大判例

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広島地方裁判所 昭和55年(行ウ)10号

原告

理研産業株式会社

右代表者代表取締役

久保田勝見

右訴訟代理人弁護士

開原真弓

国政道明

被告

広島県地方労働委員会

右代表者会長

増原改

右指定代理人

己之口正

道田慷蔵

正木宏

被告補助参加人

広島県西部労働組合理研産業支部

右代表者執行委員長

河内正勝

右訴訟代理人弁護士

外山佳昌

山田延廣

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が広労委昭和五一年(不)第七号不当労働行為救済命令申立事件について、昭和五五年七月九日付でした別紙命令書記載の命令中、主文1ないし3項を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする

二  被告及び補助参加人

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、補助参加人(以下、参加人または参加組合という)を申立人、原告を被申立人とする広労委昭和五一年(不)第七号不当労働行為救済命令申立事件について、昭和五五年七月九日、別紙命令書のとおりの命令(以下、本件命令という。)をした。

2  しかしながら、本件命令中主文1ないし3項は、以下に述べるとおり多くの事実誤認と誤った法律判断に基づくものであって違法である。

(一) 主文1項について

(1) 右1項は、原告が昭和五〇年四月の賃金改定にあたって、梶川勝利、河内正勝及び桑原(現姓高沢)加代子に対し定期昇給外の増額を二分の一に止めたことは、同人らの組合活動を理由とする不利益取扱にあたるとの判断に基づき、同人らに対する定期昇給外の増額を二分の一にしなかったものとして取扱うべき旨を命ずるものである。

(2) しかし、原告が右三名につき右のとおり定期昇給外の増額分を二分の一に減じたのは、六〇日以上欠勤した者は正当な理由のない限り昇給を停止する旨を定めた原告会社賃金規則二八条五項の適用の結果であって、右三名の組合活動を理由としたものではない。すなわち、右三名はいずれも過去一年間(昭和四九年四月一日から同五〇年三月三一日まで)の欠勤日数が六〇日を超えたため、前記条項により昇給を全面的に停止すべきところ、原告はその結果が右三名に著しく酷となることを考慮し、裁量によって、定期昇給外の増額分に限り、しかもその二分の一のみを減ずることとしたものである。

なお、桑原については、欠勤日数六四日のうちに生理休暇一二日が含まれており、被告はこの点をとらえて、同人の欠勤日数を六〇日未満と認定しているが、生理休暇を特に欠勤日数から除外する規定はないし、原告の女子従業員中生理休暇をとる者は一割程度に過ぎず、公平の見地からも、これを欠勤日数に算入したことは正当である。

(3) もっとも、原告は昭和四九年の賃金改定時には、欠勤日数六〇日以上の者についても賃金規則の前記条項を適用しなかった。被告はこの点をとらえて、昭和五〇年の取扱が前年と比較し一貫性を欠くと判断しているが、昭和四九年は原告会社における賃金体系の大改定の初年度にあたることを特に考慮して適用を保留したものであって、右の判断は誤りである。また、翌昭和五一年には、前記条項を適用して欠勤六〇日以上の者につき定期昇給の二分の一を減額したが、右は定期昇給、定期外昇給を含む全体の昇給幅が、昭和五〇年と比較して大幅に低くなったためであり、これまた原告の裁量に基くものであって、六〇日以上の欠勤者に対する昇給上の取扱は、右三箇年を通じ一貫している。

(4) 前記条項の適用(ないしその保留)は、原告会社の従業員中所定の条件にある者に対し一律になされたものであるし、また、昭和五〇年における賃金改定作業(前記減額措置を含む)は、同年四月一八日頃には既に終了しており、右三名の所属する参加組合が行った配転撤回闘争はそれより後のことであるから、右減額措置は右三名の組合活動とは全く関係がない。

(二) 主文2項について

(1) 右2項は、昭和五〇年一二月一七日に参加組合の組合員が年末一時金要求に関してなしたピケは、その状況からみて平和的説得の域を出たものとは認められず、執行委員長梶川勝利に対する譴責処分は不当であるとしてその取消を命ずるものである。

(2) しかし、当時の状況は次のとおりであって、明らかに平和的説得の範囲を超えるものであった。すなわち、原告会社社屋北玄関口を入って約一五メートルの位置にある階段口及びエレベーター前を、参加組合の組合員十数人が三重にスクラムを組んで占拠し、二階事務所、三ないし五階作業所への出入りをすべて阻止し、従業員の出社及び就労を、午前七時三〇分から九時までの一時間半にわたって妨害した。その間、原告会社総務部長松井秀盛は、再三にわたり、ピケを解除して社員に対する就労妨害を中止するよう警告したが、組合員らはこれを無視して妨害行為を続け、そのため社内の秩序は著しく混乱し、かつ、原告の社屋管理権が侵害された。

(3) 梶川は、参加組合の執行委員長として、かかる違法な行為を指揮、命令して原告会社の業務を混乱させたものであるから、同人に対し就業規則に基づいてなした譴責処分に、何ら不当のかどはない。

(三) 主文3項について

(1) 右3項は、原告が「労務情報」「社報」「社員に告ぐ」等の文書を従業員に配布したことが、参加組合に対する支配介入にあたるとして、同組合の方針及び活動を中傷する文書を配布してはならない旨を命ずるものである。

(2) しかし、右各文書は、参加組合の活動方針等に対する原告会社の考え方や、労使間の事実関係を従業員に正確に知らせるためのものであって、参加組合の運営に支配介入する意図は全くなかった。当時、同組合は配転撤回闘争と称して違法なストを繰返し、原告を非難中傷するビラを異常なまでに多数発行し、社内だけでなく社外にも広く配布していた。その内容は、原告の行った配転についての悪宣伝やいやがらせを主たる目的とし、明らかに原告の受忍限度を超えるものであったため、原告は、従業員や来客、取引先等に与える不安感を除去し、一日も早く正常な労使関係を回復するためのやむを得ぬ措置として、原告の主張を前記文書に記載して配布したものである。その通数は、参加組合の配布したチラシ、ビラの一〇分の一にも満たず、内容も右チラシ、ビラのそれに比照して当然に許されるものであって、原告として最小限の反論をしたに過ぎず、参加組合に対する支配介入とされる筋合はない。

3  よって、本件命令中主文1ないし3項の取消を求める。

二  請求原因に対する被告の認否及び主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2冒頭の主張は争う。

(一) 主文1項について

(1) (1)の事実は認める。

(2) 主文1項の命令を発した理由は、本件命令中理由5において説示したとおりであって、これに反する原告の主張はすべて争う。

(3) 付言するに、原告主張の賃金規則二八条五号の適用については、同規則一〇条六項に照らすと、定期昇給以外の増額分に右五号を適用して減額し得ると解する余地はなく、原告のした減額措置は、自ら定めた規則に反するものといわなければならない。また、原告の就業規則三七条一項五号、三九条によれば、生理休暇は人事考課上出勤扱いとされているから、桑原の欠勤日数に同人の生理休暇日数を算入することは許されない。

(二) 主文2項について

(1) (1)の事実は認める。

(2) 主文2項の命令の理由は、本件命令中理由6において説示したとおりであって、これに反する原告の主張はすべて争う。

(三) 主文3項について

(1) (1)の事実は認める。

(2) 主文3項の命令の理由は、本件命令中理由7において説示したとおりであって、これに反する原告の主張はすべて争う。

三  参加人の主張

1  主文1項について

(一) 原告は、昭和四九年は賃金体系の大改定の初年度にあたるため、賃金規則二八条の適用を保留したと主張するが、賃金の大改定は昭和四八年に行われたものであって四九年ではないから、右主張は理由がない。また、原告は昭和四九年及び同五一年の各賃上げに際しては、参加組合との協定により、賃金規則を適用して定期昇給分につき欠勤減額を行ったが、昭和五〇年においては、協定書中で全く触れないまま、しかも本来調整を経ず一律に支給すべき定期昇給外増額部分についてにわかに減額を行ったものであって、同年の減額方法は明らかに異常なものであった。

(二) 原告会社従業員で参加組合の組合員である西山松平、橋川洋輔及び中村一は、いずれもマイクロ複写場に勤務していたが、原告は昭和五〇年五月一五日付をもって、右西山を江波写真場に、橋川及び中村を本社工業写真場にそれぞれ配転した。右は、組合活動の拠点となっていたマイクロ部門から組合員を排除し、斜陽化しつつある工業写真部門に集中させて組合の影響力を排除し、これを弱体化させることを意図したものであり、特に西山の配転は明らかに同人の組合加入に対する報復措置としてなされたものであって、いずれも不当労働行為にあたる。右不当配転によって、原告会社においては昭和五〇年五月から約一か月半にわたって労使紛争を生じ、右紛争期間中原告は賃上げ交渉に一切応じようとせず、右交渉は同年七月に至って漸く妥結をみた。本件の減額処置はこのような状況下で行われたものであり、右不当配転に反対する組合活動への報復としてなされたことが明らかである。

2  主文2項について

(一) 昭和五〇年一二月一七日に参加組合が行ったピケは、目的において正当なものであった。すなわち、組合が同年度年末一時金の上積みを要求したのに対し、原告は七回に及ぶ団体交渉を経ても誠意ある回答をしないため、組合は同日ストライキを決行したが、当時組合は、原告の度重なる不当配転等によって少数組合に陥っていたため、右一時金交渉について非組合員の理解と支援を求め、ストライキの実効を挙げるべくピケ戦術をとったものである。

(二) また、ピケの態様も原告の主張するようなものではなく、エレベーター前及び裏口に二名のピケ要員を配置し、スクラムも組まず、非組合員に対し平和的説得を行ったに過ぎず、非組合員は一人として強行突破しようとする者もなく、全員ショールームで待機し、何らの混乱も生じなかった。

(三) 右のとおり、本件ピケはその目的・態様に照らして正当な争議行為であり、これを理由に参加組合執行委員長梶川に対してなされた譴責処分は不当である。

3  主文3項について

原告の配布にかかる文書の内容は、ことさらに参加組合の運動方針や方法を非難中傷するものであり、使用者としての言論の自由を超え、支配介入の意思は明らかである。

第三証拠

原、被告及び参加人の提出した書証とその成立の認否は、本件記録中の書証目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。そこで、同2において原告が本件命令主文1ないし3項の違法事由として主張する点につき、順次検討を加える。

二  主文1項について

1  原告が昭和五〇年四月の賃金改定において、梶川、河内及び桑原(現姓高沢)の三名につき、定期昇給外の増額を二分の一に減ずる措置をとったことは当事者間に争いがない。そして、(証拠略)及び(証拠略)に添付(別紙5)の原告会社賃金規則によれば、次の事実が認められる。すなわち、原告と参加組合は、昭和五〇年四月における賃金改定につき交渉を重ねたうえ、同年七月五日に協定の成立をみたが、その内容は、(一)本給に対する定期昇給を男子平均三三〇〇円、女子平均二一〇〇円とすること、(二)定昇外の増額(加給)を一律分と基本給スライド分に分けて行うこととし、一律分は男子七〇〇〇円、女子四二〇〇円、基本給スライド分は男子九・四五パーセント、女子一一パーセントとすること等を骨子とするものであった。しかし、原告は、前記三名の欠勤日数が梶川は一七〇日、河内は六二日、桑原は六四日にのぼるとして、賃金規則二八条(昇給停止)の五号(原告が五項とするのは正確を欠く)「出勤率の悪い者(六〇日以上欠勤した者は正当な理由のない限り停止)」を適用し、梶川については加給一万五九二〇円のうち七九六〇円、河内については加給一万五九〇六円のうち七九六〇円、桑原については加給一万一五八八円のうち五七九四円(いずれも二分の一または概ね二分の一)をそれぞれ減額した。なお、定期昇給額は梶川及び河内が二二五〇円、桑原が一八〇〇円であり、同年度においては定期昇給額よりもそれ以外の加給額(ひいてその減額分も)の方が遥かに上廻るが、右は物価の著しい高騰や、一般の賃金水準の大幅上昇に対応して、労使ともにその必要を認めた結果と推認される。

2  ところで、前記賃金規則一〇条六項、七項によれば、昇給には定期昇給、臨時昇給、抜擢昇給の三種があり、定期昇給は一年間の勤務成績(五段階評価)に基づいて行い、臨時及び抜擢昇給は勤務成績抜群の者を対象とすること、以上とは別に、物価上昇、賃金高騰のために定期昇給で処理できない場合にベースアップ用として加給を設け本給に付加することが定められている。そして、本件の「定期昇給外の増額」が右の「加給」にあたることは明らかであり(五〇年度賃金改定についての協定書である前掲丙一四号証においても右二つの用語を同義に用いている)、したがって、賃金規則上の昇給とは異なり、これを実施する以上は、勤務成績やそれと類似の評価要素である勤怠状況とは無関係に行うことが賃金規則上予定されていると解すべく、このことは右のような「加給」の趣旨・目的に合致し、また、同規則二八条が「昇給停止」の規定であって加給について言及していないことからも肯定し得るところである。

もっとも、賃金に関する労使の協定において、加給についても定期昇給に準じて長期欠勤者に減額を行う旨とりきめることはもとより可能であろうが、前掲丙一四号証にはその旨の条項はなく、かえって、昭和五一年の賃金協定(成立に争いのない丙二八号証の一・二)において、同年の改定に限り、欠勤日数六〇日以上の者の本給分昇給を二分の一に減額する旨を特に明記している(加給についての減額条項はない)ことに照らすと、昭和五〇年、五一年とも、その種協定の成立をみなかったことが明らかである。

したがって、原告が前記三名についてした定期昇給外増額の減額措置は、その主張にかかわらず、賃金規則上の根拠を有しないものといわなければならない。

3  さらに、右三名の実際の欠勤日数についてみるに、原告は昭和五〇年賃金改定前の一年間、すなわち昭和四九年四月一日以降同五〇年三月三一日までの欠勤日数として前記の日数を挙げるところ、(証拠略)によれば、梶川及び河内の右期間中の欠勤日数はいずれも六〇日を超えることが認められるが、(証拠略)によれば、桑原のそれは五六日と計算され、六〇日に満たないことが明らかである。この点、原告は右期間中の同人の生理休暇日数(<証拠略>によれば計一一日)を加えるべき旨を主張するけれども、原告会社の就業規則(<証拠略>)三七条一項五号、三九条は、生理日の就業が著しく困難なときは所要日数につき特別休暇を受けることができる旨、正規の手続を経た特別休暇は人事考課上出勤扱いとする旨を定めており、桑原の右生理休暇はその要件を満たしているとみられ、これに反する証拠はないから、賃金規則二八条の適用にあたっても、本来その日数を欠勤日数として計上することは許されないと解するのが相当である。右の理由からも、同人に対する前記減額措置は根拠を欠くものというべきである。

4  ところで、(証拠略)によれば、梶川及び河内は参加組合の執行委員長、副執行委員長、書記長等を歴任し、桑原は連続してその執行委員に選出されたほか、労働安全衛生対策部長などをつとめ、いずれも組合活動の中心的存在であったこと、原告は昭和五〇年五月一五日付をもって、従業員で参加組合の組合員である訴外西山松平、橋川洋輔及び中村一をマイクロ複写場から他の職場(西山は江波写真場、橋川及び中村は本社工業写真場)に配転したこと、これに対し参加組合は、右配転は組合活動の拠点であるマイクロ複写場から組合員を排除してその影響力を減退させ、組合を弱体化することを意図した不当労働行為であるとして、いわゆる配転撤回闘争を開始し、梶川ら三名は右闘争においても中心的に、或いは活溌に活動を行ったこと、右配転に関する紛争は約一か月半に及んだが、同年の賃金改定につき協定成立に至ったのは前記のとおり七月五日であって、右紛争終結の直後にあたることが認められ、既に述べたところと併せ考えると、三名に対する前記減額措置は、同人らの組合活動を理由とする不利益取扱にあたると認めざるを得ない。

よって、右三名につき定期昇給外の増額を二分の一にしなかったものとして取扱うべき旨の命令(主文1項)は正当であって、何ら違法の点はない。

三  主文2項について

1  参加組合が昭和五〇年一二月一七日、年末一時金要求に関して行ったピケを理由として、原告が同組合執行委員長梶川を譴責処分に付したことは争いがなく、(証拠略)によれば、右処分の理由は原告主張(請求原因2(二))のとおりであり、就業規則九六条、一〇〇条一三号(他の従業員の就業を妨害した者)を根拠とするものであったことが認められる。

2  そこで、右ピケの目的・態様等について検討するに、(証拠略)によれば、以下の事実が認められる。すなわち、参加組合は昭和五〇年年末一時金要求に関し、原告と数次の団体交渉を経たが歩み寄りがみられなかったことから、同年一二月一七日早朝からのストライキを計画、実行し、多数を占める原告会社従業員組合の組合員や組合未加入者の支持を得るべく同日午前七時三〇分頃から九時までの間、参加組合員十数名が原告の本社社屋一階階段昇り口付近に集結し、エレベーター前及び裏口にも各二名を配置してピケを張った。同組合執行委員長梶川は右一階階段やエレベータ前付近に位置し、副執行委員長河内は玄関前において、出社して来る従業員らに対しストライキの目的を説明するとともに、ピケを午前九時まで継続するので一階ショールームで待機してほしい旨を要請したが、従業員のうち実力でピケを突破して就労しようとする者はなく、大部分はショールームで事態を見守る態度であった。ピケの開始後間もなく、若林庶務課長が階段口の組合員らに対し、「暖房を入れたいので中に入れてくれ。」と要求したところ、梶川や組合員らはこれを了承して同課長の通過を認めた。午前八時過ぎ頃、松井総務部長が梶川らに対し、このようなストのやり方は違法であるから、就労希望者を妨害せず早く通すよう二、三回通告し、さらに、八時三〇分過ぎには管理職数名が階段を通すよう順次申入れたが、梶川が拒否したのでそのことを確認して引揚げた。午前九時に同組合員はピケを解き、暫時集会を開いた後、午前一〇時頃ストライキを打切って就労した。

以上のとおり認められる。

3  右のように、本件のピケに対しては、一般従業員のうちにすすんで通過しまたは実力で突破して就労しようとする動きはみられず、したがって、その阻止のためピケ要員が実力行使に出ることもなく、むしろ従業員大多数はショールームにおいて成行きを静観していたものとみられる。もとより松井が指摘する(<証拠略>)ように、トラブルを恐れて就労の態度を明らかにし得なかった者もあったと推察されるが、さりとて本件ピケが、多数の就労意思をやむなく放棄させるほどに威迫的、強圧的なものであったと認めるだけの明らかな証拠はない。してみれば、本件ピケはいわゆる平和的説得の域を超えるものとはいえず、その目的にも不当の点は見出し得ないから、これを違法と評価することはできない。

よって、梶川に対する譴責処分はその正当な組合活動を理由とする不利益取扱にあたり、その取消を命じた主文2項は正当というべきである。

四  主文3項について

1  原告が「労務情報」「社報」「社員に告ぐ」等の文書を従業員に配布したことは争いがなく、(証拠略)がこれらの文書(昭和五〇年五月から翌五一年一月にかけて発行したもの)にあたるところ、その記載内容をみると、参加組合の前記配転撤回闘争に対する原告の考え方や立場を説明し、或いは同組合の各種ビラに対する批判を述べたものが多く、これらを通観して、特に甚だしく攻撃的で同組合の活動を明らかに抑圧するものとまでは認め難い。しかしながら、その表現の中には例えば、「最近二、三回撒かれた西部労組のビラを見ると、まことになげかわしい皮相な考え方が出ているので警告かたがた愚かな言動をつつしむよう注意を喚起したいと思います」「この道を閉ざす不まじめな考えに立つ者はやがては社員の幸せを妨げるものとして疎外され、暗い道を歩むことになるのではないでしょうか」(丙一六号証の一)、「特定の者の見方や古くさい考え方をあたかも一般的であるかのように煽り立てているとしか受取れないものであります」(同号証の二)、「いやしくも会社に信をおかず、迷って右往左往するが如きこと或いは前進する者の足を引くが如きは断じて許すべきではない」(同一八号証の一)等の文言もみられ、これらは参加組合の活動方針等に対する冷静客観的な批判をやや超えて、これを敵視する態度を打出し、或いは組合活動に同調する者に対し、不利益な取扱いを行う旨を暗示する論調があらわれていることを否定できない。特に、右丙一八号証の一は社長名をもってする文書であって、その影響するところはかなり大きかったとみられる。

2  原告は、同組合が悪宣伝やいやがらせを目的とするビラを異常に多数配布したことへの対抗手段としてやむなくこれらの文書を発行したと主張するが、本件各証拠中にその種ビラは乏しく、右丙一六号証の一・二が文中に取り上げている組合ビラの内容も、「成績給があるから労働者が分裂される」「皆が首になったときに課長が助けてくれるか?」「多くもらえると思って一生懸命働いても一にぎりの賃金しかもらえない」などというものであって、なるほど原告として批判を加えたい点を含むとは思われるけれども、それ自体が原告へのいやがらせ等を主目的にしたものとまでは認め難く、右主張は直ちには首肯し難い。

3  右の事実関係に照らし、被告が原告の前記文書配布を組合に対する支配介入と認め、かかる文書を配布してはならない旨を命じたこと(主文3項)は正当と判断される。

五  以上の次第で、被告による本件命令(主文1ないし3項)に違法の点はなく、その取消を求める本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田川雄三 裁判官 金村敏彦 裁判官三好幹夫は退官のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 田川雄三)

別紙 命令書

申立人 広島県西部労働組合

理研産業支部

代表者支部執行委員長 河内正勝

被申立人 理研産業株式会社

代表者代表取締役 久保田勝見

主文

1 被申立人は、梶川勝利、河内正勝及び桑原加代子に対する昭和五〇年賃金改定について、定期昇給外の増額を二分の一にしなかったものとして取り扱わなければならない。

2 被申立人は、梶川勝利に対して、昭和五一年一月二九日に行った譴責処分を取り消さなければならない。

3 被申立人は、会社の従業員に対して、申立人組合の方針及び活動を中傷する文書を配布してはならない。

4 その余の申立ては棄却する。

理由

1 当事者

被申立人理研産業株式会社(以下「会社」という。)は、事務機販売・工業写真業務等を営み、申立て当時、資本金三、〇〇〇万円、従業員二三五人であった。

申立人広島県西部労働組合理研産業支部(以下「支部」という。)は、申立て当時、支部組合員三〇人であった。

2 西山、橋川及び中村の配置転換

支部は、会社が支部結成以来、支部組合員を将来性のあるマイクロ写真業務から排除し、将来性の少ない青焼きコピー業務に就け、工業写真場に集中化することによって組織の弱体化を図ってきており、また、今回の西山松平(以下「西山」という。)、橋川洋輔(以下「橋川」という。)及び中村一(以下「中村」という。)の配置転換もその一環としてなされ、将来性の少ない業務に就けるという不利益な取扱いをしたものであって、これらの行為は不当労働行為であると主張する。

そこで、以下判断する。

(1) 会社は、不況に伴うコンピューター業務の受注難などの事情があるとして、昭和五〇年四月から五月にかけて全社的に職務内容の変更や関連会社への出向も含む一一人の配置転換を行い、マイクロ複写場に勤務していた西山、橋川及び中村のうち、西山は広島市内にある江波写真場で、また、橋川及び中村は工業写真場で、それぞれ同年五月一五日から就労することを命じた。西山ら三人は、支部の配転撤回闘争もあって同年六月一七日にそれぞれ配転先に就労した。

なお、会社は、昭和五二年六月一日、受注量の減少などにより西山を江波写真場から工業写真場へ配置転換した。

本件配置転換に関係のあるマイクロ複写場は、本社社屋内の四階にあり、また、工業写真場は同じく三階にあって、この二つの職場の間では、休憩時間など就業時間外に会社が行き来を制限した事実は見当たらない。

(2) これらの事実からみると、西山は、本社社屋の四階から同じ広島市内の江波写真場を経て本社社屋の三階へ、橋川及び中村は、本社社屋の四階から三階への配置転換であって、場所的に近く、しかも、四階と三階に分かれているマイクロ複写楊と工業写真場との間では、行き来の制限があったという事実は認められないのであって、格別組合活動に支障があるとは言えず、配置転換の時期や規模においても異例なものではなく、支部の組織の弱体化を意図したものであるとの主張は認め難い。

次に、青焼きコピー業務の将来性についてみると、需要面からみて減少の傾向にあるとか、また、会社が営業方針として業務を縮小廃止すると措信するに足る事実が認められず、支部の主張は首肯し難い。

3 支部の配転撤回闘争と会社の処分など

支部は、配転撤回闘争において西山ら三人が座り込みをしたことや、支部執行委員長である河内正勝(以下「河内」という。)が座り込みやビラはりを指令指揮したのは、支部組合員の総意に基づいてなした正当な行為であるにもかかわらず、会社が、河内に対して出勤停止処分を行い、また、これらの行為を取り上げて、昭和五〇年の夏季一時金及び年末一時金の考課査定に当たって西山ら三人や河内を従前よりも低く評価し不利益を与え、さらに、本件配置転換についての団体交渉を正当な理由もなく拒否しており、これらの行為は不当労働行為であると主張する。

(1) 昭和五〇年五月一七日から西山ら三人は、始業時から終業時まで、本社の一階西側正面入口と北側入口の両方に分かれて、同年六月一七日まで座り込みを続けた。同人らは、座り込みが長引くにつれて、客が出入りする西側正面入口においては、携帯用ラジオやカンパ箱を置き、日よけ用の戸板を立て掛け、その陰で半裸で横たわっていたり、道路に接した石畳の上に段ボールで囲いをし、メガホン、段ボール箱三、四個を並べ、「理研産業ハ不当配転ヲ撤回セヨ!!」と赤地に白字で書いた横約五〇センチメートル、縦約六〇センチメートルの板紙を道路に向けて立て掛けて座り込んでいた。これに対して、会社は、同年五月二一日から同年六月一一日までの間に、四回にわたって支部及び同人らに対し、配置転換に応じるよう文書で通告し、さらに、同年六月一六日、同人らにそれぞれ二四時間以内に配転先の職場で就労することを文書で命じた。

同年五月一七日ごろから支部は、本社社屋の一階外側の腰壁や柱の部分に「不当配転を撤回せよ。」などのビラを水のりではり付けた。会社は、支部に対してビラをはがすよう求めたが、支部が応じないので会社の管理職らにビラをはぎ取らせると、支部はすぐに新たなビラをはるという状態が繰り返された。本社社屋の一階は、北側及び西側がガラス張りで車両や一般通行人の往来する道路に面しており、西側の正面入口と北側入口の部分を除いて道路に面した部分がショールームに当てられていた。

後には、ガラス張りのショールーム外側の腰壁のほか、ガラスにも高さ一メートル近くのところまでほぼ全面にビラがはられ、この状態は同年六月下旬まで続いた。

これら配転撤回闘争当時、河内は、支部執行委員長として闘争委員会の決定に基づいて同年五月一七日以降の座り込みを指令し、本社社屋一階の西側正面入口と北側入口の二か所に分かれて常に座り込みを続けるよう指導し、座り込みの状態については十分知り得る立場にあり、また、本社社屋へのビラはりに関しては、ビラをはる場所を支部組合員に指導したほか、自らもビラはりを行った。これに対して、会社は、同年七月二日、河内を一〇日間の出勤停止処分にした。

次に、昭和五〇年の夏季一時金及び年末一時金についての西山ら三人と河内の考課査定は、全従業員の平均考課査定額と各人の考課査定額の割合でみると、いずれも昭和四九年に比べて低くなっていることが認められる。

なお、昭和五〇年五月中旬から六月上旬にかけて、会社の松井総務部長と支部は、本件配置転換について四回にわたって話合いをもったが合意するには至らなかった。この四回の話合いには、支部役員のほか、上部組織の役員が出席したこともあり、話合いが一時間半余りに及ぶこともあった。

(2) まず、座り込みについてみると、その期間は一か月間にも及び、車両や一般通行人の往来する道路に直接面して外観を重視される本社社屋の玄関において、乱雑で、来客に不快感を与えるような状態であったことは、配転撤回要求のための座り込みとはいえ、抗議の限界をこえたものであり、また、ビラはりについてみると、ショールームのガラスに高さ一メートル近くまでほぼ全面に水のりでビラをはり付けたことは、会社施設の効用を損なうものであって、いずれも正当な組合活動とは認め難い。

そこで、河内に対する出動停止処分についてみると、河内は、西山ら三人に長期にわたる座り込みを指令指導し、その座り込みは、後には前記(1)において認定した状態に至ったことを十分知りながら座り込みを続けさせており、ビラはりについても、はる場所を支部組合員に指導し、自らもはっており、これら河内自身の行為は責められてもやむを得ないところであって、支部の主張は認められない。

次に、昭和五〇年の夏季一時金及び年末一時金における西山ら三人と河内の考課査定については、座り込みやビラはりが正当な組合活動と認められない以上、会社が、これらの行為を取り上げて考課査定を低く評価し、不利益を与えたことが不当労働行為であるという支部の主張は理由がない。

なお、本件配置転換をめぐる団体交渉については、松井総務部長と支部との間で、配置転換に関して四回にわたって前記(1)のような話合いがもたれており、会社が団体交渉を拒否しているという支部の主張は認め難い。

4 桑原の配置転換

支部は、会社が桑原加代子(以下「桑原」という。)を本社トレース係から配置転換し、将来性の少ない青焼きコピー業務に就け、工業写真場に集中化したことは、桑原が執行委員として行った健康調査や労災の給付請求などの組合活動を理由としたものであり、本社トレース係でただ一人の支部組合員である桑原の職場活動を弱めることを意図した不当労働行為であると主張する。

(1) 会社は、昭和五一年三月一日から、本社社屋の五階にあるトレース係に勤務していた桑原をトレース業務に比べ容易に応援が可能である同社屋三階の工業写真場の業務に就かせた。

桑原は、疾病による通院治療によるものも含め、昭和四八年一二月から昭和四九年一一月までの間に欠勤三三日などがあり、年間所定労働時間数二、一四五時間に対して桑原の年間実労働時間数は七四パーセントの一、六〇五時間であった。

また、同じく昭和四九年一二月から昭和五〇年一一月までの間に欠勤八二日などがあり、年間所定労働時間数二、一三三時間に対して年間実労働時間数は五一パーセントの一、一〇五時間であった。

本件配置転換に関係のある本社社屋内の五階のトレース係と三階の工業写真場との間では、休憩時間など就業時間外に会社が行き来を制限した事実は見当たらない。

(2) 桑原は、欠勤などが多く、業務に影響があるので、容易に応援が可能である職場に配置転換することもやむを得ないところであって、しかも、本社社屋の五階のトレース係と三階の工業写真場は場所的に近く、この間の行き来の制限は認められないことから、桑原の職場活動を弱めることを意図したという支部の主張は首肯し難い。

次に、青焼きコピー業務の将来性については、前記2の(2)において判断したとおり、支部の主張を認めることはできない。

5 梶川、河内及び桑原の昭和五〇年賃金増額

会社は、昭和五〇年の賃金改定に当たって、算定対象期間内に六〇日以上欠勤した梶川勝利(以下「梶川」という。)、河内及び桑原の定期昇給外の増額を減じたのは、賃金規則の規定に基づいてなしたもので、このことは団体交渉の席上支部に説明しているところであり、また、昭和四九年の賃金改定においても欠勤日数による減額は行っており、梶川ら三人の組合活動を理由としたものではないと主張する。

(1) 梶川及び河内は、これまでに執行委員長、副執行委員長及び書記長をそれぞれ歴任し、桑原は、四期連続して執行委員に選出され、本件申立て当時も執行委員であったほか、福利厚生部長、会計部長、安全衛生対策部長などを歴任し、いずれも組合活動の中心的役割を果たしていた。

なお、梶川は、上部組織の専従職員となるため、昭和五二年一月、会社を退職した。

昭和五〇年の賃金改定において同年七月五日会社と支部が協定した内容は、定期昇給、定期昇給外の増額及び中途採用者の調整加給に分かれており、同年四月から実施した。そのうち定期昇給外の増額は、一律部分と基本給スライド部分に分かれていたが、考課査定部分はなかった。昭和五〇年の平均賃上げ額は、男子一九、三三八円、女子一三、九〇九円で、そのうち定期昇給外の増額は、男子約一六、〇〇〇円、女子約一一、八〇〇円であったが、会社は、梶川ら三人の昭和五〇年三月までの過去一年間の欠勤日数がいずれも六〇日以上あったとして、賃金規則の六〇日以上欠勤したものは正当な理由のない限り昇給を停止する旨の規定に該当するところ、運用として定期昇給外の増額を二分の一に減額した。同人らの昭和四九年四月一日から昭和五〇年三月三一日までの欠勤日数は、梶川が組合活動による一四三日を含め一七〇日、河内が組合活動による一〇日を含め六二日、桑原が組合活動による一五日を含め五二日であり、その減額分は、梶川が七、九六〇円、河内が七、九四六円、桑原が五、七九四円であった。

昭和四九年の賃金改定は、一律部分、勤務給及び初任給調整に分かれており、平均賃上げ額は、男子二三、七三〇円、女子一八、八六〇円で、勤務給は、男子平均約一三、二〇〇円、女子平均約八、八〇〇円であり、その一部が考課査定の対象となる旨協定書に記載されており、会社は六〇日以上欠勤した者に対して協定書により勤務給の一〇パーセントを限度に減額した。

なお、昭和四九年三月までの過去一年間の欠勤日数は、梶川が七八日、河内が九一日であった。

(2) まず、賃金増額における欠勤日数の取扱いについてみると、昭和四九年には協定の内容に即して考課査定のうえ減額しているが、昭和五〇年には協定上考課査定の対象になっていない定期昇給外の増額の部分を減額しており、しかも、減額の対象とした部分は、昭和四九年が平均賃上げ額の約六パーセントであるのに比べ、昭和五〇年は約四〇パーセントにもなっており、一貫性を欠いている。加えて、桑原の欠勤日数は六〇日未満であるにもかかわらず、六〇日以上欠勤したものとして減額している。

次に、梶川ら三人は、従前から組合活動の中心的存在として活発な活動を続けていたのであって、昭和五〇年の賃上げ争議が妥結したのは、一か月余りにも及ぶ配転撤回闘争直後であったことなどからみて、同人らに対する昭和五〇年賃金改定において定期昇給外の増額を二分の一に減額したことは、同人らの組合活動を理由とした不利益取扱いであると言わざるを得ない。

6 梶川の譴責処分

会社は、昭和五〇年年末一時金をめぐってのストライキの際、支部組合員らがピケをはり、説得の限度をこえ、就労しようとした管理職や従業員の就労を妨害したことは、ピケの範囲を逸脱しており、これを企画、立案、指導した梶川支部執行委員長の行為は、当然懲戒処分の対象となると主張する。

(1) 昭和五〇年年末一時金要求に関して、支部は、会社と七回の団体交渉をもったが歩み寄りはみられなかったため、昭和五〇年一二月一七日、支部組合員は、七時三〇分から九時まで本社社屋一階の階段付近に十数人、エレベーターの前に二人、裏口にも二人がそれぞれピケをはった。当時支部執行委員長であった梶川は、適宜情勢に対応できるよう階段とエレベーターの間にいた。当時支部副執行委員長であった河内は、出社してくる従業員に対し、ストライキの目的とピケの時間が九時までであることを説明して一階のショールームで待機するよう要請し、大部分の従業員はピケが終わるまでショールームにいた。ピケ開始後間もないころ、若林庶務課長は、ピケをはっている所へ行って、「暖房を入れとくから中へ入れてくれ。」と言い、梶川やピケをはっていた支部組合員らは同課長を通した。八時過ぎ、松井総務部長が梶川らに対し、「そういう間違った対応のストのやり方は違法じゃないか、早く就業希望者に対して妨害することなく通すようにしなさい。」と二、三回警告を繰り返し、さらに、始業時刻である八時半過ぎには同総務部長が四、五人の課長を同じ場所に連れてきて順番に階段を通すよう要請させ、梶川らがこれを拒否したことを確認したうえ、引き揚げた。支部は、九時にピケを解き、九時半ごろまで集会を開き、一〇時にはストライキを解いて就労した。会社は、昭和五一年一月二九日、このピケは違法であるとして梶川を譴責処分にした。

(2) しかし、支部組合員が行ったピケは、その状況からみて平和的説得の域をでたものとは認められず、梶川支部執行委員長に対する譴責処分は不当である。

7 会社の言動など

(1) 会社は、「労務情報」「社報」「社員に告ぐ」を配布したのは、会社の考えや労使の事実関係を従業員に知らせるものであって、支部に対する支配介入ではないと主張する。

会社が、全従業員を対象に配布した文書の中で、昭和五〇年九月ごろから昭和五一年一月ごろにかけてのものには、「最近二~三回撒かれた西部労組のビラを見ると、まことになげかわしい皮相な考え方が出ているので警告かたがた愚かな言動をつつしむよう注意を喚起したいと思います。」「特定の物の見方や古くさい考え方をあたかも一般的、常識的であるかのようにあふり立てているビラとしか受け取れないものであります。」「いやしくも会社に信をおかず、迷って右往左往するが如きこと、あるいは前進する者の足を引くが如きことは断じて許すべきではない。」などの文言が記載されていた。

しかし、これらの文言は、会社が自己の主張を強調する余りに支部の方針や活動を中傷したものと言わざるを得ず、このことは支部の運営に対する支配介入に当たるものと認められる。

(2) 支部は、音塩主任が荒井順子(以下「荒井」という。)の自宅を訪れ支部からの脱退をしょうようしたり、荒井ら四人が支部に加入したことを理由に電子複写場の作業配置を変更したこと、また、会社が取引先の社員を利用して支部の闘争方針を中傷ひぼうしたことは、いずれも支部に対する支配介入であると主張する。

まず、音塩主任が、荒井の自宅を訪れた事実、そこでなしたという言動についても明らかでなく、また、電子複写場の作業配置の変更に関しては、荒井ら四人が支部に加入したことは認められるが、作業配置の変更は作業量を勘案して適宜なされており、作業配置のうえで特段に主たる作業者とか補助的な作業者の区別はなされていない。さらに、取引先の社員が、梶川と面談した事実は認められるが、それが会社の意を体したものと措信するに足る事実は認められず、いずれも支部の主張には理由がない。

なお、支部は、陳謝文の掲示などを求めているが、その必要はなく、主文のとおりの救済で十分であると判断する。

よって、当委員会は、労働組合法第二七条及び労働委員会規則第四三条の規定により、主文のとおり命令する。

昭和五五年七月九日

広島県地方労働委員会

会長 勝部良吉

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