岡山地方裁判所倉敷支部 昭和50年(ワ)176号 判決 1980年2月04日
原告
吉田真喜治
ほか二名
被告
奥本音松
ほか一名
主文
一 被告らは、原告吉田真喜治に対し、各自金一、八三一、〇八四円とこれに対する昭和四八年一〇月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、原告吉田光枝に対し、各自金一、二〇四、二四〇円とこれに対する昭和四八年一〇月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告吉田真喜治、同吉田光枝のその余の請求並びに原告株式会社吉田組の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告吉田真喜治、同吉田光枝と被告らとの間においては、各自の負担とし、原告株式会社吉田組と被告らの間においては、鑑定人拝郷木に支給した鑑定料四〇万円及び被告らに生じた訴訟費用から右四〇万円を控除した残額の三分の一を原告株式会社吉田組の負担とし、その余は各自の負担とする。
五 この判決は第一項、第二項に限り仮に執行することができる。
事実
第一申立
一 原告ら
1 被告らは各自、
原告吉田真喜治に対し
金二、八六六、七二〇円、
原告吉田光枝に対し
金一、三六三、〇七三円、
原告株式会社吉田組に対し
金二二、七〇二、七二一円、
並びに右各金員に対する昭和四八年一〇月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並に仮執行の宣言。
二 被告ら
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決並びに予備的に仮執行免脱宣言。
第二主張
一 請求原因
1 交通事故の発生
(一) 日時 昭和四八年二月一日午前一〇時頃
(二) 場所 岡山県都窪郡早島町三二八〇番地付近国道二号線バイパス
(三) 加害車 被告正弘運転の普通乗用自動車
(四) 被害車 原告光枝運転、原告真喜治同乗の普通乗用自動車
(五) 態様 加害車は、東進中の長い車列の後方から追越にかかり右側車線に出て走行中、車列前方で他の車両が同様追越のため右側車線に入つてきたので、これとの衝突を避けるためハンドルを右に切つたところ、道路右側に落ちそうになつたので逆にハンドルを左に切つて進行し、車列前方で同様追越のため右側車線に出ようとしていた被害車の右後部に衝突
(六) 受傷 原告真喜治は、頭頸部打撲症、右下腿部打撲症、右下顎骨皸裂骨折の傷害を受け、昭和四八年二月一日から同年七月三一日まで、倉敷中央病院及び村瀬医院に通院した(通院期間六か月うち治療実日数一二三日)
原告光枝は、頸椎捻挫の傷害を受け、昭和四八年二月一日から同年九月二一日まで、松田病院、倉敷中央病院、村瀬医院に通院した(通院期間七か月と二一日、うち治療実日数一五四日)。
2 責任
被告音松は運行供用者責任を、被告正弘は不法行為責任を負う。
3 損害
A 原告真喜治の分 合計二、八六六、七二〇円
(一) 治療費 五九、二〇〇円
(内訳)
倉敷中央病院 二、七〇〇円
村瀬医院 五六、五〇〇円
(二) 休業損害 二、九八三、三三六円
原告真喜治は、原告会社に代表取締役として勤務し、給与月額五〇万円を得ていたが、本件事故のため、昭和四八年二月一日から同年八月三一日まで勤務できなかつた。同原告は、この間、合計三五〇万円の給与を受くべきところ、同年二月分として一八三、三三二円、同年八月分として三三三、三三二円の給与支払を受けたのみで、その差額二、九八三、三三六円の給与所得を失なつた。
(三) 慰藉料 三〇〇、〇〇〇円
但し、治療期間六か月間の月五万円の割合による慰藉料
(四) 損害の填補(自賠責保険金) 四七五、八一六円
B 原告光枝の分 合計一、三六三、〇七三円
(一) 治療費 六九、一四〇円
(内訳)
松田病院 一、二〇〇円
倉敷中央病院 一、二〇〇円
村瀬医院 六六、七四〇円
(二) 休業損害 一、四〇〇、〇〇〇円
原告光枝は、原告会社に取締役として勤務し、給料月額二〇万円を得ていたが、本件事故のため、昭和四八年二月一日から同年九月三一日まで勤務できなかつた。同原告は、この間、合計一六〇万円の給与を受くべきところ、同年二月分として七三、三三三円、同年九月分として一二六、六六七円の給与支払を受けたのみで、その差額一四〇万円の給与所得を失なつた。
(三) 慰藉料 三七五、五〇〇円
但し、昭和四八年二月一日から同年九月二一日までの間の月額五万円の割合による慰藉料
(四) 損害の填補(自賠責保険金) 四八一、五六七円
C 原告会社
逸失利益 二二、七〇二、七二一円
原告会社の代表取締役である原告真喜治、原告会社の取締役である原告光枝が、本件事故により勤務できなかつたことにより、原告会社の収益は前年同期、次年同期を比較して、著しく減少した。
(一) 昭和四七年二月から七月に至る間の利益
金四三、六一四、四二八円
(二) 昭和四八年二月から七月に至る間の利益
金二〇、九一一、七〇七円
(三) 昭和四九年二月から七月に至る間の利益
金五九、一八五、二四二円
前年の同期間の利益との差額
金二二、七〇二、七二一円
次年度の同期間の利益との差額
金三八、二七三、五三五円
前年度及び次年度の平均と比較すると、
金三〇、四八八、一二八円
となる。
右の内差額の最も少い前年度の利益との差額をもつて損害とする。
4 結論
よつて、被告らに対し、各自損害賠償金として、原告真喜治は二、八六六、七二〇円、原告光枝は一、三六三、〇七三円、原告会社は二二、七〇二、七二一円並びに右各金員に対する本件事故発生後である昭和四八年一〇月一日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)ないし(四)は認め、同(六)は不知。
2 同2は認める。
3 同3は不知。
三 抗弁(過失相殺)
原告光枝は、追越のため右側車線に入る際、右後方の安全を確認しなかつた。
四 抗弁に対する認否
否認する。
第三証拠〔略〕
理由
一 交通事故の発生
請求原因1(一)ないし(四)は当事者間に争いがなく、同1(五)は成立に争いのない甲八号証によりこれを認めることができ、同1(六)は成立に争いのない甲四号証の一、二、五号証の一ないし六、六号証の一ないし一二、倉敷中央病院(整形外科及び脳神経外科)、松田病院、岡本整形外科に対する各調査嘱託の結果によりこれを認めることができる。
二 責任
請求原因2は、当事者間で争いがない。
三 過失相殺
抗弁(過失相殺)につき検討する。
証人菅道俊の供述、これにより成立の認められる甲三号証の一、二、三、成立に争いのない甲八号証、原告真喜治(第一回)、同光枝の各供述によると、被告正弘が渋滞していた車列を一気に追越そうとして相当の高速で右側車線を走行し、他の車との衝突を避けようとしてハンドル操作の自由を失ない、原告光枝車に追突したものであることが認められ、本件事故は被告正弘の過失により発生したもので、本件全証拠によるも原告光枝の過失を認めることができず、過失相殺の抗弁は失当である。
四 損害
A 原告真喜治の分
(一) 治療費
倉敷中央病院 二、七〇〇円(成立に争いのない甲四号証の二)
村瀬医院 四、二〇〇円(成立に争いのない甲五号証の二、四、六)
(二) 休業損害
原告真喜治の供述及びこれにより成立の認められる甲九号証の一、二によると、同原告が原告会社から本件事故当時受領していた給与月額は五〇万円であつたが、事故のあつた昭和四八年二月にはこれより減額された一八三、三三三円のみを受領し、同年三月分から七月分までは給与を全く受領していないことが認められる。しかしながら、原告真喜治は、本件事故により昭和四八年二月一日から同年七月三一日まで通院加療したことは前認定のとおりであるが、同原告の供述(第一回)、甲九号証の一、二、弁論の全趣旨によると、原告会社の事務所は原告真喜治の自宅にあり、同原告は通院期間中も一日に一回は事務所へ顔を出し、電話により仕事の指示を与えるなどしていたこと、同原告の給与は事故の四か月前に二七万円から五〇万円へと大巾に引き上げられたばかりであることが認められるのであり、これらの事情を総合勘案すると、被告らの負担に帰することのできる同原告の休業損害額は月額三〇万円程度、六か月合計で一八〇万円程度とみるのが相当である。
(三) 通院中の慰藉料
前認定の傷害の程度、通院期間に照らすと、慰藉料としては金五〇万円が相当である。
(四) 損害の填補
原告真喜治の供述によると、同原告は自賠責保険金四七五、八一六円を受領していることが認められる。
B 原告光枝の分
(一) 治療費
松田病院 一、二〇〇円(成立に争いのない甲六号証の六)
倉敷中央病院 一、二〇〇円(成立に争いのない甲六号証の四)
村瀬医院 六六、七四〇円(成立に争いのない甲六号証の一〇、一二)
(二) 休業損害
原告光枝の供述、これにより成立の認められる甲一〇号証の一、二によると、同原告が本件事故当時受領していた給与月額は二〇万円であつたが、事故のあつた昭和四八年二見にはこれより減額された七三、三三三円のみを受領し、同年三月分から八月分までは全く受領せず、同年九月分として一六万円のみを受領したことが認められる。しかしながら、原告光枝が本件事故により昭和四八年二月一日から同年九月二一日まで通院加療したことは前認定のとおりであるが、原告真喜治、同光枝の各供述、甲一〇号証の一、二によると、原告会社の事務所は原告真喜治、同光枝夫婦の自宅にあるため、通院期間中も原告光枝は事務員不在のときには電話番をするなどして原告会社の業務に従事したこともあること、同原告の給与は事故の四か月前に一〇万円から二〇万円に上げられたばかりであることが認められるのであり、これらの事情を総合勘案すると、被告らの負担に帰することのできる同原告の休業損害額は月額一五万円程度、従つて総額は一、〇六六、六六七円(二月分は一二六、六六七円、三月分から八月分までは各一五万円、九月分は二〇万円から一六万円を控除した四万円、以上の合計)程度とみるのが相当である。
(三) 通院中の慰藉料
前認定の傷害の程度、通院期間に照らすと、慰藉料としては金五五万円が相当である。
(四) 損害の填補
原告光枝の供述によると、同原告は自賠責保険金四八一、五六七円を受領していることが認められる。
C 原告会社の分
成立に争いのない甲一号証、証人坂本武の供述、同供述により成立の認められる甲七号証、原告真喜治(第一回)、同光枝の各供述によると、原告会社は、昭和四〇年九月一四日土木建築請負業等を目的として設立された株式会社であり、本件事故当時の従業員数は約一五名で、完成工事高は、昭和四六年九月一日から同四七年八月三一日までは八六、一〇〇、三〇〇円、同年九月一日から同四八年八月三一日までは七六、三一八、八二〇円、同年九月一日から八月三一日までは一一六、七九四、九〇〇円にのぼり、資本金は当初一〇〇万円であつたが、本件事故から約七か月後の昭和四八年八月二九日に一気に八〇〇万円に引上げられており、税理士により会計帳簿は整理され、毎決算期に税務署へ確定申告をしており、その経理は原告真喜治、同光枝夫婦の個人的家計とは截然と区別されていることが認められる。このように、原告会社と原告真喜治、同光枝夫婦の間に「経済的一体性」ないし「財布はひとつ」の関係は認められず、被告正弘の原告真喜治、同光枝に対する加害行為と同原告らの受傷による原告会社の利益の逸失との間に相当因果関係が存するものということができず、被告らは原告会社に対し不法行為責任ないし運行供用者責任を負うものではない(最高裁判所第二小法廷昭和四三年一一月一五日判決、集二二巻一二号二六一四頁参照)。
五 結論
以上の事実によると、被告らは各自原告真喜治に対し、損害賠償金一、八三一、〇八四円とこれに対する本件事故発生の後である昭和四八年一〇月一日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、原告光枝に対し、損害賠償金一、二〇四、二四〇円とこれに対する前同様昭和四八年一〇月一日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。原告真喜治、同光枝の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、原告会社の本訴請求は全部失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。仮執行免脱宣言の申立は相当でないから却下する。
(裁判官 池田勝之)