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広島地方裁判所 昭和55年(ワ)106号 判決 1982年9月17日

原告

宮脇隆徳

被告

日本国有鉄道

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金四一七二万二六三八円およびそのうち三九四二万二六三八円に対する昭和五三年五月二六日以降、二三〇万円に対する昭和五五年二月八日以降各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決、なお、敗訴の場合仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  本件事故の発生

昭和五三年五月二五日午前六時四五分頃、広島県大竹市防鹿町三二二九番地市道上において、訴外田原信恒が被告保有の大型乗用自動車(国鉄バス、山二二う第二八六号、以下本件自動車という)を運転して栗谷方面から大竹方面に向かい走行中、右市道を横断していた原告に同車左前車輪を衝突させた。その結果、原告は両大腿骨々折、右下腿動脈損傷、右坐骨神経損傷等の重傷を負い、右大腿部中枢三分の一を切断する手術を受け、後遺症等級第四級該当の障害を残した。

2  被告の責任

被告は右自動車を自己のため運行の用に供していた者であるから、自賠法三条により、原告の受けた損害を賠償する責任がある。

3  原告の損害

(一) 治療関係費 一二八万四〇一六円

(1) 治療費 九五万二六一六円

原告は昭和五三年五月二五日から同年一〇月二二日までと昭和五四年三月二九日から同年四月一七日までの合計一六九日間にわたり、広島大学附属病院に入院し、その間治療費として右金額を支出した。

(2) 附添費 二三万円

右入院期間中の昭和五三年五月二五日から同年八月二五日までの九二日間、母シズヲの付添を要し、その付添費用として、一日につき二五〇〇円を負担した。

(3) 日用品諸雑費 一〇万一四〇〇円

前記入院期間中、一日につき六〇〇円の雑費を支出した。

(二) 得べかりし利益の損失 五八五六万八三九六円

(1) 休業損害 二六〇万八〇〇〇円

原告は、訴外打山塗装店こと打山粕人方でペンキ職人として勤務し、事故前三ケ月間は一日当たり平均八〇〇〇円の賃金を得ていたものであるから、後遺症認定時である昭和五四年四月一七日までの実労働日を三二六日間として計算する。

8,000円×326=2,608,000円

(2) 後遺症による逸失利益 五五九六万〇三七六円

賃金センサス昭和五二年一巻一表によれば、原告の得べかりし収入は月額二五万四五〇〇円であり、後遺障害第四級の場合、労働能力の喪失率は九二パーセントとされるから、将来の可働期間を乗じ中間利息を控除すると、次のとおりとなる。

254,500円×12×0.92×19.917(新ホフマン係数)≒55,960,396円

(三) 慰謝料 一二六〇万八五〇〇円

入通院期間中の精神的苦痛に対し二三〇万八五〇〇円、後遺症による精神的苦痛に対し一〇三〇万円が相当である。

(四) 過失相殺

上記(一)ないし(三)の合計額は七二四六万〇九一二円であるが、本件事故発生については原告にも三割の過失があることを認め、被告から賠償を受くべき損害(弁護士費用を除く)としては、右金額から三割を減じた五〇七二万二六三八円を主張する。

(五) 填補 一一三〇万円

原告は、自賠責保険金(後遺症補償を含む)として一一三〇万円の支払いを受けた。

(六) 弁護士費用 二三〇万円

原告は本件事故による損害の賠償を求めて調停の申立をしたが、被告は原告の過失を主張して譲らないため不調となり、原告はやむなく昭和五五年二月七日、表記訴訟代理人に本訴の提起・追行を委任し、手数料として三〇万円を支払い、報酬として二〇〇万円を支払うことを約した。右は被告において賠償すべきものである。

4  結語

よつて、被告に対し、上記3(四)の金額から(五)の填補額を控除し、(六)の弁護士費用を加えた四一七二万二六三八円及びそのうち弁護士費用を除く三九四二万二六三八円については本件事故発生の日の翌日である昭和五三年五月二六日から、弁護士費用二三〇万円については委任契約成立の日の翌日である同五五年二月八日から各支払済みまでの、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する答弁

1  請求の原因1(本件事故の発生)のうち、事故発生の日時・場所、当事者、本件自動車の運転者はいずれも認めるが、事故の態様(市道横断中の原告に本件自動車前車輪を衝突させたとの点)及び原告の受傷の部位・程度に関する主張は争う。本件事故の態様は、後記抗弁において述べるとおりである。

2  同2(被告の責任)のうち、被告が本件自動車の運行供用者であることは認めるが、その責任があるとの主張は争う。

3  同3(原告の損害)のうち(五)の填補の事実のみを認め、その余はすべて争う。

三  抗弁(免責の主張)

本件事故は、原告が不注意にも左右の安全を確認しないまま、原告の自宅から市道に通ずる小路を走つて市道に飛び出し、その際小路と市道との境付近に散乱していた砂のために足を滑らせて仰向けに転倒し、本件自動車の左前部下方に滑り込んだ(スライデイングした)ために発生したものであつて、専ら原告の過失に起因し、運転手田原信恒(以下、田原運転手という)及び同乗の営業係員藤井信夫(以下、藤井車掌という)には何ら過失がなかつた。田原運転手は、本件事故現場を制限速度である時速二〇キロメートル以下で走行していたし、同運転手及び藤井車掌が側方の警戒を怠つたこともない。また、本件自動車には構造上の欠陥や機能の障害もなかつた。したがつて、被告には損害賠償の責任はない。

四  抗弁に対する答弁

抗弁事実は否認する。

本件事故は、(1)田原運転手が同路線のバス運行基準に遅れたため、その遅れを取戻すべく、制限時速二〇キロメートルを相当に超過した速度で現場を走行したこと、(2)しかも、田原運転手及び藤井車掌のいずれもが前方に駐車中の堀脇車に気をとられて左側方への注意を怠つたことにより発生したものであつて、無過失の主張は全く理由がない。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1(本件事故の発生)のうち、事故発生の日時・場所、当事者(本件自動車の車種やその運転者を含む)は当事者間に争いがなく、また、同2のうち、被告が本件自動車の運行供用者であることも争いがない。

二  そこで、先ず、本件事故の態様・状況につき検討するに、成立に争いのない甲第二三号証、乙第一号証の一ないし六、同第二号証の一ないし八、第一三号証、弁論の全趣旨により成立を認める甲第一一号証、証人田原信恒、同藤井信夫、同堀脇守、同従野義文の各証言及び原告本人尋問の結果(右堀脇証言及び原告本人の供述中後記部分を除く)を総合すると、以下の事実が認められる(なお、抗弁に対する判断の上で特に問題となる事実関係については、項を改めて詳述する)。

1  本件事故現場は大竹市防鹿町内の、栗谷方面から大竹方面に通ずる幅員約五・四五メートルの市道上であり、これと原告方居宅とを結ぶ長さ約一五メートル、幅約二・一五メートルの通路(コンクリート舗装)とがほぼ直角に交差する地点(右通路から市道に出た地点)であつて、国鉄バス坂上線防鹿停留所の南西約二二メートルの位置にある。右通路(以下本件通路という)は、宅地側から市道に向けてやや下り勾配をなし、市道との接点付近には、幅五、六〇センチメートルにわたつて砂が散在していた(宅地から流し出されて溜つたものとみられる)。市道と本件通路との西側の角には、民家のブロツク塀(高さ一・二五メートル)が直角に設けられ、その上方には邸内の植木が多数伸び出しており、また、市道上、右通路との西角付近(右ブロツク塀の前約三五センチメートル)には、電柱(防鹿幹九〇)が存在し、邸内の植木は右電柱寄りにも伸び出していて、これらのため、市道側(西方)からも通路側からも、互いに見通しの悪い状況にあつた(以上は、本件事故当時の状況である)。

2  田原運転手は、藤井車掌とともに本件自動車に乗務し、起点の鮎谷から大竹駅方面に向けて進行し、前渕渡停留所を通過して次の防鹿停留所に向かう間、本件現場付近の進路右側に、対向する普通貨物自動車一台を認めた。当初はそれが対向前進して来るのか停車中のものであるのか不明であつたが、約三〇メートルに接近して、同車が停車中であり、かつその後尾を道路中央寄りにしてやや斜めに停車していることが認められたので、その後尾を正常な位置に移すなど、適当な避譲措置を求めてクラクシヨンを鳴らし、時速を約二〇キロメートルから約一五キロメートルに減じて進行したが、一五メートル位接近しても同車が何らの措置をとらないことが確認されたため、自車左端(正確には左サイドミラー)が前記電柱に接触しない程度に進路を左寄りに変えつつ、右停止車両の左側を通過しようとした。そして約一〇メートル進行し、運転席が本件通路の出口に来たとき、藤井車掌の「停車」という声を聞いて直ちに急ブレーキをかけ、そのため本件自動車は〇・八メートルの制動痕を路面に残しつつ、約三・二メートル前進した地点(右停止車両の直前)で停止した。そして、同車掌の指示で約一メートル後退させ、直ちに車体下方を検分したところ、左前輪の直前に、原告が仰向けに倒れているのを発見した。

3  藤井車掌は、同様前記停止車両をかなり手前で発見し、田原運転手が進路をやや左寄りにしてその側方を通過しようとしていることを知つて、運転席左側の出入口階段付近にやや身を低くして構え、出入口扉のガラス越しに、左サイドミラーが前記電柱に接触しないかどうかを注視しており、本件通路上には何らの人影を見なかつたが、突然何か黒つぽいものが左方から本件自動車の下方に滑り込むように入つたのを見て直ちに「停車」と叫び、ドアをあけて飛び降りたところ、原告が下半身を左前輪に押し挟まれ、上半身は車体外にして仰向けに倒れているのを発見し、救出のため、田原運転手に合図して僅かに後退させた。

4  訴外堀脇守は、塗装業者であつて原告を職人として傭入れ、毎日午前七時頃、自動車で原告方まで迎えに行き、本件通路出口の反対側市道上で乗車させ、作業現場に同行していた者であるが、本件事故当日は原告の就労先が変つたものの、従来同様自車に同乗させることとし、その旨を前日原告に伝え、当日は自己の都合上多少早目に出発して午前六時三五分か四〇分頃、本件事故現場付近(通路の反対側市道上)に到着して停車した(田原運転手らが前記対向・停止車両が右堀脇車である)。その位置は、同車の前端が本件通路出口から約三・三メートル防鹿停留所寄り(通路の反対側)にあり、進路のほぼ左側端であるが、その後尾は約三〇センチメートル市道中央寄りで、全体としてやや斜めに位置していた。そして、右堀脇は暫く原告を待つたうえ、クラクシヨンを鳴らして合図し、なお若干の時間を置いて二回位合図したところ、原告が自宅を出て本件通路を小走りして来るのを認めた。これより先、右堀脇は前方から国鉄バス(本件自動車)が対向して来るのに気づいていたが、自車との離合が困難とは考えず、右停止位置のまま原告を待つていたところ、原告の悲鳴で本件事故の発生を知つた(事故の瞬間の状況は、たばこに火をつけていたため目撃していない)。

5  一方、原告は、右堀脇車のクラクシヨンでその到着を知り、平素よりも時刻が早いため、洗面と着替えをしただけで朝食もとらず、母親が弁当を持つて行くように告げたのにそれも受け取らず、急いでつつかけ草履(スリツパ型でゴム底のもの)をはき、本件通路を小走りして堀脇車の方に向かつた。そして、通路と市道との境付近に来たとき、その場の砂で足を滑らせ、仰向けにスライデイングする形で足から先に、ほとんどその全身が市道上に投げ出され、折柄右方から進行してきた本件自動車の前部下方に滑り込む結果となり、その左前輪で両脚を地面に押し挟まれるに至つた。なお、原告のつつかけ草履は双方とも足先から前方に約一メートル飛ばされ、また、原告のズボンは滑つた際に破れ、その布片が現場に残された。

原告の受傷は、両大腿骨骨折・右大腿動脈損傷等の重傷であり、後に右大腿切断の手術を受けるに至つた。

以上のとおり認められる。

三  右認定事実のうち、証拠上或いは原告の指摘との関係で問題となり得る数点につき、以下に右認定の理由を述べる。

1  先ず、田原運転手が堀脇車の避譲措置を促してクラクシヨンを鳴らしたかどうかにつき、証人堀脇及び原告本人は全くこれを聞いていないと述べるけれども、前掲各証拠にあらわれた本件現場付近の状況(市道の幅員、電柱の存在、堀脇車の停車位置等。なお、右停車位置については後記3においても述べる)や本件自動車の車幅(成立に争いのない乙第三号証の一ないし三)に照らすと、本件自動車と堀脇車の離合はさほど容易なものではなかつたと推認され、田原運転手も同様の予測に立つたと思われるから、同人が堀脇に対し協力を求める意味でクラクシヨンを鳴らしたという供述は、同旨の藤井証言とも併せて措信するに足りると考えられる。この点原告は、事故直後の実況見分調書(前掲乙第一号証の一)中に右吹鳴の事実の指摘がないことから、右供述の信憑性を否定するもののようであるけれども、右吹鳴は専ら堀脇車に対してなされたものであり、原告に対する警告ではない(田原運転手、藤井車掌とも、事前に原告の姿を目撃すらしていない)のであるから、田原らがとりたててその点を強調しなかつたとしても、さほど不自然とするには足りない。

2  次に、事故当時の本件自動車の速度について、証人椿忠房の証言(第二回)によつて成立の真正を認める乙第一一号証の一・二及び弁論の全趣旨によれば、本件自動車の進行経路中、前記前渕渡停留所から大竹駅方面に向かい五九〇メートルの区間(本件事故現場や防鹿停留所を含む)は、時速二〇キロメートルに制限された区域であることが認められ、多年坂上線のバス運行に従事する田原運転手は、右制限を熟知しこれを順守していたものと一応推測される。この点、原告は、同路線の運転作業基準図(右椿証言によつて成立の認められる乙第五、第六号証)と対照すれば、本件自動車は、事故現場付近において予定時刻よりも二、三分遅れていたことが明らかであり、田原運転手はその遅れを取戻すため、制限速度を超えて運行していたことが強く推認される旨主張する。なるほど、本件事故発生の時刻が午前六時四五分であるという争いのない事実と、右基準図の時刻表示(なお、右基準図は主要停留所のみに関するものであり、全停留所の位置関係については証人山藤義憲の証言によつて成立を認める甲第一九号証参照)によれば、右程度の遅れが認められるけれども、弁論の全趣旨によれば、右事故発生時刻は警察署の事故証明において認定されたものであることが窺われ、細密にわたつて正確なものか疑問の余地がないではないし、また、それが正確であることを前提としても、もともとバスの運行基準は鉄道時刻表と同程度に精密なものではなく、多少の遅速を生ずることは往々あり得るところと考えられ、田原運転手がその遅れを取戻すために制限を無視して速度を上げていたと直ちに推論することは妥当ではない。むしろ、右乙第一一号証の一・二及び椿証言(第二回)によれば、下安条停留所(本件現場より五停留所手前)から大竹駅前までの間、普通時において三分弱の余裕が見込まれていると認められるから、制限速度に従い走行しても、定刻に大竹駅に到着することは十分可能とみられ、原告の前記主張は採り得ない。また、田原運転手が前記堀脇車を発見した後においては、既述のとおり、同車との離合がさほど容易なものではなかつたとみられること、そのため田原運転手はクラクシヨンを鳴らしてその動静を見定め、自車左端(左サイドミラー)が電柱に接触しないよう注意しつつやや左寄りに進路をとつて進行したこと、右離合の後約二二メートル前方には停車すべき防鹿停留所があること等、従来よりも減速するのを相当とする十分な契機があり、これらの事情と、田原運転手が制動措置をとつて実際に停止するまでのいわゆる制動距離が約三・二メートル、現場のスリツプ痕の長さが約〇・八メートルであること(前掲乙第一号証の一)とを総合すると、同運転手は事故現場に至るまでに、精々時速一五キロメートル或いはそれ以下に減速していたと認めるのが相当であり(第二回椿証言によつて成立を認める乙第一一号証の三参照)、証人田原、同藤井の同旨の証言は十分措信するに足りる。

3  また、堀脇車の停車状況については、証人堀脇は後尾が中央寄りであつたことを否定するけれども、前掲乙第一号証の一、証人田原、藤井、従野の各証言によれば、田原・藤井らは同車の後尾が中央寄りであることをかなり手前から強く認識し、そのため離合が困難になると意識していたこと、事故発生直後、同人らは堀脇車の位置が事故に何らかの関係を持つのではないかと考えてその位置を路面に印づけ、それが実況見分調書に採用されたこと(後尾が約三〇センチメートル中央に寄つたように図示されている)、堀脇自身、事故直後においてはその点を否定していなかつたことが認められるので、堀脇証言中右の部分は措信し難く、前記のとおり認定するに十分である。

4  さらに、原告の事故直前の行動について、原告本人は、本件通路の市道への出口付近で右前方約七・七メートルの地点を進行、接近して来るバス(本件自動車)を発見したが、その直後滑つて転倒し、ほぼ全身が市道上に出て両脚を轢過されたと述べる(前掲乙第二号証の一ないし八及び原告本人尋問の結果)。しかし、バスを発見したという地点からは、前記のブロツク塀や植木に妨げられて右方の見通しは極めて悪かつたとみられるし、ブロツク塀と電柱との隙間から見たというにしても(原告本人はそのようにも述べる)、前掲椿証言(第二回)及びこれによつて成立の真正を認める乙第九号証の一・二に照らすと、「バス全体の輪郭が見えた」旨の原告本人の供述には直ちに措信し得ないものがある。また、その発見したという時点における原告自身の状態については、「止まつて見た。」「止まつた時間は短かかつたかも知れない。」「小走りの状態ではなかつた。」「自分では止まつたつもりだつた。」などとややあいまいな点があるし、もし停止と言い得るだけの姿勢を保つたのであれば、何故にその直後足を滑らせて転倒するに至つたのか、説明が困難である。さらに、もし本件自動車との間に七・七メートルもの間隔があつたとすれば、その目撃から転倒までは殆んど時間の経過がない(原告本人の供述も、この点を否定するものではない)のであるから、本件自動車の前記速度からみて、転倒した原告を発見して直ちに急制動し接触直前に停止することも可能であつたとみられる(前掲乙第一一号証の三)。これらの事情に照らし、原告本人の前記供述は採用し難いというほかはない。結局、原告はさきに認定したとおり、堀脇車のクラクシヨンを聞いて、つつかけ草履でやや下り勾配の本件通路を小走りで出ようとしたことから、その出口付近の砂のため運悪く足を滑らせ、仰向けに転倒して市道上に飛び出したものと認めるのが相当である。そして、田原運転手らの側としては、前記のようなブロツク塀・植木・電柱等のため極めて見通しの悪い状況下では、原告が一旦立止まり身体の一部を現わして市道上を見渡すような行動をとらないかぎり、右認定のような急激かつ異常な飛出しに先立つて原告を目撃することは不可能であつたと言うほかはなく、藤井車掌の、何か黒つぽいものが車体下方に滑り込むように入つたのを見た旨の証言、田原運転手の、停車・後退の後初めて原告が車体下方に入り込んで転倒しているのを見た旨の証言は、いずれも十分措信し得るものとみられる。

以上のとおりであつて、他に前記二の1ないし4の認定を左右するに足る証拠はない。

四  上記の事実関係に基づいて、被告の抗弁(自賠法三条ただし書による免責の主張)につき判断する。

1  本件事故現場手前にさしかかつた際、田原運転手が負うべき注意義務の内容は、時速二〇キロメートルの速度制限に従つて走行することと、絶えず前方・左右、特に左方への注視を怠らないことの二点にあつたと考えられ、さらに加えて、本件通路から市道に人が突然大幅に飛び出すことまでを予想して、いつでも停止できる程度に最徐行すべき義務があつたとは解し得ない。けだし、前記認定のとおり、本件事故現場を含む五九〇メートルの区間は、最高時速二〇キロメートルと著しく制限されているが、右は現場付近が市街地ではない(前掲乙第一号証の一)までも、市道左右に住宅が多く、本件通路のような小路が多数市道に通じている(証人山藤義憲の証言によつて成立を認める甲第一三号証)ことから、人車の出入りを予想し、市道直進車両との衝突の危険を防止するために市道の速度規制を強くしたものであり、これによつて一応の目的は果しているとみられる反面、市道直進車両に対し、そのような小路にさしかかる都度、人車の飛び出しを予想して減速徐行しなければならないとすれば、右区間では道路交通の円滑が著しく阻害されるからである。もつとも、本件通路において、平素特に頻繁な人車の出入りがあり、時として市道への飛び出しが予想されるといつた特段の事情があつたとすれば問題は別であるが、本件の場合、そのような特段の事情を認めるべき証拠はない。なお、藤井車掌としては、本件の場合、専ら左方の注視、警戒がその課せられた注意義務の内容であつたと解せられる。

2  そこで、田原運転手及び藤井車掌において、右の各注意義務を尽くしていたか否かを検討する。

(一)  本件自動車の進行速度は、既述のとおり、事故現場手前から精々時速一五キロメートル程度であつたと認められるから、田原運転手が制限速度を順守していたことは明らかである。

(二)  前方左右(特に左方)への注視についても、進路前方に堀脇車を発見し、同車が避譲の措置をとらないことが確認されて後は、田原運転手は同車の左方を通過するため進路をやや左に変えたものであり、堀脇車を含む前方の注視を欠くことができないことは当然ながら、とりあえずは前記電柱に自車左サイドミラーが接触することのないように細心の注意を払いつつ進行したことが認められるから、右電柱とほとんど相接している前記ブロツク塀や本件通路(路面自体は見ることができないから、その上方)も当然その注視の対象範囲内にあつたと推認される。また、藤井車掌は専ら右電柱とサイドミラーとの接触回避に注意を集中していたと認められるから、もとより本件通路上方にその注視が及んでいたとみられる。それにもかかわらず両名が原告を早期に発見し得なかつたのは、ブロツク塀や植木の茂み、電柱等のため通路(路面とその上方)への見通しが妨げられていたことに加えて、原告が予め通路の出口付近で立ち止つてその身体の一部でも市道上に現わすといつた行動をとらず、足先からのスライデイグという甚だ急激かつ異常な形(当然ながらその体位は著しく低い)で飛び出したためというほかはない。結局、田原及び藤井には左方注視の義務懈怠はなかつたと認めるのが相当である。

(三)  そして、上記のほか、右両名が本件自動車の運行に関して何らかの注意を怠り、それが本件事故発生を招いたと認めるべき証拠や事実関係は一切存しない。

3  一方、原告は堀脇から再三の合図があつたため、母親の用意した弁当も受け取らないほどに急いでつつかけ草履をはき、やや下り勾配の本件通路を小走り(堀脇証言や原告本人の供述にあらわれた表現によるが、結果として原告のほぼ全身が市道上に投げ出されたことや、つつかけ草履の飛び方、ズボンの破れ等からみて、実際はかなりの速度であつたことが推認される)で急ぎ、立ち止つて右方の安全確認をするいとまもないまま、通路上の砂で足を滑らせ市道に飛び出すに至つたものであり、不運な事故とは言いながらその過失は甚だ大きいのみならず、前記2と併せ考えると、結局本件事故は原告の一方的過失に基因するものと認めざるを得ない。

4  また、成立に争いのない乙第三号証の一ないし三、第一〇号証の一ないし一二、前掲証人田原、同椿(第二回)の各証言によれば、本件事故当時、本件自動車には構造上の欠陥や機能の障害は全くなかつたことが認められる。

五  以上のとおり、被告の抗弁は理由があり、本件事故による損害につき賠償の責任を負うものではないと判断されるから、原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当と言うほかはない。

よつて、右請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田川雄三)

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