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広島地方裁判所 昭和50年(わ)140号 判決 1976年1月23日

被告人 日馬政春

昭一五・一一・二八生 会社員

主文

被告人は無罪。

理由

(公訴事実)

一、本件公訴事実の内容は「被告人は、広島市庚午北一丁目一五番二二号所在の坂本建設工業株式会社に現場主任として勤務し昭和四八年一〇月三〇日ころ同会社が渋谷勝治から請負い、同市本川二丁目五番一一号に施工中の鉄筋八階建の渋谷ビル新築工事現場において、クレーンの据付け及び管理並びに作業員らの指揮監督等の業務に従事していたものであるが、昭和四九年三月二八日午後零時ころ、当時完成していた地上約一七メートルの七階床面上で、作業員らを指揮して同床面に高さ約一一・三メートルの鉄製枠組足場を組み、これに吊上げ荷重〇・五トンのクレーン(菱野式ハイ・ユニクレーン)を仮に据え付けたものの、右枠組足場は補強工事未了で右クレーンを使用すれば足場とともに倒壊する虞れがあつたのであるから、工事現場主任としては、これが補強未了のため使用を許されないものである旨注意書を掲示し、或は自己の補助者に対し、クレーンを使用しようとする者があればこれを制止すべき旨指示するなどして事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右クレーンを使用する者はないものと軽信し、何ら右のような措置をとることなく漫然右工事現場を離れた過失により、同日午後一時四五分ころ、同所において、右クレーンが補強工事未了であることを知らない作業員田中秀雄(当時三二年)らをして、重量約三六〇キログラムの資材を地上から七階床面に上げる作業を行なうため右クレーンを使用するに至らせてこれを倒壊させ、その衝撃により同人を右七階床面外側の足場上から同ビル南東側路上に転落させ、よつて同日午後七時三五分ころ、同市広瀬町一番八号原田病院において、同人を頭蓋底粉砕骨折等により死亡するに至らせたものである。」というのである。

(本件事故発生に至るまでの経緯)

二、そこで判断するに、被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員及び検察官(二通)に対する各供述調書、証人佐々木隆雄、同田丸敏弘、同入江泰夫、同藤原宗重の当公判廷における各供述、山根雅興の司法警察員に対する供述調書、医師原田東岷作成の死亡診断書、広島西警察署警部補大野格郎作成の死体見分調書の写、司法警察員作成の実況見分調書並びにヒシノ式ハイ・ユニクレーンのカタログ、技術資料及び強度計算書を総合すれば、(1)被告人は、広島市庚午北一丁目一五番二二号所在の坂本建設工業株式会社の現場主任として勤務し、昭和四八年一〇月三〇日ころ同会社が渋谷勝治から請負い、同市本川二丁目五番一一号に施工中の鉄筋八階建渋谷ビル新築工事現場において、同会社から更に一部工事を請負つた各下請業者の作業員らに対する指揮監督、現場の安全衛生管理、設計図に基づき工事の進行を図ること等の業務を担当していたところ、昭和四九年三月二七日現在同ビル七階床面外側には吊上げ荷重〇・五トンのクレーン(菱野式ハイ・ユニクレーン)が据え付けられ地上約一七メートルの七階床面までコンクリート打ち本体工事を完了し、翌二八日午前中には八階屋上への右クレーンの盛り上げ、午後からは七階柱の鉄筋作業等が予定されていたこと、(2)被告人及びその補助者田丸敏弘は、当日午前八時ころから足場組立の下請業者川島組の鳶職入江泰夫、同藤原宗重らを指揮監督して同ビル七階床面の南側足場上に高さ約一一・三メートルの鉄製枠組足場を組み、これにユニクレーンの仮据付けをしたものの、右枠組足場に対する単管・アームロツク(長さ三、四〇センチメートルの弓状の鉄板で、足場つなぎ用のもの)・壁つなぎ等による補強工事を午前中に終えることができず、このまま作業員らが右クレーンを資材積み上げに使用すれば、積荷の荷重のため足場もろとも倒壊する虞れがあつたこと、(3)被告人は、同日午後零時三〇分ころ同市内の他の建築物現場まで修理箇所を確認するため出向いたが、午後一時を過ぎるも戻ることができず、鳶職らも同時刻の作業開始にあたり右補強工事を一まず中断して他の関係作業に従事していたところ、鉄筋組立の下請業者田中組の鉄筋工田中秀雄(当時三二年)、同佐々木隆雄(当時二四年)の両名が工事現場に至るや、直ちに作業に取りかかるため材料積み上げに着手し、同日午後一時四五分ころ田中秀雄が同ビル七階床面外側の南東側足場上でユニクレーンを操作し、佐々木隆雄が玉かけをして、重量約三六〇キログラムの鉄筋三〇本を地上から右七階床面に上げていた際、その荷重のためユニクレーンを取り付けていた枠組足場が崩れ、ユニクレーンが横倒しとなり、その衝撃により七階床面外側の足場が揺らぎ、その上にいた田中秀雄が同ビル南東側路上に転落し、よつて同日午後七時三五分ころ、同市広瀬町一番八号原田病院において、頭蓋底粉砕骨折等により死亡するに至つたことが認められる。

(本件ユニクレーン倒壊に対する被告人の過失責任の有無)

三、検察官は、本件ユニクレーン倒壊による事故は、現場主任としての被告人が現場を離れるに際し、これを取り付けた枠組足場が補強未了のため使用を許さないものである旨注意書を掲示し、或は自己の補助者に対し、クレーンを使用しようとする者があればこれを制止すべき旨指示するなどして事故の発生を未然に防止すべき注意義務を怠り、右クレーンを使用する者はあるまいと軽信して何ら右のような措置をとらなかつた過失によるものであると主張するので、以下この点につき検討するに、前掲関係証拠並びに証人南一寿、同坂本敏之の当公判廷における各供述によれば次のような事実を認めることができる。

(一)  まず本件建築現場には元請会社坂本建設工業株式会社から下請した各種業者が工事に携わつていたが、被告人のこれら下請作業員らに対する指揮監督権限は間接的、一般的なものであつて、各職種毎の作業の方法・順序等については各専門の下請業者に任され、その作業中は、それぞれの責任者(いわゆる親方)が輩下作業員を直接具体的に指揮監督して行なうものであり、被告人はその業者による作業間の連絡調整、設計図に基づき工事の進行を図ることなどを主たる業務としていたところ、本件ユニクレーンの盛り上げ作業においても下請業者川島組が専らこれに当たり、被告人にはクレーン据付けの高さを決定するにつき立会いを求めたり、多少作業を手伝つて貰う程度であり、これが完成すれば試運転を行ない異常のないことを確認したうえ、被告人に報告する建前になつていた。

(二)  本件工事現場の安全衛生管理については、被告人を議長とし、各下請業者の代表者を委員とする渋谷ビル建築現場安全衛生協議会が設けられ、工事の進捗段階等に応じてその都度協議会を開き、安全衛生などの問題点につき指導し協議するとともに、下部作業員への徹底を図つていた。殊に本件ユニクレーンは前記元請会社の所有に属し最初本件ビル五階床面外側の足場に据え付けて以来下請作業員らの作業の便宜上これを利用させることがあつたため、その使用に関しては、右盛り上げ完了報告後でなければならないことが、被告人の上司である前記会社建築部長から各下請業者に通達され、被告人も立場上同作業員らに対しこの旨屡々警告していたところであり、このことは既に現場作業員の常識となつていた。そして完了報告後においても、かつて昭和四八年六月ころ、他の建設現場において、運転中のクレーンが過重な積荷のため倒壊し、死者を出した例もあり、被告人及びその補助者田丸敏弘が危険防止の対策を話し合つた結果、被告人らの許可ないし承認を得てクレーンを使用させ、その場合でもできるだけ被告人らがこれを操作し、或は立会いのうえ手を貸すなどして作業員に操作させることとし、平常そのように実施していた。

(三)  本件ユニクレーンの盛り上げ作業は、鳶職の人数不足もあつて午前中予程どおり終了するに至らず、枠組足場は補強未了の状態で、完了報告は勿論なく、午後一時からの作業開始にあたつても鳶職らは独自に補強工事を中断し、ビル七階において他の関連作業に従事したものであるが、この模様は終始現場にいた被告人の補助者田丸敏弘が見分し認識していたところ、同人は昭和四八年三月工業高等学校卒業と同時に前記会社に入社して工事現場関係の部署につき、本件当時一九歳の若年ながら既に一年程の実務を経験し、現場主任の補助者として被告人不在の折はその職務を代行すべき職責を有していたうえ、クレーンの運転操作及びクレーンの盛り上げに伴う枠組足場の設備構造・機能等について一応の知識技能を習得しており、もし右補強未了のクレーンを資材積み上げのために操作すれば、その荷重により倒壊する蓋然性の強いこと及び午後からは他の下請業者が来てクレーンを使用する可能性のあることをよく承知していた。

(四)  死亡した田中秀雄は、本件新築工事現場において鉄筋組立工事を下請(正確には下請業者国本鉄筋こと国本忠雄から更に下請)していた田中組の代表者で、かつ、前記安全衛生協議会の委員であり、クレーンの使用上の注意を含む労働安全面における留意事項を十分把握し、これを遵守するとともに配下作業員を指導すべき責任ある地位にあつたうえ、鉄筋工としての経験も豊富で、クレーンの操作にも慣れ、本件ユニクレーンもこれまで何回か被告人または田丸敏弘の許可を得て資材等の積み上げに使用し、その枠組足場の設備構造等を見て来た者であり、当日も被告人からの電話連絡により午前中はクレーンの盛り上げ作業が行なわれる予程であつたことを了知していた。

(五)  被告人は前記認定のとおり午後零時三〇分ごろ現場を離れるに際し、午後一時の作業開始後は鳶職らにおいて枠組足場の補強工事を続行してくれるものと予想し、田丸敏弘に対し用件を言うとともに「すぐ帰るから、後をよろしく頼む。」と告げて出掛けた。そして午後一時過ぎには戻るつもりであつたが、行き先において余儀ない事情のため手間取り、ようやく所用を済ませて本件事故直前に帰着したところ、クレーンが作動しているのを目撃して不審を抱き、直ちに右使用の許可につき事情を聞くため同ビルの入口から中に入ろうとした際、本件事故が発生した。

以上認定の事実をもとにすれば、被告人が現場を離れる際、補助者田丸敏弘に対し、単に「後をよろしく頼む。」と言つただけで、クレーンの使用禁止につき具体的指示を与えず、同様の注意書を掲示するよう命ずるとか、自ら掲示するとかの明示的措置を講じなかつたことは明らかであるが、田丸敏弘の現場監督補助者としての身分、経験、本件ユニクレーンの運転上の技能及び枠組足場の構造機能についての知識の程度等に照らし当時補強未了の状態をよくわきまえていた同人に対して「後をよろしく頼む。」と言えば、無論資材等の積み上げに使用させてはならないとの意味をも含み、同人もその旨容易に了解できた筈であるうえ、被告人自身にとり鳶職らが午後の作業開始後に他の仕事に移つたことは予期しないことであつて、当然補強工事に取りかかるに違いないものと予測し、さすればその作業中他の下請作業員がクレーンを使用できる状態でもなく、これが完了報告を受けるまでは専門の鳶職に工事を任せていたわけであり、田丸敏弘にその後見的・側面的監督を依頼したものであること、加えて、田中秀雄の安全衛生協議会委員としての身分、鉄筋工としての経歴、過去のクレーン使用上の経験等に鑑み、右枠組足場の補強未了であることはアームロツクなどの大きさ・形状・付設の位置等からみて同人に分からないとはいえず、仮に同人がクレーンを使用するにしても平素の使用上の注意事項を守り、必ず現場にいた田丸敏弘に届け出るべきであつて、田丸敏弘及び作業中の鳶職はこれを制止するに違いないと信頼するのがもつともであることなどを考量すると、被告人が田丸敏弘に対し特に明示的に具体的指示を与えなければならない義務はもとより、そのような注意書を掲示すべき義務まで負うかは些か疑問といわざるを得ない。

しかも前掲各証拠によると、(1)田中秀雄らは、午後現場に到着した際、鉄筋資材がまだ地上に置かれていたため、作業に取りかかることができず、次の現場での他の仕事に追われていた関係もあつて、急ぎ自分達でクレーンを使用して右資材を荷上げしようと考え、普段これを使用する場合には被告人または田丸敏弘の許可ないし承認を得てしなければならないきまりであるのに、両人を捜すなどの手数を踏まないで、直ちに積み上げに着手したばかりか、田中秀雄がビル七階の足場にあるクレーン操作盤のスイツチボタンへ近寄つたとき、近くにいた鳶職入江泰夫、同藤原宗重の両名から順次「だめじや、だめじや!」と声を掛けられ、一旦立ち止つてこれに気付いているのは、部内関係者として補強未了のクレーンを使用してはならないとの意味を察知した証左であり、通常誰でも被告人や田丸敏弘、鳶職からクレーンを使用してはならない旨注意されれば使用を止めていたにもかかわらず、無謀にもこれを振り切つて使用するに至つたこと、(2)本件ビル一階入口付近には配電盤が設置されその動力用電源スイツチは、クレーンの盛り上げ作業中切られていたが、当時現場にいた他の工事関係者においてその後右電源スイツチに手を触れた形跡が認められない以上、これを田中秀雄自身がクレーンの操作のためビル入口付近を通行した際に独断で入れた疑いも濃厚であること、(3)また田丸敏弘も田中秀雄らの資材積み上げ作業中玉かけ場にやつて来るや、玉かけ中の佐々木隆雄に対し「補強工事未了であるから使えば危険である。」旨警告することは容易にできるのにこれを怠り、軽率にも「少しずつ上げよう。」と言つた程度で、むしろ手を貸してやつたことなど田中秀雄及び田丸敏弘に重大な落ち度が認められ、いずれにしても従来定められていた安全確保のためのルールを無視した異例な使用形態としかいいようがなく、被告人にとつて田中秀雄らが本件補強未了のユニクレーンを使用することまでの予見可能性ありとし、従つてまた予見義務ありと要求するのは酷だというの他はない。

そうであれば、かかる観点からすると、叙上諸般の具体的状況下にあつて、被告人が現場を離れるに際し、田中秀雄らが本件ユニクレーンを使用するに至つたことに想到しなかつたことには無理からぬ点が存し、被告人に対し要求されるべき予見義務の範囲を超えるから、検察官主張の補助者に対する具体的指示及び注意書掲示によりユニクレーン使用による倒壊の危険を回避すべき注意義務を課することには困難を感じ、被告人のとつた「後をよろしく頼む。」との一般的指示をもつて本件事故に対する過失行為であると断ずることには躊躇するものである。

(結論)

四、以上の次第で、本件公訴事実はその証明がないことに帰するから刑事訴訟法三三六条後段を適用して被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 森田富人)

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