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岡山地方裁判所 昭和30年(ワ)85号 判決 1956年8月25日

主文

被告は原告に対し金五万円及びこれに対する昭和三十年三月十一日以降右完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は五分し、その三を被告の負担とし、その二を原告の負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り原告において金一万五千円を供託するときは仮にこれを執行することができ、被告において金三万円を供託するときは右仮執行を免れることができる。

事実

(省略)

理由

証人太田茂七、同太田儀野、同田村光の各証言に証人土屋保の証言の一部、成立に争いのない甲第一号証の記載とを綜合すれば原告は昭和九年一月一日太田茂七、太田儀野の二女として生れ、昭和二十七年七月七日親戚である江国菊の養女となつたものであるが被告との結婚に際り原告の父太田茂七は(1)原告が江国菊の養女であり江国家には岡山市西中島に宅地建物があるから養母死亡の場合はその財産を相続し、被告は事実上これを自由に支配できる様になること。(2)原被告等夫婦の生活安定のために同人等が自作すれば太田茂七所有の田二反歩を贈与する。(3)太田茂七所有の撫川所在の新築二階建家屋は原告の養母が死亡するまでは原被告等夫婦の住居に使用させると媒酌人等に申出ていたことがうかがわれ、証人藤井政、同藤井克巳、同土屋保(証言の一部)の各証言に、右各証言により成立を認むる乙第一号証の記載、被告本人尋問の結果を綜合すれば被告は媒酌人土屋保から(1)岡山市西中島の江国菊家を相続すること、(2)太田茂七所有の二階建新築家屋及び田地二反歩の贈与を受けること等の好条件であると聞いていたので前記の様に見合結納の授受を経て原告と交際中原告より新築家屋は貰えぬらしいときくや結納金倍戻しも覚悟で昭和二十九年十月二十七日頃被告の父藤井政より原告の父太田茂七宛条件が違うから婚約は破談にする旨を手紙で通知したところ原告側からは何等の返事もなく同月二十九日頃媒酌人土屋から原告側には前の条件で話す条件についてはよい様にするから婿に行つてくれといわれ、土屋に前の条件は乙第一号証の通りであるという意味で同号証を認めて貰い、数日后同人に前と同一条件であることを確めて承諾の旨を伝え同年十一月初媒酌人田村光方に原告の父太田茂七、被告の父藤井政と媒酌人土屋、田村の両名が会合して式の日取を決め十一月六日結婚式を挙げて原告の父太田茂七所有の新築家屋において原告と同棲生活に入つたこと、右の式の日取を決めた際もその后も破談后の再度の婚約については何等当事者間条件については直接話合つていないこと(この点についての証人太田儀野の証言部分は最初の婚約当時の条件の一部についてのものと解せられるので右の認定の妨げとならない)が夫々認められる。

証人土屋保は当初被告側に対し被告主張の条件(その履行期の点を除く)を媒酌人田村光からきいていたのでその様に話をしたが被告より婚約を破毀したので一応結婚の話は打切りとなつた。その后被告の叔母より今迄の事は水に流してこの縁談をまとめてくれと強いて頼まれたので、又仲介の労をとることになり、今度は話が順調に進み原告主張の条件で婚約は成立した。

乙第一号証は被告の父藤井政に強要せられ同人が作成した原稿通りに自分が書いたもので最初の条件がこの様であつたという意味である。然しその作成日附の昭和二十九年十月二十九日当時は既に練直しの約束が原告主張の条件で成立していた、と述べているが証人田村光、同小倉寿子の各証言に照し前記認定事実に反する部分はたやすく信用できない。

叙上の事実からすれば被告主張の条件(1)は原告主張の(1)と同一に帰し単にこれを了承したというに過ぎず婚姻予約の条件というは当らない。(2)(3)の不動産贈与の点については少くとも破談后の婚約に際しては契約当事者直接に話合つたこともなく又当事者につきこれを確認することすらしていないので贈与契約は成立したものと断ずることはできない。一度この点につき契約破毀の挙に出た被告としては殊に慎重に事実の真否を調査確認すべきであつたのに軽卒にも媒酌人のみの言を信じ所謂仲人口に乗せられたそしりを免れない。

而して被告本人尋問の結果によれば右贈与を受ける時期は正式に原被告が婚姻の届出をした時と述べており、これに反する証人藤井政の証言は措信できないところであるから被告主張の本件不動産贈与契約に原告被告間の婚姻の予約に附帯して原告の父太田茂七と被告との間において右婚姻を条件としてなされた贈与契約と解すべきであり、被告は正式婚姻することにより太田茂七より右不動産の贈与を受け得ることを期待して婚姻の予約をなしたものでこの期待は婚姻予約の動機に過ぎない。従つて贈与契約が不成立であつても婚姻の予約は当然に無効となるものではない。だから被告の右抗弁は採用できない。又条件附婚姻の予約と解すべきでないこと前述の通りであるから原告の公序良俗に反し無効であるという論も当らない。

次に被告は婚姻予約についての前記三箇条の条件は被告の最低限度の要求であり婚約の重要な要素である。中一箇条でも契約しないとか履行しないことが判つておれば被告は婚約する意思はなかつたものであるから要素の錯誤により婚約は無効である旨抗弁するがその主張の(1)が婚約の条件と解すべきでないこと。(2)(3)の不動産贈与の契約が不成立であつたことは既に述べたところであり、その贈与契約が婚姻予約の重要な要素といえないことも前段説示の通りであるから右抗弁は採用できない。

被告は更に原告側の条件不履行という不信行為は原被告の共同生活の円満を阻害するものであるから婚約解消の正当事由となる趣旨の抗弁をするが婚姻予約は何等の正当事由も要せず一方的に何時でも解消し得るところでただその正当事由の存しない場合には相手方よりの予約不履行に基く損害賠償或は慰藉料請求等の原因となるというに過ぎない。本件においては不動産贈与契約不成立なること上来説示の通りであるから右抗弁の採用できないことも明らかである。

進んで被告の婚約は合意解消したとの抗弁につき案ずるに、被告本人尋間の結果によればこれに副う如き供述があるが原告本人尋問の結果に成立に争のない甲第三号証の記載を綜合すれば原告は被告から甲第三号証を手交されてこの様に離婚誓約書を認めてくれといわれたが離別する意思がなかつたからそのままこれを所持していたことが明らかであるから原告に真実被告との婚約破毀の意思があつたとは認められないので右抗弁も採用できない。

原告は甲第三号証は被告が作成して原告に交付したもので同号証には被告が原告に支払うべき慰藉料額まで記入してあるのでこれは被告自ら婚約破毀の非道を認めた証査である旨主張するが被告本人尋問の結果によれば被告に慰藉料支払の法律的責任のあることを認めた趣旨ではないことが明らかであるから原告の右主張も採用できない。

結局被告に原告との婚姻予約を破毀するに足る正当事由があつたとはいえないし、原告が被告と離別することによりて受けた精神的苦痛が少くなかつたことも想像に難くないところであるから被告は原告に対しこれが慰藉の責任があるといわなければならない。

その数額について案ずるに原告が昭和九年一月一日太田茂七、太田儀野の二女として生れ昭和二十七年七月親族の江国菊の養女となつたこと、被告が昭和五年三月五日藤井政、藤井智嘉代の二男として生れ矢掛中学を了え烏城高等学校を卒業し国有鉄道に奉職中であることは当事者間争なく、原告が県立岡山南高等学校を卒業して岡山服装専門学校において洋裁和裁茶道生花編物等女芸一通りを習得したことは証人太田儀野竝に原告本人の供述により明らかである。

証人太田茂七の証言によれば原告家には岡山市西中島に宅地建物で約五十万円、原告実家太田家には田地宅地家屋で約百、四、五十万円、被告家には田畑、宅地、山林、家屋等約二百万円の資産を夫々有することが認められる。

而してさきに述べた被告が不動産贈与契約の締結に際し真接契約当事者につきて事実の確認を怠つたとの非難は同様に娘の婚姻につき重大な関係を有する贈与契約の締結に関し媒酌人を信頼して直接契約の当事者である被告にこれが徹底を怠つた原告の父太田茂七にも加えられなければならない。だからといつてそれが直ちに贈与契約当事者でもない原告に対する非難となるものではないが数額算定の一資料となる。

以上の事実に前記認定の諸事情その他一切の事情を斟酌すればその数額は金五万円を相当と認める。

原告は本訴において訴状送達の翌日以降の損害金を請求するものであるから被告は原告に対し慰藉料金五万円及びこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和三十年三月十一日以降右完済まで民事法定利率年五分の割合による損害金の支払義務があるといわなければならない。

右の範囲において原告の本訴請求はこれを認容しその余を失当として排斥し訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条第九十二条担保を条件とする仮執行竝にこれが免脱の宣言については同法第百九十六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 藤村〓夫)

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