岐阜地方裁判所 昭和58年(ワ)34号 判決
一 請求原因1ないし4の各事実は当事者間に争いがない。従つて、H型匣鉢が本件登録実用新案の技術的範囲に属することは当事者間に争いがないところである。
二 そこで、先使用の抗弁について判断する。
原告がタイル製造業昭和陶園の常務取締役であること、被告が肩書本件所在地で一貫してタイル焼成用匣鉢の製造、販売を業としていること、昭和四二年以前の各種匣鉢には、焼成時の熱衝撃による素材の軟化がもたらす底下りがタイル製品の変形を生ぜしめるという問題点があつたこと及び抗弁事実2はいずれも当事者間に争いがないところ、右各事実に、いずれも成立に争いのない甲第二、第六、第一一号証、乙第一号証、第二ないし第五号証の各一、二、第六号証、同第九号証の二、同第一三、第一五、第一六、第一七、第二四号証(甲第六号証、第一一号証、乙第六号証、第九号証の二については原本の存在についても争いがない。)、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一六号証、証人長江金高及び被告代表者本人の各供述により真正に成立したと認められる乙第七、第一二号証、証人松本源次及び被告代表者本人の各供述により真正に成立したと認められる乙第八、第二六号証、証人笠井節一及び被告代表者本人の各供述により真正に成立したと認められる乙第一八号証、証人宮川令三及び被告代表者本人の各供述により真正に成立したと認められる乙第一九、第二〇、第二五号証並びに証人笠井節一、同長江金高、同松本源次、同宮川令三、同高島康彦、同小巻卓司(但し、後記措信しない部分を除く。)の各証言、原告本人(但し、後記措信しない部分を除く。)及び被告代表者本人の各尋問の結果の一部並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
1 被告は、岐阜県多治見市内に本社を有する株式会社で、法人となる以前の昭和二一年一〇月ころから、現在の代表取締役である神谷忠男を中心としてもつぱら小型のタイル焼成用匣鉢の製造、販売を開始し、法人化した現在まで右営業を継続してきているもので、昭和四二年当時には作業従業員五〇余名を有していた。
2 タイル焼成用匣鉢とは、その内部の載置面にタイル生地を入れ、これを高熱の焼成窯の中に一定時間入れてタイル製品を焼成するための容器であるが、その素材については、昭和三〇年代にはシヤモツト質、昭和三〇年代後半にコージライト質、昭和四二年ころからはアンダルサイト質が、順次匣鉢製造業者らにより使用されてきている。右シヤモツト質の匣鉢は小型のタイル(匣鉢製造業者及びタイル製造業者の間では、モザイクタイルと呼称されている。)の焼成用のものであつたが、焼成時における耐火度が高く、かつ熱膨張係数も大であるため、匣鉢自体割れやすいという欠点があつた。そこで、匣鉢製造業界では右の点の克服のため匣鉢の素材自体についての研究が重ねられ、コージライト質が開発された。ところが、コージライト質の匣鉢はシヤモツト質の匣鉢に比較し、耐火度が低く、かつ熱膨張係数も小であるので焼成時に割れにくい反面、加熱による軟化の性質があることから、タイル生地を焼成するために匣鉢内の載置面に置いて加熱するといわゆる荷重軟化の状態を生じ、右載置面の底下りが著しくなり、載置面のわん曲のため焼成後のタイル製品に反りを生ずる等製品の品質を損ねるという欠点があつた(以上の各匣鉢素材の長所、短所については、当事者間に争いはない。)。右のように匣鉢製造業界では匣鉢の素材についての開発が行われてきていたが、昭和四一年ころからは、東京の霞が関ビル建設計画を皮切りとする高層建築時代に入り、これに対応して建物外装に用いる大型タイルの需要が高まり、これまで小型タイル焼成によつてさえ底下りが問題とされていたコージライト質の匣鉢をそのままの状態で用いることでは、右需要に答えることができない状況となり、一般に匣鉢製造業界では右匣鉢の底下りという欠点の克服が最大の検討課題とされていた。
3 被告においても、右のような業界の趨勢に従つて昭和三六年以降シヤモツト質の匣鉢に代えコージライト質の匣鉢を自社で製造させるようになつたことから、コージライト質の匣鉢に付きまとう底下りの可及的回避の方法が真剣に模索されていた。そこで、被告における匣鉢製品の開発を担当していた被告会社代表取締役の神谷は、焼成使用により一旦底下りを生じた箱型匣鉢を反転させたうえで底面を生地の載置面とすることによつて、コージライト質に固有の荷重軟化の性質に逆らうことなく、焼成使用から生じる極端な底下りを回避できることに気付き、匣鉢の両面使用を可能にする匣鉢の開発に力を入れ、いわゆるくい違い型匣鉢を考案した。くい違い型匣鉢は表裏両面を平担面とする正方形型の板状主体の表面の相対する一方向のみの側縁に同型の枠をその板状主体と一体的に突成し、他のもう一方向の側縁を開放するとともに、裏面は前記開放側縁の裏面のみに、同様の枠をそれぞれ板状主体と一体的に突成した形状のものである。このほか右神谷は、併せて箱型両面匣鉢を検討した。箱型両面匣鉢というのは、表裏両面を平担面とする正方形板状主体表面のタイル載置面の全周縁に該載置面と一体にして突成されている突出枠をそなえているもので、匣鉢主体の表裏両面がいずれも同一面積で同一突出枠を有する同一構造のものである。その一つの縁に平行な線によつた切断面はH型を呈している(断面H型匣鉢)。
なお、被告は昭和四二年四月一七日付で箱型両面匣鉢につき実用新案登録の出願をしている。そこでさらに、前記神谷は、右各種の匣鉢を案出する過程で、前記くい違い型匣鉢や箱型両面匣鉢における表裏両面使用という思想を、昭和四〇年初ころから匣鉢製造業界に出廻つていたいわゆるコの字型匣鉢の形状と結びつけて考案するに至つたがH型匣鉢(開放H型匣鉢)である。すなわち、コの字型匣鉢というものは、表裏両面を平担面とする長方形板状主体表面の相対する一方向のみの側縁に同型の枠を板状主体と一体的に突成し、相対する他側縁を開放した形状のもので、四周に枠がある匣鉢に比べて熱効率が良いという性質を有していたが、右熱効率の良さを失わないで表裏両面使用に適する形状にするべく、いわば二個のコの字型匣鉢の各裏底面を接着した形状にしたものがH型匣鉢であり、右神谷は、H型匣鉢を昭和四二年春ころには考案していた。H型匣鉢は、前記表裏両面使用の効用に加えて、一方向の二辺に枠がないことから、焼成時における蒸気の抜けがよく、熱効率も高いうえ(以上の事実については当事者間に争いがない。)、生地を入れた匣鉢を焼成用窯に入れる際に使用する台車上に占める面積が取払つた枠に相当する部分だけ小くて済むという利点も有していた。
4 被告は、両面使用の目的に副う開放H型匣鉢について、意匠登録又は類似意匠登録の出願を昭和四二年四月二六日(出願番号四二―一二五九二、同番号四二―一二五九三)、同月二七日(同番号四二―一二六六七、同番号四二―一二六六八、同番号四二―一二六六九)にそれぞれなしたところ、このうちの右番号四二―一二六六八の出願について意匠登録がなされた(以上の各出願、登録の事実については当事者間に争いがない。)。
5 被告は、昭和四二年四月ころから当時の自社の販売員であつた長江金高他三名程をしてH型匣鉢の売り込みを開始させ、同販売員らは、当時被告と取引のあつた合資会社菱イ高島製陶所、長江化学工業株式会社及びカネキ製陶などのタイル製造業者を訪れてはH型匣鉢の長所を説明するとともに右各社らに対しH型匣鉢の現物見本を提供して実際のタイル焼成に使用してもらうなどの販売活動を展開したが、右菱イ高島製陶所や長江化学工業株式会社のタイル製造担当者などが、H型匣鉢を試験的にタイル焼成に使用したところ、当時一般に使用されていたいわゆるシヤトル窯では、その窯に入れる台車上に匣鉢を積み上げる際に、従来の匣鉢とは異なり、H型匣鉢においては上下の匣鉢の接触部分として四周のうちの二辺のみが残されているものであつたために、ただでさえ高く積み上げるのには安定が悪いうえ、右積み上げが手作業で行われていたことから、作業員の目の高さ以上にH型匣鉢を積み上げる場合には匣鉢全体が崩れやすくなり、また、H型匣鉢にタイル生地を載せた状態では、タイル生地の上辺が匣鉢の枠の上面より若干高くなるため、手作業による匣鉢の積み上げの際に匣鉢の枠の下端に接触し、タイル生地に傷をつけてしまう場合があつたりすることや、H型匣鉢のタイル焼成時における熱効率が良すぎるために製品が焼けすぎたり、色むらを生じたりするなどのことがあつて不満をもらしたため、結局昭和四二年四月ごろにおいては右二社からH型匣鉢の注文を受けることはできなかつた(なお、被告は、昭和四八年以降、右菱イ高島製陶所に対してもH型匣鉢を納入するに至つている。)。
しかしながら、被告はカネキ製陶からH型匣鉢の注文を受けるに至つた。というのは、カネキ製陶は、昭和三九年ころから、それまで主に製造してきたモザイクタイルの需要が減少しはじめていたことから、外装用大型タイル、いわゆる45二丁(幅が四・五センチメートル、長さが九・五センチメートル)のタイルを製造の主力とすべく準備しており、その生産性を向上させるために昭和四二年五月には第五号トンネルキルン(全長六〇メートルでタイル生地を詰めた匣鉢を台車に積み、その台車を常時一定時間の間隔で窯内の焼成帯、冷却帯等を通過させてタイル製品の焼成を行うもの。)を擁する第三工場を完成させていたもので、同社としてはH型匣鉢の前記各利点を評価して、難点とされたH型匣鉢の台車への積み上げに伴う各事故については当該作業に従事する作業員を特に教育することにより、またタイル製品の焼けすぎや色むらに関しても、たとえば酸化焼成炎を利用することなどの焼成方法によつて解決することになつた。
6 被告は、昭和四二年初ころカネキ製陶との間で、同社注文の規格によるH型匣鉢の販売契約が成立したことから、H型匣鉢の本格的な製造に取りかかることになつたが、被告は法人化する以前の昭和二一年一〇月ころよりタイル焼成用匣鉢製造の専門メーカーとして営業を継続してきていたもので、昭和四二年初ころには匣鉢製造に従事する作業員五〇余名を擁し、匣鉢の製造一般に要する物的な資材及び設備を有しており、しかも被告方ではH型匣鉢につき、形状こそ異なるものの、前記箱型両面匣鉢や、くい違い型匣鉢に用いたのと同一の素材で製造するものであつたことから、改めてH型匣鉢製造のための資材及び設備を準備する必要がなく、また、その製造に従事する作業員に対しても特別に新規な製造に関する技術等を修得させる必要がなく、技術的には従前同様の作業体制の下に、新製品であるH型匣鉢の製造に入ることができた。そして、被告は昭和四二年四月二八日にカネキ製陶に対し、「三インチライン匣鉢生」という品名により、単価三四円で合計二二五〇個のH型匣鉢を販売したのを皮切りに、同年五月には同様の品名及び単価により一万九四四〇個と、「三インチライン匣鉢焼」の品名により、単価三九円で一万四六七〇個を、翌六月からは「ニユーエストライン匣鉢焼」という品名に代えたうえ、同月より昭和四三年四月までの間は単価三九円で合計一二万一一〇〇個、同年八月より同年一二月までの間は単価四二円で合計六万七四五〇個、昭和四四年一月から同年七月までの間は単価四五円で合計九万六七三〇個、同年八月ないし一〇月の間は単価四三円で合計九万七三二〇個を各々納入してきており、その後現在に至るまでほぼ同様の取引を継続してきている。
ところで、被告は、H型匣鉢につき、当初「ライン匣鉢」と命名し、前記カネキ製陶との初期の取引において「三インチライン匣鉢」と呼んでいたが、このような命名は、H型匣鉢で焼成したタイルについては、その表面が真直ぐに焼き上がるように、匣鉢のタイル載置面が真直ぐになつていることに由来するもので、従つて、被告としては、「ライン匣鉢」という名称自体はH型匣鉢の他、これと同様の焼き上がりになる特性を有していた箱型両面匣鉢を示す名称として用いたことも一時期においてはあつたが、唯一有力な取引先であつたカネキ製陶がH型匣鉢を使用して焼成したタイル製品の商品名を「ニユーエスト(45二丁)」というふうに呼ぶことになつたことから、被告としてもカネキ製陶に対するH型匣鉢の納入に当つての呼び方も右にならつて「ニユーエストライン」と表示するようになつた。しかし、依然として「ライン」なる名称は一般のタイル製造業者等になじまれなかつたことから、徐々に「ライン」なる名称を用いないようになり、昭和五〇年代に入つてからは全ての製品について製品番号等の記号で表示するようになつた。
以上の事実が認められ、証人小巻卓司の証言及び原告本人尋問の各供述中、右認定に反する部分はその余の前掲各証拠に照らし、たやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる措信すべき証拠はない。
右認定したところによれば、前記神谷は、遅くとも昭和四二年春までにはH型匣鉢を考案していたと推認することができる。
ところで、原告は、被告がH型匣鉢につき昭和四六年三月八日に至つて実用新案登録の出願をしていることをもつて、昭和四六年ころになつて初めて被告がH型匣鉢に気付いたものであり、到底昭和四二年ころに考案、製造、販売を行つていたとはいえないと主張するが、被告代表者本人の尋問結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、実用新案登録の出願については、同業者の新製品匣鉢の開発、製造、販売状況を見定めたうえで検討するのが同業界一般の傾向であると認められるところ、被告代表者が考案したH型匣鉢には当初、前記認定のとおりの難点があり、しかもその市場性が極めて狭く、ほとんどカネキ製陶との間で取引があるといつた程度であつたことに照らすと、考案後、即座に実用新案登録の出願に及ぶ必要性が乏しかつたもので、実用新案登録出願を行つた時期が昭和四六年三月八日となつているとしても、そのことのみのゆえに、被告代表者の考案にかかるH型匣鉢の被告による製造、販売に関する前記認定が覆されるべきものとは解されない。
したがつて、被告は、本件実用新案登録出願にかかる考案の内容を知らないで、自ら考案し、本件登録実用新案出願の際、現に被告方工場において本件考案の技術思想と同一の別紙目録のとおりの匣鉢の製造、販売を成していたものであるから、本件実用新案権について、先使用による通常実施権を有するものというべきである。
三 そうすると、その余の点について判断するまでもなく原告の本訴請求は失当であるから棄却する。