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岐阜家庭裁判所 昭和42年(家)673号 審判 1968年4月15日

申立人 岐阜県○○児童相談所長 X

事件本人 B 昭和○年○月○日生

他2名

保護者父 Y

同母 S

主文

申立人が、事件本人を養護施設に入所させることを承認する。

理由

一  本件申立の要旨は、つぎのとおりである。

(一)  事件本人等は、保護者・親権者である父Y、母Sの嫡出子で、事件本人Bはその長男、同Cは二女、同Dは三女である。

(二)  ところで右親権者である父Yは、昭和四一年五月頃妻のSと事実上離別し、事件本人等および、二男E(昭和○年○月○日生れの乳児)を抱えて、岐阜市<以下省略>F所有家屋に居住していたところ、同年六、七月頃、事件本人二女C、三女Dを右居住家屋に置去り、長男Bを伴つて一時行方が知れなかつたことがあり、さらに、翌八月頃には、時々夜中に帰宅して事件本人等に軽便食品を与えてはいたものの、事件本人等を右居住家屋に放置して所在を不明にしていたことがあつた。

(三)  よつて、申立人は、昭和四一年八月二六日付○○警察署長の児童福祉法二五条による通告により、その頃事件本人等を一時保護した。ところが右親権者である父Yは、申立人がなした保護措置を拒否したので、申立人は同年九月二日事件本人等を右Yに引渡した。

(四)  しかるにその後、右Yは、その頃岐阜簡易裁判所で受けた道路交通法違反被告事件の略式命令に基づく罰金が未納のため換刑労役の執行を受けるところ、それを免れるために、事件本人等を連れて、定住することなく、関東方面へ逃走を続け、昭和四二年一一月二〇日頃神奈川県a市内で逮捕されるまで、当時小学六年生の長男B、小学四年生の二女Cを就学せしめなかつたものである。

(五)  その上、右Yは、昭和四二年一二月一九日横浜地方裁判所小田原支部において、道路交通法違反、業務上過失傷害、道路運送車両法違反各被告事件により懲役二月、禁錮四月の言渡を受け、該判決が確定し、前記岐阜簡易裁判所における道路交通法違反被告事件の略式命令に基づく罰金刑の換刑労役執行と併せて前橋刑務所において労役等に服することになり、事実上事件本人等の監護養育ができなくなつた。

(六)  他方、保護者・親権者である母Sについては、右Yと結婚以来、同人のたびたびの事業失敗と、借財を残して転々職をかえ、転住を重ねる生活態度に、将来を案じて、昭和四一年五月以降Yの許を去り離別して一時実家に寄寓し、同年七月頃から京都府乙訓郡b町にあるA銀行A寮内に住込み、同銀行の寮母として勤務して現在に至つているが、その間事件本人等と面会・交渉することなく、その監護養育は全く、Yの恣意にゆだねていたものである。また、昭和四二年一一月二〇日事件本人等が前記△△児童相談所で保護された以後においても、事件本人等の養護について申立人との協議にも応じない状態である。

(七)  以上の経緯からして、事件本人等の福祉のためには、同人等の親権者である父母の意思に反しても、事件本人等を養護施設に収容する必要がある。そこで主文同旨の承認を求めるため本件申立に及んだ次第である。

二  よつて、審理するに、本件申立書、事件本人等の戸籍謄本、住民票写の各記載、○○警察署長の各児童通告書、当庁家庭裁判所調査官GのH、S、M、Iに対する調査報告書、同人作成の意見書、前橋家庭裁判所調査官JのYに対する調査報告書、岐阜市立c中学校長の報告書その他一件記録を総合すると、右申立の理由たる事実は、すべてこれを認めることができるほか、つぎの事実が認められる。

(一)  事件本人等は、昭和四二年一一月二〇日神奈川県△△児童相談所で保護された後、住民票登録の住所および学籍が岐阜市<以下省略>にあるため、同年一二月一四日申立人児童相談所に移管されたこと。

(二)  親権者たる父Yは、現在前橋刑務所に在監中であり、その刑執行最終終了日は昭和四三年八月二七日であること。

(三)  親権者たる母Sは、夫Yと離婚の意思を固め、離婚後事件本人等を取引る意思をもつているものの、目下のところ前記A銀行A寮の寮母として勤務し、その収入は一ヵ月手取り一八、〇〇〇円の薄給にて、今直ちに事件本人等を引取り養育する経済的余裕がないため、養護施設による保護を希望していること、Sの母MもSと同じ希望をもつていること。

三  以上の事実を総合すると、事件本人等の福祉のためには、事件本人等を養護施設に収容するのが相当であり、本件申立は理由がある。よつて、児童福祉法第二八条により、主文のとおり審判する。

(家事審判官 赤間鎮雄)

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