岐阜地方裁判所大垣支部 昭和54年(ワ)17号 判決 1984年8月01日
原告 野田隆
<ほか一名>
右原告両名訴訟代理人弁護士 加藤猛
被告 大垣市
右代表者市長 岩田巌
右訴訟代理人弁護士 小出良熙
主文
一 被告は原告両名に対し各金五〇万円及びこれに対する昭和五三年八月一一日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告両名のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は二〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告両名の連帯負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮りに執行できる。
事実
第一当事者の申立
一 請求の趣旨
1 被告は原告野田隆に対し金一〇一六万円、同野田加代子に対し金九八六万円及びこれらに対する昭和五三年八月一一日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を各棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 当事者
原告両名は亡野田しをり(以下亡しをりという)の両親であり、被告は大垣市民病院(以下市民病院という)を経営している。
2 診療契約の成立
昭和五三年八月三日亡しをりの出生の際亡しをりの両親である原告両名と被告との間で未熟児である亡しをりに対し一般の医療水準に基き治療をする旨の準委任契約を締結した。
3 亡しをりの出生と診療経過
(一) 昭和五三年八月一日に原告野田加代子は出産のために市民病院に入院し、同月三日午後一時二九分に亡しをりを出産したが、亡しをりは体重一〇八〇グラムの未熟児であったので、ただちに保育器に入れられ、点滴等による治療を受けた。
(二) 右病院の鈴村医師は当初原告らに亡しをりは命に別条はないといっていたが、容態は徐々に悪化してゆき、右病院の渡辺医師は同月九日午後一一時一七分頃原告らに対し、亡しをりについて「もう駄目です。息が完全に切れました。」と死亡の宣告をした。そして、その直後看護婦が亡しをりを保育器から出し、点摘の管を抜き去って湯かんをした。
(三) 次いで、同月一〇日午前一時過ぎ原告両名は亡しをりを引取り帰途についたが、間もなく亡しをりが呼吸しているのに気付き、右病院に電話連絡したが、渡辺医師は不在であった。
(四) そのため同日午前四時四〇分頃揖斐病院に入院させたが、治療の効なく、同日午前六時二三分頃亡しをりは死亡した。
4 被告の責任
(一) 診療契約に基き、亡しをりに対し未熟児であることから予測される症状のあらゆる変化に対応できるように、一般の医療水準により治療すべき義務があったのに、治療らしい治療もせず、又脳死の判定については(イ)深い昏睡が続いて意識が戻らず(ロ)両眼の瞳孔が開き光への反射反応がなく(ハ)呼吸がなく(ニ)血圧が急に下り低血圧が続く(ホ)脳波が平たん化し(ヘ)以上の状態が六時間以上も続くことが必要であるのに、担当の渡辺医師は亡しをりについて心電図も脳波も検査せず、しかも極めて短時間で脳死と速断し、この誤診により、まだ死亡していない亡しをりを保育器から出し、点滴の管を抜去り、未熟児にとって生命を維持すべき最少限の治療を中止してしまったために亡しをりは死亡した。
(二) 従って、(1)右経過により亡しをりを死亡させたことは被告の診療契約に基く義務違反であるから、被告は債務不履行による損害賠償責任があり、(2)仮に右が認められないとしても、被告の担当医である渡辺医師の右過失により亡しをりは死亡したから右渡辺医師の使用者である被告は民法七一五条により又は国家賠償法一条により損害賠償責任を負う。
5 損害
(一) 亡しをりの被った損害
(1) 逸失利益 金一一七三万一二〇三円
賃金センサス(昭和五二年第一巻第一表産業計企業計)による女子労働者の平均年収は金一五二万二九〇〇円であり、就労可能期間を二〇才から六七才までの四七年間(ホフマン係数一五・四〇六四)とし、生活費の控除を五〇パーセントとしてホフマン式計算方法により算出すると逸失利益は金一一七三万一二〇三円となる。
(2) 慰藉料 金八〇〇万円
亡しをりの死亡に基く精神的苦痛に対する慰藉料である。
(二) 原告野田隆の損害
葬儀費 金三〇万円
亡しをりの葬儀費であり、原告野田隆が負担した。
(三) 原告両名は右(一)の(1)(2)計一九七三万一二〇三円につき各二分の一である金九八六万五六〇一円宛を相続したので、原告野田隆の損害は金一〇一六万五六〇一円、原告野田加代子の損害は金九八六万五六〇一円となる。
6 よって、原告野田隆は右内金一〇一六万円、原告野田加代子は右内金九八六万円及びこれらに対する亡しをりの死亡した日の翌日である昭和五三年八月一一日以降支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実は否認する。亡しをりに対する治療は健康保険によりなされたから診療契約は保険者である保険組合と被告との間で締結されたとみるべきである(健康保険法四三条)。
3 同3の(一)の事実は認める。但し、出産は切迫早産のためである。
同3の(二)の事実は否認する。
同3の(三)のうち原告らが同月一〇日午前一時過ぎに亡しをりの身柄を受取ったこと、原告らから電話連絡があったが、渡辺医師が不在であったことは認めるが、その余の事実は知らない。
同3の(四)の事実は知らない。
4 同4の事実は否認する。
5 同5の事実は否認する。
6 被告の主張
(一) 未熟児の特徴
未熟児とは出生体重二五〇〇グラム以下のものをいうが、未熟児は、成熟児と比較して次のような特徴を有している。
(1) 呼吸中枢、呼吸筋の発育不全
このため、呼吸は浅弱不整でちょっとしたことで呼吸困難や無呼吸発作をきたしやすい。とくに出生体重二〇〇〇グラム以下の未熟児に特徴的に現われ、また遷延性無呼吸発作をきたすことも少なくない。遷延性無呼吸発作とは、二〇秒以上つづく無呼吸発作のことであり、チアノーゼなどを伴っている。
(2) 体温調節機能の不完全
未熟児は、体温調節中枢の機能が不完全なうえ、皮下脂肪層が薄く、運動に乏しいため熱の産出が少なく、これに反して皮ふ面が大きく蒸散熱量が多い。従って自分で体温を調節することが難しい。
(二) 未熟児の治療
(1) 未熟児の右特徴は、身体の発育が未熟であるが故に発現するものであるから、根本的には発育を待ってはじめてその原因が除去されることになる。
現代の医学では、急速に発育を促進する方策はないので、未熟という原因から発生する現象をその現われてくる症状にあわせて対処していくという方法即ち対症治療がとられる。
(2) 呼吸中枢、呼吸筋の発育不全が原因で現われる症状、即ち無呼吸発作、遷延性無呼吸発作などに対しては、その程度容態にあわせた酸素吸入、人工換気療法、刺激等により対処される。
また体温調節機能が不完全であることから現われる症状、即ち低体温状態の発生に対しては、そのときの状況に応じ保育器を用いて温度調節を行うことが行われる。
(三) 亡しをりの治療経過
(1) 昭和五三年八月三日
(イ) 出生後直ちに保育器に入れられ、以降保育器の使用は最後まで継続した。
(ロ) 午後三時三〇分頃、軽度の陥没性呼吸となり、呼吸音も軽度に荒い状態となった。濃度30%の酸素吸入を継続した。
(2) 八月四日
午前一〇時五〇分頃から午後一〇時頃までの間、無呼吸発作、全身チアノーゼ等の症状を数度にわたって繰り返し、その都度、皮膚刺激、そ生器による人工呼吸、酸素濃度の調整などにより対処した。
(3) 八月五日
(イ) 無呼吸発作に伴うチアノーゼが数回出現したが、皮膚刺激により回復をみた。
(ロ) 腹部膨満がみられたので浣腸を行い、綿棒で便を出した。また腸閉塞を疑ってX線撮影を施行したが異常はなかった。
(4) 八月六日
(イ) 午前一時頃全身チアノーゼが二回にわたり発生し、皮膚刺激によっても一分間位回復しなかった。
(ロ) 午前一時四〇分頃無呼吸状態が三〇秒位続き、顔面にチアノーゼが現われたが、皮膚刺激によって回復した。その後も、何回も無呼吸発作を繰り返した。
(5) 八月七日
(イ) 前日程ではないが、午後二時二〇分までの間に一五秒から二〇秒位の無呼吸発作が二回発生した。
(ロ) 亡しをりは肺には異常所見が認められず、呼吸中枢が未発達であるため、度々無呼吸発作を繰り返しているものと考えられたので、亡しをりの状態を観察しつつ酸素濃度を25%まで下げることとし、午後二時から午後四時三〇分までは酸素濃度を28%に、午後四時三〇分からはこれを25%に下げた。
(6) 八月八日
(イ) 前日に引き続いて保育器内の酸素濃度は午後四時頃まで25%で継続した。その間無呼吸があったり(午前六時頃)、呼吸不規則が認められたり(午後三時頃)したが、活発に手足を動かし、泣き声をあげたり(午前六時頃)して全身状態はやや良くなっていると判断したので午後四時頃には酸素投与の中止をした。
(ロ) 午後五時一〇分頃になって、無呼吸発作が起こり、全身チアノーゼが発生したが、皮膚刺激により消失した。
(ハ) 午後六時になって無呼吸発作が三〇秒続き、軽度の全身チアノーゼが発生し、ここで25.5%濃度の酸素投与を再開した。
(ニ) その後午後七時三〇分に全身やや強度のチアノーゼが、午後八時三〇分と午後九時には軽度のチアノーゼが出現した。
(7) 八月九日
(イ) 午前〇時三五分全身やや中程度の、同一時五分頃五分間位の間、また午前二時、午前四時、午前七時と同八時にもそれぞれチアノーゼが出現した。
(ロ) 午前八時五〇分になって、酸素吸入を止めてみたが、午前九時五〇分には無呼吸発作が二〇秒間位続いた。午前一〇時三〇分頃には、皮膚刺激をすると呼吸をするが、これを中止すると無呼吸となる状態が発生したので、午前一〇時四〇分酸素投与を開始した。
(ハ) 午前一〇時五〇分全身チアノーゼの状態がやや良好となり酸素投与を中止した。
(ニ) 午前一二時には、無呼吸状態が持続し全身チアノーゼが発生し、皮膚刺激をしても容易に回復しない状態となった。
(ホ) 午後〇時一〇分酸素投与を開始し、午後〇時一五分全身チアノーゼはやや軽度となった。午後二時無呼吸状態となり、全身チアノーゼが発生した。
(ヘ) 午後二時一〇分発現したチアノーゼは、皮膚刺激によっても回復せず、点滴内にテラプテク(呼吸中枢刺激剤)を追加したり等の処置により午後二時一五分頃呼吸を開始し、チアノーゼは消失した。
(ト) 午後三時二〇分頃一分間位無呼吸状態が続き、人工呼吸施行により浅い呼吸をするようになった。
(チ) 午後四時五〇分には、無呼吸発作をきたし著明なチアノーゼが全身に発生し、人工呼吸を施行したが、一五分間に三度呼吸する状態、心拍は、毎分不規則に五〇という状態が現われ、人工呼吸により対処したがこのような状態は午後五時五分頃まで継続したので人工呼吸を行った。
(リ) 午後五時一八分には、人工呼吸により約二〇秒間の自発呼吸(下顎呼吸、鼻翼呼吸)をしたが、再度無呼吸状態となり、チアノーゼも強くなった。
(ヌ) 午後五時三〇分頃から同四〇分頃までは呼吸もあり、皮膚の色もよくなったが、午後五時四三分には呼吸停止が起こり、その後午後七時頃までの間、毎分一回ないし七回の下顎呼吸となり、心拍も毎分一六回となった。
(ル) 午後七時一〇分には心拍が毎分三〇となり、心音も弱くなり、時々不規則に下顎呼吸をするという状態が続き、午後一〇時一〇分には、対光反射も消失したので、父親にその状態を説明し、脳死の状態であると告げた。
(ヲ) 午後一一時七分には心音も聞けなくなり、瞳孔も散大し、対光反射の消失も確認された。
(ワ) 午後一一時三〇分には心拍も毎分三六、午後一一時四五分には毎分三〇、翌一〇日の午前〇時には心音も聴取できず、呼吸も完全に停止していた。
(カ) そこで、渡辺医師は亡しをりが死亡したものと診断し、午前〇時一〇分点滴を抜去させた。
(四) 死の認定について
(1) 従来より心拍の停止、呼吸の停止、瞳孔の散大という三徴侯を死亡の標識とする臨床的慣行が、そのまま法解釈の上でも前提とされていたことは周知のとおりである。
(2) 亡しおりに対する死亡の認定
(イ) 瞳孔散大
昭和五三年八月九日、午後一〇時一〇分、瞳孔の対光反射を失い、瞳孔散大が認められた。その後午後一一時七分、翌一〇日午前〇時、及び同〇時三〇分にもそれを確認している。
(ロ) 心拍停止
昭和五三年八月九日午後一一時七分、心音が聴けず、その後心マッサージにより心拍は午後一一時三〇分に毎分三六、午後一一時四五分に毎分三〇を数えたが、その後は心マッサージによるも心音を聴取できなかった。翌一〇日午前〇時にも心音を聴取できなかった。
(ハ) 呼吸の停止
呼吸については、当初より不規則であったが、昭和五三年八月九日午後一一時三〇分には、五分間に三回という下顎呼吸を行っており、それ以降は呼吸がなく、翌一〇日午前〇時にも呼吸がなかった。
(ニ) 右の次第であって、本件患者は昭和五三年八月一〇日午前〇時には死の三徴候を完全に備えていた。
(3) 亡しをりの前記の病状の推移からすると明らかに死に至る経過をたどっていたから、仮りに八月一〇日午前〇時一〇分に点滴管を抜去らなくても医学の常識上死に至ったものということができる。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1の事実は当事者間に争いがなく、そして、《証拠省略》によると請求原因2の事実が認められる。
なお被告主張のように亡しをりに対する診療が健康保険法による保険診療であっても(この点証拠上不明確であるが)、診療契約は患者と被告との間に成立したものとみるべきであって保険者と被告との間に成立したものとみるべきではない。
二 そこで、亡しをりの出産から死亡に至る経過についてみることとする。
《証拠省略》によると次の事実が認められる。
1 原告野田加代子は妊娠後助産婦に診てもらっていたが破水をしたため昭和五三年八月一日市民病院に入院し、同月三日に亡しをりを出産したが、亡しをりは妊娠八か月で生まれ、体重一〇八〇グラムの未熟児であったので、ただちに保育器に入れられ、治療を受けることとなった。
2 市民病院では亡しをりに対し治療として正常な体温を維持するための保温、点滴による水分等の補給、酸素の補給等をした。しかし翌四日に無呼吸発作が起った。亡しをりの肺臓に異常が認められなかったので、中枢性の未熟による無呼吸発作であると判断し、そして、この発作に対しては適度な酸素の補給調節、皮膚刺激による治療を行ない、更に同月九日症状が悪化したので呼吸中枢刺激剤、蘇生器の使用(人工呼吸)による治療をも合せて行なった。
3 そして、市民病院が亡しをりの死亡診断をしたまでの間における亡しをりの具体的な症状及びこれに対する治療内容は被告の主張(三)「亡しをりの治療経過」(事実欄第二、二、6の(三))に記載のとおりである。なお渡辺医師は右死亡診断について聴診、視診を信頼し、心電図をとらなかった。
4 市民病院では患者が夜間に死亡した際、遺体を翌朝遺族に引渡すことにしていたため看護婦が原告らに明朝亡しおりを取りに来るように言ったが、原告らがすぐ引取って帰りたい旨申出たので、看護婦が亡しをりを清拭した後、同日午前一時過ぎ頃原告らは亡しをりを引取って帰途についたところ、途中で亡しをりが呼吸しているのに気付き、驚いてすぐ最寄りの揖斐病院に行って診察を受けた。
5 そして、同病院で心電図をとって診察したところ、亡しをりの心室が細動しているのが確認されたので、治療をしたが、同日午前六時二三分に死亡と診断された。
三 そこで、前項に認定の事実に基き、亡しをりの死亡について市民病院に診療契約上の債務不履行又は治療上過失があったかどうかについて検討する。
1 まず未熟児の特徴及びこれに対する治療方法についてみるに、《証拠省略》によると次の事実が認められる。
(一) 世界保健機構の定義によると出生時体重二、五〇〇グラム以下の場合を未熟児というが、未熟児には臓器の未熟として呼吸器系の未熟と体温調節機能の未熟とがあり、このうち呼吸器系の未熟には中枢機能の未熟と肺臓、呼吸筋等呼吸器臓器の未熟があり、この呼吸器系が未熟である場合には周期的に呼吸を停止する遷延性無呼吸発作を起こし、無呼吸による酸素不足のためチアノーゼが生ずる。そしてこのような症状は体重の少ない未熟児ほど起き易い。
(二) 亡しをりの無呼吸発作は前記二に認定のとおり中枢性の未熟によるものと判断されたが、これを成熟させるための即効的な治療方法はなく、昭和五三年当時の平均的な医療水準としての治療は(1)正常な体温を維持するための保温、適度な酸素の補給、点滴による水分等の補給、(2)無呼吸発作に対し適度な皮膚刺激を与えて自力呼吸を促し、無呼吸発作が強いときは蘇生器を使用して人工呼吸をさせる、(3)呼吸中枢刺激のために薬剤を使用する等の方法による対症療法が行われていた。
2 まず右1の観点に立って、市民病院の亡しをりに対する前記治療経過についてみると、その治療は死亡診断の点を除いて当時の医療水準に基く治療がなされているものと認められ又本件訴訟の各証拠を資料とする鑑定人大矢紀昭の鑑定の結果によるも、市民病院の亡しをりに対する未熟児としての治療は当時の医療水準を前提として相当であったことが認められる。
従って、死亡診断の点は後述するとして、死亡診断の時点以前までの市民病院の亡しをりに対する治療経過には診療契約上の債務不履行又は治療上の過失はなかったものといわなければならない。
3 次に死亡診断の点についてみると、前記認定のとおり市民病院においては心電図をとることなく、聴診、視診に基いて亡しをりの死亡診断をしたのであるが、その後原告らが亡しおりを引取って帰宅途中亡しをりが呼吸をし、又心電図により心室細動があったことが確認されたところ、証人大矢紀昭の証言及び鑑定人大矢紀昭の鑑定の結果によると、死亡の判定には医学上一般的には呼吸停止、心停止、脳幹反応の欠如によって行われていること、死亡が正しく判定されていれば、死亡と判定された患者が再び呼吸、心拍動をすることはあり得ないこと、未熟児の場合は酸素不足に対し抵抗性をもっているから、一度呼吸音や心音が聞えなくなっても、再び呼吸を始めたり、心臓になお電気活動があり得ると考えられること、又心音が小さいので聴診だけでは心音が聞きとれないときもあるから心電図をとることが必要な場合があることが認められる。
従って、亡しをりは市民病院において死亡の診断がなされ、原告らに引渡された時点でなお死亡していなかったことになるから、右死亡診断は誤っており、そして、右のような未熟児の特性からして、市民病院としては脳幹反応が欠如し、呼吸が停止していたとしても、なお慎重を期して心電図により心停止の有無を確認すべきであったものというべきである。
4 そこで、進んで、右死亡診断がなされることなく、治療行為が継続された場合に亡しをりが成育した可能性があったかどうかの点についてみると、証人大矢紀昭の証言、鑑定人大矢紀昭の鑑定の結果によると、亡しをりのように出生時体重一五〇〇グラム未満の極小未熟児が無呼吸発作を繰り返し、次第に皮膚刺激だけでは回復せず、蘇生器の使用まで必要となってくるときは成育しない場合が多いし、亡しをりは無呼吸発作が急速に増加し、容易に回復しなかったことからすると、二次的に頭蓋内出血や低酸素性虚血性脳症を併発していた可能性も高く、少くとも無呼吸状態、脳幹反応の欠如、心音の聴取できないような状態が続いていた亡しをりがそのまま治療を続けられていたとしても、成育する可能性のないことが認められる。
従って、市民病院において亡しをりに対し誤った死亡診断をせず、治療を継続していたとしても、亡しをりは成育せず結局死亡したものといわなければならない。
5 以上を要約すると結局市民病院の診療契約上の債務不履行又は治療上の過失は亡しをりの死亡診断を誤ったこと及びこれによりその診断の時期以後の治療をなさなかったことについてのみ存することになる。
従って、原告らが被告に対し亡しをりの死亡について責任があることを前提として、その成育に基く生涯の逸失利益及び葬儀費の支払を求めることは債務不履行、民法七一五条更に国家賠償法一条によるもいずれもその根拠を欠き理由がないこととなる。
6 次に死亡診断を誤ったことに基く損害の点についてみることとする。
(一) まず逸失利益及び葬儀費については亡しをりが成育の可能性がなく、又後記(二)に認定のとおり右死亡診断後短期間で死亡したものと推認されるから、前記5に述べたと同様いずれもその根拠を欠くものといわなければならない。
(二) 次に、慰藉料の点についてみると、原告両名は亡しをりの固有の慰藉料のみを請求しているところ、前記認定のとおり市民病院の死亡診断に基き、亡しをりは体の清拭を受け、原告両名に引取られ帰途についた後呼吸しているのを発見され、最寄りの病院にいって更に治療を受けたというのであるから、亡しをりはまだ死亡していないのに死亡と診断されて以後治療を停止され、そして遺体として取扱われて結局死亡して行ったことになるから、客観的にはまだ生後間もない幼児とはいえ、相当な精神的苦痛を受け得る状況にあったものというべきであろう。
しかし、他方前記認定のとおり市民病院の死亡診断当時亡しをりはすでに脳幹反応が欠如し、呼吸が停止し、更に心音が聴取できなかったのであり、又前記認定の揖斐病院でとった亡しをりの心電図(甲第三号証)について《証拠省略》によると、右心電図は亡しをりの心臓の電気活動を表しているのみで、筋の収縮や有効な心拍出を表していないことが認められるので、亡しをりは市民病院の死亡の診断時点以後短期間で死亡したものと推認されるから、市民病院の右死亡診断の過失の程度はそれ程大きいものということはできない。
これらの点その他本件に現れた一切の事情を考慮すると慰藉料は金一〇〇万円をもって相当と認める。そして、原告両名はその両親として二分の一の各金五〇万円を相続したことになる。
四 よって、原告両名の請求は被告に対し各金五〇万円及びこれに対する死亡の日の翌日である昭和五三年八月一一日以降支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 林輝)