広島地方裁判所呉支部 昭和43年(ワ)18号 判決 1970年5月27日
原告
菊川政弘
ほか二名
被告
呉冷蔵倉庫株式会社
ほか一名
主文
一、被告らは、各自
(1) 原告菊川政弘に対し、金一〇〇万円、及びこれに対する被告呉冷蔵倉庫株式会社は昭和四三年二月一一日から、被告出射敏は同月一三日から、それぞれ支払済まで年五分の割合による金員を、
(2) 原告菊川吾に対し金一三万円を、
それぞれ支払え。
二、原告菊川政弘、同菊川吾の被告らに対するその余の請求、及び原告菊川セキコの被告らに対する請求を、いずれも棄却する。
三、訴訟費用のうち、原告菊川政弘、同菊川吾と被告らとの間に生じた分は、これを二分し、その一を同原告らの、その余を被告らの、各負担とし、原告菊川セキコと被告らとの間に生じた分は同原告の負担とする。
四、この判決は第一項に限りかりに執行することができる。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告ら
被告らは、各自、原告政弘に対し金四一五万五、五一三円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(被告会社につき昭和四三年二月一一日、被告出射につき同月一三日)から支払済まで年五分の割合による金員を、原告吾に対し金四六万円及び内金一〇万円に対する訴状送達の日の翌日(前同)から支払済まで年五分の割合による金員を、原告セキコに対し金一〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(前同)から支払済まで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。仮執行の宣言。
二、被告ら
原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。
第二、請求原因
一、交通事故の発生
被告出射は、昭和四一年六月二一日午後四時四五分ごろ、大型貨物自動車(広一い五、八二三号)(被告車)を運転し、呉市狩留賀町吉浦トンネル内の道路上を、同市吉浦町方面から同市天応町方面に向け、約三五キロメートル毎時の速度で進行中、同トンネル西側出口から二七メートル東寄りの地点において、被告車の左後部を、森永康啓と二人乗りで自転車を運転していた原告政弘に衝突転倒させ、そのため原告政弘は頭蓋骨々折、頭蓋腔内出血兼脳震盪、右第五中手骨々折の傷害を負うた。
二、被告らの責任
(一) 被告出射の責任
本件事故は、被告出射の過失によつて生じたものである。すなわち、被告出射は、前記トンネル内を進行中、前方約七〇メートルの左側歩道上を原告政弘運転の二人乗り自転車が進行しているのを発見したが、間もなく右自転車が歩道から被告車の進路の方にふらつきながら進み出したのであるから、かゝる場合、自動車運転者としては直ちに減速徐行のうえ、その動静を注視し状況を確認して進行すべき注意義務があるのにかゝわらず、漫然そのまゝ進行した過失により前記のとおり衝突させたものである。よつて、被告出射は本件事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。
(二) 被告会社の責任
被告会社は、被告車を所有し、被告出射を運転手として雇傭しているものであり、本件事故は、被告車を自己の業務のため運行の用に供している際に生じたものであるから、被告会社には自動車損害賠償保障法第三条による損害賠償責任がある。
三、損害
(一) 原告政弘の損害
(1) 逸失利益
原告政弘は、前記頭蓋腔内出血に伴う後遺症のため現になお通院治療中であつて、完治の見込みがなく、将来就職するとしても一般人の収入より三分の一は減収となる。そして原告政弘は大学を卒業して就職したい希望であるところ、二二才の大学卒業者で健康体であれば月収は金二万五、〇〇〇円であるから、原告政弘はその約三分の一にあたる一か月金八、〇〇〇円の減収となり、これから生活資金を差し引き、一か月金七、〇〇〇円、一か年金八万四、〇〇〇円の利益を失うこととなる。そこで、原告政弘の就労可能年数を二二才から六三才までの四一年間とし、その間毎年金八万四、〇〇〇円の得べかりし利益を失うものとして、ホフマン式計算法によりその現在価額を計算すると、金二〇〇万五、五一三円となる。
(2) 慰藉料
原告政弘は、後遺症のため通常人としての就労もできず、今後後遺症の治療を受けつゝ、人生の希望も半減した生活を続けなければならないのであつて、これらの精神的苦痛に対する慰藉料は金二一五万円が相当である。
(二) 原告吾、同セキコの慰藉料
原告吾、同セキコは、原告政弘の父母であるところ、唯ひとりの子である原告政弘を大学に進学させ立派な社会人として働かせるべく、その将来を楽しみにしていたのに、本件事故のため、今後も後遺症の治療をし、悪化するかも知れない危険を感じ、いやすことのできない精神的苦痛を受けている。これに対する慰藉料は、原告吾、同セキコにつきそれぞれ金一〇万円が相当である。
(三) 原告吾の負担する弁護士費用
原告らは、被告らに対し本件事故による損害賠償を請求したが応じないので、やむなく弁護士上山武に訴訟委任して本訴を提起した。そして、原告吾は同弁護士に対し、手数料として金六万円を支払い(たゞし、内金二万円は未払い)、また、謝金として金三〇万円を支払うことを約し、合計金三六万円の損害を被つた。
四、よつて、被告ら各自に対し、原告政弘は右三、(一)の合計金四一五万五、五一三円、原告吾は右三、(二)、(三)の合計金四六万円、原告セキコは右三、(二)の金一〇万円、及び以上各金員(たゞし、原告吾の分については(三)の金三六万円を除く。)に対する本件訴状送達の日の翌日(被告会社につき昭和四三年二月一一日、被告出射につき同月一三日)から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三、被告らの答弁
一、請求原因一、の事実中、被告車と原告政弘とが衝突したとの点及び原告政弘の受傷の部位、程度の点を除き、その余は認める。同二、(一)の事実は否認する。同二、(二)の事実中、被告会社が被告車を所有し、被告出射を運転手として雇傭していたこと、及び、当時被告出射が被告会社の業務として運転に従事していたことは、認めるが、原告政弘の受傷は被告車の運行によつて生じたものではない。同三、事実中、原告吾、同セキコが原告政弘の父母であることは認めるが、その余はすべて否認する。
二、原告政弘の転倒受傷は被告車との接触によつて生じたものではない。原告政弘は、自転車を二人乗りで運転して、前記トンネル内の左側歩道上を進行中、同歩道上を前方から徒歩で対向してきた中学生とすれ違う際、その中学生と接触し、そのため安定を失つてハンドルをふらつかせ、トンネル内の歩道左端に設置してある鉄管にハンドルを衝突させ、その反動で、こんどは逆にハンドルを急に右に切つたゝめ、歩道をこえて車道の中央付近まで出て転倒したものである。すなわち、原告政弘はみずからの自転車の不安定により転倒したものであつて、被告車と接触したゝめに転倒したものではない。
三、かりに、被告車と接触したものとしても、被告出射には何らの過失はなく、もつぱら原告政弘の一方的過失によるものである。すなわち、原告政弘は当時一一才であつたが、前記トンネル内は道幅も限定されるうえ、多数の車両が往来するのであるから、トンネル内の歩道上を自転車で通行するのは、一人乗りでも慎重さを必要とするのに、二人乗りすることが極めて危険であることは充分認識していたはずであり、かつ、その歩道の幅員は一、五メートルしかないから、前記中学生とすれ違うにあたり、安定を失つて事故の発生する危険も認識できたはずであるのに、漫然とそのまゝ進行したゝめ、前記のとおり、安定を失つて、車道に飛び出したものである。一方、被告出射は、同トンネル内を進行中、前方を注視し、左側歩道上を原告政弘の二人乗り自転車が進行しているのを認めたが、このような自転車が車道に乗り出してくることはまれであるから、そのような危険を予見して一時停止または徐行すべき注意義務はない。しかも、原告政弘の自転車が前記のように安定を失つてふらつき出したのは、被告車のうち被告出射の運転台がすでにその側方を通過したのちのことである。従つて、本件事故は被告出射にとつては不可抗力であり、原告政弘の一方的過失によるものである。
四、のみならず、当時被告車には構造機能に障害はなかつたから、被告会社に責任はない。
五、かりに被告らに責任があるとしても、原告政弘にも前記の過失があるから損害賠償額の算定につき過失相殺がなされるべきである。
六、なお、原告政弘は、慰藉料の請求につき、昭和四五年四月二二日の本訴口頭弁論期日において、その額を従来の金一五〇万円から金二一五万円に拡張した。しかし、右拡張部分についてはすでに消滅時効が完成しているから、時効を援用する。
第四、証拠〔略〕
理由
一、昭和四一年六月二一日午後四時四五分ごろ、被告出射が被告車を運転し、呉市狩留賀町吉浦トンネル内の道路上を、同市吉浦町方面から同市天応町方面に向け、約三五キロメートル毎時の速度で進行していたこと、同トンネル西側出口から二七メートル東寄りの地点で、森永康啓と二人乗りで自転車を運転していた原告政弘が、転倒して負傷したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二、〔証拠略〕を総合すれば、次のように認められる。すなわち、前記トンネル内の道路は、ほゞ東西に通ずる直線の国道で、中央に幅員七メートルの車道があり、その両側にトンネルの内側壁に接してそれぞれ幅員一、五メートルの歩道が設けられ、歩道は車道より約二〇センチメートル高くなつている。原告政弘(昭和二九年七月二二日生れ。当時年令満一一才一〇か月。小学六年生。)は、自転車の後部荷台に森永康啓(当時年令満八才。小学三年生。)を乗せてこれを運転し、被告車と同一進行方向に向け、前記トンネル内の左側歩道上を進行中、同歩道上を徒歩で対向して来た中学生とすれ違う際、その安定を失つて自転車をふらつかせ、左ハンドル付近を、トンネルの左側内壁に設置されていた鉄パイプに衝突させ、そのはずみでハンドルを右に切つたため、自転車をふらつかせながら車道寄りに進み、誤つて歩道をこえて車道に乗り出した。一方、被告出射は、被告車を運転して同トンネル内を進行中、原告政弘運転の二人乗りの自転車が前方約七、八〇メートルの左側歩道上を進行しているのを認めたのであるが、右のようなトンネル内の狭い歩道上で子供が自転車に二人乗りすることは極めて危険な行為であつて、いついかなる拍子でその自転車が安定を失つてふらつくかも知れず、そうなれば誤つて歩道から車道上に進み出て来るかも知れないのであるから、被告出射としては、その危険を当然予見すべきものであり、直ちに減速してその動静を注視し、場合によつては徐行して安全を確認したうえ、その側方を通過すべき注意義務がある。ところが被告出射は、右自転車を認めるや、危険を感じて、ハンドルをゝ右に切りその進路を車道左端からやゝセンターライン寄りに変えたのみで、右自転車の動静に格別の注意を払わず、漫然同一速度のまゝ進行した過失により、右自転車の手前約七・三メートルの近距離に接近したとき、右自転車が前記のとおり安定を失つてふらつきながら歩道から車道に向つて進出しようとしているのを発見し、直ちに制動をかけながらさらに右寄りにハンドルを切つて、これを避けようとしたが及ばず、被告車の車体後部左側付近を原告政弘の右手付近に接触させ、その結果、原告政弘は自転車もろとも車道上に転倒した。
かように認められるのであつて、〔証拠略〕中、右認定に反する部分は、いずれも信用できない。
三、かように本件事故は被告出射の過失に基因するものであるから、被告出射はこれによつて生じた損害を賠償すべき義務がある。
四、次に、被告会社は被告車を所有し、被告出射を運転手として雇傭していたものであり、当時被告出射が被告会社の業務として被告車を運転していたものであることは、当事者間に争いがない。従つて、被告車の運行中に生じた本件事故につき、被告会社は自動車損害賠償保障法第三条による損害賠償責任がある。なお、被告出射に前認定の過失がある以上、同条たゞし書の免責が認められないことはいうまでもない。
五、ところで、〔証拠略〕によれば、当時原告政弘は、自転車の二人乗りは禁止されていることを認識していたことが認められるのみならず、原告政弘の年令からして、原告政弘は、本件のようなトンネル内を自転車に二人乗りして通行するのはそれ自体極めて危険な行動であること、殊に、トンネル内の狭い歩道上で対向車と安全にすれ違うのはかなり困難で、あるいはその際、自転車の安定を失つてふらふらするおそれのあること、などを充分に予見し得たはずである。
しかるに、原告政弘は右危険を無視してあえて二人乗りを継続し、対向者とすれ違う際一たん自転車を止める等の配慮を怠つたゝめ、前認定のとおり、その安定を失つてふらつき、歩道から車道上の被告車の進路の直前に乗り出して、被告車に接触したのである。従つて、本件事故の発生につき、原告政弘にもまた相当の過失があるといわなければならず、右過失は、その損害賠償額を定めるにつきこれをしんしやくしなければならない。
六、そこで損害額について判断する。
(一) 原告政弘の逸失利益
〔証拠略〕によれば、原告政弘は、本件事故のため頭蓋骨々折、頭蓋腔内出血兼脳震盪、右第五中手骨々折の傷害を負い、事故当日から昭和四一年八月二五日まで六六日間大下病院に入院し、その後は同病院及び国立呉病院に通院して、治療を受けたのであるが、右受傷による後遺症として、現に、常時頭重感があり、寒冷時、雨天時、勉強後等には両側頭に頭痛を訴え、その程度は、労働者災害補償保険の級別一二級一二号に該当すること、原告政弘は、右退院後の昭和四一年九月以降ほゞ平常どおり小学校及び中学校に通学しており、将来は大学に進学する布望を有すること、が認められる。
ところで原告らは、原告政弘が将来大学を卒業して就職するとしても、右後遺症があるため、その収入は一般の健康人のそれの三分の一の減収となる、と主張する。なるほど、右のような後遺症の存在することは、原告政弘の将来の進学及び就職につき、不利益な方向に作用するであろうことは推認するに難くない。しかし、右後遺症のために原告政弘の学業成績が特段に低下したものと認めるにたる証拠はなく、また、右後遺症が今後継続するであろう期間を予測することは不可能であり、まして、右後遺症に基因して将来(それも相当長期にわたつて)労働能力が低下するかどうか、低下するとしてその程度如何、を確認するにたる証拠はない。昭和三二年七月二日付労働省労働基準局長通達に示された労働能力喪失率表によると、障害等級一二級の場合の労働能力喪失率は一〇〇分の一四とされているのであるが、右喪失率はあらゆる職種を通じて常に妥当する科学的な基準ではなく、原告政弘の場合にこれが妥当するとする合理的根拠が見当らないから、これをそのまゝあてはめるわけにはいかない。
従つて、原告政弘の前記後遺症に基く労働能力低下に伴う逸失利益を認容することはできず、これらの事情は、次の慰藉料を定めるにあたつて考慮するほかはない。
(二) 原告政弘の慰藉料
上来認定にかゝる本件事故の態様、原告政弘、被告出射双方の過失の程度、原告政弘の受傷の部位、程度、後遺症の態様とその程度、年令、原告吾、同セキコ各本人尋問の結果により認められる原告政弘の家庭環境、及び、〔証拠略〕によれば、被告らは、被告会社において、自動車損害賠償責任保険から支払われた金二〇万一、〇〇〇円のうち、金九万二、一〇〇円をもつて原告政弘の前記入院中の治療費等を支払い、残金一〇万八、九〇〇円を原告らに支払つた以外に、原告らに対し金銭的補償をしていないことが認められること、その他一切の事情を総合すれば、本件事故によつて原告政弘の被つた精神的苦痛に対する慰藉料としては金一〇〇万円をもつて相当と認める。
(三) 原告吾、同セキコの慰藉料
原告吾、同セキコが原告政弘の父母であることは、当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、原告政弘は原告吾と原告セキコとの間のたゞひとりの子であること(原告セキコは先夫との間に長女をもうけたが、これとは同居していない)、原告政弘は、本件事故により前記のとおり入院した当初、人事不省におち入り、意識混濁し、その後、頭痛甚しく、昼夜の別なく苦悶する状態であつたこと、そのため、原告吾は当時勤めていた起重機運転工の職を休み、また、原告セキコはその経営にかゝる飲食店を休業して、ともに、入院当日から昭和四一年八月一五日ごろまで、病院に泊り込んで原告政弘の付添看護にあたり、原告吾、同セキコともに、父母として子たる原告政弘の受傷により多大の精神的苦痛を受けたこと、が認められる。
しかし、第三者の不法行為によつて身体を害された者の両親は、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき、または右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたときに限り、自己の権利として慰藉料を請求できるものと解するのが相当であるところ(最高裁判所昭和四三年九月一九日判決―民集二二巻九号一、九二三ページ)、右認定の事実関係では、原告吾、同セキコの受けた精神的苦痛は、原告政弘の前記後遺症を考慮しても、いまだ右の程度に達したものとは認められないから、原告吾、同セキコは自己の権利として慰藉料を請求することはできないものというほかはない。
(四) 原告吾の負担する弁護士費用
〔証拠略〕によれば、原告らは、本件事故後、原告吾を通じて被告会社に対し損害の賠償を求めてこれと交渉したが、合意に達せず、やむなく上山武弁護士を訴訟代理人に選任して本訴を提起するに至つたもので、原告吾は同弁護士に対し、原告ら全員の分として、手数料六万円をすでに支払い、かつ、成功報酬として勝訴額の一割を支払うことを約したことが認められる。そして、不法行為の被害者が、自己の権利擁護のため訴を提起することを余儀なくされ、訴訟追行を弁護士に委任した場合には、その弁護士費用は、事案の難易、請求額、認容された額その他諸般の事情をしんしやくして相当と認められる額の範囲内のものに限り、右不法行為と相当因果関係に立つ損害というべきところ(最高裁判所昭和四四年二月二七日判決―民集二三巻二号四四一ページ参照)、本件訴訟の経過に照らせば、原告政弘に関する分として前記手数料のうち金三万円、成功報酬として請求認容額一〇〇万円の一割にあたる金一〇万円、合計金一三万円に限つて、原告政弘の本訴追行上必要かつ相当な弁護士費用であると認められるのであり、原告吾は原告政弘の親権者としてその出捐を余儀なくされているのであるから、右金一三万円は、原告吾自身に生じた損害として、原告吾において被告らに対しその賠償を求め得るものというべきである。
七、そうすると、被告らは各自、原告政弘に対し前記六、(二)の金一〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日(被告会社につき昭和四三年二月一一日、被告出射につき同月一三日であること、記録上明白である。)からそれぞれ支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を、また、原告吾に対し前記六、(四)の金一三万円を、それぞれ支払う義務あることが明らかであり、原告らの請求は右の限度で正当としてこれを認容すべく、原告政弘、同吾の被告らに対するその余の請求、及び原告セキコの被告らに対する請求は、いずれも失当としてこれを棄却すべきものである。
よつて、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松田延雄)