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岡山地方裁判所 昭和47年(わ)244号 判決 1974年2月08日

被告人 栗原秀吉

昭一二・一・一三生 会社役員

主文

被告人は無罪。

理由

第一本件公訴事実の要旨

本件公訴事実の要旨は、主位的には

「被告人は、久留米市に本店を置く新日本衣料株式会社の代表取締役で、昭和三九年四月四日ころ、岡山市野田屋町一六六番地に同社岡山店を開店し、その経営に当つていた者であるところ、児島市味野二七番地において古谷被服名義で被服縫製販売業を営み、同年九月一〇日岡山地方裁判所で破産宣告の言渡を受け確定した古谷一広(差戻前の第一審における分離前の相被告人)と共謀のうえ、自己等の利益を図る目的を以て、同年六月一五日、古谷が取引銀行の玉野信用金庫児島支店で合計二〇六万三、九五六円の不渡手形を出し支払不能に陥つた直後の同月一八日午後一〇時ころから翌一九日午前六時ころまでの間、右古谷方において、同人所有の作業ズボン等衣料品合計約一万二、〇〇〇点(四九五万七、五〇〇円相当)を被告人に対し約三割引の価額である三三九万九、一三〇円で譲渡する旨の契約を完結してその引渡を了し、もつて古谷の一般債権者の共同担保として破産財団に属すべき右衣料品を一般債権者の不利益に処分したものである」

というものであり、予備的には、

「被告人は、昭和三九年六月一八日ころ、古谷から同人が同月一五日その取引銀行である玉野信用金庫児島支店で為替手形二通(額面合計二〇六万三、九五六円)の不渡手形を出し、支払不能に陥つたので、たとえ倒産するに至つたとしてもこの際在庫商品等を隠匿して後日の再興を図るにしかずと決意したことを打明けられ、ここに古谷と共謀のうえ、自己及び古谷の利益を図り、古谷被服の債権者を害する目的をもつて、同月一八日午後一〇時ころから翌一九日午前六時ころまでの間、古谷所有の衣料品合計一万二七四点(四七〇万四、七六〇円相当)をあたかも三割引で売買したかのように仮装して右古谷方から新日本衣料岡山店に引取り、もつて右古谷の一般債権者の共同担保として破産財団に属すべき右衣料品を隠匿したものであり、同人は同年九月一〇日岡山地方裁判所で破産宣告を受け確定したものである」

というものである。

第二売買契約の成否についての当裁判所の判断

本件において、古谷と被告人との間の衣料品の引渡行為が、弁護人の主張するように単に売買契約に基づく契約の履行としてなされたものにすぎないものであるか、差戻し前の第一審判決(以下、単に原判決という。)が認定するように、売買を仮装した隠匿行為(予備的訴因)であるかが中心的な争点となつているうえ、検察官も主位的には両者間に売買契約が結ばれ、これに基づいて衣料品の引渡しがなされたことをもつて一般債権者に対する不利益処分にあたると主張するものであり、弁護人のその余の主張も、売買契約の成立をその立論の論理的前提とするものであるから、まず売買契約の成否を明らかにする必要がある。

一件資料によると、本件売買契約の成立については、原判決が指摘するようにいくつかの疑点がないわけではない。しかしその疑点も売買契約の成立そのものを否定するほど決定的なものとは考えられず、本件衣料品の引渡行為が売買を仮装した隠匿行為であるとすると、かえつて合理的な説明のつけようのない疑問が残らざるを得ない。

たしかに、六月一五日以前の時点で、古谷と被告人間であらかじめ在庫商品の種類、数量を指定し、六月一五日に代金の支払と引換えにその引渡しをする旨の売買契約がすでに成立していたという被告人らの主張には疑問があり、これを認めることはできないが、両者間に在庫商品のうち約四―五〇〇万円相当の衣料品を平常の取引価格の三割引で一括購入する旨の合意があつたことは否定し得ず、本件衣料品の引渡行為は右契約に基づくその履行としてなされたものと解するのが相当である。

以下、その理由の要旨を述べる。

一  原判決の指摘する売買契約の成立に対する疑点の検討

1  古谷の一括売買の動機について

被告人の主張によれば、古谷が、在庫商品の一括売買を決意したというのは、仕入先の児島綿業株式会社に対し、資金繰りが苦しいので、仕入原反の買戻しを申し入れたところ、同社専務取締役横田毅から、在庫商品を一括廉売し、それによつて資金を調達するようにと示唆されたことによるものであり、またその代金として受取る手形でもつて、児島綿業に対する債務の支払として振出した九月満期の支払手形と手形さしかえができると予想していたからであるというのである。

これに対し、原判決は、横田は「昭和三九年五月頃には、古谷から、資金繰りが苦しいので原反を買戻してくれとの申入れを受けたことはなく、又、古谷に対し、一括廉売による資金調達の方法を示唆したこともない。従つて、又、児島綿業と古谷との間で手形さしかえを約束していないし、古谷から手形さしかえの申出もないというのであり、右事実を全面的に否定する旨供述している上」「さしかえ用の手形を入手した古谷が、それを利用する努力をしていないことに徴し、古谷が横田から在庫商品の一括廉売の示唆を受けたかどうか、」は「極めて疑わしいうえ児島綿業と手形さしかえをするために新日本衣料の手形を取得する目的で一括売買を決意したということも極めて不自然である。」というのである(原判決理由第四、二(一)参照)。

しかし、

(一) 古谷は、従前から資金繰りの面で計画性に乏しく、玉野信用金庫児島支店(以下、単に玉野信用金庫という。)等の取引銀行との手形割引契約による割引限度額を限度まで使つてしまい、満期に手形を決済できないというようなことがしばしばあり、これまでも取引銀行に頼んで手形の満期を延ばしてもらつたり、手形割引の保証人である児島綿業の横田専務から融資を受けるなどして急場を切りぬけてきた。

(二) したがつて、古谷が、大量の在庫商品及び原反をかかえこみ、六月一五日満期の額面合計約三三〇万円の支払手形の決済に窮した際、その資金繰りのため、横田に対し原反の買戻しを依頼するということは十分考えうることであり、また、これに対し横田が手前勝手であるとしてこれを拒絶し、在庫商品の一括廉売を勧めたというのも、ごくありうることのように思われる。

(三) ところで、横田は、古谷が支払不能となつて出奔したあと、古谷が被告人に引渡した本件衣料品などを被告人の店から実力で奪い返えして以来、いわば両者の仲は敵対関係にあり、とくに横田の右証言当時には、両者間に損害賠償訴訟が係属中であつた。

ことなどをあわせ考えると、敵性証人である横田の右証言は必ずしも信用できず、古谷が横田の示唆で在庫商品の一括廉売を企図したということは十分首肯しうることと言えよう。

ただ古谷がせつ角さしかえ用の手形を入手しながら、これを利用する努力をした形跡の全く認められないのはたしかに疑問の存するところである。

しかし、この点も

(一) 古谷としては、当時六月一五日満期の前記手形が決済できないと不渡処分を受け倒産する危機に直面しており、当面その決済資金を作ることがまさに喫緊事であつたわけである。

(二) ところが、当時古谷が取引銀行の玉野信用金庫などで認められている手形割引の枠は、まつたくゆとりがなく、他からの受取手形の割引もすでに容易でない状況にあつた。

(三) また、古谷が被告人から六月一五日に入手した手形は、その対外的信用性からみて、児島綿業がこれをさしかえ手形と認めてくれる見込みはあまりなかつた。ことなどをあわせ考えると、古谷としては、被告人から入手した手形をもつて九月満期の手形とさしかえするよりは、六月一五日満期の手形を決済することの方がはるかにさし迫つていたわけであるから、その資金繰りのため連日玉野信用金庫につめてその折衝に全力を傾け、手形のさしかえにまで手が廻わらなかつたとしてもあながち不自然ともいいえないように考えられる。

2  一括売買の折衝状況について

被告人の主張によれば、被告人は、当初手形取引をしないことなどを理由に古谷の申入れを拒否したが、その後、古谷から再三説得され、遂に、六月上旬ころ合計四―五〇〇万円相当の在庫商品を三割引で購入することとし、買掛債務の支払及び一括売買の代金として合計七〇〇万円のうち、一〇〇万円を現金で、残り六〇〇万円を手形で支払う旨約定したというのである。

これに対し、原判決は、

(一) 「被告人は、過去に不渡手形を出し、そのことが原因で倒産した経験があり、それ故、二度と手形取引はするまいと心に固く誓つていたという程で」もあるから、「たとえ、古谷に恩義」等があつたとしても「額面合計六〇〇万円もの手形をいとも安易に交付することは、より安全確実な取引を求める商人としては極めて不自然不用意な行動であるとみられても止むを得ない。」というのである(前同第四、二、(二)(2)(イ)参照)。

しかし、被告人は当初過去の苦い経験から手形取引はしたくないと再三断つたが、恩義のある古谷から強引に説得されて遂に拒み切れず、従来の「月半ば五〇万円、月末五〇万円」の支払限度内で、毎月月末満期の額面各一〇〇万円の延べ払いの手形を切ることにしたものであつて、これを決済することはこれまでの支払方法に比べて別段むずかしいことでもないのであるから、手形取引に踏み切つたことは、たしかに被告人の従来の方針に反するとはいえ、これをもつて安全確実な取引を無視したものとはいえず、また必ずしも原判決のいうような不自然、不用意な行動であつたとも認められない。

(二) また原判決は、「自己の支払手形の経済的、対外的不信用を充分認識していたと思われる被告人が、古谷においてそれを取引先の手形とのさしかえ又は手形割引に利用し、あるいは第三者に転々流通することとなるかも知れないことを知悉しながら、敢えて手形さしかえ又は手形割引用として支払手形を交付することを決意するに至つたというが如きは、自己矛盾も甚だしく極めて不自然であるという外はない。」という(前同(ロ)参照)。

しかし、被告人振出の支払手形が現実にさしかえや割引に利用できないとしても、これをどのように利用するかは被告人の関知するところではなく、被告人としては手形の満期日に、従来古谷に支払つていた現金と同額の資金で手形を決済すればことたりるわけであるから、被告人が古谷の執拗な懇請に応じ、手形取引に踏切つたことをもつて、必ずしも原判決のいうように「自己矛盾も甚だしく極めて不自然である」とも考えられない。

(三) さらに原判決は、「買掛債務のうち手形支払分の一〇〇万円については、本来、それは現金取引に基く債務であるから当然現金で支払われるべきものである。」しかも「古谷は、取引銀行での手形割引の極度額を超過しているために割引が困難な状況にあり、少しでも多くの現金を必要としていたので」あるから、「買掛債務のうち一〇〇万円を手形で支払つたということも解しがたいことといわなければならない。」という(前同(ハ)参照)。

しかし、古谷としては、前記のとおり六月一五日満期の手形を決済して不渡処分を免れるために、先々のことはとも角、当面少しでも多くの現金を得ようとして、一括売買に消極的であつた被告人に対し恩を着せるなどまでして強引に説得した末、ようやく被告人を承諾させたわけであるから、これまでよりもさらに負担の重い債務の支払方法を被告人に求めがたい事情にあつたものと認められる。

とすれば古谷としては、六月の月半ば五〇万円、月末五〇万円ずつの支払を受けるよりも、六月中(古谷の腹づもりとしては六月半ば)に現金一〇〇万円及び資金化の余地がないとはいえない手形六〇〇万円の交付を得た方が当面の苦境を乗り切る方策として望ましいと考えたとも推認でき、これをもつて原判決のいうように「解しがたい」とは必ずしもいえない。

3  商品の特定について

弁護人の主張によれば、被告人が六月八日ころ古谷方に赴き、古谷の倉庫内にはいつて直接商品を見たうえ、購入商品の種類及び数量を特定したといい、これに沿つた証拠もある。

しかし、この点は、原判決の指摘するように(前同(三)参照)、

(一) 「一括売買によるものとして現実に引渡がなされた商品は、極めて多種多様にして大量であり、価格は一定しておらず端額のものも多数存在するのである。このような商品につき」被告人のいうように注文書やメモ等によらず、「全くの目算でもつて、それぞれその原価を判定したうえ、その三割引の価格をも算出し、その合計額が約定の」価額「に相当するように商品を選定する」ことはいかにベテランの商人といえども中々むずかしい。

(二) しかも、「商品を特定するに際し、注文書等の書面に基かずに商品を特定したというのであれば、その商品につき、種類、数量等を書面上等に記載するとか、他の在庫商品から分離区別するとかの措置を講じて、出荷の際、他の商品との混同を避けるのが当然かつ必要と思われるが、何らそのような措置を講じた形跡がない。」

(三) また、「特定の具体的方法につき、被告人と古谷との供述は相互に矛盾し、その方法を確定することはできない」

(四) 古谷の検察官に対する昭和四〇年六月九日付供述調書によれば「品物の数量とか種類については結局私が全部まかされた事になつていました、」との供述記載がある。

(五) 「四―五〇〇万円の範囲で商品を指定した」というが、「現実に引渡がなされた商品は、三割引した価格の合計額では約三三〇万円相当のものにすぎず、右供述とは一致しない。」

(六) 「六月一二日、六月一六日の小口取引の事実に照らしても、六月八日、又は一二日に一括売買契約を締結したということは極めて疑わしい」

などの諸点をあわせ考えると、被告人がそのころ古谷の倉庫に入り、在庫商品を見たうえ、個々の商品につき買うかどうかを一応検討したかも知れないが、当時はまだ商品の種類及び数量の特定はなされておらず、これは、古谷の前記検察官に対する供述調書にあるように最終的には古谷にまかされていたものと認めるのが相当である。

4  代金の支払について

原判決は「古谷の検察官に対する供述調書によれば、古谷は、被告人から六月一五日には現金及び手形を受取る約定になつていたというのである。しかも、被告人が、古谷から六月一五日満期の手形を決済して当面の窮状を乗り超えたいとの要請を受けて、それに協力するということで一括売買取引をしたというのであるならば、被告人としては、当然六月一五日には約定の現金の支払ができるように準備しておくべきであるのに、古谷から代金支払い方の電話連絡を受けて急拠知人や親戚に依頼して現金を捻出したような有様であつて、現金支払いの約束があつたことすら疑問を抱かざるを得ない状態である。」というのである(前同第四、四(一)(イ)参照)。

古谷と被告人間に、原判決の指摘するように、代金の支払期限についてあらかじめ確約があつたとすれば、なぜ被告人が右期限にその準備をしていなかつたのかはたしかに疑問であるといえよう。

しかし

(一) 古谷の検察官に対する前記供述調書によれば「一五日には出来るだけ金を作つてくれと云つたのです。その結果五〇万だけはいつもの支払のように現金にしてその残りは出来るだけ金にするが出来ないものは一〇〇万円ずつの手形を切つてくれると云う事になつたのです」とあり、

また、被告人の検察官に対する昭和三九年一〇月五日付供述調書も「私に古谷は五〇万余分に都合してくれと申しました、それは私の方で一五日に現金で五〇万払う約束でしたがその他に五〇万を現金でくれと云う事で一〇〇万現金でほしいと云う事でした。それで私はそこまでは出来ないが努力すると云う事で話しがまとまつたのです」というのであつて、六月一五日に一〇〇万円を現金で支払うというものでなく、五〇万円以上はできるだけ現金を用意するという程度の約束であつたと認められる。

(二) ところが、六月一五日の朝、古谷から被告人に対し「集金の具合も少しわるいし、現金を五〇万円以上なるべくふやして欲しい」旨の電話による依頼があつたことも認められる。

(三) さらに、商品の引渡時期についても、六月一五日までという確定的な合意があつたとは認めがたく、六月一五日ころを目安になるべく早くするという程度のものであつたように認められ、また当時はまだ引渡すべき商品の特定もなされていなかつたわけである。

ことなどをあわせ考えると、右のように内容不確定な約旨のもとで、もともとこの取引に消極的であつた被告人が、あらかじめ現金を用意していなかつたこともあながち不自然とはいえず、いわんや、これをもつて契約の成立それ自体を疑わしめる証左とはなしがたいものといえよう。

5  新日本衣料株式会社と古谷との和解調書の作成について

原判決は、古谷と被告人が経営する新日本衣料との間に昭和三九年七月二八日成立した裁判上の和解について、「新日本衣料は、昭和三九年六月一七日当時の古谷に対する買掛債務総額中、一括売買による債務については、その商品を児島綿業株式会社等に強奪されたというのであるから、これを和解の対象とすることは相当であるとしても、その余の」「買掛債務約二七六万円は、強奪の有無及び損害賠償の如何にかかわらず当然支払わなければならない債務である。」にもかかわらず、これについて、「三〇万円のみを確実に支払えばよいとの和解をなしているのであつて、かかる曖昧不明確な和解がなされたこと自体極めて理解に苦しむものがあり、」「為替手形が真に一括売買代金として交付されたものではないとの疑いを強めるのである。」というのである(前同(二)参照)。

しかし、右の和解は、被告人が古谷の懇請により一括売買して商品の引渡を受けたところ、その直後に古谷が出奔してしまつたため、古谷の債権者である児島綿業等から右商品を含む約四〇〇万円相当の商品を実力で強奪され、そのため被告人経営の岡山店が営業不能で閉鎖を余儀なくされ、多大の損害をこうむつたとして、その原因を与えた古谷に対し買掛債務の減額並びにその支払猶予を求めたものであるから、被告人に対し多大の負目を感ずる古谷が和解の内容において大幅に譲歩したとしても、これをもつて売買契約の成立を云々することは必ずしも相当ではない。

二  本件衣料品の引渡行為が売買を仮装した隠匿行為とは認めがたい理由

1  仮装売買の共謀以前に、その代金を仮装した支払がなされていることは不合理であること

(一) 前記のとおり、古谷は従前から資金繰りの面で計画性に乏しく、満期に手形が決済できないような事態をしばしば招いたが、いずれも玉野信用金庫や手形割引の保証人である児島綿業の横田専務らの助力により急場を切り抜けてきており、六月一五日ごろの経営内容も、それ自体は大きな損失勘定もなく、資金面だけが問題であつたわけであるから、古谷としては、六月一五日満期の手形の決済についても、何とか切り抜けられるものと考え、当時玉野信用金庫に日参して、決済資金の調達に奔走していたわけである。

(二) 右の手形が不渡となつた後も、六月一七日ころ、児島綿業の横田専務らの口添えで玉野信用金庫との間に、同金庫の管理等を条件として正式な不渡処分を免れるよう協力する旨の合意を取り付けた。

(三) さらに、六月一八日にも水川や松浦に金融を依頼するなど、不渡手形の処理に全力を傾けていた。

(四) 他方、古谷は六月一八日夜被告人に電話し、同夜から翌一九日未明にかけて本件衣料品を引渡したほか知人の井上や原に二人の子どもや衣料品及び電気製品などを預けて、急拠出奔した。

などの事実をあわせ考えると、古谷が倒産や出奔をいよいよ決意するに至つたのは、早くとも六月一八日以降と認められ、それ以前に、古谷が倒産や出奔を予期して売買を仮装することを考えていたとはとうてい考えられない。

原判決の認定も、古谷が被告人に打明けて仮装売買を共謀したのは六月一八日ころというのである。

ところが、他面、被告人が従業員を介して現金約六九万円及び被告人引受けの額面合計六〇〇万円の為替手形六通を届けさせたのは、六月一五日であることが明らかであるから、本件が仮装売買だとすれば、その共謀のあり得ない時点において、代金の支払を仮装して現金等が交付されていたこととなり、とうていその合理的な説明をつけることはできない。

2  被告人が児島綿業らからの追及を予想していたとは認められないこと

債権者の児島綿業が倒産者に対し苛酷な債権の取立をすることを古谷は見聞しており、そのような憂き目をみないで済むように岡山を出奔したのであるから、本件が仮装売買だとすれば、古谷は、当然被告人に対して児島綿業等の債権者の追及を避けるようなんらかの示唆を与えたものと思われる。仮りにそれがなかつたとしても、被告人としても、仮装売買の商品を人目につかないところに隠すなどするのが当然と考えられるのに、これを店頭に並べるなど、平常取引による商品と全く同じように取扱つており、債権者からの追及を予想していたとは認められない。

3  被告人が仮装売買を承諾する理由に乏しいこと

被告人は、新日本衣料の岡山店の開設以来、古谷には世話になつていたが、それだけに普通の一括売買のように大幅に割引かせるなど有利に購入することがむずかしいため、当初古谷に対し手形取引はしない方針であるなどの口実を設けてことわつていた位であるから、いかに古谷にこれまで恩義があるからといつて、債権者からの追及、商人としての信用の失墜、刑事被告人としての訴追などの危険を冒してまで被告人が仮装売買を承諾する理由には乏しく、他に被告人がこれを引受けるに至つた特段の事情を認めるに足りる証拠はなにもない。

第三被告人が売買契約に基づき本件衣料品の引渡を受けたことと犯罪の成否

1  本件衣料品の引渡時は破産法三七四条所定の「破産宣告の前」といえるか。

(一)  被告人が古谷から再三の依頼を受け、その在庫商品について一括売買を承諾するに至つたのは六月上旬のことと認められるが、その際どの商品を売るかについてはまだ特定されておらず、これが現実に特定されたのは、古谷が、六月一八日夜から一九日朝にかけて被告人立会のうえ、在庫商品の中から順次本件衣料品を選び分けて引渡した時と認められ、この際被告人がその所有権を取得したものといえよう。

(二)  ところで、古谷は、六月一五日に不渡手形を出して支払不能に陥り、六月一八日にはその解消の努力をも放棄して岡山を出奔することを決意し、六月一九日出奔したため、これにより事実上直ちに倒産状態に入り、支払停止、破産申立等の状況を招来することも必至となつたわけである。

(三)  とすれば、被告人が古谷から本件衣料品の引渡を受けた六月一八日夜から六月一九日朝までの間は、まだ古谷は現実には支払停止又は破産申立を受けるには至つていないが、破産原因の発生に直接つながるような前記の行為を古谷がとつたことによつて、古谷は当時すでに破産宣告を受けるに至る蓋然性の高い、きわめて危険な状態下にあつたものと認められるので、本件衣料品の引渡時はまさに破産法三七四条にいう「破産宣告ノ前」に該当するものと解するのが相当である。

2  本件衣料品の引渡行為は破産法三七四条一号所定の「不利益処分」にあたるか。

破産法三七四条一号にいう債務者が破産財団に属する財産を「債権者ノ不利益ニ処分スルコト」とは、同号の列挙する「隠匿」「毀棄」との権衡上からも、たとえば法外の廉売、贈与等のように、「隠匿」「毀棄」にも比すべき、債権者全体に絶対的な不利益を及ぼす行為をいうのであつて、単に債権者間の公平を破るにすぎない行為はこれにあたらないものというべきである(最判昭和四五年七月一日刑集二四巻七号三九九頁参照)。

ところで、

(一)  本件取引の行われた児島地区の衣料品製造業者は五月ないし八月の間に資金繰りに困ることが多く、多量の品物を一括売買することもあり、その場合の取引価格は生産原価の一割引位又は生産原価に一割七分か一割八分をかけた卸価格の三割引位である。また本件のように金融のために一括売買する場合には三割引位でないと相手にしてもらえないものと認められる。

(二)  また、衣料小売業者が卸業者から一括購入するのは三月末、六月及び一〇月ころが多く、その価格は通常の仕入価格の三割引ないし半値であるともいう。

(三)  さらに、古谷は本件一括売買を在庫商品の処分としては上々であつたと思つているのに比し、これを買受けた被告人及びその従業員は必ずしも廉い価格だとは思わなかつたようである。

右の各事実に、本件売買契約の経緯ないしその契約内容ことにその割引率が卸価格の約三割であつたこと(現実には三割にも満たなかつたこと)などをあわせ考えると本件一括売買が債務者の財産の「隠匿」「毀棄」に比すべき不当な廉売にあたるとはとうてい認めることができず、また他にこれを認めるにたりる証拠もない。

3  被告人に破産法三七四条所定の図利加害の目的があつたか。

(一)  被告人が古谷に四―五〇〇万円相当の在庫商品を三割引で購入することを承諾したのは、遅くともその代金の支払を了した六月一五日以前であつたと認められるところ、当時、古谷自身も、前記のとおり、出奔するなど予期しておらず、不渡処分を避けるためその資金の調達に奔走していたわけであり、被告人としても、古谷がそのころ手形決済のためにその資金繰りに苦慮していたことは察知していたものの、まさか古谷が出奔して倒産するに至るとは当時全く予想だにしていなかつたものと認められる。

(二)  その後、被告人は六月一五日に約旨に従い代金の支払を終え、本件衣料品の引渡しを待ち受けていたところ、六月一八日夜になつてようやく古谷からの電話連絡によつてこれを引取ることになつたものであるが、この時点で、古谷が倒産するのではなかろうかとの危惧を被告人が抱いたのではなかろうかとも推認されるが、かりにそうであつたとしても、本件衣料品の引渡しは、それ以前の、古谷の倒産がまだ予想だにされないころ結ばれた売買契約に基づき、すでに全額の支払いを了した代金と著しく均衡を失しない対価にあたるものとしてなされたものと認められ、被告人としては契約に基づく当然の権利として本件衣料品の引取りをしたものと解される。

(三)  しかも、被告人は本件一括売買が三割引であることについて、不当な廉売であるとは考えていなかつたことは前記のとおりである。

このようにみてみると、古谷の意図はとも角、被告人に破産法三七四条にいう図利加害の目的があつたと認めるには乏しいものといえよう。

第四結論

被告人は、六月上旬ころ、古谷との間で、古谷の在庫商品のうち四―五〇〇万円相当の衣料品を三割引で購入する旨約し、一括売買契約を結び、六月一五日その代金の支払を終え、六月一八日から一九日にかけ、その対価として本件衣料品の引渡しを受けたものであつて、被告人の本件衣料品の引取行為は破産法三七四条一号所定の不利益処分とは認められず、また被告人に古谷と共謀し、同条所定の図利加害の目的があつたことを認めるにたりる証拠もない。

とすれば、本件公訴事実は、主位的訴因及び予備的訴因のいずれについても犯罪の証明がないことになるから刑事訴訟法三三六条により被告人に無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

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