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岡山地方裁判所 昭和63年(ワ)243号 判決 1991年7月10日

原告

立花功

右訴訟代理人弁護士

浦部信児

被告

西日本旅客鉄道株式会社

右代表者代表取締役

村井勉

右訴訟代理人支配人

丸山亨

右訴訟代理人弁護士

近藤弦之介

松岡一章

同(乙事件のみ)

河村英紀

右近藤弦之介訴訟復代理人弁護士

香山忠志

右松岡一章訴訟復代理人弁護士(乙事件のみ)

鷹取司

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告の倉敷駅寿町踏切道看守として就労する義務を有しないことを確認する。

2  被告は原告に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和六二年一〇月九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)の分割民営化に伴い旅客鉄道事業等を営むことを目的として設立された会社であり、原告は、被告の従業員として被告の倉敷駅(以下「倉敷駅」という。)の営業係として勤務していた。

2  被告は、昭和六二年九月二四日、原告に対し、同年一〇月一日から倉敷駅寿町踏切道(以下「本件踏切」という。)看守の業務(以下「踏切看守」という。)に就労するよう命じた(以下「本件命令」という。)。

3  倉敷駅では、国鉄の分割民営化以降、駅長以下の管理職が従業員に対し、社員意見発表会の募集と称して事実上強制的に作文を提出するよう促した。このため、原告は、昭和六二年九月一四日午後七時頃、同駅の中村雅美助役に「論文を提出するまでの個人的意見」と題する作文(以下「本件作文」という。)を提出した。ところが、同月一六日午前一〇時三〇分頃、同駅駅長岡寿男、同駅首席助役徳田伸一、中村助役の三名が原告を同駅駅長室の隣室に呼び出したうえ、本件作文を机にたたき付けるなどし、こもごも「おまえ、何を考えとるかー。」、「張りまわしたろうか。」、「倉敷駅には君のような考えの者は一人もおらん。やめてくれるか。辞表を書いてこい。倉敷駅には君は必要ない。出向でも行ってくれんか。」などと侮辱的な言葉で原告を罵倒し、原告の名誉感情を著しく傷つけ、雇用関係上の処遇に大きな不安を抱かせた。

4  このように、従業員の能力、適性を評価することとは無縁に、もっぱら企業に対する忠誠心という内面的な心情を検証する目的で作文の提出を強要することは、業務命令権の完全な逸脱であるうえ、提出された本件作文の内容が岡駅長ら倉敷駅管理職の意向に沿わないことから、その報復として本件命令が発令されたものであるから、本件命令は、人事、業務上の権限の濫用であって無効である。

5  さらに、岡駅長らの原告に対する前記言動は、違法であって不法行為に該当し、被告は岡駅長らの使用者として原告に生じた損害を賠償する義務がある。そして、原告は、右のような経緯によって著しい精神的苦痛を受けたが、これを慰謝するには三〇万円が相当である。

6  よって、原告は被告に対し、踏切看守として就労する義務を有しないことの確認を求めるとともに、不法行為に基づく損害賠償として三〇万円及びこれに対する乙事件の訴状が送達された日の翌日である昭和六二年一〇月九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因に対する認否

(一) 請求原因1、2の各事実は認める。本件命令は、昭和六二年四月一日施行の被告の就業規則(以下「本件就業規則」という。)第二八条に規定されている転勤、転職などのいわゆる配置転換ではなく、同日施行の被告の岡山支社業務管理規程(以下「本件支社管理規程」という。)第九条別表第4に規定されている現場長による「勤務割りの指定」替えであり、本件就業規則第四八条別表第一に規定された「職制」のうちの「職務内容」に関する指定替えであって、原告は、右「職制」上、倉敷駅の「営業係」の職に就いたまま、その職務内容が「構内営業に関する業務」であるメルシー(売店)三号店の業務から「踏切道の看守」の業務に勤務割の指定替えを受けたものである。

(二) 同3の事実のうち、倉敷駅で社員意見発表会の作文募集が行われたこと、原告が、昭和六二年九月一四日午後七時頃、中村助役に本件作文を提出したこと、岡駅長、中村助役が、同月一六日、原告を倉敷駅駅長室の隣室に呼び出し、徳田助役も同席して原告と本件作文について対談したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 同4の事実は否認する。

(四) 同5の事実のうち、被告が岡駅長らの使用者であることは認めるが、その余の事実は否認する。

(五) 同6は争う。

2  被告の主張

(一) 原告は、昭和六二年四月一日、被告に採用されて以来、勤務箇所を岡山支社の倉敷駅、職名を営業係として勤務している。また、原告の勤務割として指定された業務は、当初、同駅の「営業機動班」であったが、昭和六二年七月一日からは同駅の「臨時売店」及び「メルシー」(いずれも物品販売店舗でその業務はともに「構内営業に関する業務」であるが、「メルシー」が固定的施設の店舗となっているのに対し、「臨時売店」は移動するワゴン車や陳列ケースを使用する店舗である。以下これらを「メルシー」という。)三号店に指定された。その後、同年一〇月一日、被告に「事業所」制が設けられ、本件就業規則第四八条別表第一に新しく第一四号として「事業所」の職制(職名、職務内容、指揮命令系統)が規定されたことに伴い、メルシーの業務は「事業所」の業務の一つとされることになった。ところで、メルシーの業務は、前記「事業所」が設けられる以前は「運輸部営業課」の業務とされていたところから、メルシーの業務を担当していた従業員は、原告外一名(正清進)を除き、「運輸部営業課」兼務、又は「倉敷駅営業係」兼務の発令を受けて、いわば正式のメルシーの業務担当員となっていたが、原告外一名は、メルシーの要因が不足していたため「兼務」の発令を受けないで、臨時にメルシーの業務を担当していたことから、メルシーの業務が「事業所」の業務に移行するにあたって、原告はメルシーの業務から離れることになった。なお、正清は、健康上の理由で夜間勤務ができないため、夜勤のない「事業所」の業務を担当することになった。

(二) 昭和六二年一〇月一日当時、倉敷駅寿町踏切の踏切看守をしていた従業員六名のうち、岸本幸正が改札の勤務割の指定を受け、長岡克典が他社(ホテル)に出向した。このため、二名の後任者が必要となり、原告を長岡の後任とするために本件命令が発令された。なお、踏切看守の業務を担当するためには、運転適性検査である作業性検査(内田・クレペリン検査)及び識別性検査に合格していることが必要である(被告の運転取扱心得第六条、運転関係業務適性検査手続第七条)。原告は、同月一日から踏切看守の勤務割の指定をされたが、同月九日までは原告単独では踏切看守の業務につくことができず、「見習」として「本務」の従業員とともに右業務についていたが、同月六日に右運転適性検査を受け、これに合格したことから、同月一〇日に「本務」の指定を受けた。

(三) 本件の社員意見発表会の意見募集は、昭和六二年七月に被告従業員の全員に対して行われたものであり、提出された意見のうち優れたものを選び、地区発表会、支社発表会、本社発表会で順次発表することになっていた。右発表会は、被告が国鉄から事業を承継して民営会社として出発するにあたり、従業員の会社業務に対する意欲と情熱が企業の発展の原動力であることから、従業員の経営参画意欲の高揚を図るために実施しているものである。

(四) 原告は、昭和四九年四月一日、国鉄に準職員として雇用され、岡山操車場を勤務箇所とする構内係、構内指導係の職を経て、昭和五五年八月五日から岡山鉄道公安室所属の鉄道公安員となっていたが、昭和六二年四月一日、被告の設立とともに岡山支社の倉敷駅営業係となって現在に及んでいる。原告は、倉敷駅営業係として当社は同駅営業機動班を担当していたが、同年七月一日から同駅メルシーの三号店の業務を担当していた。原告は、鉄道公安員になる以前にも昇給において二回の一号俸抜てきを受けることがあったが、鉄道公安員としての勤務成績は甚だ良好で、性格も明るく、柔道の訓練に励み、昭和六〇年には、公安職員の全国柔道大会に選手として出場し、同年九月には、安全論文に応募してその発表をしたもので、乗客からその職務執行について感謝されたこともあった。原告は、メルシーを担当するようになってからも、積極的かつまじめに業務に従事し、接客態度も良好であったほか、QC活動(業務の改善、質の向上を図る社員の小集団活動)にも参加していたもので、メルシー担当の中村助役は、徳田助役、岡駅長にこれらを上申し、将来は優れた管理職になることを期待していた。

(五) 倉敷駅では駅長、助役が同駅所属の従業員に対し、右発表会の意見の提出を奨励したが、これを執拗に要求し、あるいは強制したことはない。ところが、原告が提出した本件作文は、被告が右発表会でのために予め定めた七つの題材とはいずれも全くかけ離れた内容のものであったばかりでなく、右発表会のための意見の募集と発表会の開催を非難、攻撃するものであった。

(六) 本件作文を読んだ岡駅長、徳田助役、中村助役は、日頃の原告の言動等からは全く予想できない内容であったため、非常に驚いた。そこで、直ちに原告を呼び、まず、徳田助役が「どういうつもりでこの作文を書いたんだ。」と尋ねたところ、原告は「書いてあるとおりです。」、「助役がしつこく書け、書けというので腹が立った。」と答え、岡駅長が「何を言っているのかわかっているのか。」、「何か気にいらんことがあるのか。」と尋ねたところ、原告は「JRに残ったのが悔しい。」、「県警に行かなんだと言ってあんな所に行かせて。」などと答えた。そこで、徳田助役が「大人なんだからもう一度良く考えろ。」と反省を促したが、原告は反抗的態度で岡駅長らをにらみつけるのみであった。このため、岡駅長が本件作文を原告に持って帰るよう渡したところ、原告はこれを持って無言で退室した。

(七) 以上によれば、本件命令は、本件作文に対する報復として行われたものではなく、人事、業務上の権限を濫用したものでもないから、有効であり、また岡駅長らの原告に対する前記言動は、原告の「管理・監督者」(昭和六二年四月一日人達第一三号・被告の教育訓練規程第二条)の立場にある岡駅長らが、その部下である原告に対して注意、指導することによって反省を促したものであるから、不法行為を構成するものではない。

三  被告の主張に対する原告の反論

1  昭和六二年一〇月一日に倉敷駅寿町の踏切看守二名が他に転出し、その欠員を補充する必要があったことは認められるが、原告をその後任に指定したことには何らの合理性がない。この点につき、被告は、「事業所」制への移行に伴い、原告がメルシーの業務から離れることになったためである旨主張する。しかし、本件当時、メルシーの担当者は、原告を除く全員が「事業所」に移っており、原告の後任の売店要員も補充されている。また、原告をメルシー担当から外すについて、原告の販売業務における不適格性、過誤等は主張されておらず、原告を事業所から外すことと本件命令とはセットになっており、原告が余剰人員化したとは考えられない。

2  本件当時、倉敷駅では余剰人員の活用を目的として六名の者を「要員機関」の俗称でグループ編成し、国鉄末期の国鉄労働組合に対する攻撃手段として採用された人材活用センター方式のような運用をしていた。右六名は、いずれも従前から運転適性検査に合格しており、踏切看守として勤務する資格を有し、その中には踏切看守の経験者もいた。これに対して、原告が運転適性検査に合格したのは、本件命令から一二日も経過した後であるから、原告が右検査に合格したことが、本件命令における人選の合理性を根拠づけることにはならない。本件命令は、本件作文に対する報復を目的としたものであって、人事権、業務命令権の裁量を逸脱した違法、無効なものである。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1、2の各事実及び倉敷駅で社員意見発表会の作文募集が行われたこと、原告が、昭和六二年九月一四日午後七時頃、中村助役に本件作文を提出したこと、同月一六日、岡駅長、中村助役が原告を倉敷駅駅長室の隣室に呼び出し、徳田助役も同席して原告と本件作文について対談したこと、被告が岡駅長らの使用者であることは当事者間に争いがない。

二本件命令に至る経緯

前記争いのない事実に、<書証番号略>、証人中村雅美、同徳田伸一の各証言、原告本人尋問の結果(但し、後記信用しない部分を除く。)、弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、<書証番号略>、原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  原告は、高校卒業後、昭和四九年四月一日に国鉄に入社し、岡山操車場の構内係、同構内指導係を経て、昭和五五年八月五日に岡山鉄道公安室の鉄道公安官となり、以後、昭和六二年四月の国鉄民営化に伴って鉄道公安官が廃止されるまでその職務を続けた。そして、国鉄民営化を目前にした時期に、原告は当時の上司から、新設の鉄道警察隊(警察組織の一部)に入るために必要な試験を受けるよう勧められたが、原告は、鉄道の仕事に愛着を持っており、警察では転勤が避けられないと考えたこともあって、右試験を受けなかった。その後、被告の発足とともに、被告に入社した。

2  原告は、被告に入社後、昭和六二年四月一日から倉敷駅に配属され、営業係のうちの営業機動班の職務に従事していた。この営業機動班の職務は、伯備線の無人駅で改札、乗車指導などを行うものであったが、原告は、右職務が鉄道本来の輸送業務以外のものであるとして不満を感じていた。原告は、営業機動班の職務に従事中の同年六月ころ、上司から、岡山駅のビアホール従業員募集の面接を受けるよう指示されたので、面接を受けたところ、不合格となった。このことから、原告は、自己の職務及び上司に対する不満を強めた。その後、原告は、同年七月一日に営業機動班から同じ営業係で倉敷駅の中にあるメルシーという名称の売店で物品販売に従事することになったが、この職務も原告は不満であった。もっとも、メルシーにおける原告の仕事振りは積極的で、上司からは良い評価を得ていた。なお、当時、倉敷駅のメルシーの業務に携わっていた被告の従業員については、本社の方針で倉敷駅の営業係と運輸部営業課との兼務を命じる旨の兼務発令が行われていたが、原告は臨時の補充要員であったことなどから、このような兼務発令を受けていなかった。

3  被告は、同年七月、従業員の経営参画意欲の高揚を図ることを目的として、予め定めた七つの題材の中から従業員が選んだ題材について自己の意見を記載した作文を全従業員を対象に募集し、そのうち優秀なものを地区発表会で発表し、地区で優秀なものを支社発表会で発表し、さらに、支社で優秀なものを本社発表会で発表する「社員意見発表会」を開催することにした。この七つの題材とは、(1)JR西日本にかける私の夢(2)JR西日本の社員像(3)JR西日本がめざす将来像(4)明るい職場づくりについて(5)自己研鑽について(6)地域社会との交流について(7)私の行動目標、であった。そして、被告は、同年七月三一日付の社報、同年八月一二日付の岡山支社報で作文募集をしたほか、倉敷駅日報に岡山支社報の作文募集部分をコピーしたものを添付して各箇所に配布し、あるいは、各職場における毎朝の点呼時に口頭で伝達し、さらに、個々の従業員らに対してもこれに応募するよう勧めた。その結果、倉敷駅では、当時の全職員一〇五名のうち五五名がこれに応募した。

4  原告は、当初、右募集に応募する気持はなかったが、上司から再三提出を勧められていたうえ、同年九月一四日の朝の点呼伝達の際、上司から、今日が締切日だから作文を出すように、と言われ、原稿用紙を渡されたので、「何でもよいのなら。」と言って右原稿用紙を受け取り、その日のうちに「論文を提出するまでの個人的意見」と題して、上司が作文の提出を催促することに対する不満や本件発表会への非難を内容とする本件作文を書いて上司の中村助役に提出した。

5  中村助役は、同年九月一六日、本件作文を読んだところ、その内容が前記募集の題材と全くかけ離れ、上司や本件発表会に対する非難を内容とするものであったことから大いに驚き、直ちに岡駅長と徳田助役に相談した。その結果、原告に対して指導、注意することにし、当日非番であった原告に電話をし、倉敷駅に呼び出した。そして、同日午前一〇時三〇分頃、岡駅長、徳田助役、中村助役が原告を駅長室の隣室に呼び入れ、本件作文を書いた原告の真意を聞くため、まず徳田助役が「お前、どういうつもりでこんな論文を書いたんか。」と尋ねたところ、原告は「論文に書いてあるとおりです。」と答えるのみであった。そこで、岡駅長が、本件作文に「誰しも」と記載されていることに関して、「誰しもとは誰のことを言っているのか。」と尋ねたところ、原告は「JRに残ったことが悔しい。」と言ったことから、岡駅長は「悔しいと言うんなら、なぜ残ったのか。何が気に入らんのか。気に入らんのなら辞めてくれてもよいし、出向に行ってくれても構わん。」と言った。このようなやりとりが約三〇分間続いたが、その間、岡駅長らはかなり大声で発言しており、原告は余り発言しなかった。そして、最後に岡駅長が本件作文を原告に突き返し、原告は本件作文を受け取って部屋を出た。

6  本件踏切は、倉敷駅のすぐ東に位置し、山陽本線と伯備線が競合する岡山支社内でも最も列車の通過本数が多く、しかも、交差している一般道路は対面通行で、定期バスも運行していることから、かなり混雑している重要な踏切であって、踏切看守の定員は六名である。ところで、本件踏切の看守のうち一名(長岡)は、同年八月末頃までには上司に対して岡山市内のビジネスホテルに出向することの希望を表明しており、また、他の一名(岸本)については、既にかなり長期にわたって本件踏切の看守をしてきたことから、他の部署に移す必要があった。このようなことから、同年九月初め頃までには、本件踏切の看守に二名の欠員を生じることが判明していた。このため、徳田助役は、二名の欠員のうち一名については岡山支社に人員の補充を上申するとともに、残りの一名については、同年九月初め頃、中村助役に対し、踏切担当の適任者を一名推薦するよう指示した。そこで、中村助役はその約一週間後に原告を含む三名の候補者を徳田助役に推薦した。これを受けて、徳田助役は中村助役と協議したうえ、原告がまじめで几帳面な性格で、メルシーの業務にも積極的に従事しており、過去に運転適性検査に合格していたことから、本件当時、右検査の年限が切れていたものの、再度右検査に合格することが確実であることなどを考慮し、同年九月一〇日過ぎ頃までには、原告を本件踏切の看守として発令することを被告の内部で決定した。

7  被告の倉敷駅における同年一〇月一日付の人事異動は、被告が同日付で事業所制を発足させたことに伴い、従来、駅の業務として行われていたメルシーによる物品販売業務を駅業務から切り離し、倉敷駅では新設された倉敷事業所の業務とすることになったことから、転出者一五名(うちメルシーから倉敷事業所へ転出した者が一〇名)、転入者五名であった。右人事異動に関連して、原告に対しては、同年九月二四日に同年一〇月一日付けで本件命令を発令する旨の内命が行われ、同年一〇月一日、右内命どおりに本件命令が発令された。そこで、原告は、同月二日に踏切看守見習いとして配属され、同月六日に踏切看守として要求される運転適性検査を受けてこれに合格し、同月一〇日から踏切看守の本務として就労した。しかし、原告は踏切看守の業務が国鉄時代の鉄道公安官より下位の仕事であるとして自尊心が傷つけられたと感じた。

三そこで、本件命令の有効性について検討する。

1 被告は、本件命令が従業員の配置転換命令ではなく、現場長による職務内容の指定替えにすぎない旨主張するところ、<書証番号略>、証人徳田伸一の証言によれば、本件命令は、本件就業規則第四八条、本件支社管理規程別表第4(現場長の専決事項とされる部下社員の勤務割りの指定)に基づいて発令されているものの、本件命令によって原告の職務内容及び勤務場所が、倉敷駅構内における物品販売から倉敷駅外にある本件踏切の踏切看守に変更されており、右変更の前後でその職務内容及び勤務場所について実質的な差異があるうえ、右変更がある程度長期間にわたるものであると考えられることからすると、本件命令は配置転換命令に該当するというべきである。

2  そこで本件命令が人事・業務上の権限の濫用であるかにつき判断するに、前記認定事実によれば、昭和六二年九月初め頃までには本件踏切の看守に二名の欠員が生じることが被告に判明しており、本件命令は、右欠員を補充する業務上の必要に基づいて実施されたものであり、対象者を選定するに当っても、予め上司の助役が三名の候補者を選定したうえ、原告の性格、メルシーにおける仕事振り、過去に運転適性検査に合格していたことから再度右検査に合格することは確実であること、事業所制発足に伴い、原告の職務内容を変える必要があったことなどを考慮して原告を踏切看守として発令する旨を被告内部で決定しているのであり、しかも、右内部決定は、同月一〇日過ぎ頃までに行われていることから、本件作文の提出をめぐる同月一六日の駅長室隣室における原告とのやりとり以前のものであると認められるので、原告を踏切看守として選定する過程や人選に不合理な点は見受けられず、被告に報復等の不当な動機、目的があったとも解されない。

してみると本件命令が人事権、業務命令権の裁量を逸脱したものであるとはいえないから、本件命令が無効であるとの原告の主張は理由がない。

四さらに、不法行為の成否について判断する。

前記認定事実によれば、被告は、民営化後間もなくの時期に、従業員の経営参画意欲の高揚を図ることを目的として社員意見発表会を企画し、このため予め題材を定めて全従業員を対象に作文を募集したところ、原告は右題材とはかけ離れた右発表会や作文募集に対する不満や非難を記載した本件作文を提出し、これが、昭和六二年九月一六日の駅長室隣室における原告とのやりとりの発端になっていることからすると、原告が上司に対して挑戦的ともいえる内容の本件作文を提出して上司の感情を害したうえ、右やりとりの際にも、原告自身は余り発言しなかったものの、かたくなな態度を取り続けたことが上司である岡駅長らの判示言動を誘発したというべきであり、その際における岡駅長らの発言内容、同人らが原告の上司で原告を指導する立場にあったことをも総合的に考慮すれば、岡駅長らの右言動は、社会的相当性を逸脱したものとはいえず、不法行為を構成するとは解されない。さらに、本件における作文の募集が、従業員の能力、適性の評価とは無縁に、もっぱら被告に対する忠誠心という内面的な心情を検証する目的で実施され、被告側が本件作文の提出を強要したとの原告の主張に添う事実を認めるに足りる証拠はない。

五よって、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官將積良子 裁判官安原清蔵 裁判官太田尚成は退官につき署名捺印することができない。裁判長裁判官將積良子)

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