の向上のためにもなるのだとの精神訓話を垂れるばかりで、一郎の悩みを解決するための適切な措置をとろうとせず、とりわけ、前記(三)(2)及び(6)の訴えに対し「大げさだなあ。」と揶揄するか、全く黙視する態度をとった。

3 児童相談所の補導措置

乙山は、昭和五〇年三月、他の少年と共に自動販売機から合鍵を使用して罐ジュースなどを窃取した事件で、同年七月初旬、岐阜県中央児童相談所において数日間「一時保護」を受け、同月一一日、同相談所長から児童福祉司の指導に付する旨の措置を受けた。

同相談所は、右事件の内容及び乙山の調査結果等を明郷中学校長に対し報告したうえ、昭和五〇年七月一一日付の右措置をとった際にも直ちに同校に対しその旨の報告をした。これと同時に、児童福祉司から乙山の担任教師と同校生活指導担当者に対し、乙山に対する今後の指導方針等の打合わせのため、速やかに同相談所まで出向かれたい旨の呼出しをした。

しかしながら、明郷中学校では同月一五、一六日に二年生のキャンプの行事予定があり、その準備に忙殺されているとの理由で、西尾教諭らは同相談所に出向かなかった。

なお、乙山は、右キャンプの際にも、女子生徒に石をぶつけて怪我をさせている。

4 まとめ

本件事件は、乙山の担任教師たる西尾教諭が、いわゆる問題児である乙山を直接全面的に指導すべきであったのに、その責任を回避したにとどまらず、成績優秀な一郎をその班長となして、これに転嫁し、乙山を指導監督し善導教化すべき責任を一郎に全面的に負わせた結果、乙山が一郎の指導監督を次第にうとましく感じ、一郎に対する劣等感や妬みとあいまって一郎に敵意を抱くに至り、たまたま級友らの面前で注意を受けたことが発火点となって一郎に対する日頃の憎悪が爆発したため、発生したものとみるのが相当である。

三  被告の責任

1 過失総論

小中学生のように未だ精神的にも肉体的にも未成熟の児童、生徒を預かる教師は、教育活動及びこれと密接不離の生活関係において、代理監督義務者として生徒の生命身体の安全について万全を期すべき高度の保護監督義務を負っているのであるから、本件において、右の如き高度の義務を負っている西尾教諭らにおいて、以下に述べるとおりの過失があったことは明らかである。

2 西尾教諭の過失

前記二2(一)(二)のとおり、西尾教諭が一郎に対し、いわゆる問題児である乙山を指導監督し、善導教化すべき全面的責任を負わせた結果、一郎がこれを忠実に守って乙山の世話をやくほど、乙山の態度が粗暴化していったものであるところ、前記二2(三)のとおり、一郎は乙山の行動を具体的事実を摘示して、西尾教諭に対し訴えていたのであるから、西尾教諭は、右一郎の訴えを真摯に受け止め、冷静に観察、分析していたなら、乙山の粗暴な行動が質的、量的に拡大化傾向を示しており、しかもその攻撃がすべて一郎に向けられていること、以上の現象は、乙山が一郎の指導監督を次第にうとましく感じ、一郎に対する劣等感や妬みとあいまって、一郎との間に相当な精神的軋轢を生じて来たためであって、乙山と一郎の関係は一触即発の危険をはらんでいることを看取し得たはずである。そして、西尾教諭は、前記二1のとおりの乙山の危険な性格傾向について十分知悉していたのであるから、このまま放置すれば、乙山が一郎に対し本件の如き傷害事件を引起すかもしれないという危険を本件当時予見していたということができ、あるいは少なくとも右の危険を予見すべきであったといえる。

そして、西尾教諭としては、右の予見に基づき、直ちに乙山を一郎の班からはずして自ら直接指導監督するとか、学校教育法二六条の規定に基づき、市教育委員会が乙山に対し出席停止の措置をとるよう校長に要請するとか、少年法三条、児童福祉法二五条の各規定に基づき、児童相談所へ通告するなど、一郎の生命、身体に対する危険の発生を防止するための適切な措置を講ずるべきであった。

しかるに、西尾教諭は、前記危険発生に対する予見義務に違反し、あるいは右危険の発生を予見しながら、あえてこれを回避すべき適切な措置をとらなかった過失がある。

さらに、西尾教諭は、前記二3のとおり児童相談所から呼出しを受けており、これに応じて、乙山の補導のための適切な措置がとられていたならば、本件事件の発生は回避できたものと思料されるにもかかわらず、右呼出しに応じなかった重大な過失がある。

3 福井教諭の過失

本件事故は、前記一のとおり、学校校舎内において、休み時間中に、福井教諭の指示で乙山と一郎が廊下に呼び出され、同教諭から注意を受けた直後に発生したものであるから、同教諭には、乙山の挙措動作に注意し、他の生徒に危険を加えることのないよう指導監督すべき注意義務に違反した過失がある。

また、福井教諭は、本件事件発生当時、明郷中学校の生活指導担当者であり、同校二学年担当の副主任であったから、乙山がいわゆる問題児であることを知悉しており、かつ、本件事件発生の直前に乙山に対し注意を与えた際、乙山が同教諭の立ち去って行く後ろ姿に向かって「バカヤロウ。」と大声で怒鳴った声が聞こえたはずであり、乙山がそれほどまでに興奮し、憤懣の態度を示していたことを知ったはずであるから、本件事件の発生を予見し、これを回避するため、もう一度引き返して注意するなどの適切な措置を講ずるべきであったのに、これを怠った過失がある。

4 校長の過失

明郷中学校校長村瀬誠一郎は、昭和五〇年四月に同校へ赴任後直ちに、担任である西尾教諭らからの報告により、同校には乙山といういわゆる問題児がいることを知ったはずであるから、西尾教諭に対し、班編成をとる場合、西尾教諭が乙山に対する指導監督責任を班長に全面的に転嫁することのないよう指導すべきであったのに、これを怠った。さらに、同校長は、乙山の生活態度等について定期的に西尾教諭から報告させるなどの方法によって継続的に観察すべきであったのに、これを怠った。

また、村瀬校長は、本件事件発生の直前頃、父兄の一人から乙山の素行について苦情の申立があったため、西尾教諭から同校長に報告書を提出中であり、児童相談所からも前記二3のとおりの報告を受けていたのであるから、乙山のぐ犯少年的傾向について知悉していたはずである。したがって、同校長も西尾教諭と同様に、本件事件発生の危険を予見すべきであったし、あるいはその予見に基づき、学校教育法二六条及び児童福祉法二五条に基づく措置を考慮するなどして右の危険の発生を未然に防止すべきであったのに、これを怠った。とくに、同校長は、前記のとおり児童相談所からの呼出しを受けていたにもかかわらず、西尾教諭らを出向かせなかった点に、重大な過失がある。

5 教育長の過失

岐阜市教育長は同市立の中学校に対し、班編成による教育を採り入れるよう指導してきたものであるが、一般に、小人数の班編成において、各自の希望によらず、教師が一方的に班員の構成を決定し、成績の良い生徒を班長に選び、これに対し成績や素行の悪い生徒を指導する責任を負わせた場合、班長と班員は対等な立場であるから、両者間に完全な信頼関係が生まれていないと、班員において、班長の指導がうとましく、妬みや劣等感とあいまって班長に対し憎悪感を抱くに至る危険があることを予見すべきである。しかしながら、同教育長は、これを予見せず、校長や担任教師に対し、班員の構成、班長の選出及び班長の班員に対する指導監督の程度等について適切な指導助言をしなかった過失がある。

6 被告の責任

本件事件は、明郷中学校における教育活動に関連して、西尾教諭、福井教諭、同校校長及び岐阜市教育長の以上の各過失が競合して発生したものである。右は、地方公共団体の公権力の行使にあたる公務員がその職務を行うについて、過失によって違法に他人に損害を加えたことに帰するから、被告は、国家賠償法一条により、それによって生じた損害を賠償する責任がある。

四  損害

1 逸失利益

一郎は、本件事件当時、満一三才一一ヶ月の健康な男子であり、成績も優秀で、家庭環境からも大学に進学する蓋然性は極めて高かったから、大学を卒業する満二二才から六八才まで就労可能であり、その間大学卒男子労働者の平均賃金に相当する収入を得るものとみるべきである。そして、昭和五四年賃金センサスによる産業計・企業規模計・大学卒の男子労働者の二二才の平均賃金一八二万二二〇〇円に、昭和五五、五六年度の賃金上昇率を平均六・七四パーセントとみて、これを見込むと、昭和五六年度の平均賃金は金二〇七万六一一〇円となるから、生活費控除を五〇パーセントと評価して、新ホフマン係数を用いて算出した逸失利益の額は、金一九五〇万九二〇五円となる。

原告両名は、右金額の二分の一の金九七五万四六〇二円を、それぞれ相続により取得した。

2 慰藉料

原告両名は、信頼して子供を任せた担任教師の重大な過失によって、中学二年生にまで成長した最愛の一人息子を非惨な死にざまで失ったものであるから、その精神的苦痛は筆舌に尽し難いほど絶大である。よって、その損害は、少くとも原告ら各自金八〇〇万円ずつと評価するのが相当である。

3 葬儀費

原告甲野太郎は、一郎の葬儀費として金五〇万円を支払った。

4 弁護士費用

原告両名は、本訴の追行を原告代理人に委任し、弁護士費用を各自折半で負担することを約した。右弁護士費用のうち、金三六〇万円(原告ら各自金一八〇万円)を被告に負担させるのが相当である。

五  結論

よって、被告に対し、原告甲野太郎は前記四1ないし4の合計金二〇〇五万四六〇二円、原告甲野花子は前記四1、2及び4の合計金一九五五万四六〇二円、並びにこれらに対する本件不法行為の日である昭和五〇年七月一八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(請求原因に対する認否及び被告の主張)

一  請求原因一のうち、1の事実は認める。2の事実中、乙山が、福井教諭から注意されたことについて、一郎に対し憤懣の情を抑えきれなかったこと及び乙山が一郎をめがけて洋傘を投げつけたことは否認し、その余の事実は認める。

二  同二について

1 1の事実中、乙山の知能指数が八一ないし八二であること、乙山が小学校三年生のとき交通事故で頭を強く打ったこと及び乙山は精神状態が不安定で、衝動的な行動に走りやすい性格傾向を示していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

乙山は、原告ら主張のようないわゆる問題児ではなかった。すなわち、乙山は、学業成績は下位であったが、二年六組中でも最下位ではなく(一年生のときの成績は一七二人中一五三番であった。)、忘れ物も多かったが、授業を欠席することはほとんどなく、授業中の態度も熱意が少いという程度であったから、学業上特別に問題があったわけではない。また、乙山はいわゆるかしんゃく持ちで、短気な性格であったが、各学級中二、三名は短気な生徒がおり、それらと格別に差のある生徒ではなく、平素はむしろ小心者であった。さらに、乙山は体格も小さく、腕力もないため、かんしゃくを起しても、教科書を破るとか、ペンで相手の膝などを突く程度であり、喧嘩をしても、友達に簡単に止められたり、その注意を素直に聞き入れることが多く、手に余るというような生徒ではなかった。

他方、乙山は、遊びは上手で、淡白で明るい茶目気のある生徒であったから、遊び時間には友達の人気者であった。したがって、乙山が他の生徒と格別に取り扱うべき著しい性行不良の生徒であるとは到底いえず、学校も生徒達も、乙山をいわゆる問題児とは考えていなかった。

2(一) 2(一)の事実中、明郷中学校では班組織をとっていること、昭和五〇年四月に西尾教諭が同校二年六組の担任となったこと及び乙山は一郎が班長である同組第三班の班員となったことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

各学級内に班を設けて行う教育活動方法は、岐阜県下のほとんどの学校で採用されており、指導すべき多数の生徒を少数に区分して細部に目を届かせるという、生徒の実態を見るのに有効な方法であり、教師の指導責任の遂行を全うするために最も効力のある方法である。

その際、班の編成は担任教師の一方的命令で行われるのではない。二年六組においては、まず、学級全員の選挙により所定の数の班長が選出され、次に、各班の編成について、班長及びその他の委員によって構成された運営委員会において学級全員の希望申出に応じて原案を作成し、学級会においてこれが確定され、最後に、各班長がどの班に所属するかについて、運営委員会において各班長の希望申出に応じて決定したうえ、学級会の承認を受けるのである。したがって、班の編成及び班長の所属については、担任教師の意向とは無関係に、班長は自ら希望する班の班長となるのであって、班長である一郎が選んだ班に乙山がいたというにすぎない。

さらに、班長の職務は、班の調整役であり、班の受持つ仕事や班会議で決定したことの推進役にすぎないのであって、教師の肩代りをして班員の指導監督にあたるのではない。班内で生じた問題は、班長が解決にあたる場合もあるが、班会議に諮って共同して解決にあたるのが原則であり、その問題が学級全体に関わる場合には、班長会や学級会に諮られるのである。担任教師はこれらの会議を通して指導する。すなわち、注意すべきは注意し、賞すべきは賞し、事項によっては生徒の保護者に連絡して解決にあたるのである。

以上のとおりであるから原告ら主張のような、西尾教諭が独断で班の編成を決め、班長の一郎に対し乙山の指導監督を委任したという事実は、全くなかったし、ありえないことである。

(二) (二)の事実中、一郎が乙山に対し自宅から電話をかけ、注意したり、宿題を教えてやったことがあることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

一郎の学業成績は最上位ではないにしても全般的に上位にあるが、その性格としてはやや落着きがなく、大げさに騒ぐなど、派手に振舞おうとするところがあり、また、自信から生ずる勝気な面があって、やや反抗的気性の強いところもあった。こうした性格から、班長として、乙山を含む班員に対する世話、忠告等は熱心であったに違いない。

もちろん、生徒同士であるから、一郎と乙山は口論もするし、乙山が一郎につっかかることもあったが、それもその場限りのことであって、始終反目していたわけではなく、一緒に仲良く遊んでいたのである。このような一郎と乙山との関係は、学校集団生活における通常の状態であって、これをとりたてて問題とすべきような関係になかったことは明らかである。一郎が乙山を遠ざけようとしていたり、乙山が一郎をうとましく思っているような状況は全くなかったものである。

(三) (三)の事実中、一郎が生活記録帳に(1)ないし(8)のとおり記載した事実は認めるが、その余の事実は否認する。

(四) (四)の事実中、一郎が一年生のときの家庭訪問の際、西尾教諭が一郎を殴打したことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

西尾教諭は、父兄、職員間でも、人格の立派な教師として、かつ、教育熱心で厳しい教師として、尊敬されると共に親しまれてきた。一郎の一年生の家庭訪問の際、母親から親の言うことを聞かないと訴えられたとき、一郎が反抗的な態度をとったのを見かねて、戒めのために殴ったこともあるのである。

現に、西尾教諭は、一郎と乙山との間で問題が生じた場合にも、他の生徒間に問題が生じた場合と同様に、その都度両名を呼び、どちらが是か非かを判断して、厳正に注意をし、訓戒し、指導してきた。

また、乙山に関し、一郎やその他の生徒から訴えがある毎に、乙山に対し、場合によっては乙山の家庭に対し、根を尽して説論し、時には叱咤して、その指導に努めてきたものである。

したがって、西尾教諭が、一郎らの訴えを放置し、あるいは生徒の許し得ない行動を見過すが如きは絶対にない。

3 3の事実中、乙山が窃盗事件で中央児童相談所の「一時保護」を受けたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

4 4は争う。

本件事件は、休み時間中の、乙山と一郎との間の些細な口論が原因となって、突発的に発生したものである。

三  同三について

1 1は争う。

学校における教師の生徒に対する監督注意義務は、職務の性質上 生徒の行動のすべてに及ぶものでなく、学校における教育活動及びこれと密接不離の関係にある生活関係に限定されるのであって、この範囲外で発生した事故については何ら責任がないというべきところ、本件は、校内で発生したものではあるが、休み時間という全く教育活動と離れた時間に、かつ教育活動とは全く関係なく発生したものであり、さらに本件事件の当事者は中学二年生であって、終始見張っていなければならない幼児の場合とは異なるのであるから、本件において担任教師らに何ら過失がないことは明らかである。

2 2は争う。

原告らは、学校教育法二六条により乙山を停学させるべきであったと主張する。しかしながら、同法二六条は、憲法上保障された生徒の教育を受ける権利及びその保護者の教育を受けさせる義務を停止させる権限を、教育委員会に対し与えているのであるから、その権限の行使は慎重でなければならないことは明らかである。したがって、右権限の行使は、その生徒が他の生徒の教育に妨げがあると認める場合に限られているが、これはその生徒の行動が授業を連続的に不可能な状況にするような、いわばその他の生徒の憲法上の教育を受ける権利を滅失させる場合を指すものと解すべきであって、本件における乙山の如く、かんしゃく持ちのため、他の生徒より多く喧嘩するとか、騒ぐなど、部分的かつ一時的に授業を妨げる程度の場合は含まれないというべきである。

次に、原告らは、児童福祉法二五条に基づき児童相談所へ通告すべきであったと主張するが、乙山には保護者もあり、かつ、その保護者は児童を委ねるに特別の支障のある者ではないから、児童相談所に報告する義務の発生する余地はない。

さらに、原告らは、少年法三条に基づき児童相談所に通告すべきであったと主張するが、乙山が同法三条三号の各項に該当するとは認められないことは前記二1のとおりである。

3 3は争う。

すなわち、福井教諭が乙山らに対してなした注意は、教室における静粛を妨げる態度の不謹慎さを戒めたものにすぎず、暴力事件その他爾後に身体に対する危害にまで発展しかねないような事件に対しての注意ではなかったのであって、福井教諭が注意した際、かかる事態を予測させるような状況は全く存在しなかった以上、危害を加えないよう指導監督すべき義務のあろう筈がない(まして、その後乙山の罵声など聞いていない福井教諭に、引き返して乙山らに対して注意をなすべき義務はない。)。

そもそも、本件事件は、福井教諭が乙山らに対し注意を与えたことに端を発したとはいえ、福井教諭がその場を立ち去ったのちに発生したものであり、本件事件の起因は乙山と一郎らとの些細な口論にあるのであるから、福井教諭の行動は本件事件の発生とは何ら因果関係がない。

4 4、5はいずれも争う。

5 6のうち、西尾教諭らが地方公務員であることは認めるが、その余は争う。

四  同四はすべて争う。

五  原告らは、一郎の死亡により、日本学校安全会から見舞金として金二〇〇万円の支払いを受けた。よって、右金員を損害の填補にあてるべきである。

(被告の主張に対する認否)

原告らが日本学校安全会から金二〇〇万円の支払いを受けたことは認めるが、これを損害の填補にあてるべきであるとの点は争う。右金員は原告両名に対する見舞金として支払いを受けたものであるから、損害を填補すべき給付ではない。

第三証拠《省略》

理由

一  本件事件の概況

請求原因一1の事実並びに同2の事実中、乙山が福井教諭から注意されたことについて、一郎に対し憤懣の情を抑えきれなかったこと及び乙山が一郎をめがけて洋傘を投げつけたことを除くその余の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

そこで、福井教諭から注意されたことにより乙山の抱いた感情及び乙山が洋傘を投げた動機について検討するに、《証拠省略》を総合すると、一郎が授業中に発した「痛い。」という大声はふざけたような声であったため、福井教諭は授業終了後、一郎に対し「授業中だからあんまり大きな声を出してはいかん。」と注意するとともに、その際、大声を出した理由を一郎が話したため、乙山に対しても「シャープペンシルなどで人を突ついてはいかん。」と厳しい口調で注意したところ、その注意に対し乙山が黙って下を向いたままこれに頷いていたので、乙山も素直に注意をきいたものとみた福井教諭はその場を立ち去って職員室へ戻ったが、乙山は、一郎が一方的に福井教諭に話したために自分までが叱られたものと考え、福井教諭から注意を受けたことにあまり良い気持を持たなかったこと、そこで乙山は立ち去った福井教諭の方に向かって「バカヤロウ」。と叫んだうえ、一郎に対しても抗議したため、一郎や丙川、その他の生徒らとの間で口論となったこと、この口論はすぐ止んだものの、気分がおさまらなかった乙山は、近くの下駄箱から一郎のズック靴を取り出して窓から地上へ投げ捨てたところ、一郎が怒って「お前はその位のことしかようやらんのか。」と乙山を非難したため、乙山はかっとなって一郎に殴りかかるに至ったものであること、また、乙山は、洋傘を持って一郎らのあとを追って行ったところ、二階の踊り場手摺りの真中辺りから階段を見下ろすと、階段を降りて行く一郎らの姿が見えたため、一郎の足元を目がけて洋傘を投げれば一郎の足を止めることができるだろうと考え、洋傘の真中辺りを右手で持ち、洋傘の先を前にして斜下前方へ向けて洋傘を投げつけたものであること、以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

二  本件事件の背景及びその発生に至る経過

原告らは、本件事件について被告の責任を問う前提として、本件事件の背景及びその発生に至るまでの経過についてるる主張するので、まずこの点について検討する。

1  乙山の性格等

《証拠省略》を総合すると、乙山の性格等について次のとおりの事実が認められる。

(一)  乙山の知能、性格及び生育歴

乙山は、父松夫(○○郵便局集配人、但し本件事故発生当時、以下同じ。)と母松子(雑貨店パート)の二男であり、兄一夫(○○銀行勤務)、姉竹子(岐阜県立○○○○高等学校在学)、弟三夫、祖父梅太郎との七人家族で、放任的な面のある家庭に育った。

乙山は、明郷小学校三年生の六月ころ、自動車にはねられ、頭を強く打つ交通事故にあい、一週間意識不明の状態が続く重態となり、その後約六か月間入院し、同学年の二月ころまで八か月余にわたり休学した。右事故による器質的障害や脳波異常は無いことが確認されているが、母や姉の言葉によれば、事故後は気分の変化が激しくなり、母の言うことなどは容易にきかず、自分の気に入らないことがあると、わめき散らすようにして、口答えをしたり、手当り次第物を投げつけることがよくあるという。こうした態度は、右事故のための長い入院生活の中で甘やかされるなどして、わがままが助長され、その後も同様の養育環境にあったためと考えられ、このため乙山は、忍耐力ないし自制力に乏しく、自己中心的な性格となり、些細なことで激昂し、衝動的な行動に走りやすいという行動傾向を示すようになった(乙山が交通事故で頭を強く打ったこと及び衝動的な行動に走りやすい性格であったことは当事者間に争いがない。)。

しかも、乙山の知的能力は、児童相談所の検査によれば、田中ビネー式でIQ九七と普通域にあるのに、前記交通事故による長期休学のため学力において同級生に追いつけず、学習意欲を欠くようになったためか、学級中の最低ではなかったにせよ、学業成績はかなり低かった(中学一年時の成績は、国語、社会が2で、その他の教科はいずれも1であった)。

また乙山は小柄であったため体力的な劣等意識が強かったものであり、そのうえ、右のとおり成績が悪かったことから成績の良い兄姉とよく比較されることもあって、学力的にもますます劣等意識が強くなった。

(二)  乙山の補導歴

乙山は、昭和四七年八月三一日、小学校五年生のとき、父親に叱られて家出し、同日、愛知県中村警察署において保護された。また、同年一二月二九日、自宅付近の菓子店で菓子類を万引したことにより、翌四九年四月一四日、長良川でガリ釣りと呼ばれる密漁をしたことにより、いずれも岐阜県中警察署員に補導された。

さらに、乙山は、中学一年生の春休み中である昭和五〇年三月一六日及び同月二一日の両日、同級生と共に、自動販売機から、友人に借りた合鍵を使用して罐ジュース合計一四本(時価合計金一四〇〇円)を盗み出したことにより、同署員に補導された(乙山が窃盗事件を犯したことは当事者間に争いがない。)。

(三)  乙山の学校生活における行動

乙山は忘れ物は多かったが、授業を無断欠席することはほとんどなく、その授業中の態度は、基礎学力の低さも手伝い、授業に最後まで集中することができず、退屈してくると、周囲の生徒に話しかけたり、鉛筆などで突つくなどの悪戯をしかけたりして周囲の生徒の学業の一時的な妨害となることがあるものの、国語や社会の授業においては、ごく常識的な質問であれば、これに素直かつ真面目に応答する一面もあり、授業にまったくついていけないという程でもない。

また、特別活動については、乙山は水泳部の練習には熱心に参加しており、学級活動においても、機嫌のよいときには掃除や係の仕事などを素直に行うが、機嫌の悪いときや水泳部の練習に早く参加したいときなどには、掃除や、学級の反省会、あるいは班会議、班学習などの班活動には参加したがらず、係の生徒を困らせることがある。

乙山は、非常に素直で明朗な面もあり、おもしろい話をして友達を笑わせたりすることもあり、また、優しい面も持っているが、他方、気分の変化が激しく、かつ粗暴な面もある。すなわち、乙山は友達に鉛筆で突つくなどの悪戯をしかけることによりその関心や反発を期待するような言動に出ることが多く、これに対し友達が注意すると素直に反省できることもあるが、ときにはかえって悪戯の程度を激しくしたりし、また、友達の注意が気に入らないと、態度を激変させて、「うるせえ。」などと口答えをしたり、泣きわめいてでも自分の正しさを主張したり、かんしゃくを起して見境なく殴りかかったりするなどの行動に訴えることもある。但し、乙山は体も小さく、気も弱い方であって、友達に対する右の行動も、従来においては、その友達らが避けえないというものではないうえ、身体に危害を及ぼすという程度のものではなく、女子生徒さえも、乙山に気軽に話しかけ、注意をしているのであり、友達が乙山をとくに乱暴であるとして恐れていたわけではない。

以上の事実が認められ、したがって、右認定事実によれば、乙山は、短気で衝動的に乱暴な行動に走ることのある生徒であり、いたずらも多く、また窃盗事件を起こすなど、普通の生徒に比較し、指導上問題の多い生徒であったことは否めない。

しかしながら、右に認定した程度を超えて、原告らが主張するように、乙山が小学校のころから粗暴な行動が目立ち、それ故に学内外においていわゆる問題児として有名であったとの事実は、これを認めるに足りる証拠がなく、かえって、《証拠省略》によれば、乙山は、中学校一年生のとき、同学年を担任する教師らの間で、とくに粗暴な生徒であるとの評価はなされておらず、また乙山の粗暴な行動が問題とされたことはないこと、西尾教諭が乙山の中学二年生の担任となった際も乙山については、一年生のとき授業をさぼったことが三回あること、落ち着きがないこと、窃盗事件を起こしたことの三点につき引継ぎを受けているにすぎないことが認められ、以上の事実に前記(三)の事実を考えあわせると、乙山は学内外において、従来、とくに粗暴な生徒であるとして問題視された事実はないことが認められる。

2  明郷中学校における乙山に対する指導監督

(一)  班編成

明郷中学校においては学級内において班組織をとっていること、昭和五〇年四月に西尾教諭が同校二年六組の学級担任となったこと、乙山は一郎が班長である同組第三班の班員となったことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、学級担任の職務として、教科指導、道徳指導、学級会活動の指導、生徒指導等があげられるものであるところ、学級会活動とは、学級の生徒が、話し合い、係を分担し、集会を行うなどの活動により、自分達の生活する場を自主的、自発的に運営していく活動であり、その運営の方法として、各学級内に班という小集団組織を設け、班活動を中心として学級会活動を盛り上げていく方法があるが、こうした方法は、小集団の中にあってこそ、個々の生徒がより活発に話し合い、他人を理解し、また集団の一員として活動し、助け合っていく中で集団生活のルールを身につけていくことができること、教師にとっても、指導すべき多数の生徒を小集団に区分することによって、個々の生徒をより適格に把握し、これに対する指導監督がしやすいことなどから、すでに、明郷中学校はもとより、岐阜県下の小、中学校において定着しているものであることが認められる。

ところで、原告らは、二年六組の班編成の際、班長となった生徒が皆乙山が自分の班員となることを嫌がったため、西尾教諭は、一郎に対し、乙山を一郎の班に入れて面倒を見るよう依頼し、一郎がこれを引き受けたものである旨主張し、《証拠省略》中には、西尾教諭あるいは一郎から、右主張に沿う内容の話を聞いた旨の各供述部分があり、また《証拠省略》には、乙山に関し「あわせて班編成を考慮するなど、友達からのけ者にならないよう、親切に接してくれる学級づくりにつとめた」との記載部分がある。

しかしながら、他方、《証拠省略》を総合すると、西尾教諭は、二年六組の学級会活動の指導にあたり、生徒が、従来どおり、学級会の運営方法として班活動をすることを自主的に決議するよう助言、指導し、また右決議に基づき班を編成するにつき、生徒らに自主的に決定させ、自らは助言をするにとどめたこと、すなわち、まず同年四月九日ころ、同組の学級会において、学級委員男女各一名生徒会議員一名を選出し、班長につき一郎ら七名の生徒が立候補し、すべて信任されたこと、以上の一〇名で運営委員会が組織され、他方右一〇名を除く各生徒は自分の担当する係について第一希望から第三希望までを書いて提出したこと、その後運営委員会が各係をまとめて七班を作るとともに、各生徒の希望に沿って各生徒の担当する係を調整して原案を作成し、学級会において原案どおり承認され、第三班は美化係(丙川夏夫、伊藤菜穂美)、生徒会議員(奥田さち子)、音楽係(乙山)、技術係(佐藤満)、家庭係(伊藤、奥田)と決まったこと、次に同月一二日ころ、運営委員会において、各班長がどの班に属するかについて、各班内の男子と女子のバランス、各班長の希望する係等を考慮して原案が作成されたが、その際一郎は音楽係を希望したため音楽係のある第三班の班長に決まったこと、なお、西尾教諭は希望の重複した二名の女子生徒に対し調整のため助言を与えるなどの指導をしたが、一郎に対しては何ら指導あるいは助言をしなかったこと、その後学級会において原案どおり承認されたこと、以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

次に原告らは、担任教師である西尾教諭がいわゆる問題児である乙山を直接全面的に指導すべきであるのにその責任を回避したにとどまらず、乙山を指導監督すべき責任を一郎に全面的に押し付けたものであるとし、その具体的例証の一つとして、一郎が乙山の班長となった際、西尾教諭は一郎に対し、班長として、乙山を学習面及び生活面の両面にわたり、指導監督し、善導教化するよう指示した旨主張するけれども、西尾教諭が乙山を指導すべき責任をことさらに回避していたとか、右責任を回避するためことさらに班長である一郎に対し乙山を学習面及び生活面の両面にわたり、西尾教諭に代って指導監督し、善導教化するよう指示していたとの主張事実を認めるに足りる証拠はない。

かえって、同教諭が、結果的に見てそれが十分であったか否かは別として、必要と考えられる都度乙山及びその保護者に対する個別的指導を怠らなかったことは後記(三)において認定するところであり、また、明郷中学校において生徒指導の一環として学級会活動とくに班活動を採用しているゆえんのものは、前記のとおり、生徒をして集団の一員として活動させ、助け合いをさせることにより集団生活のルールを身につけさせること等にあるというべきところ、《証拠省略》を総合すると、西尾教諭は、班活動を効果あらしめるために、平素から、一郎に対してのみならず二年六組の各生徒に対し、同級生として、あるいは同じ班の班員として、学習面及び生活面の双方において、お互いに注意し合い、助け合っていくよう一般的な指導をしてきたものであり、右指導に際しては、そもそも班長とは班のリーダーであり、班の自主的活動をする場合の推進役、班会議のまとめ役、班と学級会等との連絡調整役にすぎないのであって、班員を指導監督する地位を意味するものではなく、したがって、班長が独裁的地位に立ち、班長と班員が命令、服従の関係に立つことのないよう気を付けて指導しなければならないとされていることにかんがみ、西尾教諭もこの点に注意して班活動の指導を行ってきたこと、一郎が第三班の班長となった際、西尾教諭は前記の一般的指導とは別に一郎に対し、班長として、乙山が一年生のときのように授業をさぼることのないよう気をつけてほしいと依頼したが、これ以外には何らの個別的・具体的指示あるいは依頼をしていないことが認められる。そして、上記認定事実によって考えるならば、西尾教諭が一郎に対し、前記の班活動の指導の一環として乙山の学習面及び生活面の両面にわたって同人に助言を与えることを指示し、その際一郎に班のリーダーとして一定の役割を果すべきことを求めたとしても、それは班活動による通常の教育効果を期待し、そのために教師が当然なすべき指導内容に含まれることを実践したものにすぎず、教師の生徒に対する指導監督責任を生徒に肩代りさせることとはおのずからその性質及び趣旨を異にするものといわなければならない。

原告らは、西尾教諭が一郎の生活記録帳の四月一二日の欄に「このことをぜったいに忘れんようにして、一人の友の生活を大きくかえていきなさい。君の成長のためにも。」との書込みをし、また、同月一七日及び五月八日の各欄には、一郎が乙山のことに触れていないにもかかわらず、それぞれ、「乙山君へのいい方向での働きかけ、めんどうだろうけどたのみます。」、「乙山君のことさらにキチンとやること。」と書き込んだことをもって、原告らの右主張の根拠とするが、上掲各証拠によれば、一郎の生活記録帳四月一二日の欄の前記西尾教諭の書込みは、一郎が、班の構成に関する原案にあるとおり同人が乙山と同じ班に所属することに決まった場合には、乙山は忘れ物が多いから班長として注意しなければいけないが、そのときは、自分も忘れ物が多いので、まず自分の忘れ物をなくすよう努力するとの決意を記載したことに対し記入されたものであり、したがって、右の記載は一郎の右のような自発的な決意を是認し、これを奨励する趣旨であると考えられること、また、同月一五日の帰りの会において、乙山について注意をするとすぐ反抗することなどがとりあげられており、学級日誌の同日の欄には、西尾教諭による「これからみんなの支えで大きくかわっていってくれると信じています。よくいってあげてくださいね。」との書込みがなされており、したがって、一郎の生活記録帳同月一七日の欄の前記書込みは、これと関連し、同じ趣旨で記入されたものと考えられること、以上の事実が認められる。そして、右事実に照らして考えると、西尾教諭の上記の各書込みはいずれも班活動をより効果あらしめるための助言ともいうべきものであって、それが班活動に関する教育指導の通常の範囲に含まれることは明らかというべく、西尾教諭が前記のとおりの各書込みをしたことによっては、原告ら主張の、西尾教諭が、一郎に対し、班長として、乙山を指導監督し、善導教化すべき責任を一郎に全面的に転嫁したとは到底いうをえない。そして、他に右原告ら主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(二)  第三班における一郎と乙山の関係

《証拠省略》を総合すると、乙山の二年六組における行動は前記二1(三)に認定したとおりであったため、一郎は乙山に対し、自宅からときどき電話をかけて、忘れ物をしないようにとか、宿題をやってくるようにとか注意をしたり、数学の答を教えてやったりし、また、乙山が悪戯をしていたり、他の生徒に迷惑をかけたりしているときは、それを注意したり、止めたりするなどして、乙山を真面目にしようと努力してきたこと(一郎が乙山に対し、自宅から電話をかけて、注意したり、宿題を教えてやったことがあることは、当事者間に争いがない。)、他方、五月末ころから七月初めころにかけて、一郎は生活記録帳の反省欄に請求原因二2(三)(1)ないし(8)のとおり記載して、これを西尾教諭に提出していたものであるところ(一郎が請求原因二2(三)(1)ないし(8)のとおり生活記録帳に記載していたことは当事者間に争いがない。)、右反省欄の記載からも明らかなとおり、そのころ、一郎が乙山に悪戯され、乱暴されるなど、一郎と乙山の間に何度も争いがあったけれども、右の争いはそのとき限りのもので恒常的ないし継続的なものではなかったこと、また、右反省欄の記載に該当する一郎と乙山との争いの状況は次とおりその多くは悪戯かまたはその度が若干過ぎた程度のものから発展したものであったのであり、以上の状況に照らし、右反省欄の記載にはやや大げさな点がみられること、すなわち、五月二一日には、第三班の班員が班学習として楽器練習をしようとしたところ、乙山が嫌がって逃げ出したため、一郎が追いかけて行くと、乙山は一郎に向かって石を投げつけ、その後も乙山は席に着くように言われても席に着こうとせず、椅子を蹴ったり、竹刀を手にしたりして反抗したものであること、六月六日には、授業中、一郎と乙山とが互いに悪戯をし合っているうち、乙山が一郎に対し、シャープペンシルでチョンチョンと突く悪戯をしかけたため、一郎の腕に一、二か所血がにじんだものであること、六月一五日の記載は日曜日に記入されており、前の週のでき事をまとめて記載していると考えられるところ、そのうち腕にマジックで落書をされた点については、一郎と乙山はともに忘れ物が多いため、互いに手の平にマジックで書いて忘れないようにしようと話し合い、書いているうちに度を過ごしてしまったものであること、六月一六日は、乙山が上ばきの靴で一郎のズボンに悪戯をしかけたものであること、七月三日には、同月一五、一六日に予定されているキャンプの準備のため、班会議において料理の相談をしていたところ、乙山の好きでない料理の話が出たため、乙山は気に入らず、ぷいと席をはずし、一郎らが無理に引っ張ってくると、反抗して椅子を足蹴にしたり、一郎らに唾をかけたりしたものであること、なお、一郎は七月上旬頃、口唇を腫らしていたことがあるが、その原因は七月二、三日頃の乙山との争いの中で、乙山に殴られたためであると推認できること、以上の事実が認められる。

ところで、原告らは、一郎が乙山を真面目にしようと努力したのは、班長として教師に代って乙山を指導監督し、善導教化せよという西尾教諭の指示を守るためであったと主張する。しかしながら、西尾教諭が一郎に対し原告ら主張のような指示を与えた事実が認められないことは前記(一)のとおりであって、原告らの主張が前提を欠き、認められないものであることは明らかである。かえって、西尾教諭が、二年六組の各生徒に対し、互いに注意し合い、助け合って行くよう指導していたことは前記(一)に認定したとおりであること、また前掲各証拠によれば、一郎は第三班の班長として班員に対する注意、忠告に熱心であったけれども、一郎以外の第三班の班員も、一郎の努力ほどではないにしろ、一郎と同様に、自宅から乙山に電話をかけたり、あるいは乙山が悪戯などをしているのに対し注意するなどして、乙山を真面目にしようと努力していること、四月一五日、同月二八日、六月一三日などの帰りの会においては、「反省」として、乙山の態度が良くないことがとりあげられ、乙山に対し反省を求めるとともに、生徒らの間において乙山がかんしゃくを起したりしても辛抱して、乙山に対し注意していこうと話し合われていることなどが認められ、以上の事実を総合すれば、一郎は、西尾教諭の指導の趣旨に従い、自発的に、同じ班の班員として、とりわけ班長として、乙山に対し、乙山がより真面目になるよう働きかけていったものであると考えるのが相当である。

また原告らは、乙山の態度は一郎の努力にもかかわらず改善しないばかりか、五月末ころからは乙山の一郎に対する態度が一層悪化していった旨主張する。そして、一郎と乙山との間で五月末ころから七月初めころにかけて、何度も争いが生じたことは前記のとおりである。しかしながら、前掲各証拠及び前記二1(三)に認定した各事実を総合すると、右の乙山と一郎との争いのうち、五月二一日に乙山が一郎に石を投げつけたこと及び七月二、三日ころ一郎に対し暴力をふるったことなど、乙山は、前記二1(三)に認定した日常の行動に比較し、一、二回、格別に粗暴な行為をとったことがあるにすぎないこと、他方、第三班の班日誌には、五月二九日、六月五日及び同月二八日の各欄に、一郎や他の班員、あるいは西尾教諭により、乙山の態度が良くなってきた旨の記載がなされていること、また、西尾教諭が七月一七日の学級懇談会の資料とするため、各生徒に、一学期の反省として、自分の属する班の班員につき良い点、悪い点を指摘させたところ、そのうち奥田は、乙山について、「甲野君などが注意すると、前みたいに、文句を余り言わなくなった。」などと乙山の態度が良くなってきた旨記載していることなどが認められ、以上の事実に照らすと、五月末ころから七月初めころにかけて乙山と一郎との間で前記のとおりの争いがあったことのみによっては、乙山の一郎に対する態度が五月末ころから悪化していったことを推認することはできず、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

さらに原告らは、乙山は一郎の指導監督を次第にうとましく感じ、一郎に対する劣等感や妬みとあいまって一郎に敵意を抱くに至ったものであると主張する。しかしながら、原告らが右主張の前提とする、乙山の一郎に対する態度が五月末ころから悪化していった事実が認められないことは、前記のとおりである。また、一郎が乙山に対し、乙山がより真面目になるよう、注意するなどして働きかけていたこと、乙山が一郎の注意に反抗するなどして、一郎との間で何度も争いが生じたことは前記のとおりであるが、他方、前掲各証拠によれば、乙山と一郎との争いはその場限りで終わり、いつも反目し合っていたわけではなく、通常は仲良く遊んでいたこと、一郎が乙山を遠ざけようとしていたり、乙山が一郎をうとましく思っていることを窺わせるような客観的状況は何らなく、例えば、一郎は、乙山が七月八日から一〇日まで欠席したとき、「乙山がおるとうるさいけれども、いないと歯が抜けたみたいだ。」と言っており、乙山も、六月五日ころ、同じ班の伊藤に対し、一郎、伊藤及び奥田が乙山のことをよく考えていてくれると話していることなどの事実が認められ、以上の事実及び前記二1(一)、(三)に認定した事実に照らして考えると、一郎が乙山に対し注意するなどし、乙山がときおりこれに反抗して一郎との間で争いになったことがあるからといって、それだけでは乙山が一郎をうとましく感じ、一郎に対し敵意を抱くに至ったものと推認しえないことは明らかである。

(三)  西尾教諭の指導監督

まず、原告らは、西尾教諭がいわゆるアメとムチによる強制によって、一郎に対し、乙山の面倒をみることを押しつけた旨主張する。しかしながら、右原告ら主張事実のうち、西尾教諭が体罰をもって一郎を自分の指示命令に服せしめていたとの点については、《証拠省略》によれば、西尾教諭は、教師として、比較的よく生徒に対し体罰を加える厳しい指導方針を持っており、一郎が中学一年生のときも担任教師として何度か体罰を加えたことがあること、すなわち、家庭訪問の際、原告花子から一郎が親の言うことを聞かないと訴えられたとき、一郎が反抗的な態度をとったのを見かねて、戒めのために殴ったこと、このほか、一郎が窓から飛行機を飛ばす悪戯をしていたり、同級の女子生徒をしつこくからかっていたときなどに一郎を殴ったことがあることが認められるが、他方、右証言によれば、西尾教諭は、体罰を加えることによって生徒が教師に恐怖を抱くなど、行き過ぎることのないよう十分気を付けていたこと、一郎との関係も、一郎が西尾教諭を恐れ、何一つ反抗できないというような関係ではなく、一郎が西尾教諭を信頼し、気軽に話をしていたことが認められ(る。)《証拠判断省略》 したがって、原告らの右主張事実のうち、西尾教諭が体罰をもって一郎を自分の指示命令に服せしめていたとの点はこれを認めるに足りないといわざるをえない。

また、原告らの右主張事実のうち、西尾教諭が一郎に対し、「班長はえらいで五群に入れてやる。」と言って利益誘導をはかったとの点については、《証拠省略》中には右主張に沿う供述部分があるが、右供述部分は、伝聞を内容とするものであって、《証拠省略》に照らし、採用し難く、他に原告らの右主張事実のうち、西尾教諭が一郎に対し利益誘導をはかったとの点を認めるに足りる証拠はない。したがって、西尾教諭がいわゆるアメとムチによる強制によって、一郎に対し、乙山の面倒をみることを一郎に押しつけたとの原告らの主張事実は、これを認めるに足りない。

次に、原告らは、西尾教諭が、一郎に対し、乙山に対する指導監督をしっかりやるよう督励し続け、一郎が乙山に注意することを忘れたり、怠ったりするともっと真面目に面倒をみるよう注意し、乙山が良くならないのは班長がしっかりしていないからだといって一郎を責めたと主張する。そして、《証拠省略》中には、一郎から、一郎が乙山に対し注意の電話をしなかったり、乙山が喧嘩をしているときに一郎が仲裁に入らなかったことについて、西尾教諭に叱られたこと、また西尾教諭から、乙山について一郎のやり方がまずいと叱られたことを聞いた旨の各供述部分があるが、《証拠省略》及び前記(二)に認定した事実によれば、西尾教諭が一郎に対し、乙山が喧嘩をしているときに仲裁をしなかったことを叱ったのは、一郎が西尾教諭の指示どおりに班長として乙山の面倒をみることを怠ったからではなく、一郎が友人として喧嘩を止めるべきであったのにそうしなかったためであることが認められ(る。)《。証拠判断省略》

さらに、原告らは、西尾教諭が、請求原因二2(三)(1)ないし(8)のとおりの一郎の訴えに対し、一郎に対し精神訓話を垂れるばかりで、一郎の悩みを解決するための適切な措置をとろうとせず、とりわけ、右(2)、(6)の訴えに対し「大げさだなあ。」と揶揄するか、全く黙視する態度をとった旨主張し、《証拠省略》によれば、西尾教諭は、一郎の生活記録帳の六月六日の欄において、請求原因二2(三)(2)のとおりの一郎による記載に対し、「大げさだなあ。」との書込みをしていることが認められる。しかしながら、《証拠省略》を総合すると、西尾教諭は、乙山が前記1(一)ないし(三)に認定したとおり、問題の多い生徒であったため、乙山をのけ者にせず、親切に接してやれる学級づくりに努め、乙山が何を言っても、またやっても、周囲はまずぐっと耐えるように指導するとともに、帰りの会においては、乙山を特別扱いせず、乙山についても反省が必要と考えられる点があればどしどし指摘していくよう指導していたうえ、西尾教諭自身も常に乙山に注意し、給食時や放課後などに必らず乙山に対し話しかけて個別指導を怠らないようにするとともに、五月中旬ころの家庭訪問以外にも、土曜の夜や休日の前夜などに、しばしば、電話で乙山の家庭と連絡をとり、家庭における配慮、指導を依頼していたものであること、ところで、西尾教諭は、通常、学級の生徒間に問題が生じた場合には、当事者である生徒や周囲にいた生徒から話を聞くなどして、事実を確認し、双方の言い分を聞いた上で、注意すべき点を注意するなど適切な処置をとっていたこと、各生徒の生活記録帳は毎日ないし週一回の割合で提出させており、これを読んで注意等を書き込んだうえ、放課後、生徒に直接返して、話し合うこととしていたが、生活記録帳の中に生徒間で問題が生じた旨記載されているときは、同様に、事実を確認した上で、適切な処置をとっていたこと、したがって、一郎の生活記録帳に請求原因二2(三)(1)ないし(8)のとおりの記載がなされていたときも、一郎や乙山らの話を聞くなどして事実を確認したところ、前記2(二)に認定したとおりであったため、これに対する措置として、乙山に対しその言い分を十分に聞いたうえ注意を与え、また乙山の家庭に電話で連絡し、家庭における配慮、指導を依頼したこと、とくに、五月二一日及び七月二、三日ころ、乙山が一郎に対し、石を投げるなどの粗暴な行為をした際には、乙山に対し絶対に暴力をふるってはいけないと厳しく注意、指導し、乙山の家庭にもその旨連絡したこと、なお、一郎は成績もよく、明朗で思いやりのある性格であったが、忘れ物が多く、態度に落ち着きがなく、悪戯が多いなど、乙山と共通するルーズな面も持っていたため、西尾教諭は、一郎に対し、生活記録帳に、そんなことでは乙山の生活をよくしていく注意をすることはできない等と書き込むなどして、一郎自身が向上していくよう指導していたものであって、前記生活記録帳六月六日欄の書込みも同じ趣旨でなされたものであること、以上の事実が認められ、したがって、原告らの前記主張事実を認めるに足りないことは明らかである。

3  児童相談所の補導措置

乙山が、昭和五〇年三月、同級生と共に自動販売機から合鍵を使用して罐ジュースを窃取したことは前記二1(二)に認定したとおりであり、このため、乙山が同年七月初旬、岐阜県中央児童相談所において数日間、「一時保護」を受けたことは当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》によれば、乙山は同月一〇日、同相談所長から、児童福祉司の指導に付する旨の措置を受けたことが認められる。

ところで、原告らは、同相談所が、右窃盗事件に関し乙山を「一時保護」して調査した結果等を明郷中学校に対し報告した旨主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

次に、原告らは、乙山が児童福祉司の指導に付する旨の措置を受けた後直ちに、児童福祉司が、乙山の担任及び同校生活指導担当者に対し、速やかに同相談所まで出向かれたい旨の呼び出しをしたにもかかわらず、同校で同月一五、一六日に予定されているキャンプの行事の準備に忙殺されているとの理由で、西尾教諭らは同相談所に出向かなかった旨主張する。しかしながら、右主張事実を認めるに足りる証拠はなく、かえって、《証拠省略》によれば、同月一〇日乙山が同相談所から帰って来たため、西尾教諭が同相談所に電話をかけて、乙山が帰って来た旨連絡したところ、同相談所職員から、もし何か聞きたいことがあれば、いつでもいいから来るようにとの話があったため、西尾教諭がキャンプが終わったら出かけて行くかもしれないと答えると、同職員から事前に連絡だけしておいてくればよいとの話があったにすぎないことが認められる。

なお、原告らは、同月一五、一六日のキャンプの際、乙山が女子生徒に石をぶつけて怪我をさせた旨主張するが、右原告らの主張事実を認めるに足りる証拠はない。

4  まとめ

原告らは、本件事件が、担任教師がいわゆる問題児である乙山を直接全面的に指導すべきであったのにその責任を回避したにとどまらず、成績優秀な一郎をその班長となして、これに転嫁し、乙山を指導監督し、善導教化すべき責任を一郎に全面的に負わせた結果、乙山が一郎の指導監督を次第にうとましく感じ、一郎に対するコンプレックスや妬みとあいまって一郎に敵意を抱くに至っていたことが、本件事件の潜在的な原因となったものである旨主張するけれども、上記認定事実からも明らかなとおり、原告らの右主張事実はこれを認めるに足りない。

かえって、以上認定した事実を総合すると、乙山は比較的多くの問題を抱えた生徒の一人ではあったが、いわゆる問題児などではなく、西尾教諭は乙山に対する個別指導に努力するとともに、学級指導の一環として、生徒らが互いに注意し合い、助け合っていくよう指導したため、一郎もこれに従い、同じ班員として、とりわけ班長として、乙山に対し注意するなどして、乙山が真面目になるよう努力してきたものであるところ、乙山の態度は、西尾教諭の指導や一郎ら生徒の働きかけにもかかわらず、それほど改善されず、ときには一郎に反発して一郎に対し暴力をふるったりすることもあったものの、通常は一郎と乙山とは仲良く学校生活を送っていたのであって、原告ら主張のような事由により乙山が一郎をうとましく感じたり、一郎に対し敵意を抱いたりするような状況が継続していたとは認められず、したがって、原告ら主張のような乙山の感情が本件事件の契機となったとは考え難いところであり、むしろ、本件事件は、乙山の自己中心的、衝動的性格が背景となり、乙山が、福井教諭から注意を受けたのは一郎のせいであると考え、一郎と口論を始めたことが直接の原因となって、右口論から発展し、突発的に発生したものと考えるのが相当である。

三  被告の責任について

本件のような公立中学校の教育作用としての教育公務員の生徒に対する教育活動及びこれと密接不離の関係にある生活関係に関する活動は、国家賠償法一条一項にいう公権力の行使にあたるものと解すべきである。

そして、公立中学校の校長、教諭が、教育活動の一つとして、登校した生徒を指導監督すべきことはいうまでもなく、また授業中はもちろん、授業時間途中の休み時間における自校の生徒の行状についても具体的内容及びその程度を異にするとはいえ、一般的には指導し監督すべきものであることは当然であって、ことに、右休み時間中に危険な行為と目されるものが行われ、または行われようとしているなどの危険性が客観的に予測される場合には、それを防止するため万全の措置をとる義務があるというべきである。

そこで、本件事件につき、西尾教諭らにおいて過失があるか否かについて、以下順次検討する。

1  西尾教諭の過失について

原告らは、本件事件の発生原因が請求原因二4のとおりであったことを前提として、一郎が同二2(三)(1)ないし(8)のとおりの訴えをなしていたのであるから、西尾教諭がこれを真摯に受け止め、冷静に観察分析していたなら、乙山の粗暴な行動が質的、量的に拡大化しており、しかもその攻撃がすべて一郎に向けられていること、以上の現象は、乙山が一郎の指導監督を次第にうとましく感じ、一郎に対する劣等感や妬みとあいまって、一郎との間に相当な精神的軋轢を生じて来たためであって、乙山と一郎との関係は一触即発の危険をはらんでいることを看取しえたはずであり、また乙山が同二1のとおりの危険な性格であったことを知悉していたのであるから、本件当時、乙山が本件の如き傷害事件を引起すかもしれない危険を予見しており、あるいは予見すべきであったと主張する。

しかしながら、前記二4に説示したとおり、本件事件は一郎と乙山との口論が原因となって突発的に発生したものであると考えるのが相当であるから、右原告らの主張は既にその前提において失当であるといわざるを得ない。そして、前記二2(二)、(三)において認定したとおり、請求原因二2(三)(1)なしい(8)のとおりの一郎の訴えに対し、西尾教諭は遂一事実を確認しており、右確認した事実によれば、乙山の粗暴な行動が質的、量的に拡大しているとか、乙山の攻撃が一郎に集中しているとかいった傾向は認められず、またそのころの日常生活において、乙山が一郎に対し、うとましく感じていたり、敵意を抱いていたような状況も何ら認められなかったものである。また、前記二1(一)、(三)に認定したとおり、乙山は短気で衝動的な行為に走ることが多い生徒ではあったが、特別に粗暴な生徒というわけではなく、一郎に対し石を投げつけるなど一、二回危険な暴力行為をしたことがある以外は、殴りかかったりする程度であったものである。したがって、以上の事実を総合して考えるならば、本件当時、西尾教諭において、乙山が本件のような危険な行為に出ることを予見することが可能であったとは認めることができず、またこれを予見すべき特段の事由があったとも認めることはできないから、その余の点につき判断するまでもなく、西尾教諭において過失があったといえないことは明らかである。

2  福井教諭の過失について

原告らは、本件事件は福井教諭が一郎と乙山に注意を与えた直後に、かつこれを原因として発生したものであるところ、福井教諭は、乙山の挙措動作に注意し、他の生徒に危害を加えることのないよう指導監督すべき注意義務に違反した過失があると主張するが、前記一に認定したとおり、福井教諭は乙山に対してはシャープペンシルで人を突つく悪戯をしないよう注意し、一郎に対しては授業中の静粛を妨げる態度を戒めたのであって、暴力行為など本件事件発生に至る危険性のあるような行為を現認し、これに対して注意を与えたものではなく、さらに、乙山も一郎も同教諭の注意をおとなしく聞いていたものであるから、同教諭において、当時乙山が本件のような危険な行為に出ることを予見することは不可能であり、これを予見すべき特段の事由はなかったというべきである。

また、原告らは、福井教諭は、乙山が「バカヤロウ。」と大声で怒鳴った声が聞こえたはずであるから、すぐに引き返して注意するなどの措置を講ずるべきであった旨主張する。しかしながら、同教諭が乙山の「バカヤロウ。」と怒鳴った声を聞いた事実はこれを認めるに足りる証拠がなく、かえって、《証拠省略》並びに前記一の事実を総合すると、同教諭には乙山の声が聞こえなかったことが認められるのであるから、原告らの右主張はその前提を誤まっており、採用できないことが明らかである。以上のとおりであって、福井教諭において過失があるといえないことは明らかである。

3  校長の過失について

原告らは、本件事件の発生原因が請求原因二4のとおりであったことを前提として、村瀬校長において本件事件発生の危険を予見すべきであった旨をるる主張するが、本件事件は、前記二4のとおり発生したものであって、右原告らの主張がその前提を誤まり採用しえないことは明らかである。なお、原告らは、本件事件発生の直前ころ、父兄の一人から乙山の素行について苦情の申立があり、西尾教諭から同校長に報告書を提出中であったと主張するが、右主張に沿う原告両名の各供述部分は《証拠省略》に照らし採用しえず、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はなく、また、同校長が児童相談所から乙山に関する調査結果等につき報告を受けていたとしても、その報告内容から本件事件発生の危険を予見しえたことを認めるに足りる証拠もない。

したがって、本件発生当時、村瀬校長において本件発生の危険を予見すべき義務があったとはいえないから、その余の点につき判断するまでもなく、同校長には過失はなかったものといわざるをえない。

4  教育長の過失について

教育長に過失があるとする原告らの主張は、本件事件の発生原因が請求原因二4のとおりであって、西尾教諭が、一郎を班長として教師に代って乙山を指導監督する責任を負わせたことを前提とするが、かかる事実が認められないことは前記二4及び同2(一)に説示したとおりであるから、原告らの右主張は採用できない。

四  結論

以上の次第で、本件事故につき学校当局に教育上の責任が生ずることがあるは別として、本件全証拠によるも被告に損害賠償義務を負担させる程の根拠はこれを見出すことができない。よって、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺剛男 裁判官 松永眞明 筏津順子)

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