広島地方裁判所 昭和60年(行ウ)3号 判決 1991年6月27日
原告
山田芳樹
右訴訟代理人弁護士
桂秀次郎
同
本田兆司
被告
三次労働基準監督署長桑原幸夫
右指定代理人
見越正秋
同
角満美
同
塩田正儀
同
田中重博
同
小川周三
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対し昭和五六年三月五日付けでした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 亡山田恵(以下「亡恵」という。)は、昭和四〇年から昭和五五年五月まで庄原市川北町所在のろう石のクレー製造工場の従業員としてろう石の選別やろう石クレーを混合機で混合する作業等に従事していたところ、昭和五三年頃全身倦怠感が出現し、仕事をして疲れると微熱が出、体重が減少するなど身体の不調を訴えるようになり、じん肺症に罹患していることが判明した。亡恵は、その後も前同様の作業を続けていたが、昭和五五年四月頃から体調が不調となったので、じん肺の検査を受けるため、同年八月二二日から同年九月一二日まで広島大学医学部附属病院(以下「広大病院」という。)に入院したが、退院後の同年一一月一六日自宅で死亡した。
2 原告は、亡恵の夫であるが、同人の死亡は、業務上の事由によるものであるとして、昭和五五年一二月一六日、被告に対し労災保険法による遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告は、昭和五六年三月五日、亡恵の死亡は、業務上のものではないとして、これらを支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。
3 原告は、本件処分を不服として、昭和五六年五月一日、広島労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたところ、同審査官は、昭和五七年五月一七日にこれを棄却したので、原告は、さらに同年六月二四日、労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、同審査会は、昭和五九年一〇月二四日これを棄却する旨の裁決をし、右裁決書は、同年一二月二一日、原告に送達された。
4 しかしながら、亡恵の死亡は、以下に述べるとおり、業務上の事由によるものである。
(一) 亡恵の症状
(1) 前記のとおり、亡恵の粉じん作業年数は、一五年である。同人は、以前は、極めて健康であったが、昭和五二年から右手の指の痛みを訴えて、堀江医院で受診し、昭和五三年に県立広島病院で、昭和五四年には藤野整形外科でそれぞれ受診し、慢性多発性関節リウマチと診断された。また、亡恵は、前記のとおり、昭和五三年頃から全身倦怠感や微熱があり、同年、じん肺管理区分管理二の、昭和五四年に管理三の各決定を受け、同年秋頃から坂を登ったり、急いで歩いたりすると、息苦しさを訴え、また全身倦怠感が増強した。その後、昭和五五年五月頃から、平地を歩いても息苦しさが強く、二、三百メートル歩くのがやっとという状態で、微熱が頻発し、咳も頻繁に出るなど症状が急激に増悪した。亡恵は、前記のとおり、広大病院に入院したが、昭和五五年九月に同病院を退院する際、医師から「草取り程度の日光浴は差し支えないが、絶対に労働に従事してはならない。」と注意された。そこで、亡恵は、退院後は、原告の助けを借りてかなり制限された範囲の日常の家事をするほか、一日一時間程度腰掛けに座って草むしりをする程度であり、療養に専念していた。なお、亡恵のじん肺管理区分の決定状況は、次のとおりである。
決定通知書日付け
じん肺管理区分
昭和五三年六月一一日
管理二
昭和五四年一月八日
管理二
昭和五四年八月一七日
管理三ロ
昭和五五年八月一四日
管理三ロ
昭和五五年一二月二日
管理四(症状確認日同年八月二五日)
(2) 広大病院入院中の亡恵のエックス線写真像は、「両肺野にじん肺による粒状影が極めて多数ある。」第三型であり、また、呼吸困難や全身倦怠感が強く、微熱が持続し、血沈の異常昂進があり、左上肺野に空洞性病変があり、じん肺管理区分管理四と判定されているのであって、亡恵の症状は、広大病院に入院する少し前から急速に進展したものである。
亡恵の血沈の異常昂進、発熱、手の痛み、CRP(+)、IgG値(免疫グロブリン値)が異常に高いこと、RA(+)等の症状や検査値は、慢性関節リウマチの症状を示すものであり、亡恵の場合、リウマチがじん肺を増悪させていたのであり、また、じん肺がリウマチ等の自己免疫疾患を合併することは多数の症例報告があり、定説となっている。
亡恵の胸部エックス線写真によれば、心臓の変形、肥大が認められるのであって、亡恵は、慢性心に罹患していた。
(二) 亡恵の死因
(1) 前記のような亡恵の症状に照らせば、同人は、じん肺による肺性心及びじん肺の合併症である慢性関節リウマチのため、細菌感染による高熱と急性肺炎が直接のきっかけとなり、心不全を起こして死亡したものである。
(2) 宇土博医師の調査によると、庄原近郊のろう石産業に従事し、平成元年までに死亡したじん肺症患者は、三〇名であり、亡恵が稼働していた坪島産業のじん肺症患者でじん肺管理区分管理四の決定を受けた者一九名のうち、一三名が死亡し、業務外と認定されたのは亡恵だけであり、右一九名を対象者として同医師がした疫学調査によると、次の事実が認められる。
<1> 対象者の死亡率は約七割である。
<2> 対象者の平均ろう石粉じん作業歴は、一三・四年で、死亡時年齢は女性の場合平均五八歳で、管理区分四の認定時から死亡時まで約二年と短く、ろう石は、有害度の高い粉じんである。
<3> 死亡原因は、じん肺、急性又は慢性呼吸不全、肺性心の順に多い。
<4> 死亡率は、広島県の一般人口のそれに比し、九・三倍であり、死亡年齢も平均余命より一五・二歳低い。
<5> 死亡一三例中三例は、急激悪化死亡事例であるが、右事例は、いずれも一五年以上の粉じん歴を有する者であり、長期暴露が急性死亡の原因である。
ところで、亡恵は、前記のとおり、一五年間粉じん作業(発じん量の最も多い袋詰め作業)に従事して、五七歳で死亡しており、右疫学調査の結果に基づき亡恵について確率論的に死因を問題にすると、じん肺症が死因に占める割合は、九〇パーセント以上であることから、亡恵の死亡とじん肺症との因果関係については、疫学的にも立証されている。
(3) 被告は、亡恵の死因を脳卒中であると主張するが、亡恵の血圧は、正常であり、脳卒中の素因は存在しないし、亡恵は、死亡直前苦しんだ様子がなく、高熱を出していたことなどからすると、脳卒中と診断するのは困難である。また、医師田中芳夫(以下「田中医師」という。)作成の亡恵の死亡診断書には、死亡原因として脳卒中と記載されているが、同医師は、亡恵を診察したのは初めてであり、同人がじん肺患者であるとの認識もなかったのであって、死亡原因が脳卒中であるとの診断は、根拠が薄弱であり、同医師は、後日、亡恵の死亡とじん肺との因果関係を認めている。したがって、亡恵の死因を脳卒中とする医学的根拠は、皆無であるというべきである。
5 よって、本件処分は、違法であるから、原告は、被告に対しその取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実のうち、亡恵がろう石のクレー製造工場の従業員としてろう石の選別やろう石クレーを混合機で混合する作業等に従事していたこと(同人が右作業に従事するようになったのは、昭和四三年四月からである。)、昭和五三年頃じん肺に罹患していることが判明したこと、亡恵は、その後も前同様の作業を続けていたが、昭和五五年五月頃から体調が不調となったので、じん肺の検査を受けるため、同年八月二二日から同年九月一二日まで広大病院に入院し、退院後の同年一一月一六日自宅で死亡したことは認めるが、その余は不知。
2 同2、3の各事実は認める。
3 同4の(一)の(1)のうち、亡恵が昭和五五年五月頃から全身倦怠感が増強し、微熱が頻発し、咳が出るなどしたこと、亡恵のじん肺管理区分の決定状況が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。
同(2)のうち亡恵のエックス線写真像が第三型であったことは認めるが、その余は否認する。
三 被告の主張
1 亡恵の死亡に至るまでの経緯
(一) 症状経過等
亡恵のじん肺症に関する症状の経過等は、おおむね次のとおりである。
(1) 庄原赤十字病院の昭和五二年一月撮影の胸部エックス線写真によると、肺内病変は、線維増殖像があるが、結節像は著明でなく、線維増殖を中心とするものであったが、昭和五四年五月のエックス線写真によると、昭和五三年半ば以降肺内病変は著しく増悪している。
(2) 亡恵は、昭和五三年五月じん肺検診の結果、管理区分管理二と診断され、昭和五四年五月の検診で管理三ロと判定され、昭和五五年五、六月から全身倦怠感が増強し、微熱も頻発し、乾性の咳嗽が生じたため、同年七月四日広大病院の外来で受診、検査を受けた。
(3) 同病院原田ふゆ子医師作成のじん肺健康診断結果証明書には、同医師の意見として、「胸部エックス線写真3/3、肺機能及び動脈血でもF(+)の判定ではあるが、呼吸困難が強いこと(H―JⅢ)、全身倦怠感が強く、微熱が持続すること、血沈の異常亢進が認められることのためにじん肺管理区分Ⅳが望ましい・・・」と記載される。
(4) また、亡恵の血圧値は、昭和五〇年五月七日に一五〇/一〇二(最大血圧が一五〇、最小血圧が一〇二であることを示す。以下同じ。)、昭和五五年九月五日に一六六/九八を示すなど、その間何度か明らかな高血圧値が測定されたほか、昭和五一年五月七日から昭和五五年九月八日までの間に何度か境界域高血圧値を示している。さらに、亡恵の父、兄、姉が脳卒中で死亡しており、亡恵は、高血圧、脳卒中を発症する素因を有していたものである。
(5) 亡恵は、請求原因4の(一)の(1)記載のとおりじん肺管理区分の決定を受けている。
(二) 死亡当日の状況
昭和五五年一一月一六日午前一〇時頃亡恵の甥夫婦が遊びに来たので、亡恵は、午後三時頃までこたつで雑談をしていたが、原告が外出した午後三時頃まで同女の身体に変わった様子はなく、亡恵は、午後五時一〇分頃から三、四十分間畑を耕しながら近所の主婦と雑談をし、元気そうであった。
ところが、原告が、午後六時半頃帰宅すると、風呂が沸いており、乾燥うどんがゆでてざるに入れてあり、亡恵は、こたつに入り、枕を出して仰臥しており、呼んでも応答はなく、多量の汗を出して死亡していたものである。
田中医師作成の死亡診断書によると、死亡原因は、「脳卒中」であった。
2 本件処分の正当性
(一) 労災保険法における業務上災害に関する労災保険給付は、労災保険法一二条の八第一項で保険給付の種類が定められ、同条二項で、この保険給付は、労働基準法七五条ないし七七条、七九条及び八〇条に規定する災害補償事由が生じた場合、すなわち、業務上の事由による負傷・疾病・死亡に対し受給権者の請求に基づいて行うものとされており、同法七五条二項の委任による労働基準法施行規則三五条、別表(略)第一の二において業務上疾病の範囲が定められており、これらは、当該業務との因果関係が明確にされ、かつ医学的にも立証されなければならないものとされている。
(二) これを本件の場合についてみるに、亡恵の直接死因は、脳卒中によるものであるから、前記労災保険給付の場合に該当するためには、同女の「脳卒中」が、労働基準法施行規則三五条別表第一の二の九号に規定する「業務に起因することの明らかな疾病」に該当すると認められるか、又は前記別表第一の二の五号に規定する業務上の疾病であるじん肺と右死因の脳卒中との間に相当因果関係が認められるかのいずれかが必要である。
(1) 右別表第一の二の九号に規定する「業務に起因することの明らかな疾病」について
亡恵は、広大病院に入院して検診を受け、退院後は自宅で家事労働をするなどしていたもので、業務には就いていなかったのであるから、仕事をやめた後に発症した脳卒中が、前記坪島産業において就労していた同人の業務が過激で、精神的又は肉体的負担があったために発症したものであるとして相当因果関係を認めることは到底困難である。
(2) 右別表第一の二の五号に規定するじん肺症と脳卒中との相当因果関係について
「脳卒中」と「じん肺」との医学的因果関係については、そもそも、脳卒中は、中枢神経系の疾患であり、じん肺は、呼吸器系の疾患であって本来全く関係のない疾病であるから、右両者間に医学的因果関係は到底認められるところではない。
なお、じん肺が進行した場合には肺性心等心機能の障害を併発することはあるものの、亡恵の場合は、前述のとおり、広大病院に入院中の検査において心機能の異常は認められていない。
すなわち、亡恵のじん肺症についてみると、昭和五五年七月四日広大病院外来で受診、検査を受けたが、その結果は、呼吸機能は正常値であり、同病院に入院中の同年八月二七日の検査結果も正常であった。亡恵が訴えたとされる呼吸困難についても、動脈血ガスが正常を示すこと及び初診時呼吸困難(一)であること等、むしろ全身倦怠感が主訴であって、呼吸器症状は著明ではなかったものである。
さらに、亡恵は、広大病院退院後も全身倦怠感や発熱を見ることもあったようではあるが、全般的には身体の調子も良く、通常の家事や畑仕事に従事しており、それをなし得る十分な心肺機能を有していたものである。
また、死亡当日も来客の応接をしたり、午後五時頃には戸外で畑仕事をしながら雑談したりしている。
以上の状況からは、亡恵に、急速に進行する心肺機能の障害が存在したとは推測し難いし、かつ、脳卒中の進行が、じん肺によって急速に早められ、増強されたとも到底考えられない。
したがって、亡恵の死因は、素因によるところが大きく、じん肺を原因として発症したとか、強く影響を受けたということはない。いずれにしても業務に起因したものであるということができないことは明白である。
3 原告主張の亡恵の死因について
(一) 肺性心について
肺性心とは、肺及び肺血管の構造又は機能に障害を与える疾患によって肺血管抵抗の増大、肺高血圧症が招来され、さらに右室の構造と機能の変化が惹起された状態であり、その出現は、ある期間高度の肺機能障害が持続し、ついに肺高血圧を来たし、右心不全に至るという経過をたどるものである。したがって、亡恵が肺性心に罹患していたというためには、同人に高度の肺機能障害が存していたことが必要である。しかるに、広大病院における肺機能検査によれば、亡恵には、軽度の肺機能障害があったが、肺機能上は治療を要する程度ではなかった。さらに、広大病院入院中の昭和五五年八月二三日の胸部エックス線では、心胸郭比は五〇パーセントで正常範囲にあり、心陰影の変形、拡大等も認められず、異常とは判定されない。また、亡恵は、前記のとおり、死亡当日も畑を耕しながら雑談をし、元気そうであり、平穏な日常生活を送っていたのであって、到底重症の疾患が存するような状況ではなかった。右のような所見等からすると、亡恵については、少なくとも一年以内に肺性心に進展するような高度の肺機能障害は、存在せず、したがって、原告が主張するような肺性心の存在は想定できない。
(二) 慢性関節リウマチについて
広大病院の診療録によれば、亡恵には、免疫異常を示唆する所見はあるが、免疫疾患があるとは認められず、また、胸部エックス線写真上、リウマチによる変化(カプラン症候群)である粗大結節が認められないことから、原告主張のじん肺の合併症であるリウマチの存在は否定される。
(三) 肺炎について
亡恵の死亡当時の状況に照らすと、死に至るほどの重症の肺炎に罹患していたものとは考えられない。
(四) 以上のとおりであるから、亡恵の死因に関する原告の主張は、明らかに失当である。
4 よって、亡恵の死亡は、業務上の事由によるものではないとしてなされた本件処分は適法である。
第三証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する(略)。
理由
一 当事者間に争いがない事実
請求原因1の事実のうち、亡恵がろう石のクレー製造工場の従業員としてろう石の選別やろう石クレーを混合機で混合する作業等に従事していたこと、昭和五三年頃じん肺に罹患していることが判明したこと、亡恵は、その後も前同様の作業を続けていたが、昭和五五年五月頃から体調が不調となったので、じん肺の検査を受けるため、同年八月二二日から同年九月一二日まで広大病院に入院し、退院後の同年一一月一六日自宅で死亡したこと、同2、3の各事実(本件処分とこれに対する原告の不服申立て)、同4の(一)の(1)のうち、亡恵が昭和五五年五月頃から全身倦怠感が増強し、微熱が頻発し、咳が出るなどしたこと及び亡恵のじん肺管理区分の決定状況が原告主張のとおりであること、同(2)のうち亡恵のエックス線写真像が第三型であったことは当事者間に争いがない。
二 労災保険給付の請求
ところで、原告が妻の亡恵の死亡による遺族補償給付及び葬祭料を請求し得るためには、右死亡が労働基準法七九条、八〇条に規定する「労働者が業務上死亡した場合」に該当することを要する(労災保険法一二条の八第二項)。そして、労働者が疾病により死亡した場合においては、死亡の原因となった疾病が業務上のものであれば、業務上死亡した場合に該当すると解されるところ、労働基準法七五条二項は、業務上の疾病の範囲は、命令で定める旨規定し、これに基づいて同法施行規則三五条、別表(略)第一の二が定められているので、亡恵の死因となった疾病が右別表に掲げられた疾病に該当するか否かについて検討することを要する。しかるに、亡恵が粉じん作業に従事し、じん肺管理区分管理四の決定(症状確認日昭和五五年八月二二日)を受けていたことは当事者間に争いがないから、原告の主張する亡恵の死因となった疾病が、右別表第一の二第五号に規定するじん肺症ないしじん肺法施行規則一条各号に掲げる法定合併症、又は、同表第九号の「業務に起因することの明らかな疾病」と相当因果関係がある場合には、亡恵の死亡は、業務上の死亡と認められることになる。
そこで、以下、亡恵の死因及びその死因となった疾病とじん肺等との相当因果関係の有無について検討する(右相当因果関係については、労災保険法一二条の八第二項等の解釈上、労災保険給付を請求する原告において立証する必要があるものと解するのが相当である。)。
三 亡恵の死亡に至るまでの経緯
成立に争いのない(証拠・人証略)の結果を総合すると、以下のとおり認められ、これに反する証拠はない。
1 亡恵は、大正一二年四月一五日に出生し、昭和一九年に原告と結婚し、農業や植林の手伝いをしていたが、昭和四〇年から持田産業(昭和四三年に坪島産業に商号変更)の従業員として(住所略)所在の昭和鉱業株式会社勝光山鉱業所内において、ろう石の選別作業に従事するようになり、昭和四六年以降はろう石クレーの袋詰め及び混合作業に従事してきた。亡恵は、酒もたばこも嗜まず、健康状態は良好で、結婚当初盲腸炎にかかったほかは医者に行くような病気をしたことはなかった。
2 昭和五〇年五月七日、同年一〇月一四日及び昭和五一年五月七日に行なわれた一般健康診断では、亡恵は、血圧が高いと指摘された程度で(血圧値は、昭和五〇年五月七日が一五〇/一〇二、同年一〇月一四日が一七〇/九〇、昭和五一年五月七日が一五六/九四であった。)、胸部エックス線間接撮影の結果異常所見を認めず、体重は、四十七、八キロであった。
3 昭和五二年一月二〇日、庄原赤十字病院においてじん肺症の傷病名で診察を受け、血沈値は二一(一時間)、五二(二時間)であり、胸部エックス線写真撮影の結果、線維化陰影、けい肺不確実、じん肺初期かもしれないと診断された。亡恵は、同年右中指、薬指の関節が腫れて痛み、堀江医院に通院した。
4 昭和五三年三月一六日、広島県病院で受診し、病名慢性多発性関節リウマチ、両外反母趾、両変形性膝関節症等と診断され、同月二〇日、再び診察を受けた。その際の検査結果は、RA(+)、CRP(-)、ASLO(-)、血沈値四二(一時間)、八〇(二時間)であり、右手関節軽度痛、朝のこわばり、右膝関節痛が認められた。
5 昭和五三年五月一一日に行なわれた一般健康診断において、亡恵は、自覚症状として便秘、やせ気味、肩凝り、不眠を訴え、胸部エックス線直接撮影の結果、じん肺の所見が認められ、体重は、四四・五キロであり、精密検査を要するとの指示を受けた。亡恵は、この時の検査結果から、同年六月一一日、じん肺管理区分管理二(エックス線写真の像が第一型(両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が少数あり、かつ、大陰影がないと認められるもの)で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるもの。じん肺法四条)と決定された。
亡恵は、この頃から全身倦怠感が出現し、仕事などをして疲れると、微熱が出るようになった。
6 亡恵は、昭和五四年一月四日から同月二四日まで、朝のこわばりや膝関節痛等で藤野整形外科医院に通院したが、その際の血沈値は八七(一時間)、一一三(二時間)であった。
同年五月九日に行なわれた一般健康診断の検査結果から、同年八月一七日、じん肺管理区分管理三のロ(エックス線の像が第三型(両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が極めて多数あり、かつ、大陰影がないと認められるもの)で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるもの)と決定された。
亡恵は、同年秋頃から坂を登ったり、急いで歩いたりすると、呼吸困難を覚えるようになり、全身倦怠感が続いた。
7 亡恵は、昭和五五年五月頃から体重の減少が目立ち、平地を歩いても息苦しさが強く、二、三百メートル歩くと、休みたくなる状態になり、また、会社から帰宅すると、しきりに「しわい(しんどいとか、だるくてやりきれないという意味の言葉)。」と言うようになり、全身倦怠感が増強し、微熱が頻発し、乾性の咳嗽等の症状が発生したので、同年七月四日、広大病院外来で診察を受け、同年八月二二日から同年九月一二日まで同病院に入院して検査を受け、退院後、同年九月二六日及び同年一〇月二一日の二回同病院に通院した。右入、通院中の検査結果等は、次のとおりである。
(一) 七月四日の検査では、血沈値一四八(一時間)、一五三(二時間)であり、肺活量一・九八リットル、パーセント肺活量八〇パーセント、努力肺活量一・八二リットル、一秒量一・六五リットル、一秒率九一パーセント、動脈血酸素分圧九〇・一TORR、動脈血炭酸ガス分圧三九・一TORR、肺胞気・動脈血酸素分圧較差九・七九TORRであった。
(二) 八月二三日の検査では、結核菌(-)、血沈値一五四(一時間)、一六〇(二時間)、ツベルクリン反応陰性であり、胸部エックス線写真像では、粒状影3/3、タイプqと判定された。
ところで、じん肺とは、粉じんの吸入によって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいい、その程度は、粉じん作業歴、胸部エックス線写真像、肺機能検査、胸部に関する臨床検査等を総合して判断されるものである。右のように線維化した部分は、小結節を形成し、エックス線写真上粒状影又は不整形陰影として現われ、吸じん量が増加すると、結節の数、大きさが増大し、最後には融合して塊状巣を形成し、これがエックス線写真上大陰影として現われる。そこで、じん肺法では、大陰影の有無、粒状影又は不整形陰影の数によってじん肺のエックス線写真像を第一型から第四型までの四段階に区分し、大陰影があると認められるものを第四型とし、それ以外のものは、両肺野における粒状影又は不整形陰影の数によって、その数が少数のものを第一型、多数のものを第二型、極めて多数のものを第三型としている。じん肺施行規則では、粒状影のタイプは、主要陰影の径に従ってp、q、rに分類され、粒状影及び不整形陰影の型の区分は、標準エックス線フィルムにより0/-から3/+までの一二階尺度を用いて分類されることになっている。
右粒状影3/3は、標準エックス線フィルムの第三型におおむね一致すると判定されるものであり、タイプqは、直径一・五ミリを超えて三ミリまでのものである。
(三) 八月二五日に行われた胸部に関する臨床検査では、呼吸困難は第Ⅲ度、せき(+)、たん(-)、心悸亢進(-)、チアノーゼ(-)、ばち状指(-)、副雑音(-)であった。
じん肺施行規則では、呼吸困難については、ビュー・ジョーンズの分類を基礎として第Ⅰ度から第Ⅴ度に区分されており、平地でも健康者なみに歩くことができないが、自己のペースなら一キロメートル以上歩ける者が第Ⅲ度に該当するものとされている。
肺機能検査(第一次検査)では、肺活量一・七七リットル、努力肺活量一・七九リットル、一秒量一・六六リットル、一秒率九二・七パーセント、パーセント肺活量七三・七パーセント、25/身長〇・八五であった。
肺機能検査は、一次検査と二次検査に分けて行うこととされており、一次検査では、スパイロメトリーによる検査とフローボリューム曲線の検査を行い、前者では、パーセント肺活量及び一秒率を求め(肺活量測定には、肺活量、努力肺活量、一秒量、パーセント肺活量、一秒率等があるが、肺活量は、最大吸気から最大呼気までの量、努力肺活量は、最大努力下に急速に呼出させた量、一秒量は、呼出開始から一秒間の量、パーセント肺活量は、肺活量と身長及び年齢から算出された肺活量基準値との比率、一秒率は一秒量と努力肺活量の比をいう。)、後者では、努力肺活量の二五パーセントの肺気量における最大呼出速度(25)を求め(じん肺法施行規則では、右25を身長(m)で除した値(25/身長で表される。)が肺機能障害を判定する指標として用いられている。)、二次検査では、動脈血ガスを測定する検査を行い、動脈血酸素分圧及び動脈血炭素ガス分圧を測定し、これから肺胞気・動脈血酸素分圧較差を求めることとされている。
(四) 八月二七日の肺機能検査(第二次検査)では、酸素分圧八七・七TORR、炭酸ガス分圧三七・二TORR、肺胞気・動脈血酸素分圧較差一四・六九TORRであった。
右肺機能検査(一次及び二次検査)の結果、亡恵の肺機能の障害の程度は、F(+)と判定された。
じん肺法施行規則では、肺機能検査の結果による肺機能障害の程度をF(-)(じん肺による肺機能の障害がない)、F(+)(じん肺による肺機能の障害がある)、F()(じん肺による著しい肺機能の障害がある)に分類されることになっている。
そして、パーセント肺活量が六〇パーセント未満の場合、一秒率が女性、年齢五七歳(亡恵の当時の年齢)の場合で六〇・九一パーセント未満の場合、25を身長で除した値が女性、年齢五七歳の場合で〇・三五未満で、かつ、呼吸困難の程度が第Ⅲ度、第Ⅳ度又は第Ⅴ度である場合のいずれかに該当する場合には、一般的に「著しい肺機能障害がある」と判定される。
(五) 八月三〇日に再度行われた肺機能検査(スパイログラム)では、肺活量一・四六リットル、努力肺活量一・七八リットル、一秒量一・六五リットル、一秒率九二・六パーセント、パーセント肺活量六〇・八パーセントであった(なお、成立に争いがない<証拠・人証略>によると、正確に測定した場合には、健康人では、肺活量は、努力肺活量と同値か又はこれより大きい値を示すが、肺に閉塞性障害があると、努力肺活量が肺活量より小さい値を示すこと、したがって、じん肺に罹患していた亡恵の肺活量が努力肺活量より小さい値を示している右八月三〇日の測定値は正確性に疑問があり、一秒量が七月四日と同じであることなどに照らし、八月三〇日の肺活量は、少なくとも努力肺活量一・七八リットル以上であったものと推認される。)。
(六) 担当の医師は、前記諸検査の結果から、亡恵の場合、じん肺管理区分管理四には該当しないが、軽い発熱が持続し、血沈の昂進が著しいため、リウマチ、悪性腫瘍等のじん肺以外の疾病の存在を疑い、諸検査を実施したところ、癌反応検査は、異常がなく、リウマチ反応の検査であるRA(+)、炎症の有無を検査するCRP(+)であり、また、免疫グロブリン値が増加し、血沈の異常昂進が見られるなどリウマチを窺わせる所見があったが、慢性リウマチ診断基準に照らした場合、典型的ないし確実なリウマチに該当しないのはもちろん、リウマチの疑いにも該当しないと診断され、じん肺以外の疾病の存在を確認するに至らなかった。
(七) 主治医の原田ふゆ子医師は、同年九月八日、前記八月二三日のエックス線写真による検査、八月二五日の胸部に関する臨床検査、肺機能検査等に基づいて、亡恵のじん肺健康診断結果証明書(<証拠略>)を作成したが、その医師意見欄に「胸部エックス線写真像の粒状影の型の区分は3/3であり、肺機能及び動脈血検査でも肺機能の障害の程度はF(+)の判定ではあるが、呼吸困難が強いこと(第Ⅲ度)、全身倦怠感が強く、微熱が持続すること、血沈の異常亢進が認められるため、じん肺管理区分としては管理四が望ましい。また、左上肺野の空洞性病変については経過観察が必要である。」旨記載した。
(八) 亡恵は、九月一二日、主治医から労働をしないよう指示を受けて退院したが、退院時の体重は、四〇キロであった。亡恵は、九月二六日の通院時、全身倦怠感を訴え、軽度の発熱があったが、診察の結果、心肺に異常はなく、また、一〇月二一日の通院時には、咳と発熱(三九度)があったが、痰はなかった。
(九) 入、通院中に測定した亡恵の血圧値は、何回か高血圧値ないし境界域高血圧値を示すこともあったが、平均すると、最大血圧値が約一四〇、最小血圧値が約八六であり、高血圧とは認められない。
8 亡恵は、右退院後、自宅療養を続け、炊事その他の家事を少々するほか、草取り程度の畑仕事をしていた。自宅療養中は、仕事を休み、長距離を歩くこともなかったので、胸苦しさを訴えるようなことはなかったが、相変わらず咳は続いていた。
四 亡恵の死亡当日の状況及び死亡診断書
(証拠・人証略)及び原告本人尋問の結果を総合すると、以下のとおり認められ、(証拠・人証略)の証言中、右認定に反する部分は、前掲他の証拠に照らして信用し難く、他にこれに反する証拠はない。
1 亡恵は、昭和五五年一一月一六日午前一〇時頃甥夫婦が遊びに来たので、午後三時頃まで一緒にこたつで雑談をし、その後自宅に隣接した畑に出て、鍬で草取りをし、午後五時頃まで近所の主婦と三、四十分雑談をした。
2 原告は、同日午後三時頃外出し、午後六時半頃帰宅したところ、風呂が薪で沸かしてあり、ゆでた乾燥うどんがザルに入ったまま湯気を立てていた。亡恵は、普段着のままこたつに入り枕を出して仰臥しており、原告が呼んでも応答がなく、身体のぬくもりはあったが、呼吸、脈拍がなく、髪の毛が濡れるほど発汗していた。原告の連絡を受けて近所の知人が駆け付けたが、同人は、「死んでいる。」と言って、医師を手配した。田中医師が午後八時頃到着し、亡恵を診て「これはだめだ。」と言って、死亡を確認し、その際、居合わせた原告の親戚の者から亡恵の親、兄弟には脳卒中で死亡した者が多いという話を聞き、「死因は、心臓発作か脳卒中と思われるが、帰って父(医師)と相談する」と言って帰った。田中医師が帰った後、こたつの近くから三九・一度を示した体温計が発見され、また、台所から亡恵が服用したと思われる解熱剤の薬袋が見つかった。
なお、原告は、夕食にうどんを食べるのを常としていたので、亡恵は、普段、午後六時頃からうどんをゆで、夕食の準備をしていた。
3 田中医師は、亡恵の死亡が急死であるところから、死因としては脳卒中又は心臓発作の可能性が高いと考え、さらに亡恵の親、兄弟には、脳卒中による死亡者が多いと聞いたことを最大の拠り所として、亡恵の死因を脳卒中とする死亡診断書を作成した。
右1、2認定の事実に(証拠・人証略)を合わせ考えれば、亡恵は、近所の主婦と雑談した後、家に帰り、薪で風呂を沸かしたり、午後六時頃からうどんをゆでるなどの家事をしたが、熱が出て具合が悪くなり、こたつに入って、横になり、原告が帰宅する直前の午後六時半頃死亡したものであり、突然死(日常生活を送っていた人が予見しえなかった疾病に罹患し、一時間以内に死亡する場合をいう。)であったものと認めるのが相当である。
(証拠略)(田中医師作成の死亡診断書)には、死亡年月日が「昭和五五年一一月一六日午後八時二〇分」と記載され、(証拠略)には、死亡時刻は、田中医師が原告方に来た後であるという趣旨の記載があり、(人証略)も同旨の証言をしているが、右記載及び証言は、(証拠・人証略)に照らして採用し難い。
五 亡恵の死因
1 肺性心及び慢性関節リウマチについて
原告は、亡恵は、じん肺による肺性心及びじん肺の合併症である慢性関節リウマチのため、細菌感染による高熱と急性肺炎が直接のきっかけとなり、心不全を起こして死亡したものであると主張するので、以下、亡恵が肺性心及び慢性関節リウマチに罹患していたか否か検討する。
(一) 肺性心について
(証拠・人証略)を総合すると、次のとおり認められる。
(1) 肺性心とは、肺及び肺血管系の構造又は機能に障害を与える疾患によって肺血管抵抗の増大、肺高血圧(肺動脈圧の上昇)が招来され、さらに右室の構造と機能の変化が惹起された状態をいう(ただし、左室の疾患又は先天性心疾患に基づく変化は肺性心から除かれる。)。右室の肥大は、静脈血をガス交換のため右室から肺に送り出す際に、肺に障害があって抵抗を生ずるため、それに抗して過激な拍動を強いられる結果生ずるものである。
肺性心には、急性のものと慢性のものとがあり、肺動脈塞栓が急性に肺循環の六〇ないし七五パーセント以上に及ぶときに発症するのが急性肺性心であり、慢性肺気腫や慢性気管支炎などの慢性閉塞性肺疾患が原因となって発症するものが慢性肺性心である。
慢性肺疾患が存在し、それによって右心系の機能が阻害され、ついには難治性の右心不全に至るまでの肺性心の進展過程は、<1>呼吸器系の慢性異常のみの期間、<2>肺高血圧症による右室負荷の増大と対応する右室の代謝機転である拡大の進行の期間、<3>右室不全の出現の期間の三期に区分される。
(2) 肺性心に罹患した場合には、体重の増加、下腿浮腫、胸痛、喘鳴、咳、啖の増悪、動作時の息切れの増強と末梢のチアノーゼ、日中の傾眠などの症状が現われる。
慢性肺性心患者の死亡前の症状としては、呼吸困難、息切れ、心不全等を示すことが多く、中には酸素吸入を必要とする者、昏睡状態に陥る者も少なくなく、このような状態を経て死亡することが多く、一般的には、肺性心による突然死は考え難い。
(3) 肺性心は、解剖学的には右室の肥大拡張が証明され、臨床的には右室の肥大又は拡張、肺高血圧症が証明できれば肺性心を診断できる。診断方法として胸部エックス線写真、心電図、動脈血ガス分析、心臓カテーテル検査が用いられる。
レントゲン写真による所見としては、正面像においては主肺動脈拡大による左第二弓の突出、右室肥大による右第四弓の突出がみられ、肺高血圧症、右心不全が進行すると、肺動脈末梢の狭小化、心胸郭比あるいは奇静脈又は上大静脈の幅の増大も見られることがあるが、レントゲン写真によっては必ずしも証明されない場合もある。心胸郭比とは、心臓の肥大の有無を判定するための指標として用いられる胸郭の陰影の幅と心臓の陰影の幅の比率であり、右心不全が進行するについて増大するものであり、五〇パーセントを超えると異常と判定される。
心電図により肺性心を診断し得るのは、全体の四分の一ないし三分の一程度である。
肺活量や一秒率の低下も診断の目安となり得るが、珪肺病院の医師三品陸人(以下「三品医師」という。)が珪肺症の剖検例一三二例について行った調査の結果(ろう石肺の場合にも妥当すると考えられる。)によると、肺性心症例は、全例、パーセント肺活量と一秒率の一つ又は両者の低下(パーセント肺活量の場合八〇パーセント以下、1秒率の場合七〇パーセント以下)を示しており、その両者が正常な珪肺患者には肺性心は認められなかった。
また、右調査結果によると、低酸素血症を示さない珪肺症例には、肺性心は存在しない。
(4) 三品医師は、広大病院における亡恵の検査結果について検討を加えたところ、八月二三日撮影の胸部レントゲン写真像は第三型、粒状影のタイプはq、異常線状影tであり、胸膜癒着等を認めるが、心胸郭比は五〇パーセントと正常範囲にあり、心陰影の変形、拡大等は認められず、異常とは判定されないこと、呼吸困難度は、精々第Ⅲ度であり、フロー・ボリューム曲線の検査結果が軽度低下しているが、血液ガスの所見は、正常範囲内にあり、亡恵は、じん肺法上、「著しい肺機能障害がある」とは判定されないこと、右肺機能障害の進展の程度は、右(1)記載の肺性心の進展過程<1>よりも手前の段階に止まっており、亡恵については、軽度の肺機能障害は存在するが、肺機能上は治療を要する程度の障害とはいえないことなどの所見が得られ、これらの所見を肺性心に関する右(1)ないし(3)の記述に照らして考えた場合、昭和五五年八月当時、亡恵には肺性心は存在しなかったし、また、一年以内に肺性心に進展することは予想できない状態であった旨判断している。
(5) 中国労災病院の内科部長で、じん肺検査医を委託されている医師丸橋暉(以下「丸橋医師」という。)は、広大病院の亡恵の診療録を検討し、心電図に異常がないこと、右心不全の症状である頸静脈の怒張、足の浮腫が認められず、エックス線写真上肺高血圧症の所見が出ていないことなどから、右心系心不全は認められず、亡恵は、肺性心には罹患していないと判断している。
右認定の事実に前記三の7認定の広大病院におけるエックス線写真による検査、胸部に関する臨床検査、肺機能検査の各結果、これに対する主治医の判定及び前記三の8認定のとおり、亡恵は、健康人の日常生活とは異なるものの、寝たきりというわけではなく、家事や畑の草取りなどをしていたことを総合すると、亡恵が肺性心に罹患していたものと認めることは困難であるといわざるを得ない。
(人証略)の証言によれば、医師佐野辰雄(以下「佐野医師」という。)は、昭和二二年以来じん肺を専門に研究し、豊富な経験を有する医師であることが認められるところ、同医師は、亡恵は、じん肺が原因で肺性心に罹患し、それが原因で心臓が衰弱していたところ、風邪により三九度の高熱を発したため、衰弱した心臓がそれに耐えられず死亡したものであり、直接的な死因は肺性心であると証言し、(証拠略)(同医師作成の意見書)にも同旨の記載があり、(人証略)は、亡恵は、肺性心に罹患した可能性が非常に高いと証言している。しかし、証人佐野辰雄の証言によれば、佐野医師は、亡恵の死因を判断するに当たり、胸部エックス線写真、血沈値については検討したものの、広大病院の診療録については検討を加えていないことが認められるのであって、検討した資料が三品医師や丸橋医師の場合に比べ相当限られており、また、宇土博は、どのような資料に基づいて肺性心罹患の可能性が高いと判断したのか明らかでなく、右各証言及び記載は、(証拠・人証略)に照らし、採用できない。
(二) 慢性関節リウマチについて
前記7の(六)認定のとおり、亡恵は、典型的ないし確実なリウマチに該当しないのはもちろん、リウマチの疑いにも該当しないと診断されていたのであって、同人が慢性関節リウマチに罹患していたとするのは疑問である。
2 その他の死因について
(一) 心筋梗塞について
丸橋医師は、本件訴訟記録を検討した上で、亡恵の死因については、脳血管障害、心血管障害、肺疾患等による突然死が考えられるが、脳血管障害の中では脳出血、くも膜下出血、心血管障害の中では心筋梗塞、肺疾患の中では肺塞栓症がそれぞれ最も有力であると証言している。
また、三品医師は、本件訴訟記録を検討し、亡恵は、ある程度進行したじん肺症に罹患していたものの、肺性心には罹患しておらず、同人の突然死の原因として考えられるのは、心筋梗塞、何らかの原因による不整脈死、くも膜下出血、腹部大動脈瘤の破裂、解離性大動脈瘤、脳血管障害等であるが、これらの中では心筋梗塞の可能性が最も高く、その他の可能性は低いと証言し、(証拠略)にも同旨の記載がある。
(証拠略)に照らせば、突然死である亡恵の死因は、心筋梗塞である可能性が高いものと認めるのが相当である。
(二) 脳卒中について
(人証略)によると、脳卒中は、高血圧の者が罹患しやすく、また、脳卒中の発作の際には、発汗や発熱を伴うことは多くないことが認められるところ、亡恵は、高血圧値ないし境界域高血圧値を示すこともあったが、広大病院に入、通院中の血圧は、平均的には、最大血圧が約一四〇、最小血圧が約八六であって、高血圧とはいえず、また、亡恵が死亡前、高熱を出し、相当発汗していたことは、前記認定のとおりである。
そして、(人証略)は、亡恵の死因について、脳卒中も考えられないではないが、突然死の原因としては、心筋梗塞等に比してその可能性はかなり低いと証言している。
以上によれば、亡恵が脳卒中により死亡した可能性は、必ずしも高いものとは認め難いが、他面、田中医師の死亡診断書に死亡原因として脳卒中と記載されていること、証人丸橋暉が、亡恵の年齢、以前から一時的に血圧が高いことがあったことなどを加味すると、脳出血又はくも膜下出血などの脳血管障害による突然死が十分考えられると証言していることなどに照らすと、亡恵が脳卒中により死亡した可能性は否定しきれないものというべきである。
(三) その他
弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる(証拠略)(海老原勇医師作成の意見書)には、亡恵の死因について、高熱により過呼吸となり、低炭酸ガス血症が生じて脳血管の収縮が起こり、脳血管不全や脳梗塞が発生した可能性、低炭酸ガス血症から冠状動脈の収縮を生じ、心筋梗塞を起こした可能性、慢性肺疾患から原因不明の突然死、例えば肺梗塞を起こした可能性、じん肺により顕著な体重減少が生じ死に至った可能性が考えられるとの記載がある。
しかし、(人証略)によれば、脳梗塞、脳血管不全については、脳梗塞は、脳血管障害の一つであるが、これによる突然死は稀であること、発熱が原因で呼吸数の増加を生じることはあるが、呼吸数の増加と過呼吸とは異なり、発熱から過呼吸を生ずることはなく、また仮に、過呼吸により脳血管不全が生じたとしても、それは、一過性のものであって死を招くことは考えられないことが認められる。また、肺梗塞については、(証拠略)の記載自体に照らしても不明の点が多いというのであり、じん肺により顕著な体重減少が生じ死に至ったという点については、死因の説明としては不十分であるといわざるを得ない。右に照らし、(証拠略)は採用しない。
六 じん肺症と死因との因果関係
1 心筋梗塞について
(人証略)を総合すると、心筋梗塞は、心臓の冠状動脈の閉塞あるいは極めて高度な狭窄により心筋の壊死を来す左心系の障害であり、その原因としては、冠状動脈の硬化、血栓が詰まることによって生じる冠状動脈の閉塞などが考えられていること、これに対し、じん肺症は、それ自体は肺の疾患であり、冠状動脈に障害を及ぼし得る疾患とは認められていないこと、仮に、じん肺症により心室構造の変化を来すいわゆる肺性心を惹起したとしても、その影響は、右室に止まるとするのが支配的見解であって、これに反対する学説は、少数に止まる状況であること、じん肺症と心筋梗塞との間に一般的に因果関係を肯定する考え方は、未だ学会の支持を得るには至っていないことが認められる。
以上によれば、一般的に、じん肺症と心筋梗塞との間に相当因果関係があると認めることは困難であるばかりでなく、亡恵の場合、じん肺により心筋梗塞が惹起され、あるいは少なからざる影響と(ママ)与えたものと認めるに足りない。
2 脳卒中について
(証拠・人証略)を総合すると、脳卒中は、中枢神経系の疾患であり、じん肺は、呼吸器系の疾患であって、本来全く関係のない疾病であること、前記のとおり、じん肺が進展し、肺性心が生じると、右心不全を来すが、脳卒中と関係し得る心機能障害は、左心系の障害の場合のみであること(なお、亡恵については、心電図上何らの異常もなく、また、その血圧値からして左心系の異常は認められない。)、前記認定の亡恵の肺機能障害の程度、亡恵が死亡当日甥夫婦と雑談したり、午後五時頃畑の草取りをしながら近所の人と戸外で雑談を交わしていたなどの状況からは、急速に進行する心肺機能の障害は推測し難く、かつ、脳卒中の発症ないし進行がじん肺によって急速に早められ、増強されたとは考えられないことが認められる。
以上によれば、じん肺と脳卒中との間には、相当因果関係は認め難いといわざるを得ない。
3 慢性関節リウマチについて
(証拠・人証略)を総合すると、粉じんにアジュバンド効果(各種の抗原に対して抗体産生を高める作用)を認め、じん肺や慢性関節リウマチ等を右効果に基づく自己免疫疾患として粉じん暴露に基づく疾患として位置付ける研究がなされていること、右見解によれば、慢性関節リウマチと粉じん作業との間に因果関係が認められることもあり得ることとなること、しかし、右見解は、未だ研究途上のものであって、現段階では、未だ学会の大方の支持を得るまでには至っていないことが認められる。そして、亡恵が慢性関節リウマチに罹患していたとの点については、前記のとおり疑問のあるところであり、また仮に、罹患していたとしても、亡恵が粉じんのアジュバンド効果により慢性関節リウマチに罹患したことを認めるに足りる証拠はない。
以上によれば、現時点においては、一般的に、じん肺症と慢性関節リウマチとの間に相当因果関係を認めることは困難であるばかりでなく、仮に、亡恵が慢性関節リウマチに罹患していたとしても、未だ同人の粉じん作業に基づくものと認めることもできないというべきである。
4 まとめ
前記認定のとおり、亡恵の傍らに三九・一度を示した体温計が発見されたことからすると、亡恵が死亡前、発熱を伴う疾患に罹患したことは推認できるが、これまで検討したとおり、亡恵が肺性心の状態にあったものとは認め難く、また、慢性関節リウマチに罹患していたとの点についても疑問があるばかりでなく、じん肺と慢性関節リウマチとの間の因果関係については、医学的には未だ未解明である。右のとおりであるから、亡恵が原告が主張するような経過をたどって死に至ったものとはにわかに認め難く、結局、じん肺と亡恵の死因との因果関係についての証明はないものといわざるを得ない。
七 疫学的立証
(人証略)の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる(証拠略)によれば、医師宇土博は、坪島産業で粉じん作業に従事し、じん肺管理区分管理四の決定を受けた者一九名について、死亡率、粉じん作業歴、広島県の一般人口の死亡率との比較等について疫学的調査を行ったことが認められる。そして、同証人は、右調査結果に基づき、調査対象者につきじん肺管理区分管理四の罹患が死因に寄与する割合(寄与危険度割合)は、女性で九六・二パーセントに達し、亡恵は、疫学上、じん肺による死亡であるといって差し支えないと証言している。
しかし、前記認定のとおり、亡恵は、心筋梗塞により死亡した可能性が高いのであって(脳卒中の可能性も否定しきれない。)、右疫学調査の結果は、本件において、じん肺と亡恵の死因との間の具体的な相当因果関係を立証する資料としては未だ十分なものとは認め難い。
よって、この点に関する原告の主張は採用しない。
八 結論
以上のとおりであって、亡恵の死因と同人が罹患していたじん肺との間に相当因果関係を認めることはできないといわざるを得ず、同人の死因は、労働基準法施行規則三五条、別表(略)第一の二第五号、第九号のいずれにも該当しないから、亡恵の死亡は、業務上の事由によるものではないとしてした本件処分は、適法であり、その他これを取り消すべき違法の点は認められない。
よって、原告の本訴請求は、理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高升五十雄 裁判官青柳勤は出張中につき、裁判官蓮井俊治は転補につき署名、捺印することができない。裁判長裁判官 高升五十雄)