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広島地方裁判所 昭和36年(ヨ)65号 決定 1961年4月10日

決  定

広島市八丁堀一番地

申請人

田川治夫

右代理人弁護士

星野民雄

東京都中央区宝町二丁目一番地の一

被申請人

清水建設株式会社

右代表者代表取締役

清求康雄

右代理人弁護士

高橋一次

広島市中島本町平和記念公園内

被申請人

株式会社新広島ホテル

右代表者代表取締役

大橋政義

右当事者間の昭和三六年(ヨ)第六五号工事中止の仮処分申立事件について、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件申請をいずれも却下する。

理由

一、申請の趣旨

(一)  被申請人株式会社新広島ホテルは、別紙記載の工事につき、騒音及び震動の防止設備をするか、無騒音・無震動の堀削機を使用するまで被申請人清水建設株式会社をして右工事をさせてはならない。

(二)  被申請人清水建設株式会社は、別紙記載の工事につき、騒音及び震動の防止設備をするか、無騒音・無震動の堀削機を使用するまで右工事をしてはならならない。

との裁判を求める。

二、申請の理由

(一)  被申請人株式会社新広島ホテルは、被申請人清水建設株式会社に対して広島市八丁堀二番地、同三番地、宅地約八四三坪の地上に広島グランドホテルの建築を請負わせ、同会社は現在その建築工事を施行中であるが、右建物は地下三八四坪一勺・一階四三二坪二勺・二階四一八坪二合・三階二九九坪六合六勺・四ないし七階各二二八坪四合六勺・八階一〇八坪二合・屋上一階三五坪八合三勺・同二階四六坪六合二勺、合計二、五六五坪三合九勺の高層建築物とする予定である。

(二)  ところで、右建物建築の基礎工事である鋼管パイルの打込作業は昭和三六年二月一日に開始されたが、その騒音及び震動は予想外に大きく、附近の住民は連日これに悩まされている。殊に申請人は司法書士及び土地家屋調査士をしているものでてるが、その住家並びに事務所が右建築場所に最も近接しているため、前記打込作業中、室内においては会話や電話が聞きとれず、机・椅子が上下・左右に動揺し、精密な図面・熟考を要する書類等の作成はほとんど不可能で、正常な営業活動は期し難い。ことに日曜休日も右作業が行われるため家庭内における休養は望み得ない状況であり、更にその震動により申請人所有の建物の壁等に亀裂が生じ、敷地の地盤のゆるんだところも現われている。しかるに、被申請等は近隣者に与えるこのような影響もかえりみることなく、他に無騒音・無震動で右工事を行い得る堀削機があるにもかかわらず、ただ工事費を節減し、自己の経済的利益をはかる目的のみにより旧式の工事方法を採用し、その結果申請人に前記のような侵害を与えつつある。

(三)  申請人が現に右工事によつて受けつつある侵害は社会生活上忍容し得る限度を超えていること前記のところにより明白であるから、申請人は自己の建物の所有権・住居権・営業権にもとずきその妨害の排除を求めるため本件申請に及んだ。

三、当裁判所の判断

本件における疎明および審尋の結果ならびに当裁判所に顕著である当庁昭和三六年(モ)第二二一号証拠保全事件における検証・鑑定の結果を綜合すれば、被申請人株式会社新広島ホテルは昭和三五年一二月末被申請人清求建設株式会社から広島市八丁堀二番地、同三番地、宅地八三八坪二合五勺を代金七、五〇〇万円余で買い受け、同三六年一月一四日右地上に広島グランドホテル(鉄骨鉄筋コンクリート造地下一階、地上八階、塔屋二階、建坪四六八坪六合四勺、延坪二、七一一坪二合三勺)の建築工事を竣工期昭和三七年三月末日、工事代金約五億円の約定で被申請人清求建設株式会社に請け負わせ、同被申請人において同月一五日着工したこと、右建築敷地は広島市内電車縮景園停留所前に位置し、広島市繁華街の中心から程近く、東側は右電車通りに、また西側はバス通りに面し周辺は官庁・学校・各種事務所・商店等櫛比し車馬の往来ひんぱんであること、被申請人清水建設株式会社は同年二月三日より基礎工事の一部としてベデスタル杭打を開始し右作業を毎日(ただし雨天を除く。)午前七時半頃から午後六時半頃まで施工し同年三月六日現在においてベデスタル杭打込予定数四七二本中二五二本の打込を終了したこと、右ベデスタル杭打込工事は後記訴定のような騒音と震動を随伴するものであるが、本件工事の工程においては右のほか騒音および震動を伴う工事としてシートパイル打が、また騒音を伴う工事として鉄骨鉸鋲があり、ベデスタル杭およびシートパイル打の作業期間は同年二月四日から同年四月一五日頃まで、鉄骨鉸鋲の作業期間は同年六月下旬から同年七月末日頃までの予定であること、一方申請人は司法書士および土地家屋調査士を業としているものであり、本件建築工事敷地の西端北側に接して木造二階建居宅一棟建坪七坪五合外二階七坪五合を、さらにその北側に木造二階建居宅事務所一棟建坪四五坪四合二勺外二階一〇坪を所有し前者を申請外檜皮某に貸与し、後者を申請人の住居兼事務所にあてていること、前記ベデスタル杭打作業が申請人居宅事務所に与える騒音および震動は同年三月一六日、一七日、二〇日および二二日における測定の結果によれば、右檜皮某の使用している建物南側室窓際において蒸気噴出音およびハンマー音による騒音最高一〇七フオン、最低八五フオン、上下振動〇、一二ミリメートル、東西水平振動〇、一ミリメートル、南北水平振動〇、一二ミリメートル、申請人居住の建物居間廊下において騒音最高八八フオン、最低八三フオン(以上騒音はいずれも窓を閉じることによつて一〇フオン程度低下する。)、上下振動〇、一二ミリメートル東西水平振動〇、〇二ミリメートル、南北水平振動〇、〇四ミリメートル、右建物事務所内において騒最高八二フオン、最低六七フオン、事務所内机上の上下振動〇、一二ミリメートル、東西水平振動〇、一二ミリメートル、南北水平振動〇、〇八ミリメートルの程度であり、かつ騒音および震動は杭打たる作業の性質上一定の時間的間隔をおいて発生するものであること、右杭の打込位置は前記工事敷地のうち西側(申請人方に近接せる側)に比較的集中し申請人方建物敷地の南端の線より七メートルないし三、四十メートルの間にその大多数が分布しているわけであるが、右杭打による騒音および震動は申請人方の日常生活に著るしい不快感を与え営業活動の能率もこれによつて相当低下したこと、しかしながら右作業の施行により申請人方の家族、従業員の生命・身体に危険を及ぼすような恐はなく申請人所有家屋の壁等に多少の亀裂は生じたがその被害は軽少であつて前記鉄骨鉸鋲作業の終了にいたるまで工事が続行されても現在以上に被害を与えるような事態が発生することは恐らくないものと予想せられること、右ペデスタル杭およびシートパイル打込による基礎工事は高属建築物の建設において現在最も一般的に用いられている工法であつて、他に無騒音・無震動の堀削機を使用する工法もないではないが、右機械の数は未だ全国的にも極めて少く本件工事に使用することは事実上不可能であり、かつ、本件工事の工法による限り本件における程度の騒音・震動の発生はやむをえないものであること、被申請人清水建設株式会社は本件工事開始に先だち近隣に被害を与えることを予想し、昭和三六年二月四日より近隣居住者との間にその補償に関する折衝を開始するとともに近隣各建物内外の詳細な記録写真を撮影する等の措置をとり、同月二〇日申請人ほか一名を除き近隣居住者(手島達次ほか九名)との間において、右被申請人は本件工事施行に当りできうる限り近隣に迷惑を及ぼさぬよう配慮し万一地上工作物に損害を与えたときは無償で良心的に修理復旧すること、無形の一切の損害および迷惑に対する見舞金として建物所有者に金一〇万円、建物賃借人に金三万円を支払つて打切とすることを骨子とする示談が成立し円満解決したが、申請人は右示談条件に承服せず、工事による生活妨害および営業収入の減少による損害として被申請人清水建設株式会社に金一〇〇万円を要求し、(建物の被害に対する補償は被申請人側の前記無億修理の申出があるため問題にならなかつた。)、これに対し同被申請人において金二〇万円支払の案を提示し譲らなかつたため交渉は物別れとなり遂に本件仮処分申請を見るにいたつたものであること、以上のような各事実を一応認めることができる。

さて、申請人はその建物の所有権・住居権・営業権に基きこれに対する本件工事に起因する騒音・震動による妨害の排除を求めると主張する。そして本件申請全体の趣旨ならびに右認定の申請人と被申請人清水建設株式会社との交渉の経緯を勘案すれば、申請人の意図は要するに前記騒音・震動による申請人の日常生活(営業活動を含む。)の妨害すなわちその精神的・身体的自由の侵害に対する排除ないし予防を請求するにあると考えられるから以下かかる観点のもとに考察を進める。

一般に、音響・震動・煤煙等の伝播による他人の生活の妨害はそれが社会生活上受忍することを相当とする範囲を超えない限り違法性がないものというべきであるが、しからざる場合においては仮令自己の支配する土地の上において工事を施行し又は工場・車輛等を運転する場合においても不法行為を構成するものと解すべきである。本件の場合において、申請人が前記ペデスタル杭打作業より生ずる騒音・震動を社会生活上やむを得ざるものとして受忍すべきであるかどうかについて考えてみるに、前出鑑定の結果によれば事務所・住宅における騒音の許容値は理想的な状態においては三五ないし四五フオンであることが疎明せられ、これに広島県における騒音防止に関する条例が広島市内における騒音の最高限を七五フオンとしていることを参酌すれば前記のような申請人家屋の立地条件を考慮に入れても前認定の本件工事の騒音・震動は社会生活上申請人において受忍すべきものであるとはなしがたい。してみると被申請人清水建設株式会社の所為は申請人に対する関係において不法行為を構成するものといわなければならない。

しかしながら、一般に権利に対する不法な侵害があつた場合においても、これに対し常に妨害排除ないし予防の請求権が成立するものと解すべきではない。けだし、権利に対する侵害に対しては、その救済の範囲方法は社会的経済的事情を考慮し、立法政策がこれを決定しうるところであり、権利の概念は妨害排除ないし予防の請求権を内包しないからである。されば、立法上何らの手当のなされていない場合においては権利の侵害に対する妨害排除の請求権の成否ないしその成立要件は当該権利の性質、その目的、加害行為の性質、態様、発生すべき損害の程度、態様、妨害排除を認めることにより加害者のこうむるべき損害等諸般の事情を比較考量してこれを決すべきものである。これを騒音、震動等による生活の妨害に即していうならば、企業活動その他に基き不法行為と目すべき(すなわち損害賠償を認むべき)騒音、震動等の近隣への伝播が存在するとしても、これだけの理由でただちにその差止を認むべきものではなく、被害者側の当該侵害の停止が認められないことによつて蒙る損害と侵害者側の右行為の停止により忍ぶべき犠牲とを彼比対照し、ここに画される限度を超えた侵害に対してはじめてその排除を許すべきであると考えられるのである。

右のような見地に立つて本件を見るに、本件工事によつて申請人のうける被害は社会生活上受忍すべき程度を超え本件工事の施行が不法行為を構成すべきことは前認定のとおりであるけれども、それだかとといつて今工事を差し止めるのでなければ申請人の生活を破壊し去るような強度の侵害が存在しているものとはとうてい認めがたいのである。現に、申請人方とほぼ同様の条件にある近隣者の多数が前認定のような和解により事態を解決し一応の満足を得ていることからもこの間の事情は自ら明らかである。一方審尋の結果によれば、被申請人らの広島グランドホテル建設は、国際観光ホテル整備法にもとずき日本開発銀行より二億円の融資あつ旋をえて行われるものであること、被申請人清水建設株式会社が昭和三六年三月六日現在すでに本件工事のため金二、一四七万五〇〇〇円の経費を支出していることが一応認められ、また被申請人株式会社新広島ホテルが本件建築用地購入のため七、五〇〇万円を支出したほか本件工事のため五億円の巨資を投入せんとしていること、被申請人清水建設株式会社において本件工事より生ずべき騒音、震動を完全に防止するには工事そのものを廃絶するほか事実上他に方策が存しないこと、右騒音、震動発生は一時的のものであり遅くも四ケ月位の内に終熄することが予定せられていること等はさきに認定したとおりである。以上のような当事者双方に存する諸事情を対比し、被申請人らの企業活動を停止せしめることによる損失と申請人側のこれによつて受ける利益とを較量するときは、当裁判所としては被申請人らの本件工事による侵害がいまだ本件工事の停止の請求を正当ならしむべき程度にまで達しているものとは考えることができない。すなわち、申請人は本件工事による侵害につき被申請人らから損害賠償を求めることを得べきも工事自体の停止を請求することは許されないものと解されるのである。(申請人は騒音、震動の防止設備をなすか、無騒音無震動の堀削機を使用するまでとの条件で工事の停止を求めているけれども、かかる条件を満足することが事実上不可能であること前記のとおりである以上申請人の求めるところは工事の全面的停止に帰着せざるを得ない。)

右のとおりの次第であつて、申請人の本件仮処分申請は本案請求権の疎明なきに帰するから、その余の点について判断するまでもなく失当として却下を免れないものである。

よつて主文のとおり決定する。

昭和三六年四月一〇日

広島地方裁判所民事第一部

裁判長裁判官 大 賀 遼 作

裁判官 宮 本 聖 司

裁判官 長 谷 喜 仁

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