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広島地方裁判所 昭和56年(ワ)1023号 判決 1989年11月15日

主文

一  被告は、原告谷岡誠子に対し、金五一九四万五二七三円及び内金四六九四万五二七三円に対する昭和五三年一二月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告谷岡英幸、同谷岡克恵に対し、各金一一〇万円及び各内金一〇〇万円に対する昭和五三年一二月六日から支払ずみまで五分の割合により金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを四分し、その三を被告の負担とし、その一を原告らの負担とする。

五  この判決は、一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告谷岡誠子に対し、六六〇〇万円及び内六〇〇〇万円に対する昭和五三年一二月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告谷岡英幸及び同谷岡克恵に対し、各五五〇万円及び各内五〇〇万円に対する昭和五三年一二月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  予備的仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告谷岡誠子(以下「原告誠子」という。)は、原告谷岡英幸(以下「原告英幸」という。)、原告谷岡克恵(以下「原告克恵」という。)の三女である。

(二) 被告は、呉市において、国立呉病院(以下「呉病院」という。)を経営し、小児科医等を雇用して医療行為にあたらせている。

2  原告誠子の失明

(一) 原告誠子の出生、入院

原告誠子は、昭和五三年八月一八日(以下、同年の月日については年を省略する)午後四時二三分、広島県豊田郡木江町竹本医院において出生した。

在胎週数二九週、生下時体重一一四〇グラムの未熟児であり、出生時、第一度の仮死、全身チアノーゼで、三〇分後に啼泣、一分間に五〇ないし六〇回の不規則呼吸があり、心拍数一一四回、体温三二・四度であった。

保育器に収容され、酸素投与を受け、同月一九日午後一時三〇分、呉病院小児科に転送、入院し、保育器に収容された。

(二) 呉病院に入院以後、一二月五日までは原告誠子の眼底検査は行われず、同日、呉病院眼科医が眼底検査をしたところ、原告誠子が強度の未熟児網膜症(以下「本症」という。)に罹患していることが判明し、同月一五日、呉市木村眼科で受診したところ、既に失明していた。

3  本症について

(一) 発生原因

本症は、二〇〇〇グラム未満の未熟児が保育器内で高濃度或は長期間酸素投与を受け、酸素過剰の状態に置かれた場合に、十分生育していない網膜血管が異常増殖し、それが原因で発生するものである。

(二) 予防

本症の予防には、酸素投与の適応のあるときのみ酸素投与をすること、酸素投与をする場合は必要最小限にとどめることが必要である。そのために、以下に述べるような全身管理、酸素管理、眼底検査が必要である。

(1) 全身管理

未熟児は、全身状態が悪い場合に、呼吸障害、チアノーゼを起こすことがある。この場合、酸素投与だけしても症状は改善せず、全く無効のこともあり、酸素過剰の状態を招くだけとなる。従って、呼吸障害、チアノーゼを起こした場合、酸素投与に先立ちあるいは酸素投与に並行して、全身状態を改善するため、適切な全身管理をすることが必要である。その具体的内容は以下のとおりである。

(ア) 栄養管理

栄養管理が不十分であると、体力不足からチアノーゼ、呼吸障害からの回復が遅れ、酸素の過剰投与となる。

かつて、体重の小さいものほど授乳開始を遅らせ、飢餓期間を二四ないし七二時間とるのが通常であった。しかし、現在では、長時間の飢餓は脱水、低血糖、代謝性アチドーシスを起こすとされ、授乳開始については、出生体重一〇〇〇グラム以下については四八時間、同一五〇〇グラム以下については二四時間とし、さらに同一五〇〇グラム以下については、生後数日間は経口投与のみでは不十分であるから、出生当日からルーチンに輸液を行うとされている。

(イ) 保温管理

低体重がチアノーゼ、呼吸障害をもたらす原因となり、従って、チアノーゼ、呼吸障害が生じた場合、保温が重要な治療法である。

全身性チアノーゼの主要因は還元ヘモグロビンの増加であり、これは動脈血の酸素緩和度が低下した場合に起こるとされているから、未熟児を酸素消費量を最小限にする環境温度におくことが、チアノーゼの改善に有効なことが多い。新生児の酸素消費量は、環境温度が三二度から三四度のとき最も小さくなることが知られている。

(ウ) 血糖値管理

血糖値が二〇ミリグラムパーデシリットル以下になるとチアノーゼ、呼吸障害、痙攣等が発生する。

低血糖は、簡易血糖判定量用のペーパーで容易に判定でき、ブドウ糖静脈注射で容易に改善することが多い。

(エ) 黄疸管理

低出生体重児は、成熟児に比して、低い血清ビリルビン値で核黄疸が生じ、その症状は、成熟児の核黄疸に特徴的な神経症状を呈するとは限らず、呼吸障害に終始するもの、呼吸障害が先行し後に神経症状を呈するもの等多彩である。この核黄疸による呼吸障害に酸素投与を行っても、何ら適切な治療とはならない。

そのため、低出生体重児に対しては、血清ビリルビン値の厳密な追跡が必要である。

(2) 酸素管理

酸素投与はその適応があるときのみ行うべきものであり、酸素投与を行う場合には投与量、投与期間を厳密に管理するべきとされている。この点については、日本小児科学会新生児委員会作成の「未熟(児)網膜症予防のための指針」(昭和五一年二月、同学会総会において答申)は、次のとおり述べている。

酸素療法に際する注意

低酸素症のある未熟児には救命的に酸素療法を行わなければならない。もし、酸素を投与しないときは脳の低酸素症のために、脳性麻痺などを遺すこともある。しかし、一方では本症を増悪することもあるので酸素療法を行う場合には次の各項に留意しなければならない。

(ア) 低出生体重児に酸素療法を行う場合には、低酸素症が明瞭に存在するときに限る。低酸素症の存在は中心性チアノーゼ、無呼吸発作及び呼吸窮迫(多呼吸、呼気性呻吟、陥没呼吸、チアノーゼ)などによって判定する。

(イ) 酸素療法を行う場合は、一日数回の保育器内酸素濃度測定を行い必要以上の酸素供給を行わないように注意する。酸素流量を一時間一回点検しておけば、器内濃度は一日二回ぐらい測定しても十分である。但し、流量を変えた時は、その都度器内酸素濃度を測定する必要がある。

(ウ) 高濃度の酸素療法を必要とするとき、あるいは長期に亘る酸素療法が必要なときには、酸素療法実施期間中は、適宜PaO2を測定して六〇ないし八〇mmHgに保つようにすることが望ましい。

(エ) 酸素療法はできるだけ短期間で中止することが望ましいが、七日以上投与しなければならないときはPaO2の測定のほか、必ず眼底検査を行って網膜症の早期発見につとめるべきである。

(オ) 無呼吸発作を繰り返す症例、人工換気療法を併用する症例では、とくにPaO2の測定と眼底検査が必要である。

(カ) 動脈血の採血場所はとう骨動脈、側頭動脈あるいは指動脈が好ましいが、股動脈血、臍動脈カシーターにより採取した下行大動脈血でもよい。動脈血化毛細管血は使用できない。

(キ) 網膜発達が未熟なときは、まれに成熟児でも網膜症の発生がみられるので高濃度酸素療法、長期酸素療法に際しては、低出生体重児と同じ注意が必要である。

(3) 眼底検査

酸素投与を行う場合、本症の発生の有無や進行状態を調査把握し、酸素投与を継続すべきか否か、酸素の適応濃度はどうかを判断するために眼底検査を行うことが必要である。さらに、眼底検査は、進行性の本症を早期発見し、光凝固を適用して失明を防止するという治療の意義も有する。

眼底検査は、手持ち倒像鏡などが備わっているため、未熟児室内で窓に暗幕を張って暗くすれば、眼科医の往診により行うことができ、一〇分もあれば終了する。患児が動かないように固定する必要があるが、シーツなどでくるめばよい。全身麻酔など不要で、小児科医で二ないし三週間練習すれば実施できる極めて簡単なものである。

眼底検査の実施時期については、昭和四九年度厚生省研究班報告(以下「四九年度研究班報告」という。)は、次のとおり述べている。

検眼鏡的検査は、一八〇〇グラム以下の低出生体重児、在胎期間では三四週以前のものを主体とし、生後満三週以降において、定期的に眼底検査を施行し(一週一回)、三か月以降は、隔週または一か月に一回の頻度で六か月まで行う。本症の発症を認めたら必要に応じ、隔日または毎日眼底検査を施行し、その経過を観察する。瘢痕を残したものについては、殊に一ないし三度のものは、晩期合併症を考慮しての長期にわたるフォローアップが必要である。

(三) 治療

本症に対しては、光凝固、冷凍凝固が有効な治療法である。光凝固、冷凍凝固の有効性は、四九年度研究班報告も認めている。

本症は[1]型、[2]型及び混合型があり、本症の九〇パーセントは[1]型であり、[1]型の八五パーセントくらいは自然治癒する。しかし、[1]型の一五パーセントは放置すれば失明し、これに対しては適期に光凝固、冷凍凝固を施行することにより失明を防止できる。

[2]型及び混合型は、自然治療はまずなく、光凝固、冷凍凝固を施行しなければ失明にいたる。[2]型については、光凝固、冷凍凝固を施行しても約三分の一は失明するが、他は、軽度ないし重度の瘢痕を残すものの、失明は免れる。

4  医師の注意義務

3に述べたところから、未熟児保育を担当する医師は本症を予防又は治療し、本症による失明を防止するため、以下の注意義務を負う。

(一) 全身管理義務

(1) 栄養管理義務

出生体重一〇〇〇グラム以下については四八時間で、同一五〇〇グラム以下については二四時間で授乳を開始し、さらに同一五〇〇グラム以下については、出生当日からルーチンに輸液を行う。

(2) 保温管理義務

未熟児が低体温にならないよう、環境温度を適温に保つ。

(3) 血糖値管理義務

血糖値を測定し、低血糖になっている場合にはブドウ糖静脈注射等の治療を行う。

(4) 黄疸管理義務

血清ビリルビン値を測定して核黄疸の発症の有無を確認し、核黄疸を起こしている場合は適切な治療をする。

(二) 酸素管理義務

3(二)(2)の指針に示された基準に従い酸素管理を行う。

(三) 眼底検査義務

3(二)(3)の四九年度研究班報告に示された基準に従い眼底検査を実施する。

(四) 光凝固、冷凍凝固実施義務

本症が発症した場合、適期に光凝固、冷凍凝固を実施する。

(五) 往診、転医義務

自院で眼底検査ないし光凝固、冷凍凝固が実施できない場合は、実施できる医師に適期に往診してもらう。又は、実施できる医師(病院)へ適期に転医させる。

5  呉病院担当医の注意義務違反

(一) 全身管理義務違反

(1) 栄養管理義務違反

呉病院において、原告誠子の診療を担当した医師(以下、「担当医」という。)は、授乳を早期に開始せず、輸液もルーチンに行わなかったため、八月二六日、三〇日には明らかに衰えやせた状態となり、生後二二日目の九月九日においても体重は一〇九〇グラムで、生下時体重に復帰していなかった。

(2) 保温管理義務違反

原告誠子の体温は、呉病院入院時三三・二度しかなく、同日午後三時三〇分三四・七度、八月二〇日午前三時三〇分三五・八度、午後六時三〇分三五・八度、同月二一日午前二時三〇分三五・五度と低体温状態が続き、同月二六日頃にも三五・八度の低体温がみられた。このような低体温状態は、保温管理が不十分であり、担当医が保温管理義務に違反していたことを示している。

(3) 血糖値管理義務違反

担当医は、血糖値の測定を一度も行わず、低血糖を対象とする治療も行わなかった。

(4) 黄疸管理義務違反

担当医は、血清ビリルビン値を測定しなかった。また、コートシロンZの投与を行っているが、右投与は現在はほとんど使われていない古い治療法であって適切な治療とはいえない。

(二) 酸素管理義務違反

担当医が、八月一九日から九月二二日まで三五日間は一分間〇・五ないし六リットルの、さらに一〇月七日から同月一九日まで一三日間は一分間一ないし五リットルの酸素を原告誠子の呼吸状態、全身状態にかかわりなく漫然と投与をし、九月四日には一時的に何時間か四四パーセントの高濃度の酸素投与をしたこと、及び動脈血酸素分圧の測定をしていないことは酸素管理義務に違反している。

少なくとも、八月二二日以降の酸素投与及び一〇月一二日以降の酸素投与は、原告誠子の呼吸状態、全身状態から酸素投与の必要がなかったといえるから、過剰投与であった。九月二二日に酸素投与を中止した後、一〇月六日くらいまで呼吸状態、全身状態が良好だったことも、それまでに酸素投与の必要がなかったことを示している。

(三) 眼底検査義務違反

担当医が、一二月五日に初めて原告誠子の眼底検査を行い、それまで眼底検査を実施しなかったことは、眼底検査義務に違反している。

(四) 光凝固、冷凍凝固実施義務違反

担当医は、適期に光凝固、冷凍凝固を実施しておらず、光凝固、冷凍凝固実施義務に違反している。

(五) 往診、転医義務違反

仮に、担当医が眼底検査ないし光凝固、冷凍凝固を実施できなかったのであれば、実施できる医師に適期に往診してもらわなかったこと、又は実施できる医師(病院)に適期に転医させなかったことは、往診、転医義務に違反している。

6  被告の責任

(一) 債務不履行

原告誠子が呉病院に入院するにあたり、原告らは、被告との間で、未熟児に対して必要とされる適切な管理、治療を行うことを内容とする医療契約を締結した。

しかるに、担当医の5の注意義務違反は右医療契約上の債務不履行に該当するから、被告は、原告らに対し、後記損害を賠償する責任を負う。

(二) 不法行為

担当医の5の注意義務違反は不法行為にも該当するから、民法七一五条又は国家賠償法一条により、被告は、原告らに対し、後記損害を賠償する責任を負う。

7  損害

(一) 原告誠子

(1) 逸失利益

原告誠子は、両眼失明により労働能力の一〇〇パーセントを喪失したものであるところ、同原告の就労可能年数は満一八才から六七才までの五〇年間とみるべきであるから、昭和五四年度全国全産業労働者の女子平均一人あたりの年間給与総額一七一万二三〇〇円を基礎として、これにホフマン係数一七・〇二四を乗じて逸失利益の現価額を算定すると二九一五万〇一九五円となる。

(2) 慰謝料

原告誠子は、本症による失明のため暗黒の世界で一生を送らざるを得ず、その精神的苦痛は筆舌に尽くし難く何をもっても償い得るものではないが、金銭をもって慰謝するとすれば二〇〇〇万円が相当である。

(3) 付添い看護費用

原告誠子は、両眼失明により通常人としての生活は望むべくもなく、生涯にわたり二四時間付添い看護を必要とするところ、昭和五六年における女子の平均寿命年数は七三年であるから同原告の現在の余命年数は約七〇年であり、一日あたり付添い看護費用は少なくとも六〇〇〇円は下らない。

よって、同原告の付添い看護費用は、失明の判明時である昭和五三年一二月から本訴提起までの三一か月分、及びその後の七〇年間分の現価額(ホフマン方式により中間利息を控除)の合計七〇六一万五五五四円となる。

六〇〇〇×三一×三〇+六〇〇〇×三六五×二九・六九六六=七〇六一万五五五四(但し二九・六九六六はホフマン係数)

(4) 請求額

(1)ないし(3)の合計額一億一九七六万五七四九円のうち六〇〇〇万円を本訴において請求する。

(5) 弁護士費用

原告誠子は、本件訴訟追行を同原告訴訟代理人に委任し、損害額の一割を弁護士費用として支払う旨契約し、右金額は六〇〇万円である。

(二) 原告英幸、同克恵

(1) 慰謝料

原告英幸、同克恵は、原告誠子が本症に罹患したことを知らされ、強い衝撃を受けた。原告英幸、同克恵は、未熟児として出生した原告誠子に本症等の後遺症が生じることをおそれ、わざわざ施設の完備している遠隔地の呉病院に原告誠子を入院させたのである。その呉病院で最もおそれていた本症に罹患するという結末に対し強く落胆している。原告英辛、同克恵は、原告誠子の失明が判明した以降も、上京して東洋医等の治療を受けさせたり、神社に治癒を祈願するなどありとあらゆる努力を行ってきた。また、現在は、教育上の配慮から、原告克恵が原告誠子とその姉妹を連れて広島市に居住し、原告英幸との別居生活を余儀なくされている。この愛児の失明により原告英幸、同克恵の受けた精神的苦痛は死亡にも比肩すべきものであり、これを慰謝するには少なくとも各自五〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

原告英幸、同克恵は、本件訴訟追行を同原告ら訴訟代理人に委任し、損害額の一割を弁護士費用として支払う旨契約し、右金額は各五〇万円である。

9  結論

よって、被告に対し、民法四一五条、同法七一五条又は国家賠償法一条に基づき、原告誠子は六六〇〇万円及び内六〇〇〇万円に対する昭和五三年一二月六日(本件失明が判明した日の翌日)から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による金員の支払、原告英幸、同克恵は各五五〇万円及び各内五〇〇万円に対する昭和五三年一二月六日から支払ずみまで同法所定の年五分の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  請求原因3(一)の事実は認める。ただし、酸素の作用のみで発生するものではない。

同(二)のうち、四九年度研究班報告に原告ら主張の記載があることは認め、その余の事実は否認する。

3  請求原因4は争う。

4  請求原因5は争う。

5  請求原因6(一)のうちの前段は認める。後段は争う。

同(二)は争う。

6  請求原因7は争う。

三  被告の主張

1  極小未熟児の保育

(一) 総論

一般に出生時体重が二五〇〇グラム以下の新生児を未熟児というが、医学界においては、これを低出生体重児と呼んでいる(ただし、WHOの勧告により昭和五四年からは二五〇〇グラム未満を低出生体重児と呼ぶことになった。)。さらにわが国の小児科領域では、原告誠子(出生時体重一一四〇グラム)のように、出生時体重一五〇〇グラム以下の新生児は医療上の困難を伴うことが多いことから極小未熟児と呼んでおり、また最近一〇〇〇グラム未満の児を超未熟児と呼んでいる。

未熟児、とりわけ極小未熟児は、その身体各部の機能が満期産児に比べ極端に未熟であり、自力で胎外生活をなしえないため、死亡率が高く、現在でも医療従事者の努力もむなしく出生後間もなく死亡する例が少なくない。幸いにして救命できて死を免れた場合にも、成熟児に比べて脳性麻痺、知能障害、その他後遺症を残す場合が多く、抗生物質、酸素、輸液、人工的換気による呼吸管理などを中心とする飛躍的に進歩した現在の医療技術をもってしても、すべての極小未熟児の後遺症なき救命はなしえないというのが実情である。極小未熟児であること自体が、新生児保育においては「極めて重篤な症状」であることがまず認識されなければならない。

(二) 酸素投与の必要性

極小未熟児は、呼吸器系器管の機能が未成熟であるため、ときに特発性呼吸窮迫や無呼吸発作などの呼吸障害を起こしがちであり、また、一般的に、大気中の酸素を体内に十分に取り入れることができない。そして、ひとたび酸素欠乏のため脳性麻痺等の障害が発生した場合には、事後にいかに酸素を補給しても脳の障害は復元しえない。加えて、酸素の欠乏による症状は体表、体内のいずれに早く生ずるかは具体的に明らかでなく、外観的に症状が認められない場合にも体内で酸素欠乏に陥っていることがあるから、チアノーゼ、呼吸障害等の外観的な症状の発生によってのみ酸素欠乏の有無を判断することはできない。

従って、極小未熟児は、一般的又は多くの場合に酸素投与の適応にあるわけであり、保育担当医師は、右の点を念頭におき、当該未熟児の在胎期間、体重の増減状況、呼吸循環状態、活動性その他の状態を考慮して酸素投与の要否、量、方法、期間等を決定し、また継続・漸減又は中止を決定することとなるのである。

(三) 原告誠子出生当時の極小未熟児保育に関する知見

(1) 酸素投与

原告誠子出生当時、産婦人科医、小児科医の間では、未熟児の動脈血酸素分圧を測定して、酸素分圧を適正値に維持するために、未熟児の動脈血を採血して酸素分圧をコントロールすることが困難であったことから、酸素投与の方法としては、保育器内の環境酸素濃度四〇パーセント以下にとどめることが一般的な術式として存在していた(ただし、呼吸停止やチアノーゼが強いときは四〇パーセントを超える高濃度の酸素、場合によっては一〇〇パーセントの酸素を与えてもよいとされていた)。そして、具体的には右濃度の範囲内で個々の症例の臨床所見から担当医師の判断で低減するなどして酸素投与していたというのが実態であり、具体的判断自体は、各担当医師の経験と知識を基礎とした裁量の範囲内とされていた。

右は、当時の産婦人科医、小児科医の間に、本症と酸素投与との関係について、次のような認識が一般化していたことによる。

(ア) 本症は、未熟児特有の疾患であり、本症の発生原因の一つとして酸素の過剰投与が挙げられているが、本症は四〇パーセント以上の酸素を長期間投与した未熟児に発生するものであり、酸素濃度を四〇パーセント以下に制限すれば本症の発生を防止することができる。

(イ) 一方、酸素投与をいたずらに制限することは、未熟児に低酸素症あるいは無酸素症を起こし、かかる症状からくる頭蓋内出血によって死亡もしくは脳性麻痺を招く恐れがあるので、未熟児の状態に応じて酸素の供給は積極的に行うべきである。特に、極小未熟児の場合、症状が不安定で突然呼吸障害に陥るなど変動がはげしく、右の危険が大きいので、チアノーゼや呼吸困難を示さなくとも生後一定期間ルーチンとして酸素の供給を行う。

(2) 体温保持

原告誠子出生当時、文献的には未熟児の体温は大体三六度位に保持するのが理想的であるとされていた。しかし、体重が少なく未熟性が強い場合にはなかなか理想の状態に保持できないというのが通常の保育の実態であった。保育器内温度を挙げることによって対応していたがそれにも自ら限界があって、余り器内温度を高くすると今度は水分との関係で問題を生ずる(脱水状態を招く)ため、現在のような高温環境下の保育は推奨されていなかった。つまり、体温をあげるための積極的方法は一般化していなかったのである。むしろ生後暫らくの間の低体温傾向は、未熟児の一般的症状として捉えられていた。

(3) 栄養

原告誠子出生当時、未熟児に対する授乳開始を急ぎ過ぎたり、食餌の増量をあせったりすることは嘔吐を誘発し、吐物の吸引が窒息や吸引性肺炎の原因となることが多いから、厳に慎むべきであるとされていた。そして、文献上、飢餓日数と授乳開始後の食餌の増量を表によって示されていたが、これはあくまで目安であり、児の臨床所見によって変更することはなんら差し支えなく、むしろ医師の判断で児の状態に即応して決めるべきこととされていた。

2  本症

(一) 原因及び酸素投与との因果関係

本症による視力の障害は、未熟児が宿命的に抱えて生れてくる全身的な未熟性のひとつの局面であり、無制限な酸素投与の行われていない今日における本症の発生を、酸素投与によって生じた医原性疾患であると単純に考えることは許されない。呼吸障害のある未熟児の生命維持や低酸素による脳障害防止に不可欠な酸素療法が、他方において本症の発生の引金となりうるともいわれているが、動脈血酸素分圧を正常値に保持しても本症の発生は不可避であり、また最近では酸素の投与をしない場合でも発症することが一般に認められてきている。そこから、本症の基本的な原因は、網膜の未熟性そのものに求められる、という見方が支配的である。

(二) 予防

高水準管理の行われている現在においても、本症の発生は不可避とされ、本症の予防法は確立していない。酸素投与に限っても、日本小児科学会新生児委員会作成「未熟児に対する酸素療法の指針」(昭和五二年八月三一日、同学会に答申)は、患児の動脈血酸素分圧を測定しても、どの値までが安全であるか正確にはわかっていないと述べ、このことは現在でも同じである。本症特に本症による失明防止には、極小未熟児の出生を予防することが急務であるといわれている。

(三) 治療

(1) 本症は、一旦発生しても全てが網膜剥離に至るわけではなく、その七〇ないし八五パーセントは自然治癒することが臨床的に明らかにされており、特に[1]型のほとんど大部分は自然治癒するといわれている。自然治癒しないものについては、現在においても、有効性、安全性の確認された治療法は確立していない。

(2) 眼底検査

眼底検査は、それ自体は本症の経過観察の意義しかなく、同症の予防法ないし治療法が確立して始めて、予防法ないし治療法の意義を有するものである。しかし、現在、本症の予防法ないし治療法は確立していないから、眼底検査は予防法ないし治療法の意義を有しない。

(3) 光凝固(冷凍凝固)

近時、本症に対する治療として光凝固が試みられるが(冷凍凝固は光凝固をしても効果のない場合に試みられる程度)、光凝固も、以下の理由から有効性、安全性が確認されているとはいえない。

(ア) 本症のように自然治癒率の高い疾患の治療法については、コントロール・スタディを経ていなければ有効性が確認されたとはいえないところ、光凝固はコントロール・スタディがされていない。

(イ) 光凝固が有効だったとした報告のほとんどは[1]型に関する事例であり、光凝固を実施しなくても自然治癒した可能性がある。

(ウ) [2]型、混合型に対しては、ほとんど効を奏しない。

(エ) 動物実験が一つも行われずに、人間に対して直接行われた。

(オ) 副作用ないし障害の点についての吟味が十分なされていない。即ち、本症が自然治癒した場合に残る瘢痕に比して、光凝固による瘢痕はより強く現れるのであり、未熟児の未熟な網膜上にこのような光凝固によく瘢痕を生じさせることによって、後に何らかの合併症が惹起されるのではないかというおそれがある。

また、本症による視覚障害児を調査したところ、昭和四九年における本症による視覚障害児の約五〇パーセントが光凝固を受けており、昭和五三年では全例が光凝固を受けている、という報告もある。

3  ウィルソン・ミキティ症候群

ウィルソン・ミキティ症候群は、在胎三二週以下、通常出生時体重一五〇〇グラム以下の未熟児で、生後一か月の間に徐々に出現する呼吸困難、多呼吸、陥没呼吸及びチアノーゼによって特徴づけられている未熟児の一つの肺症候群である。原告誠子は、後記のとおり同症候群に罹患していた。

4  呉病院担当医の注意義務違反について

(一) 原告誠子の臨床経過等

(1) 原告誠子は、八月一八日、竹本医院において、生下時体重一一四〇グラム、在胎二九週、重症仮死にて出生し、全身チアノーゼを呈していた。八月一九日、呉病院に入院し、保育器に収容。無呼吸発作が頻回に出現し、口周囲及び全身チアノーゼ、呻吟、気管内分泌物貯留があり全身状態不良のため保育器内酸素濃度三一ないし三二パーセント(酸素流量 毎分三ないし五リットル)乾球温度三四度、湿度七〇パーセントとした。しかし、この状態では症状の改善は認められなかった。

(2) 八月二〇日は保育器内酸素濃度三四ないし三八パーセント(酸素流量 毎分四・五ないし六リットル)とするも体動少く、頻回の無呼吸発作は持続し、頻回に気管内分泌物を吸引する状態であった。五パーセントブドウ糖注入開始する。八月二一日も前日と同様であり、酸素濃度三四ないし三九パーセント(酸素流量 毎分三・五ないし四リットル)で経鼻的にミルク(一七パーセント・プレミルク)注入するも一時体色不良となり注入中止することもあった。八月二二日は、不規則呼吸に加えて、時々、無呼吸発作が出現する程度に改善された。酸素濃度三五パーセント(酸素流量 毎分四リットル)。八月二三日ないし二五日は、前日と同様の症状で特に異常は認められなかったので、八月二五日より保育器内酸素濃度三〇パーセントにする様に指示した。酸素濃度三〇ないし三九パーセント(酸素流量 毎分三ないし四リットル)。八月二六日は体重八一〇グラムに減少したが前日と同様の症状でミルク注入しても変化はなかった。酸素濃度三〇ないし三三パーセント(酸素流量 毎分二・五ないし三リットル)。八月二七日ないし九月三日はミルクの注入を増量しても持続している不規則呼吸と時々の無呼吸発作以外特別な変化はなかった。九月四日は午前〇時三〇分保育器内酸素濃度二六パーセントのため酸素流量毎分五リットルに変更したが酸素濃度は上昇せず、毎分五・五リットルとする。更に午前八時三〇分の酸素濃度は依然として二六パーセントのため毎分六リットルとした。午後二時三〇分四四パーセントに上昇したため毎分三・五リットルに変更して、午後四時三〇分三四パーセントのため毎分三リットルにした。この間、無呼吸発作はない。酸素濃度二六ないし四四パーセント(酸素流量 毎分三ないし六リットル)。九月五日ないし八日は不規則な呼吸に加えて、時々、陥没呼吸が見られた。酸素濃度二七ないし三三パーセント(酸素流量 毎分二・五ないし三・五リットル)。九月九日ないし一一日は陥没呼吸や無呼吸発作はない。酸素濃度二六ないし三六パーセント(酸素流量 毎分二・五ないし四リットル)。九月一二日は前日と同様で特別な症状の変化をみなかったので酸素濃度を二五パーセントに変更した。九月一三日ないし二一日まではミルクの注入時に軽度の陥没呼吸、頻脈(一過性)及び無呼吸が時々出現したが著変なく経過した。酸素濃度二三ないし二七パーセント(酸素流量 毎分〇・五ないし一リットル)。九月二二日には臨床症状に著変がないため酸素を中止した(これまでの保育器内温度は三四度、湿度七〇パーセントであった。)。

(3) 九月二四日には保育器内乾球温度を三四度から三三度に変更、九月二五日には眼科的受診を考慮した。しかし、同夜の午後九時より時々、軽度の陥没呼吸、軽度の腹満の出現あるも著変なく経過した。九月三〇日より観察時に、常に呼吸の不整、軽度の陥没呼吸が見られる様になった。なお、ミルクを注入しても症状の悪化は見られなかったので一〇月五日に保育器内乾球温度を三二度にした。

(4) 一〇月七日に陥没呼吸の改善傾向が見られないので胸部レ線検査をしたところ、左上肺野に索状陰影を認め、ウィルソン・ミキティ症候群も疑われるので酸素の再投与を行った。一〇月七日ないし一七日は体重一九五〇グラムないし二三五〇グラムで不規則呼吸、軽度の陥没呼吸が常にあり、時々軽度の腹部膨満や鼻汁が見られたが、特に症状の悪化する徴候は見られなかった。酸素濃度二七ないし三六パーセント(酸素流量 毎分二・五ないし三リットル)。一〇月一八日は酸素濃度二四ないし三四パーセント(酸素流量 毎分三ないし四リットル)にて症状が不変のため、二五パーセントに下げた。一〇月一九日は酸素濃度二八ないし三一パーセント(酸素流量 毎分一・五ないし三リットル)にて異常なく、体重二四四〇グラムでミルクの量、一日四〇〇ミリリットルで注入にて症状不変のため酸素を漸減して、午後三時三〇分、一三日間で酸素を中止した。

(5) 一〇月二〇日ないし二六日は不規則呼吸と軽い陥没呼吸が持続、これに加えて気管内分泌物の排泄が著明で頻回の吸引が必要であったが漸次軽快した。一〇月二五日に保育器乾球温度三一度に変更した。一〇月二七日は体重二七〇〇グラムで陥没呼吸が消失せず、鼻汁多量のため、再度胸部レ線検査を行い、両上肺野に泡状陰影を認め、ウィルソン・ミキティ症候群と診断し抗生剤とステロイドホルモンを投与して治療を開始した。一〇月二八日ないし三一日は、前日と同様の症状を呈していた。一一月一日ないし五日は陥没呼吸や不規則呼吸の改善の傾向が見られた。一一月六日ないし一二日は外見上殆んど異常は見られず、時々軽度の陥没呼吸が見られる程度になった。一一月一三日に胸部レ線検査を行い、肺全体の気腫状、左上肺野の肺炎像を認め、このため外見では症状は少いが、時々の陥没呼吸がこれに基因すると考え、全治していないと判断した。以後、臨床的には、時々の陥没呼吸、不規則な呼吸はあるものの、ミルクを注入しても格変なく全身状態も良好(体重二、八八〇グラム、ミルク哺乳量一三パーセント、SMA六〇×八四八〇ミリリットル)のため、一一月二一日にコットへ、更に一一月二五日に一般病室へ母子同室として移した。

(6) 一二月五日には当院眼科外来を受診して帰室直後より咳、呼吸数増加あり、一二月六日は不規則呼吸、著明な陥没呼吸及び鼻翼呼吸が出現し、胸部レ線にて肺炎を認めたため、抗生剤、ヂキタリス及びステロイドホルモン等の非経口的投与と共に、酸素ボックスにて酸素三〇ないし三三パーセントを一二月九日まで投与し、一二月一三日に全治した。

(二) 全身管理義務違反について

(1) 本症の予防法は確立していないから、原告誠子の担当医に、本症予防のための全身管理義務は発生しない。

(2) 仮に、本症予防のための全身管理義務を負うとしても、担当医は、原告誠子出生当時の知見に副い、原告誠子の症状に適応した処置をしており、全身管理義務違反はない。

(三) 酸素管理義務違反について

(1) 本症の予防法は確立していないから、原告誠子の担当医に、本症予防のための酸素管理義務は発生しない。

(2) 仮に、本症予防のための酸素管理義務を負うとして、第一回目の酸素投与(八月一九日から九月二二日まで)については、原告誠子は出生時体重一一四〇グラムの極小未熟児であり、在胎期間も二九週と短期間であるから、一般に酸素投与が必要であり、かつ酸素投与中も不規則呼吸、無呼吸、陥没呼吸が認められたから九月二二日まで酸素投与を継続したものであり、第二回目の酸素投与(一〇月七日から一〇月一九日まで)については、ウィルソン・ミキティ症候群のために酸素投与したものであり、いずれも酸素投与の必要があったといえ、酸素投与の方法も原告誠子出生当時の知見に副った適切なものであるから、担当医に酸素管理義務違反はない。

(四) 眼底検査義務違反について

(1) 本症の予防法、治療法は確立していないから、原告誠子の担当医に、未熟児網膜症予防、治療のための眼底検査義務は発生しない。

(2) 仮に、一般には眼底検査義務を負うとしても、本件では、次の理由から一二月五日まで原告誠子に対し眼底検査を実施することは不可能だった。

(ア) 濃度三〇パーセントの酸素を投与し、フードを用いて保温に努めていた九月一一日までの間、及びウィルソン・ミキティ症候群の発症が疑われた一〇月七日以降はもちろん、酸素濃度を下げ、あるいは酸素投与を中止していた九月一二日から一〇月六日までの間についても、原告誠子の体重が漸く出生時体重に復帰して増加し始めようとしていた重要な時間であり、保温時の全身管理の必要上、短時間でも保育器の外に出すことは不可能だった。この間、外見上全身状態良好とみえる日もあるが、九月一二日頃にはウィルソン・ミキティ症候群に罹患していたとみられること、陥没呼吸が継続し、腹部膨満等の症状がみられたことからむしろ全身状態悪化せずともいうべきものであった。

(イ) 従って、原告誠子に対し眼底検査を行うとすると、酸素濃度を下げ、あるいは酸素投与を中止していた時期に未熟児室の保育器内でしか行い得なかったが、当時の呉病院眼科は、眼科医一名で一日平均外来患者八四名、入院患者二〇名を担当するという体制であり、しかも右医師は、副院長を兼ね、繁忙を極めていたことから、右医師が、原告誠子の全身状態の良い時期を見計らって、小児科病棟内の未熟児室を訪れ、眼底検査を実施することは容易になし得ない状況にあった。このため、担当医も、九月二三日いったんは原告誠子の眼科受診を予定しながら、一〇月二日にウィルソン・ミキティ症候群の発症が疑われる状況になるなど全身管理を強める必要が生じたことから、結局これを中止するに至った。

(五) 光凝固、冷凍凝固実施義務違反について

(1) 光凝固、冷凍凝固は、本症の治療法としての有効性、安全性が確認されていないから、原告誠子の担当医に、本症治療のための光凝固、冷凍凝固実施義務は発生しない。

(2) 仮に、一般には光凝固、冷凍凝固実施義務を負うとしても、本件では、以下のとおり光凝固、冷凍凝固を実施するのが不可能だった。又は光凝固、冷凍凝固を実施しても本症による失明は防げなかった。

(ア) 原告誠子出生当時、呉病院には光凝固、冷凍凝固のいずれの装置もなく、呉病院眼科医は光凝固、冷凍凝固の治療技術を有していなかったから、呉病院で光凝固、冷凍凝固を実施することはできなかった。なお、当時、広島県下では、本症の治療は広島大学付属病院、広島県立広島病院といった限られた先進的医療機関が実施していたにとどまり、一般病院にすぎない呉病院で光凝固、冷凍凝固を実施できなかったことは非難に値しない。

(イ) 光凝固は、その手技上保育器外で行うことを要し、所要時間は片眼で約三〇分ないし一時間である。原告誠子は保温等が極めて重要な状態にあり、かつウィルソン・ミキティ症候群に罹患していたから、これだけの時間保育器外に出した場合、体温が急速に低下する等(未熟児室と保育器内とは一〇度近い温度差があった。)悪影響が生じることは必至であり、原告誠子に光凝固を実施することは不可能であった。また、光凝固実施には全身麻酔又は局所麻酔をする必要があるところ、原告誠子には呼吸障害があるから全身麻酔は危険であり、局所麻酔の場合体動を抑えるため頭部及び四肢を固定する等の圧迫を加えることとなり、その影響も無視し難い。冷凍凝固は、保育器内で実施できないわけではないが、極めて不十分な治療しか行えず、かつ麻酔について光凝固と同一の問題がある。光凝固に比して、手術侵襲が大きいことも無視し難い。

(ウ) 出生時体重、在胎期間、出生から失明に至るまでの期間から考え、原告誠子は、本症の[2]型に罹患した可能性が高く、光凝固、冷凍凝固を実施しても無効であったと考えられる。

(六) 往診、転医義務違反について

仮に、一般には眼底検査ないし光凝固、冷凍凝固を実施できる医師に往診してもらう義務、又は実施できる医師(病院)へ転医させる義務があるとしても、本件では、次の理由からいずれも不可能であった。

(1) 呉病院ではそれまで外部医師を招いて眼底検査を行った事例がなかった上、当時広島県下で本症の治療を行っていた広島大学付属病院、広島県立広島病院では、眼底検査ないし光凝固、冷凍凝固を実施できる能力を持っていたが、他院へ往診できる医師を、速やかに確保できる状況ではなかった。そして、実際右医療機関では国公立病院への往診は行っていなかった。

(2) 原告誠子の容態からして、原告誠子を転医させるにはレスピレーターのある搬送用保育器を用いることが必要であり、レスピレーターのある搬送用保育器がなければ転医は不可能であったところ、当時呉病院を含め県下の医療機関はレスピレーターのある搬送用保育器を保有していなかった。

第三  証拠<省略>

理由

一  請求原因1の事実(当事者)及び同2の事実(呉病院での原告誠子の失明)については当事者間に争いがない。

二  呉病院における診察体制と診療経過等

右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  診療体制

(一)  原告誠子が呉病院に入院した当時、同病院の小児科は主治医制をとっておらず、荒光義美(医長)、苗村政子、平木洋子、中村通良の各医師が外来と病棟の診療を曜日により交替で担当し、外来の休診日である木曜日に、病棟の患者について、荒光医長を先頭とする右四名の医師による総回診がなされ、同医長の指導の下に、各患者の病状等についての協議、検討がなされていた。

(二)  呉病院の眼科は、副医長を兼ねている眼科医一名が、多くの入院外来患者の診察を担当していた。そして、小児科に入院中の患者について眼科医の診療が必要となった場合、右眼科医が小児科病棟へ往診するといった体制はとられておらず、一般の外来患者と同様な手続を経て診察を受けなければならなかった。

2  診療経過

(一)  八月一九日午後一時三〇分、原告誠子は、呉病院小児科に入院した。

入院時、体色は赤銅色、口周囲に軽度のチアノーゼ、体動少なく、四肢に軽度の浮腫を認めた。呼吸音浅表、弱声にて啼泣、頻回の無呼吸あり。心拍数一〇二回で徐脈。体重一〇六〇グラム、体温三三・二度で、全身冷感あり。担当医は、原告誠子を[5]五五型アトム保育器に収容し、温度三四度、湿度七〇パーセントに設定、フードを使用する。酸素濃度を三〇パーセントとして、流量毎分五リットルにて酸素投与を開始した。なお、大気中の酸素濃度は二一パーセントである。

(二)  八月一九日(生後二日目)

頻回に無呼吸、刺激により回復する。呻吟様に弱く啼泣。チアノーゼあり、体色赤銅色。体温三三・二ないし三五・九度。分泌物少量吸引。全身浮腫ぎみ、四肢冷感あり。酸素濃度三一ないし三二パーセント(流量毎分五ないし六リットル)。保育器内温度三四度。

(三)  八月二〇日(生後三日目)

呼吸不規則、無呼吸あり。チアノーゼあり。啼泣、体動弱い。体色赤銅色。体温三五・五ないし三五・八度。分泌物多量吸引。硬化性浮腫あり。酸素濃度二五ないし三八パーセント(流量毎分五ないし六リットル)。午後三時三〇分より五パーセント・ブドウ糖液二ミリリットル注入開始(一日三回)。コートシロンZ〇・一ミリグラム筋肉注射施行。保育器内温度三四ないし三四・五度。

(四)  八月二一日(生後四日目)

呼吸不規則、無呼吸あり。チアノーゼあり。啼泣、体動時折あり。全身色不良、黄染あり。体温三五・五ないし三六・三度。全身硬化性浮腫あり。酸素濃度三四ないし三九パーセント(流量毎分三・五ないし五リットル)。ブドウ糖液二ミリリットル注入(四回)、午後三時三〇分より一七パーセント・プレミルク二ミリリットル注入開始(三回)。コートシロンZ〇・一ミリグラム筋肉注射施行。保育器内温度三四ないし三五度。

(五)  八月二二日(生後五日目)

呼吸不規則、時折無呼吸あり。チアノーゼなし。全身色不良、黄疸あり。体温三五・八ないし三六度。硬化性浮腫あり。酸素濃度三五パーセント(流量毎分四リットル)。一七パーセント、プレミルク二ないし三ミリリットル注入(八回)。コートシロンZ〇・一ミリグラム筋肉注射施行。保育器内温度三四度。

(六)  八月二三日、二四日(生後六、七日目)

呼吸不規則、時折無呼吸あり。黄疸あり。体温三五・九ないし三六・三度。軽度下肢浮腫あり。酸素濃度三四ないし三九パーセント(流量毎分三・五ないし四リットル)。一七パーセント・プレミルク三ないし六ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三四度。

(七)  八月二五日(生後八日目)

呼吸不規則、無呼吸なし。体動ややあり。体色不良。体温三五・七ないし三六度。下肢浮腫あり。午前九時三〇分酸素濃度三〇パーセントとする。酸素濃度三二ないし三五パーセント(流量毎分三ないし四リットル)。一七パーセント・プレミルク六ないし七ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三四ないし三四・五度。

(八)  八月二六日ないし三〇日(生後九ないし一三日目)

呼吸不規則、時折無呼吸あるも日増しに回数減る。三〇日に陥没呼吸あり。時折啼泣、体動あり。体色不良、下肢冷感あり。体重八一〇グラム(二六日)。二六日、三〇日にるいそう著明。体温三五・四ないし三六・六度。黄疸、下肢浮腫改善。酸素濃度三〇ないし三三パーセント(流量毎分二・五ないし三リットル)。一七パーセント・プレミルク七ないし一四ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三三ないし三四度。

(九)  八月三一日ないし九月三日(生後一四ないし一七日目)

呼吸不規則、無呼吸はほとんど出なくなる。時折啼泣、体動あり。体色赤銅色。体重九一五グラム(九月二日)。体温三五・八ないし三六・六度。酸素濃度二四ないし三一パーセント(流量毎分二・五ないし五リットル)。一七パーセント・プレミルク一五ないし一九ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三四度。チアノーゼなし(一日)。心肺特記すべき所見なし。

(一〇)  九月四日ないし八日(生後一八ないし二二日目)

呼吸やや不規則、時折陥没呼吸あり。無呼吸なし。体動良好。体色赤銅色。体重九六五(四日)ないし九八〇(五日)グラム。体温三五・八ないし三七度。酸素濃度二六ないし四四パーセント(流量毎分二・五ないし六リットル。九月四日午前八時三〇分毎分五・五リットルにて濃度二六パーセントのため毎分六リットルにしたところ午後二時三〇分濃度四四パーセントのため毎分三・五リットルに調節)。一七パーセント・プレミルク一九ないし二三ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三四度。

(一一)  九月九日ないし一一日(生後二三ないし二五日目)

呼吸不規則、陥没呼吸、無呼吸なし。一一日に呼吸促進(六八回)あり。体動良好。体色赤銅色。体重一〇七〇グラム(九日)。体温三六・二ないし三七・三度。酸素濃度二六ないし三六パーセント(流量毎分二・五ないし四リットル)。一七パーセント・プレミルク二三ないし二五ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三四度。

(一二)  九月一二日ないし一八日(生後二六ないし三二日目)

九月一二日午前九時三〇分酸素濃度を二五パーセントに変更し、フードを除去。呼吸不規則継続、時折呼吸速拍、陥没呼吸、数秒の無呼吸。体動少なし。体色まだら状。体重一二四〇(一六日)ないし一二八〇(一八日)グラム。体温三六・三ないし三七・四度。濃度変更前酸素濃度二九ないし三〇パーセント(流量毎分二・五リットル)。濃度変更後酸素濃度二三ないし二七パーセント(流量毎分〇・五ないし一・五リットル)。一七パーセント・プレミルク二五ないし二八ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三三・五ないし三四度。

(一三)  九月一九日ないし二一日(生後三三ないし三五日目)

時折不規則呼吸あるが比較的呼吸安静。体色まずまず。体重一三〇五(一九日)ないし一三四〇(二〇日)グラム。体温三六・五ないし三七・三度。酸素濃度二二ないし二七パーセント(流量毎分〇・五ないし一リットル)。一七パーセント・プレミルク二八ないし三二ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三四度。

(一四)  九月二二日(生後三六日目)

呼吸やや不規則。午前九時三〇分酸素中止。酸素中止してもチアノーゼなし。体重一四〇〇グラム。体温三六・五ないし三七・三度。中止前酸素濃度二四ないし二五パーセント(流量毎分一リットル)。一七パーセント・プレミルク三二ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三四度。

(一五)  九月二三日ないし二九日(生後三七ないし四三日目)

時折不規則呼吸あるも呼吸比較的安静。体動良好。体色すぐれぬ日あり。体重一四五〇(二三日)ないし一五九五(二九日)グラム。体温三六・四ないし三七・四度。軽度腹満示す日あり。一七パーセント・プレミルク三二ないし三七ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三二・五ないし三四度(二四日に三三度に変更)。

担当医は、二五日に眼科受診を考え、その旨の指示をした。

(一六)  九月三〇日ないし一〇月六日(生後四四ないし五〇日目)

呼吸不規則、時折陥没呼吸あり。体動良好。体色不良。全身状態良好。体重一六三〇(九月三〇日)ないし一九一〇(一〇月六日)グラム。体温三六・四ないし三七・四度。一七パーセント・プレミルク三七ないし四二ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三二ないし三三度(一〇月五日に三二度に変更)。

(一七)  一〇月七日(生後五一日目)

呼吸不規則、時折軽度陥没呼吸あり。胸部レ線撮影したところ左上肺野に索状陰影を認める。担当医は、ウィルソン・ミキティ症候群を疑う。午後二時より濃度三〇パーセントにて酸素投与再開。眼科で受診させることを中止しその旨を指示。体重一九五〇グラム。体温三六・二ないし三七度。酸素濃度二六パーセント(流量毎分三ないし四リットル)。一七パーセント・プレミルク四二ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三二度。

(一八)  一〇月八日ないし一九日(生後五二ないし六三日目)

呼吸は不規則が多いが安静な時もあり。時折軽度陥没呼吸あり。体動、体色おおむね良好。全身状態良好。体重一九九〇(八日)ないし二四四〇(一九日)グラム。体温三六・一ないし三八度。酸素濃度二六ないし四〇パーセント(流量毎分一・五ないし五リットル)。一七パーセント・プレミルク四二ないし五〇ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三二ないし三三度。

一九日午前〇時三〇分酸素濃度を二五パーセントに変更。同日午後三時三〇分酸素中止。

(一九)  一〇月二〇日ないし二五日(生後六四ないし六九日目)

呼吸安静だが時折不規則呼吸、陥没呼吸あり。体動良好。体色おおむね良好。全身状態良好。体重二四八五(二〇日)ないし二六二〇(二五日)グラム。体温三六・六ないし三七・一度。分泌物多量あり。一七パーセント・プレミルク五〇ミリリットル、一三パーセントSMAミルク五〇ないし五三ミリリットル注入(二一日から二三日にかけて順次変更。一日八回)。保育器内温度三一ないし三二度(二四日に三一度に変更)。

(二〇)  一〇月二六日ないし二八日(生後七〇ないし七二日目)

呼吸比較的安静だが時折不規則呼吸、陥没呼吸あり。

二六日、肺野の感染を疑い、シンクルドライシロップ一二〇ミリグラム、プロクターゼ一カプセル、ビソルボン一錠、分三投与。

二七日、胸部レ線撮影し、両上肺野に粗大網状陰影と小結節粒状影を認め、肺野全体はスリガラス様で下野は気腫状と認める。ウィルソン・ミキティ症候群と診断する。デカドロンエレキシル三ミリリットル分三投与(以後、二六日の処方と併せ、一一月六日まで同一処方)。

体重二六四〇(二六日)ないし二七二〇(二八日)グラム。体温三六・四ないし三八・九度。分泌物あり。一三パーセントSMAミルク五二ないし五四ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三一ないし三一・五度。

(二一)  一〇月二九日ないし一一月九日(生後七三ないし八四日目)

時折軽度陥没呼吸あるが、呼吸安静。啼泣、体動良好。体色まだら状の日多い。体重二七一〇(一〇月三一日)ないし二八二五(一一月九日)グラム。体温三六・三ないし三七・八度。軽度腹満あり。一三パーセントSMAミルク五四ないし六〇ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三〇・五ないし三二度。

一一月七日、シンクルドライシロップ一二〇ミリグラム(分三)をパセトシンドライシロップ一〇〇ミリグラム(分三)に変更(その余の処方はそのままで、一一月二〇日まで同一処方)。

(二二)  一一月一〇日(生後八五日目)

呼吸安静、時折軽度陥没呼吸。

胸部レ線撮影し、左上肺野に索状影を認め、肺野全体は気腫状と認める。

体温三六・四ないし三七・四度。一三パーセントSMAミルク六〇ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三一度。

(二三)  一一月一一日ないし二〇日(生後八六ないし九三日目)

時折不規則呼吸あるが、呼吸安静。啼泣、体動良好。体色おおむね良好。一三日に胸部レ線撮影し、一〇日と同一所見。体重二八五〇(一一日)ないし二九八〇(二〇日)グラム。体温三六・四ないし三七・三度。一五日まで軽度腹満あり。一三パーセントSMAミルク六〇ないし六五ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三〇・五ないし三二度。

(二四)  一一月二一日(生後九六日目)

午前九時三〇分、コットへ移す。直接哺乳開始。呼吸安静。哺乳力良好。啼泣、体動良好。体色まずまず。体重二九八〇グラム。体温三六・八ないし三七度。一三パーセントSMAミルク六五ミリリットル注入(一日八回)。保育器内温度三一度(午前〇時三〇分)。

デカドロンエレキシル二・〇ミリリットル、プロクターゼ一カプセル・ビソルボン一錠、分三投与(二七日まで同一処方)。

(二五)  一一月二二日ないし一二月四日(生後九七ないし一〇九日目)

呼吸安静。哺乳力良好。

一一月二五日、未熟児室より一般病室へ転室。母親の付添い保育開始。

一一月二八日よりデカドロンエレキシル二・〇ミリリットル分三投与。一二月一日より同一・〇ミリリットル一日一回投与。

体重三〇二二(一一月二三日)ないし三三三〇(一二月二日)グラム。体温三五・九ないし三七・七度。一三パーセントSMAミルク六五ないし一一〇ミリリットル哺乳(一日八回。一二月四日は七回)。

一二月一日、眼科、耳鼻科受診指示。一二月四日、耳鼻科受診。

(二六)  一二月五日(生後一一〇日目)

原告克恵が原告誠子を眼科外来に連れていって受診。両眼とも強度の本症と診断。

(二七)  一二月一五日(生後一二〇日目)呉市内の木村眼科病院木村亘医師(以下「木村医師」という)に受診。両眼本症五期、現時点での冷凍凝固、光凝固手術の適応ない旨の診断。

一二月二一日に呉病院小児科を退院し、奈良県天理市天理よろず相談病院に入院した。同病院永田誠医師は、本症瘢痕期四度で眼科的治療の可能性はない旨の診断。

三  本症

四九年度研究班報告に原告ら主張の記載があることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  本症は、未熟児(生下時体重二五〇〇グラム以下の新生児)、特に生下時体重一五〇〇グラム以下、在胎週数三二週以下の極小未熟児に多く発生するもので、未熟な網膜を基盤として、その発達途上の網膜血管に起こる非炎症の血管病変であり、最悪の場合は網膜剥離により失明に至る疾患である。

2  原因

本症の原因・発生機序は、現在においても完全には解明されていないが、酸素投与が重要な因子であることは一般に認められている。

そして、昭和三九年以降、植村恭夫医師により本症と酸素投与との関係を管理するための定期的眼底検査の実施の必要性を強調する論文が発表されたのを契機として、他の医師によっても酸素投与のあり方についての論文が逐次発表されるようになった。

3  治療等

(一)  薬物療法、逆酸素療法

本症に対する当初の治療方法として、ビタミンEあるいは副腎ホルモン等の薬物療法が研究されているが、いまだ有効性が確認されておらず、後者については大きな副作用による影響もあって否定的な見解が示されている。また、酸素療法の一環として逆酸素療法が昭和四二年ころから実施されたが、その有効性は確認されるに至らなかった。

(二)  光凝固、冷凍凝固

(1) 光凝固は、増殖病巣の周辺網膜を光によって凝固することにより、脈絡膜との間に癒着を生じさせ、網膜剥離を防止しようとする治療法で、昭和四二年に永田誠医師が実施して有効であった旨報告して以来、有効とする追試報告が続き、昭和四五年には山下由紀子医師が、光凝固に代えて、冷凍装置によって網膜を凝固する方法で治療が成功した旨の報告をし、以後、これらの両凝固方法(以下、単に、「光凝固」のみで表示することもある)が本症に対する有効な治療方法として評価されるようになった。

(2) そして、多くの研究者によって追試が行われるようになったが、各医師により凝固の時期、部位等が異なり、更には自然治癒をする症例や光凝固による治療が有効でない症例も報告され、光凝固の乱用をいましめる声も上るようになった。

(3) かくして、本症は社会的な問題にもなり、昭和四九年の通常国会において、本症の予防及び治療体制に関する質問がなされ、政府は、「昭和四七年度までに行われた本症に関する調査研究の結果、効果のある治療方法として光凝固法が有効であるとの新しい知見が得られた。」、「未熟児の眼底検査については、その必要性が認められているが、検査方法及び検査の間隔について現在なお研究段階にある。」、「眼底検査及び本症の治療に当っては、産科医、小児科医が積極的に眼科医の協力を得るとともに、医療機関相互間で連携をとるよう指導してまいりたい。」等の答弁をした。

(4) 昭和四九年に、厚生省による、植村恭夫を主任研究者とし、本症の主だった眼科研究者、新生児医療の研究に卓越した小児科、産科の研究者、視覚障害児の実態と指導の開発の権威者といった者一二名をもってする研究班が組織され、本症の診断及び治療基準に関する研究がなされた結果、当時における本症の診断及び治療基準が報告提出された。右報告内容は次のとおりである。

(ア) 活動期の診断基準及び臨床経過分類について

臨床経過、予後の点より、本症を[1]型、[2]型に大別する。

[1]型は、主として、耳側周辺に、増殖性変化をおこし、検眼鏡的に血管新生、境界線形成、硝子体内に滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離と段階的に進行する比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型のものである。

1期(血管新生期)においては、周辺ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それより周辺部は無血管帯領域で蒼白にみえる。後極部には変化はないか、軽度の迂曲怒張を認める。

2期(境界線形成期)には、周辺ことに耳側周辺部に血管新生領域とそれより周辺の無血管帯領域の境界部に境界線が明瞭に認められる。後極部には、血管の迂曲怒張を認める。

3期(硝子体内滲出と増殖期)においては、硝子体内へ滲出と血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも、血管の迂曲怒張を認める。硝子体出血を認めることもある。(3期は、前期、中期、後期に分ける意見があり、それによると、前期は、極く僅かな硝子体内への滲出、発芽を検眼鏡的に認めた時期であり、中期とは、明らかな硝子体への滲出、増殖性変化を認めた時期をいい、後期とは、滲出性限局性剥離の時期とするものである。また一方、この時期は、かなり長い期間で一部には活動性を示す部位と、一部ではすでに瘢痕化をおこしている部位が混在しているのがみられ、3期の後期と次の4期の初期との区別が難しいなどの意見もある)。

4期(網膜剥離期)は、明らかな牽引性網膜剥離の認められるもので、耳側の限局性剥離から全周剥離までが含まれる。

[2]型は、主として極小低出生体重児に発症し、未熟性の強い眼におこり、初発症状は、血管新生が後極よりにおこり、耳側のみならず鼻側にもみられることがあり、無血管領域は広くその領域はヘィジイメディアでかくされていることが多い。後極部の血管の迂曲怒張も著明となり滲出性変化も強くおこり[1]型の如き段階的経過をとることも少なく比較的急速に網膜剥離にと進む。自然治癒傾向の少ない予後不良の型のものをいう。

なお、極めて少数であるが、[1]、[2]型の混合型ともいえる型がある。

(イ) 治療基準について

本症の治療には未解決の問題点が多く残されているが、進行性の本症活動期病変が適切な時期に行われた光凝固或いは冷凍凝固によって治癒しうることが多くの研究者の経験から認められているので、検討の結果、現時点の治療の一応の基準を次のとおりとする。

(a) 治療の適応

[1]型においてはその臨床経過が比較的緩徐であり、発症より段階的に進行する状態を検眼鏡的に追跡確認する時間的余裕があり、自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに選択的に治療を施行すべきであるが、[2]型においては極小低出生体重児という全身条件に加えて網膜症が異常な速度で進行するために治療の適期判定や治療の施行そのものに困難を伴うことが多い。従って[1]型においては治療の不要な症例に行きすぎた治療を施さないように慎重な配慮が必要であり、[2]型においては失明を防ぐために治療時期を失わぬよう適切迅速な対応が望まれる。

(b) 治療時期

[1]型の網膜症は自然治癒傾向が強く、2期までの病期中に治癒すると将来の視力に影響を及ぼすと考えられるような瘢痕を残さないので、2期までの病期のものに治療を行う必要はない。3期において更に進行の徴候が見られる時に初めて治療が問題となる。ただし3期に入ったものでも自然治癒する可能性は少なくないので進行の徴候が明らかでない時は治療に慎重であるべきである。この時期の進行経過の確認には同一検者による規則的な経過観察が必要である。

[2]型においては、血管新生期から突然網膜剥離を起こしてくることが多いので[1]型のように進行段階を確認しようとすると治療時期を失うおそれがあり、治療の決断を早期に下さなければならない。この型は極小低出生体重児で未熟性の強い眼に起こるので、このような条件をそなえた例では綿密な眼底検査を可及的早期に行うことが望ましい。無血管領域が広く全周に及ぶ症例で血管新生と滲出性変化が起こり始め、後極部血管の迂曲怒張が増強する徴候が見えた場合は直ちに治療を行うべきである。

(e) 治療の方法

治療は良好な全身管理のもとに行うことが望ましい。全身状態不良の際は生命の安全が治療に優先するのは当然である。

光凝固は[1]型においては無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し後極部付近は凝固すべきではない。無血管領域の広い場合には境界領域を凝固し、更にこれより周辺側の無血管領域に散発的に凝固を加えることもある。

[2]型においては無血管領域にも広く散発凝固を加えるが、この際後極部の保全に充分な注意が必要である。

冷凍凝固も凝固部位は光凝固に準ずるか、一個あたりの凝固面積が大きいことを考慮して行う。冷凍凝固に際しては倒像検眼鏡で氷球の発生状況を確認しつつ行う必要がある。

初回の治療後症状の軽快が見られない場合には治療を繰り返すこともありうる。又全身状態によっては数回に分割して治療せざるを得ないこともありうる。

混合型においては治療の適応、時期、方法を[2]型に準じて行うことが多い。

(5) 右四九年度研究班報告後においても、[2]型についての光凝固、冷凍凝固の効果については論争があり、昭和五二年度より厚生省本症研究班によって研究がすすめられているが、未だ、四九年度研究班報告に治療基準として示された[2]型についての治療の適応は否定されていない。

(6) 呉病院における担当医は、原告誠子が呉病院に入院した時点では、四九年度研究班報告の存在、その内容を知っていた。

また、呉市においては、昭和四九年四月から呉市内で眼科病院を開業した木村亘医師は、本症に関心を抱き、光凝固法による治療を実施しており、昭和五一年一一月二八日に呉市医師会病院講堂で開催された第一八回呉市医学会における講演で、眼科管理を要した九九例の本症を分類し、手術(光凝固、冷凍凝固等)を要した二二眼の統計を示すとともに、「最近では哺育器内でも眼底検査は可能で、検査に要する時間も短く(五~一五分)、児の全身的消耗も軽いので、全身状態が重篤でない限り生後一か月までに第一回眼底検査を受けるように。」と述べ、右趣旨の講演がなされたことは広島医学三〇巻二号(昭和五二年二月)に掲載された。同医師は昭和五三年ころには、西独ツアイス社製キセノン光凝固装置と米国ブリット社製アルゴンレーザ光凝固装置を有しており、呉市内の他の病院からの紹介や往診依頼による診断も行っており(昭和五一年に八〇件、昭和五二年に三五件、昭和五三年に五三件)、その中には、呉病院からの紹介によるものもあった。また、昭和五三年当時においては、呉市内で眼底検査や光凝固による治療をする医師は木村医師の他にも存した。

(三)  眼底検査

眼底検査は、それ自体が治療効果を有するものではないが、本症の活動期の臨床経過を観察し、本症の[1]型、[2]型の判定及びそれに適応した治療方針を決定するうえで重要な意義を有するものであるところ、これにつき、前記四九年度研究班報告は、次のとおり述べている。

検眼鏡的検査は、一八〇〇グラム以下の低出生体重児、在胎期間では三四週以前のものを主体とし、生後満三週以降において、定期的に眼底検査を施行し(一週一回)、三か月以降は、隔週または一か月に一回の頻度で六か月まで行う。発症を認めたら必要に応じ、隔日または毎日眼底検査を施行し、その経過を観察する。瘢痕を残したものについては、殊に、一ないし三度のものは、晩期合併症を考慮しての長期にわたるフォローアップが必要である。

四  責任

1  人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務が要求されるが、右注意義務の基準となるのは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるというべきところ、前記三認定事実に照らすと、原告誠子が出生した昭和五三年八月当時における本症の診断並びに治療に関する基準は、前認定の四九年度研究班報告に示す内容であると認めるのが相当である。

2  前示のように、原告誠子は、生下時体重一一四〇グラム、在胎週数二九週の極小未熟児で、呉病院小児科に入院後は、直ちに保育器に収容し、酸素投与が続けられていたのであるから、担当医としては、本症の発症を予測し、四九年度研究班報告に示された基準、即ち、生後三週以降三か月までの間は、週一回の定期的眼底検査を施行し、本症の発症を認めた場合には必要に応じ、隔日または毎日眼底検査を施行して本症活動期の病変を把握し、適切な時期に光凝固或いは冷凍凝固による治療を施行すべき業務上の注意義務があったものというべきところ、前記二2認定の診療経過によると、担当医は、一二月五日(生後一一〇日目)に初めて眼底検査を実施したのみで、それまで眼底検査を一回も行わず、従ってまた、前示基準に副った本症に対する治療も全く施行していないのであるから、担当医は業務上の注意義務を怠ったものというべきである。

そして、原告誠子は、そのために本症に対する適切な治療を受けることができないまま失明するに至ったのであるから、担当医の右過失と原告誠子の失明との間には相当因果関係があるものと認めることができる。

3  被告は、ウィルソン・ミキティ症候群発生の疑い等原告誠子の全身状態が不良であったため、一二月五日まで原告誠子に眼底検査や光凝固の実施はできなかった旨主張し、<証拠>には右主張に副う部分があり、また<証拠>中にも、一一月二五日ころまでは光凝固の治療を行うことは不可能であったと考える旨の部分がある。

しかしながら、<証拠>によると、原告誠子がウィルソン・ミキティ症候群に罹患しているのではないかとの疑いを持ったのは一〇月九日に胸部X線撮影をした結果であることが認められることに加え、二2認定の診療経過、特に、九月一三日から同月二一日の間は、酸素濃度を二二ないし二七パーセントに下げ、大気中の酸素濃度の二一パーセントと大差なく、同月二二日は酸素を中止してもチアノーゼが発現しておらず、同月二五日には担当医が眼科受診を考えて指示していること、鑑定人西村和彦は、証人としての証言において、八月三一日ころから一〇月六日ころまでの間においては、呼吸障害に対する処置をしたうえであれば光凝固の実施が可能な時期があった旨述べていること並びに<証拠>に対比すると、前掲被告主張に副う証拠は採用できない。

被告は、また、呉病院における眼科医の多忙性、診療体制等からしても眼底検査や光凝固を行うことや往診を依頼すること等はできなかった旨主張するが、二1認定の診療体制及び三3(二)(6)認定の呉市内の開業医の診療体制等に照らし、右主張は採用できない。

更に、被告は、原告誠子は本症の[2]型に罹患した可能性が高く、光凝固、冷凍凝固を実施しても無効であった旨主張するが、<証拠>によると、原告誠子の本症が[2]型であったか否かについては、眼底検査を行っていないのでこれを確定することはできない(ただし、極小未熟児であったこと等から、その可能性はある)。仮に、[2]型であったとしても、四九年度研究班報告に治療基準として示された[2]型についての治療の適応は現在なお否定されていないことは前認定のとおりであるから、右主張は理由がない。

4  以上により、原告ら主張のその余の過失の有無については判断するまでもなく、被告は、担当医の使用者であるから民法七一五条による責任が、また、原告らと被告との間に原告ら主張の診察契約が締結されたことは当事者間に争いがないので右契約上の債務不履行の責任がある。

五  損害

1  原告誠子

(一)  逸失利益

原告誠子は、両眼が失明したことにより終生労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められる。

昭和五三年度の賃金センサスの産業計、企業規模計、学歴計によると、年令一八才から一九才までの女子労働者の平均年収は一二〇万三四〇〇円であるから、これに、ホフマン係数一六・四一九二(就労可能年数六七年のホフマン係数二九・〇二二四から就労開始の一八年の同係数一二・六〇三二を控除したもの)を乗じて現価を計算すると一九七五万八八六五円(円以下切捨。以下同じ)となる。

(二)  付添い看護費用

原告誠子は両眼を失明しているので、生涯(昭和五三年簡易生命表による女子平均余命七八・六四歳)両親又は第三者の付添い看護を受けざるを得ないことが認められる。そして、成人後はある程度の自立能力を有すること等の諸事情を考慮すると、右付添い看護に要する費用は一日平均一五〇〇円をもって相当とする。一年を三六五日とし、七八年間のホフマン係数三一・三九〇七を乗じて現価を計算すると、付添看護費用は一七一八万六四〇八円となる。

(三)  慰謝料

原告誠子は「両眼の失明により生涯にわたり社会生活のみならず日常生活においても制約を受けることは必然であり、その精神的苦痛は極めて大きいものがあると認められるが、他方、同原告は極小未熟児として出生し、そのことが本症の主因ともなっていること等一切の事情を斟酌すると、同原告の精神的苦痛に対する慰謝料は、一〇〇〇万円をもって相当とする。

(四)  損害額合計

以上を合計すると四六九四万五二七三円となる。

2  原告英幸、同克恵

<証拠>によると、原告誠子の両親である原告英幸、同克恵は、原告誠子が失明したことを知って非常に驚ろき、天理市の天理よろず相談病院に入院させたり、東京都の小林治療院で診療を受けたりして万一の光明を願ったが、結局視力は回復せず、昭和五八年九月から夫婦別居して原告誠子を広島市の県立盲学校へ入学させて現在に至っており、その間、原告誠子が生命を害されたときにも比肩するような精神的苦痛を受けたことを認めることができ、従って、原告英幸、同克恵の両名も自己の権利として慰藉料を請求できるものというべく、前示した原告誠子が極小未熟児として出生したこと等諸般の事情を斟酌すると、原告英幸、同克恵に対する慰藉料は各一〇〇万円をもって相当とする。

3  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは本件訴訟を原告ら訴訟代理人に委任し相当額の費用及び報酬の支払を約しているものと認められるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額、その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、原告誠子は五〇〇万円を、原告英幸、同克恵は各一〇万円をそれぞれ弁護士費用として被告に対して賠償を求め得ると認めるのが相当である。

六  結論

以上の次第で、原告誠子の請求は五一九四万五二七三円及び内金四六九四万五二七三円に対する不法行為の後である昭和五三年一二月六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、原告英幸、同克恵の請求は各一一〇万円及び各内一〇〇万円に対する不法行為の後である昭和五三年一二月六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でそれぞれ理由があるから認容し、その余の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行免脱の宣言は適当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 出嵜正清 裁判官 内藤紘二 裁判官 山口信恭は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 出嵜正清)

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