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岐阜地方裁判所多治見支部 昭和51年(ワ)42号 判決 1978年1月27日

原告

田口幸子

ほか三名

被告

吉村久

ほか一名

主文

原告らの請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

「被告らは連帯して、原告田口幸子に対し二〇〇万円およびこれに対する昭和四九年六月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告田口正孝、同宮枝小夜美および同田口博隆に対しそれぞれ一〇〇万円およびこれに対する昭和四九年六月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告ら

主文同旨の判決

第二当事者の主張

(請求の原因)

(一)  事故の発生

(1) 日時 昭和四九年六月二五日午前八時二〇分頃

(2) 場所 岐阜県恵那郡 川村奥渡五七三五の一先道路

(3) 態様 訴外亡田口泰(以下亡泰という)の運転する原動機付自転車(スーパーカブ五〇cc)と被告吉村千春(以下被告千春という)の運転する軽四輪乗用車(ダイハツフエロー)とが正面衝突し、右事故により亡泰は頭部打撲、頸椎骨折、頭蓋内出血、右下肢複雑骨折の傷害を受け、前同日午時一〇時一〇分恵那市長島町中野三一二の二林医院において右傷害のため死亡した。

(二)  被告らの責任

被告らは夫婦であつて、本件軽四輪乗用車は被告吉村久(以下被告久という)が購入し、常時家庭用として被告久が自ら使用したり、あるいは、被告千春が子供を幼稚園へ送迎するのに使用していたものであるから、被告らは本件事故についてともに運行供用者として自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)三条により共同して責任を負うべきものである。

(三)  原告らの地位

原告田口幸子(以下原告幸子という)は亡泰の妻、原告田口正孝(以下原告正孝という)は亡泰の長男、原告國枝小夜美(以下原告小夜美という)は亡泰の長女、原告田口博隆(以下原告博隆という)は亡泰の次男であつて、いずれも亡泰の相続人である。

(四)  損害

(1) 亡泰の損害

(イ) 逸失利益

(年収)

亡泰は、生前株式会社恵那峡ランドに遊園地主任として勤務し、昭和四九年一月から六月までの間に四四万九九七五円の給与を得ていた。ところで、死亡の前年である昭和四八年中に亡泰が得た給与は賞与を含めて年間九五万八九四〇円であり、このうち一月から六月までの間に得た分は三六万七三三五円であつたから、次の算式により昭和四九年中には年間一一七万四五六九円の給与収入が得られた筈である。

958,940円×449,975/367,335=1,174,569円

更に、亡泰は、株式会社恵那峡ランドに勤務するかたわら、家業の農業にも従事していた。

しかして、昭和四八年における年間農業収入は七四万五五九〇円であり、

その内訳は、

米作(一三俵) 一三万五五九〇円

乳牛 五六万円

野菜 五万円

であつたが、昭和四九年には値上がりにより

米作(一三俵) 一七万八六四六円

乳牛 七七万六〇〇〇円

野菜 六万円

合計 一〇一万四六四六円

の収入が見込まれた。

ところで、原告幸子も右農業に従事していたが、家事のかたわら手伝う程度であつたから、同女の寄与率は精々二〇パーセントである。

したがつて、昭和四九年中に亡泰が得る見込みであつた農業収入は八一万一七一六円であり、これに前述の給与収入を加えると、亡泰が昭和四九年中に得る見込みであつた年間総収入は、一九八万六二六五円となる。

(稼働可能年数)

亡泰は、本件事故当時五四歳であつたが、健康体であつたから本件事故にさえ遇わなければ平均寿命を全うし得たことは確実であり、したがつて、あと一三年は就労し得た筈である。

(生活費)

亡泰の生活態度は働くばかりで慎ましやかであつたから、その生活費は多くとも収入の四〇パーセントを超えない。

(まとめ)

以上に基づいて亡泰の逸失利益の本件事故当時における現価を計算すると、次のとおり一一七〇万九三八二円となる。

1,986,285円(年間総収入)×0.6×9.821(新ホフマン係数)=11,709,382円

(ロ) 慰謝料

亡泰は、いまだ五四歳にして未婚の次男を擁する身であつたのに、出勤途次被告千春の無暴運転により死亡させられたものであつて、その無念は他に比肩すべきものがない。慰謝料としては金五〇〇万円が相当である。

(ハ) 原告ら各自の相続額

原告らは、亡泰の右損害賠償請求権を各自の相続分(原告幸子は三分の一、その余の原告らは各九分の二)に応じて承継したが、その額は原告幸子が五五六万九七九四円、その余の原告らが各三七一万三一九六円である。

(2) 葬儀料

原告幸子は、亡泰の事故死により葬儀料三〇万円の出捐を余儀なくされた。

(3) 原告らの慰謝料

亡泰は、永年に亘り原告らを養育するため、日夜献身し休む暇もない苦労を重ねてきた。そして、漸くにして子供達も成長し、これからささやかなゆとりが得られようとした矢先、本件事故に遭遇したもので、その生涯はいわば働くためにのみ生まれてきたようなものであり、またそれ故にこそ、本件事故により遂にこれに報いることのできなかつた原告らの亡父に対する哀惜の念は永く忘れ得るものではない。

よつて、慰謝料は、原告幸子につき三〇〇万円、その余の原告らにつき各八〇万円が相当である。

(4) 原告ら各自の総損害額

以上をまとめると原告ら各自の総損害額は次のとおりとなる。

原告幸子 八八六万九七九四円

その余の原告ら 各四五一万三一九六円

(五) 損害の填補

原告らは、本件事故に基づく自賠責保険金七〇二万三二九六円を受領したので、これを原告らの間で次のとおり配分して損害金の一部に充当した。

原告幸子 二三四万三二九六円

その余の原告ら 各一五六万円

(六) 結論

そのすると、被告らが支払うべき金額は、原告幸子につき六五二万七四九八円、その余の原告らにつき各二九五万三一九六円となるが、このうち原告幸子につき二〇〇万円、その余の原告らにつき各一〇〇万円および右各金員に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四九年六月二六日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する答弁)

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実のうち、被告らが本件事故について運行供用者として責任を負うべきであるとの点は争うが、その余の事実は認める。

(三)  同(三)および(四)の事実は、いずれも不知。

(四)  同(五)の事実のうち、原告らがその主張のように自賠責保険金を受領したことは認めるが、その配分関係は不知。

(抗弁)

(一)  免責の抗弁

本件事故は、以下述べるように亡泰の一方的過失によつて発生したものであつて、被告千春には本件事故の発生と因果関係のあるような過失はなかつたし、事故当時被告千春の運転していた軽四輪乗用車にも構造上の欠陥や機能の障害はなかつたから、被告らに損害賠償責任はない。すなわち、

(1) 本件事故現場付近の道路は、被告千春の進行方向からみて登り坂で左にゆるくカーブしており、幅員は五・五メートルでダンプカーでも十分すれ違うことのできるアスフアルト舗装の道路である。

(2) 被告千春は、事故当日の午前八時二〇分頃、娘を保育園に送つていくため助手席に同乗させ、時速約四〇キロメートルの速度で軽四輪乗用車(以下乙車という)を運転して本件事故現場付近に差しかかつたところ、約二七メートル前方に原動機付自転車(以下甲車という)を運転して対向してくる亡泰を発見した。その際の乙車の位置は、被告千春の進行方向からみて道路の左側部分を十分左側に寄つて進行しており、甲車の方は、亡泰の進行方向からみて、道路の中央よりやや左側を進行していたが、被告千春はこの時にはまだ衝突の危険を感じていなかつた。

(3) 被告千春と亡泰はかねてより知人の間柄で、娘を保育園へ送る被告千春と勤務先に出勤する亡泰とは、常日頃から本件事故現場付近ですれ違つていた。そんな訳で、被告千春は事故当日の朝も亡泰に挨拶するつもりでいた上、道路が登り坂で左にカーブしていたこともあつて、亡泰を発見後ゆるくブレーキをかけながら進行したところ、亡泰の姿が一瞬見えなくなり、その直後自己の眼前に迫つてきたため、更にブレーキを強く踏みこんだが間に合わず衝突した。

(4) 衝突地点は、被告千春の進行方向からみて道路の左側部分で、被告千春が亡泰を最初に発見した地点から約一五メートル進行した地点である。したがつて、本件事故は被告千春が亡泰を発見してから約一・二秒(乙車の速度を時速四五キロメートルとした場合)ないし約一・三五秒(同じく時速四〇キロメートルとした場合)後に発生したことになる。

(5) 以上の事実関係を総合すると、亡泰は、被告千春が亡泰を最初に発見したときには道路の中央よりやや左側を進行していたのに、その後何らかの理由で突如進路を変更し、前方を注視せずに道路右側部分に入り込んだため、法令に従つて進行してきた被告千春運転の乙車に衝突したものといわざるを得ない。しかして、亡泰が右のような行動をとつたのは、被告千春が亡泰を最初に発見してから衝突するまでの僅か一・二秒ないし一・三五秒の間であるところ、被告千春としてはこのような短時間内に亡泰が前述のような無暴な進行方法をとることなど予期できなかつたし、また、これに対応して事故を回避する措置をとるだけの時間的余裕もなかつた。

(6) 原告らは、被告千春に前方不注視の過失があつたと主張するが、そのようなことはない。被告千春が亡泰を発見後、その姿を一瞬見失つたのは、亡泰が前述のように突如進路を変更して道路左側部分から右側部分に入り込んだため、被告千春の進行方向からみて道路左端(カーブの内側)に繁茂していた樹木の陰にその姿が入つてしまつたせいである。

また、原告らは、被告千春に徐行義務違反の過失があつたとも主張するが、前述の事故態様に照らすと、たとえ被告千春が時速二〇キロメートル程度に徐行していたとしても、本件事故は避けられなかつたものといわざるを得ない。したがつて、仮に被告千春に徐行義務違反の過失があつたとしても、これと本件事故の発生との間に因果関係はない。

(7) 更に、原告らは、乙車の四輪のスリツプ痕の長さが相異つていたことを根拠として乙車に構造上の欠陥もしくは機能上の障害があつたと主張するが、スリツプ痕の長さが左右同じでなかつたのは、被告千春が最初ゆるくブレーキをかけたことから、道路が左にカーブしている関係上、右の車輪に重力がかかつて右側車輪のブレーキ痕が長く印されたためであつて、構造上の欠陥や整備不良を示すものではない。

(二)  過失相殺の抗弁

仮に、免責の抗弁が認められないとしても、亡泰には前方を注視せずに道路左側部分から右側部分に入り込んだ過失があつたから、過失相殺がなされるべきである。

(抗弁に対する答弁)

抗弁(一)および(二)の事実は否認する。

(抗弁に対する原告らの反論)

(一)  被告千春の過失について

(1) 前方注視義務違反

被告千春は、「亡泰を約二七メートル前方に発見したが、次の瞬間亡泰の姿が見えなくなり、その直後眼前に再び発見してブレーキをかけたが間に合わなかつた。」というけれども、事故現場のカーブの状況ならびに被告千春が亡泰を最初に発見したときの亡泰の位置からすると、仮に、亡泰が若干右寄りの進行に入つたとしても、その姿が物陰に隠れて見えなくなるというようなことは物理的に起り得ない。また、被告千春が亡泰を発見してから同人と衝突するまでの時間は、双方の速度(被告千春の速度は後述のとおり時速約五〇キロメートル、亡泰のそれは時速約四〇キロメートルであつたと考えられる)からして僅か一・一秒弱しかなかつたのであるから、「亡泰の姿は発見後一旦見えなくなつたが、その後又発見した」というような時間的余裕があつた筈もないのである。

結局、被告千春は、事故前亡泰を発見していなかつたか、あるいは、発見していても一時助手席の子供に気をとられたかして前方を注視していなかつたものといわざるを得ない。

(2) 徐行義務違反

事故現場付近はやや上り勾配のアスフアルト舗装道路であるところ、乙車のスリツプ痕は最長のもので一三メートルあつたから、アスフアルト舗装道路における時速と制動距離との関係からみて、事故直前被告千春は時速約五〇キロメートルの速度で進行していたものと推測される。

ところで、道路交通法四二条二号によれば車両は道路の曲がり角付近では徐行しなければならないものとされているから、もし、被告千春が右法規に従つて時速二〇キロメートル程度で徐行しておれば本件事故を避け得たことも十分考えられるのである。

したがつて、被告千春の右徐行義務違反も本件事故における過失として評価されるべきである。

(二)  乙車の構造上の欠陥について

実況見分調書によれば、乙車の四輪のスリツプ痕はそれぞれ長短相異つていることが明らかであるが、これは即ち乙車のブレーキの利きがそれぞれ異つていたことを示すものであつて、乙車に構造上の欠陥もしくは整備不良による機能の障害があつたことの証左である。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  請求原因(一)の事実は当事者間に争いがない。

二  同(二)の事実のうち、被告らが夫婦であつて、本件事故当時被告千春が運転していた乙車は被告久が購入し、当時家庭用として被告久が自ら使用したり、あるいは、被告千春が子供を幼稚園へ送迎するのに使用していたものであることは、当事者間に争いがないところ、右事実によれば、被告らはともに自賠法三条所定の運行供用者にあたるものというべきである。

三  免責および相殺の抗弁について

(一)  事故の態様

成立に争いのない乙第一〇号証の一ないし一〇、証人三輪幸夫、同糸井川鉞郎の各証言および被告千春本人尋問の結果(但し、いずれも後記措信しない部分を除く。)ならびに検証の結果を総合すると次のような事実が認められる。すなわち、

(1)  本件事故現場は、恵那市街から恵那峡ランドに通ずる幅員五・五メートルのアスフアルト舗装の道路(以下本件道路という)であり、被告千春の進行方向即ち東方から西方をみるとやや上り勾配で左にゆるくカーブしているが、事故当時はカーブの内側の道路沿いに樹木が繁茂し、しかもその枝葉の一部が道路上に約六〇センチメートル張り出していたため、見通しは不良であつた。また、付近一帯は山林で交通は極めて閑散であり、事故当時路上にセンターラインの表示もされていなかつたし、速度制限の指定もされていなかつた。なお、事故当日の天候は晴で路面は乾燥していた。

(2)  被告千春は、事故当日の朝当時四歳の娘を保育園に送つていくため助手席に同乗させて乙車を運転し、時速約四五キロメートルの速度で東方から西方に向かつて本件道路の左側部分(乙車の右側車輪と道路中央との間隔は約九五センチメートル、左側車輪と道路左端との間隔は約五〇センチメートル)を進行して本件現場のカーブ手前に差しかかつたところ、前方のカーブ曲がり角付近に甲車を運転して道路の中央より向かつてやや左側寄りを対向進行してくる亡泰を発見したが、その後亡泰の姿が一瞬見えなくなり、次いでいきなり眼前に亡泰が迫つてきたため、あわてて急ブレーキを踏んだが間に合わず衝突した。

(3)  ところで、毎朝娘を保育園に送る被告千春と勤務先の株式会社恵那峡ランドに出勤する亡泰とは、日頃から同じ時間帯に本件現場付近でよくすれ違うため顔見知りの間柄であり、すれ違う度毎に手を振るなどして挨拶を交していたものであるが、たまたま事故の前日は亡泰の方が挨拶したのに被告千春の方でこれに答えられなかつたことから、被告千春は、事故当日の朝は亡泰に会つたら手を振つて挨拶しようということを特に意識しながら運転していた。

(4)  一方、亡泰は勤務先に出勤するため甲車を運転し、時速約四〇キロメートルの速度で西方から東方に向かつて本件道路の中央よりやや右寄りを進行していたが、本件現場のカーブ手前に差しかかつた際、カーブを内回りして近道しようとしたのか、更に右寄りに進路を変え、折柄対向してきた乙車と衝突した。

(5)  衝突地点は、カーブの中央付近で、亡泰の進行方向から見ると道路の中央より約九五センチメートル右側部分に入りこんだ所であり、衝突後乙車は更に約八メートル前進して停止し、甲車は衝突地点よりほぼ北方へ一・九メートル亡泰は同じくほぼ東北東へ四・一メートル飛ばされて、いずれも路上に転倒した。衝突部位は甲乙両車の各右前部で、衝突のシヨツクにより甲車の右側部と乙車の右フエンダー部付近がそれぞれ小破したが、破損の範囲は乙車の場合右端より精々約三〇センチメートル内側に入つたところまでである。なお、衝突時、乙車の左側車輪と道路左端との間には約五〇センチメートルの間隔があつた。

(6)  路面に印されたスリツプ痕は乙車のもののみであつたが、その長さは右前輪のものが四・七メートル、左前輪のものが三・八メートル、右後輪のものが一三メートル、左後輪のものが九・四メートルであり、いずれも濃く印されていた。そして、右スリツプ痕のうち最長の一三メートルのものは、被告千春の進行方向からみて衝突地点の約八メートル手前から始まり衝突地点の約五メートル先で終つていた。

以上の各事実が認められる。

被告千春はその本人尋問中において、本件事故直前における乙車の速度は時速四〇キロメートル程度であつたと供述しているが、経験則上、自動車の制動距離(ブレーキがきき始めてから車が停止するまでの距離)は、概ね速度が時速四〇キロメートルの場合は一〇メートル、時速五〇キロメートルの場合は一五メートルであることが知られているから、右結果に前認定の乙車のスリツプ痕の長さならびに本件現場が乙車の進行方向からみるとやや上り坂になつていることを併せ考えると、事故直前における乙車の速度は時速約四五キロメートルであつたと推認するのが相当であり、被告千春の右供述部分はたやすく措信することができない。その他、証人三輪幸夫、同糸井川鉞郎の各証言および被告千春本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  亡泰の過失の有無について

前認定事実によれば、亡泰には、左側部分通行という運転者にとつては信号表示に従うのと並ぶ最も基本的な規範に反して一メートル近くも道路右側部分に入りこんで進行した重大な過失があり、これが本件事故の発生を招いた主たる原因となつたものであるが、その他にも、制限速度違反の過失(甲車のような第一種原付自転車の制限速度は時速三〇キロメートル)や前方不注視の過失(現場に甲車のスリツプ痕が全く残されていなかつたことからみて、亡泰は本件現場付近において前方を十分注視していなかつたため乙車を発見するのが遅れたものと推測される。)があつたものといわざるを得ない。

(三)  被告千春の過失の有無について

(1)  前方注視義務違反の有無

原告らは、被告千春は事故前亡泰を発見していなかつたか、あるいは発見していても一時前方注視を怠つたと主張するけれども、前認定のように、乙車のスリツプ痕のうち最長のものは、被告千春の進行方向からみて衝突地点より約八メートル手前の地点からついているのであるから、事故前被告千春が亡泰を発見してなかつたという主張は根拠のないものといわざるを得ない。また、前認定の現場のカーブの状況に亡泰がカーブの手前で進路を更に右寄りに変更している事実や被告千春が最初に亡泰の姿を発見したのはカーブ内側に繁茂していた木の間越しであつた可能性が強いこと(証人三輪幸夫の証言)を併せ考えると、被告千春が亡泰の姿を一瞬見失つたのは、亡泰がカーブ手前で進路を更に右寄りに変更したために最初木の間越しにちらつと見えていた亡泰の姿が次の瞬間樹木の陰に完全に隠れて見えなくなつてしまつたせいであつて、被告千春が一時前方注視を怠つたためではないものと解するが相当である。前認定のように、被告千春は事故当日の朝は亡泰に拶挨することを特に意識しながら運転していたのであるから、この事実からしても、被告千春としては日頃亡泰とよくすれ違う本件現場付近では特に前方を充分注視しながら運転していたものと推認するのが自然である。

(2)  徐行義務違反の有無

道路交通法四二条により、一般に自動車の運転者は道路の曲がり角付近では徐行すべきものと定められている上、本件のようにセンターラインの表示のなされていない余り広くない道路で、しかも交通の閑散なカーブにおいては、往々にして対向車が近道をするため道路の中央部分ないしは右側部分にはみ出して進行してくる例があるのであるから、被告千春としてはやはり本件カーブの手前で時速二、三〇キロメートル程度に減速して徐行すべき義務があつたものといわざるを得ない。しかして、前認定の乙車の破損状況からみると、乙車があと五〇センチメートル程度左側に寄つていれば甲車との接触、衝突は避けられたものと考えられるところ、前認定事実によれば、衝突時乙車の左側車輪と道路左端との間にはなお五〇センチメートルの間隔があつた上、前記乙第一〇号証の一、二によれば道路左端より道路外へ更に数十センチメートルは安全にはみ出し得る状況であつたことが認められるから、もし、被告千春において減速徐行しておれば乙車のハンドル操作と制動措置によつて本件事故の発生を避け得た可能性があつたものというべきである。

(四)  乙車の構造上の欠陥または機能の障害の有無について

原告らは、乙車の四輪のスリツプ痕が長短相異なるのは乙車に構造上の欠陥または、機能の障害があつたためであると主張するが、前認定の事故態様からすれば、スリツプ痕に長短の差が生じたのは、被告千春の進行方向からみて現場が左にカーブしている関係上、右側車輪に重力が余計にかかつたためと考えられ、前記乙第一号証の一に乙車のブレーキテストの結果は良いと記載されていることからみても、乙車に制動措置の故障、欠陥はなかつたものと認定するのが相当である。そして、右乙第一号証の一および弁論の全趣旨によれば、乙車には他にも構造上の欠陥や機能の障害はなかつたものと認められる。

(五)  まとめ

以上の次第であるから、被告らの免責の抗弁は採用し難いけれども、過失相殺の抗弁は理由があるものというべきところ、前認定の双方の過失の程度態様を比較すると、亡泰の過失の方が被告千春の過失よりはるかに大きいことは明らかであり、その比率は亡泰が七に対し被告千春が三の割合と認めるのが相当である。

四  損害について

(一)  亡泰の損害

(1)  逸失利益

原告正孝本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一ないし第三号証、原告幸子および同正孝各本人尋問の結果によれば、次のような事実が認められる。すなわち、

亡泰は、生前株式会社恵那峡ランドに遊園地主任として勤務し、昭和四八年一月から一二月までおよび昭和四九年一月から六月までの間に原告ら主張の額の給与収入を得たこと、更に亡泰は右会社に勤務するかたわら家業の農業にも従事していたが、本件事故当時子供三人(原告正孝、同小夜美、同博隆)はすべて結婚又は独立して家を出ていたため、農業に従事していたのは亡泰と原告幸子の二人だけであつたこと、もつとも、原告幸子は家事やパートタイムの仕事のかたわら農業を手伝う程度であつて、農作業は主に亡泰が定休日、有給休暇および出勤前や帰宅後の時間帯を利用して行つていたこと、しかして、昭和四八年における農業収入ならびにその内訳は原告ら主張のとおりであり、また、亡泰が本件事故に遇わなければ昭和四九年には原告ら主張のとおりの農業収入が見込まれたこと、亡泰は本件事故当時満五五歳(大正八年三月二日生)で健康であり、晩酌に酒を一合位飲む程度で他に趣味とてなく、働くことのみで日々を送つていたこと、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、亡泰が昭和四九年中に得る見込みであつた給与収入は一一七万四六七四円であり、また農業収入は八一万一七一六円(原告幸子の寄与率は二割として計算)であつたと認めるのが相当であるから、結局亡泰の年間総収入は一九八万六三九〇円となる。

(給与収入)

958,940円×449,975/367,335=6,174,674円

(農業収入)

1,014,646円×0.8=811,716円

そして、右認定の亡泰の年齢、健康状態、生活態度からすれば、亡泰の稼働可能年数は一二年、その生活費は収入の四〇パーセントと認めるのが相当であるから、亡泰の逸失利益の本件事故における現価は次のとおり一〇九八万二七五〇円となる。

1,986,390円(年収)×0.6×9,215(新ホフマン係数)=10,982,750円

(2)  亡泰の慰謝料

前認定の亡泰の年齢、家庭状況、その他の事情(但し、亡泰の過失は除く)を考慮すると、亡泰の慰謝料は三六〇万円が相当である。

(3)  原告ら各自の相続額

請求原因(三)の事実は当事者間に争いがないから、原告らは相続により亡泰の右損害賠償請求権を各自の相続分(原告幸子は三分の一、その余の原告らは各九分の二)に応じて承継したものというべきであり、したがつてその額は原告幸子が四八六万九一六円、その余の原告らが各三二四万六一一円となる。

(二)  葬儀料

原告正孝本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、原告幸子は亡泰の事故死により葬儀料として三〇万円を下らない出捐を余儀なくされたことが認められる。

(三)  原告らの慰謝料

亡泰の慰謝料算定にあたつて考慮した諸事情のほか原告らと亡泰の身分関係を考慮すると、原告幸子の慰謝料は二〇〇万円、その余の原告らの慰謝料は各八〇万円とするのが相当である。

(四)  原告ら各自の総損害額

以上をまとめると、原告幸子の実損額は七一六万九一六円、その余の原告らの実損額は各四〇四万六一一円となるところ前認定の双方の過失割合に応じて過失相殺をすると原告幸子の損害額は二一四万八二七四円、その余の原告らの損害額は各一二一万二一八三円となる。

五  損害の填補

原告らが本件事故に基づく自賠責保険金七〇二万三二九六円を受領したことは当事者間に争いがないところ、これを原告らの間で各自の相続分に見合うように配分して原告幸子が二三四万三二九六円を、その余の原告らが各一五六万円を取得したことは原告らの自陳するところである。

六  結論

そうすると、原告らの各損害はいずれも自賠責保険金により全額填補済みというべきであるから、原告らの本訴請求はいずれも失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 棚橋健二)

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