岡山地方裁判所 昭和32年(ワ)167号 判決 1960年6月01日
主文
被告は、原告岡田登与子に対し金一、三九三、一五八円及びこれに対する昭和三二年五月一七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告岡田敬子に対し、金二、四五九、〇八七円及びこれに対する昭和三二年五月一七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、各支払え。
原告等のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告等の負担とし、その一を被告の負担とする。
この判決は、原告岡田登与子において金四〇万円、原告岡田敬子において金八〇万円の各担保を供するときは、主文第一項に限り夫々仮りに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、被告は、原告岡田登与子に対し金四、〇〇〇、〇〇〇円および内金三、〇〇〇、〇〇〇円については昭和三二年五月一七日以降、内金一、〇〇〇、〇〇〇円については昭和三四年七月一八日以降、それぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告岡田敬子に対し金六、〇〇〇、〇〇〇円および内金五、〇〇〇、〇〇〇円については昭和三二年五月一七日以降内金一、〇〇〇、〇〇〇円については昭和三四年七月一八日以降それぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。訴訟費用は被告の負担とする。との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一、訴外亡岡田忠義は、昭和三二年二月一四日午後四時ごろ、スクーターを運転して都窪郡吉備町庭瀬三一六番地先交叉点附近岡山倉敷国道上において訴外雁昭市の運転する普通貨物自動車に追突され、よつて頭蓋骨粉砕により即死した。
二、右事故は雁の過失によるものである。即ち雁は右交叉点の約一二〇米倉敷寄りの地点を時速四二、三粁で東進中、前方約二〇米の道路左側をスクーターに乗つて時速約三〇粁で同方面に進行中の亡忠義を認めた。かかる場合、自動車運転者としては、右先行車が交叉点においていかなる方向にこれを転ずるかも知れないので、同人の態度姿勢等に細心の注意を払うは勿論のこと、右交叉点にさらに接近した際は徐行する等状況に応じいつでも急停車できるようにして危険を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、しかも交叉点手前で先行車の忠義が左手を挙げて右折しようとする旨の合図をしたことを認識しながらこれを軽視し、漫然と先行車がどちらに曲るのかなと思いながら、前記四二、三粁の速度を落さなかつたのみか無謀にも交叉点で先行車を追い越そうと速度を速めて進行したため、先行車の後方約五米に近接したとき右先行車が方向転換に移つたのでこれに狼狽し、ブレーキを踏むこともハンドルをきることも忘れて自動車前のバンバーをスクーター後部に突き当て、忠義を路上にはね飛ばし、よつて即死させたものである。右雁は自動車運転免許を昭和三一年一二月一二日にとつたばかりであつた。
三、被告は食用油等の製造加工を主として営む株式会社であり、雁はその被用者である。雁は被告会社の普通貨物自動車に食用原油を積載して同会社水島工場より同岡山工場に運搬中に本件事故を起したものであつて、被告会社の事業の執行につき起した事故であることは明らかである。
四、亡岡田忠義は、明治四一年一一月一日に生れ、昭和二年三月岡山県立岡山商業学校を卒業し、同年四月、福助足袋株式会社に入社し、同社名古屋支店に勤務し、同七年には早くも同社浜松出張所長を命じられた程であつたが、同年家庭の事情で退社し、以来岡山市浜野で畳表ならびにその材料商として自家営業し、生来の直面目と商売熱心とで信用も高まり、営業も発展し、同八年には岡山市片瀬町に店舗を移し、同二十六年にはついに岡山市の目抜通りである同市栄町四二番地に進出し、営業は年とともに隆盛となり、業界からも町内からも大きく将来の発展を期待されていた。その営業内容は畳表およびその材料の卸小売であつて、仕入先は、畳表は県内一帯であり、材料等はあるいは福井県の山甚産業株式会社、あるいは児島の松井織物株式会社、高田織物株式会社、大津商事株式会社等業界一流店であり、販売先は文字通り全国にわたつていた。使用人としては事務員一名、店員二名であり、営業資産として店舗のほかオート三輪一台、スクーター一台、自転車二台があつた。その営業収益は、昭和二九年は六四〇、〇〇〇円、翌三〇年は八七〇、〇〇〇円、翌々三一年は一、二五〇、〇〇〇円と躍進の一途にあつた。
忠義の事故当時の年令は満四八才であつたから、昭和二九年七月厚生省が発表した第九回生命表によると、その平均余命は二二、八八年である。そこで忠義の昭和三一年度の収入から、同人の年間生活費一八万円を控除した額に前記余命年数を掛けた金二四、四八一、六〇〇円が同人の得べかりし利益であつて同人は同額の物質的損害を蒙つたものであり、この金額からホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した金一五、六〇〇、〇〇〇円を一時に被告に対し請求できるわけである。また、忠義は事故によつて頭部とか脳実質が壊滅散乱し血液が多量点撤するという無惨な死を遂げたのであるが、その死亡の態様及び前記諸般の事情を斟酌し、忠義の蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料として一、二〇〇、〇〇〇円を請求し得る。以上合計一六、八〇〇、〇〇〇円が忠義の蒙つた損害額である。
五、原告岡田登与子は忠義の妻であり、原告岡田敬子は同人の長女(一人子)である。従つて忠義の死亡により相続分に応じ、原告登与子は五、六〇〇、〇〇〇円の、原告敬子は一一、二〇〇、〇〇〇円の損害賠償請求権をそれぞれ承継した。
六、原告登与子は大正元年一一月二三日に生れ、昭和三年三月女学校を卒業し、同八年忠義と婚姻し、専ら内助の功をつくし、本件事故当時満四四才であつた。原告敬子は昭和三二年三月東京女子大学文学部英文科を卒業したものであるが、本件当時満二二才であつた。原告両名の資産は忠義から相続により取得した前記店舗二二坪五合五勺、二階二一坪があるほか動産類がある。これらの事情を考慮し、原告両名は忠義の死亡によつて蒙つた甚大なる精神的苦痛に対する慰藉料として被告に対し各一、〇〇〇、〇〇〇円を請求し得る。
七、原告登与子は忠義の分相応の葬式のための通信費、新聞広告費、飲食費、葬儀屋代、タクシー代、火葬場謝礼、立飯代、自動車代、僧侶への礼、写真代、炭代、墓地代、仏具代、雑費、香奠返し、及び医薬代(死亡時)等の費用を要し、その合計は三六万円であつたから、同金額は被告が原告登与子に対して賠償すべきである。
八、また原告登与子は本件事故によつて損壊したスクーターの修理費として五〇、〇〇〇円を支払つたのでこれも被告が賠償すべきである。
九、以上合算すると、原告登与子は七、〇一〇、〇〇〇円、原告敬子は一二、二〇〇、〇〇〇円の損害を蒙つたわけであるが、原告両名は自動車損害賠償保障法による保険金三〇〇、〇〇〇円および被告からの香奠として金一〇、〇〇〇円を受け取つたので、これを控除した残額のうちから、原告登与子は(一)第七、八項の損害、(二)相続した慰藉料、(三)固有の慰藉料、(四)得べかりし利益の喪失の順序で金四、〇〇〇、〇〇〇円および内金三、〇〇〇、〇〇〇円については訴状送達の日の翌日たる昭和三二年五月一七日以降、内金一、〇〇〇、〇〇〇円については請求拡張申立書送達の日の翌日たる同三四年七月一八日以降それぞれ完済まで年五分の割合による遅延損害金を、原告敬子は右(二)(三)(四)の順序で金六、〇〇〇、〇〇〇円および内金五、〇〇〇、〇〇〇円については訴状送達の日の翌日たる昭和三二年五月一七日以降、内金一、〇〇〇、〇〇〇円については請求拡張申立書送達の日の翌日たる同三四年七月一八日以降それぞれ完済まで年五分の割合による遅延損害金を被告に対し支払を求める。被告の抗弁事実は否認する。と述べた。
立証(省略)
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め答弁として、本件事故のあつたこと、訴外雁昭市が被告会社の被用者であること、本件事故は同訴外人が被告会社の事業に従事中に起したものであること、亡忠義が畳表およびその材料の卸、小売商であつたこと、原告登与子は亡忠義の妻であり、原告敬子は同人の長女(一人子)であつたことはいずれも認める。その余の事実はすべて争う。また忠義の得べかりし利益であると原告の主張するところのものは忠義の個人的能力に基く収益以外のものを含めた全営業収益であつて、忠義の死亡によつてこれを全部喪失したことにはならない。と答え、なお本件事故は不可抗力により生じたものであるが、かりに本件事故が不可抗力でなく雁の過失によつて生じたとしても、亡忠義に次の様な過失があつたので過失相殺を主張する。即ち亡忠義は雁の運転する自動車に酔つぱらいの態で飛び込んで来たものである。一方雁は本件十字路の手前約一〇〇米の地点で道路の中央から約一米左寄りを走つている忠義を認め、これを追越すため道路の中央へ出て警音器を鳴らしながら距離を縮めて行き十字路の手前約二〇米の地点で追越そうとした。この場合後車は警音器を鳴らしているのであるから、忠義は後車に道路を譲るべきであつたのに譲らず、又右折する場合明確に方向転換の合図をしてから交叉点で一旦停車又は徐行し、又は安全を確めた上右折すべきであつたにもかかわらず漫然上とも左とも判らない手の挙げかたで道路の右側へ斜に飛び込んできたために、本件事故が発生したものである。と述べた。
立証(省略)
理由
亡岡田忠義が昭和三二年二月一四日午後四時ごろ都窪郡吉備町庭瀬三一六番地先岡山倉敷国道交叉点附近をスクーターにて進行中、訴外雁昭市の運転する普通貨物自動車にスクーター後部を突き当せられて路上にはね飛ばされ、よつて頭蓋骨粉砕により即死したことは当事者間に争いがない。
そこでまず本件事故が雁の過失によつて生じたものかどうかについて考えると、成立に争いのない甲第四、同第七ないし第九号証ならびに証人繩鉄雄の証言を綜合すると、雁は事故のあつた交叉点の約一二〇米倉敷寄りの地点の道路中央を時速四二、三粁で東進中前方約二〇米の道路中央より一米左寄りの地点を時速三〇粁で同一方向にスクーターで進行中の亡忠義を認めたが、そのまゝの速度で進行を続け、交叉点の手前約三〇米の地点に到つて右スクーターを追い越そうと思い二、三回警笛を鳴らしたところ、忠義が左手を挙げて合図をしたが、それがいかなる合図であるかも確かめず漫然同一速度で進行し、スクーターの後方五米に接近したとき、スクーターが進路を右に寄せたため、雁は狼狽の余りブレーキをかけることもハンドルを切ることも忘れてしまい、自動車前部のバンバーをスクーター後部に突き当てて右忠義を路上にはね飛ばし、よつて同人を即死させたことが認められる。
およそ自動車運転者たるものは、交叉点の手前で先行車を認めた場合、先行車がいついかなる方向に転換するかも知れないので、速度を落し、場合によつてはいつでも急停車できるようにする義務、前車が何等かの合図をした場合、それがいかなる合図かを確かめる義務、交叉点においては追越をしない義務、衝突しそうになつた場合ブレーキをかけ、ハンドルを切る義務並びに前車が右折の合図をして道路中央に寄つた場合にこれを妨害しない義務等高度の業務上の義務を課せられていることは勿論のことであるが。前記認定事実によれば、雁がこれらの義務をすべて怠つた過失が重要な原因となつて本件事故が発生したものと認められるのであつて後記の如き被害者側の過失があるにしても、右事故発生が雁にとつて不可抗力であつたとはいえない。
しかして、右事故は雁が被告の被用者として被告の事業の執行中に生じたものである。ことは当事者間に争いがないから、雁の前記不法行為による損害については被告はその使用者としてこれを賠償する責任のあることは明白である。
そこで、本件事故により発生した損害額について検討する。
(一) 忠義の得べかりし利益の喪失額。亡忠義が畳表及びその材料の卸、小売商を営んでいたことは当事者間に争いなく、成立に争いのない甲第一〇号証の記載によれば、同人の営む岡田商店の営業収益は昭和二九年度は六五五、三〇〇円、昭和三〇年度は八七〇、二六〇円、昭和三一年度は一、二五二、八四三円であることが認められる。そこで右三十年の平均値をとつて岡田商店の年間営業収益を九二六、一三四円と見積るのを相当とする。一方成立に争のない甲第一五号証及び証人平松米子の証言(第二回)によれば同店の昭和三三年度の営業収益は二〇三、八一八円であることが認められる。これは前記原告本人尋問の結果により認められる原告等が商売に全く不馴れであつた事実を考慮すると、専ら、忠義の個人的手腕を除外した岡田商店という物的設備並びに人的組織によつてもたらされた収益とみることができるので、忠義の死亡による得べかりし年間営業収益の喪失は、右両者の差額七二二、三一六円と見積るのを相当とする。そして更に、忠義の年間生活費については原告は一八万円と主張し被告は特段の主張をしないので、これを一八万円として、これを右得べかりし営業収益から差引いた五四二、三一六円が忠義の死亡による得べかりし年間利益の喪失額であることになる。しかして、成立に争いない甲第一号証によれば、忠義が明治四一年一一月一日生であることが認められる、従つてこれを基準額として第九回生命表修正表により推算される忠義の余命年数二二・八年間の得べかりし利益を前記事故日に一時に受領すべき金額に換算するためホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して計算すると五、七七七、九四六円となる。
(二) 忠義の精神的損害。忠義自身の蒙つた精神的損害額については、前示認定の死亡の態様、営業状況等諸般の事情を考慮し一〇万円と認める。
(三) 原告等の固有の精神的損害。原告両名の蒙つた精神的損害額については、前示認定の忠義の死亡の態様、原告登与子本人尋問の結果により認められる二四年に及ぶ婚姻の継続の事実、忠義の死亡が原告敬子の大学卒業直前であつた事実、家業に対する原告等の未経験、弁論の全趣旨によつて認められる被告から金一万円の香奠が提供された事実等、諸般の事情を考慮し、各七万円と認める。
(四) 葬式費用及び医薬代。葬式費用及び医薬代については証人平松米子の第一回証言及び同証言により真正に成立したと認められる甲第一一号証の記載によれば、原告登与子は忠義の死亡時の医薬代及び葬式に関連して合計三五二、九三五円の支出をしたことは認められるが、そのうちには葬式費用として不相当と認められる香奠返し(九四、三八〇円)及び墓地代(五六、七〇〇円)、仏具代(八、一〇〇円)が計上されているので、これを除外した合計一九三、七五五円が医薬代及び葬式費用として損害額に計上されるべきである。
(五) スクーターの損害。スクーターの損害については、証人小方靖二の証言及び原告登与子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、本件事故による忠義所有のスクーターの損害額は五万円であつた事実が認められる。
次に過失相殺の抗弁について検討する。被告は忠義が酔払い運転の態で飛び込んできたと主張するが、その事実を認めるに足る証拠はない。然し、前示認定の交叉点右折の場合に、忠義に優先通行権があるにしても忠義自身にもなお右折の方向指示を明確にし且つ後車に注意して道路中央に進路を寄せるべき義務はあるのであつて、成立に争のない甲第四、八、九号各証によれば交叉点中心から約二〇米手前の地点で忠義が左手を上か横かはつきりしない恰好であげ、更に後車が警音器を鳴らしたにも拘わらずこれを無視して突然進路の中央に寄つてきたことが認められ且つその点も事故の一因をなしていることが明らかであるから、本件事故については忠義自身の過失も一斑の寄与をなしているものと謂うべきである。従つてこの点を被告の損害賠償責任額を算定するにあたり考慮すると、その額は発生損害額の三分の二に減じて然るべきである。
ところで、原告登与子は忠義の妻であり、原告敬子は忠義の一人娘であることは当事者間に争いがないから、前記損害額中、原告登与子は(一)(二)(五)の各三分の一(相続分)に(三)(四)を加えた額の三分の二(過失相殺による減額率)である一、四九三、一五八円を、又原告敬子は(一)(二)の各三分の二(相続分)に(三)を加えた額の三分の二(過失相殺による減額率)である二、六五九、〇八七円を、夫々被告に対し請求しうべき筋合であるが、原告等は自動車損害賠償保障法に基く保険金三〇万円を損害賠償金として受領済みであることは、原告等の自認するところであるから、右金額を各相続分に応じて右請求しうべき金額から夫々差引き、結局原告登与子は、一、三九三、一五八円を、原告敬子は二、四五九、〇八七円を、夫々被告に請求しうるものと謂うべきである。
よつて原告等の各請求は、右各金額及びこれらに対する本訴状送達の日の翌日であること記録上明白な昭和三二年五月一七日以降完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれらを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、各適用し、主文のとおり判決する。