広島地方裁判所 昭和43年(わ)205号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕ところで検察官は判示所為につき、常習傷害(暴力行為等処罰に関する法律一条の三、前段一)の主張をするが、被告人が暴力行為を累行する性癖を有するか否か、かりにそうした性癖があるとしても本件がその発現と云いうるか否かの二点において疑問が存するので、当裁判所は検察官の右主張を排斥し単純傷害として判示のように認定した。即ち、
(一) 前科調書、各判決謄本および被告人の当公判における供述ならびに司法警察員検察官に対する各供述調書によると、被告人は、いずれも酒に酔つた犯行によつて
① 昭和三〇年六月一七日一個の傷害罪で罰金五、〇〇〇円に処せられ、
② 昭昭三二年一〇月一四日各一個の殺人未遂罪・傷害罪・銃砲刀剣類所持等取締法違反罪で懲役四年に処せられ、同三六年五月二六日仮出獄、同年八月二四日刑終了
③ 昭和三七年七月二五日にその後犯した一個の傷害罪で懲役一年六月に処せられ、同三八年一一月一四日仮出獄、同月二五日刑終了
④ その後四年余を経た昭和四三年一月二二日の一個の傷害罪で同年三月一日罰金一万七、〇〇〇円に処せられ、
⑤ ついで判示犯行に至つたことが認められ、他に暴力行為に該当すると考えられるものを敢行したことは認定しえない。
そうとすると最初の前科以来一三年の間に傷害五回、殺人未遂一回の計六回の暴力行為しか犯していないことになるのであり、また③の刑の仮出獄後④の犯行までの四年余の間に酒を断つた訳でもないのに何の暴力行為をもしていないのであるから、④と判示犯行の間が二月余しかないとしても被告人が暴力行為を累行する性癖を有すると断ずることは困難である、と云わなければならない。
(二) 本件犯行は判示のごとく心神耗弱者の行為であるが、心神耗弱時にはたして常習性が発現するか否かについても考えてみなければならない。我が法下における常習犯というのは犯罪一般に対する反対動機形成は可能であるのに(したがつて完全な責任能力を有する)先天的若しくは後天的な傾向(したがつて事理弁識能力の著しい減弱はない)により特定種類犯罪に対する反対動機形成力が減弱し(著しく減弱する必要はない。)、その種犯罪を累行する性癖(矯正可能なものである)を有する者(日本にはドイツ刑法と違い犯罪一般に対する常習犯、常習性なるものは存在しない)、そして心神耗弱者は素質的な原因とか酩酊、外傷その他の原因により一時的又は継続的に事理弁識能力が著しく減弱し、その結果犯罪への反対動機形成も著しく困難な状況にある者と、それぞれ考えられるから常習性と心神耗弱は、事理弁識能力の著しい減弱の有無、反対動機形成力減弱原因などにおいて相違し、両者が重なり合うことはなく、両者は併存せず相排斥する概念(但し「心神耗弱状態において犯罪を累行する性癖」なるものを肯定すると、問題はあるかとも思われるが少くとも本件はかかる事案でない)であるといわなければならないでのはないかと考えられる。即ち常習性というのは、特種の性癖という歪みはあるが責任能力の点では完全な人についての属性であり常習犯罪はその発現であろうから、限定責任能力という異常な精神的条件下にある心神耗弱者についてはそうした属性があるとはいえてもそれが発現する余地はないのではなかろうかと考えられるのである。したがつて本件については判示のごとく心神耗弱を認定した以上、判示犯行を常習性の発現と考えることはできないであろうと判断するものである。(もつともヴェルツェル・ドイツ刑法八版二二八頁は、ドイツ刑法二〇条2の「危険な常習的犯罪者」による刑の加重については限定責任能力の適用を認めている。したがつてこの見解によると判旨と反対の結論となるが、右二〇条2の規定がその性質上我が国の累犯加重的なものと考えるなら、右のヴェルツェルの見解は、本問とは関係が薄いということになろう。勿論、当裁判所のこの点の思考は、常習性の有無は構成要件該当性における問題であり、心神耗弱は責任性の問題であるからとの理由により両者は論理的に併存しうるとの批判を受けると考えられるが、敢えて右疑問を提出するものである。何故なら当該犯行が常習性の発現か否かは、具体的な心神の状態や動機その他主観的条件により左右される性質のものと考えられるからである。(笹本忠男)