岡山地方裁判所 昭和43年(ワ)679号 判決 1977年2月28日
原告
近藤英夫
被告
玉野青果株式会社
主文
被告らは原告に対し、連帯して金三〇〇万円およびこれに対する昭和四〇年九月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。
この判決は、原告が被告玉野青果株式会社のため金三〇万円の担保を供したときは、同被告に対し仮に執行することができ、被告森澄生に対しては担保を供しないで仮に執行することができる。
ただし、被告玉野青果株式会社が金一〇〇万円の担保を供したときは、右仮執行を免れることができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
1 主文一、二項と同旨
2 仮執行の宣言
二 被告会社
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
三 被告林
1 原告の請求を棄却する。
第二当事者の主張
一 原告の請求の原因
1 原告は、昭和四〇年九月二〇日午前六時二〇分ころ岡山県玉野市玉六丁目三番一九号(旧二五六一番地)先道路上を第二種原動機付自転車(以下原告車という。)を運転して進行中、右道路と交差する道路から右折進行してきた被告会社従業員被告森の運転する同会社所有の貨物自動車(以下被告車という。)に衝突され、同所に転倒し、左股関節完全脱臼、骨盤骨折兼左膝関節外傷性強直症の傷害を受けたものである(以下右交通事故を本件事故という)。
2 原告は、右傷害の治療のため本件事故当日の昭和四〇年九月二〇日から同四一年四月二三日まで玉野赤十字病院に入院し、同年四月二四日から同年七月二〇日まで(内治療実日数一〇日)同病院に通院し、同年一一月九日から同四二年九月三日まで倉敷第一病院に入院し、その後毎年一定期間同病院に通院して治療を受けている。
原告は、左下肢が約五センチメートル短縮し、左股関節はごく軽度の可動性は残しているが殆ど強直に近く、左膝関節は伸展一六五度位で強直していて歩行および運動障害を残しており、この状態は今後改善の見込みはないとされている。このような状態で就業能力は殆どなく、昭和四四年一一月一八日身体障害者等級第三級と認定せられ手帳が交付されている。
3 被告会社は、本件事故当時自己のために被告車を運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条により、原告が本件事故により蒙つた後記損害を賠償する義務がある。
4 本件事故は、被告森の運転未熟とその進行方向である右側の安全不確認による事故であつて同被告の過失に起因するものであるから、被告森は、民法七〇九条により、原告が本件事故により蒙つた後記損害を賠償する義務がある。
5 原告は、本件事故により次のとおり損害を蒙つた。
(一) 逸失利益 四二〇万二九五三円
原告は、本件事故当時三井造船株式会社に勤務していたが、昭和四七年三月五日満五七歳で定年退職した。本件事故前は現場の作業員であつたが、約二年間休業し、その後前記のような後遺症を残した体で倉庫番のような仕事を続け定年を迎えたものであるが、満五七歳の男子の就労可能年数は一〇年であり、原告の昭和三九年の収入年額は六六万九六二八円であるから、定年後も少なくとも右金額の収入を得ることができた筈である。前述のように原告の後遺症からみればその労働能力は全廃に等しいが、きわめて控え目に判断し後遺障害等級表第五級により一〇〇分の七九とすれば、その失つた損害は四二〇万二九五三円となる。
(二) 慰藉料 三〇〇万円
原告の受けた傷害の部位とその程度、その治療の状況ならびに終生改善される見込みのない後遺症状よりみて、原告の本件事故により受けた肉体的精神的苦痛は少なくとも三〇〇万円を下るものではない。
6 よつて原告は被告ら各自に対し、以上損害合計七二〇万二九五三円の内金三〇〇万円およびこれに対する不法行為の日の翌日である昭和四〇年九月二一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する被告会社の答弁
1 請求の原因1の事実中、原告がその主張の日時場所において当時の被告会社従業員被告森の運転する被告会社所有の被告車と衝突し負傷したことは認めるが、その余は知らない。
2 同2の事実は知らない。
3 同3の事実は否認する。
4 同5の事実は知らない。
三 請求の原因に対する被告森の答弁
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2の事実は知らない。
3 同4の事実は認める。
4 同5の事実は知らない。
四 被告会社の抗弁
1 運行供用者離脱の抗弁
被告会社は本件事故当時運行供用者としての地位を離脱していた。
すなわち、本件事故は、被告森が被告会社の業務外において運転中に惹起した事故であるが、被告森は被告会社に無断で被告車を無免許運転したものである。被告会社としては、被告森が被告会社の車両を運転することを容認したことは一度もなく、また被告会社代表者において「無免許の者は運転するな。」と常に注意をなしていたものであり、しかも本件の場合には被告会社が机の中に保管中の車のキーを宿直であつた被告森が勝手に持ち出したものである。
右のような場合においては、被告会社は、本件事故当時被告車に対する運行支配、運行利益のいずれをも失つていたというべきであり、運行供用者としての地位を離脱していたものである。
2 過失相殺の抗弁
仮に本件事故について被告会社に責任があるとしても、本件事故の発生については原告においても前方不注意の過失があるから、被告会社としては過失相殺の主張をする。
五 被告会社の抗弁に対する原告の答弁
被告会社の抗弁1、2の事実は否認する。
第三証拠関係〔略〕
理由
一 (本件事故の発生と原告の傷害)
請求の原因1の事実は、原告と被告森との間では争いがなく、原告と被告会社との間では、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一、第二号証、いずれも成立に争いのない甲第三号証の一、二、同第四ないし第七号証、原告および被告森各本人尋問の結果により、これを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、請求の原因2の事実は、全当事者の間で、前掲甲第一、第二、第五号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第八、第九号証、原本の存在およびその成立に争いのない甲第一一号証の一、二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと推認しうる甲第一二、第一三号証により、これを認めることができ(なお、請求の原因2の後段の症状が固定した時期については遅くとも原告が倉敷第一病院を二回目に退院した昭和四三年六月初めころと推認するのが相当であり、後記損害計算の都合上、右時期を同年六月五日とする。)、右認定を覆すに足りる証拠はない。
二 (被告会社の責任)
前掲甲第六、第七号証、いずれも成立に争いのない乙第二ないし第七号証、証人臼本洋二、同三枝利泰、同村上真理子、同常井正の各証言および被告森本人尋問の結果(以上の各証拠中、後記措信しない部分は除く。)を総合すれば、次のように認められる。
被告森は、本件事故の日より約三か月前の昭和四〇年六月ころから被告会社に自動車運転助手(具体的には、自動車に同乗して仕入先等に赴き荷の積下し作業を手伝う仕事をしていた。)兼雑役として勤務していたもので、本件事故当時被告会社の従業員であつたこと、被告会社は、本件事故当日より二、三日前に高松市内の笠井商店から蓮根を買受けたい旨の注文を受けたので、右蓮根を生産業者小松原から仕入れたうえ、これを注文主に輸送する手筈になつていたこと、右小松原は、本件事故当日の早朝、右蓮根を自動車に積んで被告会社に届けて来たので、当日宿直であつた同社の従業員臼本洋二は、自動車の運転免許を有していなかつたところから、かねて同社の代表取締役社長であつた常井正から指示されていたとおり、入荷した蓮根を直ちにフエリーを利用して高松市内の注文先に輸送するため、右小松原に依頼して右蓮根を被告会社で下さず自動車に積載したまま宇野港のフエリー乗場まで運搬して貰うべく、小松原運転の自動車に同乗して被告会社を出発したこと、被告森は、本件事故の前夜たまたま被告会社の宿直室に泊つたが(平常の場合は午前八時に出勤していた。)、前夜同社社長から「明日小松原が来たら渡してくれ。」と言われて頼まれていた封筒入りの書類(これは、いわゆる送り状であつたと思われる。)を小松原に手渡すのを忘れたことに気がつき、右書類を小松原に届けようと思い立ち、被告会社に無断で、同社構内に駐車してあつた以前運転練習をしたことのある同社所有の普通貨物自動車(被告車)を運転して宇野港のフエリー乗場に向け出発したこと(ちなみに、エンジンキーは被告車に差し込んだままになつていたのか、被告森が被告会社事務所内の車両主任谷川登の机の引出に保管されていたのを取り出して使用したのか、判然としない。)、被告森は、当時自動車の運転免許を有しておらず、またその運転技術も未熟であつたので、安全に対する配慮から、幅員が狭く交通量の多い旧道の藤井通りを避け、幾らか迂回することになるが幅員の広い新しい県道を利用して目的地に赴こうと考え、被告会社から走行時間にして約数分、走行距離にしてもそれほど遠くない本件事故現場まで来たものの、同所で遂に本件事故を惹起するに至つたものであること、本件事故当時、被告会社には四台の車両があり、運転手が早出勤務に備えて自動車を自宅に持ち帰る場合は別として、通常は会社構内に駐車し、エンジンキーは車両主任係であつた谷川登が机の引出に入れてこれを保管していたが、従業員が右エンジンキーを無断で引出から持ち出し、同社所有の車両を勝手に私用運転することは容易にできうる状況にあつたこと、被告森は、本件事故以前にも二、三回被告会社の近辺等において同社に無断で同社所有の車両を使い運転練習をしたことがあつたこと、当時被告会社の社長であつた常井正は、平素から同社の従業員に対し運転免許を有しない者は自動車の運転をしないよう注意を与えていたこと、
以上の事実が認められ、前掲乙第三、第五号証、証人臼本洋二、同三枝利泰、同村上真理子、同常井正の各証言および被告森本人尋問の結果中、右認定に反する部分は容易に措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
以上の認定事実、特に本件事故を惹起した被告車が被告会社の所有であり、これを運転した被告森が同社の従業員(運転助手兼雑役)であつたこと、被告森が被告車を運行していた目的、被告会社における被告車およびそのエンジンキーの管理状況、被告会社から本件事故現場に至るまでの運行時間ないし運行距離、被告森が以前にも被告車を無断使用運転したことがあつたこと等の事実に照らせば、被告森が平素被告会社から同社所有の車両を無免許運転しないよう注意を受けていたにもかかわらず同社に無断で被告車を無免許運転したものであつたとしても、被告会社は本件事故当時被告車の使用についての支配権を有し、かつ、その使用による利益を享受していたものというべく、したがつて自動車損害賠償保障法三条にいう「自己のために自動車を運行の用に供する者」にあたるものといわなければならず、被告会社が右運行供用者としての地位を離脱していたものとはとうてい認められないから、被告会社主張の運行供用者離脱の抗弁は採用できない。
したがつて、被告会社は、自動車損害賠償保障法三条により、原告が本件事故により蒙つた後記損害を賠償する義務がある。
(ちなみに、仮に被告森による被告車運転の目的が被告会社代表取締役から依頼されていた書類を届けに行くためではなく、単に私的な運転練習の目的にすぎなかつたものとしても、その点を除く前認定のような事実にかんがみるときは、その場合でも被告会社は運行供用者としての責任を免れることはできないものと考える。)
三 (被告森の責任)
請求の原因4の事実は、原告と被告森との間で争いがなく、同事実によれば、被告森は、民法七〇九条により、原告が本件事故により蒙つた後記損害を賠償する義務がある。
四 (原告の損害)
(一) 逸失利益
前記一の認定事実に、成立に争いのない甲第一〇号証、原告本人尋問の結果を合わせれば、原告は、本件事故当時満五一歳(大正三年三月五日生)の健康な男子で、三井造船株式会社玉野造船所に機械工として勤務していたものであること、原告の昭和三九年一か年間における給与所得は六六万九六二八円であつたこと、ところが原告は、本件事故による傷害により、昭和四〇年九月二〇日から同四一年四月二三日まで七か月と四日間玉野赤十字病院に入院したため、その間休業を余儀なくされたこと、原告は、同病院を退院後約一か月間自宅療養をしたのち松葉杖をつきながら右会社に出勤し、工具類の管理(工具類の貸出等に関する記帳)の仕事に従事したこと、原告は、本件事故による傷害により機械工から右仕事に変つたため、同事故前と比べて幾分減収になつたこと、原告は、さらに同年一一月九日から同四二年九月三日まで九か月と二六日間倉敷第一病院に入院したため、その間休業を余儀なくされたこと、原告は、同病院を退院後体力をつけるため約三か月間自宅療養をしたのち、膝関節の手術をするため約六か月間再び同病院に入院し、その間休業を余儀なくされたこと、原告は、右入院療養期間中労災保険により平常の給与の六割に相当する金額の支給を受けたこと、原告は、右病院を退院後前記会社に出勤し、工具類の管理の仕事に携わり、退職前三年間は嘱託として勤務し昭和四七年四月満五八歳の定年により同社を退職したこと、原告は、右退職後自宅で約一年間ぶらぶらしたのち、昭和四八年四月から同社の下請工場である田之村鉄工所に勤務し、主として工具類の管理をし、その間箱詰作業等の軽作業に就き、残業分を含め昭和四八年当時で月平均六万円、昭和五〇年当時まで月平均七、八万円の給与を得ていたこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
ところで、原告は、前記一で認定のとおり昭和四三年六月五日の時点で(1)左下肢が約五センチメートル短縮し、(2)左股関節はごく軽度の可動性を残しているが殆ど強直に近く、(3)左膝関節は伸展一六五度位で強直しているといつた内容の後遺障害を残したが、右(1)は自動車損害賠償保障法施行令別表に定める後遺障害等級第八級の五(一下肢を五センチメートル以上短縮したもの)、(2)は同第八級の七(一下肢の三大関節中の一関節の用を廃したもの)に該当するものと認められる。これによれば、原告は、後遺障害等級第八級に該当する身体障害が二以上あることになるので重い方の障害三級を繰上げると、同第五級に該当することになるが、原告の職種、身体の状況、後遺障害を残した後の現実の稼働状況および収入額等に照らして考えると、原告は、控え目にみて約七〇パーセントの稼働能力を喪失したものと認めるのが相当である。また、厚生省第一二回生命表によると満五一歳の男子の平均余命年数は二二・一七年であること、原告の本件事故直前の健康状態等に照らして考えると、原告は、本件事故に遭遇していなければ、少なくとも満六六歳に達した後の昭和五五年六月五日までは稼働可能であつたものと推認するのが相当である。
そうすると、原告は、本件事故により、本件事故の日から症状固定の日の前日である昭和四三年六月四日までの間の休業損害として、年額六六万九六二八円の四割相当分(労災保険給付を控除した残額)の休業期間合計二年三か月分、六〇万二六六五円(一円未満切捨)の損害を蒙つたものというべきである。また、原告は、本件事故により、症状固定の日である昭和四三年六月五日以降における稼働能力喪失による逸失利益として、同日以降三井造船株式会社を退職した昭和四七年四月初めころまで、およびそれ以降原告の稼働可能年限と推認される前記昭和五五年六月五日までの間は毎年少くとも年額六六万九六二八円の七〇パーセントに当たる四六万八七三九円(一円未満切捨)の得べかりし収入を失つたものと認めるべく、右逸失利益につきホフマン方式により年五分の中間利息を控除して起算時の昭和四三年六月五日当時の現価を算出すると(ただし、一二年のホフマン係数九・二一五一を乗じた。)、四三一万九四七六円(一円未満切捨)となる。
したがつて、原告は、本件事故により、逸失利益として、昭和四三年六月五日の時点で合計四九二万二一四一円の損害を蒙つたものと認められ、右損害につき、さらにホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して昭和四〇年九月二〇日当時の現価を算出すると(ただし、ホフマン係数〇・八六九五を乗じた。)、四二七万九八〇一円(一円未満切捨)となる。
(二) 過失相殺
前掲甲第三号証の一、二、同第四、第五号証、原告および被告森各本人尋問の結果によれば、本件事故現場は、同現場付近に狭く限定すれば概ね東西に走る(ただし、同現場より東側に進むにつれて北方向にカーブし上り勾配になつている。)県道と概ね南北に走る(ただし、右県道より南側は幅員約一三メートルの道路、北側は幅員約七メートルの砂利道になつている。)道路(以下南北路という。)とがほぼ直角に交わる玉六丁目交差点(以下本件交差点という。)の付近であること、県道より南側に当たる南北路の本件交差点の手前では民家等のため特に県道右方に対する見とおし状況が悪くなつていたこと、被告森は、本件事故直前、被告会社所有の普通貨物自動車(被告車)を運転し南北路を北上してきて本件交差点に差しかかり、同交差点を右折すべく、その手前で一時停止したが、前記砂利道の入口辺りにいた自転車に乗つた人に気をとられ、進行方向である県道右方に対する安全を十分に確認しなかつたため、県道右方から本件交差点に向けて接近してくる原告運転の第二種原動機付自転車(原告車)に気付かず、本件交差点に接近してくる車両はないものと軽信し、ギアをローに入れて発進し時速約二〇キロメートルに加速して同交差点角の近くを早廻り右折したところ、県道右方から接近してくる原告車を数メートル目前に認めて慌てて急停車の措置を講じたが間に合わず、本件交差点のすぐ東外側県道上で原告車の左側および原告の左下肢等に自車の右前部を衝突させたこと、他方、原告は、その息子がしていた牛乳配達のアルバイトを手伝うため、原告車の荷台に牛乳箱を積み同車を運転して帰宅途中であつたこと、原告は、早朝のため他に走行車両がなかつたところから時速約四〇キロメートルで県道の下り坂を進行していたが、本件交差点の手前の南北路上で停車している被告車の屋根部分を約一〇〇メートル手前で既に認めていたこと、しかし、被告車が停車していたため気を許し漫然同一速度のまま本件交差点に向けて進行してきたところ、突然被告車が右折進行してくるのを近接して初めて発見し、慌ててハンドルを右に切つたものの急ブレーキをかける暇もなく、県道のほぼ中央付近で被告車の右前部に衝突されたこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
以上の認定事実によれば、本件事故は、被告森の進行方向である県道右方に対する安全不確認の過失によることは明らかであるが(原告と被告森との間では、この点は当事者間に争いがない。)、他方、原告としても、本件交差点手前で被告車が停車しているのを相当早くから認めており、被告車が原告車より先に右折を完了しようとして本件交差点に進入し県道上に進出してくることは十分に予想できたのであるから、あらかじめ適宜減速するなどして未然に事故の発生を防止すべき注意義務があつたのにこれを怠り、漫然同一速度のまま進行した点で過失は免れないものというべきである。そして、原被告の過失の内容、程度を比較対照するときは、双方の過失割合は原告側二に対し、被告側八であると認めるのが相当である。
したがつて、前記(一)の逸失利益による損害額につき二割の過失相殺をすると、三四二万三八四〇円(一円未満切捨)となる。
(三) 慰藉料
以上認定のような原告の本件事故による傷害の部位・程度、入通院期間、後遺障害の部位・程度、本件事故の態様その他本件にあらわれた諸般の事情をしんしやくするときは、原告が本件事故により受けた精神的苦痛を慰藉するには、原告主張の金額の範囲内で金三〇〇万円をもつて相当であると認める。
五 (結論)
以上の次第で、被告らは原告に対し、以上損害合計六四二万三八四〇円のうち原告が本訴で請求している最高限度額金三〇〇万円およびこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和四〇年九月二一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるといわなければならない。
よつて原告の本訴請求は、すべて理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 竹原俊一)