広島地方裁判所 昭和36年(ワ)595号 判決 1962年5月30日
原告 田中赳
被告 赤川森二
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は「被告は原告に対して金五〇〇、〇〇〇円を支払え、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因としてつぎのように述べた。
原告は被告との間で昭和三六年六月二六日、原告を買主、被告を売主として、広島市庚午新開五の割三六二番地の一田三畝一〇歩を左の条件で売買する契約を締結した。
一、売買価格金二、五〇〇、〇〇〇円。
二、原告から被告に交付する手付金二五〇、〇〇〇円。
三、履行期は昭和三六年八月二六日。
四、履行期までに被告は売買の目的たる土地の地目を宅地に変更したうえ、原告の所有権の完全な行使を妨げる一切の負担のないものとして、原告のために所有権移転登記に必要な手続を完了して原告に引渡す。
五、被告が第四項の手続を完了して原告に右土地の引渡をなすと同時に、原告は被告に対し売買代金二、五〇〇、〇〇〇円から手付金二五〇、〇〇〇円を差引いた残金二、二五〇、〇〇〇円を支払う。
六、履行期に被告が義務を履行しないときは原告は法律上の催告を要しないで一方的に契約を解除することができ、この場合被告は原告に手付金の倍額金五〇〇、〇〇〇円を支払うものとし、また原告が義務を履行しないときは被告は法律上の催告を要しないで一方的に契約を解除することができ、この場合原告は被告に交付した手付金二五〇、〇〇〇円の返還を請求できないものとする。
この契約に基いて原告は即日手付金二五〇、〇〇〇円を被告に交付した。原告は同年八月二五日被告に対し仲介人田端正一を通じ翌二六日には必ず履行するよう念の為通知し、代金残額二二五万円を準備したが、被告は履行期である同月二六日に書類不備を理由としてその義務を履行しないので、原告は同年九月九日付内容証明郵便を以て被告に対し右売買契約を解除する意思表示をなすと共に、売買契約第六項に基づき手付金二五〇、〇〇〇円の倍額金五〇〇、〇〇〇円の支払いを同月一五日までになすよう催告したが、被告はこれを履行しないので、前示約定による損害賠償として右金五〇〇、〇〇〇円の支払いを求める。
原告は、証拠として甲第一、第二、第三号証を提出し、証人田端正一、同香川豊、同田中正夫の各証言を援用した。
被告は主文第一項同旨の判決を求め、答弁として、「原告主張の請求原因事実中、履行期および被告の義務不履行の点は否認する。原告が残代金の準備をした点は不知である。その余は認める。原告主張の履行期は暫定的に定められたものであつて地目変更の手続が終り移転登記に必要な書類が完備した際改めて履行期を定める約であつた。そして、右書類が完備したので被告は昭和三六年八月二五日原告に対し同月二八日司法書士小林正夫方で履行する旨を通知したものである。」と述べた。<証拠省略>
理由
原告主張の請求原因事実は履行期および被告の義務不履行、並びに原告が昭和三六年八月二五日に残代金を準備した点を除いて当事者間に争いがない。
成立に争いのない甲第一号証、証人田端正一、香川豊、三戸武司の各証言並びに弁論の全趣旨を綜合すれば次の事実を認めることができる。
被告は昭和三五年一二月頃、訴外石川幾太郎からその所有にかかる広島市庚午新開五の割三六二番地の一田六畝二〇歩の内三畝一〇歩(本件土地)を買受け、これを本件売買契約により原告に転売したものであるが、原被告間において昭和三六年六月二六日本件売買契約を締結するに際してその履行期日を定めるについては、売主たる被告の責任において本件土地を宅地に地目変更することになつていたので、被告は分筆手続及び地目変更手続の終つた時と定めるように主張した。すでに本件土地については石川幾太郎において県知事に対し地目変更許可申請の手続をしていたので、本件売買契約当時、遅くとも二ケ月内には地目変更ができる見通しであつた。そこで、本件売買の仲介人たる田端正一は、売買契約書の体裁をととのえるために本件売買の履行期を暫定的に二ケ月後たる同年八月二六日と定めることを提案し、当事者双方においてこれを了承して、暫定的に右日時を履行期と定めた。従つて地目変更手続の遅延その他相当の理由により右履行期に履行できないときは、改めて双方協議の上履行期を定むべきものであつて、たとえ同年八月二六日に履行がなされなかつたからと言つて、直ちに本件売買契約を解除して損害賠償を請求し得ないことは初めから当事者双方において了解せられていたものである。元来、本件土地は原告の父田中正夫が、原告の居宅を建築する目的で、原告のために買受けたものであるが、本件売買契約成立後、原告は他の都市に勤務することになり、本件土地を必要としなくなつた。そこで、田中正夫は原告の代理人として本件土地を更に転売しようと考え買主を捜したが、適当な買主も見付からなかつた。そのうちに、右履行期日が近付いて来たので、田中正夫は、前示甲第一号証の売買契約書の文言をたてにとつて、同年八月二五日被告に対し翌二六日に被告が契約を履行しないときは原告において売買契約を解除し手附金の倍額五〇万円の支払を請求する旨通告した。本件土地の宅地への地目変更は、ようやく同月二〇日過頃なされたのであるが、同月二六日中に本件土地の所有名義を中間省略の方法により石川幾太郎より原告に対し移転登記するについては、未だ書類が完備せず、またその登記手続を依頼すべき司法書士の選定についても、石川、原告、被告の三者間に意見が一致せず、更に同月二六日は土曜日でもあつたので、被告は同日本件売買の仲介人香川豊を通じて原告に対し同月二八日の月曜日まで履行期を延期するように申入れたが、原告側はその申入れを拒否し、あくまで同日中に登記手続を完了するか或は登記に必要な書類を原告に交付しなければ、本件売買契約を解除する旨主張し、その後は契約の履行に応じなかつた。
以上の通り認めることができる。証人田中正夫の証言中右認定に反する部分は信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠は存在しない。右認定の如く、本件売買契約成立の際定められた昭和三六年八月二六日の履行期は暫定的に定められたものに過ぎないのであるから、前示認定の如き事情の下に被告より履行期を同月二八日とする旨の申入れがあつた場合、原告は右契約の趣旨並びに信義誠実の原則に照し当然その申入れに応ずべきものである。従つて、被告が甲第一号証の契約書に記載された同月二六日の履行期に本件売買契約による義務を履行しなかつたからと言つて、被告は履行遅滞に陥つたものということはできず、原告はこれを理由として本件売買契約を解除し得ないものと言わねばならぬ。しからば、原告が同年九月九日付内容証明郵便を以て被告に対しなした本件売買契約解除の意思表示は、無効であつて、右解除の有効であることを前提とする原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 松本冬樹)