広島地方裁判所 平成5年(ワ)1745号 判決 1998年7月23日
原告
ジェーアール西日本労働組合
右代表者
西村雅芳
右訴訟代理人弁護士
水嶋晃
同
林千春
同
寺崎昭義
被告
西日本旅客鉄道株式会社
右代表者代表取締役
南谷昌二郎
被告
清水増人
被告
坂本隆嗣
被告
山﨑昭夫
被告
出下繁登
被告
鴨池英典
右被告ら訴訟代理人弁護士
樋口文男
同
益田哲生
主文
一 被告西日本旅客鉄道株式会社は原告に対し、金五五万円及びこれに対する平成五年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告西日本旅客鉄道株式会社に対するその余の請求及び原告の被告清水増人、被告坂本隆嗣、被告山﨑昭夫、被告出下繁登、被告鴨池英典に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用については、原告と被告西日本旅客鉄道株式会社との間では被告西日本旅客鉄道株式会社に生じた費用の一〇分の一を原告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告清水増人、被告坂本隆嗣、被告山﨑昭夫、被告出下繁登及び被告鴨池英典との間においてはすべて原告の負担とする。
四 この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは原告に対し、それぞれ金三三〇〇万円及びこれに対する平成五年一二月一九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 当事者
1 原告組合
原告組合は、被告西日本旅客鉄道株式会社(以下「被告会社」という。)の従業員で構成される法人格を有する労働組合である。組合員数は現在約二六〇〇名である。略称を「西労」といい、上部団体である全日本鉄道労働組合総連合会(以下「JR総連」という。)に加盟している。
原告組合は、平成三年五月二三日に、被告会社の従業員で構成される西日本旅客鉄道労働組合(以下「西鉄労」という。)に所属していた組合員ら約四七〇〇名によって結成された。原告組合が結成された理由は、西鉄労がJR総連から脱退したため、これに反対する組合員が西鉄労を脱退して原告組合を結成したことによるものである。原告組合が結成された後、西鉄労は西日本鉄道産業労働組合と組織を統一した(以下、この統一後の組合を「西労組」という。)。
2 被告ら
(一) 被告会社は、西日本において旅客運送を業とする株式会社である。同会社は、日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)が昭和六二年四月一日、分割・民営化されたのに伴って発足したもので、肩書地に本社を、金沢市、大阪市、京都市、神戸市、和歌山市、福知山市、広島市、岡山市、米子市及び福岡市にそれぞれ支社を置き、社員数は約四万八〇〇〇人である。
(二) 本件訴訟が提起された平成五年当時、被告清水増人(以下「被告清水」という。)は被告会社広島運転所運転所長、被告坂本隆嗣(以下「被告坂本」という)は同所副所長、被告山﨑昭夫(以下「被告山崎(ママ)」という。)は同所運転科長、被告出下繁登(以下「被告出下」という。)は同所検修第二科長、被告鴨池英典(以下「被告鴨池」という。)は同所検修第一科長の職にあった者である。
二 広島地方本部及び広島運転所
1 原告組合には、中央本部のほか、地方本部、支部、分会、職業別部会、青年婦人部などの組織がある。
原告広島地方本部(以下、「広島地本」という。)は、原告の八地方本部の一つであり、被告会社広島支社管内の原告組合の組合員によって組織された原告の下部組織である。
広島地本には、広島支部、山口支部の二支部があり、広島支部には広島運転所分会など九分会が、山口支部には下関運転所分会など八分会がある。
2 被告会社広島運転所は、広島運転所本所、広島運転分所、車検センター、矢賀検修分所、岩国派出所からなり、電気機関車、気動車、電車、ディーゼル機関車等の運転及び電車、気動車、客車の検査等の業務を行っている。
第三争点
被告らは、原告組合の組合員に対して原告組合からの脱退を慫慂する等して支配介入を行ったか。
第四争点についての当事者の主張
一 原告組合の主張
1 被告らの支配介入
(一) 被告会社は、社員のすべてを自己のコントロールのもとに支配管理しようと企図し、多数派組合を会社の意に添う形に変質させ、社員をこれに加入させることにより、その目的を達しようとした。
そこで、被告会社は、社員の多数を組織する西鉄労内の会社派組合員に働きかけ、同労組を、JRの使用者とは一定の自立した立場に立とうとするJR総連から脱退させて自己の支配下におくことに成功した。
これに対し、労使対等の立場を堅持しようとするJR総連派組合員らが、西鉄労のJR総連からの脱退に反対して、西鉄労から脱退し原告組合を結成したが、被告会社は、一方では西鉄労に対する保護や組織拡大に手を貸すとともに、他方で、原告組合に対して、さまざまな手段を弄し、その弱体化、破壊を図ってきた。
(二) このような中で、広島支社において、被告清水、同坂本、同山崎、同出下、同鴨池らは、おそくとも平成五年七月ころまでの間に、被告会社本社及び支社の指導のもとに、広島運転所所属の原告の組合員らについて、組合帰属意識の強弱などについて分析し、帰属意識が比較的希薄であるなどして、原告組合から脱退させることが可能と思われるものとして二八名をリストアップして「アプローチ状況表」と題する名簿を作成した。
右被告清水らは、右分析に基づき、自らもしくは西鉄労組合員である管理者らを使ってリストアップした者に対して、昇職等の利益誘導や出向転勤等の不利益扱いを示唆するなどして、原告組合からの脱退を慫慂した。
その結果、右被告らは、広島運転所所属の原告の組合員であった増田芳登、渡橋孝文、田中茂三、岡田敏彦、田坂紀勝を同年八月一日に、奥嵜武志を同年九月一日に、小島剱二を同年一〇月一日に原告組合からそれぞれ脱退させた。
右被告らは、さらに広島運転所所属の原告組合員らの脱退を実現しようとして、同年一〇月二〇日、それまでの間の脱退慫慂工作の結果に基づき、リストアップした脱退工作対象者について、「◎、○、△、×」印をもってその可能性の「確度」を評価したうえ、対象者のウイークポイントや、脱退慫慂にあたって留意すべき点などについて分析するなどして、脱退慫慂工作について具体的な対策を講じ実行した。
右のようにして、被告清水らは被告会社の意向を受け、その指導のもとに、共謀して、広島運転所所属の原告組合員らに対して、脱退慫慂工作を組織的・計画的に遂行し、原告組合の運営に介入して、原告組合から一部組合員を脱退させるなどして原告組合の団結を侵害した。
(三) 被告らによる脱退慫慂の事実
(1) 奥嵜武志に対する脱退工作
広島地本の宮原分会長は、平成五年七月二九日、原告組合員であった奥嵜武志(以下、「奥嵜」という。)が脱退するという情報を掴んだため、午後六時ころに同人に真意を問い質したところ、奥嵜は、上司から命令されているので逆らえない旨返答した。そこで、宮原分会長は同人を説得するとともに、広島地本の中村委員長に相談するように促した。
奥嵜は中村委員長に相談した結果、説得されて脱退を取り止めた。
しかし、奥嵜は、同年八月に被告山崎から再三にわたり脱退するよう強く求められ、再度翻意した。
同年九月一日に、奥嵜の脱退を知った中村委員長は、被告山崎に事実関係を問い質したところ、被告山崎は「本人のために組合を変わらせる。LC試験等の諸条件が良くなるからだ。」と事実上脱退工作を行ったことを認め、さらに、奥嵜の脱退届を預かっていたこと及び自ら提出の手配をしたことを認めた。
(2) 渡橋孝文に対する脱退慫慂
広島地本の宮原分会長は、平成五年七月二九日、原告組合員であった渡橋孝文(以下、「渡橋」という。)が脱退するという情報を掴んだため、午後六時三〇分ころに同人に真意を問い質したところ、渡橋は、被告坂本に脱退するように勧められたことについては答えなかったが、脱退届は被告坂本に預けてあり、同被告が八月中には出す旨述べていると告白した。宮原分会長が脱退を思いとどまるように説得したところ、渡橋は脱退を取りやめる方向で被告坂本と話し合いたいと返答した。
それにもかかわらず、渡橋は同月三〇日に原告組合に脱退届を提出した。
宮原分会長は、広島運転所内で渡橋に脱退の理由を問い質したところ、渡橋は何も返答しなかったが、その場にいた被告坂本は、脱退届は自分が保管していたことを認めた。
(3) 村田一之に対する脱退慫慂
原告の組合員であった村田一之(以下、「村田」という。)に対する脱退慫慂は被告坂本によって行われた。第一回目の脱退慫慂は、平成五年七月中旬に業務終了後一対一での会食の中で行われた。その会話の中で、村田が会社と組合との関係について「もう少し仲良くできないものか」と言うと、被告坂本は「ここまで来たら会社も譲らない」と答えた。
第二回目の脱退慫慂は、同年八月上旬にセットされた会食の席上で行われた。その会話の中で、村田は自宅のある山口県厚狭郡山陽町付近の勤務地に転勤したい旨を述べたところ、被告坂本は、運転士のままでは無理であり助役などの管理者に登用されてからでないと希望どおりに転勤できないと述べるとともに「今のままではだめだ」「今の考え方ではだめだ」と述べ、村田が原告組合に所属している以上は、転勤が希望どおり認められない旨を述べた。
第三回目の脱退慫慂は、同年八月二六日に行われた会食の席上でされた。その会話の中で、村田が被告坂本にLC試験に合格するには個人の能力より所属する組合を優先するのかと質問すると、被告坂本は「分かっているだろう。今の時期だったら通りやすい。」と、組合を変われば被告坂本が助力しLC試験に合格できるとほのめかした。
さらに転勤について被告坂本は「一、二年もすれば乗務員も飽きてくるだろう。」「支社へ上がらないか。後押しする。支社へ上がった方が早く山口に帰れる。」「ただし、今のままではだめだが。」等と組合を脱退するならば支社の事務職へと登用され、かつ、転勤も認められ易くなると述べた。
(4) 稲原務に対する脱退慫慂
原告組合の組合員である稲原務(以下「稲原」という。)に対する脱退慫慂は、まず、平成五年八月から同年一〇月までの稲原の入院中に広島運転所当直助役八幡憲之(以下、「八幡」という。)、同河村彰男(以下、「河村」という。)によって行われた。
河村は、見舞いの際に、被告山崎の指示を受けて指導運転士になるよう勧めるとともに、原告を脱退するように慫慂した。
また、八幡は被告山崎の指示を受けて、稲原と個人的な付き合いがないにもかかわらず見舞いと称して病院を訪問し、一時間にわたって指導運転士になるよう勧めるとともに、指導運転士になって将来にわたり会社側の立場で働くのが有利であるなどと述べて脱退を勧めた。
稲原に対する二回目の脱退慫慂は、同年一〇月一九日に広島ターミナルホテルで行われた。
稲原は、被告山崎と一対一で会うという約束で出向いたが、同所には八幡と河村が待っており、両名が稲原に指導運転士になることを勧めた。その後、被告山崎が現れ、四人で話すこととなった。
席上、八幡と河村は「指導運転士になれば、三年で助役になれる。」「組合は当分そのままでよい」等と、一旦指導運転士になってから機を見て組合を脱退するように慫慂しながら再三にわたり指導運転士になるよう勧めた。それに対して、稲原が「指導になれということは組合を変われということでしよう。」と聞くと、被告山崎は「指導になれば組合の話が出ますよ。」と指導運転士への昇職は、組合を脱退することが条件であることを示唆した。
(5) 桑原俊幸に対する脱退慫慂
粟屋検修第一科長は、その部下で原告組合員であった桑原俊幸に対して、平成四年九月八日、同人を喫茶店に誘い、「西労にいれば損をする。」「脱退すればあんたのためになる。」等と脱退を勧めるとともに、「脱退してくれれば一二月の昇格試験について合格するように考えてやる。」と述べて脱退を慫慂した。
(四) 「アプローチ状況表」の作成者
次のとおり、「アプローチ状況表」は被告会社の作成にかかるものであることは明らかである。
(1) 「アプローチ状況表」は、広島運転所において、通常毎週火曜日の午前一〇時三〇分から開かれる科長会議に提出された資料である。右会議の出席者は、被告清水、被告坂本、被告山崎、被告出下、被告鴨池及び恵下田事務助役であった。
したがって、「アプローチ状況表」は右の被告らのいずれかもしくは恵下田事務助役が科長会議に使用する資料の一部として作成したものと考えられる。
(2) 「アプローチ状況表」は、その表現からして、被告らが作成した以外考えられない。
すなわち、表現上の特徴としては、<1>文書の作成者が「広島運転所」となっていること、<2>「転換者」との表現が使用されているが、原告組合に対立する労働組合である西労組が作成したものであるならば、「脱退者」又は「加入者」と書くべきところ、「転換者」との表現は被告会社の立場から、組合を脱退し他の組合に加入する組合員を見た表現に他ならないこと、<3>検修部門所属の組合員を「1(科)」「2(科)」と分けて表現しているが、組合の検修部門の分科会は検修一科、同二科あわせて検修分科会を構成しており、組合では使用しない分類を行っていること、<4>「指導候補者」との記載は指導運転士の候補者を意味するが、このことは被告会社以外の者が知ることはないこと、等の特徴があり、被告会社が作成したとみるべきである。
(3) また、「アプローチ状況表」にリストアップされている「転換者」に関してはすべて被告会社及び被告らから利益誘導等を利用した脱退慫慂がされ、脱退するに至った者である。
また、同状況表の「これまでの取組状況」として「当初計画」に記載されている二一名の組合員についても、すべて程度の差こそあれ被告らより脱退慫慂がされており、このうち乗務員はその多くが指導担当にならないかとの昇職を材料にした脱退の勧誘が行われている対象者である。さらに「追加」として記載されている八名の組合員についても、指導担当への昇職を材料にした脱退の勧誘が行われている対象者である。
このように「アプローチ状況表」の記載内容は、被告らの行動と一致しており、このことからも、同状況表は、被告会社が作成したとみるべきである。
(五) 脱退した組合員が原告組合に提出した脱退届に被告会社が関与している。
(1) 原告組合の組合員であった浜崎、岡が脱退するときに原告組合に提出した脱退届には、次のとおりの被告会社の関与を示す特徴がみられる。
まず、総務部人事課のゴム印が使用されているが、浜崎及び岡は、当時両名とも広島警備保障に出向していたのであるから、総務部人事課のゴム印を使用できるはずがなく、当該脱退届の作成に総務部人事課の職員が関与したことが窺われる。
同時期に原告に提出された脱退届には、宛名が「JR西労」となっているが、この二枚の脱退届だけ、宛名が「ジェーアール西日本」となっている。原告の正式名称は、ジェーアール西日本労働組合であるが、この名称は公式的な文書でしか使用されない。そうであるにもかかわらず、脱退届に「ジェーアール西日本」という名称が使用されているのは、右脱退届が公式文書を書き慣れている人物が関与したことを示している。
両名とも原告組合を脱退したけれども、西労組には加入していない。ところが、原告組合に対する脱退届は、西労組に加入するための脱退用紙が用いられている。これは、被告会社の管理職が西労組の脱退用紙を所持しており両名に書かせたことを示している。
(2) 原告の組合員であった宮本、寺内、宮野が脱退するときに原告組合に提出した脱退届には、次のとおりの被告会社の関与を示す特徴が見られる。
右三名の脱退届には、所属欄に「下関運転所」、職名欄に「主任運転士」というゴム印が押捺されている。これは、下関運転所の事務職の職員が脱退届の作成に関与したことを示している。
また、右三名の脱退届の「JR西日本」「広島」「平成7年2月28日」という文字は、同一の字体である。被告会社の管理職が脱退届を用意して、原告組合員に署名押印だけさせて、脱退届を作成したと考えられる。
(3) 原告の組合員であった田中茂三が脱退するときに原告に提出した脱退届には、所属欄に「広島運転所岩国派出所」、職名欄に「車両技術主任」というゴム印が押捺されている。これは、下関運転所の事務職の職員が脱退届の作成に関与したことを示している。
(六) 「アプローチ状況表」は、NEC五二〇〇というパソコンで作成されているが、これは、広島運転所に導入された機種で、広島運転所の事務職の者が作成に関わったことを示す。
(七) 西労組は、組合員拡大のための運動をしておらず、本件「アプローチ状況表」を作成するような分析力も持ち合わせていなかったので、本件「アプローチ状況表」を西労組が作成したとは考えられない。
2 被告らの責任
(一) 被告清水、同坂本、同山崎、同出下、同鴨池は、共謀の上、本件脱退慫慂工作対象者をリストアップして、前述のような評価や分析を行い脱退慫慂工作のための具体的な方策を検討し、さらに、同被告らは、自ら又は西労組組合員である助役らを使って、脱退慫慂工作対象者らに原告組合から脱退して西労組へ加入することを慫慂したのであるから、原告に対する不法行為の実行者として民法七〇九条に基づき損害賠償責任を負う。
(二) 被告清水、被告坂本、被告山崎、被告出下、被告鴨池及び本件脱退慫慂工作に関与した広島運転所の助役らは、原告組合を弱体化させるという被告会社の方針に基づき、その指導を受けながら業務の一環として前記各不法行為を行ったものであるから、被告会社も原告組合に対して民法七一五条による不法行為責任を負う。
3 損害
(一) 原告組合が被った無形損害
原告は、被告清水ら五名による広島運転所分会の組合員らに対する脱退工作によって組合数(ママ)が減少し、広島運転所分会の組合員相互の信頼関係に亀裂を生じさせられるなどして、その団結を著しく損なわれたほか、その対策に多大の労力を割かざるを得ず、他の業務の遂行にも支障をきたすなど甚大な損害を受けた。
この無形損害は金三〇〇〇万円を下回ることはない。
(二) 弁護士費用
原告は、本件提訴にあたり、原告代理人に報酬として金三〇〇万円を支払うことを約した。
二 被告の主張
1 原告組合の組合員の減少は、労働組合同士の組織拡大運動の結果であり被告らは関与していない。
(一) 原告組合結成の経緯
原告所属の組合員と西労組所属の組合員が所属していた西鉄労は、旧動労系と旧鉄労系というもともと労働組合としての基本的スタンス、具体的な組合活動の内容などの点で異質な労働組合が国鉄分割民営化の過程で合体したものであり、種々の問題を孕みながら、ある意味では後に袂を分かつことになる萌芽を当初から内包しつつ出発したものである。
その後、旧動労系の役員が主導するJR総連の中で、大松委員長をはじめ西鉄労出身の役員が中心であった西鉄労では、JR総連の打ち出す方針、活動内容が単組としての西鉄労の主体性、自主性を侵害するものと受け止めるようになり、次第にJR総連内での軋みを生じることとなった。こうした状況下でJR総連が提起したスト権論議は、西鉄労内部で強い反発を受け、とりわけJR総連が団体交渉権、集約権、指令権等の委譲を求める動きを示したことから、JR総連側(旧動労系)と単組の主体性、自主性を堅持しようとする大松委員長らとの間で決定的な亀裂を生じるに至った。
そこで、大松委員長は、JR総連との断絶宣言を行い、この大松発言を巡って西鉄労内では、大松発言を支持するグループ(大松派。旧鉄労、旧鉄輪会に等(ママ)に所属していた組合員らを中心に構成。)と大松発言に反対しJR総連内にとどまることを主張するグループ(JR総連派。旧動労系組合員らを中心に構成されていた。)との間で激しい対立・抗争を生じ、結局、組織争いに敗れたJR総連派の組合員らが西鉄労を脱退して、新たに原告組合を結成するに至った。
(二) 被告会社が原告組合に対して支配介入を行ったとして各地の裁判所や労働委員会に対して行った申立てのうち、現在までに決定又は命令が下された事件については、いずれも原告の主張に理由がないとされている。
これらの命令の中には、西労組の組合員が本部や各地方本部の方針のもとに原告の組合員に対し、具体的な組織拡大活動に取り組んだことを認定しているものもある。
(三) このように、一旦結合した旧鉄労系と旧動労系とが、結局は労働組合としての基本的スタンスの差から再び袂を分かつことになったというのが、原告組合結成の実相である。
右のような経過から当然のこととして、その後西労組は、原告に対する組織拡大方針を掲げ、積極的な組織の拡大、強化に取り組んだ。
西労組は、「組織拡大は、運転職場におけるJR西労対策に重点を置き、国労及び未加入者対策にも取り組みます。」「JR総連の影響力を減じるための取り組みとしてJR西労から組織加入を勝ちとることが最大の支援である。」と、原告組合からの組合員獲得を運動方針として掲げた。
西労組広島地方本部も、右のような本部の組織拡大方針のもとに組織拡大を一貫した方針として掲げ、具体的な取り組みとして、「組織拡大月間を設ける。」「各級機関の機能強化を目指し、執行委員会、職場集会を開催する。」「拡大目標を設定し、重点職場や責任及び点検体制を確立する。」等を実施した。このような西労組広島地本及び傘下支部、分会の取り組みにより相当数の原告所属の組合員が脱退し、西労組に加入した。
原告組合の主張は、労働組合間の闘争に破れたグループが、その組織方針の誤りを糊塗し、自己の組合員らの眼を欺くために被告会社に矛先を向けて「不当労働行為」があったと述べているにすぎない。
2 「アプローチ状況表」作成に被告らは関与していない。
(一) 科長会議は、広島運転所の業務運営に関する事項を話し合う場であって組合関係の事項が議題になることはない。
平成五年一〇月二六日に科長会議が開かれたが、同会議で「アプローチ状況表」が資料として使用されたことはない。
(二) 「アプローチ状況表」の文面について
(1) 「広島運転所」という表示については、このような表示はパソコンもしくはワープロを使えば誰でも打ち出せるものであるので、このような表示があるからといって被告らが作成したとはいえない。また、これが広島運転所における管理職員の会議(科長会議)において使用するために作成されたものであれば、特に「広島運転所」と記載する必要はない。
(2) 「アプローチ状況表」が発見されたとされる本所三階コピー機は誰でも自由に使用することができ、社員が日常的に利用していたものであるから、本所三階で発見されたことは被告らが作成した根拠にならない。
(3) 「アプローチ状況表」がNEC―N五二〇〇で作成されたとしても、同機種は多くの社員が扱えたのであるから、被告らが作成した根拠にはならない。
(4) 「指導候補」という文言が使用されていることについては、「アプローチ状況表」で「指導候補」とされた下迫光及び山本定利は、平成二、三年ころから運転科長及び各助役が熱心に指導担当になることを勧誘していた者であり、広島運転所という狭い職場では、右両名が指導候補であることは周知の事実であったのであるから、被告らが作成した根拠にならない。
また、右両名以外にも、中本敏行、稲原、合田正博らも以前から指導担当になることを勧められている者であるが、仮に被告らが「アプローチ状況表」を作成したのであれば、右三名についても「指導候補」の記載をしたはずであるが、「アプローチ状況表」には記載されていない。この点も被告らが「アプローチ状況表」の作成にかかわっていない事実を示すものである。
(5) 「転換者」という文言が使用されていることについては、被告会社は、組合を脱退して他の組合に加入することを表現する場合には、「異動」又は「変更」という用語を使用しており、「転換」という用語は使用していないのであるから、被告らが作成した根拠にならない。
(6) 「検修一科・二科」という分類がなされていることについては、検修部門が一科と二科に分かれていることは周知の事柄であり、検修部門の社員をその所属する科名で分類することは一般的な方法であるから、被告らが作成した根拠にならない。
(三) 「アプローチ状況表」の的中率が高いからといって被告らが作成した根拠になり得ない。
3 具体的な事実について
(一) 奥嵜に関する件については、被告山崎が、奥嵜に対して脱退を慫慂したこと、奥嵜の脱退届を預かったこと、中村委員長に脱退工作を行ったことを認めたことのいずれも事実無根である。
(二) 渡橋に関する件については、被告坂本が渡橋に対して脱退を慫慂したこと、渡橋の脱退届を預かったこと、はいずれもない。
(三) 村田の件
(1) 村田は、平成五年七月五日、広島運転所に着任したが、長く運転業務から離れ、初めての勤務地であったことから不安を抱いている様子であったので、被告坂本は、村田の不安感を和らげるために夕食に誘った。
食事中の会話では、村田の家庭状況、従前の経歴、出向先での苦労話が話題になった。
その後、将来の進路のことが話題になり、村田は「二年位ハンドルを握ってみたい。でも運転士を長く続けるつもりはない。」「関連事業に魅力を感じている。また、チャンスがあればやってみたい。」等と述べて、進路について迷っている様子であったため、被告坂本は、「自分の進路をじっくり見つめて行くように。」とアドバイスした。
その後、村田が「もう少し会社と組合は仲良くできないんでしょうかね。」と問いかけたため、被告坂本は「組合がいつまでも社長退陣要求を続けている状況ではなかなか難しいのではないか。」と自分の考えを述べたが、組合に関する話題はこの程度であった。その他、村田が新幹線通勤を始めたことから通勤のことも話題となった。
(2) 被告坂本と村田は、平成五年八月一〇日に、二回目の会食をもった。
被告坂本は、前回の時に村田が将来の進路について迷っている様子であったことから、「この前、運転士は二、三年経験したらと言っていたけれど、将来の希望はどのように考えているのか。」と尋ねた。村田は、「いろいろ考えているが。」と未だ迷っている様子であった。
その後、村田は山口県内への転勤の希望を述べたが、被告坂本は、当時乗務員については、山口県では過員状況であり、広島県では欠員状況であったため、「現在の広島支社管内の運転士の需給状況を見たときに、運転士のままで広島から山口に転勤というのは無理な状況にある。」「君は、ハンドルは二年くらいと言っているのだから現場の助役の道に進んだ方が山口への転勤の可能性は早く、大きいと思う。今のままではだめだと思うよ。」と助役の道に進むことを勧めた。
被告坂本が「助役になるためにはLC資格が必要だけど、今年もLCを受けるだろうね。」と尋ねたところ、村田は自信のない返事をした。そこで、被告坂本が「LCは難関だけど、君ならきっと近い将来取得できるよ。」と励ましたところ、村田も気を取り直して「がんばりますから近いうちにいろいろ教えて下さい。」と述べた。
(3) 被告坂本と村田は、平成五年八月二六日、三回目の会食をもった。
前回の時に村田がLC試験について教えて下さいと言っていたことから、最初にLC試験のことが話題になった。
村田は、被告坂本にアドバイスを求める中で、「LC試験は、能力より組合が優先されるのではないか。」と尋ねたが、被告坂本は「あくまで個人の総合評価によるもので組合色で云々ということはない。」と述べて右の疑惑を否定した。
被告坂本は、村田に対して助役になることを勧めたが、村田は「西労じゃだめじゃないですか。」と述べた。被告坂本は、「そんなことは関係ないよ。」と答えたところ、村田は「坂本さんはそういわれますが、助役に西労はいないじゃないですか。」等と述べ、被告坂本は「それはそうだが、とにかく助役になるか支社へ上がった方が山口へ早く帰れる。今のままではだめだ。」と答えた。
この日の会話の中で、村田は「大松発言は、ルール違反じゃないですか。」と言ったが、被告坂本は口を挟まなかった。また、村田は「坂本さんは今の西労をどう思いますか。」と問いかけてきたため、被告坂本は「西労の社長退陣要求は組合活動として行き過ぎではないか。」等と自分の考えを述べた。
(4) 村田は、平成五年のLC試験を受験したが不合格であった。被告坂本は、その後に村田に出会ったときに「今回のLC試験は残念だった。これにくじけず。(ママ)またがんばれよ。」と激励したところ、村田は「はい、がんばります。」と答えた。
(5) 以上のとおり、被告坂本は、村田に脱退を慫慂するような発言をしたことはない。
(四) 稲原の件
(一)(ママ) 平成五年八月から九月にかけての稲原の入院中に、八幡と河村が見舞いの(ママ)訪れたが、これは、両名が稲原と親しい間柄にあったためであり、被告山崎の指示を受けて見舞ったものではない。
(二)(ママ) 平成五年一〇月に、被告山崎は八幡から「一〇月一九日に広島ターミナルホテルで稲原と会ってほしい。」旨の依頼を受けた。被告山崎は、それまでに八幡から「稲原は、多分指導担当をOKしてくれると思うので、退院したら会ってやってほしい。」と言われていたので、八幡の依頼に応じた。
一〇月一九日、広島ターミナルホテルで、被告山崎、河村及び八幡が稲原に対して指導助役になることを勧めたが、そのやりとりの中で、稲原が被告山崎に対して「指導運転士になれば、組合の話がでるでしょうね。」と問いかけたが、被告山崎は「指導運転士になることと組合のこととは無関係である。」と答えたのみである。
(三)(ママ) 以上のとおり、被告山崎が稲原に脱退を慫慂するよう工作したことも発言したこともない。
4 脱退した組合員が原告組合に提出した脱退届に被告会社の関与がみられるという原告の主張については、所属欄にゴム印が押されている点、「ジェーアール西日本労働組合」と労働組合の正式名が記載されている点については、一部にそのような点があるのみである。また、西労組に加入することを前提とした脱退用紙を使用して原告組合を脱退しているにもかかわらず、西労組に加入していない者がいるとしても、そのことが被告会社による原告組合員に対する脱退慫慂を裏付けるものではない。
第五当裁判所が認定した前提事実
一 JR総連及び原告組合結成の経緯について
(証拠・人証略)によれば、次のとおり認めることができる。
1 昭和六一年一月一三日、日本国有鉄道と国鉄動力車労働組合(以下、「動労」という。)、鉄道労働組合(以下、「鉄労」という。)及び全国鉄施設労働組合(以下、「全施労」という。)は、「労使共同宣言」に調印し、「国鉄改革が成し遂げられるまでの間は、労使は、信頼関係を基礎として、安定輸送の確保に一致協力して取り組むこと」等を宣言した。
また、同年七月一八日に、動労、鉄労、全施労及び真国鉄労働組合(以下、「真国労」という。)は、国鉄改革労働組合協議会(以下、「改革協」という。)を結成し、改革協は、同年八月二七日に、国鉄との間で「第二次労使共同宣言」を行った。その中で、「組合は、今後、争議権が付与された場合においても、健全な経営が定着するまでは、争議権の行使を自粛すること」等を宣言した。
ここで中心となった動労と鉄労は、動労が総評に加盟し対立的な労使関係の立場にあり、鉄労が同盟に加入し協調的な労使関係の立場にあったが、国鉄民営化を目前にして共同することになったものである。
昭和六二年二月二日、動労、鉄労、日本鉄道労働組合(真国労と全施労が組織統一して結成したもの)及び鉄道社員労働組合(以下、「社員労」という。)は、全日本鉄道労働組合総連合会(以下、「JR総連」という。)を結成し、同時に改革協は解散した。
昭和六二年三月一四日、被告会社に採用される予定の国鉄従業員を組織対象として、動労、鉄労、社員労等が西日本旅客鉄道産業労働組合(西鉄労)を結成しJR総連に加盟した。
2 昭和六二年四月一日、被告会社が発足した。
当時、被告会社内には、西鉄労のほかに西日本鉄道産業労働組合(以下、「鉄産労」という。)、国鉄労働組合(以下、「国労」という。)、全国鉄動力車労働組合、JR西日本鉄輪会(国鉄時代には組合員資格がなかったが、被告会社の発足に伴い新たにこれを与えられた助役等によって結成されたもの、以下、「鉄輪会」という。)が存在した。
同年六月六日、被告会社と西鉄労及び鉄輪会は、「西日本旅客鉄道株式会社発足にあたっての合意事項」に調印し、「今後、組合は、争議権の行使を必要とするような労使紛争は発生しないと認識し、健全な経営を定着させるため、列車等の安全運行に関して、すべてを優先させて取り組む」ことを確認した。昭和六二年八月、鉄輪会は西鉄労に吸収された。
3 平成二年六月一九日、JR総連第五回定期大会において、当時、運輸省が被告会社等に対して行っていた国鉄清算事業団職員を追加採用されたい旨の要請は政治介入であるという問題提起がされた。この結果、ストライキ権(以下、「スト権」という。)を確立することについて、また、団体交渉権、指令権等をJR総連に委譲することについて、議論を深めるべきであるとして、傘下各労働組合の全組合員による職場討議(以下「スト権論議」という。)を実施し、次期中央委員会で意見を集約することとなった。
平成二年一一月二〇日、西鉄労第八回中央委員会が開催され、スト権論議について、<1>JR総連提起の趣旨に反対し、西鉄労の主体性堅持を求める意見が大勢であった、<2>JR総連から提起されたスト権確立等は是認しない姿勢で臨む、<3>会社の経営基盤、西鉄労の組織経営基盤からして、スト権論議は時期尚早である、と組合員の意見の集約がされた。
4 平成三年二月一九日、西鉄労第九回中央委員会(以下「九中委」という。)が開催され、この場で、大松益生委員長が「西鉄労はJR総連との関係を解消する。」との趣旨の発言をしたことを契機として西鉄労内は反JR総連派(旧鉄労が中心)と親JR総連派(旧動労が中心)とに割れて抗争が生じた。
5 平成三年五月二三日、西鉄労の大松委員長の運動方針に反対する約四五〇〇名の組合員は西鉄労を脱退して原告組合を結成した。原告組合は同時にJR総連に加盟し、一方、西鉄労は同年七月にJR総連を脱退した。原告組合の結成に参加した組合員の多くは元動労の組合員であった。
平成三年一二月、西鉄労と鉄産労は組織を統一し、約三万五〇〇〇名で西日本旅客鉄道産業労働組合(西労組)を結成した。
二 原告組合の行ったストライキ
(証拠略)によれば、次のとおり認めることができる。
1 乗務員勤務制度の改正に反対するストライキ
(一) 乗務員勤務制度の改正
被告会社は、平成四年九月、原告組合に対して、待ち合わせ時間の廃止、すなわち、運転士等が列車が目的地に到着した後、次の勤務に就くまでの時間(待ち合わせ時間)を労働時間すなわち賃金の対象としない措置等をその内容とする「乗務員勤務制度等の改正について」を提案した。
(二) 原告組合の反対闘争
原告組合は、被告会社の右提案に激しく反発し、協議を行ってきたところ、平成四年一二月四日、被告会社と西労組とは、被告会社の提案にかかる事項につき合意した。
原告組合は、被告会社が平成四年一二月七日にした回答が「みなし労働時間廃止」撤回要求を拒否したものであったため、同月八日から一一日まで九六時間のストライキを実施した。
平成五年二月八日、被告会社は、原告組合に対して、乗務員勤務制度改正を実施するべく就業規則の変更を通知し、同年三月一八日から就業規則を変更して、改正乗務員勤務制度を実施した。これに対し、原告組合は、同日から近畿地方本部を皮切りに波状的にストライキを実施し、原告組合の広島地本は、同月二五日、広島運転所、徳山運転区及び下関運転所で一二時間ストライキを行った。
2 ブルートレイン指名ストライキ
原告組合は、ブルートレインの下関―広島間の一人乗務制について、安全上の問題があり、乗務員に過酷な労働条件であると主張して、下関運転所分会のブルートレインを担当する組合員を対象として、平成五年三月一八日から一人乗務制に反対する指名ストライキを行い、更に、同年四月二七日には、新幹線広島運転所分会を除く全動力車乗務員による二四時間ストライキを実施した。
しかし、被告会社は、一人乗務制の実施を続けたため、原告組合は、平成五年五月一二日、第六回定期中央本部大会を開催し、下関―広島間ブルートレイン一人乗務反対のために下関運転所の指名ストライキを続行する旨を決定し、指名ストライキを続行した。
3 原告組合の行った右ストライキにつき、西労組は、健全で安定した労使関係の形成維持に反するものであるとしてこれを強く批判していた。
三 原告組合員の特徴及び組合員数の推移
(証拠・人証略)によれば、次のとおり認めることができる。
1 原告組合の結成から平成九年九月までの間における組合員数の推移は別表<略>のとおりである。
2 原告組合結成時の平成三年六月の段階では、全体で約四七〇〇人が所属しており、同年一二月には四七四五人が所属していた。
広島地本の組合員数は、平成三年六月では九二八人、同年一二月には一〇〇二人が所属していた。
原告所属組合員は、職種別では運転士が中心であり、その他は車両技術係(検修係)がほとんどで、組合員の約八割程度が運転士であり、残りの大半が車両技術係である。
原告の組合員数は、平成四年一月から減少を始め、本件訴訟提起時の平成五年一二月では三八四一人であり、平成九年九月では二二六九人である。
広島地本の組合員数も平成四年七月ころから減少を始め、本件訴訟提起時の平成五年一二月では八七〇人であり、平成一〇年三月では四九四人である。
原告組合を脱退した者の大部分は西労組に加入している。
平成五年七月の一三三人の大量脱退者は、JR西日本米子地方労働組合を結成したものであり、平成六年八月の三五〇人の大量脱退者は、JR西日本近畿地方労働組合を結成した。
四 本件「アプローチ状況表」
(証拠略)(成立については後述する。)、(人証略)によれば、本件「アプローチ状況表」は、平成五年一〇月、原告組合員が広島運転所本所三階のコピー室で見つけたと主張して問題とされたものであること、「アプローチ状況表」の記載内容は別紙<略>のとおりであり、そこに記載されている平成五年当時における原告組合の組合員二九名のうち、平成九年一〇月時点において原告組合に所属しているのは五名のみであることが認められる。
第六争点に関する判断
一 本件で問題となった被告会社広島運転所の管理職員と原告組合員との交渉
1 前提事実
(証拠・人証略)、被告坂本隆嗣本人尋問の結果によれば、平成五年当時の広島運転所の組織、指導担当その他について次のとおり認めることができる。
(一) 平成五年八月一日現在の広島運転所の職員構成は、職員数三九五名で、その内訳は、所長一名、助役二六名(副所長、科長を含む。)、事務職員二〇名、運転手二〇八名、検修係一三四名、車検センター六名であった。
(二) 広島運転所をその所在位置に基づいて分けると、本所(広島駅の約一・七km岡山寄りの位置にある。)、分所(広島駅のすぐ北側にある。)、検修一科(矢賀検修分所、広島駅から芸備線で約二・五km離れた矢賀にある。)及び車検センター(広島駅と本所とのほぼ中間に位置している。)に分かれていた。本所の三階に所長室と事務企画の部屋があり、清水所長と坂本副所長とはここで執務していた。本所二階には検修二科があった。
(三) 広島運転分所は、山崎運転科長、指導総括助役、運転総括助役、指導助役、当直助役、主任運転士及び運転士で構成され、山陽本線、呉線及び芸備線の運転業務に従事していた。
検修一科(矢賀検修分所)は、鴨池検修一科長、助役、車両技術主任、車両技術係及び車両係で構成され、電車の検査と修理を担当していた。検修二科は、出下検修二科長以下、一科と同様の職種の者で構成され、気動車及び客車の検査等を担当していた。本所の事務企画部門は、恵下田事務助役、村橋企画助役、事務主任及び事務係で構成され、庶務関係を担当していた。車検センターでは、自動車の車検等を行っていた。
(四) 指導担当とは、運転士に対して、技術的訓練や緊急時における対応等の指導を行う運転士であり、主任運転士の中から任命される。運転士が助役等に昇職するためには、通常の場合、指導担当の経験が必要であることから、被告会社においては、指導担当は中間管理職員である助役になる前段階の職務と位置づけられていた。指導担当になると若干の手当て(ママ)が支給されるけれども、実際に乗務することによって得られる乗務手当て(ママ)が受けられなくなるため、差し引きで月額金八万円程度の減収となる。そのため、乗務手当て(ママ)を受けている者が指導担当になることを積極的に希望することは少ないのが実状である。
(五) 平成五年六月当時、広島運転所には七名の指導担当がおり、そのうちの二名が原告組合に所属していたが、その後、一名は原告を脱退し、他の一名は出向して指導運転士の立場を離れた。右の二名の後、原告組合所属の運転士で指導担当になった者はいない。
2 被告坂本と村田との接触
(一) 事実の認定
(証拠・人証略)、被告坂本隆嗣本人尋問の結果によれば、次のとおり認めることができる。
(1) 当事者
ア 被告坂本は、平成四年六月に非組合員に指定された管理職員で、平成五年当時は広島運転所の副所長の職にあった。
イ 村田は、昭和五一年に国鉄に採用され、昭和五七年には運転士になったが、昭和六〇年一〇月から平成五年七月までは被告会社の関連事業の物品販売部門に出向するなどして運転士の業務からは離れていた。平成五年七月五日、運転士に復帰する予定で広島運転所に配属になった。ただし、広島運転所で運転士として勤務するためには、ディーゼル機関車(DL)、気動車(DC)及び電車(EC)の運転資格が必要であったところ、当時、村田は電車運転資格を有していなかったため、直ちには運転士としての業務につくことはできず、平成五年五月から同年九月までは広島運転所本所の事務・企画部門で企画補助事務に従事し、平成五年九月から平成六年一月までの間、電車運転士養成訓練を受けた。
村田は、平成五年当時原告組合に所属していたが、本件訴訟において平成八年一二月五日に原告申請の証人として証言した後、原告組合を脱退した。
村田は、山口県厚狭郡に住居があり、広島運転所への通勤に要する時間は二時間以上で、山口県西部での勤務を希望していた。
村田は、「アプローチ状況表」にリストアップされており、確度は「○」、付記欄には「良識はあるが今一歩踏み切れない。継続アタック要」と記載されている。
(2) 村田と被告坂本との接触の内容
ア 被告坂本は、平成五年七月二日、広島支社の人事課に転勤挨拶にきていた村田を同課の担当者から紹介された。被告坂本と村田とはその時が初対面であった。平成五年七月五日、村田は広島運転所に着任した。そのころ、被告坂本は、村田を誘い、広島駅近くの飲食店で午後六時ころから午後八時ころまでの間、第一回目の会食をした。この際の話題は、村田の通勤方法、家庭の事情等であった。この日の飲食料金の全額の約五〇〇〇円は被告坂本が支払った。
イ 被告坂本は、同年八月上旬、村田を誘い、広島駅近くの飲食店で午後六時三〇分ころから午後八時ころまでの間、第二回目の会食をした。
村田は、勤務地を小郡以西にしてもらいたいと被告坂本に頼んだ。これに対して被告坂本は「今のままではだめだ。」「乗務員のままだとなかなか希望どおりの転勤は難しい。」「支社に上がらないか、管理者になった方が早く希望地に帰れる」との趣旨の返答をした。
この日の飲食料金は約八〇〇〇円であったが、被告坂本が支払った。
ウ 被告坂本は、同年八月二六日、村田を誘い、広島駅近くの料理屋で午後六時ころから午後九時三〇分ころまでの間、第三回目の会食をした。
この時はリーダーコース(LC)資格認定試験が話題になった。この資格は、助役及び非現業職員への登用を目的として行われるもので、助役になるためにはこの資格が必要であり、また、この資格保有者は昇格試験の一次試験が免除される等の特典がある。村田は以前から何度も受験していたが、合格していなかった。この時には、会話の前後関係は明らかではないけれども、原告組合に関することが話題となり、被告坂本が「原告組合がしている社長退陣要求は行き過ぎではないか。」との趣旨の発言をしたことがあり、村田からは「LC試験は能力より組合が優先されるのではないか。」「助役に原告組合員はいないではないか」「支社の事業課にいた原告組合員は乗務員に戻された」「原告組合をどう思うか」との趣旨の発言があった。被告坂本は「原告組合は旧動労より会社に非協力的である」との趣旨の発言をした。
この日の飲食料金も被告坂本がその全額を支払った。また、被告坂本は、村田に対して、同人が帰宅できない時間になったため、ホテル代として金八〇〇〇円を交付した。
エ 被告坂本は、村田以外の部下と個人的に一対一で社外で会食したことはない。
オ 村田は第二回目の会食までは被告坂本の自己に対する接触に問題があるとは考えていなかったけれども、第三回目の会食の際の被告坂本の発言については不当労働行為ではないかとの疑念を持った。
(二) 右事実を前提として、被告坂本が村田と接触した目的及び被告坂本の発言内容について検討する。
(1) 職員数が四〇〇名近い広島運転所で、所長に次ぐ地位にある被告坂本が、管理職員でもなく面識もなかった一職員の村田と約二か月間に三度も個人的に会食する機会を持つこと自体が異例なことである。ただ、被告坂本が新たな転入者に対しては村田に対するのと同様な対応をしているのであれば、被告坂本にとっては格別珍しいことではないということは可能である。しかし、被告坂本は、村田以外の部下と個人的に一対一で社外で会食したことはないのであるから、村田に対する被告坂本の対応は、同被告にとっても異例なものであったことになる。
この点に関し、被告らは、被告坂本が村田に声を掛けたのは、村田が長期間運転業務を離れ、かつ地理不案内な広島に配属になって不安感を抱いていたことから、副所長としてそうした不安感を少しでも和らげようとの考えで食事に誘い、村田に助役への道を進ませたいために会食が重なった旨主張する。しかし、村田は運転士に復帰する予定で広島運転所に転勤になり、運転業務に就くために必要な電車運転士資格を有していなかったためこれを取得する必要があり、そのための研修に入るまでの平成五年九月までは広島運転所本所の事務・企画部門で企画補助を行っていたのであるから、村田の直接の上司は村橋企画助役あるいは恵下田事務助役となり、上司とはいっても村田と被告坂本との間に直接の接点はなかったのであるから、被告らの右の主張はいかにも不自然であり、採用することができない。
(2) 右の事情及び村田は本訴において証言した後に原告組合を脱退しており、原告組合のために虚偽の証言をする理由は薄く、また、ことがらの性質上、被告坂本の発言の趣旨を誤って記憶したとも考え難いから、前記会食の際における会話の内容に関する村田の証言の信頼性は高いものと考えられる。そして、村田の証言によれば、第三回目の会食の際、被告坂本は村田との会話内容がLC資格試験のことに及んだ際、村田に対して「今の考え方ではだめだ」との趣旨の発言をし、村田が「原告組合に加入していてはLC試験に合格しないのではないか」と問うたのに対し、肯定も否定もしなかったと認められる。
(三) 被告坂本の村田に対する接触の目的
右(一)及び(二)において認定した事実並びに前記二において認定したとおり、平成五年当時において、被告会社と原告組合との間には対立緊張状態が存したこと、村田は第三回目の会食においては被告坂本の行為は不当労働行為ではないかとの疑念を持ったこと、を総合的に考慮すると、被告坂本は村田に対して原告組合からの脱退を明示的に勧めているわけではないが、長距離通勤している村田が自宅近くへの転勤を希望したのに対し、運転士のままでの転勤は困難であること、管理職員になれば転勤が実現する可能性は大きくなることを告げるとともに、原告組合所属のままでは管理職員への登用は困難であることを暗に告知し、原告組合からの脱退を勧めたものと評価することができる。
3 被告山崎と稲原との接触
(一) 事実の認定
(証拠・人証略)、被告山崎昭夫本人尋問の結果によれば、次のとおり認めることができる。
(1) 当事者
ア 被告山崎は、平成五年六月に非組合員に指定された管理職員で、その当時は広島運転所の運転科長の職にあった。
イ 稲原は、昭和四二年に国鉄に採用され、昭和五二年に運転士として広島運転所に配転され、平成五年当時も運転士として勤務していた。現在は、山陽本線及び呉線の列車に乗務する運転士である。稲原は平成五年当時も現在も原告組合に所属している。
稲原は、「アプローチ状況表」にリストアップされており、確度は「◎」、付記欄には「経済的ネック」と記載されている。
稲原は、平成三年に原告組合が結成されたころから指導運転士になることを勧められていたが、仲間を裏切りたくないこと、指導運転士になると収入が減ること等を理由に断り続けていた。
八幡、河村の両助役は稲原の直接の上司に当たる当直助役であるところ、稲原は、約五歳年長の河村とは昭和五二年ころ以来の友人で、相互の自宅を訪問し合うなど家族ぐるみの交際をしていたが、八幡とは、さほど親しくはなく職場において接触する程度の間柄であった。
(2) 稲原と被告山崎との接触の内容
ア 稲原は、平成五年九月ころ、病気入院したことがあったが、河村助役が見舞いに訪れ、その際、雑談とともに指導担当になるよう勧められた。その数日後八幡助役が見舞いに病院を訪れ、八幡も指導担当になることを勧めた。被告会社の社員で稲原を見舞ったのは河村助役、八幡助役の二人だけであった。
稲原は、同年一〇月初めに退院し職場に復帰したが、その数日後、八幡助役から被告山崎と会うよう依頼され、同月一九日午前一〇時に広島ターミナルホテルで会うことを約束した。被告山崎は八幡から稲原に右ホテルで会うよう求められてこれを承諾した。
イ 稲原が約束の時間に右ホテルに行くと、そこには被告山崎はまだ来ておらず、八幡助役と河村助役が待っており、二人で指導担当になることを熱心に勧めた。
約束の時間に遅れて午前一一時ころ、被告山崎がホテルにやってきたが、被告山崎自身はあまり稲原に対して話しはせず、八幡らが稲原を説得するのを聞いており、指導担当になってもらいたいとの趣旨の発言をした程度である。この時、稲原は被告山崎に対し「指導担当になれば組合の話しが出るでしょうね」と質問したが、被告山崎は明確な返答はしなかった。被告山崎が来て三〇分くらい経過した後、被告山崎が稲原を昼食に誘ったが、稲原はこれ以上三名から説得されると指導担当になることを断りにくくなり、ひいては原告組合を脱退しなければならなくなるかも知れないと考え、強く断ってその場を離れた。
ウ 被告山崎は平成五年七月に村橋企画助役とともに原告組合員である松崎を飲食店に誘い、二人で指導担当になることを勧めたことがあるが、前記稲原と松崎以外には運転所の外で職員に対し、指導担当になることを勧めたことはない。
(二) 右事実を前提として被告山崎が稲原と接触した目的ないし意図及びそれが稲原に与えた影響について検討する。
被告らは、被告山崎は、当時、乗務手当て(ママ)がなくなるために就任希望者が少なく会社としても困っていた指導担当に就くことを勧めたのみであり、所属組合とは無関係である旨主張する。しかしながら、まず第一に、稲原の直接の上司は当直助役である八幡、河村であり、その上司には運転総括助役、指導総括助役がいるのであるから、更にその上司である被告山崎が直接、稲原の指導担当就任のみを説得しなければならない理由は薄弱であるといわなければならない。第二に、指導担当就任を説得するのみであるならば、勤務時間内に運転所事務所で行えば足り、外に出かけて説得しなければならない理由はない。現に、被告山崎はいずれも原告組合員である稲原及び松崎以外の者に運転所外で指導担当就任を要請したことはないのである。第三に、先に認定したとおり、平成五年六月当時、広島運転所には七名の指導担当がおり、うち二名は原告組合員であったが、その後、一名は原告組合を脱退し、一名は出向して指導担当を離れ、その後、原告組合員で指導担当に就任した者はいないこと、被告山崎は、同人が指導担当になることを勧めた原告組合員である松崎の原告組合脱退問題につき、平成五年七月二九日に原告組合の宮原分会長からの抗議内容について、第一七回口頭弁論期日においては「確か一八時過ぎごろ分所に来て、「松崎が脱退を取り止めたよ」という話は宮原君がしました」との供述をしている(<証拠略>)のに対し、第一八回口頭弁論期日においては、同一の状況を説明するのに「それは七月二九日に宮原君が運転分所に来まして松崎はもう指導にならんよということを強調していましたから・・・。」と述べており、原告組合脱退と指導担当就任とを混同した供述をしていること、稲原も広島ターミナルホテルで被告山崎に対し、指導担当になることと原告組合を脱退することとは連結していることを前提とした質問をしていること、以上の諸事実からするならば、平成五年当時においては、広島運転所の職員は、非組合員の管理職員、組合員ともに、指導担当に就任することは時期は別として原告組合脱退につながる可能性が大きいものと認識していたと認めることができる。
以上の諸点を総合的に判断すると、被告山崎は稲原に対して原告組合からの脱退を明示的に求めてはいないけれども、指導担当に就任することを勧めることによって暗に原告組合からの脱退を慫慂したと認めることができる。
4 奥嵜、渡橋及び桑原俊幸に対する脱退慫慂について
(人証略)の各証言によれば、右三名はいずれも原告組合員であったが、平成五年八月以後に脱退したことが認められる。
原告は、被告山崎ら被告会社の管理職員が右三名に対して脱退を慫慂したと主張するが、この主張に沿う(人証略)の証言は、多くが伝聞であって具体性を欠くものであり、これのみでは被告らによる右三名に対する具体的脱退慫慂事実を認めるには足らず、他にはこれを認めるに足りる証拠はない。
二 「アプローチ状況表」の作成者について
1 「アプローチ状況表」の作成者については、その記載内容のみではその作成者を一義的に決定することはできない。そこで、原告組合によってその存在が主張された平成五年当時における労使間の状況、原告組合員に対する被告会社管理職員(西労組組合員である管理職員を除く)による原告組合脱退慫慂の有無、内容、態様を考慮し、これに「アプローチ状況表」の記載内容を検討して、「アプローチ状況表」の作成者を特定することができるかどうかを判断することとする。
2 平成五年当時の労使関係の状況
(証拠・人証略)によれば、次のとおり認めることができる。
(一) 被告会社が提案した乗務員制度の改正問題を契機として、原告組合と被告会社とは激しく対立し、原告組合は平成四年末から平成五年八月にかけて断続的にストライキを実施し、原告組合と被告会社との関係は著しく悪化していた。
(二) 西労組の原告組合に対する対応
(1) 平成五年に開催された西労組第四回定期中央本部大会の運動方針では、「一企業一組合の早期達成をめざし、当年の達成目標を組織率八〇%に置き、JR西労組の最優先課題とし、組織拡大に取り組みます。」「充実した組織の確立には、役員のみの活動であってはならず、組合員が参加し、考え、共に行動する組織創りを目指し、組合員参加型の活動の展開を図ります。」との表明がされ、具体的な組織の強化・拡大の取り組みの一つとして、「組織拡大は、西労対策に重点を置いて運転職場を中心とし、工場・自動車の国労対策及び全職場の末加入対策にも取り組みます。」という方針を掲げた。
(2) 西労組広島地方本部は、平成五年三月に「西労の不毛なストに反対、組織強化拡大決起集会」を、同年四月に組織対策会議を開き、原告組合のストライキを阻止するためには組織拡大しかないとの方針のもとに同年六月から七月を組織拡大月間とした。
(3) しかし、西労組が組合として、広島運転所内の原告組合員に対して原告組合からの脱退及び西労組への加入を勧誘する具体的活動を行ったことを認めるべき資料は、本件訴訟記録上は存在しない。
3 平成五年七月から同年一〇月にかけて原告組合員二名に対し、被告会社の非組合員である管理職員から原告組合からの脱退慫慂がされたと認められることは先に述べたとおりである。
4 「アプローチ状況表」の作成者について
(一) その詳細な内容からして関係者、それもそれなりの組織力を有する団体しか作成できないと認められるので、「アプローチ状況表」を作成した者としては、原告組合、被告会社、西労組の三者を検討すれば足りるものと考えられる。
「アプローチ状況表」を原告組合が狂言のために作成した可能性もないとはいえない。しかしながら、被告らも明示的にはそのような主張はしておらず、「アプローチ状況表」中の個々の組合員に対する評価、判断欄の記載内容からしても、構成員の経済的地位向上を目的として結成された原告組合がこのような内容の書面を作成することは特段の事情がない限り考え難いものというべきところ、本件において、右特段の事情を認めるに足りる証拠はない。よって、原告組合は除外されるべきである。
(二) そうすると、「アプローチ状況表」は、被告会社か西労組かのどちらかが作成した蓋然性が高いことになる。
(三) 「アプローチ状況表」の文面からの検討
(1) 作成名義人
「アプローチ状況表」の右上部には、日付が記載され、その下に「広島運転所」と記載されている。この部分には、通常、作成名義人が記載されると考えられるから、「アプローチ状況表」を作成した者は、作成名義人を「広島運転所」としたことが認められる。労働組合が作成したのであれば、「広島地方本部」や「何々分科会」という名義になるのが自然であるから、作成名義人の記載の仕方は、被告会社が作成したことを推認させる一つの事情であると認められる。この点に関する被告会社の反論は、そのように考えることもできるといった事情であり、必ずしも決定的なものではない。
(2) 「指導候補」という記載について
「アプローチ状況表」では、下迫光と山本定利が「指導候補」と記載されている。
指導担当候補者に対する勧誘は指導助役がこれを行うところ、指導助役は西労組員である(<人証略>)から、西労組は広島運転所中の指導担当候補者を知り得る立場にあった。しかし、西労組において誰が指導担当候補者であるかを知ることと、組織拡大のために作成する文書にその旨を記載することとは別のことがらであり、西労組がその作成文書に原告組合員が指導担当候補者であることを記載するためにはそれだけの意味があること、言い換えれば、当該組合員が原告組合を脱退して西労組に加入するにつき、指導担当候補者であることが具体的意味を有することが必要である。そして、先に認定したとおり、広島運転所の職員は、非組合員の管理職員、組合員ともに指導担当に就任することは時期は別としていずれ原告組合の脱退につながる可能性が大きいものと認識していたのであるから、脱退可能性があるかどうかの判断基準として、指導担当候補であるかどうかは重要な要素であると認められる。しかしながら、原告組合からの脱退は必ずしも西労組加入にはつながらないものであるから、「指導候補」との記載は、会社側の立場にある者によって記載されたとする方が、西労組によってされたと考えるよりも合理的である。
(3) 「アプローチ状況表」の内容全般について
各組合員の付記欄には、「危機感は持っている」「現状に甘えている」「良識はある」との記載がよく見られるところ、これらは、どちらかといえば労働組合の視点ではなく、使用者が労働者をみる観点であると評価することができる。
5 結論
以上、1ないし4において述べたところを総合的に考慮して本件「アプローチ状況表」の作成者について検討すると、まず第一に、平成五年八月に非組合員である被告坂本が原告組合員であった村田に対し、同年一〇月には非組合員である被告山崎が原告組合員である稲原に対してそれぞれ脱退慫慂を行っており、右の村田と稲原とはいずれも「アプローチ状況表」に名前が記載されていること、第二に、平成五年当時の原告組合と被告会社との関係は険悪であり、被告会社には原告組合の組織弱体化を図る十分な動機があったこと、「アプローチ状況表」にはその内容自体に被告会社の関与を窺わせるものがあること、以上の事情からするならば、「アプローチ状況表」は被告会社の広島運転所の管理職員がその立場で作成したものと認めるのが相当である。
被告らは、原告組合の結成の経緯及び原告組合への西労組組合員の脱退工作を認定した労働委員会の命令などを根拠として、原告組合員の減少の原因は、西労組の組織拡大方針に基づく活動のためであり被告会社は関与していないと主張する。
確かに、前記第五・一「JR総連及び原告組合結成の経過について」、同二「原告組合の行ったストライキ」、第六・二2「平成五年当時の労使関係の状況」において認定した各事実及び(証拠略)によれば、原告組合員減少の理由は、一つは対立組合である西労組の組織拡大方針に基づく活動のためであり、一つは国鉄が分割民営化されるに至った経緯に鑑みて、二度にわたり労使協調を目的とした共同宣言を行ったにもかかわらず、国鉄時代と同様の組合活動を行う原告組合の運動方針に批判的であった組合員の脱退等のためであることは認められるが、このことから直ちに被告会社が原告の組織弱体化に関わっていなかったということはできない。
したがって、「アプローチ状況表」を西労組が作成したとする被告らの主張は採用できない。
三 被告会社の不法行為責任について
1 広島運転所の管職員二名がその立場で原告組合員二名に対する脱退慫慂を行っていたことは先に認定したとおりであり、「アプローチ状況表」を広島運転所の管理職員が作成したものと認められる以上、その記載内容からみて少なくとも被告会社の広島運転所は、運転所として原告組合員に対する脱退慫慂を行っていたと認めざるを得ない。広島運転所の管理職員による右のような行為は、原告組合に対する関係においては民法上の不法行為に該当する。したがって、被告会社は民法七一五条に基づく不法行為責任を負うことになる。しかし、被告会社が広島運転所以外の事業所で原告組合員に対する脱退慫慂等の不当労働行為を行っていたことを認めるに足りる証拠はない。
2 原告組合の被った無形損害の程度について検討する。
先に述べたとおり、原告組合員が減少した原因は、西労組が行ってきた組織拡大のための活動や原告組合の運動方針に見切りをつけた原告組合員自らの判断があったと認められることからすると、広島運転所における原告組合員の減少のすべてをその管理職員による脱退慫慂の結果ということもできない反面、広島運転所の管理職員が「アプローチ状況表」を作成して運転所として脱退慫慂を行っていたことからすると、広島運転所の脱退者のうち、一定部分は広島運転所管理職員による脱退慫慂の結果であると認めるのが相当である。そして、原告組合は組合員数の減少による組織自体の弱体化、組織乱れ等による無形の損害を被ったものと認められる。以上の諸点を総合的に考慮し、原告組合が被った無形損害額を金五〇万円と認める。
3 弁護士費用
被告会社管理職員による不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は金五万円を相当と認める。
四 被告会社以外の被告らの不法行為責任
前記のとおり、被告坂本は村田に対し、原告組合所属のままでは管理職員への登用は困難であることを暗に告知し、原告組合からの脱退を勧めたものであり、被告山崎は稲原に対し、指導担当に就任することを勧めることによって暗に原告組合からの脱退を慫慂したものであって、右両被告の行為はいずれも原告組合に対する不法行為に当たると評価できる。しかしながら、村田は本訴において証言した後原告組合から脱退しているものの、右脱退は被告坂本の右行為から三年以上経過した平成八年一二月五日の第一三回口頭弁論期日における証人尋問の更に後になされたものであり、被告坂本の右行為が主因であるとは言い難いこと、稲原は現在も原告組合の組合員であること、以上からすると、右両被告の行為はいずれも原告組合の組織を弱体化させる行為であったと評価することはできないから、右各行為と相当因果関係ある原告組合の無形損害を認定することはできない。
また、その余の被告会社の職員である被告については、その個々人が、原告組合に対する不法行為と評価され得る行為を行ったことを認めるに足りる証拠はない。よって、原告組合の被告会社以外の被告に対する本訴請求は理由がない。
第七結論
よって、原告の本訴請求は、被告会社に対して金五五万円及びこれに対する最後に本件訴状が送達された日の翌日である平成五年一二月一九日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが、原告の被告会社に対するその余の請求は理由がなく、原告の被告会社以外の被告に対する請求はすべて理由がない。よって、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六四条を、仮執行宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 加藤誠 裁判官 白神恵子 裁判官松山昇平は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 加藤誠)