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岡山地方裁判所 平成4年(ワ)535号 判決 1996年8月28日

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告幸穂に対し、金三五〇〇万円及びこれに対する平成三年三月九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告英明に対し、金三六〇〇万円及びこれに対する平成三年三月九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

4  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨。

2  担保を供して仮執行を免れることができる旨の宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者及び医療契約

原告英明は、亡檀上洋子(昭和三七年九月六日生。以下「亡洋子」という。)の夫、原告幸穂は、原告英明と亡洋子の子(平成元年一月二九日生)である。

被告は、岡山大学医学部付属病院(以下「岡大病院」という。)を開設し、医療業務を営んでいる。

亡洋子は、被告との間で、平成三年二月六日、岡大病院において仙骨部骨巨細胞腫摘出及び骨盤再建手術(以下「本件手術」という。)を受けることに関する医療契約を締結し、本件手術を受け、同年三月九日に死亡した。

2  岡大病院の医療担当者の過失

(一) 経過

亡洋子は、平成二年初めころから、左股関節周囲に痛みを感じるようになり、開業医及び整骨院で診療を続けていたが、平成二年一一月二二日、尾道市民病院において、仙骨部骨巨細胞腫で手術が必要であるとの診断を受け、平成三年一月七日、岡大病院整形外科に入院し、同じく仙骨部骨巨細胞腫で手術が必要であると診断され、同年二月六日、本件手術を受けた。

本件手術中の経過は次のとおりである。

平成三年二月六日(以下、すべて同年。)。

八時一五分ころ、手術室へ搬入。

八時二五分、麻酔開始。

八時四五分、観血的動脈圧測定用カテーテル挿入。

八時五〇分、気管内チューブ挿管。

九時二〇分、左内頸静脈よりスワンガンツカテーテルを挿入。

九時三〇分、仰臥位で手術開始。腫瘍腹部側の処理の手術及び骨移植のため下腿(脛骨と腓骨)からの採骨の手術が行われた。

一〇時四〇分、右手静脈内カテーテルより輸血開始。

一一時二五分、左内頸静脈に静脈内カテーテルを挿入。

一三時四〇分、左内頸静脈内カテーテルより輸血を開始。

一六時三〇分、腫瘍腹側部の処理の手術及び下腿からの骨移植のための採骨手術を終了。

これまでに、五五〇〇MLの出血があり、輸血五六〇〇MLと加熱人血漿蛋白溶液七五〇MLの合計六三五〇MLの血液製剤が投与された。

一六時四〇分、腹臥位に体位変換。

一七時〇〇分、仙骨部(腫瘍背側)の手術開始。

二一時ころから、出血量がきわめて増加したため、右手の静脈と左内頸静脈の二つのルートから、二〇MLの注射器を用いて三方活栓により加圧して輸血用カテーテルに注入する方法により急速輸血(以下「急速加圧輸血」という。)が行われた。

二二時ころから、血圧が収縮期血圧(以下同。)で六〇MMHG(ミリメートル水銀柱)くらいに低下。

二二時四五分、左内頸静脈の輸血用カテーテル抜去。

これまでに約一万六〇〇〇MLの出血があり、輸血一万四四四〇MLと加熱人血漿蛋白溶液一〇〇〇MLの合計一万五四四〇ML血液製剤が投与された。なお、そのうち、左内頸静脈からの輸血量は、合計四八四〇ML、腹臥位になった一七時以降の輸血量は、一八時から一九時まで四〇〇ML、一九時から二〇時まで六〇〇ML、二〇時から二一時まで八〇〇ML、二一時から二二時まで八四〇ML、二二時から二三時まで四〇〇MLであった。

二二時五〇分、仙骨部の手術(腫瘍切除)終了。

二二時五五分、仰臥位に体位変換。頸部に腫脹が認められたので、頸部の三カ所に減張切開(血腫、浮腫などによる組織圧の上昇と血流障害の悪循環を断つ目的で行われる局所組織の切開。)が行われた。

二三時四〇分、麻酔終了。

二三時四五分、ICUに搬入。

ところが、二月七日一〇時ころになっても、亡洋子の意識の回復は十分ではなく、岡大病院脳神経外科の医師の診察及びCT検査の結果、小脳出血が認められたが、手術の適応なしと診断され、脳出血に伴う脳浮腫を軽減させるための保存的治療が行われた。

二月八日一七時三〇分、突然、意識レベル悪化、瞳孔散大、対光反射及び角膜反射はいずれもなしとなり、頭部CT検査の結果、クモ膜下出血・小脳出血の増強・脳浮腫の増強等が認められた。

同日一九時、深昏睡となり、以後、意識回復することなく、亡洋子は、三月九日一四時五五分、急性心不全により死亡した。

(二) 死因

亡洋子の死亡は、本件手術中の急速加圧輸血の際、左内頸静脈からの輸血の輸血圧が瞬間的に三〇〇MMHG以上となったため、血液が頸部の血管外に漏出し(三方活栓を用いて注射器でピストン注入する際の圧力が三〇〇MMHGを超えるようであれば、静脈緊張が生じ、静脈カニューラの先端から血管外漏出が生じる可能性がある。)、頸部の静脈を圧迫して頭蓋内の静脈圧を上昇させ、その結果、脳の灌流障害による脳虚血、静脈うっ血による頭蓋内出血(後頭蓋窩クモ膜下出血、小脳出血)を起こしたことによるものである。

(三) 過失

亡洋子は、本件手術を担当した岡大病院医師又は看護婦らの次の過失によって死亡したものである。

(1) 左内頸静脈(又は左外頸静脈。以下同。)からの急速加圧輸血の際、圧力を短時間に加え過ぎた過失(過失(1))。

前記の頸部血管外血液漏出の原因は、左内頸静脈からの急速加圧輸血の際、輸血圧が瞬間的に三〇〇MMHG以上となったためである。三方活栓を用いて注射器でピストン注入する場合、少なくとも三五MLを一〇秒以内で入れれば三〇〇MMHGは超過するが、本件では、左内頸静脈からの輸血量は、合計四八四〇MLにすぎず、特に血管漏出を生じたと思われる腹臥位になった一七時以降の輸血量は、一八時から一九時まで四〇〇ML、一九時から二〇時まで六〇〇ML、二〇時から二一時まで八〇〇ML、二一時から二二時まで八四〇ML、二二時から二三時まで四〇〇MLにすぎないから、血圧下降を生じた二一時から二二時までの一時間に八四〇MLの血液を入れた際は、一分間に一四ML平均、二一時三〇分から二二時までの三〇分間に八四〇MLを入れたとしても一分間に二八ML平均、二一時三〇分から二二時までの三〇分間に六四〇MLを入れたとすれば、一分間に21.3ML平均で、各注入すれば足りるのであって、一〇秒以内に三五ML以上注入する必要はなく、注意して注入すれば、大量の血管外漏出は避けられたはずである。また、注入時の抵抗度から輸血圧が三〇〇MMHGを超えないように注意することは十分に可能である。

したがって、急速大量輸血をする際には、輸血を担当する麻酔医としては、十分量を短時間に注入することだけでなく、血液の血管外漏出を起こさないように、輸血圧が三〇〇MMHGを超えないように注意する義務があるにもかかわらず、本件で左内頸静脈からの急速加圧輸血を担当した麻酔医は、これを怠り、右輸血圧を超えて加圧したため、前記の頸部血管外血液漏出が起こった。

(2) 手術中の頸部、頭部の観察義務を怠った過失(過失(2))

麻酔担当医師及び看護婦らには、亡洋子の容態、輸血の状況について観察すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠った。そのため、仙骨部の手術が終わるまで頸部腫脹に気づかず、対処が遅れ、亡洋子は死亡した。

腹臥位の場合、正面からの観察ではないので、頸部の輸血針の穿刺部位の観察は相当困難であるが、十分に注意すれば不可能ではないから、麻酔担当医師及び看護婦らが、亡洋子の頸部、頭部の状態を十分に観察していれば、より早期に頸部腫脹に気づき、他の部位(左右の内外頸静脈のうち使用されていない血管)に輸血路を変えるか、又は減張切開をより早期に実施することが可能となり、頭蓋内出血及びこれに起因する死亡の結果の発生を回避することができた。

(3) 出血量を少なくするための処置、管理が不十分で不適切であった過失(過失(3))

本件手術前には約一万MLの出血量が見込まれたから、手術中の出血量を最小限にするために、主要な動脈血管をあらかじめ結紮したり、出血傾向を防止するために自己血輸血を利用するなど、手術中の出血量を最小限にするための手当を十分に実施すべきであったが、右事前準備が十分、適切に実施されなかったため、一万六〇〇〇ML近い、仙骨部の骨巨細胞腫の手術として多すぎる出血量を生じ、そのことが、一層の大量の急速輸血の必要性を生じさせて、血液の漏出を招いた。

以上のとおり、亡洋子の死亡は、被告の使用人で履行補助者である担当医師及び看護婦の注意義務違反によるものであるから、被告は、亡洋子に対し、医療契約上の債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償義務を負う。

3  損害

(一) 逸失利益 金四四〇〇万円

亡洋子は、死亡当時二八歳の主婦であったが、二八歳女子の平均年収は、金二九七万二〇〇〇円、就労可能年数は三九年で、そのホフマン係数は21.309であるから、生活費控除を三〇パーセントとすると、その逸失利益は金四四〇〇万円を下らない。

(297万2000×21.309×0.7=4433万1243)

原告らは、右逸失利益についての損害賠償請求権を各二分の一ずつ相続した。

(二) 慰藉料

幼くして母親を亡くした原告幸穂及び幼い子を残したまま妻に先立たれた原告英明に対する慰藉料としては、各一〇〇〇万円が相当である。

(三) 墳墓・葬祭費 金一〇〇万円

原告英明が負担した。

(四) 弁護士費用 金六〇〇万円

被告の負担すべき弁護士費用としては、日弁連報酬等基準規定による手数料及び謝金の合計額金六〇〇万円(各三〇〇万円)が相当である。

よって、被告に対し、原告幸穂は金三五〇〇万円、原告英明は金三六〇〇万円、及びこれらに対する亡洋子の死亡の日である平成三年三月九日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者及び医療契約)について

認める。

2  同2(岡大病院の医療担当者の過失)について

(一)は認める。ただし、頸部からの輸血箇所は、左内頸静脈ではなく、左外頸静脈であったが、いずれであったとしても、亡洋子の死因に影響はない。なお、本件手術中の輸血状況は別紙「輸血の経過表」のとおりである。

(二)は否認する。

亡洋子の頭蓋内出血の原因としては、原告ら主張の①頸部静脈血管外漏出による脳虚血、静脈うっ血以外にも、②大量出血に伴う出血傾向(止血機構の異常のために生ずる出血症状)による出血(亡洋子の全血液量は約三五〇〇MLと推定されるが、手術中の推定出血量は約一万六〇〇〇ML、手術中の輸血量は一万五四四〇MLと、きわめて大量であった。ことに、腹臥位になってからは、約五時間で一万MLの出血があり、出血死を防ぐために約九〇〇〇MLの輸血を行っている。輸血用の血液中には血小板や一部の凝固因子がわずかしか含まれていないため、凝固因子、特に血小板は著しく減少していたと思われる。このため著明な出血傾向が起こり、クモ膜下出血が発生した。)、③素因としての脳血管の破綻による出血(あらかじめ手術前より、脳動静脈奇形、脳動脈瘤などの血管病変が存在し、それが破綻したことによる出血)の可能性が考えられ、①のみではない。

また、急速加圧輸血の際の輸血圧が三〇〇MMHG以上になった場合に、血管外血液漏出が生じる可能性があるとしても、本件の頸部血管外血液漏出の原因が、輸血圧が三〇〇MMHG以上になったことによるものであると断定することはできないし、本件において輸血圧が三〇〇MMHG以上になったか否かも不明である。

(三)は否認する。

(1) 腹臥位になってから出血量が多くなったのは、腫瘍摘出による局部の切除を行ったためであり、特に、術中の二一時三〇分から二二時の間は、右手静脈から一一七〇ML程度、左外頸静脈からは、六四〇ML程度(濃厚赤血球四八〇ML、新鮮凍結血漿一六〇ML程度)を輸血しているが、これは、洋子の出血死を防ぐため、出血量に見合うだけの輸血を行ったためであり、これだけの量を短時間に輸血するためには、急速な加圧を行うことは避けられない。

原告らは急速加圧輸血の際の輸血圧を問題とするが、実際にどの程度の圧により血管外漏出を起こすかは医学的に明らかでなく、本件のように、一万ML以上の大量出血を起こした場合には必ず出血傾向が生じるから、亡洋子の血管外血液漏出の原因としては、血管内圧のみでなく、出血傾向が重要である。

仮に三〇〇MMHG以上の圧をかけると血管外血液漏出が生じ、三〇〇MMHGを超えない圧で輸血すべき注意義務があるとしても、実際の加圧輸血により三〇〇MMHGを超えることはほとんどなく、本件の輸血圧が三〇〇MMHGを超えたとはいえない。一〇秒以内に三五ML以上の輸血をしたからといって直ちに輸血圧が三〇〇MMHG以上になったと推定できるものではないし、本件で三五MLを一〇秒以内に輸血したか否かも明らかではない。しかも、手術による出血は一定の速度ではなく、出血量に応じて輸血の速度も刻々変わるから、原告らが主張するような単純な計算はできない。万が一超えたことがあったとしても、それは出血死を防ぐための急速輸血の必要の下ではやむを得ない行為であり、過失ではない。

(2) 本件の腹臥位での手術においては、手術部位を除き、手術用敷布で覆われ、亡洋子の頭部は頭部支持器で支えられているため、亡洋子の頸部の状況は、その下側から観察する。この点、仰臥位での手術において頸部を観察する場合に比べると、はるかに困難な状況にある。そして、本件では、担当医らは、多大の努力によって、約五時間の間に約九〇〇〇MLの輸血を行う合間に亡洋子の頸部を観察したが、腹臥位での手術が終了し、仰臥位に戻したときに、頸部の腫脹に気づいたものである。したがって、原告ら主張の観察義務違反があったとはいえない。

仮に腹臥位後の手術の早期に頸部膨張に気づいたとしても、出血死を防ぐため、輸血を中止することはできなかった。また、他の部位として、左右の内・外静脈のうちの使用されていない血管に輸血路を確保することはいずれも不可能であった。すなわち、本件では、右内頸静脈には肺動脈圧・右房圧及び心拍量等の計測用の、左外頸静脈には輸血用(当初は輸液用として使っていた)のカテーテルが既にそれぞれ装着されていたため、もし、同じ側の別の内・外頸静脈に対し、刺針すれば、内頸静脈と外頸静脈は互いに接近した位置にあることから、もともと挿入されていた静脈を傷つけることが多く、そこから血液が漏れて、その静脈路自体が使用不能となって、出血死に至る危険性があった。頸部腫脹を緩和させるためにそのような危険なことは行わないのが医学上の常識であり、したがって、本件ではもはや他の部位に輸血路を確保する途はなかった。

また、腹臥位の状態で急速加圧輸血をしている際に、頸部の腫脹に気づいたとしても、頸部の減張切開は、体位が腹臥位であるため技術的に不可能である。すなわち、頸部の減張切開は、頸部の両側面を斜めに切開し、併せて頸部の全面の喉仏の下付近の皮膚をひだに沿って横に切開する方法で行い(頸部の後部は皮下組織が固いことから効果がないため、切開しない。)、その際には、大動脈・大静脈を損傷しないように、最善の注意を払う必要がある。本件のような腹臥位の状態において、手術ベッドの下に潜って、その下の狭く窮屈で、しかも、頸部は馬蹄形の頭部支持器と手術用の敷布に覆われていて、十分な視野のえられない状況の中で、適切な減張切開を行うことは不可能である(もし誤って大動脈や大静脈を損傷させた場合は、そこから血液が漏れて、出血死の危険性がある。)。仮に減張切開をする場合には、手術をいったん中止して、体位を腹臥位から仰臥位に戻さなければならないが、本件のように大量出血に伴う急速加圧輸血を行っている状況の下では、手術を中断して体位を仰臥位に戻し、減張切開を行うことは、亡洋子の生命の維持の観点から不可能である。

(3) 仙骨部骨巨細胞腫に対する腫瘍摘出術及び骨盤再建術では、一般に大量の出血を伴う。また、本来、腫瘍の手術における術中出血量は、腫瘍の発生部位・腫瘍の状況・行われる手術の内容等により、症例ごとに大きく異なり、一概に予測することは困難である。したがって、亡洋子の出血量が多すぎるとはいえない。

仙骨部の骨巨細胞腫の摘出術において、術中出血量を少なくする方法としては、一般的には、術前に栄養血管(骨巨細胞腫を養っている血管)を塞栓する方法と、術中に腫瘍摘出前に腫瘍周辺の血管を結紮する方法が考えられる。亡洋子の場合、術前の血管塞栓術が検討されたが、栄養血管が広範囲に存在するため、技術的に困難なうえ、その効果についても疑問があったので、その施行を見合わせた。また、主治医の乙山太郎医師(以下「乙山医師」という。)は、本件手術では大量出血が予想されたので、術前に麻酔科医に対し、低体温・低血圧麻酔等の適応があるか、また、新鮮血・保存血を併せて一万ML程度用意する予定であるが、その他準備することがあれば教示願いたい旨問い合わせた。これに対し、麻酔科医からは、本件手術については低血圧麻酔の適応があると考えられること、大量出血が予想されるので、スワンガンツカテーテルの挿入が必要になるかもしれないこと、保存血より新鮮血の方がよいので、できるだけ新鮮血を多く用意するようにとの回答があったので、その準備をした。低血圧麻酔については、術前の検討に従って、術中にこれを施行した。輸血にあたっても、新鮮血六六〇〇ML、凝固因子を含む新鮮凍結血漿一八四〇MLを使用し、カルシュウム薬(商品名カルチコール)一二〇MLを投与し、出血の防止に努めている。術中の血管の結紮についても、まず、前方から左第五腰動脈・正中仙骨動静脈・左総腸骨動静脈・内外腸骨動静脈を準次結紮して切離した後、腫瘍摘出を行っている。さらに、出血量を少なくするために術中に電気メスも使用している。

したがって、術中出血量を最小限にするための手当は十分適切に実施されている。

なお、自己血輸血は、同種血輸血に伴う各種の免疫反応、肝炎その他の感染性疾患を防止することを主たる狙いとするものであり、出血量の減少に役立つものではないし、本件のように大量の出血を伴う手術においては、大量の輸血が必要となるが、自己血輸血では不可能である。また、本件のような腫瘍の手術においては、貯血式自己血輸血は術前すでに血中に存在する可能性のある腫瘍細胞を患者に輸血する危険性があり、血液回収自己血輸血も術野に露出した腫瘍細胞をさらに広範に播種する可能性があり、いずれも適当ではない。

3  同3(損害)について

知らない。

第三  証拠

本件記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因について

1  請求原因1について

争いがない。

2  同2について

(一)  甲一ないし一八、乙一(枝番を含む。以下同。)ないし六、八ないし一八、証人小林尚日出及び同Dの各証言(以下「小林証言」、「D証言」という。)、原告英明本人尋問、弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

(1) 亡洋子は、平成二年一月ころ、歩行時や走ったときなどに、左臀部・大転子部に鈍痛を感じ(このときは数日で軽快した。)、同年三月には、左臀部・大転子部の疼痛によって、起床できないほどになったため、尾道市内の整形外科医院で受診し、腰椎X線検査を受けたが、異常なしといわれ、鎮痛剤・血管注射等の投与を受けた、その後、福山市内の整形外科医院で受診し、腰椎X線検査を受けたが、異常なしといわれ、約二ケ月間、鎮痛剤・血管注射等の投与を受けた。左臀部痛は軽快したが、左足底部にしびれが出現した。同年五月には、下関市内の整形外科で受診し、神経痛といわれた。

同年六月初旬、左臀部から大転子部に疼痛が続くため、整体に通うようになったが、症状は改善されず、一〇月中旬から、左臀部から大腿部、左足関節から足背(二ないし五趾)にもしびれが出現した。

亡洋子は、同年一一月二二日、下関市内の整形外科で受診し、X線撮影後、大きな病院で断層写真を撮るようにいわれて尾道市民病院を紹介され、同日、同病院に入院して、CT、骨シンチ等の検査を受け、同月二七日には、生検術が施行されたが、このとき大量に出血した。またその後、血管造影、MRI検査を受け、その結果、仙骨部骨巨細胞腫で手術が必要であると診断された。同年一二月初旬ころから、左下腿のしびれが増悪したが、尾道市民病院においては、出血量等の問題で根治的手術が困難であるとして、平成三年一月七日、岡大病院整形外科へ紹介され、同日入院した。

(2) 亡洋子の主治医となった岡大病院整形外科の乙山医師は、亡洋子の仙骨部骨巨細胞腫について手術の適応の有無を判断するため、同月八日以降、MRI撮影、CT撮影、血管造影撮影等の検査を行った。その結果、右腫瘍は、仙骨左半を中心として、左仙腸骨関節を越えて左腸骨に侵入する約八×五×九CM大の大きなものであることが判明、乙山医師は、手術の適応があり、その場合、全仙骨摘出術が必要と診断した。

手術を行う場合、多量の出血が予想されるため、乙山医師は、岡大病院第二外科へ、術前に栄養血管を塞栓することの可能性及び効果について照会したが、栄養血管が広範囲に存在するため、塞栓術は技術的に困難であるうえ、その効果についても疑問がある旨の回答があったので、その施行を見合わせた。

同月二八日には、岡大病院整形外科で科長以下スタッフが協議した結果、本件手術をする方針が決まり、手術日として同年二月六日を予定し、日赤血液センターに、二月六日に大量の血液が必要であること、新鮮血を五〇〇〇ML、保存血を五〇〇〇ML、血小板を二〇単位、新鮮血は可能なかぎり多く準備するよう依頼した。

また、乙山医師は、岡大病院麻酔科に対し、低体温・低血圧麻酔等の適応があるか、新鮮血・保存血を併せて一万ML程度用意する予定であるが、その他準備することがあれば教示願いたい旨問い合わせたところ、麻酔科医からは、本件手術については低血圧麻酔の適応があると考えられること、大量出血が予想されるので、スワンガンツカテーテルの挿入が必要になるかもしれないこと、保存血より新鮮血の方がよいので、できるだけ新鮮血を多く用意するようにとの回答があったので、これにしたがって準備した。

乙山医師は、本件手術に先立ち、亡洋子に対し、大きな手術になること、手術後に膀胱・直腸障害がでること、術後は何とか歩けるが、装具や杖が必要であること、術後三ケ月はギプスベッドで安静が必要であることを、原告英明に対しては、腫瘍は悪性ではないが、場所が悪いので、手術は非常に難しいこと、今後、膀胱・直腸障害が出現すること、手術後に夫婦の正常な性生活が営めなくなること、出血量は一万ML位になり、術中に出血多量等で死亡する可能性があること、このまま放置した場合は、一ないし二年の余命であること、術後は何とか歩けるが、装具や杖が必要であること、局所再発の可能性は五〇パーセント程度あること、術後三ケ月はギプスベッドで安静が必要であることを説明し、右両名は、本件手術を受けることに同意した。

また、乙山医師は、亡洋子の父親に、手術をしない場合は一ないし二年の余命であること、放射線治療を行った場合、腫瘍が悪性化する割合は三〇パーセント、コントロールできる可能性は三〇パーセント、放射線治療後の手術は困難であること、手術時に一万ML以上の大量出血する可能性があり、手術中に死亡の可能性があること、術後に、膀胱・直腸の障害が発生すること等を説明し、本件手術について了承を得た。

なお、手術前には、亡洋子には意識障害を含む中枢神経系の症状は存在しなかった。

(3) 本件手術及び麻酔の経過は次のとおりである。

平成三年二月六日(以下、すべて同年。)。

八時一五分ころ、手術室へ搬入。

八時二〇分ころ、左手静脈(手首付近)に挿入したカテーテルから輸液の注入開始。

八時二五分、麻酔開始(麻酔医は、岡大病院麻酔科医師のA、B、C。麻酔薬としてエトレンを使用。)。

八時三〇分、酸素投与開始。

八時四五分、橈骨動脈内に観血的動脈圧測定用カテーテル挿入。以後、ディスポーザブル血圧トランスデューサーを使用してモニタリングシステムに表示して血圧を測定。これと併行して自動血圧計による非観血的な血圧測定も行った。

八時五〇分、気管内チューブ挿管。

九時一五分、右手静脈(手首付近)に挿入したカテーテルから輸液の注入開始。

九時二〇分、右内頸静脈によりスワンガンツカテーテルを挿入。

九時三〇分、仰臥位で手術開始。腫瘍腹部側の処理の手術(執刀は、岡大病院整形外科のD、E、乙山、S各医師)及び下腿(脛骨と腓骨)から骨移植のための採骨の手術(執刀は、同科のF、Y、H、Q各医師)を行った。

一〇時二五分、ニトログリセリン(商品名ミリスロール)の静注開始。

一〇時四〇分、右手静脈内カテーテルから輸血開始。

一一時二五分、左内(外)頸静脈に静脈内カテーテルを挿入、輸液の注入開始。

一三時四〇分、左内(外)頸静脈内カテーテルから輸血開始。

一三時四五分、ドーパミン(商品名カコージン)静注開始。以後、手術終了まで持続。

一四時四〇分から一五時にかけて、大量出血し、一時的に血圧が一〇〇MMHG以下に低下(それまでは、おおむね一〇〇ないし一二〇MMHGに維持されていた。)したが、麻酔薬の投与をいったん中止して、一〇〇%酸素にし、急速加圧輸血を行ったことにより、一五時一五分には、一一〇MMHGに回復した。

一六時三〇分、腫瘍腹側部の処理の手術や、下腿からの骨移植のための採骨手術を終了。

これまでに、五五〇〇MLの出血があり、輸血五六〇〇ML(新鮮血液及び保存血液五二〇〇ML、新鮮凍結血漿四〇〇ML)と加熱人血漿蛋白溶液七五〇MLの合計六三五〇MLの血液製剤を投与した。

一六時四〇分、腹臥位(手術部位をのぞいては手術用敷布で覆われ、頭部は馬蹄型の頭部支持器で支えられていた状態である。)に体位変換。

一七時〇〇分、仙骨部(腫瘍背側)の手術(前方から左第五腰動脈・正中仙骨動静脈・左総腸骨動静脈・内外腸骨動静脈を順次結紮して切離した後、腫瘍を摘出する。)開始(執刀は、D、E、乙山、Q、R各医師)。

一七時三〇分ころから、次第に出血量が増加したが、麻酔深度の調節と急速輸血により血圧は常に一〇〇MMHG以上に維持され、尿量も確保された。

二一時ころから、出血量がきわめて増加したため、右手静脈と左内(外)頸静脈の二つのルートから二〇MLの注射器を用いて三方活栓により加圧して輸血用カテーテルに注入する方法により急速輸血を行った。

二二時、血圧が六〇MMHGとなったため、麻酔薬の投与を中止して一〇〇%酸素にし、さらにドーパミン、カルチコール、エフェドリン(四〇MG、メイロン(四〇ML)を投与した。

二二時三〇分、輸血終了。

二二時三五分には、血圧は一一〇MMHGに回復した。

二二時四五分、左内(外)頸静脈の輸血用カテーテル抜去。

これまでに約一万六〇〇〇MLの出血があり、輸血一万四四四〇ML(新鮮血液六〇〇ML、保存血液三六〇〇ML、濃厚赤血球二四〇〇ML、新鮮凍結血漿一八四〇ML)と加熱人血漿蛋白溶液一〇〇〇MLの合計一万五四四〇MLの血液製剤を投与した。なお、本件手術中の輸血状況は別紙「輸血の経過表」のとおりである。

二二時五〇分、仙骨部の手術(腫瘍切除)終了。

二二時五五分ころ、仰臥位に体位変換。頸部全体に腫脹が認められたので、頸部の三カ所に減張切開を施行。

二三時四〇分、麻酔終了。

二三時四五分、亡洋子をICUに搬入。

(4) 手術後の状況は次のとおりである。

ICU搬入時の亡洋子の状態は、意識レベルは二〇〇(痛み刺激に手足を動かしたり、顔をしかめたり少し反応する。)ないし三〇〇(痛み刺激に反応しない。)、対光反射はあり、瞳孔径は3.5MM、瞳孔不同はなかった。

二月七日早朝からやや意識が回復し、開眼して刺激に対して手足を動かすようになり、循環系は安定して、脳波は三HZ程度の徐波、聴性脳幹反応は正常であった。

同日一〇時ころになっても、亡洋子の意識の回復が十分でないので、岡大病院脳神経外科の医師が診察し、CT検査を施行したところ、小脳出血が認められたが、脳幹部には出血・梗塞はなかった。脳神経外科医師から、小脳出血に対しては手術の適応はないと診断され、直ちに、脳出血に伴う脳浮腫を軽減させるための保存的治療を中心に、集中治療及び全身管理が行われた。

二月八日一七時三〇分、突然、意識レベルが三〇〇、瞳孔散大(瞳孔径は7.0MM)、対光反射及び角膜反射はいずれもなしとなった。頭部CT検査の結果、クモ膜下出血・小脳出血の増強・脳浮腫の増強等が認められた。

同日一九時、深昏睡となり、以後、深昏睡の状態が続いた。

三月九日一四時五五分、亡洋子は、死亡した。

(二)  鑑定人花岡一雄による鑑定の結果及び同人作成の右鑑定に関する補充書面である甲一六号証(以下「花岡鑑定」という。)、鑑定人桐野高明及び同中村耕三の各鑑定結果(以下それぞれ「桐野鑑定」、「中村鑑定」という。)及び弁論の全趣旨によれば、亡洋子の死因について、次のとおり認めることができる。

亡洋子の出血量は、本件手術中に一万六〇〇〇MLに及び、ことに、腹臥位になってからは、約五時間で一万MLあったので、前示手術を担当した医師らは、出血死を防ぐために、三方活栓より加圧して輸血用カテーテルに注入する方法で、約九〇〇〇MLの輸血をした。右大量の輸血を急速に行うためには、相当の圧力を加える必要があり、その場合、大量出血による出血傾向の増加と急速出血に対する急速加圧輸血により、カテーテルが血管に入った部分の周辺から血液が漏出することを回避するのは困難である(加圧の際の圧力が三〇〇MMHGを超えるようであれば、静脈緊張が生じ、静脈カニューラの先端から血管外漏出が生じる可能性がある。)。本件においては、右の大量急速加圧輸血により、頸部静脈の輸血用カテーテルが血管に入った部分の周辺から血管外に漏れた(仰臥位に戻した際に頸部膨張が認められたのは、これを示すものである。)血液が頸部の静脈を圧迫し、加えて、手術中に腹臥位であったことにより胸腔内圧が上昇し、頭部からの静脈灌流が妨げられて、頭蓋内の静脈圧が上昇したために、脳の灌流障害が生じ、脳虚血・静脈うっ血による脳内出血が生じたと考えられる。右のように、静脈圧の異常により脳の循環障害が発生し、一定程度の時間(一般的には一ないし三時間程度)それが継続すれば、脳の組織障害が起こり、脳の血流が再開された場合にも、既に脳の組織障害(梗塞)がある程度を越えていれば、壊死に陥った脳組織に出血が生じ、いわゆる出血性梗塞となる。また、脳組織がある程度を超えて虚血にさらされると、脳組織の破壊と脳浮腫の進行が必然的に発生し、その結果、脳死の状態に向かい死亡するに至る。亡洋子の死をもたらした病態は、右のとおりのものであったとみることができる。

しかし、頸部血管外血液漏出が亡洋子の死亡にかかわった程度については、大量輸血が行われた場合に、しばしば出血傾向が発生すること、一般の正常人において五%程度の頻度で脳動脈瘤が発生すること、出血傾向の合併や素因としての血管病変の存在が、病態を悪化させる要因となった可能性は否定できないことなどを勘案すると、頸部血管外血液漏出が、症状悪化の約二分の一程度の原因となり、その他の避けえない全身的な要因がさらに状態を悪化させ、最終的に死亡に至ったものと判断することができる。

(三)  前示認定事実、甲八ないし一〇、一二、一三、一七、乙一六、一七、小林及びD証言、前掲鑑定、弁論の全趣旨によれば、本件手術前及び手術中の措置の適否について、次のとおり認めることができる。

(1) 過失(1)について

亡洋子は、本件手術中、前示認定のとおり、腹臥位になった後に、約五時間で一万MLの多量の出血をし、これは、腫瘍摘出による局部の切除が行われたためである(後記のとおり、仙骨部骨巨細胞腫摘出術は、一般に出血量の多い手術である。)が、右大量かつ急速な出血に対しては、出血死を防ぐため、出血量に見合うだけの輸血を急速に行う必要があるため、担当医師らは、血圧降下時の二一時三〇分から二二時の三〇分間に、右手静脈から一一七〇ML程度、左内(外)頸静脈から、六四〇ML程度の輸血を行った。しかし、右大量の輸血を短時間に行うためには、相当急速な加圧を行う必要があり、その場合、大量出血による出血傾向の増加と急速加圧輸血により、カテーテルが血管内に入った部分の周辺から血液が漏出することを回避することは著しく困難であり、そのことを医療の現場で求めることは現実的でない(血管外血液漏出を防止するためには、輸血圧をできるだけ低くすることが一番の条件であるが、輸血圧を低くして、出血量に見合うだけの輸血が速やかに入らなければ、出血死を起こす可能性がある。)。

原告らは、急速加圧輸血の際の輸血圧が瞬間的に三〇〇MMHG以上となったことが、亡洋子の頸部血管外血液漏出の原因であるとしたうえで、二一時以降の頸部からの輸血量を単純に経過時間で除した計算により、輸血圧が三〇〇ML以上になるような加圧の必要はなかったとして、輸血を担当した麻酔医には、三〇〇MMHGを超えない圧で輸血すべき注意義務があった旨主張する。

しかし、一般的に、輸血圧が三〇〇MMHG以上となった場合に血管外血液漏出の可能性があるとしても、本件における頸部血管外血液漏出の発生原因には、前示のとおり、大量出血による出血傾向の増加が関与している可能性があること、加圧輸血により三〇〇MMHGを超えることはほとんどないこと(甲一六)、手術による出血は一定の速度ではなく、出血量に応じて輸血の速度も変わるから、原告らが主張するような単純な計算ができるものではないこと、仮に瞬間的に輸血圧が三〇〇MMHG以上となったとしても、急速輸血の必要性からして、輸血の際の相当程度の加圧は、本件手術において避けられないものであったことなどを勘案すると、そのことが麻酔医らの過失であるとはいえない。

(2) 過失(2)について

本件の麻酔担当医らは、急速輸血の合間をみて亡洋子の頸部を観察したが、腹臥位での手術中には頸部の腫脹に気づかず、腹臥位での手術が終了し、仰臥位に戻したときに、頸部の腫脹に気づいた。

本件手術中、腹臥位に体位変換された後は、手術部位をのぞいては手術用敷布で覆われ、亡洋子の頭部は馬蹄型の頭部支持器で支えられた状態となるから、亡洋子の頸部の状況については、頭部支持器の下側から懐中電灯を用いて観察することになり、仰臥位の状態の場合に比べて観察は困難である。また、麻酔医としては、手術中は、麻酔器具が正常に作動しているか、患者の血圧、脈拍、心電図等、スワンガンツカテーテル等の各種の血管内圧のモニタリングの状態、その圧の変動、患者の血液の酸素量、炭酸ガスの量、酸塩基平衡等の経時的検索、検査のための採血その他の麻酔管理を常時行わなければならず、頸部のみを常時観察することはできない。特に、出血死の危険のあるような大量出血が現に発生し、急速加圧輸血を施行している状態においては、右の麻酔管理に加えて、注射器による加圧輸血の施行、輸血用血液のバッグの交換などを頻繁に行わなければならず、担当医師及び看護婦らに、頸部についての頻回のチェックを期待することは著しく困難である。

仮に腹臥位後の手術の早期に頸部膨張に気づいたとしても、出血死を防ぐため、左内(外)頸静脈からの輸血を中止することはできなかったし、他の部位に輸血路を確保することも不可能であった。すなわち、本件では、右内頸静脈に肺動脈圧・右房圧及び心拍量等の計測用の、左内(外)頸静脈に輸血用(当初は輸液用として使っていた)のカテーテルが既にそれぞれ装着されていたため、もし、同じ側の別の内・外頸静脈に刺針すれば、内頸静脈と外頸静脈は互いに接近した位置にあることから、もともと挿入されていた静脈を傷つけることが多く、そこから血液が漏れて、その静脈路自体が使用可能となって、出血死に至る危険性があった。

腹臥位の状態で急速加圧輸血をしている際に、頸部の腫脹に気づいたとしても、腹臥位の状態のままで頸部の減張切開を行うことは技術的に不可能である。減張切開を行うためには、手術をいったん中止して、体位を腹臥位から仰臥位に戻さなければならないが、本件のように大量出血に伴う急速加圧輸血を行っている状況の下では、これも不可能である。

したがって、原告ら主張の観察義務違反があったとはいえない。

(3) 過失(3)について

骨盤手術は一般的に出血量の多い手術であり、そのなかでも仙骨部骨巨細胞腫の摘出手術はもっとも出血量が多いものの一つで、本件手術中の出血量は、一万六〇〇〇MLと大量であるが、一万MLないし二万MLの出血があった症例が医学界で報告されたこともあり、この種の手術として特に出血量が多量であったとは認められない。

仙骨部の骨巨細胞腫の摘出術において、術中出血量を少なくする方法としては、一般的には、低血圧麻酔(血圧を低く保つことで出血量を押さえようとする方法。)、新鮮血の使用、栄養血管の塞栓術、術中の血管の処置(腫瘍摘出前に腫瘍周辺の血管を結紮する。)が考えられる。

本件においては、ニトログリセリン(ミリスロール)とエトレンを用いて低血圧麻酔を実施しており、血圧は、亡洋子の通常の血圧一三〇MM/七〇MMHGよりも低い一一〇/六〇MMHGくらいによく維持されていた。輸血にあたっても、新鮮血六六〇〇ML、凝固因子を含む新鮮凍結血漿一八四〇MLを使用し、カルシュウム薬(カルチコール)一二〇MLを投与し、出血の防止がはかられている。術前の血管塞栓術については、あらかじめ検討されたが栄養血管が広範囲に存在するため、技術的に困難なうえ、その効果についても疑問があったことから、施行されなかった。術中の血管の結紮については、前方から左第五腰動脈・正中仙骨動静脈・左総腸骨動静脈・内外腸骨動静脈を順次結紮して切離したうえで、腫瘍を摘出しており、適切になされている。さらに、出血量を少なくするために電気メスが使用されている。

したがって、術中出血量を最小限にするための手当は、十分かつ適切に実施されたと認められる。

なお、自己血輸血は、他人血液の輸血に伴う免疫による副作用、輸血感染症の防止を目的とするものであって、出血量の抑制に役立つものではない。

以上によれば、本件手術前及び手術中の措置について、原告ら主張の過失があったとは認められない。

二  結論

以上のとおり、請求原因2(過失)が認められないから、その余の請求原因について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がない。

よって、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 池田亮一 裁判官 吉波佳希 裁判官 濵本章子)

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