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広島地方裁判所 平成2年(行ウ)2号 判決 1992年9月30日

原告

大原明代こと金明代

右訴訟代理人弁護士

山崎晴夫

被告

廿日市労働基準監督署長三島弘男

右指定代理人

大西嘉彦

永谷進

伊庭洋二

木村睿子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、昭和六〇年一〇月二四日原告に対してした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の亡夫大原秀夫(以下「秀夫」という。)は、昭和六〇年五月二八日午後三時一〇分ころ、広島市佐伯区五日市町石内字若宮所在の仮称五日市村上団地造成工事のうち、勤務先の株式会社大原鉄工所(以下「大原鉄工所」という。)が下請した工事の現場において、凝集沈澱槽内の改造工事のため同槽内に入り部下の北川幸夫から工具を受け取った時、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血(以下「本件疾病」という。)のため倒れ、同年六月九日死亡した。

2  原告は、秀夫の死亡は業務上の死亡に該当するとして、被告に対し、同年七月一一日に労働者災害補償保険法所定の遺族補償及び葬祭料の支払の請求を行ったが、被告は、同年一〇月二四日、右遺族補償及び葬祭料の支給をしない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。

3  原告は、本件処分を不服として、同年一二月一八日、広島労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、同審査官は、昭和六一年一二月五日、右審査請求を棄却する旨の決定をした。

原告は、これを不服として、昭和六二年二月一九日、労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、同審査会は、平成元年一〇月六日、右審査請求を棄却する旨の裁決を行い、この裁決書の謄本は同年一〇月二三日、原告に送達された。

4  しかし、秀夫の死亡は、以下に述べるとおり、業務上の事由に起因する疾病により生じたものであるから、本件処分は違法である。

(一) 家族構成、経歴、性格、健康状態等

(1) 家族構成

秀夫は、昭和五五年に原告と結婚し、一男二女をもうけており、本件疾病により死亡した当時三二歳であった。

(2) 経歴

秀夫は、昭和四五年三月に大阪府立野田工業高校を卒業し、実兄の大原武夫が経営する大原鉄工所に入社した。同社は建設設備請負業者であり、秀夫は同社において主として設備機械の据え付け、配管、製缶の仕事をしてきた。

(3) 性格

秀夫の性格は内向的で、普段はめったに怒らないが、仕事がうまくいかないときには一時的に激昂するタイプであった。仕事に対しては非常にまじめで責任感が強く、率先して仕事をしてきたものであり、疲れていてもそのことをほとんど口に出さないし、体調が悪くても弱音をはいたことがなかった。

(4) 健康状態

秀夫は、身長一六七センチメートル、体重六五キログラムの標準体型であり、高校時代に大阪府下高校の一〇傑に入るハンドボールの選手で、その他野球等のスポーツを行う健康体で、本件疾病の発症まで全く病気欠勤がなく、本件疾病によって死亡する直近の健康診断においても全く異常は認められなかった。

(5) 嗜好

秀夫は、外で酒を飲み歩くことはほとんどなく、家に帰ってからビール一本または日本酒一合位を飲む程度であり、たばこは一日二〇本位を吸い、食べ物の好き嫌いはなかった。

(二) 秀夫の業務の内容

(1) 大原鉄工所の下請業務

大原鉄工所は、昭和六〇年二月ころ広島市佐伯区五日市町石内字若宮における仮称五日市村上団地造成工事に関して、青木電気株式会社(以下「青木電気」という。)が元請し、以下、大陽酸素株式会社(一次下請。以下「大陽酸素」という。)、万水電機設備工業株式会社(二次下請。以下「万水電機」という。)が下請した工事を請け負った(三次下請。以下「本件工事」という。)。

秀夫は、大原鉄工所の現場責任者として、同鉄工所の従業員五、六名と一緒に自宅のある大阪市淀川区を離れて広島のビジネスホテルに宿泊して、本件工事に従事してきた。

(2) 秀夫の本件工事における業務の具体的内容

秀夫は、本件工事における大原鉄工所の現場責任者として、万水電機の工事担当者と工事日程の打合せ、追加工事の見積、前記各会社やその他の下請業者らの責任者約一〇名位とのミーティング、大原鉄工所の他の従業員らに対する指示等を行っていたほか、工事現場においては自らも他の従業員らと一緒に機械の据え付け、ボルトの締め付け、パイプの運搬等の作業を行っていた(以下「本件業務」という。)。

(三) 秀夫の本件工事における労働状況(疲労及びストレスの蓄積)

(1) 秀夫の本件疾病が発症した五月の本件工事における労働状況は概ね別紙(略)のとおりであるが、同人は、昭和六〇年三月一七日から同年四月二六日までと、同年五月一三日から同月二八日までの二回に亘って出張して本件工事に従事してきた。

秀夫は、このように長期間自宅を離れ、その間広島のビジネスホテルに二、三名で一部屋に泊り込んで本件業務に従事し、同人の内向的性格、現場責任者としての責任感、妻帯者であること等から、同人の精神的ストレスは非常に大きかったものである。

(2) また、同年五月における秀夫の労働状況は、雨で工事が遅れていたため少なくとも毎日一時間、同月二二日以降は一時間三〇分の残業があったほか、一週間に二回位は日没後も投光器をつけての残業もあり、また、日曜日も働いており、実質的には、同月一五日から秀夫が本件疾病で倒れた同月二八日までは一日の休暇もない働き詰めの状況であった。

(3) 本件工事の始業時刻は午前八時であるが、宿泊していたホテルから現場までは車で三〇分位かかるので、秀夫は午前六時三〇分には起床し、朝食をとって七時ころには車で本件工事現場に向かい、午前七時三〇分ころからはその日の工事の段取りを行っていたものである。

また、秀夫は昼休み中も仕事の打合せや調整をしたり、大阪の大原鉄工所への電話による報告や打合せをしたりして休憩をとることはなかったし、前記4(三)(2)のように毎日の残業をこなし、仕事の後片付けを済ませてからホテルに戻るのは午後七時ないし午後七時三〇分ころになるのが常であった。

そして、前記4(三)(1)のように秀夫は本件工事に出張して従事していたものであり、宿泊していたホテルに帰ってからも大原鉄工所の責任者として翌日の仕事の打合せをしたり、図面を見て翌日の段取りを考えたり、更には大阪の大原鉄工所と電話連絡をし、一緒に行った従業員らに打合せの結果を指示したりして、実質的には朝起きてから寝るまで労働していたものであり、仕事を離れての自由時間や個人的な息抜きのできるリラックスタイムは全くなかった。

(4) 同年五月中旬から本件疾病の発症までは、雨の日が多く、仕事が順調に進行せず、必然的に工事が大幅に遅れ、現場責任者として秀夫は焦燥の毎日を過ごしていた。すなわち、雨のために機械の据え付けの基盤ができず、工事進行が大幅に遅れたこと、また、雨の日には戸外での電気を使った溶接作業ができず、反対に晴れた日には朝から晩まで溶接作業をするという具合であった。

(5) 仕事の性質上、手待時間があったり(例えば、同月二〇日は一日中雨のため作業ができなかった。)、元請の青木建設や一次下請の大陽酸素からは、図面どおりにうまくいかないので既にやり終えた工事の手直しの指示が頻繁にあり、これらは現場責任者であった秀夫にとって大きなストレスの原因となっていた。

(6) 秀夫が従事していたSPG(ガス)配管工事に際しては、最初の設計図では材質が鉄であった部分が変更指示により塩化ビニールになったり、また、逆に塩化ビニールの材質を予定していたところが突然鉄に変更するとの指示があったりして、その都度変更材料の手配に奔走した。上からの変更指示があってもすぐに材料の確保ができるわけがなく、材料が搬入されるまでの間は手待ちとなり、益々工事が遅れ、このことは秀夫にとって非常に大きなストレスの原因であった。

(7) 大原鉄工所は、本件工事において三次下請であり、かつ、出張業務であったことから、大原鉄工所サイドに立って収益の採算を考えると、雨で工期が延びたり、変更指示、手直し指示等は致命的であり、状況により手配人数を減らしたり、人数調整をして工事現場に入り、そのまま補充がつかずに労働していたこともあった。

(8) 工事現場と現場事務所の間は約一キロメートル程の距離があり、その往復路の道が狭かったために大原鉄工所の従業員が乗っていた車の事故が二回もあり、二回目の事故は、他の下請業者草野組のユンボ(掘削機)と接触したものであるが、このとき秀夫はいつになく激昂し、大原鉄工所の従業員を大声で叱った。通常であればこのような事故について秀夫は怒ることもないのに、この時は仕事が順調に進行しておらずいらいらしており、車を人力で上げるのに半日もかかってしまうことから、普段はおとなしい秀夫が一時的に激昂し、これらも秀夫のストレスになっていた。

(四) 本件疾病の発症当日の状況(本件疾病の直接の誘因)

(1) 強度の身体的努力

秀夫は、この日の朝、従業員に「風邪をひいたのかなあ。」と体の不調を漏らしていたが、リーダーとしての責任感から我慢して働きに出た。そして、朝から一次下請である大陽酸素の中川雅文から二次下請の万水電機の原田輝夫を通して指示を受け、それまでの全工事の補修工事を行い、午後三時一〇分ころ右原田から凝集沈澱槽内のバッフルプレートの手直し工事の指示を受け、大原鉄工所の中村某及び北川幸夫の三名で補修作業を行うべく、酸素ボンベ、アセチレンボンベ、ホース、メータ等を分担して運び、そのうち秀夫は率先して最も重い約六〇キログラムの酸素ボンベを担いで二、三〇メートル運んだ。

秀夫は、このようなボンベの運搬作業等の重量物を担ぐ作業を日常業務として行っていたものではなく、ボンベを運搬する作業は、ボンベを使用する作業を行うときだけであり、しかも、作業場所と離れてボンベが置かれていたときに限られていた。

一般通常者でも約六〇キログラムの物体を担いで二、三〇メートル移動することは、明らかに強度の身体的努力といえる。

(2) 急激な環境(温度、湿度)の変化

秀夫が指示を受けて手直し工事のために入った凝集沈澱槽の内部は、蓋をした釜のごとく密閉された形になっていて、外界の気温、湿度とは異なり、非常に高温、多湿で、一種の湿度の高い釜風呂に入ったようなものである。その上、槽内はFRP(樹脂)及びタールエポキシ(塗料)の強臭で健常者でも一〇分も入っていれば気分が悪くなるような場所である。

(3) 強度の精神的緊張

秀夫が手直し工事をしようとしていた場所は、槽内の約七〇センチメートルの幅のスラブのところであり、一歩踏み外せば約八メートル下の槽の底部まで落ち込み、死亡事故に繋るような非常に危険な場所である。そのような場所で作業を行おうとすれば、強度の精神的緊張を要するものである。

(五) 業務起因性

秀夫は脳動脈瘤を持っていたが、脳動脈瘤を持っている人は人口の一パーセント位であり、そのうちでさらに脳動脈瘤が破裂するのは年間で一パーセントの割合であり、脳動脈瘤の破裂の頻度は非常に少なく、破裂が日常的に頻発しているものではない。そして、脳動脈瘤破裂の原因として、一般的には外的ストレスや血圧上昇等の関与が指摘されているが、秀夫の脳動脈瘤破裂は、自然経過によるものではなく、秀夫が急激な血圧の亢進を招く作業に従事して過重負荷を受けたことによるものであり、業務と右破裂との間には相当因果関係がある。

秀夫は、前記のように、本件工事における疲労とストレスが蓄積していたところに、本件疾病の発症直前に重さ六〇キログラムの酸素ボンベを二、三〇メートル担いで移動させるという激しい運動をしたことによって血圧が急激に上昇し、この状態が継続しているときに、高温多湿で強臭がするほか落下の危険を伴う高くて足場が狭い凝集沈澱槽の内部に入り、急激な環境の変化及び強度の精神的緊張も重なり本件疾病が発症したのである。

したがって、本件疾病は同人が従事していた業務に起因するというべきである。

5  よって、原告は被告に対し、本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2(一)(1) 同4(一)(1)の事実は認める。

(2) 同(2)のうち、秀夫が大原鉄工所に勤務していたことは認めるが、その余は知らない。

(3) 同(3)及び(5)は知らない。

(4) 同(4)のうち、秀夫が本件工事に入る直近の健康診断において全く異常は認められなかったことは認めるが、その余は知らない。

(二) 同4(二)(1)及び(2)の各事実は認める。

(三)(1) 同4(三)(1)のうち、秀夫が昭和六〇年五月に本件工事に従事した状況が別紙のとおりであることは認める。秀夫が広島のビジネスホテルに泊ったことは知らない。その余は否認する。同人が自宅を離れたのは、同年三月七日から同月一五日まで、同月一八日から同年四月二五日まで、同年五月一三日から同月二八日までの三回である。

(2) 同4(三)(2)のうち、本件工事が雨のため遅れていたことは認めるが、その余は否認する。

(3) 同4(三)(3)及び(4)、(6)ないし(8)の各事実は知らない。

(4) 同4(三)(5)のうち、五月二〇日は一日中雨のため作業ができなかったことは認めるが、その余は知らない。

(四)(1) 同4(四)(1)のうち、秀夫にとってボンベを運搬することが日常の業務ではなかったとの事実は否認する。秀夫が体の不調を漏らしていたこと及び一般通常人でも約六〇キログラムの物体を担いで約二、三〇メートル移動することは、明らかに強度の身体的努力といえるとの事実は知らない。その余は認める。

(2) 同4(四)(2)のうち秀夫が指示を受けて手直し工事のために凝集沈澱槽内に入ったことは認めるが、その余は否認する。

(3) 同4(四)(3)のうち秀夫が手直し工事をしようとしていた場所がスラブのところであったことは認めるが、その余は否認する。

(五) 同4(五)の主張は争う。

三  被告の主張

1  業務起因性について

業務起因性があるというためには、業務と疾病との間に経験法則に照らして客観的に認められる因果関係が存在することを要する。そして、業務と他の原因が競合して疾病が発症する場合には、他の原因に比べて業務が疾病にとって有力な原因となっていることが必要である。本件疾病のくも膜下出血等の脳血管疾患は、必ずしも単一の原因のみによって発生するものではないうえ、その発症経過も、動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤、心筋変成等の基礎病態が、加齢や一般生活における諸種の要因によって増悪し、発症に至るものがほとんどである。そして、この自然経過中に著しく血管病変等を増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす負荷が加わった場合に、その自然経過をこえて急激に発症することがあるとされている。したがって、業務が右有力な原因となっているというためには、発症前に、業務により脳動脈瘤破裂等を生じさせることが明らかな過重負荷を受けたこと、すなわち、業務に関連して異常な出来事に遭遇するとか、日常業務に比し特に過重な業務に就労したため急激な血圧変動等を引き起こしたという事情が認められ、かつ、同僚又は同種労働者の誰にとっても当該疾病が発症してもおかしくないような危険性ないし有害性をおびるような強度の業務に従事したことが認められなければならない。

2  秀夫の本件業務における右過重負荷の不存在

(一) 疲労及びストレスの蓄積

原告は、秀夫が長期出張作業中、雨による工事の遅延や手直し工事、現場責任者としての間断ない打合せ、残業等により疲労し、また、精神的ストレスも蓄積していたと主張するが、秀夫自身、従来から長期出張作業が多く、時には一か月にも及ぶ出張も珍しくなかったというのであるから、本件現場への出張が従来のそれと比較して特に長期にわたっていたとはいえず、宿泊についても、本件出張中はビジネスホテルに寝泊りしており、従前の飯場に寝泊りしていたのと比較して宿泊環境は良好であったことが窺える。また、その間、月平均四日程度の休日が確保されており、残業時間についてもほぼ一時間ないし一時間半程度で、時に遅くなることがあっても午後七時ないしは八時には終了していること、従前から大原鉄工所では残業するのが常態であったことから本件作業現場における残業が特に苛酷なものであったとは到底考えられない。更に、当時雨で工事が遅延しがちで手直し工事が多かったという点についても、大原鉄工所では、それまでも工事の遅延や手直し工事は常態化しており、本件作業現場での工事に特有の問題ではなく、秀夫は大原鉄工所の責任者として、そういう作業実態には慣れていたものと思料される。

以上のとおり、本件工事期間中の秀夫の作業実態は、おしなべて同人のそれまでの作業実態と異なるところはなく、例えば、本件工事直前に行われた日野処理場の工事と比べても特に異なるところはなかったのであるから、本件作業において日常業務を超えた過重負荷があったとは到底認められない。

(二) 酸素ボンベの運搬作業

原告は、秀夫が六〇キログラムもの酸素ボンベを一人で二、三〇メートル運搬したことが、一般経験則からみて明らかに急激な一時的血圧の上昇を招いたと主張する。しかしながら、秀夫は、元々ポンプ、機械の据え付け及び配管を主とした事業内容とする大原鉄工所に勤務しており、この事業は溶接のため酸素ボンベを使用するので、酸素ボンベの運搬作業が当然に予定されており、本件現場でも、作業員が酸素ボンベを担いで運搬する作業は頻繁になされており、誰でもが一人五本や六本を毎日運んでいたのであり、秀夫も少なくとも二月ころからこの運搬作業を一人で相当回数行っており、しかも、ボンベの重量も普通のもので特に重かったということはなかったのであるから、この経験作業をもって、日常業務を超えた過重負荷があったとは到底認められない。

(三) 本件疾病発症当時の作業環境

秀夫に本件疾病が発症した作業現場の環境は、高温多湿で強臭がしていたというものではない。

すなわち、秀夫の本件疾病の発症当時の作業場所である凝集沈澱槽内は、五月末であり、外壁が白色系塗装がされていたこと、槽内の蓋は開いたままで、しかも秀夫が作業していたスラブの位置は開放された蓋から一メートル六〇センチメートル程下がったところであり、身長一六七センチメートルの秀夫が背を伸ばせば頭部は外に出る位置であったことからすれば、外気との温度、湿度差はほとんどなかったものと考えられる。

また、凝集沈澱槽の内壁はFRP(樹脂)やタールエポキシ(塗料)で塗装されていたが、その塗装作業は本件疾病が発症した日の約一か月程前に終了していたから、未だ強臭が残存していたということはない。

仮に、槽内の状況が外気に比較してある程度高温多湿であり、臭気があったとしても、それが本件疾病を発症させる主因となるということは、今日の医学的見地からして到底考えられないことである。

(四) 秀夫は、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血により死亡したが、脳動脈瘤とは、脳の血管動脈の壁が瘤状に膨らむもので、その分当該箇所の血管壁が薄くなっている。その原因としては先天的要素が強いとされているが、一たび脳動脈瘤が形成されると、正常な血流自体でも脳動脈瘤に対してはストレスとなる。脳動脈瘤破裂が就寝中や安静時にもしばしば発生するのはそのためである。もちろん、一般的に血圧上昇をもたらすとされている精神的ストレスや重量物の運搬などでも破裂の原因となる可能性が全くないとはいえないけれども、そのメカニズムについては未だ医学的には解明されているとはいえず、また、それらが及ぼす生体反応には著しい固体差があるとされており、証人山本光生医師も必ずしも本件業務が本件疾病の原因となったとは証言していない。

3  秀夫の業務内容は前記のように大原鉄工所のそれまでの作業内容と格別異なるところはなく、また、本件業務についてみても、他の同僚作業員のそれとさほど差がないから秀夫が本件業務において、本件疾病の発症前に過重負荷を受けたとは到底認められないところであり、秀夫の本件業務と本件疾病の発症の間に業務起因性を肯定することはできない。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する(略)。

理由

一  請求原因1ないし3の事実及び秀夫が脳動脈瘤を有していたことは、当事者間に争いがないので、以下、秀夫が脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血により死亡したことが業務上の事由によるものであるか否かについて判断する。

二  脳動脈瘤破裂の機序ないしその要因について

(証拠・人証略)によれば次の事実が認められる。

1  脳動脈瘤が形成される原因については、確立した見解は存在しないが、先天的要素が強く、脳動脈の中膜及び弾力繊維の発育不全、欠損により動脈壁に薄弱部が生じ、動脈圧により突出膨隆して嚢状動脈瘤が長年月を経て徐々に進行してできるとの考えが有力である。このようにして形成された脳動脈瘤は、瘤の脆弱な部分に対して圧、すなわち血圧が作用し、あるいは、血流自体が作用することにより瘤が膨張し、その部分がさらに脆弱化して次第に破裂し易い状態となっていく。

2  脳動脈瘤が存在する確率は、人口の約一ないし二パーセントであり、そのうち破裂に至るのは単純な割合として年間で約一パーセントである。

また、瘤の大きさは一ないし二ミリメートルから二〇ないし三〇ミリメートルのものまで認められるが、五ないし一〇ミリメートル位の大きさの場合に破裂する危険性が高い。

好発年齢は、一般に四〇ないし五〇代といわれている。

3  ある研究グループが脳動脈瘤が破裂した時の状況について七四九例を調査した結果によると、睡眠中が六パーセント、特別な仕事をしていない時が二五パーセント、物を持ち上げたりしている時が二四パーセント、用便中が一八パーセント、精神的に緊張している時が一一パーセント、家事中が八パーセント、入浴中が七パーセント等となっている。

このように、脳動脈瘤に対しては恒常的に血圧あるいは血流が作用することから、外的要因が作用しなくてもいつでも脳動脈瘤は破裂する危険性があるが、何らかの外的要因が作用するなどして血圧が上昇する場合には、さらに脳動脈瘤が破裂する危険性が高くなる。すなわち、脳動脈瘤の破裂は平静時においても生じるが、一般に活動期に多くみられ、血圧の急激な上昇が関与するとみられている。しかし、反応には個体差が大きいことから、同一の脳動脈瘤が存在し、同一の外的要因が加えられたとしても、同じように破裂するとは限らない。

右の血圧の上昇をもたらす要因としては、一般的には、精神的ショック、精神的ストレスないし緊張、精神的疲労、急激な肉体運動、厳しい環境、急激な環境の変化などがあり得る。

三  業務起因性について

労働者災害補償保険法一二条の八が準用する労働基準法七九条及び八〇条における「労働者が業務上死亡した場合」とは、労働者がその業務に起因して死亡した場合、すなわち、労働者の業務の遂行とその死亡との間に相当因果関係がある場合を意味する。

そして、本件のように労働者に脳動脈瘤という基礎疾患が存する場合における右相当因果関係は、脳動脈瘤は諸々の要因によって破裂する危険性を有するものであることに照せば、労働者が業務の遂行中に死亡したというだけでは足りないが、業務以外の要因である脳動脈瘤の存在が共働原因となって労働者が死亡した場合でも相当因果関係を認めることを妨げず、業務が相対的に死亡の有力な原因になっている場合には、右相当因果関係は肯定されるべきである。

そして、本件において業務が相対的に有力な原因となっているか否かの判断に際しては、当該業務が脳動脈破裂の自然経過を超えて急激に発症させるに足りるだけの過重な負荷を与えたかどうかが重要な要素となるというべきである。なお、日常業務自体が過重負荷となって疾病発症の原因となっている場合もあり得るから、当該業務が過重負荷になっていたか否かは客観的に判断すべきであり、日常の業務に比して過重であったか否かだけによって判断するのは相当でない。

四  秀夫の経歴、健康状態、業務の内容、労働状況、発症の経過等について

(証拠・人証略)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  秀夫(昭和二七年八月生れ)は昭和五五年に原告と結婚し、一男二女をもうけ、本件疾病により死亡した当時三二歳であった。

2  秀夫は、昭和四五年四月、実兄の大原武夫が経営する大阪市淀川区所在の大原鉄工所(昭和五七年五月に株式会社に改組)に入社した。秀夫の兄弟は右武夫の外三名いたが全員右会社の取締役あるいは社員として右会社で働いていた。同会社はポンプ、機械の据え付け及び配管等の工事をすることを主たる目的とし、昭和六〇年ころ従業員数は八名であり、ほとんど下請の工事をしていた。秀夫は入社以来現場責任者として工事の見積、現場監督、労働者の割り振り、接渉等の仕事をするほか、自らも工事に従事していた。大原鉄工所の労働時間は午前八時から午後五時まであり、日曜日は休日であったが、大体毎年九月末から翌年四月までの間は仕事が多く、残業は多い月で四、五〇時間、一日の残業時間は多い時で三時間程度であった。同会社は主に廃水処理施設関係の工事を請負い、各地に出張して工事することも多かった。昭和五九年は同会社は東京都日野市の処理場の工事を請負い、秀夫も同年九月から一か月日野市に出張して右工事に従事した。

3  秀夫は、身長約一六五センチメートル、体重六五キログラムの体で、病気をしたことがなく、昭和五九年一二月七日行われた健康診断では、血圧は上一二四、下七〇であり、異常は認められなかった。また、秀夫は仕事に対して責任感が強かったが、昭和六〇年五月ころ秀夫の様子に普段と変ったところはみられなかった。

4  大原鉄工所は、昭和六〇年二月、(住所略)の仮称五日市村上団地造成工事に関して、青木電気が元請し、大陽酸素、万水電機が順次下請した工事のうち廃水処理施設設備工事を右万水電機から請負った。秀夫は、自宅のある大阪市を離れて出張し、大原鉄工所の現場責任者として右工事を施工することになり、同年三月六日ころ同会社の従業員五名と一緒に広島市に来て同市内のビジネスホテルに宿泊し、同月七日から右工事に従事した。秀夫に対する右工事の作業指揮者は万水電機の原田輝夫であったが、秀夫は、大原鉄工所の現場責任者として、同人らと工事日程や手直し工事の打合せ、右各会社やその他の下請業者らとのミーティング、大原鉄工所の従業員らに対する指示、大阪にいる社長大原武夫、専務取締役大原安夫との連絡等を行ったほか、工事現場においては自らも他の従業員らと一緒に機械の据え付けや、配管工事等の作業を行っていた。

5  秀夫は右三月七日から継続して右工事に従事していたわけではなく、雨天のため土木工事が遅れ、その影響で右工事に手待ちが生じたり、当時大原鉄工所は他の工事現場の工事も請負っていたこともあって、秀夫は大阪に帰り、同月一六日は武庫川の工事に、同年四月二六日から同年五月一二日までの間は大和板紙の工事に従事したので、広島の右工事に従事した期間は同年三月七日から同月一五日まで、同月一八日から同年四月二五日まで、及び同年五月一四日から本件疾病発症の同月二八日までであった。

右の間、三月は一一日、二七日及び三一日の三日間、四月は七日、一〇日から一二日までの計四日間、五月は一四日が休業日であり、更に五月は一九日の日曜日が二時間労働であり、二〇日は雨のため作業ができなかった。右間の秀夫らの労働時間は、残業時間を含め平均して三月は八・五五時間、四月は八・九時間であり、五月は、別紙記載のような労働状況であり、残業時間は一時間ないし一時間三〇分であった。

6  右工事の始業時刻は午前八時であったが、宿泊先のホテルから現場までの移動の時間等も考え、秀夫らは、午前六時三〇分には起床して朝食を摂り、午前七時ころには車で一緒にホテルを出発し、午前七時三〇分ころ工事現場に到着していた。そして、午前八時前からラジオ体操をし、大陽酸素の現場責任者中川雅文の司会で始業ミーティングをし、当日の作業内容を作業グループ毎にその作業指揮者(秀夫らのグループは前記原田輝夫)が報告し、安全確認をして午前八時過ぎころから各工事に取りかかっていた。昼の休憩時間は一時間あったが、秀夫は、昼食を本件工事現場から現場事務所に戻って摂り、昼休み中に大阪の大原鉄工所へ電話して工事の進行状況の報告や資材の手配の依頼等をしたりすることもあった。残業終了後仕事の後片付けのほか、翌日の仕事の段取りの打ち合わせをしたりすることもあり、秀夫らが、宿泊先のホテルに戻るのは午後七時ないし七時三〇分ころになることが多かった。時には午後八時ころになることもあったが、ホテルの夕食が午後九時までと決められていたから、その時刻までには全員入浴して夕食を摂っていた。その後秀夫は再び大阪にいる社長大原武夫や専務取締役大原安夫に電話連絡することもあったが、工事日報の作成は同じホテルに宿泊していた前記原田輝矢が作成していたので、秀夫が作成することはなかった。

7  大原鉄工所が万水電機から請負った工事の工期は昭和六〇年二月一五日から同年四月末までであったが、当初から右工事に関連する工事が遅れており、大原鉄工所が本件工事現場に入って工事を開始したのは同年三月七日であり、しかも工事途中前記のように秀夫は手待ちの期間を利用して同会社の他の請負工事に従事しており、本件疾病発症前は同年五月一四日(但し、同日は雨のため休業)から本件工事現場に戻り工事を続行した。工事が遅れたことについては雨の影響によるところが大きく、この点については秀夫らに責任はなく、大陽酸素や万水電機から工事を急ぐように指示されたことはなく、また、工事の遅れに対するペナルティもなかった。そして右五月一四日から同月二八日までの間雨の日は一四日、一九日(日曜日)、二〇日の三日間だけであった。ただ、雨の日は山の土砂が凝集沈澱槽の中に入らないようにする余分な仕事が生じた。

8  秀夫らが工事をした後、大陽酸素株式会社等から秀夫に対して、大きなものではないが、比較的多くの手直し工事の指示があり、その中には材料の変更もあった。この手直し工事のなかには当初の設計の誤りによるものもあり、秀夫に多少の不満はあったが、秀夫がこれまでにした下請工事においても右程度の手直し工事はしばしば経験しており、右大陽酸素や万水電機等の指示に素直に従い、トラブルになるようなことは一切なかった。

9  秀夫は、本件疾病の発症当日もいつもと同じように工事に取りかかり、配管等の工事をし、午後三時ころ、大陽酸素の中川雅文から指示を受けていた万水電機の原田輝夫から、秀夫らが工事した凝集沈澱槽内の汚泥かき寄せ機の作動不良のためバッフルプレートのひずみを取る工事の指示を受け、大原鉄工所の中村某及び北川幸夫の三名で右工事をすることとなり、その準備として酸素ボンベ、アセチレンボンベ、ホース、メータ、電動工具類等を右沈澱槽の近くに運ぶ必要があり、秀夫は、酸素ボンベ(満タンで約六〇キログラム、当時の実際の重さは不明。)を担いで二、三〇メートル運んで右沈澱槽の近くに移動した。そして、午後三時一〇分ころ凝集沈澱槽の内部に入った直後に、本件疾病で倒れた。

秀夫が従事していた配管工の業務は、酸素ボンベ、アセチレンボンベを日常的に使用し、配管工は右ボンベを移動する必要があるときは通常一人で担いで運び、多いときは一日に三、四回運ぶこともあった。

10  右凝集沈澱槽は一〇メートル四方位の大きさであり、FRPの蓋約二〇枚位で覆われ、沈澱槽の内部の機器工事は一応完成しており、開放していれば人が墜落する危険があることから、普段は蓋が閉められ、沈澱槽内で作業をする度に必要なだけ蓋を外して作業を行っていた。沈澱槽内部は、同年四月二五日より前にタールエポキシ塗装が行われ、その後前記原田輝夫らは右槽内に検査のため何度も入ったが、槽内は外界より幾分温度は高いが、特に高温多湿といった状態ではないと感じていた。

右沈澱槽の高さは五・六五メートルであり、秀夫が右槽内に入った場所は、同槽内の底部から四メートルの高さのスラブの上であった。そして、右スラブは幅三〇センチメートルと四〇センチメートルの二本のトラフから成り、その二本のトラフの間は幅三〇センチメートルあり底まで空間となっていた。

なお、当日の広島市の気温は最低気温が一七度、最高気温が二五度であった。

11  原告主張の車の事故が二度あり、秀夫が従業員に対し珍しく怒ったことがあったが、その時期は不明である。

12  秀夫の脳動脈瘤の大きさは約五ミリメートル位であった。

以上の事実が認められ、右認定に反する(人証略)の証言の一部は前掲証拠に照らして採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

また、秀夫が手直し工事の指示のためその材料の手配に奔走していたことを認めるに足りる証拠はない。

更に、秀夫が本件疾病発症の日体の不調を漏らしたり、不調そうに見えたかについて、これに沿う(人証略)の証言は直ちに採用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

五  以上を前提に、秀夫の従事した業務が同人の脳動脈瘤破裂の有力な原因となったといえるかについて検討する。

秀夫が昭和六〇年三月七日以降広島市に出張して工事した際の一日の労働時間は、五月一四日から本件疾病発症の同月二八日までの間がそれ以前の時より若干長いが、それでも雨のためとはいえ、同月一四日と二〇日は完全な休暇となり、一九日(日曜日)は二時間労働であり、その他の日の残業時間は一時間ないし一時間三〇分であって、午前八時から午後六時ないし六時三〇分までの労働であった。その後工事の後片付けをしたり、翌日の工事等の打ち合わせをしたりしても、午後六時三〇分ないし午後七時(最も遅いときでも午後七時三〇分)には終了していた。確かに、秀夫は午前七時にホテルを出発し、午後七時ないし七時三〇分(最も遅いとき午後八時)にホテルに戻り、相当長時間拘束されていたが、そのうち一時間はホテルと工事現場を車で往復する時間であり、また、ホテルに戻ってから大阪の兄の社長らに電話で工事の進行状況等の報告をしたとしても、一日に何回も右電話をしなければならないような事情もなく、翌日の工事の打ち合せは既にしているから、ホテルに戻ってから特にしなければならない仕事があったわけでもない。秀夫は入社以来一五年間現場責任者として下請の仕事をしており、本件工事が従前の工事と比較して困難であった事情も窺えない。本件工事の場合、大原鉄工所への工事発注者である万水電機の担当者(原田輝夫)の指揮を受けながら仕事をし、雨で工事が遅れても同人らから仕事を急がされたりすることもなく、秀夫は前記三月七日着工後手待ちの期間を利用して大原鉄工所の他の工事にも従事したりしていた。手直し工事も下請工事として通常あり得ることであり、また、雨で工事が遅れたとしても(五月一四日以降雨で作業が完全にできなかった日は二日間)、それらのために大原鉄工所が下請した本件工事の採算がとれなくなったり、同会社の他の工事の遂行に特に支障になったりしたことも認められず、兄の社長らから秀夫が責められ、板挟みになるようなこともなかった。右のような秀夫の労働時間、業務の内容、労働状況等からすると、本件工事が出張業務であることを考慮しても、秀夫の従事した業務が身体的、精神的に特にストレスを与えたり、疲労の蓄積をもたらしたりしたと考えることは困難である。秀夫は責任感が強かったが、ストレスに弱いタイプであったことを窺わせる証拠はない。

酸素ボンベ(満タン時の重さ六〇キログラム)の運搬も配管工なら誰でも一人で運搬し、秀夫にとっても慣れた作業であって、これを苦にしておらず、それも、二、三〇メートル移動しただけの短時間の作業であったから、これが身体的に過激な業務であったということはできない。また、右運搬作業と血圧の上昇等との関係についても、証人山本光生(医師)は、「右作業により血圧は上がるだろうが、その程度はわからない。これが秀夫の脳動脈瘤破裂の原因になったかどうかもわからない。」と証言しており、右短時間の運搬作業が急激な血圧上昇をもたらしたということもできない。

凝集沈澱槽内に入ったことについても、同槽内の温度が二五度より高温で湿度が高かったとしても、それが急激な血圧上昇をもたらすとも考え難いし、右槽内の設備工事は秀夫らがしたものであるから、秀夫は右槽内に入ることに慣れており、特別緊張することもなかったと考えられる。右槽内の塗装の臭気についても塗装してから一か月以上も経過しており、万水電機の原田輝夫らは何度も右槽内に入っているから、その臭気が秀夫の気分を悪くさせたということも考え難い。

秀夫は発症当時三二歳で若かったが、脳動脈瘤の大きさは約五ミリメートル位で破裂しやすい大きさであった。

以上検討したところによれば、秀夫が従事した業務が急激に同人の脳動脈瘤を破裂させるに足りるだけの過重な負荷を与えたということはできず、右業務が右破裂の有力な原因となったということはできない。

したがって、秀夫の本件疾病による死亡と業務との間に相当因果関係を認めることはできない。

六  よって、本件処分は適法であり、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉岡浩 裁判官 土屋靖之 裁判官 福士利博)

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