岡山地方裁判所 昭和50年(行ウ)9号 判決 1980年11月26日
原告 坂手圭司
被告 国
訴訟代理人 一志泰滋 清水龍三 平元勝一 杉本 肇 宇都宮猛 工藤真義 外四名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金八三二〇円及びこれに対する昭和五〇年六月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は原告に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和五〇年七月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 第1・第2項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨
2 敗訴の場合、仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、岡山県津山郵便局集配課に所属する郵政事務官であり、昭和五〇年五月一三日当時、二二日と四時間分の年次有給休暇の権利を有していた。
2 原告は全逓信労働組合(以下、全逓という)の組合員で、当時同組合美作西支部津山集配分会長の地位にあつたが、年次有給休暇(以下、年休ということもある)を右美作西支部の活動(書記局詰めの当番)に当てることとし、同日、高畑正夫集配課主事(以下、高畑主事という)を通じ、所属長である津山郵便局長に対し、四月一六日につき年休の請求をしたうえ、右同日休暇をとつた。
3 ところが、当時津山郵便局長であつた訴外入江新太郎(以下、入江局長という)は、前記組合活動を妨害しようと企図し、
(一)同月一六日、前記組合活動に従事していた原告に対し、就労命令を出したうえ、これに従わなかつた原告を同日につき無断欠勤扱いとし、
(二) 次いで同年七月一六日付をもつて、右無断欠勤を理由に原告を訓告処分に付した。
右は、いずれも原告の有する年次有給休暇の権利行使を妨げ、これを否定する違法な行為である。
4 また、被告は原告に対し、右無断欠勤を理由に、
(一) 同年六月一七日に支給された六月分の俸給中前記五月一六日分の賃金である金三六八九円
(二) 同年六月一四日に支給された昭和五〇年度夏季手当中金四七一円
をそれぞれ減額した。
5 原告は、第3項記載の入江局長の不法行為によつて、社会的名誉を著しく毀損されたばかりか、精神的に多大の苦痛を受けたものであるが、右損害に対する慰藉料としては金三〇万円が相当である。
6 よつて、原告は被告に対し、
(一) 第4項(一)、(二)記載の未払賃金合計金四一六〇円と労働基準法一一四条に基く右同額の附加金との合計額である金八三二〇円及びこれに対する各支給日の後である昭和五〇年六月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払
(二) 国家賠償法一条一項に基き、慰藉料として金三〇万円及びこれに対する不法行為の日の翌日である昭和五〇年七月一七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因第1項は認める。
2 同第2項は、そのうち、原告が年次有給休暇を右美作西支部の活動(書記局詰めの当番)に当てようと考えていたことは知らないが、その余の事実は認める。
3 同第3項は、そのうち、入江局長が原告の組合活動の妨害を企図したとの事実は否認し、その余の事実は認める。
入江局長の行為を違法とする主張は争う。
4 同第4項は認める。
5 同第5、第6項は争う。
三 抗弁
1 時季変更権の行使
原告の請求した年休については、右請求にかかる時季(昭和五〇年五月一六日)にこれを与えると、津山郵便局の業務(直接的には同局集配課の業務)の正常な運営を妨げることとなるため、同月一五日午後一時三〇分頃、同局集配課課長林忠雄(以下、林課長という)は原告に対し、その時季を変更して同月下旬に与える旨を告知した。なお、右林課長は、同局の規程により、所属課員に年休を与える権限を同局局長から委任されており、時季変更の判断をも委ねられていたものである。よつて、原告は同月一六日に就労すべき義務があるところ、入江局長及び林課長が就労を命じたのに原告はこれに従わず欠務したため、入江局長は右同日につき原告を無断欠勤の扱いとし、かつ、右欠勤務に相応する金額を俸給及び夏季手当から、減額したものであつて、その措置に何らの違法はない。
2 時季変更の正当性
(一) ストライキの影響による郵便物の増加
昭和五〇年五月一六日当時は、いわゆる公労協の春闘統一ストライキの直後にあたり、全逓(五月七日から一〇日朝まで)及び国労・動労(五月七日正午から一〇日午後まで)の大規模なストライキにより、大量の郵便物が全国各地の郵便局に滞留し、また、国鉄による輸送の段階で滞留した。五月一〇日頃には、その滞留物総数は四五〇〇万通以上に達したとみられる。そこで、一〇日過ぎからは、各地の郵便局における未処理郵便物及び輸送できなかつた郵便物が集中的に処理、輸送されることとなるため、各郵便局では、多量の配達郵便物の到着が必至の状況にあつた。津山郵便局においても、右ストライキの影響によつて、東京、大阪方面で滞留していた郵便物を中心とする多量の郵便物の到着が予想されその時期は五月一三日頃から約一週間にわたり、ピーク時は五月一七日頃になるものと予測されていた。現実に、五月一三日から二三日までの間における、同局集配課の配達すべき郵便物数(要配物数)及び配達できなかつた郵便物数(滞留物数)は別表(二)記載のとおりとなつたが、これは右の予測によく一致するものである。
(二) 五月一六日当日の要員事情
(1) 津山郵便局集配課は、当時、受持配達区域を市内(郵便局から近隣の地域)と市外(郵便局から遠距離の地域)に分け、更に市内を一二区画(月曜日は一五区画)、市外を一〇区画(月曜日は一二区画)に細分し、合計二二区画(月曜日は二七区画)の配達区を設けて、各区の配達を一担務とし、他に速達郵便物及び小包郵便物の配達並びに取集業務(ポストから郵便物を集める業務)を混合して遂行する担務(以下「混合」という)、更にこれらの業務を監督・指導する担務(以下「主事勤務」という)を設け、その定員は三八名(課長一名、課長代理一名、主事二名、主任七名、一般職員二七名)であり、右主事二名のうち一名は、同課の計画、庶務等を担当する内務者であつたから、郵便の配達及び取集等の業務(以下「外務」という)に従事する職員は、課長及び内務主事を除く三六名であつた。
そして、右のような業務を消化するためには、毎日三一名(月曜日のみは三六名)の勤務が不可欠であるが、前記三六名中には週休者(勤務指定表で指定ずみの者)、非番日者(勤務時間の調整のため勤務を要しない者、同じく指定ずみ)、病気休暇中の者等があるため、恒常的に非常勤職員三名ないし四名を雇用して、これらの欠務を補充してきた。同課における要員配置計画は、曜日によつて若干異なるが、金曜日(五月一六日は金曜日にあたる)のそれは、要勤務者三一名、週休者一名、非番日者二名、病気休暇者一名であり、定員三六名から右のような欠務者合計四名を除くと、勤務可能な者は三二名となる。したがつて、年次有給休暇の許容人員は、非常勤職員四名を雇用した場合には五名、同三名を雇用した場合には四名である(なお、曜日別の要員配置状況は別表(一)のとおり)。
(2) 五月一六日における欠務の予定は、原告から年休請求書が提出された一三日の時点においては、次のとおりであつた。
週休者 二名(平常の金曜日は一名であるが、当日についてはすでに二名指定されていた。)
計画年休者 二名(年度当初に年休の時季指定がなされているもの)
自由年休者 一名(五月一三日の朝に年休の時季指定があり、入院者(遠縁の者)の見舞に行く予定である旨の申し出もあつたので、同日午前九時ごろ付与することを通知済みのもの)
病気休暇者 一名(十二指腸かいようのため三月二五日から引き続き欠務しているもの)
非番日者 二名
(右欠務予定者合計八名)
そして、一六日当日は非常勤職員四名の雇用が可能の見込みであつたから、これを加えた全職員数は四〇名となり、右欠務者八名を除く稼働人員は三二名であつて、平常時の必要人員三一名を一名上廻ることとなる。しかし、前記のように、郵便物の激増が予測され、事実、同月一五日に至つて、林課長は、その激増の事実及び翌一六日には郵便物がさらに増加する見通しであることを確認し、また、中国郵政局からは、「滞留郵便物が発生した場合には早期に要員を配置して業務の正常な運行に努めよ。」との指導を受けたため、一六日における職員三名の増配置(すなわち、三四名による勤務態勢)を決定し、右三名の要員確保のため、同日の計画年休者二名について時季変更するとともに、原告の年休請求に対しても時季変更をした。
(3) なお、このような増配置を必要とした背景的事情の一つとして、当時労働基準法上の時間外労働に関する協定(以下、三六協定という)が締結されていなかつた事実がある。一般に、郵便配達業務は、職員の時間外労働に依拠するところが大きく、右協定を欠くことができない。全逓は、五月一〇日ストライキの中止と同時に、組合下部機関に対し右協定の締結方を指令し、津山郵便局においても、全逓美作西支部との間でその協定締結のための団体交渉を五月一三日、一四日の両日行つたが、結局締結をみるに至らず、郵便物増加の対策として職員の時間外労働に期待することは極めて困難な状況に立ち至つていたものである。
(4) 林課長は、五月一六日の原告の担務を市外一〇区の補助要員とし、他一名と分担して同区の集配にあたらせることとしたが、右は、同区の一五日における滞留物数が他区に比して異常に多いこと及び原告が同区に通区していること(戸別の配達先や道順等を記憶している意)から、当然の担務指定というべきである。
(三) 時季変更の正当
以上のとおり、五月一六日に原告が欠務した場合は、市外一〇区への要配物が著しく滞留することとなり(現実に、原告の同日の欠務により滞留物数は一三四〇通となり、その解消には同月二〇日までを要した)、右はとりも直さず津山郵便局集配課の業務の正常な運営が妨げられることであるから、本件時季変更は、労働基準法三九条三項の要件を満たす正当なものである。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1のうち、原告の年休請求に対して林課長が五月一五日、その時季の変更を告げたことは認めるが、その効果は争う。
2 同2の(一)のうち、公労協の春闘統一ストライキとして、全逓、国労、動労が被告主張のようなストライキを決行したこと、その後津山郵便局集配課の取扱郵便物数が若干増加したことは認める。しかし、右増加の原因は、当時労使間に三六協定が結ばれていなかつたことと、たまたま大雨のため配達業務に支障を生じたことにあるのであつて、右ストライキとは無関係である。
3 同2(二)(1)のうち、津山郵便局集配課の平常の金曜日における要員配置状況が被告主張のとおりであつたことは認めるが、もともとその人員(三一名)は昭和四六年一〇月以前に決定されたものであつて、その後の要配物数の激増に対処できない不適切なものであり、この人員で要配物を完配する(滞留物数を零とする意)ことは、三六協定による時間外労働や計画年休制度の導入という労働者の犠牲なくしては不可能であつた。
4 同2(二)(2)の五月一六日における欠務予定者数は認めるが、職員の増配置が必要であつたとの主張は争う。
5 同2(二)(3)のとおり、当時三六協定の締結がなかつたことは認めるが、被告が年休の時季変更の理由としてこのような主張をすること自体、労働者に対し、三六協定の締結か時季変更の受忍かの二者択一を強制するものであつて著しく不当と言うべきである。
6 同2(二)(4)のうち、林課長が当日の原告の担務を市外一〇区の補助とする予定であつたことは認めるが、その必要性は争う。右のとおり、原告は補助であつて他にも担務者があるのであるから、原告が休暇をとつてもいわゆる欠区が生じるわけではなく、精々同区の滞留物数が増加するにすぎず、しかもその数は翌一七日には完配できる程度のものであつたにすぎない。結果的にも、一六日の総滞留物数四二三五通のうち、市外一〇区のそれは一三四〇通であつて、翌日には完配された。
また、仮に市外一〇区の配達業務が若干阻害されたとしても、右は津山郵便局における他の業務とは有機的関連を有しない独立した業務であるから、これによつて同局の業務全般の正常な運営が妨げられたとは言えない。
加えて、五月一四日ないし一七日までにおける滞留は、各配達区域全般にわたつていたので、たとえ原告の年休のみを時季変更して市外一〇区の補助にあてたとしても、同月一六日につき配達区域全体の滞留の発生を妨ぐことは不可能であつた。もし仮りに市外一〇区の滞留発生を他に優先して防ぐ必要があつたのであれば、原告につきあえて時季変更をしなくても、次の如き担務の指定換えを行うことによつて右目的は充分達成できたのである。すなわち、五月一六日における田淵操、高山、牧田の各担務は次の通り指定されていた。
田淵―市外集配の補助
高山―早1(午前六時五〇分から午後二時四七分まで)の勤務指定で、その間速達配達及び通常収集(開函)の担務
牧田―中1(午前一〇時三〇分から午後六時二七分まで)の勤務指定で、午後四時までは小包の配達、午後四時以降速達配達及び通常収集の担務
(第一案) 田淵と高山を差替え、高山を市外一〇区の補助にあてる。
ちなみに、田淵は区外区については全く通区しておらない反面、速達配達及び通常収集はこなすことができ、他方高山は市外一〇区について完全に通区しているのであるから、当初の担務よりもこの案の方がよほど合目的的である。
(第二案) 高山と牧田を差替えたうえ、高山は午後四時までの小包配達をとりやめ、その間市外一〇区の補助にあたる。他方田淵は市外集配の補助をとりやめ、右小包の配達にあたる。右案も第一案同様、当初の担務よりも合目的的である。田淵が小包配達にまわることにより右小包配達に支障をきたす恐れも少ない。
右第一、二案とも、津山郵便局集配課の業務にある程度通じているものであれば、容易に考え出すことのできるものであり、過去においても同種の差替がときどき行われていたのである。
7 同2(三)の主張は争う。上述のように、原告が五月一六日に市外一〇区の担務に服しなかつたことによる業務阻害の程度は軽微なものであるうえ、津山郵便局の業務全般を阻害する性質のものではないし、代替措置によつて市外一〇区の業務を円滑に行うことも可能であつた。また、過去においても、本件当時と同程度の滞留郵便物が発生した状況下において、三、四名程度の年休請求がそのまま許容された事例も少くない。これらの事情に照らし、原告の当日の年休請求が業務の正常な運営を妨げるものであつたとする被告の主張は失当であることは明らかである。
五 再抗弁
仮に上記の主張があたらないとしても、林課長のした本件時季変更は、以下に述べる理由により、権利の濫用として許されない。
1 職場慣行違背
津山郵便局集配課においては、年休の請求に関して、従前から次のような職場慣行があつた。すなわち、職員は担当者である高畑主事に対して口頭で申請し、同主事は、その人数が当日の休暇許容人員の範囲内であれば、直ちにその氏名を担務指定表に鉛筆書きで記入し、許容人員を超える場合は、当該職員相互間で、または高畑主事が仲に入つて、休暇者の数が右許容人員を超えないよう調整したうえ、同様休暇者の氏名を記入する。右調整がつかない場合は、同主事が林課長の決裁にまつこととなるが、この場合には鉛筆書きの記入はしない。そして、右記入がなされた以上、本人の意思を無視して時季変更がなされたことはなく、職場の全員が、右年休請求は承認されたものと理解していた。
そして、本件の場合も、原告が五月一三日に、同月一六日につき年休を請求したところ、同主事は一六日の担務指定表に鉛筆書きで原告の氏名を記入したため、原告は右年休が承認されたと理解していたものである。その後において林課長がした本件時季変更は、右のような職場慣行に著しく違背する。
2 有給休暇利用目的による差別的取扱
原告は、組合活動(書記局詰めの当番)に当てるために本件年休請求をしたが、林課長は右請求につき時季変更をする一方で、同じ一六日につき年休を請求した訴外仁木及び太田の二名については、その休暇利用目的(仁木については、発熱した子供を病院へ連れて行き、入院中の親戚の者を見舞うため、太田については、近隣の葬儀への参列のため)を確かめたうえ、いずれも時季を変更することなく承認したものであり、右は明らかに、年休の利用目的によつて原告を差別的に取扱い、かつ、原告の組合活動に対し不当に介入したものである。
六 再抗弁に対する認否
1 本件当時、高畑主事が職員から申し出のあつた年休の希望日を、担務指定表に鉛筆で記入していた事実はあるが、主張のような職場慣行の存在は否認する。同主事は、年休の付与や時季変更の権限を有していたものではなく、右記入は、単に年休承認の見通しの打診、請求者が競合する場合の事実上の調整作用の意味があつたに過ぎない。事実、右記入の後に時季を変更した事例も存する。
2 訴外仁木及び太田に対し、五月一六日の年休請求を承認したことは認めるが、右は林課長が両名の申し出た事情を勘案し、社会通念上、また労使間の信義則上の配慮から、時季変更をしないのが適当と認めたためであつて、同課長の裁量権の範囲内に属し、かつ、その裁量は合理性を有する。なお、同課長は原告に対しても、特段の事情があるのならば業務に支障を生じてでも年休を認めようと考えてその説明を求めたが、原告から何ら具体的説明が得られず、特に考慮すべき事情を見出せないため、時季変更権を行使するに至つたものである。主張のような、差別取扱い等の意図は全くない。
第三証拠<省略>
理由
第一争いのない事実と争点
一 原告が、津山郵便局集配課に所属する郵政事務官であり、昭和五〇年五月一三日(以下、特記しないかぎり、年次は昭和五〇年を指す)当時、二二日と四時間分の年次有給休暇(年休)の権利を有していたこと、右同日、原告は所属長に対し、同月一六日に年休を請求した(右年休消化の目的に関する主張は除く)ところ、同局集配課林課長は、同月一五日、右請求にかかる年休を同月下旬に変更する旨を原告に告知したこと、右一六日当日、原告は年休の消化として服務しなかつたところ、同局入江局長は就労命令を発し、これに従わなかつた原告を同日につき無断欠勤の扱いとし後に訓告処分に付したこと(その意図に関する主張は除く)、また、右無断欠勤を理由に、原告の俸給及び夏季手当から、右同日分に相応する金額四一六〇円を減額したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 本件の争点は、林課長のした右時季変更が有効なものであつたか否か、すなわち、原告が五月一六日に年休をとることが、労働基準法三九条三項にいう「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当したか否かにある。もつとも、右は事前(本件の場合は前日)における判断の問題であるから、右判断時において、その蓋然性が相当高度に存在したとすれば右時季変更の効力は是認され、そうでないときは否定されることとなるであろう。なお、仮に右の要件を満たしていたとする場合、同課長による右時季変更権の行使が、権利の濫用にあたるか否かが、第二の争点となる。
第二事業の正常な運営を妨げる事情の存否
一 労基法三九条三項にいう「事業の正常な運営を妨げる場合」にあたるか否かは、一般に、その事業の規模、年休請求者の職場における配置、その担当する業務の内容・性質、業務の繁簡、時季を同じくして年休を請求する者の人数等諸般の事情を考慮して、制度の趣旨に反しないよう合理的に判断すべきものと説かれており、これと大きく異なる見解をみないところである。
次に、右の「事業」及び「正常な運営」を本件に即して考えるに、事業とは、原告の職場である津山郵便局集配課の担当する郵便業務のうちの外務事務(郵便物の取り集め及び配達)に限定することなく、より広く津山郵便局の業務の総体を指すと解すべきであるが、右郵便業務のうちの外務事務は、郵便局の業務のうちの最も主要な業務であることから右外務事務の障害は、直ちに郵便局の業務全般の障害につながる関係にあると考えられる。また、正常な運営とは、郵便業務のうちの外務事務に限つていえば、集配課で当日配達すべき郵便物(要配物)が滞留することなく配達されてしまう状態(滞留物数がない状態、完配ともいう)か、又は仮りに滞留物が発生するとしても、平常時のそれと著しくかけ離れていない状態(郵便物数のいわゆる波動的性質から、事情によつては、ある程度の滞留物が発生するのもやむを得ない場合があるであろう)と解するのが相当である。
二 そこで、先ず、当時津山郵便局集配課において、右のような意味で業務の正常な運営が行なわれていたか否か、またその基盤が存したか否かを検討する必要がある。
1 集配課の人員配置
証人林忠雄、同高畑正夫の各証言、いずれも成立に争いのない甲第六及び第七号証の各二、第八号証の一、二、第一九及び第二〇号証の各三並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる(一部争いのない事実を含む)。すなわち、郵便業務はその取扱郵便物数に波動性があつてその予測が困難であるため、郵政省は各郵便局ごとに取扱郵便物数の平均的な状態(以下、「平均物数」という)を基礎としてその配置定員を決定しているが、津山郵便局集配課の定員は三八名(課長及び課長代理各一名、主事二名、主任七名、一般職員二七名)であり、課長及び内務(計画・庶務等)担当の主事一名を除く三六名が、郵便物の取集・配達等の外務に従事していた。そして、同課では当時配達区域を市内(郵便局から近隣の地域)一二区画(月曜日は取扱郵便物が増加するので一五区画)、市外(遠距離の地域)一〇区画(月曜日は一二区画)に細分し、合計二二区画(月曜日は二七区画)の配達区を設けて各区の配達を一担務とし、他に速達郵便物及び小包郵便物の配達並びに取集業務を混合して遂行する担務(混合という)及びこれらの業務を監督・指導する担務(主事勤務という)を設けていた。これに要する人員は、各配達区二二名(月曜日は二七名)、混合七名、主事勤務二名の合計三一名(月曜日は三六名)である。なお、右定員三六名のほかに、同課ではほとんど恒常的に、三名ないし四名の非常勤職員を雇用して、週休・非番等による欠務者の補充にあてていた。これらの要員配置状況を曜日ごとに表示すれば別表(一)のとおりとなり、非常勤職員四名を雇用した場合は曜日により三名ないし六名が、同じく三名を雇用した場合は二名ないし五名が、それぞれ年休消化等により欠務しても、なお必要人員三一名(月曜日は三六名)が確保されることとなる。
以上のとおり認められる。
ところで、原告は、右定員数自体、昭和四六年一〇月頃の平均物数を基準として算出されたものであつて、その後の津山郵便局管内における要配物数の激増に対処しきれない不適正なものであると主張するところ、なるほど成立に争いのない甲第一九号証の一によれば、昭和四六年一〇月の一調査日において要配物数一四九七〇通であつたのが、同五〇年六月二七日の調査日には二五四六〇通と大幅な差違を生じていることが認められる。しかしながら、右は一調査日ごと(その抽出方法は不詳)の物数を比較したものであつて、各時点における平均的な数と表わすものとは認められないし、かえつて成立に争いのない甲第二〇号証の二・三(昭和四九年及び五〇年二年間の外務運行記録表)を通観すると、日々の要配物数は極めて流動的であることが窺われるから、前掲甲第一九号証の一のみをもつて、恒常的な大幅増加(ひいては定員数の不適正)を断定することはできない。むしろ、前掲林証言及び弁論の全趣旨によれば、昭和五〇年当時、平常の一日当り要配物数(普通通常郵便物)は一八八〇〇通と把握されていたことが認められるし、また、津山郵便局管内における昭和四六年から同五〇年までの人口増加率は約一二パーセント、世帯数増加率は約一四パーセントであつたことが認められる。証拠上あらわれた集配業務の内容に照らすと、要配物数の増加があつても、ある程度までは既定の人員で処理できなくはない(もちろん繁忙を招くことは否定できないが)と推認されるし、前記のような非常勤職員雇用の態勢もあり、また、後述のように、昭和四九年及び五〇年において完配を果した日数も多いことなどを併せ考えると、五〇年五月当時の人員配置が、それ自体業務の正常な運営を不可能とするような不適正なものであつたと認定するには足りない。
2 要配物数と滞留物数
前記のとおり、津山郵便局集配課における平均要配物数は一日当り一八八〇〇通とみられるところ、前掲甲第二〇号証の二・三により、試みに昭和四九年五月及び同五〇年五月の受入総物数を各月の日数(日曜日を除く)で除して一日当りの要配物数を算出すると、四九年五月においては一日一八七三五通、五〇年五月においては一日一七九一〇通となり、何れも前記平均数を多少とも下廻ること及び五〇年五月は前年同月を下廻つていることが知られる。
また、滞留の発生状況について、右各号証により、試みに四九年五月から五〇年四月までの一年間を通じてみるに、滞留物を生じた日(すなわち完配できなかつた日)は合計八七日であつて、一か月平均七日強であることが認められるから、一か月(日曜日を除く二六日位)のうち右以外の日数は、完配を果していることとなる。そして、前掲林証言及び弁論の全趣旨によれば、右滞留発生については、例えば納税告知書等の大口でかつ一時的な郵便物の受入れもしばしばその原因をなしていることが窺われるが、これら大口郵便物のうちには、予め発信者の同意を得たうえ、分割して一定の期間内に配達するもの(いわゆる計画配送)が相当数含まれていることが推認される。右計画配送のうちの未処理分は、日々の集計においては滞留物として計上されても、そのまま直ちに当日における配達業務の停滞を示すものではないと解される。以上のような状況からみて、当時の集配課における人員配置に是正すべき余地がなかつたか否かはさておき、少くとも常態的に滞留郵便物が発生し累積して行くような状況にはなかつたと認めるのが相当である。
3 年次有給休暇の消化状況
前掲林証言並びに同証言及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一二号証によれば、津山郵便局集配課職員の年間の年休付与日数は、昭和四九年度は一人平均二〇日(計画休暇八日及び自由休暇一二日で、年度中途の採用・退職・転出入者を除く三二名の年間総付与日数は六四一日)、昭和五〇年度は一人平均二二日(計画休暇九日及び自由休暇一三日で、前同様の三四名の年間総付与日数は七四八日)であり、いずれの年度も、二〇日以上の年休が消化されていることが認められ、また、成立に争いのない乙第一七号証によれば、原告自身の有給休暇消化状況は、昭和四九年度については一七日と六時間、昭和五〇年度については二一日と二時間であることが認められる。
4 人員配置と年休取得との関係
別表(一)の曜日別要員配置状況を基礎として、次のような計算が可能である。
年休付与のために必要な要員(年間)
(職員数)(1人当り年間発給日数)(延人員)
(36人×20日=720人 長期病欠者を除算した場合 35人×20日=700人(延人員))
休暇等要員の配置状況(年間)
<ア> 非常勤職員三名雇用の場合
{本務者9人(別表(一)の<5>)+非常勤職員18人(同表の<6>)}×52(週)=1,404人(延人員)
<イ> 非常勤職員四名雇用の場合
{本務者9人+非常勤職員24人(同表の<7>)}×52(週)=1,716人(延人員)
長期病欠者の補充のために必要な要員(年間)
(1週当りの必要人員)(延人員)
6(人)×52(週)=312人
右の算式によれば、津山局の郵便配達要員三六名(長期病欠者一名を含む。)に対し、一人当たり年間二〇日の年休を付与するとすれば、これに必要な人員は延七二〇人(長期病欠者一名を除算すれば延七〇〇人)であるのに対し、休暇等要員の配置状況は非常勤三名雇用の場合で、延一四〇四人、同四名の場合で延一七一六人に達しており、したがつて、非常勤三名雇用の場合、長期病欠者の補充のための要員(延三一二人)をこれに加えたとしても、なお、延三九二人の要員上の余剰が生ずることになる。この余剰は、職員の年間当たりの稼働日数を三〇〇日とみた場合一日当たり約一・三人となり、短期の病気休暇や特別休暇等による欠務者を補充するに足る数であると考えられる。
5 小括
上記1ないし4において検討した諸点を総合して考えると、津山郵便局集配課においては、時として要配物の滞留を生ずることがあつたとはいえ、その相当部分は郵便物の波動性という業務本来の性質に由来するものであつて、未だ滞留が常態化したというほどのものではなく、一方、年休の完全消化に見合う人員配置もなされていたのであるから、前述した意味における業務の正常な運営を概ね確保するに足る基盤が存し、現に概ね正常に運営されていたと認めることができる。
三 そこで、進んで、五月一六日当日における原告の年休消化が、その業務の正常な運営を妨げるものであつたか否かについて検討する。
1 当時における要配物数の増加状況
前掲林証言、甲第七号証の二、第二〇号証の三、いずれも成立に争いのない乙第一〇号証、第一一号証の一、二、第三五号証によれば、以下の事実が認められる。
昭和五〇年五月七日から一〇日に至るまで、公労協によるいわゆる春闘統一ストライキが実行された結果、大量の郵便物が、全国各地の郵便局において、或いは国鉄による輸送段階において滞留した。もつとも、全逓の行つたストライキは波状拠点ストと称されるもので、郵便業務を停止したのは一部の郵便局に止まり、また、国労等のストライキ中も郵便物はトラツク等の代替輸送機関によつて輸送されたが、それでもなお全国的に大量(新聞報道によれば約四五〇〇万通)の郵便物が滞留した。そして、いわゆるストあけである五月一一日以降は、これらの滞留中の郵便物が、各地の郵便局に大量に搬入され、その配達業務が少なからず輻輳することが予測された。津山郵便局においても、その受入れ要配物数及び滞留物数(いずれも普通通常郵便物)の現実の推移は別表(二)に示すとおりであつて、同局の平常時の一日当り要配物数は一八八〇〇通であるところ、ストライキ期間中である五月七日から一〇日にかけてはいずれも四〇〇〇通ないし七〇〇〇通ほど減少したが、五月一二日からは要配物数及び滞留物数ともに増加し、要配物数については一六日の二六八四七通をピークにして(なお、一九日はこれを上廻るが、月曜日であつて前日受入れ分を含むから、実質的にはピークをなすものでないとみられる。)その後減少し、滞留物数については一七日の六二二四通をピークにしてその後減少し、二三日には零(すなわち完配)となつている。右一六日の要配物数は、平常時の平均数一八八〇〇通に比較して四三パーセント弱の増加(一人当りの平均要配物数平均八五五通と比較しても三六パーセント強の増加)にあたり、過去一年間にこれを上廻つたのは二十数回程度であることが窺われる(前掲甲二〇号証の二、三)し、上記の事情から、一両日かぎりの単発的なものではなく、ある程度の期間同様の状態が続くことが予測された(現実にもそのようになつたことは同表の示すとおり)のであるから、同局集配課が負担すべき事務量は相当に大きく、その処理のための要員確保はかなり切迫していたものと推認される。
ところで、原告は、右要配物数増加の原因について、ストライキによる影響というよりも、五月の中旬に降つた大雨のため郵便業務に支障が生じたことや、右ストライキ明け後も三六協定が締結されず、職員の時間外勤務が得られなかつたことによると主張するけれども、これらの事情と右増加との因果関係を推認するだけの資料はなく、ストライキ期間との時間的関係や、別表(二)に表われた要配物数増減の推移に照らすと、少なくともその原因の大半は、ストライキ及びその終結にあるものと判断される。
2 当時における要員配置状況
前掲林証言、甲第七号証の二、第二〇号証の三及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
五月七日から二三日にかけて、津山郵便局集配課で現実に就業した人員及びそのうち市内、市外担務にあたつた人員は、別表(二)記載のとおりである。ところで、五月一六日は金曜日であつて、本来ならば集配課の配置人員は三一名(そのうち市内・市外の担務者は二二名)であるはずのところ、林課長は前記ストライキあけ後の郵便物数の増加に対処するため、職員の増配置が必要と判断し、休暇予定職員や非常勤職員に就労の交渉をしたり、三六協定の締結を打診した(成立に至らなかつた)結果、一六日の計画年休予定者二名の就労(年休時季の変更)と非常勤職員四名の就労の見込みを得たので、一五日の時点では、一六日の配置人員を三四名とする予定であつたところ、一六日には訴外太田豊が年休を請求し(これに対しては時季変更をせず)、また原告が前記争いのない経緯により欠務した結果、当日の集配課配置人員は三二名(うち市内・市外担務者二三名)となつた。
3 原告の欠務による影響
(一) 原告の職務内容
前掲林、高畑の各証言、原告本人尋問の結果及び成立に争いのない甲第一〇号証、第二一号証によれば、原告の担当する職務の内容は集配課の外務事務であり、郵便物をポストから取り集めて郵便局に運び入れること及び集配課に運ばれて来た郵便物を配達順路に並べて整理したうえ各戸に配達するというものであるが、そのうち特に配達業務については、担当する配達区内の各戸の姓名や道順、配達順序等を記憶すること(通区という)を要し、そのために相当日数の訓練を要することが窺われ、かなりの熟練を要する作業であつて、臨時に雇用した者では右作業はほとんど不可能であり、仮りに過去年末年始等に臨時雇用したアルバイト学生等を利用しようとしても、その者の通区している区が限られていることや、五月一六日当時は学校の休暇時期にあたつていないことから、アルバイト学生をもつて補充することは実際上効果がなく、無理でもあつたと認められる。
(二) 原告の当日の担務予定と欠務による影響
前掲林証言、証人黒見陞二の証言、前掲甲第六号証の二、乙第一〇号証及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
五月一六日当日における各配達区ごとの普通通常郵便物の受入れ及び滞留の状況並びに担務指定は別表(三)記載のとおりである。原告は、当日市外一〇区の補助として担務指定される予定であつた(通常は一区につき一日一人配置を原則としているが、一名では配達処理が困難であるときに補助者を設ける場合がある。補助者は、実際の配達作業において単に補助的な役割を果すのではなく一定の区域を分担し、単独で配達作業を行うものである。)。ところが、原告が当日欠務したことにより、予定どおり市外一〇区を二人で担務することは不可能となり、現実には別表(三)記載のとおり、訴外安藤のみで市外一〇区の集配業務を担当した。同区においては、前日からの滞留物数五二二通を含め、当日の要配物数は二〇九〇通であつたが、安藤が配達し得た普通通常郵便物は七五〇通に止まり、一三四〇通の滞留が発生した。右滞留物数は、同日の集配課全体の滞留物数四二三五通(前掲甲第二〇号証の二)の三〇パーセントを超え、かつ、同日において他のどの区よりも際立つて多い(前掲乙第一〇号証によれば、これに次ぐものとしては市内五区の三〇七通がある)と認められる。同日もし原告が市外一〇区の配達業務に従事していた場合、同区の滞留物数がどの程度になつたかは推測の域を出ないが、原告は同区において、同月一四日に一二五九通を配達した実績を持つことが認められる(乙第一〇号証)から、五月一六日当日、安藤と分担することにより、完配またはそれに近い結果となつたことも十分考えられるところである。現実には、前記一三四〇通が滞留物として翌日に持ち越されたが、その後の同区の配達状況をみると、成立に争いのない乙第三六号証、前掲乙第一〇、第三五号証及び弁論の全趣旨によれば、一七日の受入物数一七九二通と合計して同日の要配物数は三一三二通(乙第一〇号証中に二一三二通とあるのは誤記と認める)に達した(一配達区としては異常に多い通数とみられる)ため、同日の担務者一名では到底処理しきれず、局長の指示により、郵便課長等の管理者が勤務時間外にその配達に当たつたが、なお八七四通が滞留し、同月二〇日に至つて漸く同区の滞留が解消したことが認められる。
もともと市外一〇区は、津山郵便局集配課が、その業務である配達を効率的に行うため、配達区域を細分化したその一区域であつて、同課から独立した存在ではないこともちろんであり、前記のような要配物数、滞留物数等もすべて同課全体のそれの一部であるから、五月一六日原告が同区の補助を欠務したことの影響は、直ちに集配課の業務それ自体(ひいては津山郵便局の業務の総体)に及ぶとみるほかはない。そして、上記認定の事実関係に照らすと、右影響の程度を軽微なものと評価することは到底できないところである。
4 原告の示す代替案について
右代替案は、原告が五月一六日当日予定されていた市外一〇区補助の担務の全部又は一部を高山に代替させ、同人の予定担務を直接または間接に田淵操をもつて補充するというものであるが、前掲林証言及び弁論の全趣旨によれば、林課長としては、同日右田淵を市内一区及び二区の補助にあてる予定であつたことが認められ、その前日(一五日)に市内各区を通じて四〇〇〇通を超える滞留があつたこと、当時田淵操が通区またはほぼ通区していたのは市内一、二区のみであつたことに照らすと、右の予定は、その理由及び必要性があつたものとみられる。ところが、右代替案によれば、田淵は右市内一、二区の補助に当たることができず、他に市内各区(一、二区に限らず)を補助する要員があつたとも認められないから、その滞留処理の方策を欠き、市外一〇区のみの滞留の解消またはその削減には効果があるとしても、集配課の業務全体としてみた場合は益するところがないと言わざるを得ない。原告自身、「仮りに市外一〇区の滞留発生を他に優先して防ぐ必要があつたのであれば」という前提で右代替案を示しているのも、その故と思われる。既に述べたとおり、原告の欠務の影響は集配課の業務全体に及ぶ性質のものであるから、右代替案によつては、その影響は何ら解消されないと言うほかはない。
5 小括
以上に認定ないし判断したところを総合すると、五月一六日における年休消化(予定された市外一〇区補助の欠務)は、結果として津山郵便局集配課の業務(ひいては同局の事業の総体)の正常な運営を妨げたものと言うべきである。
四 そして、前掲各証拠及び上記認定事実によれば、右の結果を招来することは、その前日たる一五日午後一時三〇分頃(本件時季変更の時)には、受入物数や滞留物数の増勢等諸般の情報により、高度の蓋然性をもつて予測されたところと認められるから、原告の請求にかかる年休をこの時季に与えることは、労基法三九条三項にいう「事業の正常な運営を妨げる場合」にあたり、右時点における林課長のその旨の判断は、合理的で正当なものであつたと結論される。
第三権利濫用の主張について
一 職場慣行違背
前掲証人林忠雄、同高畑正夫、同黒見陞二、同牧田兄昌の各証言、原告本人尋問の結果及び前掲甲第六号証の一、二によれば、当時津山郵便局集配課においては、年休を請求しようとする者(請求予定者)は、その旨を高畑主事に口頭で申し出、同主事が担務指定表中の年休欄にその氏名を鉛筆書きしておく取扱いであつたこと、右記入は、もともと、同主事が多数の集配課職員から申し出のある年休をその指定日ごとに記憶しておくことが困難であるため、メモとして一応鉛筆書きしておき、年休の付与権者である林課長がこれを承認(時季変更権の不行使)した後、インク書きに改める慣例であつたこと、右担務指定表は職場内で自由に一覧できるところから、年休指定の日をきめる参考の機能を果していたこと(当日の指定者が競合して休暇許容人員を上廻る場合は、他の日に切り替えるなどして調整することとなる)、このような取扱いが相当期間続いた結果、右鉛筆書きがなされた場合は先ず間違いなく年休がとれるとの考え方が職員間に行き渡つていたこと、以上の事実が認められる。
しかしながら、右高畑証言によれば、鉛筆書き後においても時季変更がなされることは皆無ではなく、年休請求予定者が当日の許容人員を上廻り、その間で話合いがつかない場合や、配達区の臨時的増加等による増員の必要を生じたような場合には、課長が時季変更をする場合もあつたことが窺われるから、鉛筆書き後は時季を変更しないとの慣行が確立していたとまでは認めるに足らず、右慣行を前提とする原告の主張は採用できない。
二 有給休暇の利用目的による差別的取扱
証人仁木道雄、同太田豊の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告、仁木、太田の三名はいずれも五月一六日に年休の請求をしたこと、その各年休消化の目的は、原告は全逓美作西支部の活動(書記局詰めの当番)に当てるため、仁木は発熱した子供を病院へ連れて行き、併せて入院中の親戚の者を見舞うため、太田は近隣で行なわれる葬式に参列のためであつたこと、林課長は原告に対して本件時季変更をしたが、仁木及び太田については右請求をそのまま承認し、時季変更をしなかつたことが認められる。
もとより、年休をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由であつて、いわんや使用者がその利用目的によつて、年休の時季変更をするか否かを差別して取扱うことは許されない。しかし、いかなる場合でもその取扱いに差異を設けることが禁じられるというものではなく、例えば競合する年休の請求が業務の正常な運営を妨げるため、いずれも時季変更の必要がある場合において、一の請求については、あらわれた資料から、社会通念上、その時季を変更することが妥当でないと判断して変更権を行使せず、そのような資料がなく事情の明らかでない他の請求についてはこれを行使したとしても、右のような判断が合理的なものであるかぎり、両請求を不当に差別して取扱つたと言うのは当たらないであろう。本件において、仁木及び太田が林課長に説明した理由が、社会通念或いは社会儀礼上必要なものとして、業務繁忙の時期においても年休を承認せざるを得ないとした同課長の判断に特段不合理な点は認められないし、一方、原告は具体的な事情や必要性を明らかにしなかつた(この点、争いがないとみられる)のであるから、当時、前記のとおり時季変更の要件があり、かつ、同課長もそのような判断に立つていたものである以上、原告についてのみ時季変更をしたとしても、これを不当な差別扱いと言うことはできない。また、組合に対する不当な介入と認めるべき証拠もない。
三 小括
右の次第で、林課長の本件時季変更権の行使が権利の濫用にあたるとの原告の主張は採用できない。
第四結論
以上に述べたとおり、林課長のした本件時季変更権の行使は、労基法上の要件を具え、権利の濫用にも当たらない正当なものと認められる。そして、本訴における原告の請求は、すべて右時季変更の違法、無効を前提とするものであるから、その請求は前提を欠くこととなり、その余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 田川雄三 岡久幸治 原啓)
別表(一)
曜日別要員配置状況
区別
曜日
<1>
定員
<2>
勤務者
<3>
週休
<4>
非番日
<5>
<1>-(<2>+<3>+<4>)
<6>
非常勤
<7>
非常勤
<8>
長期
病気休暇
休暇許容人員
A
B
日
三六
七
二九
〇
〇
月
三六
三六
〇
〇
〇
三
四
一
三
二
火
三六
三一
二
二
一
三
四
一
四
三
水
三六
三一
二
二
一
三
四
一
四
三
木
三六
三一
一
二
二
三
四
一
五
四
金
三六
三一
一
二
二
三
四
一
五
四
土
三六
三一
一
一
三
三
四
一
六
五
計
二五二
一九八
三六
九
九
一八
二四
六
別表(二)
普通通常郵便物の処理状況(昭和五〇年五月七日から二三日まで)
昭和五〇年五月
日 曜日
ストライキ
<1>
要配物数
<2>
滞留物数
配置人員
<1>/<4>
一人当りの平均要配物数
<3>
集配課
<4>
市内・市外担務者
七
水
〇
一四五七〇
六一二
三一
二二
六六二
八
木
〇
一四二六四
一四九〇
三〇
二二
六四八
九
金
〇
一四八〇二
〇
三一
二二
六七三
一〇
土
〇
一一六九〇
〇
三一
二二
五三一
一一
日
七
〇
一二
月
二〇二一八
一六〇
三六
二七
七四九
一三
火
一三七五六
一七九
三一
二二
六二五
一四
水
二一七一三
一七〇二
三一
二二
九八七
一五
木
二三六七一
四七四六
三一
二二
一〇七六
一六
金
二六八四七
四二三五
三二
二三
一一六七
一七
土
二五八九五
六二二四
三二
二三
一一二六
一八
日
七
〇
一九
月
三二〇〇七
五二〇五
三八
二九
一一〇四
二〇
火
二三九八三
一四〇四
三三
二四
九九九
二一
水
二〇三一三
四八五
三二
二三
八八三
二二
木
一八五二八
五三
三一
二二
八四二
二三
金
一八七七六
〇
三二
二三
八一六
平常の一日
一八八〇〇
三一
二二
八五五
(注) 小数点以下は四捨五入した。
別表(三)
当日の郵便物と担務指定
区名
前日の滞留物数
要配物数
滞留物数
担務者
補助
市内通常配達
1
二一九
一三九三
八二
松本
田淵操
2
一四五
一三九七
一三一
国本
田淵操
3
二九六
一六三七
一三四
小林
4
三二二
一五三一
三〇四
三森
5
三八四
一九八二
三〇七
土居
(注二)
6
三一八
一五五二
一三〇
山本
(注二)
7
二七三
一三七六
一六六
大竹
8
二八六
一四〇三
一三三
田淵潔
9
二八二
一四九四
一三四
船本
10
二一六
一三四四
一四一
矢山
11
二八九
一二一九
八四
稲垣
12
二九四
一一七九
七八
大郷
大口
〇
九七四
〇
小坂、日笠、丸山
合計
三三二四
一八四八一
一八二四
市外集配
1
〇
六八四
五三
中村
2
〇
六四六
一三〇
木元
3
〇
四一一
〇
見上
4
〇
八六九
一七二
小坂田
5
二〇〇
九七四
一八二
森本
6
〇
六九八
一三一
三川
7
〇
五一六
八七
黒見
8
〇
六三六
四一
河本
9
〇
八四二
二七五
光岡
10
五二二
二〇九〇
一三四〇
安藤
(注一)
合計
七二二
八三六六
二四一一
総合計
四〇四六
二六八四七
四二三五
(注一) 原告は当日市外一〇区の補助として担務指定される予定であつた。
(注二) 太田は当日市内五、六区の補助として担務指定される予定であつた。