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広島地方裁判所 昭和47年(わ)5号 判決 1972年10月30日

被告人 浜本三郎

昭八・五・一〇生 鳶職

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予し、その猶予の期間中被告人を保護観察に付する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三七年肩書住所地に木造瓦葺平屋建居宅一棟(建面積五九・四平方メートル)を建て、妻ヨシ子、長男富士夫、長女八千代とともに居住し、農業、漁業に励んでいたが、昭和四〇年右ヨシ子が家出したことから自暴自棄となり、酒に耽り始め、昭和四三年には鳶職となつたが、その後も深酒を続け、酔うとしばしば家具を壊すなどの乱暴を働き、昭和四四年五月から同年九月まで、昭和四五年三月から同年四月までおよび昭和四六年二月から同年八月までの三回に亘り、いずれも慢性酒精中毒により入院したのち、同年九月に木村タミ子を内妻に迎え、前記富士夫、八千代の四名で右家屋に居住していたものであるが、同年一二月三〇日夕刻から右タミ子とともに飲酒を始め、断続的に昭和四七年一月一日午後一〇時ころまでの間に約二・七リツトル近くも飲み、自宅中六畳の間で仮眠中、右タミ子が富士夫と激しい口論をし、「出て行く」などと言うのを聞いたが、深夜眼を覚ましたとき同女の姿は見えず、直ちに近所に住む被告人の両親方を尋ねるなどしてその行方を捜したが見当らず、同女が家出したことを知つた。翌二日の朝、富士夫、八千代の二人が外出した後、被告人は一人でさらに日本酒約〇・五リツトル近くを飲んで眠り、昼過ぎころ眼を覚ましたものの、ベツドの上で、タミ子はもう帰つて来ないであろうと思つて悲観し、前妻ヨシ子の家出のことなども想い出しては自己の不運を嘆くうち、いつそこの家を燃やしすべてを棄てて新しく出直そうと考え、同日午後一時過ぎころ自宅物置から缶入り灯油を同家中六畳の間に持ち込み、なおも暫くあれこれ思い悩んだすえ、同日午後二時五〇分ころ右灯油約一〇リツトル余りを同室中央付近にあつた衣類やコタツの掛けぶとんの上などに撒き、マツチをすつて右衣類に点火し、襖、障子、天井等に燃え移らせ、よつて同日午後三時ころまでの間に、右富士夫、八千代らが現に住居に使用する家屋一棟を焼燬したが、右犯行当時被告人は高度の酩酊により心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一〇八条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択するところ、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予し、なお同法二五条の二第一項前段により被告人を右猶予の期間中保護観察に付し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人の負担とする。

(弁護人および被告人の主張に対する判断)

弁護人は、本件犯行当時被告人は泥酔に近い高度の酩酊状態にあり、是非善悪の弁別能力が著しく低下していたうえ、短絡反応的に本件犯行に及んだものであつて自己の行為を抑制する能力を全く有していなかつたのであるから心神喪失の状態にあつたと主張し、被告人は、本件犯行当時酒を飲んでいて全然わからない旨述べており、弁護人と同旨の主張をするものと解されるので検討する。前掲鑑定人久保摂二作成の鑑定書及び同人に対する受命裁判官の尋問調書ならびに医師児玉昌幸作成の精神衛生診断書によれば、被告人は本件犯行当時内妻の家出による精神的衝撃に加えて約四日間に亘り断続的に飲酒を続けた結果異常酩酊に陥り、是非善悪の弁別能力に乏しく短絡反応的に本件犯行に及んだものと鑑定されている。被告人は判示のとおり、本件犯行以前にも飲酒のうえ家出した前妻ヨシ子の衣類を焼いたり、家具を壊したりして慢性酒精中毒として三度入院しているが、鑑定人久保摂二作成の鑑定書によれば、同人が容易に異常酩酊に陥る飲酒傾向を有することが指摘されている。本件も判示のとおり飲酒した被告人が懊悩のすえ自己の居宅に放火したものであつて右行動自体極めて異常なものであるうえ、第二回公判調書中の証人藤川常子の供述部分および山本岩人の司法巡査に対する供述によれば、犯行直後被告人が泥酔状態で自宅付近路上を歩いており、右山本に話しかけられた際にも何か口の中でつぶやいていただけであること、および同人によつて付近の両親宅まで保護されていることなどの事実が認められ、これを前記鑑定に照らすと、被告人は本件犯行当時異常酩酊の状態にあつたと認めることができる。しかし他方において、被告人は、放火行為については判示のとおり極めて一貫した合目的的行動をとつており、犯行後捜査官に対して、犯行に至つた経過、動機および犯行の方法等についてその大略を供述しており、他の証拠により認められる事実とも合致し相当程度の記憶力を有していると認められるうえ、とりわけ第三回公判調書中の証人今村春三の供述部分によれば、犯行の約数時間後の同人による最初の取調べに際し、出火の原因は前日畳の上にこぼれた灯油に電気がスパークして発火したためである旨巧妙な犯跡隠弊の供述をしている事実さえ認められる。

これらの事実に照らすと被告人は異常酩酊下で短絡反応的に本件犯行に及んだものではあるが、なお是非善悪の弁別能力およびこれに従つて行動する能力を完全には喪失しておらず心神耗弱の状態にあつたものと認めるのが相当である。なお証人久保摂二に対する受命裁判官の尋問調書には、被告人は犯行当時自己の行為を抑制する能力を有していなかつたと思われる旨の供述があるが、同証人自身述べているとおりこのように判断した根拠は結局において、被告人が本件犯行に及んだという事実であり、理由として十分なものとは言い難いうえ、被告人がマツチをする段階においては抑止能力はなかつたであろうと言うにとどまり、どの時点から短絡反応に入つたものかが明らかでなく、短絡反応に入る前には選択の余地があつたと述べている点に照らすと、仮に右証人の述べるとおりであるとしてもなお行為を全体的に評価して、自己の行為を抑制する能力を有していたと認める余地が十分あり、結局前記認定を左右するに足らず、弁護人らの右各主張は採用しない。

よつて主文のとおり判決する。

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