岡山地方裁判所 平成2年(ワ)251号 判決 1990年12月27日
原告
河田昌彦
ほか三名
被告
株式会社仲岡運輸
ほか一名
主文
一 被告らは各自、原告らそれぞれに対し金二三三万九三四六円とこれに対する昭和五九年九月二八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告らの各連帯負担とする。
四 この判決第一項は仮に執行することができる。ただし、被告らは、原告らそれぞれに対し金一二〇万円の担保を供するときは仮執行を免れることができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告ら
被告らは各自、原告らそれぞれに対し四八五万八二四二円及びこれに対する昭和五九年九月二八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え、
訴訟費用は被告らの負担とする、
との判決並びに第一項について仮執行の宣言。
二 被告ら
原告らの請求を棄却する、
訴訟費用は原告らの負担とする、
との判決並びに予備的に担保を条件とする仮執行免脱の宣言。
第二当事者らの主張
一 原告らの
1 交通事故の発生
亡河田昌三(以下「昌三」という。)と被告らとの間に次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。
発生日時 昭和五九年九月二七日午前二時四五分ころ
発生場所 高梁市高倉町田井四三四〇番地先国道上
事故態様 被告株式会社仲岡運輸(以下「被告会社」という)が保有し、被告田中保博(以下「被告田中」という)が運転する大型貨物自動車(岡一一き一三九五、以下「被告車」という)が、右国道上を歩行中の昌三に衝突し、その結果昌三が死亡した。
2 原告らの身分関係と相続
昌三の死亡により、同人の妻であり原告らの母である亡河田まさ江(以下「まさ江」という。)と、いずれも昌三の子である原告ら四名とが同人を共同相続したが、まさ江も共同原告とし本訴追行中の平成元年七月二五日死亡したため、原告らが共同相続人としてこれを承継し、結局、本件交通事故に基づく被告らに対する損害賠償請求権は原告らが均等の割合により取得した。
3 被告らの責任原因
被告会社は、被告車の保有者であるから自動車損害賠償保障法三条により、被告田中は、被告車の運転中前方不注視その他の過失によつて本件事故を惹起したものであるから、民法七〇九条により、原告に(昌三及びまさ江を含む。以下において同じ意味で「原告ら」という場合もある。)に生じた損害を賠償する責任をそれぞれ負担した。
4 原告らに生じた損害
昌三は、本件事故当時、満四一歳の健康な男子で、小畑建設こと小畑一敏方で型枠大工として働き、事故前三か月の平均で月額二七万〇四三三円の給料を得て、無職の妻まさ江及び原告ら四人の未成年の子を扶養していた。
そこで、本件事故による原告らの損害額は次のとおりとなる。
(1) 昌三の逸失利益 三七二〇万六九一八円
ただし、稼働年数は満六八歳に達するまでの二六年間、生活費控除率は三〇パーセントとし、年毎ホフマン式計算法により中間利息を控除した事故当時の現価。
(計算式)
二七〇、四三三×一二×〇・七×一六・三七八九=三七、二〇六、九一八(円)
(2) 慰謝料 一八〇〇万〇〇〇〇円
(3) 葬儀費用 九〇万〇〇〇〇円
以上合計 五六一〇万六九一八円
5 被告らの既払額 三六六七万三九五〇円
残存債権額 一九四三万二九六八円
6 結語
そこで、原告らはそれぞれ被告らに対し、右残存債権額の四分の一に当たる四八五万八二四二円とこれに対する本件事故の翌日である昭和五九年九月二八日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する被告らの答弁
請求原因123の各事実は認める。同4の損害額については不知。同5の被告らの既払額を認め、残債権の存在を争う。
三 被告の抗弁
本件事故による損害賠償については、昭和五九年一一月二七日、昌三の妻であり原告ら昌三の遺族全員を代理する亡まさ江と被告ら代理人森脇正らとの間に、
<1> 被告らは、原告ら遺族に対し、治療費、葬儀費、逸失利益、慰謝料その他一切の損害に対して、三七〇〇万円の賠償義務があることを認め、これを支払う。
<2> 原告らは、被告会社に対し、被告車両に生じた損害の三割に相当する金額の賠償義務があることを認め、これを支払う。
<3> 原告ら遺族はその余の請求を放棄し、他に債権が残存しないことを確認する。
旨の和解契約(示談)が成立し、そのころ、被告らはその賠償義務を履行した。
よつて、もはや被告らには本件事故に基づく賠償責任は残存しない。
四 抗弁事実に対する原告らの認否
抗弁事実は認めるが、賠償債務の不存在をいう点は争う。なお、原告らは、被告車の対人損害賠償保険者である訴外同和火災海上保険株式会社(以下「同和火災」という。)から和解金三七〇〇万円の支払いを受け(ただし、内金一五〇万円は和解成立前に受領済み)、その中から被告会社に対し車両損害賠償金として三二万六〇五〇円を支払つた。
五 原告らの再抗弁
1 和解契約の無効
関係当事者間に昭和五九年一一月二七日成立した和解契約(以下「本件和解」という。)は、当時原告らの親権者でもあり昌三の遺族を代表する立場にあつたまさ江が、次の三点を錯誤したことによつて成立したものであり、この錯誤は原告らの損害賠償債権額に影響を及ぼすものとして法律行為における要素の錯誤であるから、本件和解は法律上当然無効である。
錯誤の第一点は、本件事故においては昌三にはなんらの過失がないか、あつても軽微な過失であるにすぎないのに、三割の過失があると錯誤したことである。
まさ江がそのように錯誤したのは、同和火災のアジャスター渡辺利治が、警察まで出掛けるなど完全な調査を遂げた結果として、本件事故の態様について「昌三は、深夜の事故現場である国道左側を、路側帯から〇・九メートル車道内に入つて同僚の訴外金井康彦と横一列になつて被告車の進行方向と同一方向に歩いていて事故にあつた。」と聞かされたからであり、本件和解はこれを前提事実として双方の過失割合を被告田中が七割、昌三が三割ということで成立した。そのため、原告側は逸失利益等について三割相当の権利を減殺されたのみならず、被告車の物損についても三割相当額として前記金額を支払つたのである。
ところが、右事故の態様というのは被告田中の供述のみによつたものであつて、実際の事故態様は次のようなものであつた。
すなわち、昌三は、自己の進路右側の路側帯内か外側線上辺りを、訴外金井の後から縦列になつて、しかも被告車に対面して歩行していた。
これに対して、被告田中は本件事故現場の手前から外側線ぎりぎりに被告車を走行させ、しかも右に緩やかにカーブする現場付近では右サイドミラーによつて後続車両の動静を確かめることのみに注意を奪われ、進路の前方及び左側への注意を全く怠つていた。そのため、被告車左前部は外側線を超えて路側帯内に浸入する状態で進行した。昌三の同僚金井はガードレールに身を寄せこれにへばりつくようにして辛うじて衝突を回避しえたが、昌三も同様にして回避しようとして回避の暇がなは、被告車に衝突されてしまつたのである。
鑑定人江守一郎の鑑定結果が、被告車は「外側線の内側ぎりぎりに位置し」ていたとしている点には納得できないものがあるが、同鑑定結果によつても、「河田昌三の体の幅の四分の三程度が田中車の左前端と重なつたと思われる。」というのであるから、衝突時の昌三の体が車道内に入つていたとしても、僅かに一〇センチメートル程度のものであつて、過失を問題にするようなものではない。仮に、諸般の状況を総合して過失相殺が相当であるとしても、せいぜい一〇パーセントまでのものである。
以上のとおり、本件和解は、昌三が左側通行をし、かつ、車道内〇・九メートルも入つた地点を歩行していたという、事実に反する前提のもとに過失割合を七対三と定めて成立したものであるから、すくなくとも過失割合に関して要素の錯誤がある。
錯誤の第二点は、慰謝料額を一二〇〇万円とした点である。まさ江は、被告ら代理人である同和火災の渡辺や森脇弁護士から「今までこういう高い金額の例はない」とか「示談レベルでは高額ですよ。最高の示談金額を認定していますよ」(森脇第一回証言)とか言われ、素人であるまさ江としては法律の専門家である弁護士の言うことゆえ「慰謝料は一二〇〇万円より上は出ないと。これが目いつぱいと。これ以上のことは今まで例がない」(まさ江本人供述)、すなわち一二〇〇万円を超える慰謝料は権利として認められないと誤信して、慰謝料額を一二〇〇万円とする和解をしたのである。
しかして、本件の場合慰謝料一二〇〇万円の慰謝料額は低きに過ぎる。当時、森脇弁護士が過失相殺の説明に供したという日弁連交通事故損害額算定基準(甲第一三号証)は、本件事故の前年九月に発行されたものであるが、これによつても一家の支柱の場合の死亡慰謝料は一五〇〇万円から二〇〇〇万円とされているのである。しかも、慰謝料に関する説明に当たつては、同弁護士はまさ江に対しこれを資料として示さず、またその金額も語つていないのである。
錯誤の第三点は、被告車両の損害賠償を認めた点にある。この点は過失割合に関する錯誤とも関係するが、それのみならず、およそ本件のような事故態様において、被害者側が加害車両に生じた物損を賠償するなどということは聞いたことがない。たとえ、昌三になにがしかの過失があつたとしても、被告車の賠償責任を生じる程のものではない。この点についても、法律の素人であるまさ江は被告ら代理人の説明を信頼し、賠償義務があるものと誤信して、三二万六〇五〇円を支払つたのである。しかも、この金額が、車両損害の三割であるかは疑わしく、その全額を負担させられた疑いがある。
2 本件和解契約の性質について
本件和解は、和解とはいつても原告らが譲歩して、すなわち権利を一部放棄して成立したものではない。原告らが実体法上有する賠償債権は全額承認したうえで、同和火災が被告らに対する保険契約上の義務として支払うという目的ないし趣旨で締結されたものである。したがつて、三七〇〇万円という金額は、あくまで原告らが被告らに対して有する損害賠償請求権の全額であることを前提としたものであるから、その数額を導き出す過程に錯誤があれば、和解は当然に無効になるものである。
六 再抗弁事実に対する被告の認否と反論
1 再抗弁事実のうち、原告側を代表するまさ江と被告らを代理する森脇弁護士らとの交渉の結果、本件和解が成立したものであること、被告ら代理人において当時昌三が車道内を歩行していたとの認識のもとに本件和解に臨んだことは認めるが、本件事故の態様及び本件和解に当たつてまさ江に要素の錯誤があり、本件和解が無効であるとの主張は全面的に争う。
2 一般に交通事故に関する示談は、被害者側の早期救済その他の種々の要請から、早期簡便に加害者、被害者間の賠償責任の存否及び賠償額を確定することを目的とするものであるから、示談が成立するとその合意が法的拘束力をもつことは、法的安定性の要請から当然のことてある。したがつて、前提事実の認識が後に判明した客観的事実と若干異なつたり、示談金額が裁判によつた場合の結果と多少異なるようなことがあつても、一方当事者からこれを取り消したり、再度の請求をすることは許されない。ただ、示談の当時、加害者、被害者双方が認識していた事実ないし損害の程度が「著しく真実と異なる」ときは、示談に要素の錯誤があるとして民法九五条により無効とされ、あるいは公序良俗違反として無効となることがあるにすぎない。
そこで、本件和解が「著しく真実と異なる」事実を前提に成立したものか否か、仮に真実と異なるとしてもそれが和解を無効とすべきほどのものか否か、原告らが、要素の錯誤があつたとする三点について、それぞれ検討してみると以下のとおりである。
(一) 事故の態様と過失割合について
(1) 本件事故の態様
原告らは、昌三が金井と同様衝突の危険を回避するため、国道に背を向けガードレールにへばりつくようにしていたのに、被告車が路側帯に一部浸入走行して昌三に衝突したかのように主張するが、もし昌三が主張のような退避姿勢を取つていたのであれば、当然いくらか前屈みになり頭の位置は下がつていたはずであるし、衝突による身体傷害は背面にあつてしかるべきである。しかし、被告車に残された衝突の痕跡は、車体前部左側の地上高一六九センチメートルの所にある軽微な凹損と、地上高一八五センチメートルのところにある凹損とであつて、これは昌三が立位であつたことを示すものであり、同人の傷害は脳挫傷、頭蓋骨骨折、それに腹腔内出血のみであつて、背部には全く損傷の形跡はなかつた。
訴外金井がガードレールにつかまつて難を逃れているのに、その後方を歩いていた昌三のみが事故の遭遇しているのは、少なくとも、昌三が金井と同一線上に位置していないか、前方を注視していなかつたことの証左であり、反面解釈として、昌三は高梁市街方面からくる迎えの車の到来を期待し、それを探すために車道上へ出て後ろを見ていた可能性が極めて高い。被告田中が、「河田さんは事故直前では絶対後ろ向きてした。」と断言しているのは、このことを物語るものである。
被告車が路側帯内に入つて走行したという証拠は全くなく、外側線付近の車道を走つていたのであるから、昌三が、外側線から〇・九メートル車道内に入つていたか否か、金井と横一列になつていたか否かは別にしても、少なくとも路側帯内にいなかつたことは明らかである。この点、江守鑑定は、詳細な力学的、科学的原理による検討を加えて「衝突時における田中車の左側は、線の内線ぎりぎりに位置し、そのとき河田昌三は、外側線の内側を歩いていた。」と認定しており、原告らからはこれを覆すに足りるだけの反証はない。
してみると、昌三に過失があることは明らかであり、本件事故の刑事事件において、検察官すらそのことを指摘しているのである(乙第一号証の一)。
(二) 本件和解における過失割合算定の基礎とその相当性
ところで、本件和解に当たつては、昌三が道路の左側を歩行していたこと、車道内に〇・九メートル入つた地点を被告車と同一方向に歩いていたことの二点のみをもつて、その過失割合を合意したものではない。事故現場の道路状況、事故発生の時刻と交通の状況、被害者の態様、服装等の主観的事情などを総合してのことである。特に、本件事故現場は、被告田中も「いままで仕事で深夜現場を数えきれないくらい通つていますが、現場付近を深夜歩いている人は見たことがありません。」と供述しているように、本件事故が発生した時間帯では、歩行者がいない場所である。道路であるからには、歩行者の存在も当然予見すべきだ、と抽象的には言えても、具体的にはこれを予見することは甚だ困難な状況にあつた。しかも、当時昌三の服装は紺色であり、真つ暗な深夜の道路ではその存在を識別することは著しく困難であつた。
こうした事情が双方の話し合いの場に出たわけであり、更に被告ら代理人森脇は、まさ江及び同席の河田一夫(昌三の兄)に対し、当時入手可能な資料をすべて示して、過失判断の前提事実について説明したのである。
原告らは、前記江守鑑定の事故態様を前提とすれば、昌三にも一〇パーセント程度の過失があることを自白しているが、右に述べたような諸状況を考慮すると、その割合は本件和解の過失割合に限りなく近づくものであつて、見方によつては昌三の過失割合は三割を上回るということさえ考えられる。
少なくとも、過失割合の前提事実につき、「著しく事実と異なつた」事実の誤認があつたとは、到底考えられない。したがつて、責任の内容、程度としての本件和解における過失割合が無効であるとは、全く無謀な主張としか言いようがない。
(二) 慰謝料について
慰謝料の算定については、各種の方法があるが、いずれにしても固定的な基準で自動的に数額が算定されるものではない。このことは、示談の場合であろうと、裁判の場合であろうと変わらない。
したがつて、本件の場合、慰謝料額が一二〇〇万円以上でも、それ以下でも、おおよその基準(実際の示談交渉段階で使用される基準は、損害保険会社が大蔵省等関係官庁の了解の下に作成したそれが使用されており、更に、各社によりその額、適用時期はまちまちである。)に極端に反していない場合は、当然有効とされなければならない。
そして、本件の場合、一二〇〇万円という額は、示談実務の場面ではむしろ高額の方であり(乙第三、四号証)、少なくとも本件和解を無効に導くような額ではない。
原告らは、まさ江が被告ら代理人森脇らの説明によつて、法律上一二〇〇万円以上の慰謝料はあり得ないように理解した旨主張するが、弁護士である森脇がまさ江やその同席者に対して何の説明も加えず、「法律上一二〇〇万円以上は認められない」などと告げるばずはない。むしろ、森脇は、当方の提示する額に不満があれば、最終的には裁判による解決が残されているという趣旨を述べたのである。森脇は、当然、被告ら(事実上は保険会社)の代理人として依頼者の利益を守るべき義務があり、その立場で、右金額を提示し、まさ江はこれを承認したのである。
仮に、まさ江が主張のような誤解をしたとしても、本件和解を無効に導くような錯誤ではない。
(三) 車両損害の賠償について
本件事故は、昌三が車道を歩くという違法な行為をしたことにも起因する。そこで、被告会社が被つた車両損害についてその過失割合によつて負担を求め、原告らがこれに応じたものであつて、錯誤を問題にする余地はない。
原告らは、原告らに全く賠償義務がなく、被告会社が受領した賠償金は不当利得のようにいうが、不当利得には当たらない。
仮に、不当利得が成立するとしても、本件和解全体をすべて無効にするほどのものではない。
3 原告らが主張する点を個別的にみても、錯誤無効の主張が理由のないことは、以上のとおりである。
仮に、主張事項の一部にまさ江の錯誤が認められるとしても、和解金額全体としてみた場合、本件和解は無効と判断されるようなものではない。
本件和解に当たつて、被告らは、算定損害額全体について、まさ江と河田一夫に熟慮の機会を与えているし、そうであるからこそ次の交渉日には河田一夫から増額の要求が出たのである(森脇証言)。慰謝料を含めて、全損害額の算定が結論的に「不当に小額か」という観点からみても、本件の場合は到底そうではないというほかない。
また、原告らは、昌三の逸失利益算定の当否について、なんら主張しないが、これは本件和解における逸失利益の算定基礎額(甲第一、二、三号証)が実際よりもかなり高額になつていることを知つていたからであろう。被告らは、提出された休業証明書を信頼して逸失利益を計算したのである。この点は、全体としての和解金額の相当性を判断するうえで、斟酌されるべき点である。
第三証拠関係
本件記録中の書証目録、証人等目録各記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 当事者間に争いがない事実
請求原因のうち1(交通事故の発生)、2(原告らの身分関係)及び3(被告らの責任原因)の各事実並びに被告らの抗弁事実(和解契約の成立)については当事者間に争いがない。
二 原告らの再抗弁について
そこで、請求原因のうち損害に関する主張事実についての判断はひとまず置き、まず本件和解契約の無効を言う原告らの再抗弁について判断する。
原告らは、昌三の妻であり当時原告らの親権者として和解契約を締結したまさ江には本件事故の態様その他に錯誤があつたと主張するので、順次主張の点について考察する。
1 本件事故の態様
本件和解契約に際して、まさ江のみならず被告ら代理人においても、事故の一方当事者である被告田中の供述ないし指示説明等を中心とする初期の刑事捜査資料等が基礎とされたため、「昌三は連れの金井康彦と横並びに本件事故現場の国道左側(東側)を被告車と同一進行方向に歩行しており、かつ、車道外側線から車道内に〇・九メートル入つた地点を歩いていて、これに後ろから走行してきた被告車が衝突した」という事実を前提にしたことは、おおむね当事者間に争いがない。
さて、争点判断の基礎となる本件事故の発生をめぐる客観的、主観的事実を、ここで整理通観してみるに、いずれも原本の存在及び成立について争いがない甲第六ないし第一二号証、乙第一号証の一ないし四、いずれも成立について争いがない甲第一三、一四、一五号証、乙第二、第六、第七号証、川崎医科大学附属病院に対する調査嘱託の結果、証人金井康彦の証言及び被告田中保博本人尋問の結果を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) 本件事故現場は、高梁川に沿つて高梁市市街地方面から新見市方面にほぼ南北に通じる国道一八〇号線(川面バイパス)路上で、同道路の東側にある高倉電話交換局(無人交換局)の前である。付近一帯は山間部で、道路脇に飲食店などが相当の距離をおいて点在するが、夜間は照明等もなく暗い。また、深夜から未明にかけては自動車が時々行き交う程度で歩行者などは普通見当たらない場所である。
現場の道路は、北から南に向かつてわずかに登り勾配で、かつ、被告車の進行方向から(北から南へ)見て右へわずかに湾曲しているが、南北の見通しはよい。
道路の総幅員は約八メートル、黄色中央線によつて対向二車線に区分されており、車道の幅員は北行き、南行き共に各三・二ないし三・三メートルで、東西両車道の外側線の外側は幅員〇・七メートルの路側帯となつており、路面はアスフアルト舗装が施されて平坦である。なお、事故当時の天候は晴れ、路面は乾燥していた。
現場付近の道路は、車両の最高速度が道路標識等によつて五〇キロメートル毎時に規制されている。
衝突事故発生地点は南行き車道の外側線付近であるが、その東側は前記電話交換局前の空き地となつており、同所から四、五メートル北に寄つた地点(同電話交換局の敷地が切れた地点)から北にかけては路側帯の外側にガードレールが設置されている。
(二) 昌三は、事故前日の午後八時すぎころ、岡山県浅口郡鴨方町地頭上の自宅にいたところ、近くの友人で焼肉店を経営している金井康彦(当時四五歳)が、昌三を知つているという客が来ているからと迎えにきたため、金井と共に同人の店に行き、そこに来ていた佐藤、高淵の両名(いずれも三一、二歳)と午後九時半ころまで雑談して過ごすうち、倉敷市玉島方面にドライブに行こうということになり、四人が金井運転の自動車でドライブに出掛けた。そして、玉島清心町で行きずりに出会つた一人の女性を同乗させたところ、同女が新見市まで帰るということであつたので、ドライブがてらこれを送つて行こうということになり、国道一八〇号線を北上して高梁市に入つた。そして、高梁市街地を通過した午後一一時過ぎころ、金井と昌三は、そのころ女性を乗せてはしやいでいる佐藤ら若い二人の下心を察知したため、若い二人に女性を任せ、自分らはそこで車を降りて二人が帰つてくるのを待つことにして、本件事故現場の北方約九〇〇メートルの地点で降車した。
昌三と金井は、一時間くらい予測して道端で雑談するなどしながら佐藤らの帰つてくるのを待つたが、事故当日の午前二時ころになつても同人らは帰つて来なかつた。腹立ちと共に事故でも起こしたのではないか、自分らを見落として先に帰つてしまつたのではないかなどと心配が募つたが、当てもないのに待つていても仕方がなかつたため、連れ立つて、道路の西側の歩道を高梁市街地方面に向かつて歩いて引き返し、約七〇〇メートル南に帰つた地点で、道路の東側にある寿司屋の店先で公衆電話を見つけ、そこから住所地である鴨方町の知人に迎えに来てもらうべく電話したところ、いま入浴中であるから二、三十分後にもう一度電話してくれ、ということであつた。そこで、少しでも帰ろうと、道路の西側に戻つて更に二四〇メートルほど高梁市街地に向かつて歩いたが、付近には人家もなく、約束の時刻に電話できる場所がありそうにもなかつたため、前記寿司屋の公衆電話まで引き返すべく、同所で道路を東側に横切り、その路側帯を金井が先になり昌三が後ろについて約四〇メートル北へ戻つた地点で本件事故が発生した。
(二) 事故発生のとき、金井は、対面進行してくる被告車が余りに左寄りに接近して来たため衝突の危険を感じ、咄嗟に右手を傍らのガードレールにつき、体前面をこれに寄せて衝突を回避したが、被告車が耳元に風を切る音を残して通り過ぎたと思つたその直後、ボテツという衝突音と急ブレーキの音を聞いた。金井は、後ろをついて来ていた昌三がはねられたことを直感して、その方へ駆け寄つてみたところ、自己が身をかわした地点から約一二メートル後ろの路側帯内に頭部を東南向きにして昌三が倒れており、その頭部からは出血していてすでに昌三の意識はなかつた。
(三) 一方被告田中は、事故当日の午前一時ころ上房郡有漢町の自宅で起床し、午前二時ころから新身市井倉にある日鉄鉱業の作業場に行つて数分間かけて被告車(車幅二・四九、車長一〇・三四、車高二・九三メートル)に石灰石を積み込んだのち、一旦自宅に帰つて支度を整えたうえ、兵庫県明石市にその石灰石を運ぶべく被告車を運転して通いなれた国道一八〇号線を南下した。同被告は、いつもの癖で道路左外側線いつぱいの地点を、規制速度を若干超える時速五五ないし六〇キロメートルくらいの速度で走行し、本件事故現場の手前に至つたが、そのころ、被告車の二、三十メートル後ろを追随していた顔見知りの運転するトラツクが、道路中央線寄りに走行して何やら被告車をせかすかのような気配を感じたことから、右サイドミラーで同車の動静を注視することに気をとられ、前方及び左方への注意を怠つたまま約三六メートル位の間を走行し、ふと気づいて前を見たときには、すでに左前方七、八メートルの地点をゆつくり歩いている金井を、次いで昌三を、黒つぽい服装の人影として認め(この時、被告田中には金井と昌三とが後ろ向きに横に並んで歩いているように見えた)、「わつ、もういけん」と思つたが、咄嗟にブレーキをかけると共に、ハンドルを右に切つた。しかし、次の瞬間自車の左前部に強い衝突の衝撃があり、その直後フロントガラスが粉々に砕け散つたが、被告田中は、衝突地点から約三〇メートル右斜めに進んで対向車線上に、やつとの思いで被告車を停止させた。
(四) なお、事故後の警察官による実況見分その他によつて明らかになつたところによれば、昌三の転倒地点の北方四、五メートルの路側帯内に同人の腕時計が、その西側車道上二か所には被告車の左方向指示灯カバー片がそれぞれ落下しており、同所から被告車が停止した南側一帯の車道上にフロントガラスの破片が散乱していた。
また、昌三の身体損傷としては、左側頭部から左頭頂部にかけての挫創(一部脳内容物の脱出を伴う)、同部の頭蓋骨骨折、歯牙骨折、臓器損傷を推測させる腹腔内出血等が認められ、一方被告車の損傷(主として凹損)は、フロントガラスの破損を除いて、前面左端から二、三十センチメートルの範囲に集中していた。
以上のとおり認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
右に認定した以上に、衝突の地点、その時の昌三の姿勢など事故態様の詳細を明らかにしうる証拠はないが、右認定事実に鑑定人江守一郎の鑑定結果を総合して考察すると、被告車は、事故現場の辺りでは、路側帯内を正常に対面歩行していた金井がガードレールに身をすり寄せて衝突回避の体勢をとらなければならないほど左寄りに、すなわち、車体の左側面が外側線上にかかるか一部路側帯内に入るくらいの位置を進行し、昌三らに気づいてハンドルを右に切つた効果が現れるか現れないかという時点で、金井に四、五メートル後れて路側帯内の外側線寄りか外側線上かにいた昌三に衝突したものと推認される。
ちなみに、現場の状況からすれば、昌三は、事故当時どのような姿勢をとつていたにしろ、前照灯の光や走行音によつて被告車の接近に気付いていたことは明らかというべきであるか、車道側へ〇・九メートルも進行するということは特段の事情のない本件においては考えられず、車道内な身体が出ることがあつたとしても、二、三十センチメートルまでのことであつたと認められる。
2 過失割合と本件和解の効力
右に認定した本件事故の態様に照らすと、本件和解は、原告ら主張の点において、一部誤つた事故態様を前提事実として成立したことが明らかである。しかし、本件における主たる争点は、結局、この事実誤認が、本件事故における過失割合を合意し、引いて賠償債権額を合意する上で、要素の錯誤として本件和解契約の無効を来すほどのものであるか否かにあるので、以下この点を検討する。
(1) 証人森脇正の証言、亡原告まさ江本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、まさ江と被告ら代理人森脇らとは、過失割合を合意するに当たつて、昌三が高梁市街地方面に向かい道路左側の車道上に〇・九メートル入つた地点を歩いていて、後ろから進行してきた被告車に衝突されたことを前提事実にしたのみならず、事故発生の時刻、現場の状況と同所における通常の交通状況、昌三の当時の着衣が紺色であつたことなどを、いずれも被告田中の過失割合軽減の要素として斟酌し若干の折衝を経たうえ、各自の過失割合を被告田中の七に対し昌三が三としたことが認められる。
ところで、本件のように路側帯(その幅員、現場の状況に照らすと、この路側帯は歩道に代わる機能を備えたものとみるべきである。)の設けられている道路上における深夜の自動車と歩行者との衝突事故においては、歩行者が車道内に〇・九メートル入つていたか、若干車道内に入つたとしてもなお外側線上付近に止まつていたかでは、衝突の危険発生の蓋然性が相当異なるから、この点の事実認識は過失割合を決する上で重要な要素と言わなければならない。また、歩行者が道路の左右どちらを歩行していたかということが評価の要素となることも間違いのないところである。
(2) 被告らは、昌三らが、自動車の運転者にとつて、およそ人が歩行していることを予測できないような時刻と場所において、しかも、夜間見分けにくい紺色の着衣で歩行していたことを過失割合を決する上での要素として強調するところ、先に認定した現場の状況等に照らして、確かに、昌三らが未明の本件事故現場を歩行していたことは、その経緯に照らしても異常のことで、被告田中にとつて少なくとも経験上は意外のことであつたことは間違いのないところである。
しかし、本件事故現場が一般道路上であることからすれば、昌三が深夜とはいえ本件道路を歩いていたこと自体に何ら非難すべき点はなく、反面、自動車運転者にとつて路側帯を歩く歩行者のあることが全く予見義務の範囲外のことであるとは言えない。したがつて、損害の公平分担を目的として相対的な責任割合を問題とする場面において、深夜であること、通常歩行者がいないという経験的事実をもつて、直ちに被告田中の過失責任を減殺させ、反面昌三の過失責任を増加させる事由とはなしえない。
問題は、本件のような時刻に、本件のような場所を、車両の運転者にとつて認識しにくい服装で歩行する者は、たとえ歩道に代わる路側帯を歩行する場合でも、それだけ対面車両の動静に注意して、事故の発生をみずから未然に回避すべき義務があると言えるか、という点である。
本件において、昌三は、後に認定するとおり、当時四一歳の男子で、健康状態に問題はなく、また甲第六号証によれば、事故前夜、金井の店においても飲酒しなかつたことが認められるから、同人が前を見て歩き、被告車の動静に注意を払つていたとしたら、同人は容易に危険を察知して咄嗟に高倉電話交換局前の広場に退避し、事故の発生は回避できたといわなければならない。このことから、昌三は、少なくとも衝突直前まで、被告車が進行してきていることは認識していたが、自己に衝突するような態様で接近してきていることには気づいていなかつたことが推認され、昌三は被告車の動静に注意を払わなかつたと認められる。(被告田中本人が「衝突直前の昌三らは後ろ向きであつた」と述べていることからすれば、佐藤ら二人が、自分らの待機していた場所を取り違えて通り過ぎたあと再び探しに戻つて来てくれるのではないかと期待して、後ろを振り返りながら歩いていたと解することもできるし、被告車の前照灯の眩しさを避けるため、顔を右か下にそむけて歩いていた、と解する余地もある。)
思うに、歩道に代わる路側帯内を歩く歩行者にも時と場所に応じた注意義務は肯定しなければならない。しかしながら、本件事故におけるような、車両自体の交通も閑静な時間帯に、車両にとつて十分な幅員があり、見通しのよい道路の路側帯を歩行する歩行者は、昌三ならずとも、車両の運転者が事故の発生を防止するに十分な速度と方法で運転してくれることに信頼して歩行するのが通常であつて、路側帯内の歩行者には、危険をみずから招来するとか、車両の異常音を聞くとかといつた特段の事情がない限り、車道を対面進行してくる車両の動静に一々注意すべき義務は一般的にないというべきである。
したがつて本件において、昌三が車道内に多少なりとも身体の一部が入つた位置に身を置いて歩行したという点で、被告車の動静に対する相応の注意義務の発生を肯定でき、この注意を怠つたことに落ち度が認められるにしても、その過失は被告田中のそれに比して軽微なものといわなければならない。けだし、被告田中の前方注視義務違反は、いやしくも一般道路を走行する自動車運転者にとつては、時と場所とを問わず要請される基本的な注意義務違反であつて、この注意義務を尽くしていたなら、たとえ昌三が車道内に若干はみ出したうえ、後ろを振り返るなどして歩いたとしても、本件衝突事故は起こり得ないものだからである。
(3) 以上の認定、考察してきた諸般の事情を総合して判断するに、被告田中と昌三の過失割合は九対一の割合と見るのが相当である。してみると、本件和解契約は、少なくともまさ江について、基礎事実の認定、引いて過失割合の評価に重大な錯誤があつて成立したものというべきであり、多言を要するまでもなくその結果は昌三及び原告ら遺族が取得する損害賠償債権額の算定全体に大きな差異をもたらすことが明らかであるから、その限りで無効といわなければならない。
なお、争点となつた慰謝料と被告車の損害分担の問題につて、若干付言する。
(一) 慰謝料について
原告らは、まさ江は被告ら代理人である渡辺利治や森脇弁護士の尤もらしい言葉に惑わされて、一二〇〇万円以上の慰謝料は法律上の権利としてあり得ないもののように錯誤した旨主張し、亡原告まさ江本人もこれに添う供述をしている。
いずれも成立について争いのない甲第一六号証、乙第三、四号証及び証人森脇正の証言、亡原告まさ江本人尋問の結果を総合すると、示談交渉に当たり被告ら代理人は、まさ江に対して損害算定の内訳を説明する際、被告会社が契約している自動車保険会社の定型化された慰謝料算定基準によつてその最高基準額に近い一二〇〇万円を提示したうえ、この金額を認めることは被告らとして目一杯のものであることを強調し示談解決を強く勧誘はしたものの、他の損害賠償額を含めて熟慮検討の期間を与えており、決して一二〇〇万円が考慮の余地のない慰謝料の法的な限度額である旨を述べたものではないこと、しかし、被告ら代理人は、これを逸失利益その他の損害と合算した金額に若干の上乗せをして原告側の損害総額を五〇〇〇万円とみなし、これから前記過失割合によつて三割を減じた三五〇〇万円に、まさ江や昌三の兄の増額要求の一部を容れて更に二〇〇万円を上乗せし、三七〇〇万円の賠償額を合意したことが認められる。
右提示の慰謝料額は、和解交渉で提示されたものとしてそれ自体別段問題のない金額と認められ、その交渉過程に原告らの主張するような不当性は認められない。しかし、慰謝料を含めて交通事故に基づく損害額を客観的に算定することは高度の専門的知識を必要とすること、まさ江がほぼ三割の過失相殺を承認した点については当然前記の過失割合に関する錯誤が影響していることを考え合わせると、法律の素人であるまさ江が主張のような錯誤に陥るのも無理からぬものがあり、慰謝料に関しても前認定の合意は拘束力を持たないとみるのが相当である。
(二) 車両損害に対する原告らの賠償責任について
原告らは、法律にくらいまさ江は過失相殺割合に関する錯誤と被告ら代理人らの不当な説明に惑わされたことにより、本件和解に際して、本来支払義務のない被告車に生じた損傷の修理代三割の支払いを承認し、三二万六〇五〇円を被告会社に支払つた、しかも、その金額は真実は三割ではなく、修理代全額である疑いもあるとして、錯誤を主張する。
本件事故の結果、被告車に損傷を生じたことはすでに認定したとおりであつて、その損害については、原告側に生じた損害と同様、相互の過失割合によつて公平に分担しあうべきものであるから、被告会社が原告らにその分担を求めること自体にはなんら問題がない。しかし、本件では先に考察したとおり、昌三の負担割合の一割の限度にとどまるべきであるから、まさ江には要素の錯誤があつたというべきであつて、右支払約定は一割を越える部分について無効というべきである。
三 損害額と本件請求の当否について
そこで、以上に検討してきたところに基づいて、各当事者の主張に表れた限りの損害費目につき、本件事故による損害額を算定すると次のようになる。
(一) 原告側の損害
成立について争いのない乙第二〇号証、亡原告まさ江本人尋問の結果に弁論の全趣旨を参酌すると、事故当時の原告の年齢、健康状態、職業、家族構成等は原告主張(請求原因4)のとおりであることが認められる。そこで、これを以下の算定の基礎とする。
(1) 昌三の逸失利益 三六九四万八八一三円
いずれも成立について争いのない乙第一七、一八号証(支払賃金証明書、甲第一、二、三号証も実質上ほぼ同じ)によると、昌三が事故前六か月間(昭和五九年四月から九月まで)の平均月額給与収入は二六万八五五七円であつたことが認められる(被告らは右支払賃金証明書の支給額は実際より水増しされているもののようにいうが、それを明らかにする証拠はない)。そこで、残余稼働年数二六年間として、本人の生活費は三割控除し、年毎ホフマン式計算法により中間利息を控除して事故時当時の原価を求めると、右の金額となる。
(計算式)
二六八、五五七×一二×〇・七×一六・三七八九=三六、九四八、八一三(円)
(2) 葬儀費用 九〇万円
(3) 右(1)(2)の過失相殺後残額 三四〇六万三九三二円
(1)(2)の合計三七八四万八八一三円から一割の過失割合分を減殺した金額。
(4) 慰謝料 一二〇〇万円
一般に不法行為に基づく慰謝料算定の方法には種々のものがありうるが、慰謝料はその性質上財産的損害に対する賠償とは異なる側面をもつものであつて、その額は事故の態様とそれから導かれる相互の過失割合といつた客観的な事情のほか、広く主観的事情を含む諸事情をも斟酌し、その時の社会通念に照らして決せられるべきものである。
したがつて、本件においても、事故の発生には直接的でない昌三の事故に遭うまでの行動経過、被告らが過失相殺事由として挙げるような諸状況、被告田中が前方注視を欠くに至つた原因、地域社会の経済事情等々の周辺事情も、家庭事情などと共に社会通念に照らして相当な限りは斟酌すべきことになる。
右のような諸事情を総合考察した場合、本件和解の際は契約当事者となつていたが(成立について争いのない甲第四号証、乙第一九、二〇号証)、本件では当事者となつていない昌三の両親分を除き、昌三、まさ江の相続分を含む原告らに対する慰謝料額としては、合計一二〇〇万円をもつて相当とする。
(二) 被告会社の車両損害
まさ江が被告車に生じた損害のうちその三割が原告らの負担に属するものとして被告会社に三二万六〇五〇円を支払つたことは、被告らも争わないところ、右が三割だとすると損害合計額は一〇八万六八〇〇円余りということになる。
しかし、被告車の損傷に関する証拠によるかぎり、被告車の修理代が一〇〇万円を越えるかは、原告ら主張のとおり疑わしく、この点を明らかにしうる証拠はない。むしろ、被告車に生じた損傷の部位、程度に亡原告まさ江本人尋問の結果及び証人森脇正の証言を総合して考察すると、三二万六〇〇〇円余りは三割ではなく、損害の全額であつたと認められる。したがつて、公平分担の見地から原告らがこれを分担するとしても一割の三万二六〇〇円をもつて相当とする。
(三) 原告らの残存債権額と請求の当否
以上によれば、原告らの被告らに対する賠償債権額は、逸失利益、葬儀費用、慰謝料の合計四六〇六万三九三二円から右車両損害負担金を差し引いた四六〇三万一三三二円ということになる。
そして、和解契約の履行等として被告らから既に支払われた三六六七万三九五〇円は有効な内払いとしてこれを控除すると、九三五万七三八二円となり、これが現在の残債権合計額である。
したがつて、原告ら各自が被告らに有する債権額は二三三万九三四六円ということになるから、原告らの請求は右金額と、これに対する本件事故の翌日である昭和五九年九月二八日から完済に至るまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があり、これを越える部分は理由がない。
四 よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項但し書を、仮執行の宣言及び仮執行免脱の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 香山高秀)