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広島地方裁判所 平成10年(ワ)422号 判決 1999年2月24日

原告

鈴木邦裕

右訴訟代理人弁護士

秦清

右訴訟復代理人弁護士

平谷優子

被告

株式会社デオデオ

右代表者代表取締役

久保允誉

右訴訟代理人弁護士

末国陽夫

佐々木和宏

主文

一  被告は、原告に対し、金五五万円及びこれに対する平成一〇年四月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金二四三二万六六五〇円及びこれに対する平成一〇年四月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は海事補佐人の業務に従事している者であり、被告は、情報処理機器及び部品の販売、設置、外部委託による修理等を業とする者である。

2  原告は、被告から、平成一〇年一月六日、ロジテック社製の3.5インチハードディスクユニット6.4GB(以下「本件ディスク」という。)を購入し、同日、被告に対し、原告が所有しているパーソナルコンピューター(NEC社製PC-9821V200/S7modelD2以下「本件パソコン」という。)のハードディスクの容量を増大させるため、本件ディスクを本件パソコン内に導入据付することを注文した。

3  被告松山店の従業員齋藤忠雄(以下「齋藤」という。)は、同年二月一二日、本件ディスクを本件パソコン内に導入据付した。齋藤は、本件パソコンの既存ハードディスク(以下「旧ディスク」という。)内のデータを本件ディスクに移し替える予定であったが、それに先立って本件ディスクをフォーマット(初期化)するに当たり、誤って旧ディスクをフォーマットしたために、旧ディスク内のデータを消去させた。

4  原告の旧ディスクには、次の情報が入力されていた。

(一) およそ九〇万字に及ぶ文章

(二) 数百通の業務文書

(三) 独自に開発した海難審判検索システム

(四) 電話番号を含む住所録

(五) ユーザー(個人)辞書

(六) 電子メール送受信ファイル

そして、旧ディスクから(二)の過半数及び(三)、(四)、(五)の全ての情報が消去された。

5(一)  被告は、本件ディスクを本件パソコン内に導入据付するに際しては、旧ディスクに入力されている情報を消去しないよう十分注意して接続するよう取扱う義務及び作業に当たっての注意事項の確認をして、作業に臨む義務があるにもかかわらず、右義務を怠って取扱いを誤り、これにより旧ディスクに入力されている情報を消去したので、齋藤は、民法七〇九条に基づき原告の被った損害を賠償する責任がある。

(二)  被告は、右齋藤の雇主であり、同人による本件ディスクの本件パソコンへの導入据付は被告の業務の執行につきなされたものであるから、被告は民法七一五条に基づき原告の被った損害を賠償する責任がある。

6  損害

(一)(1) 原告が喪失したデータのうち、前記海難審判検索システムは、原告が長年の海事補佐人としての活動において集積した海難審判のデータを一つ一つ入力していたもので、平成元年からの約二〇〇〇件の審判事件をはじめ、海上交通安全法等の海事法令キーワード等から瞬時に検索でき、図面等を用いて分かり易く解説するようプログラミングされたデータベースであった。原告は、これをCD―ROM化して販売することを念頭に置いて作成してきた。現在まで海難審判検索システムは市販されていないことからすると、右データベースは高い財産的価値を有するものである。

そして、右システムは、事故当時未完成の状態で現在も販売されていないことから、その資産評価の方法は①原価法、②取引事例比較法、③収益還元法等のうちの①原価法により、当該資産を製造するのに要した原価によって評価し、人件費、材料費、電算機関連費、経費等で評価するのが妥当である。

(2) 前記海難審判検索システムの開発は、原告が自己の業務の傍ら作成、入力したものであるため、作成に要した作業時間及び作業単価から人件費等を計算することにより、資産評価が可能である。

① 作業時間 本件作業は平成四年春から行われており、約六年間の間毎年三〇〇日、一日当たり約二時間程度をシステム作成作業に費やしたとすれば、一人約八時間の作業を基準として一一〇日働いたことになる。

② 作業単価 原告の海事補佐人としての知識なしでは行えない作業については海事補佐人としての原告の収入を基準とした単価で算定すべきである。原告の年間売上額は、約金二五〇〇万円であるから、作業単価一日当たり金七万円が妥当である。

通常のパソコン作業の単価は、相当熟達したパソコンに関する能力を有する者でなければ困難であろうから、経験年数一五年程度、年収金五五〇万円の者を基準として計算することが相当である。

(3) よって、海難審判検索システムの復元費用として金九三二万六六五〇円、住所録、ユーザー(個人)辞書の復元費用として金一〇〇万円の損害を被った。

(二) 慰謝料

(1) 原告が、特に長い年月を掛けて情報を集積し、ほぼ完成段階にあると考え、市販に向けて強い期待を抱き準備に入ろうとしていた海難審判検索システムが、被告の従業員の過失によって一瞬のうちに消去されたことを知った精神的なショックは計り知れない。

(2) また、次のような交渉の経緯から、原告は精神的損害を被った。

被告従業員石丸良介(以下「石丸」という。)は、データ消失後の平成一〇年二月一四日、原告から連絡を受け、齋藤と共に原告を訪問し謝罪した。その後、原告は、石丸に対し、データを復元するための人材を被告から派遣してほしい旨依頼し、石丸は人材の派遣に応じた。しかし、石丸が予定していた派遣人員は、人材派遣会社に登録している女性社員であり、右派遣社員では、海難審判検索システムの復旧に当たり必要な海難審判や海事用語についての一定の知識が不足しているので復元は不可能、あるいは教育に膨大な時間と費用を要してしまうと原告は考えた。そこで、翌二月一五日、原告は、自らが従前雇用していたパートタイマーに復元作業を依頼する費用の約半額として、被告に金一〇〇万円を請求したが、被告は態度を一変して硬化させ、その後、全く誠意を示さず原告からの損害賠償請求を無視し続けた。

(3) 原告が被った精神的損害に対する慰謝料は、金一〇〇〇万円を下らない。

(三) 弁護士費用

金四〇〇万円

7  よって、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償請求として金二四三二万六六五〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成一〇年四月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  同4の事実は不知。

3  同5(一)の事実は争う。

同5(二)の事実のうち被告が齋藤の雇い主であること、齋藤が被告の業務の執行として本件ディスクの据付を行ったことは認めるが、被告の責任は争う。

4  同6の事実は否認する。

三  被告の主張

1  データ消失の原因

(一) 原告の注文は、本件ディスクの据付と共にメインディスク(起動ディスク)を旧ディスクから本件ディスクとし、旧ディスク内の全てのデータを本件ディスクに移し替えること(これにより旧ディスクは空の状態になる)であった。齋藤は、ハードディスクの据付は本来有料であるが、原告が顔なじみであるため無償でこれらの作業を行うことにした。

(二) 齋藤の予定していた手順は、①本件パソコンに本件ディスクを取り付けた後、②旧ディスクと本件ディスクの二つのうち、旧ディスクをスリープ状態(作動しない状態、ハードディスクの使用ができなくなるので保存されたデータが変更、消去されることはない)にして旧ディスクへのインストールを不可能にし、本件ディスクへインストールできる環境を作る、③本件パソコンの添付されているバックアップCDを用い、その中のデータ(ウィンドウズ95等)を本件ディスクへインストールし、原告が旧ディスク内に保存しておいたデータを本件ディスクに移し替える、というものであった。

齋藤は①の作業の後、②の作業に取りかかり、旧ディスクをスリープ状態にするための画面を呼び出し、スリープ状態にするための項目を選択した。

(三) 前記②の作業のうち、通常アクティブ状態に設定してあるハードディスクをスリープ状態に設定し直せば、そのハードディスクは認識されなくなり、これにインストールすることは不可能となる。しかし、本件パソコン(PC-9821V200/S7modelD2)は従来品とは異なり、付属品のバックアップCDを用いて「標準再セットアップ」を開始すると、旧ディスクをスリープ状態に設定しても、自動的にアクティブ状態に戻し、旧ディスクへインストールが開始される仕組みになっていた。

本件においても、齋藤が旧ディスクをスリープ状態に設定したにもかかわらず、インストールを開始すると、旧ディスクは自動的にアクティブ状態になり、バックアップCD内のデータが旧ディスクに再インストールされてしまったため、原告が旧ディスク内に保存しておいたデータは消去された。

2  権利侵害あるいは違法性の不存在

パソコンのデータは、磁気により記録されるにすぎず、有体物のような実体があるわけではない、そのため、データは常に消去される危険にさらされている。よって、パソコンのデータは法的保護に値するとの認識を一般人が有しているとは言い難く、個々のユーザーが責任を持ってバックアップを行うしかない。

パソコンのデータを消去させた場合に不法行為の成立を認め得る場合があるとしてもバックアップのないことを知りつつ故意にデータを消去させた場合等のように、侵害行為の反社会性が著しく強い場合に限定されるべきである。

通常起こり得るような誤操作等によりデータを消去させたような場合は、これを違法というべきではない。

3  自動的にアクティブ状態になることを知らなかったことについての無過失

スリープ状態は、保存されたデータを変更、消去できないようにするためもっとも確実な安全装置として長年利用されてきた。ところが、本件パソコンの機種であるNEC製パソコンのVシリーズでは、既存ハードディスクをスリープ状態にしておいても強制的に組み込みがなされるように仕様が変更された。

それゆえ、メーカーとしては、ユーザーや販売店に対して、説明書の記載とは別に、明確な形で何らかの注意を与えるべきである。にもかかわらず、明確な注意は行われておらず、説明書にもそのような仕様の変更の記載はなかったため、NECのディーラー向けサポート担当者でさえ即答できない状態であった。説明書の再セットアップ(パソコンのハードディスクの内容を購入時の状態の戻すこと)ガイドには「再セットアップは、第一パーティションの領域に行うようになっています。」との記載はあるが、旧ディスクをスリープ状態に設定すれば、増設ハードディスクが第一パーティションとして扱われるというのが通常の理解であり、この記載を旧ディスクへの強制的な組込みを記載したものと理解することはできない。また、「お客様自身が後から変更した設定やデータは全て消えて初期状態に戻ります。」との記載も、バックアップCDで組込まれる内容が初期状態に戻ることを記載したものと理解するのが自然であり、CDとは無関係なスリープ状態の設定まで元に戻ると理解するのは困難である。

4  相当因果関係の不存在

本件事故により原告に生じた損害は、データが消去されたことではなく、原告がデータのバックアップを怠ったことから生じたものというべきであり、被告の行為とは相当因果関係がない。

原告は、海難審判検索システムの多額の復元費用を請求するが、被告は、復元に多額の費用を要するシステムがハードディスクに保存されていることを予測するのは不可能であり、原告は齋藤に対して、何らかの特別の注意を与えていなかったのであるから、齋藤がこれを予測するのは不可能である。

したがって、原告が主張する損害は被告の行為とは相当因果関係を欠く。

5  損害の発生に対する予見可能性の不存在

データ消失による被害を避ける唯一の方法は、データのバックアップであり、データが消失し、何らかの被害が生じたとしてもその責任はバックアップを怠ったユーザーにある。

被告は、原告がバックアップをとっていないことを知り得ず、バックアップのないことを予測させるような特別な事情もなかったので、データ消失により原告に損害が生じたとしても被告に責任はない。原告は長年パソコンを利用し、相当詳しい知識を有しているので、被告は原告が当然バックアップをとっていると判断していたこと、原告が被告に対し、バックアップをとっていないことを原告は告げなかったことから、バックアップのないことを被告は知り得なかった。

6  損害額

(一) 財産的損害

消去されたデータは復元可能であるから、社会通念上、原告に損害はない。

復元費用と失われた利益は別個のものであるから、復元費用を損害額と算定するのは誤りである。旧ディスク内のデータは消去されているが、これにより財産的損害は生じていない。それ自体価値のないものでも復元が困難で多額の費用がかかる場合もあり、その全額の賠償を求めるのは不当である。

(二) 精神的損害

被告は直ちに原告を訪問して謝罪し、人材の派遣に応じている。交渉が打ち切られた原因は、原告が法外な請求をしたことにある。

そもそも、被告には人材を派遣する法的義務はなかったのであり、被告の対応は誠意あるものといえる。

したがって、原告に精神的損害は生じていない。

7  過失相殺

パソコンのデータは、ユーザーがバックアップを行って保護するしかない。

したがって、データの消失による損害は、管理を怠ったユーザーにも責任があるというべきである。

四  原告の主張

バックアップの有無は損害が生じた後の復旧の可否の問題であるが、ユーザーにはバックアップをとる義務は存在しない。ユーザーがバックアップをとることがデータ保護の観点から望ましいことではあるとしても、現在の慣習としてユーザーの義務といえるかは別の問題である。また、原告の方からバックアップのないことを告げる義務もない。

作業に伴いハードディスク内のデータ消失の危険があることは作業担当者にしか予見できないものである以上、そのための対策としてデータのバックアップをとっておくべきであることの告知ないし説明を行う義務は、むしろ被告にある。

原告は、パソコンの画面上の操作に関しては習熟しているが、本件作業に類似するパソコンの設備に関するメンテナンス等本件作業に関連する内容に関しての専門知識はなく、本件作業において一般ユーザーと区別しうる根拠はない。

第三  証拠

証拠関係では、本件記録中の書証目録及び証人等目録に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

理由

一  請求原因1ないし3の事実は争いがなく、証拠(甲八ないし一二、乙一、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、請求原因4の事実が認められる。

二  請求原因5(齋藤及び被告の責任)の事実につき判断する。

1  証拠(甲五、六、八、一二、一六ないし二〇、乙一ないし六、証人齋藤、同石丸、原告本人)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告と齋藤の間で予定されていた作業は、①ハードディスクの増設、②ハードディスク上の領域の確保、③ハードディスクのフォーマット、④ディスクのセットアップ(ウィンドウズ95等のデータを組込み)の四段階である。

齋藤は、平成一〇年二月一二日、原告の事務所において右①の本件ディスクの据付作業、②の領域の確保を行った。

(二)  そして、前記③フォーマットの最初のメニューである「状態変更」で、それぞれのパーティションを任意の状態に変更することができることから(乙六)、齋藤は旧ディスクのパーティション(ハードディスクが複数に分割されている場合の各領域)を、アクティブからスリープの表示に変更し、本件ディスクのフォーマットを行い、本件ディスクが第一パーティションになるとの認識で、セットアップ(ウィンドウズ95等の組込み)をするため、本件パソコンに附属するバックアップ再セットアップCD(以下「バックアップCD」という。)を用いてインストールを開始した(証人齋藤)。

(三)  従来の機種においては、アクティブ状態に設定してあるハードディスクをスリープ状態に設定すれば、そのハードディスクは認識されなくなり、これにバックアップCDでインストールすることは不可能となる。しかし、本件パソコン(PC-9821V200/S7modelD2)は従来の機種とは異なり、再セットアップを簡易にするため、再セットアップを開始すると、旧ディスクをスリープ状態に設定していても強制的にアクティブ状態に戻し、旧ディスクを第一パーティションと認識して、フォーマットを行い、バックアップCD内のデータをインストールする仕組みになっていた。

そのため、バックアップCD内のデータが旧ディスクへインストールされ、初期状態に戻り、原告が旧ディスク内に保存しておいたデータは消去された。

(四)  本件パソコンの説明書においては、ハードディスクの領域を複数に分割している場合、旧ディスクの一番目の領域のドライブ番号(呼び名)をAドライブ(第一パーティション)、二番目の領域をBドライブとし、フロッピーディスクドライブをCドライブと割り当てており、ハードディスクを増設し、旧ディスクをスリープ状態にした場合でもドライブ番号は特に変更されない。

ただし、再セットアップをする場合、フロッピーディスクから起動するため、フロッピーディスクドライブがAドライブ、旧ディスクの第一パーティションがBドライブ、第二のパーティションをCドライブ(ただし、フロッピーディスクが増設されている場合はハードディスクの第一パーティションがCドライブとなることもある。)というドライブ番号となる(甲一六、一七)。

(五)  本件パソコンの説明書の一つである、再セットアップガイド(甲一六甲)には、再セットアップに関する注意として二頁に「バックアップCD―ROMで再セットアップできるほは、本機に標準で添付されたソフトウェアのみです。お客様ご自身が、後からインストールされたアプリケーションや、作成されたデータは復元されません。お客様ご自身が後から変更した設定やデータはすべて消え初期状態に戻ります。」「ハードディスクの領域が複数ある場合、再セットアップは第一パーティション(p.33)の領域に対して行うようになっています。」とあり、ハードディスクが二つの領域に分割されている場合に、領域を確保する作業をする際の注意点として、三三頁には「ハードディスクを複数に分割した場合、一番目の領域を第一パーティションといいます。」「セットアップ先はAドライブ(第一パーティション)となりますので、Aドライブは、購入時の状態に戻すために必要な領域のサイズをご確認の上、作業を進めてください。」と記載されている。なお、第一パーティション以外へインストールする方法は説明書に記載がない。

再セットアップにつき、ハードディスクを増設した場合においても、新旧ハードディスクのうちの最優先ドライブは旧ディスクの一番目の領域であるAドライブ(第一パーティション)に変わりはない。

(六)  ハードディスク増設後のドライブレター変更(本件においては、本件ディスクを起動ディスクにすること)の方法には、①プログラムをインストールしなおす、②ハードディスクの内容を、従来のドライブレター通りにコピーする、等の方法がある。本件においては、齋藤は①の方法を選択した。仮に、②の方法によれば、本件ディスクの領域を確保しフォーマットした後、旧ディスク内のデータを本件ディスクにコピーすることになる(甲一八、原告本人)。

(七)  通常、被告においてハードディスクの据付作業を行う際には、その業務に専門で携わる専任サポート担当者は取扱説明書等の該当箇所をあらかじめ確認し、相手方にバックアップの有無を尋ねるが、今回、据付作業を行った齋藤は取扱説明等は読んでいなかった。また、齋藤は、原告がパソコンについてかなり高度な知識を有していたことから、バックアップの重要性を十分熟知しているので、あえて尋ねなくともバックアップをとっているものと判断し、バックアップの有無について原告に尋ねなかった(証人齋藤)。

(八)  ハードディスク内のデータはソフトの誤作動、停電やCPUの誤作動、ハードディスクの故障等の理由で消去されやすく、バックアップをとることがデータの安全対策には不可欠である。しかし、原告は本件ディスク据付前、ハードディスクは簡単に壊れないと考え、旧ディスク内のデータのバックアップをとっていなかった(乙二、三、原告本人)。

2  そこで検討するに、パソコンのデータは、磁気により記録された情報にすぎず、常に消去される危険性があることは否定できないとしても、それ自体法的保護に値する利益であるというべきであるから、これを故意又は過失により消去するなどして侵害した場合には不法行為が成立する余地があるというべきである。

3  前記認定事実によれば、従来の機種において、スリープ状態にして再セットアップをすることが適切な方法であったとしても、機種の異なる本件パソコンの取扱においては不適切な方法であったといえる。

齋藤が、本件ディスクの据付作業を始める前、取扱説明書である再セットアップガイドを読んでいれば、旧ディスクをスリープ状態にしていても再セットアップをした場合、常に旧ディスクの一番目の領域であるAドライブ(第一パーティション)にインストールされることを知り得たはずである。すなわち、インストール先がAドライブであることを知り得たならば、フォーマットの最初のメニューである「状態変更」でAドライブ(旧ディスク)をスリープ状態に変更した場合であっても、もとの状態であるアクティブ状態に戻ることに対して疑問を持つことが可能であったといえる。そこまで詳細に理解ができなくとも、少なくとも、相当な注意を払えばセットアップ先はどこであるかについて疑問を持つことができ、疑問を持てば、旧ディスク内のデータを本件ディスクにコピーする等の他の方法を選択する余地も十分考えられる。

しかるに、齋藤は、本件パソコンの取扱説明書に事前に目を通さずに、セットアップを行い、セットアップ先がどこかについて疑問を持つこともなく作業を実施したのであるから、この点につき齋藤に過失があったといわざるを得ない。

4  本件のデータ消失による損害の発生は、齋藤が業務上取り扱った当該作業を遂行するに当たり、専門業者として必要とされる相当な注意を怠り、本件ディスク据付について適切な方法を選択していなかったことが直接の原因で惹起されたものであるから、両者の間には相当因果関係が認められる。したがって、被告においては従業員である齋藤の右行為につき使用者責任を免れないものというべきである。

他方、原告としても、多量のデータを入力するに際しては、事故の際の復旧に備えてバックアップをとっておくべきであり、バックアップをとっておけば損害が発生しないか、発生したとしても極めて軽微な程度の損害にとどまっていたであろうことが容易に推認されるところであるから、バックアップを怠った原告の過失が損害の発生又はその拡大に寄与したものというべきであり、これを過失相殺の法理の類推により損害減額の事由として、後記説示のとおり考慮するのが相当である。

三  請求原因6(損害額)について判断する。

1  証拠(甲一、七、九ないし一二、原告本人)並びに弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

(一)  原告は、旧ディスクに住所録、ユーザー(個人)辞書を入力していた他、海難審判検索システムを構築しており、右システムの内容は、裁決録の検索、海上交通関係法令の全文検索、海事関係省庁、海事関係法人の住所録の検索、海難発生地点を管轄する地方海難審判庁の管轄区域の判別、日出没、月出没、月の姿形の表示、潮流、潮汐の計算、衝突状況の再現シュミレーションプログラム、二点間距離をセンチメートルの精度で計算できるプログラム等である。

海難審判補佐業務として海難事件の原因究明を行う際、裁決録を検索、閲覧することは必要不可欠である。

現在、日本財団がインターネット上で海難審判検索システムを公開しているが、これは二年分の審判が検索できるに過ぎない不十分なものであり、同様のシステムとして市販されているものはない。

(二)  原告は、基本設計、詳細設計、仕様書は作らずに右システムを構築していた。

(三)  原告は、右システムを主に自己の執務上の参考として利用する目的で作成しており、完成した段階で商品化するつもりではいたものの、具体的な契約には至っておらず、右システムが消失した時点では、基本的なシステム(データを入力する箱の部分)が八割方完成していた段階であり、海上交通関係法令等は全て入力されていたが、裁決録は、平成四年頃から現在までの分が入力されていた。

(四)  原告は別のパソコンでMS―DOSを使って海難審判検索システムを構築しており、プログラムは全てその中に残っている。旧ディスクに入力されていたデータを復元するにはMS―DOSで使っているn88ベーシックという言語をウィンドウズ95用に書換え、灯火図を本からスキャナーで読み込み、裁決録を公刊書からOCRで取り入れる作業を行うことになる。

2(一)  以上の事実関係の下で、財産的損害の有無について判断する。

データの財産的価値は、そのデータが経済的利益を生み出すもの(企業における顧客リスト等)であるか、作品の利用対価が支払われているかという経済的側面から判断されるが、本件において消失した情報のうち、海難審判検索システムは、審判検索の他、現存するインターネット上のものよりもシステムとして利用範囲が広いというのであるから、その利用価値が認められないではないが、現段階では未完成であり、ソフトウェアとしての技術水準に達しているとはいえず、出版社との商品化の交渉にも至っていないというのであるから、その財産的価値(客観的価値)は皆無とはいえないとしても、これを具体的に算定することは困難というほかはない。また、システム内に入力されていた裁決や海事法令、灯火図等は公刊書等に存在するものを選択、引用してきたにすぎず、住所録、ユーザー辞書は、専ら個人的な利用に供するためのものであり、主観的価値はともかく、財産的価値は認め難い。

(二) 原告を被害を受ける前の経済状態に回復させるには、物理的にデータを復元させることが必要であるが、その復元には、前記認定事実にすれば、別のパソコンに残っている右システムのデータを書換えるという方法によっても復元がある程度可能であるとする一方、本件ではシステムの八割方しか完成していなかったというのであるから、右データを物理的に完全に復元することは不可能といわざるを得ない。

もっとも、原告本人は、プログラム開発業者に原告が作成していたシステムを再現するよう開発を依頼すれば、合計金九三二万六六五〇円(見積額)になる旨供述し、これを裏付ける証拠(甲七、一二ないし一五、二一)を提出するが、前記認定事実1(二)、(四)のとおり、原告は基本設計等を作らずにシステムを構築し、実際の復元方法は、別のパソコンに存在するプログラムをもとに、自らの労力でシステム開発を続行するというのであるから、右事実に照らして考えると右見積額は高額に過ぎ、その算定根拠や算定過程に合理性がなく、原告の右供述及び前掲証拠をそのまま信用することができず、他に原告の見積額に関する主張を認めるに足りる証拠はない。

(三) 以上認定、説示のとおり、本件データの財産的価値(客観的価値)が皆無とはいえないとしても、その喪失により原告が被った財産上の損害額を本件証拠上確定することは、損害の性質に照らし極めて困難である。

しかしながら、そのことの故に右損害額を零と認定するのは民訴法二四八条の規定の趣旨に照らし相当でないから、原告が被った財産上の損害は、慰謝料の補完事由として、この点も慰謝料算定において斟酌するのが相当である。

なお、本件のような同一の事故により生じた本件データの喪失を理由とする財産上の損害と精神上の損害とは、原因事実及び被侵害利益を共通にするものであるから、その賠償の請求権は一個であり、両者の賠償を訴訟上併せて請求する場合にも、訴訟物は一個であると解すべきである(最高裁判所昭和四八年四月五日第一小法廷判決、民集二七巻三号四一九頁参照)。

3  慰謝料

(一)  証拠(甲八、一二、乙一、四、五、証人齋藤及び同石丸、原告本人)によれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告は、十数年以上前からパソコン等の電子機器を扱っており、これまで被告から合計五台以上のパソコン等を購入しており、本件ディスク購入当時も、被告松山店には月に二、三回、多いときは週二、三回程度訪れており、当時被告松山店に勤務していた齋藤とも十数年来の顔見知りとなっていた。また、齋藤も、原告を得意先として扱い、本件ディスク購入以前にも、原告方事務所に赴いて、ハードディスクの増設やメモリーの増設作業をしたことがあり、また、本件ディスクについても、本来有料であるべき据付作業やインストール作業を無償サービスとして行うこととした。

また、原告は、自らデータベース専用のソフトを使用して検索システムの作成作業を行っており、パソコンについてかなり高度な知識を有していた。

(2) 齋藤が、平成一〇年二月一二日にデータを消去したため、原告は、長い年月を掛けて独自に開発し、ほぼ完成段階にあると考えていたシステム及び住所録や文書等のデータを、被告側の過失により瞬時に全て失ったことから、精神的打撃を受けたものの、その時点では、齋藤とデータが消失していることを確認したにすぎなかった。

(3) 原告は翌日の一三日、被告に対し損害賠償請求の申入れを行った(甲八)。

(4) 石丸と齋藤は、同月一四日午後七時頃、原告の事務所を訪れ、原告に対し謝罪をしたところ、原告は元に戻すための人員を用意してほしいことや、作業の場所を被告にするか原告の事務所にするか検討してほしいことや、専門用語等は分からないので原告が教えること等を話した(乙五)。

(5) 原告は石丸に対し、同月一五日以下のような提案をした。すなわち、(第一案)データベースソースの作成に要した今までの経費分にこれと同額の金額を加えた金九七〇万円で解決する。(第二案)①被告の費用負担で海難審判裁決録データベースソースのプログラムを三月末日までに復元し、原告の拘束費用、派遣社員に対する指導のためのパートの雇用費用として合計金一〇〇万円を支払い、②原告の住所録、ユーザー辞書等の復元のための入力作業に必要な人材を派遣する、(第二案)を選択した場合には五月一日までに完成することとし、遅延した場合一日につき金五万円を支払う、というものである(乙一)。

(6) 被告は原告に対し、同月一九日、右(第二案)のうち、人材の派遣については応じられるが、原告の拘束費用等の支払はできないと伝えると、原告は従前のパート雇用費用の約半額である金一〇〇万円の支払で全てを解決する旨提案したが、被告はこれに応じなかった(原告本人)。

(二)  右認定の事実によれば、原告は、長年にわたり独自に開発し完成間近な段階にあったシステムほか住所録などのデータを齋藤の過失により瞬時に全てを消失し、精神的打撃を受けたというのであるから、原告がこれにより精神的損害を被ったことは容易に推認することができる。

そこで、原告の右慰謝料算定に当たり斟酌すべき事情について、これまでに認定した事実及び証拠によれば、(1) 原告は、被告松山店の顧客として従業員齋藤とは十数年来の付き合いであり、本件においても、被告から本件ディスクを代金五万八五七一円で購入し(甲二)、これを本件パソコン内に導入据付することを被告の従業員齋藤に注文したが、齋藤は得意先である原告とのこれまでの付き合いから、本来有料であるべき訪問、据付作業やインストール作業(金一万数千円相当)を無償サービスで行い、その作業の過程で本件データの消失事故が生じたものであること(乙四、証人齋藤)、(2) 原告は右損害賠償の交渉の過程において、被告に対し、一切の解決金として金一〇〇万円を提示していたこと、(3) 原告本人も、本件データの財産的価値(客観的価値)につき、出版社等に金三〇万円から金五〇万円で売るつもりである旨供述する一方、本件データの消失時点では八割方しか完成しておらず、契約段階にも至っていないし、過去に同種の取引をしたこともない旨供述していること(原告本人)、(4) 原告は、別のパソコンに残っているシステムのデータを書き換えるという方法によっても消失した本件データの復元がある程度可能である旨供述していること(原告本人)が認められる。

右認定の諸事情を総合勘案すれば、原告の慰謝料は、本件データに認められる財産的価値(客観的価値)を合わせ考慮しても金一〇〇万円を超えるものではないと認めるのが相当である。

4  過失相殺

前記二1(八)で認定したとおり、原告はバックアップをとっていなかったところ、業務上不可欠なデータが多量に存する場合、事故の際の復旧に備えてバックアップをとっておき、損害を最小限のものにすることが必要であり、その懈怠によって発生又は拡大した損害については、被告にその全部を賠償させるのは損害賠償法を支配する衡平の理念に照らし均衡を失するというべきである。そこで、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、データの重要性、損害回避のためのバックアップの必要性、これを怠った原告の過失の程度その他諸般の事情を斟酌し、原告に生じた右損害の五〇パーセントを減額するのが相当であるから、右減額後における原告の損害額は、金五〇万円となる。

もっとも、原告は、現在の慣習としてユーザー(原告)にはバックアップをとっておくべき義務はない旨主張する。

しかしながら、前示のとおり、原告は、十数年以上前からパソコンなどの電子機器を扱い、自らデータベースの専用ソフトを使用して検索システムを構築する作業を行っており、パソコンの利用方法について習熟し、相当詳しい知識を有していることが認められるのであるから、本件ディスクの本件パソコンへの導入据付作業に伴いハードディスク内のデータ消失の危険があることは、右作業内容に関する専門知識の有無は別として、原告において十分予見できたものというべきであり、そのための対策として本件データのバックアップをとっておくべき義務があるというべきである。このことは、(1) 前示のとおり、齋藤は右作業を無償サービスとして行ったものであること、(2) 原告は、齋藤に本件データの内容を告げず、また、同人に対し特段の注意喚起もしていないこと(原告本人)、(3) 原告自身、損害賠償の交渉の過程で被告に対し、バックアップを怠った責任(一部)のあることを認めていること(乙一)からも明らかである。

したがって、原告の右主張は理由がない。

5  弁護士費用

原告が本件訴訟代理人らに本訴の追行を委任し、その着手金、報酬の支払い約束をしたことは、弁論の全趣旨により明らかであるところ、本訴認容額等に鑑み、被告に請求しうべき弁護士費用の額は、金五万円とするのが相当である。

四  結語

よって、原告の本訴請求は、不法行為に基づく損害賠償金のうち金五五万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成一〇年四月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を認める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法六一条、六四条但書、仮執行宣言については、同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官松村雅司 裁判官金村敏彦 裁判官伊吹真理子)

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