大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島地方裁判所 昭和51年(ワ)11号 判決 1981年10月16日

原告

淺川裕二

右法定代理人親権者父

淺川明利

同母

淺川芳恵

右訴訟代理人

緒方俊平

国政道明

被告

久藤正士

右訴訟代理人

秋山光明

新谷昭治

主文

一  被告は原告に対し、金七二〇万四、〇〇〇円及び内金六五〇万四、〇〇〇円に対する昭和四八年三月一二日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告その余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、一項につき仮に執行することができる。ただし、被告において金二〇〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金三、七一四万五、六四二円及び内金三、四一四万五、六四二円に対する昭和四八年一月一九日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告は、肩書地において「久藤医院」なる小児科医院を開設し、医業をなすいわゆる開業医であり、原告は未成年者であり(昭和四六年八月五日生)、淺川明利が父、淺川芳恵が母で、いずれも右法定代理人親権者である。

2  原、被告間の診療契約の成立

昭和四八年一月一四日午後一一時頃、原告(当時一才五ケ月)は母芳恵の実家である呉市警固屋町七丁目二三番地胡間多玖雄方におもむいていた際、急に元気がなくなり、三九度近い高熱を発したため、母、祖母に伴われて被告方におもむき、原告の法定代理人親権者である母芳恵(原告の父の代理人)において、右症状の医学的解明とこれに対する治療行為という事務処理を求めたところ、被告はこれを承諾し、右診療契約が成立した(以下本件診療契約という)。<以下、事実省略>

理由

一請求原因1項の事実、同2項のうち原告主張の診療契約締結の事実は、当事者間に争いがない。

二原告の発病と被告の診療及びその後の経過等について。

<証拠>によると、次の事実が認められ<る>。

1  原告の出生と本件発病までの経過

(一)  原告は昭和四六年八月五日神谷産婦人科で出生したが、その際の体重二四五〇g(未熟児との境界線)で、出産は安産であり、出産時格別の障害はなかつた。

(二)  昭和四七年一〇月二六日午前〇時一〇分ころ原告は三九度の発熱とともにひきつけ(けいれん、以下同じ)を起し、被告医院で診療を受ける。咽頭粘膜発赤あり、急性咽頭炎の診断を受け、同医院で、浣腸、解熱剤メチロンの皮下注射、内服薬ソルシリン顆粒(ペニシリン系抗生物質)の投与を受け、解熱剤バリオメールを持ち帰る。

(三)  同年一〇月三〇日原告は、下痢で被告医院の診療を受け、下痢止めクロマイパルミテート酸の投与を受ける。

(四)  同年一一月二日原告は、かなりの咳で被告医院で診療を受け、抗生物質ゼブラマイシン・シロップ、咳止めウスタゾールの投与を受ける。

(五)  原告は、同年一〇月と一二月(広島市内の病院にかかる)に発熱を伴うけいれんを二度経験したが、その際のけいれんの時間は四〇分と一時間とされ、なお、出生后特に大病したことはない。

2  原告の本件発病と被告医院での診療経過

(一)  原告は、その母の実家胡間方(呉市警固屋)で、昭和四八年一月一四日(日)午后一一時前頃三九度二分の発熱とともにひきつけを起し、被告医院で診療を受けたが、咽頭発赤があり、解熱剤メチロンの皮下注射、抗生物質ソルシリン顆粒の投与を受け、解熱剤バリオメールをもらつて胡間方に(以下同じ)帰る。

(二)  右帰宅後、原告は、依然けいれんが治らないため、同日午后一一時五〇分もしくは翌一五日(月、休日)午前〇時すぎ頃、被告医院に赴いたが、熱も三八度以上あり、前記メチロンの皮下注射及びソルシリンの筋肉注射を受けて、帰つた。

(三)  右一五日(月)午前二時三〇分頃、原告は右けいれんがなお続いており、熱も四〇度近くあり、喘鳴もあるため、被告医院に赴いて、前記メチロンの皮下注射を受けた。

(四)  その後同一五日(月)午前六時半頃まで、原告の右けいれん(全体のけいれんから右側のけいれん)は持続したが、その後も相変らずひきつけが出たり治つたりで、熱も三九度位あり、原告は同日午前一〇時頃被告医院に赴いて、前記メチロンの皮下注射を受けた。

(五)  同一五日午后三時半頃原告は相変らず右状態のままで、被告医院に赴いて、前記メチロンの皮下注射を受けた。

(六)  同一五日午后五時頃、原告は漸く熱も下がつて三七度四分となり、ひきつけも軽くなつたが、被告医院に赴いた。その際、被告は格別処置をしなかつたが、付き添つた原告の母に、けいれんのないときは水分を多量に飲ませるよう注意した。ただ、原告は当時かなり疲れて気力を失い、水分を余り受けつけず、飲んだものも戻したりする状態であつた。

(七)  同月一六日(火)午前八時半頃、原告は被告医院に赴いて診療を受ける。その際原告の母から黒色便多量(けいれんによる意識障害が長く続いたことを示す)とのことで、被告が便を診たところ暗緑色の不消化便であり、又ひきつけはあるが余り来てない状況であり、両肺水泡音あり、熱もあることから、被告は同日「急性肺炎」の確定診断(当初急性咽頭炎)をなして、前記ソルシリン顆粒、バイオメールを投与した。原告の母は被告に、原告が飲んだり食べたりしない旨言つたが、被告は飲ますよう強く注意した。

(八)  同月一七日(水)午前一〇時原告は診療のため被告医院に赴いた。熱三七度六分、背中に水泡音多く、ひきつけはあるがそうひどくなく、原告の母の説明では黒色便があるとのことであつた。被告は、原告の母に一生懸命水を飲ますように注意したのみで、格別の処置をしなかつた。なお、同日午前五時頃は、原告は少し落ちついた状態でミルク一五〇CCを飲み、午前八時頃パイナップルの汁五〇CCを飲み、午前九時頃寝た。

(九)  ところが、同日午后三時半頃原告は、再び発熱し、三八度を越え、かなりひどいひきつけ(右半身のけいれん)を起し、被告医院に赴いて診療を受けたが、被告は前記バイオメール、ソルシリンの各注射をした。

(十)  同月一八日(木)午前六時頃、原告の右けいれんも持続しているうえ、意識不明の状態に落ち入つたことから、原告の祖母が被告医院に往診を求める電話をしたところ、被告の妻から、被告はまだ寝ている、後で連れて来なさい、何なら他所へ行つてもいいですよ、と答えられ、右求めに応じられなかつた。

3  原告の転医後の状況

(一)  その後も右けいれん及び意識のない状態が続き、同月一八日(木)前記電話の後、原告の母、祖母らは、国立呉病院に転医しようと考え、電話したところ同日同病院小児科は休診とのことで、やむなく、同日午前一一時頃知人の紹介で宮崎小児科医院に赴いたが、原告はすでに脱水状態で手におえないから総合病院に行くよう指示され、そこで、原告の両親らは、国立呉病院に勤める知り合いの看護婦の紹介で、同日午后二時頃原告を伴つて国立呉病院に赴いて診断を受け、同日午后五時三〇分同病院小児科に入院した。

(二)  右初診時における荒光主治医(小児神経学専門)の診断所見によると、原告は、脱水状態著明で(口唇、舌、皮膚が乾燥している)、意識がなく、右半身のけいれんが続いており、結局、「けいれん重積症」の末期状態とされ、診療方針としては、まず意識の回復を図り、脱水をとり、けいれんを止め、その原因を明確にすることとし、処置として、右脱水に対し点滴(リンゲル液等の注射)をし、右けいれんに対し、抗けいれん剤セルシン、フエノバールの各注射をし、右原因究明のため脳波の検査(非対称が著明で、左側がほとんど平担)等が実施された。

(三)  その後の国立呉病院における診療経過としては、右入院後五日間点滴がなされた外、同月二七日までほぼ毎日抗けいれん剤フエノバール、ルミナール等の注射がなされ、又、一月二〇日頃同病院脳神経外科の方に検査を依頼し、同科において、同月二四日脳血管撮影、同月二五日空気脳室撮影、同年二月一九日試験穿頭術等による検査を受けたが、いずれも特に異常所見はなく、脳の欠陥、損傷、腫瘍等は見出せなかつた。

(四)  右診療経過により、原告は脱水状態から回復し、意識も戻り、けいれんも一月二〇日完全に止つて、一命を取り止めたが、前記入院当初すでに脳障害を生じており、右半身麻痺は持続し、同年三月一二日脳性小児麻痺による右半身不髄(右上下肢機能障害)の後遺障害を残したまま退院した。なお、国立呉病院における確定診断名は「けいれん重積症」である。

(五)  原告は、その後も広島市内の田中小児科に通院して治療を続けている。

三因果関係

判旨前認定事実の外、<証拠>によると、原告は昭和四八年一月一四日午后一一時頃感冒(急性咽頭炎)に羅患して高熱を発し、これに誘発されててんかん性の熱性けいれんを起し、けいれんの重積(持続と頻回)により、さらに脱水、酸素欠乏等の悪化要因も加わり、脳の働きに悪影響を与え、左脳細胞の浮腫、萎縮、破壊と進み、遂に脳性小児麻痺による右半身不髄(右片麻痺)に至つたものと推認され、本件の場合、右けいれんの重積と、脱水等悪化要因の発生を早期に避止すれば、右半身不髄に至ることも防止できる高度の蓋然性のある関係にあつたものと認められ<る>。

四責任

1  <証拠>によると、被告医院は原告の母の実家胡麻方の、いわゆるかかりつけの医院で、右胡麻方から車で五分程度のところであり、又、被告は内科小児科を専門とする呉市内の個人開業医であるが、同医院は看護婦もおらず、妻と二人で営むごく小規模のものであつたこと、なお、国立呉病院は、当時、救急の場合はいつでも診療に応じられる当直医態勢があつたこと、同病院は被告医院から約二キロメートルの位置にあつたこと、などが認められ<る>。

2  そして、前記各認定事実の外、<証拠>によると、次の事実が認められ<る>。

(一)  小児のけいれんの種別(発生原因)としては、大別すると熟性けいれん(熱に伴つてけいれんがある)と、てんかん性けいれんがあり、そのうち熱性けいれんは、さらに単純熱性けいれんと、てんかん性熱性けいれんに細別され、けいれん重積状態はてんかん性の場合が多く、重積状態に入ると非常に危険であるとされているところ、本件は、前記のとおり右てんかん性熱性けいれんに当るとみられる。

一般に、小児の熱性けいれんは多いが、そのうち、てんかん性熱性けいれんは約四%できわめて少ないとされ、しかも、熱性けいれんのうち単純性と、てんかん性を区別する専門家の手引書が発刊されたのは昭和四七年であるものの、それが一般の個人開業医にまで普及するに至つたのは昭和五一、二年頃とされ、被告自身が右けいれんの種別についての厳密な確定診断をなすことは必ずしも容易でない状況にあつたものとみられる。

(二)  しかし、熱性けいれんの場合、そのけいれんが三〜四分程度の一過的なものでなく、三分〇〜一時間以上も持続し、あるいは頻回に繰り返すなどの場合、又けいれんが全身性でなく焦点性に生ずる場合などには、単純な熱性けいれんでない危険因子の存在を予想させるもので、けいれん重積による重大な結果にも進展する可能性のある危険な状態であること、したがつて、患者の右状態に直面し、あるいは右状態の存続が予想される場合は、医師としては、すみやかに右原因を究明するための諸検査を実施するとともに、けいれんの発生を防止あるいは予防するための措置(抗けいれん剤の投与)が必要とされ、さらに、けいれん状態によつて生ずる脱水防止についても、特に小児の場合は脱水状態を生じ易いことから、格段に慎重な配慮が必要とされるといつたことは、本件当時において、個人開業医である被告においても、十分理解し得たこととみられる。

(三)  なお、抗けいれん剤につき、本件当時すでに、遅効性のものとして、フエノバール、ルミナール、アリビアチン、速効性のものとしてセルシンといつたものがあり、ただ、抗けいれん剤の使用は、当時としては、一般の個人開業医はその副作用を気にして使用を渋る傾向もあり、特にセルシンは呼吸麻痺のおそれがあり、それに対処する呼吸管理態勢の整つたところでないと使用できないとされていたが、右フエノバールは、当時、個人開業医でも一般に用いられ得る状況(量をすぎないよう注意する)にあり、又少くとも、施設の整つた総合病院においては右各種の抗けいれん剤が使用され得る状況にあつたことは、被告としても承知していたものとみられる。

(四)  そしてなお、脱水状態の防止につき、まず、水分の経口投与ということであるが、それが難しい、あるいは十分でない場合は、点滴(皮下もしくは静脈内注射)が必要とされ、当時被告としてもその実施が不可能ではなかつた。

3  右各事実からして、さらに検討してみる。

(一)  たしかに、原告は昭和四八年一月一四日午后一一時前頃、三九度の発熱とともにけいれんを起し、その後三八度以上の高熱とけいれんが持続していたもので、しかも、原告は以前二度までも一時間近いけいれんを経験して治つているわけであり、被告として、原告は熱性けいれんを起しやすい体質であり、又本件もあるいは右類で、まず発熱を押さえれば、けいれんも治まり重篤な結果に至らないであろうとの考えの下に、解熱剤、抗生物質を投与して右発熱の原因とみられる急性咽頭炎、急性肺炎等に対処したことは、それ自体としては十分肯ける経過措置といえる。

(二)  しかし、原告のけいれんは、一月一四日午前一一時頃から翌一五日午前六時半頃まで、約七時間半も持続しておりしかもその態様、程度は全身から右側に及ぶもので、軽度のものでもなかつたと推知され、そのうえ、その後も同日午后三時半頃まで右けいれんは出たり治まつたり繰り返しており、同日午后五時頃からけいれんも軽くなつたとはいえ無くなつたわけではなく、さらに、翌一六日けいれんは余り来なくなつたが、完全に治つた状態でもなく、翌一七日午前中もなお軽いけいれんが続いている状態で、同日午后三時半頃再び厳しいけいれんを起すに至つたというものであつて、右けいれんの態様、持続時間及び反復の状況は明らかに異常で、危険な因子の存在を予想させるものであり、一月一五日午后五時頃から一六日を経て一七日午前中までの状況も、その症状の諸経過に照らすと、一時の小康状態を示すにすぎず、激しいけいれん発作の再発のおそれも十分予想させるものであり、医師としては、後述する脱水状態発生の危険に対する慎重な配慮とともに、すみやかに右けいれん防止及び予防の措置(抗けいれん剤の投与)を講じ、合わせて右原因究明のための諸検査を実施してその対応処置を考慮すべきで、これらをしないと、あるいはけいれん重積症に発展し、重篤な結果を惹起する危険のあることも予見すべきであり、被告としても、遅くとも同月一六日中には右判断が可能であつたとみられる。

(三)  そして、前記けいれんの持続、反復の外、これらのため一月一五日より原告は水分の経口摂取が容易でない状態となり、飲んだものを戻したりもしており、一月一六日も水分を容易に受けつけない状態であり、被告も原告の母に受診の際、けいれんが止まつている間に水分を取るよう注意はしているが、母、祖母らによる水分の経口摂取が十分期待できる状況にあつたものともみられず、その後、一月一七日前記ミルク、果汁の一時摂取をしているものの、一月一八日国立呉病院受診時にはすでに「脱水状態著明」とされていることからすると、原告は、一月一六日頃には脱水状態に至る危険な徴候を看取し得る状況にあつたものと推知されなくもなく、その頃から右水分の摂取状況についても格段に用心深い配慮が必要とされ、脱水状態への進展の危険を予想して、単に、原告の母らに水分の経口投与を指示するのみならず、点滴による脱水予防措置も考慮すべきであつたとみられる。

判旨(四) かように、被告は、原告につき遅くとも一月一六日頃からは、けいれんの防止及び予防のための抗けいれん剤の投与、けいれんの原因についての諸検査、脱水防止のための点滴の実施等を考慮すべきで、これらにつき、被告が個人開業医であることから、自ら右適切な実施をなし得ないということであれば、これが可能な総合病院へのすみやかな転医を奨めるべきであり、解熱等の一時的小康状態から、その後なおも経過観察を継続したことは、「けいれん重積症」の危険に対する予見を怠り、適切な処置を過つたものといわざるを得ず、もし右のような過誤がなければ、原告の右半身不髄という事態の発生も避け得たものと推知され、被告は、医師として、本件診療契約上の義務を不完全に履行したものといえる。のみならず、被告の本件診療行為には、右の点で過失があつたものといわざるを得ない。

そうすると、被告は右債務不履行もしくは不法行為により原告について生じた損害を賠償すべき責任がある。

三損害

1  逸失利益 金二、八五二万円

2  慰藉料  金四〇〇万円

3  損害の範囲についての被告の主張

前記各認定事実及び被告本人尋問の結果に照らし勘案してみるに、被告は、たしかに、近隣の人達の求めに応じて夜間でも比較的気軽に診療に応じるいわゆる町医者であり、看護婦も置かない、妻と二人で営む、ごく小規模の個人開業医であつて、原告の母、祖母らも、これらのことを十分承知のうえで、被告医院での受診を求めているわけで、原告の母らにおいて、受診先の選択は自由であり、又受診後に転医することも、一般には格別の妨げもないとみられ、本件の場合、被告も、一月一四日から一五日にかけては、真夜中の再三の診療に応じ、又一五日の休日も三回もの診療に従事し、さらにその後も、一旦診療をはじめた患者につき、何とか自らの手で善処しようと、他に転医させないで診療を続けた経緯には、医師として、十分誠意ある態度を酌みとることができる。そのうえ、原告の本件発症については、その先天的要業も少なからず寄与しているとみられ、その明確な診断は必ずしも容易でない状況のものであつたとみられる。

しかし、他面、何ら医学上の専門的知識を持ち合わせない原告ら患者が、なかんずく急迫した状態の下で、医師に期待するところはきわめて大きく、又、一旦受診をはじめて他へ転医することは、特に受診医の適切な指示でもない限り、必ずしも容易なことではなく、これらの意味で、医師に課せられた診療上の義務はきわめて重いといわざるを得ない。

判旨以上の諸事情等を総合的に勘案するとき、被告の本件責任については、その過失の態様、程度、及び結果発生に寄与した諸要因等に照らし、その負担すべき損害の範囲としては、原告について生じた損害のうち、二〇パーセントの範囲内で実質的に相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

右によると、右1、2の損害合計金三、二五二万円のうち被告の負担すべき損害額は、金六五〇万四、〇〇〇円となる。

4  弁護士費用  金七〇万円

5  損害合計  金七二〇万四、〇〇〇万円

六以上によると、被告は原告に対し、本件診療契約上の債務不履行もしくは不法行為に基づく損害賠償として、金七二〇万四、〇〇〇円及び、内弁護士費用を除く金六五〇万四、〇〇〇円に対する本件損害発生のときである昭和四八年三月一二日より支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべきで、原告の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、原告その余の請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条九二条を、仮執行及び同免脱の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。 (渡辺伸平)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例