広島地方裁判所 昭和54年(わ)640号 判決 1980年3月12日
主文
被告人を懲役七月に処する。
未決勾留日数中九〇日を右刑に算入する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五四年九月三〇日ころから同年一〇月三日までの間、広島県高田郡吉田町内及びその周辺において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンを含有するもの若干量を自己の身体に施用し、もつて覚せい剤を使用したものである。
(証拠の標目)(省略)
(公訴棄却の主張に対する判断)
弁護人は、本件起訴状記載の公訴事実は、犯行の日時、場所が特定されず、使用量も若干量という極めてあいまいなものであり、その使用方法も注射又は服用という択一的なしかもあいまいなものになつているので、事案の性質を考慮しても、審判の対象の特定の範ちゆうを著しく逸脱し違法なものであるから、公訴棄却の判決を求めると主張するので判断する。
刑事訴訟法二五六条三項は「公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。」と規定している。本件起訴状の公訴事実の記載が、他の一般の例に比し、犯行の日時、場所及び方法のいずれについても一定の幅をもつて特定されており、具体性に欠ける点のあることは否定できず、訴因の特定が被告人の防禦権の行使と重大なかかわりあいをもつものであることからして、前記刑訴法の法条の法意などをも考慮し、慎重に検討されなければならない。
ところで、最高裁判所は、この点に関し「刑訴二五六条三項において、公訴事実は訴因を特定してこれを記載しなければならない、訴因を明示するにはできる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定しなければならないと規定する所以のものは、裁判所に対し審判の対象を限定するとともに、被告人に対防禦の範囲を示すことを目的とするものと解されるところ、犯罪の日時、場所及び方法は、これら事項が犯罪を構成する要素となつている場合を除き、本来は、罪となるべき事実そのものではなく、ただ訴因を特定する一手段として、できる限り具体的に表示すべきことを要請されているのであるから、犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情がある場合には、前記法の目的を害さないかぎりの幅のある表示をしても、その一事のみを以て、罪となるべき事実を特定しない違法があるということはできない。」(最高裁判所大法廷昭和三七年一一月二八日判決)と判示しており、当裁判所もこれを相当として同調するものである。
これを本件についてみるに、本件は覚せい剤の自己使用の事案であり、被告人が任意提出した被告人の尿を検査した結果覚せい剤が検出されたことは明らかであるところ、尿中から覚せい剤が検出された以上、特段の事情のない限り被告人が自己の体内に覚せい剤を摂取したものと認められるが、他に目撃者が存せず、かつ被告人の自供もない本件において、覚せい剤施用の日時、場所及び方法について公訴事実記載以上に具体的に特定することができず、結局、本件鑑定に供された尿の採取日、「鑑定結果について(回答)」と題する書面によつて認められる覚せい剤の検出結果などを総合して、施用後尿中から覚せい剤が検出される時間的な限度を考え、相当と認められる一定の幅をもつて日時を特定するほかなく、場所については、被告人が本件捜査中一貫して、公訴事実記載の日時の間広島県高田郡吉田町及び同県賀茂郡豊栄町以外に出たことはない旨供述していることが認められるがそれ以上具体的に特定することが困難な事情にある。
しかしながら、本件公訴事実と検察官の冒頭陳述を総合すると、本件の審判の対象及び被告人の防禦の対象はおのずから明らかであり、しかも、被告人は本件の捜査、公判を通じ、本件公訴事実の期間中覚せい剤を施用したことはない旨一貫して主張しているところであるから、実質的に被告人の防禦権を害するものでもない。
以上のとおりであつて、本件犯罪の性質や前記の諸事情を総合考察すると、本件起訴状の公訴事実の記載がその特定を欠き、刑訴法二五六条三項に違背する違法なものとはいえないので、弁護人の主張は採用できない。
(有罪認定の補足説明)
弁護人は、検察官が証拠として請求し、取調べられた「鑑定結果について(回答)」と題する書面及び鑑定書、尿の任意提出書領置調書、注射筒発見、領置に関する司法巡査各作成の捜査状況報告書、被告人の右腕前部の写真撮影報告書などいずれも違法な捜査手続のもとで作成されたものであるから、有罪認定の証拠となし得ないというけれども、被告人が別件暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪で昭和五四年一〇月三日逮捕され、右の被疑事実につき、前同日被告人の自宅などを捜索された際、注射筒が発見されたので、これを立会人から任意提出を受け領置し、翌四日被告人の同意を得て右腕の写真撮影を行い、更に翌日被告人から尿の任意提出を受け、これを鑑定に付し、覚せい剤が検出された旨の「鑑定結果について(回答)」と題する書面が作成されたものであることが記録上明らかであり、右の各手続や書類の作成になんら違法のかどは存しない。弁護人は右暴力行為等処罰ニ関スル法律違反被疑事件について逮捕、勾留中当該事件については全く捜査せず、もつぱら、別件である本件覚せい剤取締法違反について捜査したものであるというけれども、この点については被告人の当公判廷における供述自体から右の期間中暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の事実について取調べを受けておることが明らかである。また右の期間中である同月二〇日尾田昭吾が被告人との関係について取調べられているが、当時同人は別件覚せい剤取締法違反で逮捕勾留され、取調べを受けていたものであるから、被告人の前記勾留を利用してなされた別件捜査ということはできない。その後同月二四日本件について逮捕、同月二六日勾留され、同年一一月二日起訴せられたものであつて、本件捜査手続に弁護人が主張するような違法は存しない。
そして、前掲各証拠によると、被告人が覚せい剤を自己使用したことは明らかであり、証人山本和夫の証言及び「鑑定書の送付について」と題する書面添付の鑑定書によれば、本件被告人の尿中から検出された覚せい剤は比較的多量の結晶性粉末であつたこと、このような結晶性粉末が検出できるのは、覚せい剤を体内に摂取後五日以内長くて六日以内程度であることが認められる。右によれば被告人が尿を任意提出したのは昭和五四年一〇月五日であり、被告人が覚せい剤を施用したのは同年九月三〇日ころから、逮捕された同年一〇月三日までの間と認めるのが相当である。犯行場所については、被告人が他の点に関しては変転極まりない供述をしているのに、この点については捜査、公判を通じ一貫して右の期間中は住居のある広島県高田郡吉田町及び当時の仕事の現場であつた同県賀茂郡豊栄町以外には出ていないと述べているので、右の地域内と認定した。なお施用方法については、写真撮影報告書により認められる注射痕からすれば、注射による施用であるとの疑は極めて濃厚ではあるが、注射痕の時期等に関し、明らかでなく、かつこれ以上これを明確にすることも困難であると考えられるので、注射あるいは服用いずれによるものか断定することができない。以上のとおりであり、前掲各証拠を総合すれば、判示事実は優にこれを肯認することができる。右認定に反する被告人の各供述調書及び当公判廷における供述は変転極まりなく、同一公判期日における供述自体矛盾した点さえ存し、またその余の証拠と対比し、前述の犯行場所認定に供した部分を除いては到底信用することができない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に該当するので、所定刑期範囲内で処断すべきところ、被告人は昭和五四年一月覚せい剤取締法違反の罪により、懲役五月、三年間執行猶予(保護観察付)の裁判を受けながら、またしても同種の本件犯行を敢行したものであり、しかも、虚言を弄して罪を免れようとするなど、全く反省の情の窺えないことなどの諸事情を考慮し、右の刑期範囲内で被告人を懲役七月に処し、刑法二一条により、未決勾留日数中九〇日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して被告人に負担させることとする。
よつて、主文のとおり判決する。