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広島地方裁判所呉支部 昭和56年(ワ)96号 判決 1984年10月26日

原告

中村正美

右訴訟代理人

原田香留夫

馬場秀人

恵木尚

阿波弘夫

二國則昭

島崎正幸

笹木和義

高村是懿

石口俊一

阿佐美信義

佐々木猛也

島方時夫

中島英夫

山田慶昭

被告

安浦農業協同組合

右代表者

中井孝己

右訴訟代理人

鍵尾豪雄

主文

一  原告が被告に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、昭和五二年一二月一五日以降毎月九万五五〇〇円を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

(当事者の求めた裁判)

一  請求の趣旨

1  主文第一項と同旨

2  被告は原告に対し四二万六二八〇円及び昭和五二年一二月一五日以降毎月一〇万七六〇〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

(当事者の主張)

一  請求原因

1  被告は農業協同組合法に基づいて設立された農業協同組合であるが、原告は昭和四四年四月一日被告(以下、適宜「被告組合」ともいう。)にその職員として雇傭された。

2  原告が被告から受けるべき給与は、昭和五二年九月一五日以降同年一二月一四日までは月額九万七五〇〇円、同月一五日以降は一〇万七六〇〇円であり(同年九月一四日当時は月額九万五五〇〇円であつたが、同月一五日に月額二〇〇〇円の定期昇給がなされるべきであつたし、更に同年一二月一五日には月額一万〇一〇〇円の昇給がなされるべきであつた。)、同年一二月に受けるべき年末賞与は四二万〇二八〇円であつた。

なお、同年九月一五日から同年一二月一四日までの間(三か月間)の右給与については、毎月一五日九万五五〇〇円ずつ支給を受けた。

3  被告は、原告を既に(昭和五二年一一月一五日限り)解雇したと称して、原告が被告に対して雇傭契約上の権利を有する地位にあることを争つている。

4  よつて、原告は、被告に対し、雇傭契約上の権利を有する地位にあることの確認と、右権利に基づき請求の趣旨2項のとおりの給与及び賞与(四二万六二八〇円というのは、昭和五二年九月一五日から同年一二月一四日までの間の給与の内未払分<二〇〇〇円×三=六〇〇〇円>と、同年一二月の年末賞与<四二万〇二八〇円>とを併せたものである。)の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び3の各事実はいずれも認める。

2  同2の内、原告の昭和五二年九月一四日当時の給与が月額九万五五〇〇円であつたこと、被告が原告に対し同年九月一五日及び同年一〇月一五日に給与として九万五五〇〇円ずつ支払つたことは認める。原告のいう同年一一月一五日分は、解雇するに際しての解雇手当(三〇日分の平均賃金)であり、同日右趣旨で原告に提供したが、原告がその受領を拒否したため、同月一八日、所得税を控除した九万三四三〇円を(退職金一一一万七八三三円とともに)供託したものである。その余の事実は否認する。

三  抗弁

1  被告は、昭和五二年一一月一五日、原告に対し、その面前において、三〇日分の平均賃金九万五五〇〇円(及び前記退職金)を提供したうえで、同日限りで解雇する旨の意思表示をした。

2  本件解雇の理由は次のとおりである。

(一) 被告の就業規則は、その四七条において、

「① 職員は正当な事由なくして解雇されない。

② 職員が次の各号の一つに該当するときは、解雇することがある。

1 精神若しくは身体に故障があるため又は虚弱、老衰、疾病のため業務に堪えられないと認められるとき

2 職員の責に帰すべき事由のあるとき

3 執務能率が著しく薄弱と認められるとき

4 天災地変その他やむを得ない事由によつて組合の事業継続が不能になつたとき

5 経営不振により事業縮小のやむなきに至つたとき

6 その他前各号に準ずるやむを得ない事由のあるとき」と定める。

(二) 原告は、前記雇傭以来、経済課に所属して、特に昭和四七年頃からは農機具に関する業務(農機具の販売及び修理等。以下「農機具業務」という。)に専念し(農機具業務に専任する者を以下「農機具専職」という。)、昭和五二年一月一〇日から同年三月二一日までの間金融課に転じていたが、同月二二日からは再び農機具業務の部門に復帰した。

但し、被告組合では、毎月一回(原則として毎月七日)、ほぼ全職員が一斉に各組合員(本判決中で単に「組合員」というときは、被告組合員の意である。)の家に出向いてその預金を集金して回ることになつていて、原告も、その日には右集金業務に従事していた(原告の居住地であつた市原地区を担当していた。)。

組合員の定期積金(一定の契約期間、定期的に一定額<掛金>を預金するもの。)の掛金を集金するについては、被告の定める「貯金事務取扱要領」という規程中で、「当日入金の集金カードによつて定期積金受入伝票を起票する。」とされており、実際の取扱も、集金者(職員)は、掛金を集金したその場で、積金者(組合員)保管にかかる積金通帳の当該回次欄につき、「領収年月日」欄に右集金日を記入し、「証印」欄に自分の印を押捺するとともに、その欄外と右にいう集金カード(各口座毎に一枚ずつ設けられる。)の同一回次欄の「割印」欄とにかけて割印を押捺する、そして、右にいう定期積金受入伝票(「貸方票」)を起票する(集金した各掛金毎に一枚宛作成する。)とともに、自分が当該集金日に集金した預金を全て登載する台帳(「外務集金台帳」)に所定の事項を記入したうえで、当該集金日又はその翌日(これが休日に該たる場合には翌々日)、外務集金台帳、貸方票及び集金カード並びに集金した現金を出納係に提出する、というものであつた。出納係は、その現金と外務集金台帳等とを照合して、現金は金庫に納め書類は貯金係へ回す、貯金係は、集金カード及び貸方票に基づいて、各口座毎に設けられている定期積金元帳に当該掛金の入金の旨を記入する、という取扱であつた。

なお、被告の設けていた定期積金の内「ゴールド積金」(以下単にゴールド積金という)は、一回(一か月)の掛金が一万三一〇〇円(最終回は端数)で、三六回積立であつた。

(三) 原告には、次のとおり、前記就業規則四七条二項の2号及び3号に該当する事由があつた。

(1) 組合員から定期積金の掛金を集金するにあたり、所定の集金カードを使用していなかつた(3号)。

右(二)のようにして集金カードを使用すれば、集金者も貯金係も、これを見ることによつて、第何回次までの掛金が積まれているかを間違えることがない。貸方票及び外務集金台帳は、前記のとおりその都度作成するものであつて、それ自体では回次の連続性がわからないから、右のような効用を必ずしも期待できない。

そこで、被告は、集金業務を担当する全職員に対して、集金カードを必ず使用するよう指導して来たのであるが、原告のみは、再三の注意にもかかわらず、これを使用しなかつた。

(2) 昭和四九年八月七日、組合員市本頴夫からそのゴールド積金の掛金一万三一〇〇円を集金しながら、所定の被告への入金処理をしなかつた(この件を以下「市本事件」という。)(2号)。

市本のゴールド積金の積金通帳の第七回次欄につき、原告が、その「領収年月日」欄に昭和四九年八月七日と記入し、「証印」欄に自己の印を押捺してあるが、原告は、右第七回次分掛金につき、貸方票も起票せず、同月集金分の外務集金台帳にも登載しないで(集金カードを使用していないこと前記のとおり。)、同年九月九日に至つてはじめて貯金係職員の今本ヤエノに現金のみ交付して被告に入金した(今本が同日積金元帳への記入をした。)ものである(前記のとおり集金後直ちに入金すべきところ。なお、九月七日に集金した第八回次分と一緒に交付した。)。

(3) 昭和五二年八月七日、組合員木坂操からそのゴールド積金の掛金二万六二〇〇円を集金しながら、所定の被告への入金処理をしなかつた(この件を以下「木坂事件」という。)(2号)。

木坂のゴールド積金は二口座(口座番号三五〇号と一一二〇号)あつたが、三五〇号の積金通帳の第三〇回次欄及び一一二〇号の積金通帳の第一二回次欄につき、いずれも、原告が、その「領収年月日」欄に昭和五一年八月七日と記入し、「証印」欄に自己の印を押捺してある。しかし、原告は、右各回次分掛金につき、貸方票も起票せず、同月集金分の外務集金台帳にも登載しないで(集金カードを使用していないこと前記のとおり。)、被告への入金処理をしなかつた。そこで、被告(貯金係)は、木坂の右八月分掛金は積まれなかつたものとしてその後の処理をしていたが、昭和五二年二月七日に至つて、調査の結果右のような齟齬を知つた。原告は、被告から右の点を指摘された結果、その落度を認めて、同年三月一日前記八月分掛金二万六二〇〇円を弁償入金するとともに、同月一八日には右落度を認める旨の「始末書」をも提出した。

(4) 昭和五〇年三月頃農機具一台を原光行夫に代金一〇万円で売却して、同年四月二五日右代金を受領しながら、内二万円につき所定の被告への入金処理をしなかつた(この件を以下「農機具代金事件」という。)(2号)。

本来は代金受領後直ちに入金すべきところ、内八万円は遅ればせながら同年五月八日に入金したものの、残二万円については、被告が不審として調査を始めた直後の昭和五一年四月一七日頃に至つてはじめて、右調査を察知したために、売買仲介者の高坂良治を通じて入金したものである。

(5) 昭和五二年八月二〇日頃被告の公簿である農機具購買品元帳一冊(後掲甲第三二号証。表紙に「農機具大覚書」と題する。)を外部へ持ち出し、その後も、被告からの返還要求に応じない(この件を以下「覚書事件」という。)(2号)。

(6) 出勤状況及び勤務態度が極めて悪かつた(3号)。

昭和五一年の一年間につき、無断欠勤一四日(但し、内九日は後日届出)、無断有給休暇一八日(但し、内三日は後日届出)、無断夏休暇六日(但し、後日届出)、無断で午前中欠勤六日、遅刻二四日、出勤時刻をタイムカードに打刻しないこと一日、退出時刻につき同様一三日。

昭和五二年一月から同年七月までの間につき、無断欠勤五八日、無断有給休暇一五日、遅刻一一日、早退三日、退出時刻をタイムカードに打刻しないこと三日。

昭和五〇年三月末及び九月末並びに昭和五一年三月末及び九月末の各決算期ないし仮決算期に、農機具専職としてなすべき農機具部品の棚卸をしていなかつた(後に遅れて決算書を作成した。)。

昭和五一年七月一六日からの三日間及び同年一二月三日からの三日間にそれぞれ行なわれた農機具展示即売会に際し、農機具専職でありながら、同年七月一六日には無断で夏休暇をとり、同月一七日は遅刻、同年一二月四日及び五日は無断で欠勤した。その結果、右即売会業務に多大の支障を及ぼした。

(四) そこで、被告は、原告に対して、まず昭和五二年三月二九日及び同年四月一日依願退職するよう勧告し、原告がこれに応じないので、前記就業規則四七条二項2号及び3号に該当するものとして、理事会の決定を経たうえで本件解雇に及んだ。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

1  抗弁1及び同2(一)の各事実はいずれも認める。

2  同2(二)の内、集金カードに関する部分を除くその余の事実は認める。

3  同2(三)にいう就業規則四七条二項(2号及び3号)への該当は争う。

右四七条二項にいう解雇は、制裁の趣旨を含まず(懲戒解雇については別条に定めている。)、労務の給付又は受領が主として客観的事情から困難ないし不可能である場合に備えたものである(その1、4、5号の文言からしても右のことは明らかである。)。2号の「職員の責に帰すべき事由のあるとき」とは、職員が、1号のように疾病に罹患するなどの合理的やむを得ない理由もないのに、就労せず、改善の見込みもないような場合を指し、3号の「執務能率が著しく薄弱」とは、職員が、労務遂行能力に欠け、あるいは著しく劣弱であつて、これを職場から排除しなければ事業の運営に支障を来たすような場合を指す。被告が掲げる各事由はいずれも、そもそも同項の射程外である。

4  抗弁2(三)(1)(集金カード不使用)について

被告の定める「貯金事務取扱要領」という規程中では、定期積金の掛金を集金するにあたつては集金カードを使用すべきものとされていること、同カードを使用する場合の用法が、抗弁2(二)で被告が主張するとおりであること、貸方票及び外務集金台帳は、その都度作成するものであつてそれ自体では回次の連続性がわからないこと、原告が集金カードを使用していなかつたこと、以上の各事実は認めるが、その余は否認する。

集金カードが使用されはじめたのは昭和四九年頃であり、原告も当初の三か月位はこれを使用していたが、その頃、被告職員の労働組合(以下では「労組」と略すことがある。)が、被告に対し右カード導入に反対する旨申し入れたうえで、これを使用しないとの方針をとつたことから、労組員であつた原告もそれ以来右方針に従つたものである。外務集金台帳及び貸方票の外に集金カードを併用する必要性はなく(外務集金台帳又は貸方票に正確に記入すれば、掛金の回次を間違えることはない。)、右カードを使用するとなると、二重手間であるし、用紙が厚いため積金通帳との割印が困難であるなどの事情もあつて、集金事務が繁雑化する。これらの理由で労組が右のように反対を申し入れたのであるが、その交渉の過程等において、幹部職員も集金カードは不要であると述べており、これを使用しなくてもよいことについては被告組合内で暗黙の了解があつた。実際、原告以外にも集金カードを使用しない職員が少なからずいたし、原告自身、上司等から不使用につき注意されたこともない。但し、昭和五二年三月以降は、被告が集金カードの使用を明確に命じたので、原告もこれに従つた。

5  抗弁2(三)(2)(市本事件)について

市本のゴールド積金の積金通帳の第七回次欄につき、原告が被告主張のような記入及び押印をしていることは認めるが、原告は昭和四九年八月(七日)には市本からゴールド積金の掛金を集金していない(従つて、被告主張のように貸方票の起票及び外務集金台帳への登載をしていない。)。

昭和四九年八月七日終日及び翌八日午前中は労組がストライキを実施したのであり、従つて、原告は七日は集金業務に就かなかつた。被告の役員(監事)であつた市本は、右ストライキを事前に知つていたので、七日、原告が集金に来るのを待つことなく、八月分の掛金を自ら直接(窓口に持参するなどして)管理職員に交付したのであつて、これが、ストライキ解除後本来の貯金係職員に正確に引き継がれなかつたため、翌九月九日まで放置され、同日、貯金係の今本が、同月七日集金分の処理をする際、この点に気付き、前記八月分を併せて入金処理した(積金元帳への記入をした)ものである。原告は、九月七日、同月分の掛金を集金した際、市本の家人から八月分は前記のようにして直接交付しているからと言われて(なお、原告は、八月八日ストライキ解除後市本家に集金に赴いたが、その際にも右の点を聞かされ、他種積金の掛金二〇〇〇円のみを集金した。)、その積金通帳の第七回次欄につき前記のような記入及び押印をしたに過ぎない。原告には何らの落度がない。

6  抗弁2(二)(3)(木坂事件)について

木坂のゴールド積金が二口座(三五〇号と一一二〇号)あつて、三五〇号の積金通帳の第三〇回次欄及び一一二〇号の積金通帳の第一二回次欄につき、原告が被告主張のような記入及び押印をしていることは認めるが、原告が昭和五一年八月七日木坂からゴールド積金の掛金を集金したとの事実は否認、被告主張のとおり右各回次分の掛金につき貸方票の起票及び外務集金台帳への登載をしていないこと、原告が、木坂事件に関して、昭和五二年二月被告から指摘を受けて、被告に対し、同年三月一日二万六二〇〇円を弁償し入金、同月一八日「始末書」を提出したことは認める。

原告は、右のように指摘を受けた際、半年も前のことで記憶がはつきりしなかつたが、前記のとおり領収印を押捺していることでもあり迷惑をかけてはいけないという思いから、右のとおり弁償し、更に、被告の組合長(中井孝己)から「始末書を提出し他の課へ移ることで結着させる。」旨言われて、右のように始末書を提出した(なお、前記のとおり一月一〇日に金融課に移つたばかりであつたのに、三月二二日木坂事件を原因として経済課に配転させられた。)ものである。

木坂事件に関しては、実際には金員を受領していない可能性がある(木坂は、現金と積金通帳とを茶色の封筒に入れて、これを隣家の平岡方に預けていることが多かつたが、例えば、木坂が現金を入れるのを失念していたのに、原告の方ではいつものとおり現金が入つているものと思い込んで領収印を押捺した、というような場合。)し、他方、その当時被告に入金している可能性もある(外務集金台帳には登載していないが、現金は出納係ないし貯金係に交付した<その余の昭和五一年八月七日集金分は一旦整理してしまつた後に木坂分を集金したというような事情があつて。>のに、係職員の手落ちで入金処理されなかつた、というような場合。)。ここで、貯金係の今本の事務処理が一般的に極めて粗雑で誤りも多かつたことが参考にされるべきである。なお、昭和五一年八月七日に原告が集金したものの中に、友田キヨノのゴールド積金の掛金二か月分があつたが、これについては、内二万五〇〇〇円分は別預金からの振替の方法によるもので、現金は一二〇〇円しか受領しなかつたのであつて、右特殊事情が手伝つて貯金係の入金処理のミスが生じた可能性もある。

ともかく、原告としては、少なくとも木坂の掛金を故意に着服横領したということはない。

7  抗弁2(三)(4)(農機具代金事件)について

昭和五〇年三月頃農機具一台を仲介者高坂を通じて原光に代金一〇万円で売却したこと、右代金を受領し(同年五月初め頃高坂から受領した。)、同年五月八日八万円のみ被告に入金したこと、残二万円については、後に(同年秋頃)、被告へ渡してくれるよう依頼して高坂に交付したこと、以上の各事実は認める。

本件は、他から下取りした中古の農機具に修理を施して売却したものであり、代金の内二万円部分は右修理費(部品代及び工賃)に該当していた。そこで、右二万円については、右部品につきその仕入先(経済連)から価格を記載した伝票が届くのを待つて被告への入金処理をしようと思い、直ちには右入金処理をしなかつた。ただ、八万円の入金処理をした前記五月八日、経済課帳簿係の職員前田佐智子に対して、右のような思いを話したうえで金庫に保管しておいてくれるよう頼んで、二万円も併せて交付した(二万円は同日以降同課金庫に保管されていた。)。

その後、右伝票が届くのも遅れたためもあつて、二万円の入金処理を失念していたところ、同年秋頃、被告の役員塚本が本件につき調査していることを聞き及び、同人のそれまでの極めて特異なやり口(職員の小さなミスをとり上げて退職に追い込むなど。)のことを考えて、自身としてはやましいところはなかつたが、高坂に対し、被告の者が来たら未払であるとして支払つてくれるよう依頼して、二万円を交付したものである。

8  抗弁2(三)(5)(覚書事件)について

昭和五二年八月二〇日頃、表紙に「農機具大覚書」と題する甲第三二号証を前田から借り受け、これをその後も原告が保管していることは認める。

右「大覚書」は、被告が農機具購買品元帳の作製制度を既に廃止していたところ、前田が自己と原告の執務の便のため私的に作成していたメモに過ぎず、被告の公簿ではない。原告は、本件に関する地位保全の仮処分申請事件の疎明資料として裁判所に提出するため前田から借り受けたものである。

9  抗弁2(三)(6)(出勤状況及び勤務態度)について

出勤状況に関する被告の主張事実はそもそも必ずしも正確ではないし、農機具専職の勤務態様の特殊性を考慮すべきである。特に農繁期には、出勤途上で農機具の修理を依頼されることも多いし、修理のため勤務時間をはるかに超えて作業することも多いのであり、他の職種のように規則的に出退勤することは望めない。タイムカードの打刻も不規則になり易い。農機具の販売セールスも夜間に行なわざるを得ない場合が多い。

右のような特殊事情があるため、木坂事件が表面化した昭和五二年三月頃までは、被告から出勤状況について注意を受けたことはなかつた。なお、被告組合においては、休暇のとり方等につき他の職員もかなりルーズであつて、原告の出勤状況が特に悪いという訳ではなかつた。

昭和五二年四月以降は、被告の組合長から、依願退職するよう勧告され、出勤しないよう言われていたものである。

棚卸をしていなかつたとする点は争う。但し、内一回だけは、労組の残業拒否のため、経済連職員が代行したことがある。なお、二日程度遅れたこともあつたが、被告役員から事前に、多忙であるということで了解を得ていた。

被告主張のとおりの即売会については、七月一六日及び一二月四日に欠勤したこと並びに七月一七日遅刻した(一時間位)ことは認めるが、その余の事実は否認する。その準備はきちんとしたうえでの欠勤であり、右業務に支障は及ぼしていない。

原告は、農機具専職として多大の実績をあげていたのであり、全体的にみるならば、その勤務態度は決して悪くない。なお、原告は、昭和四六年頃から昭和五〇年一〇月頃までタクシー運転手のアルバイトをしていた(その後一年間位の間にレンタカー運転手のアルバイトも数回した。)が、勤務時間外でのアルバイトであることもちろんであるし、特に日曜祭日あるいは職務が比較的忙しくないときの夜間にすることが多く、その職務には影響を及ぼしていなかつた(なお、原告は、右アルバイトをすること自体については被告の了解を得ていたのであり、原告の外にも数名が同様にタクシー運転手のアルバイトをしていた。)。

10  抗弁2(四)の事実は認める。但し、依願退職「勧告」とはいつても、被告の組合長中井は、原告に対し、「退職願いを出すよう。今後出勤するな。退職しなければ懲戒解雇になるおそれもある。」旨述べて、退職を強要したのであり、実際、昭和五二年四月一日原告が出勤した際にはタイムカードも引き上げられていたのであつて、実質的には解雇に該たるようなものであつた。

11  本件解雇に至る経過等について

(一) 本件のそもそもの発端は、被告が昭和五二年二月に木坂事件を知つたことであるが、同事件に関しては、一旦は、前記のとおり弁償、始末書の提出及び配転によつて結着済みとなつていた。

ところが、前記のとおり同年三月二九日及び同年四月一日に依願退職の勧告がなされた。その際は、木坂事件のみが理由とされていた。

その後、原告は、右勧告は解雇に該たるものとして、地位保全の仮処分申請(昭和五二年四月六日)及び不当労働行為救済の申立(同月一三日)をしたが、被告が未だ解雇はしていないと主張したこともあつて、前者を昭和五二年五月、後者を同年一一月五日にそれぞれ取り下げた。右後者の取下げ直後本件解雇がなされた。

(二) 本件解雇理由についてみるに、後に述べる不当労働行為の点をひとまず措けば、その中心はあくまでも木坂事件であり、他の各事由はこれを補強するためとつて付けたものに過ぎない。

特に、市本事件、農機具代金事件及び覚書事件については、被告は本件解雇当時これらを解雇理由として認識していなかつた。覚書事件は、本件の仮処分申請事件の口頭弁論期日(昭和五四年七月一一日)にはじめて被告に判明したものであるし、農機具代金事件については、遅くとも昭和五一年四月一七日には前記のような経過で高坂から二万円が被告に入金されたため、その後は、被告としても、不審点が解明できた(即ち、原告に非はなかつた。)ものとして、この件を問題にすることはなかつたのであつて、その後の昭和五三年一月一日頃に至つて、高坂から新たな供述を得たということで再びとり上げるようになつたものである。市本事件については、地労委における審問(昭和五二年一〇月一五日)を契機としてその後調査した結果知つたものであり、少なくとも、本件解雇時にあつては、被告は、三年以上も前の、わずか一か月の入金遅れに過ぎないということで、解雇理由としていなかつた。

なお、木坂事件についても、被告は、原告の故意による着服横領と決めつけていた(被告は、本件訴訟の途中までは一貫して、横領であると主張していた。)からこそ、解雇理由としたものである。

五  原告の主張に対する認否及び反論

1  右四4について。

集金カードについて、労組から反対する旨の申入れがあつたことは認める(原告が労組員であつたことも認める。)が、幹部職員が不要であると述べていたとか、不使用につき暗黙の了解があつたとする点は否認する。集金カードを使用していなかつた職員は、原告の外にはせいぜい一名である。

2  右四5について。

労組のストライキは七日午前中で中止され、同日午後には原告も含めて全職員が集金業務に就いた。原告は、九月九日、今本に対して、市本分として二か月分二万六二〇〇円を交付したものである。

原告の主張するように市本(被告の監事であつたことは認める。)が直接管理職員に交付したものとすれば、当該職員が当然その時点で積金通帳に領収印を押捺するはずである。

3  右四6について。

被告の組合長(中井孝己)が「始末書を提出し他の課へ移ることで結着させる。」旨言つたことは否認する。貯金係今本の事務処理云々は木坂事件には関係ない。友田の振替の件も関係ない。

4  右四7について

当該農機具が、他から下取りした中古品に修理を施したものであることは認めるが、代金一〇万円は、右修理費云々には関係なく、売却代金として直ちに入金処理すべきものである。前田(経済課職員)に対して二万円も併せて交付したことは否認する。仮に原告主張のとおり保管させていたにしても、原告が一年近くも入金処理をしていなかつたことに変わりはない。原告が偽装工作をして高坂に二万円交付したことは認める。

5  右四9について

農機具専職の勤務態様に若干の特殊性があつたにしても、タイムカードの打刻はきちんとするよう、また欠勤等についてもきちんと事前に届け出るよう常日頃注意、指導していた。

昭和五三年四月以降組合長が出勤しないよう言つていたとする点は否認する。被告は、同月以降も原告に対して給与を交付していたのであり、出勤しないよう命ずるはずがない。

棚卸の遅れにつき被告役員が事前に了解を与えていたことは否認する。

原告が多大の実績をあげていたことは否認する。なお、原告は、昭和四六年頃から昭和五一年まで、タクシーあるいは後にレンタカーの運転手のアルバイトをしていた(単純に計算すると一日平均五時間位)のであり、右事実からしても、原告の勤務態度の悪さを知ることができる。被告が右アルバイトにつき了解を与えていたことは否認する。

6  右四10について

昭和五二年四月一日原告のタイムカードが用意されていなかつたことは認めるが、それは単なる事務上の手違いから生じたものであり、その後直ちに備え付けた。

7  右四11(一)について

原告主張の仮処分申請及び不当労働行為救済申立の各経過は認める。

木坂事件につき一旦は結着済みとなつたとする点は争う。始末書は、事の真相解明のため報告を求めたものであるし、配転は、原告の適性を考慮した単なる異動であり、いずれも、木坂事件に対する処分という意味は持たない。

依願退職勧告は、木坂事件のみではなく、前記のような出勤状況及び勤務態度の不良等も理由としていた。

8  右四11(二)について

被告は、本件解雇当時、その解雇理由として前記各事由をいずれも認識していた。

市本事件は、原告主張のような経過で知るに至つたものであるが、本件解雇当時これも解雇理由として認識していた。

六  再抗弁

1  不当労働行為

原告は、被告の職員で構成する労働組合(名称は「安浦町農業協同組合労働組合」)の、結成(昭和四八年八月頃)以来の執行委員であり、昭和四九年二月からは副委員長、同年一一月からは執行委員長であつた。

被告の本件解雇は、原告が右のように労組の幹部であつたこと、また、原告が前記のとおり不当労働行為救済の申立をしたことがその主たる動機となつている。従つて、本件解雇は、不当労働行為に該たり、無効である。

2  解雇権の濫用

前記四で述べた諸事情のもとにおいては、本件解雇は、著しく不合理であり、社会通念上相当なものとして是認することができず、少なくとも解雇権の濫用として無効である。

七  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の内、前段の事実は認めるが、その余は否認し又は争う。

2  同2は争う。

(証拠)<省略>

理由

一請求原因1の事実(原被告間の雇傭契約)及び同3の事実(雇傭関係についての争い)並びに抗弁1の事実(本件解雇の意思表示)はいずれも当事者間に争いがない。

二そこで、本件解雇が有効であるか否かにつき、以下検討を加える。

1  抗弁2(一)の事実(就業規則の解雇条項<四七条>)は当事者間に争いがないところ、本件解雇が、同条二項2号、3号に該当する事由があるとしてなされたこと、当事者間に争いがない。

そこで、本件解雇当時において、原告につき右の2号、3号に該当する事由が存したか否かについて判断することになる。当時右事由が存しなかつたとすれば、本件解雇は、前記就業規則の適用を誤つたものとして、無効となる理であるが、右事由の存否の判断にあたつては、本件解雇当時において被告が認識していた事実のみを資料とすべきこと当然である。

原告が、被告の掲げる解雇事由はいずれも、そもそも右2号、3号の射程外であると主張する(事実欄四3)ところでもあるので、まず、右各号の解釈につき検討しておく。

同条は、その一項で解雇には正当事由が必要があることを謳い、二項に右正当事由を列挙しているというべきであるが、<証拠>によれば、前記就業規則は、「第四章 採用、休職、退職、解雇」中に同条を置き、これとは別に、「第八章 表彰、制裁」中の「第二節 制裁(懲戒)の事由、種類及び方法(順次・第七二条、第七三条及び第七四条)を規定して、右懲戒の種類の一つとして「解雇」も定めていることが認められ、右認定事実と前記四七条二項各号の文言とを併せ考えると、同条にいう解雇は制裁(懲戒)の趣旨を含まないもの(いわゆる通常解雇ないし普通解雇)であり、かつ、同条二項の内少なくとも1号、4号及び5号はいずれも、職員(被用者)の故意、過失によらない原因(精神若しくは身体の障害又は虚弱等<1号>、事業の廃止又は縮小<4号、5号>)のため労務の給付又は受領が困難又は不可能な場合を予定していることが明らかである。

原告は、2号及び3号も右同様の場合を予定していると主張する。しかし、2号は、まさに「職員の責に帰すべき事由」のあるときというのであるから、職員の故意、過失による事由を指すこと明らかであるし、3号は、「執務能率が著しく薄弱」というのであつて、1号のように労務の給付が困難又は不可能という程のものとは解し難い。6号に、1ないし5号を指して「その他前各号」に準ずるやむを得ない事由と規定しているところからして、2号及び3号も、1号、4号及び5号とほぼ同列に並べられる程度の事由と解すべきではあるが、しかし、そもそもは(就業規則による制限を除外すれば)使用者は原則的に解雇の自由を保有していること、そして、本2号及び3号の文言が抽象的であることをも併せ考慮すると、右各号は、原告が主張する程厳格な意味ではなく、職員に故意又は過失による非違行為があつて(2号)、あるいは、職務遂行能力が著しく低劣であるため(3号)、解雇するのでなければ業務の運営に重大な支障を及ぼすような場合をいうものと解すべきである。

そうとすると、前記七二条の懲戒事由とも重なる部分が生じることになるが、本来的には懲戒解雇事由があると認められるときでも、情状により普通解雇にとどめるのを妥当とするという場合を慮つて、これを可能とするような条項を就業規則に定めることも、当然是認されてよい。被用者に利益だからである。

ただ、懲戒解雇における手続的制約(就業規則に定める。)等を潜脱するために右のような普通解雇が利用される場合には、少なくとも解雇権の濫用が問題とされる、というにとどまる。

以上のような解釈を前提にして検討を進める。

2  ここで、抗弁2(二)の内集金カードに関する点を除くその余の事実(原告の職務及び定期積金に関する事実)は当事者間に争いがない。

3  抗弁2(三)(3)(木坂事件)について

木坂のゴールド積金が二口座(三五〇号と一一二〇号)あつて、三五〇号の積金通帳(乙第三七号証)の第三〇回次欄及び一一二〇号の積金通帳(乙第三八号証)の第一二回次欄につき、原告が被告主張のとおりの記入及び押印をしていることは当事者間に争いがなく、右事実に前記2の定期積金に関する事実を併せると、原告は、昭和五一年八月七日、木坂の右ゴールド積金につき各一か月分(三五〇号の第三〇回次分と一一二〇号の第一二回次分)計二万六二〇〇円の掛金を集金したものと推認される。原告は、実際には金員を受領していなかつた(にもかかわらず、受領したものと思い込んで領収印を押捺した)可能性もあると主張するが、本件のような預金集金業務にあつては、集金者は誰しも、その場で金員の確認をすることを最重要視するであろうこと明らかであつて、右のような可能性は容易には想定し難く、本件全証拠を精査してみても、前記推認を覆すに足りる証拠はない。

ところで、原告が、右各回次分掛金につき、貸方票を起票せず、昭和五一年八月(七日)集金分の外務集金台帳にも登載してなかつたことは当事者間に争いがないし、右事実に、<証拠>を併せると、原告は、同月一〇日頃、経済課職員の前田佐智子に対し、出納係(ないし貯金係)への入金手続をしてくれるよう依頼して、同月七日集金分の現金を右外務集金台帳と共に交付したが、その際、右現金と、右外務集金台帳に登載されていた集金金額(なお、同日集金分の中には、一部現金でないもの<他種預金からの振替依頼のもの>が含まれていたが、これを除く。)とは一致していた(前田はその一致を確かめたうえで入金手続をした。)ことが認められる。そうとすると、右のとおり原告が前田に同月七日集金分の入金手続を依頼した際には、木坂の前記掛金二万六二〇〇円は含まれておらず、原告は、右掛金につき、同月七日に現実に集金したにもかかわらず、これを自己の手元に置いたままにし、少なくとも、その余の同月七日集金分と一緒には被告に対して入金しなかつたものというべきである。

ここで、被告の指摘があつたことから、原告が昭和五二年三月一日被告に対して木坂の右掛金分として二万六二〇〇円を弁償入金したことは当事者間に争いがないところであるが、前段の認定に照らせば、木坂の右掛金(昭和五一年八月七日集金分)については、原告がこれをその余の同日集金分とは別途に入金しなければならなかつたという特段の事情でもない限り、原告は、右の弁償入金に至るまでは、これを被告に対して入金していなかつたものと推認される。原告は、その余の同月七日集金分を一旦整理してしまつた後に木坂分を集金したという場合もあり得る旨主張するが、そのような場合であつたにしても、同じく同月七日に集金し、その三日位後の同月一〇日頃に入金手続をしたのであるから、それだけでは、木坂分のみ別途に入金しなければならない事情があつたとは到底いうことができず、他に、本件全証拠を検討してみても、右特段の事情をうかがわせるに足りる証拠はない(右推認を覆すに足りる証拠がない。)。なお、以上に述べたところからして、原告の主張する貯金係の事務処理の杜撰さとか振替分が一部含まれていたこととかは、右認定を左右するようなものでないこと明らかである。

では、原告は木坂の前記掛金二万六二〇〇円を故意に着服横領していたと認められるか(被告はその点まで主張してはいないが、後の判断に際して資料となるので、ここで検討しておく。)。

前記2の定期積金に関する事実によれば、定期積金の掛金を集金しながらこれを着服しようとしても、その集金の際積金通帳に領収印を押捺する限り、未入金であることは早晩発覚してしまう(特に木坂の三五〇号については、本件は第三〇回次分であつたから、半年位後には発覚する。)こと明らかであるし、<証拠>によれば、昭和五二年四月以降、被告組合では、木坂事件の発覚を機に、原告が集金を担当していた市原地区組合員の預金全部につき詳しい調査をしたが、後に認定する市本事件以外には不審な点は見出されなかつた(市本事件にしても、後に述べるとおり、せいぜい、一か月の入金遅れである。)ことが認められ、右事実によれば、原告は、少なくとも木坂事件以外では、預金の集金業務に関して不正は働いていなかつたと推認されるから、これらに、証人宮原積の証言及び原告本人尋問(第一回)の結果によつて認められる原告の身上経歴及び当時の経済状況等(かなり裕福な家庭であり、経済的に窮するという状況は全くなかつた。木坂方とは近所でもある。)をも併せると、原告が木坂の前記掛金を故意に着服したとは到底考え難い(結局、過失による未入金であると認められるにとどまる。)。

4  抗弁2(三)(2)(市本事件)について

市本のゴールド積金の積金通帳(乙第四八号証の四)の第七回次欄につき、原告が被告主張のとおりの記入(領収年月日に昭和四九年八月七日と記入)及び押印をしているところ(乙第四八号証の四のうち第七回次欄の部分の成立については当事者間に争いがない。)、右第七回次分掛金(一万三一〇〇円)については、現実に被告への入金処理がなされたのは同年九月九日である(即ち、貯金係職員の今本ヤエノが、同月七日集金分を処理する際一緒に積金通帳への記入をした。)こと当事者間に争いがない。

右の点について、被告は、「原告は、昭和四九年八月七日市本の右掛金を集金しながら、これを翌月になつてはじめて今本に交付して被告に入金した。」旨主張するのに対し、原告は、右掛金を原告は集金していないとしてその間の事情を事実欄四(抗弁に対する認否及び原告の主張)5のとおり主張している。

ところで、まず、積金通帳に前記のとおりの記入及び押印がある以上、木坂事件の場合と同様に、原告が被告主張のとおり前記掛金を集金したものと推認するのが相当であるから、右推認を覆すに足りる証拠があるか否かにつき検討する。

確かに、昭和四九年八月七日は、少なくとも午前中、労組がストライキを実施したこと当事者間に争いがなく、右事実に、<証拠>を併せると、当組は同日一旦は無期限ストライキに突入したことが認められるし、右の各証拠によれば、労組は、その前日までに、ビラを配付するとか放送するとかの方法により広く組合員に対し右ストライキ突入の旨を宣伝したし、特に組合役員に対しては、その自宅に赴いて右ストライキにつき説明するなどのこともしたと認められるから、被告組合の役員であつた(この点は当事者間に争いがない。)市本は、同月六日までには、同月七日から労組がストライキに突入することを了知していたものと推認される(これを覆すに足りる証拠はない。)のであつて、これらは原告の前記主張(及びこれに沿う原告本人の供述<第一、二回>)に一部沿う。しかし、<証拠>によれば、原告は、昭和四九年八月分の預金集金業務については、ほぼ全件を同月八日に集金しているものの、少なくとも市本の積立貯金(ゴールド積金とは別種)二〇〇〇円と外一名の預金五〇〇〇円の二件は同月七日に集金したことが認められる(右乙第四七号証の二は原告作成の昭和四九年八月分の外務集金台帳であるところ、これには、右二件も含めて全件につき年月日欄に「八月八日」との記載があるが、これは、同月集金分を全件連ねて登載するものであるため便宜一括したに過ぎないとみるべく、右二件の貸方票である乙第六二号証の二、三にはいずれも「八月七日」と原告が記入している。)から、同月七日の前記ストライキが全日であつたか半日であつたかを判断するまでもなく、原告の前記主張(前記のとおり、原告本人はこれに沿つた供述をしている。)は、同日には原告は全く預金集金業務に就かなかつたとするその骨子部分が右認定の客観的事実(なお、<証拠>によれば、当時労組の委員長であつた森吉も、同日数名の組合員から預金を集金したことが認められる。)に反するというべく、この点の外、もし原告主張の如く市本が本件掛金を直接管理職員に交付したとすれば、当該職員がその場で積金通帳に領収印を押捺するのが自然であるのに、そのような押印のないこと、右のような直接交付を認め得る的確な証拠もないこと等に照らすと、原告の前記主張(及びこれに沿う前記の原告本人の供述部分)は全体としてみてこれを直ちに採用できないというべきである(しかも、仮に市本が本件掛金を直接管理職員に交付したとすれば、何故前記積立貯金二〇〇〇円についてだけは市本が原告に直接手渡すことにしたのか不可解であるというほかない。)。本件全証拠を精査してみても、他に、前記推認を覆すに足りる資料は見出せない。

次に、右掛金につき、原告が、貸方票も起票せず、同じ昭和四九年八月集金分の外務集金台帳にも登載していなかつたこと当事者間に争いがなく、右事実に前記の現実の入金処理の状況及び<証拠>を併せると、原告は右掛金を同年九月七日までは被告に入金しなかつたものと推認され、結局、原告は、被告主張のとおり、昭和四九年八月七日市本のゴールド積金の掛金一万三一〇〇円を集金しながら自己の手元に置いたままにし、これを翌月になつてはじめて翌月分と一緒に入金したものと認めるのが相当である。なお、木坂事件の場合と同様、故意による着服とは到底言い難く(被告もそうは主張していない。)、過失による一か月の入金遅れと認められるにとどまる。

5  抗弁2(三)(1)(集金カード不使用の件)について

被告の定める「貯金事務取扱要領」という規程中で、定期積金の掛金を集金するにあたつては集金カードを使用すべきものとされていること当事者間に争いがないし、同カードを使用する場合の用法が、抗弁2(二)で被告が主張するとおりであること、貸方票及び外務集金台帳は、その都度作成するものであつて、それ自体では回次の連続性がわからないこと、これらも当事者間に争いがなく、右各事実に前記2の定期積金に関する事実を併せると、定期積金の掛金集金業務において、集金カードの使用は、集金者及び貯金係(終局的には被告組合)が掛金の回次を間違うのを防止するために重要な役割を果たす(貸方票又は外務集金台帳に正確な記入をし、これを月を追つて正確に積金元帳に転記してゆくならば、理論的には回次を間違えることはないはずであるし、更に、貸方票又は外務集金台帳に当該掛金の回次をも正確に記入すれば、実際上も回次の間違いはないはずである。しかし、そもそも右の「正確に」というところに難点があるし、貸方票であることに争いのない<証拠>及び外務集金台帳であることに争いのない<証拠>によれば、貸方票及び外務集金台帳にはいずれも特に回次欄としては設けられていないことが認められる。これらに反し、集金カードを使用すると、ある意味で機械的に順を追つて前記のように割印を押捺してゆけば、まず回次を間違うことはあり得ない。)ものといえる。

ところが、原告が集金カードを使用していなかつたこと当事者間に争いがない。この点に関する事情につき以下検討する。なお、<証拠>によれば、原告は、木坂事件が発覚した昭和五二年頃、上司から指示されて集金カードを整備したが、その後同年三月の前記配転以降は集金業務を担当しなかつたことが認められるので、右二月頃以前の事情について検討する。

<証拠>によれば、被告組合においては、定期積金の集金を担当する職員に対して、集金カードを使用するよう少なくとも一般的には指導していたし、その結果、原告を除くほぼ全員が実際に同カードを使用していたが、他方、原告に対して上司等が個別に同カードの件につき注意し指導するということはなかつたし、同カードが導入された当初、労組からこれに反対する旨の申入れがあつた(この点は当事者間に争いがない。)にもかかわらず、被告組合としては、右申入れを一応は拒否したものの、必ずしも決然たる態度はとらず、しかも、その後、被告組合側から積極的に同カードを集金者に交付するという体制はとつていなかつたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

なお、<証拠>によれば、原告は、定期積金の掛金の集金に関し、少なからぬ件数、外務集金台帳及び貸方票にその回次を記入していなかつたことが認められる。

6  抗弁2(三)(4)(農機具代金事件)について

原告が、昭和五〇年三月頃農機具一台を仲介者高坂良治を通じて原光行夫に対し代金一〇万円で売却し、右代金を受領した後の同年五月八日、内金八万円のみを被告に入金したこと、残金二万円については、その後被告が不審として調査を始めた後に、原告がこれを知り、高坂を通じて被告に入金したこと、以上の各事実は当事者間に争いがなく、右事実に<証拠>を併せると、昭和五一年四月中旬頃被告組合における監査の過程で役員及び管理職員が右のように不審として(一〇万円で下取りしたものを八万円で他へ売却しているのはおかしいとして)調査を始めたが、その直後の同月一七日頃、高坂が経済課課長に対して「何も聞いてくれるな。」と言つて前記二万円を交付したため、被告としては、右二万円は高坂が中間でいわゆるピンハネしていたものと解釈して、これを直ちに入金処理し、その後は、本件については原告には非はなかつたものとして決着をつけていたことが認められる。

ところが、<証拠>によれば、右のように高坂が二万円を交付したのは、原告が、前記調査を知つたため、右交付の直前頃、高坂に対して、「被告に渡してくれ。」と頼んで二万円を交付していたためであつて、右のような真相は、高坂が昭和五三年一月前記経済課長に告白したことにより、はじめて被告の知るところとなつたことが認められる。

なお、<証拠>によれば、原告は、前記のとおり内金八万円を入金する際、同時に残金二万円も、「部品の伝票が来るまで、しばらく保管しておいてくれ。」と言つて前田に交付しており、同女はその後ずつとこれを経済課の金庫に保管していた(封筒に入れて保管していた)こと、そして、原告が右のような処理をしたのは、本件農機具は中古品を下取りしこれに修理を売却したものであつた(この点は当事者間に争いがない。)が、原告としては、代金の内二万円部分は右修理費(部品代及び工賃)に該当すると考え、右部品につき仕入先(経済連)からその価格を記載した伝票が届くのを待つて被告への入金処理をしようと思つたからであること、しかし、その後右処理を失念しているうちに前記調査を知るに至り、自己への非難を免れるために前記のとおり高坂に二万円を渡したこと、なお、金庫に保管されていた二万円は、その頃原告が「高坂に渡すから。」と言つて前田から交付を受けたこと、以上の各事実が認められる。右認定中の前田が二万円を経済課金庫に保管していたという点に反する乙第一六号証は採用しない(証人前田の証言により同女作成と認め得るが、同証言によれば、同女は、当時必ずしもはつきりした記憶のないまま被告側からある程度誘導されてこれを作成したと認められる。)。

7  抗弁2(三)(5)(覚書事件)について

原告が、昭和五二年八月二〇日頃、表紙に「農機具大覚書」と題する帳簿(甲第三二号証)を被告組合の外部へ持ち出し、現在もこれを保管していること、当事者間に争いがなく、証人前田の証言によれば、右帳簿は具体的には前田から借り出したことが認められるが、<証拠>によれば、右持出しの事実を被告(役員の外管理職員も含めて)が知つたのは、本件解雇の意思表示のしばらく後のことであると認められるから、被告が本件解雇にあたつて右の件を認識していたはずがなく、そうとすれば、その余(特に被告の公簿であるかどうか)について判断するまでもなく、本件解雇の有効か否かを判断するに際して、そもそもこの件を資料とすることはできないというべきである。

8  抗弁2(三)(6)(出勤状況及び勤務態度)について

<証拠>によれば、昭和五一年一年間における原告の出勤状況についてはほぼ被告主張のとおりであつたことが認められる。昭和五二年分については、後に述べるとおり、三月二九日以降は、依願退職を強く勧告され、原告としては実質的には解雇されたと受け取るのもやむを得ないような事情があつたから、同日以降の出勤状況を本件解雇の有効性の判断の資料とするのは相当でないというべきところなので、同日以前につき検討するに、<証拠>によれば、遅刻九回、タイムカードに退出時刻を打刻しないもの二回、後日届出による有給休暇六日と認められる。

右の各認定事実に、<証拠>を併せると、原告は、昭和四八年頃から、特に昭和五〇年及び五一年において、遅刻及び無断欠勤が他の職員に比してかなり目立つ位に多く、タイムカードの打刻もきちんとしないことが少なからずあつたこと、そして、これらの点につき上司が何度か注意したことがあつたが、基本的には改まらなかつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない(原告本人の供述も、右認定事実自体については必ずしも基本的に否定するのではなく、その背景事情を主として述べるものである。)。

しかし、他方、<証拠>を総合すれば、農機具専職であつた原告の場合、他の事務所内労働の職員に比して、農機具の販売及び修理等のために、農家及びその田畑に出向かなければならぬことが多く、特に農繁期及びその直前頃は、出勤途中で修理を頼まれるとか、作業が完了するまで定時をかなり超えてでも内外で働くとか、夜間セールスをするとかのこともかなりあつて、概して、その勤務の形態及び時間は不規則にならざるを得ない面があり(ただ、上司からは、例えば出勤途中で修理を頼まれても一旦出勤してタイムカードを打刻してからにするようになど、出退勤をきちんとするよう指導されていた。)、残業とか休日出勤も目立つて多かつた(例えば、昭和五一年四月及び五月は、ほぼ毎日のように平均五、六時間の残業をしていた。)ことが認められる。なお、無断での欠勤(休暇も含めて。)については何らの弁解できる事情はなかつたが、前記の「無断」という中には、正式の事前届出はしていないものの当日朝電話等による事実上の連絡はしていたものも含まれていたし、欠勤(ないし休暇)自体については、他の職員も、大半が農家であることから、特に農繁期においては、通常の企業の従業員に比べると多かつたことが認められる。右各認定を覆すに足りる証拠はない。

<証拠>によれば、農機具部品の棚卸の遅れについては被告主張のとおりであることが認められる。なお、原告は、右の遅れについては事前に被告役員の了解を得ていたと主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

昭和五一年七月一六日からの三日間及び同年一二月三日からの三日間にそれぞれ農機具展示即売会が開かれたこと、右各即売会に際し、農機具専職の原告が、少なくとも、七月一六日及び一二月四日に欠勤し、七月一七日には遅刻したこと、これらは当事者間に争いがなく、右事実に、<証拠>を併せると、右即売会では、農機具の説明をするとか、その価格を知るために、農機具専職の原告の立会が必要であつたところ、原告は、右のとおりの遅刻(一時間半位)及び欠勤(無断)があつた外、一二月五日も(日曜日ではあつたが)無断で欠勤し、右欠勤の内には、必要な農機具価格表を自分で持つたまま欠勤し、他の職員がこれを受け取りに原告の自宅まで赴くということもあつたことが認められ、右認定事実によれば、原告が右即売会業務に支障を及ぼしたことは容易に推察される。

ところで、<証拠>を総合すると、原告は、出勤状況とか勤務態度等につきこれまでに本項で述べたような不良点があつたものの、農機具専職として、農機具の販売及び修理の業務につき、少なくとも被告も「良好」(右甲第四六号証<被告作成の業務報告書>中にみられる文言)としてほぼ満足する位の成績をあげていたことが認められる。

なお、原告が、昭和四六年頃から昭和五〇年一〇月頃までタクシー運転手のアルバイトをしていたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第七号証によれば、原告は、右アルバイトによつて、後半の二年半位の間においては、給与及び賞与として合計二一〇万円位を受給し、一か月当り平均六、七万円位(多いときは九万円位)の給与を受けていたと認められるのであって、右認定事実によれば、右アルバイトは、少なくとも右の二年半位の間においては、かなり日常的で、かつ、一か月通じるとかなり長時間のものであつたことが容易に推察され、少なくともその間における原告の勤務態度の不良さを図る資料となるというべきである。ただ、前記の「成績」に関する認定を左右する資料とはなり得ないこともちろんであるし、原告本人尋問(第一、二回)の各結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は昭和五〇年一〇月頃以降は自発的にアルバイトはやめていた(頼まれて休日にレンタカー運転手のアルバイトをしたことが数回あつたが。)ことが認められるから、同月頃以降の勤務態度を云々する資料とはできず、また、同月頃以前についても、原告本人尋問(第一、二回)の結果及び弁論の全趣旨によれば、右アルバイトはもとより勤務時間外におけるものであつたと認められるし、その運転時間の取り方につき具体的に明らかにするだけの証拠がない(原告は、主として休日に長時間運転していたと供述する。)ので、例えば原告は当時残業などしていなかつたというなどの具体的勤務状況を知る資料とすることはできない。そして、原告本人尋問(第一、二回)の結果及び被告代表者本人尋問の結果によれば、当時、原告の外にも二、三名同様のアルバイトをしている職員がいたし、被告の組合長等も、これを知りながら、とりたてて問題にするということはなかつたことが認められる(なお、被告も、アルバイトをしていたこと自体を解雇事由として掲げている訳ではない。)。

9(一)  以上3ないし8において、被告が前記就業規則四七条二項2号、3号に該当するとして掲げている各事由につき検討して来た訳であるが、ここで、本件解雇に至る経過(この点に関する当事者の主張は、主として、抗弁2(四)及び「抗弁に対する認否及び原告の主張」10、11。)について検討しておく。

(二)  原告が、木坂事件に関し、昭和五二年二月被告から指摘を受けて、被告に対し、同年三月一日二万六二〇〇円を弁償入金し、同月一八日「始末書」を提出したこと、被告が原告に対して同月二九日及び同年四月一日依願退職するよう勧告したこと、同日には原告のタイムカードは備えられていなかつたこと、原告は、右勧告には応じず、その後、これが解雇に該たるものとして、地位保全の仮処分申請(同月六日)及び不当労働行為救済の申立(同月一三日)をしたが、被告が未だ解雇はしていないと主張したこともあつて、前者を昭和五二年五月、後者を同年一一月五日にそれぞれ取り下げたこと、被告が市本事件を知つたのは、地方労働委員会(地労委)における審問(同年一〇月一五日)を契機としてその後調査した結果であること、以上の各事実は当事者間に争いがない。

(三)  右(二)の各事実及びこれまでに認定して来た各事実に、<証拠>を併せると、次の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

木坂事件については、まず貯金係職員が昭和五二年二月上旬その問題点に気付き、担当課長が、直ちに、関係書類にあたり、原告及び木坂から事情を聞くなどの調査をし、原告自身はよく覚えていないとの返事であつたが、前記のとおり積金通帳に原告の領収印があるのに貸方票もなく外務集金台帳にも登載していないということである以上、原告が集金したのに入金しなかつたものと考えざるを得ないとして、同月下旬頃、原告に対してその旨話し「善処して欲しい。」と要請した。これに対して、原告は前記のとおり同年三月一日二万六二〇〇円を弁償した。

その後の同月一〇日、被告役員の一人であつた塚本正純が、職員の集金業務を調査する過程で、右のような経過を聞き及び、ここに初めて、被告役員らが同事件を知るに至つた。

その直後から被告組合としての調査がはじめられたが、原告はやはりよく覚えていないとの返事であり、前記の担当課長の調査結果を出るものは得られなかつたものの、特に右塚本は「公金横領になる。」と原告を追及した。そして、被告の組合長中井孝己が「始末書を提出せよ。」と原告に要求し、これに応じて原告は、同月一八日、「集金したにもかかわらず、入金しておりませんでした。以後このような不始末を起こさないよう留意致しますので、寛大な御取り計らいをお願いします。」という旨の「始末書」と題する書面を右組合長宛提出した。その直後の同月二二日、中井組合長は、同年一月に金融課に転じたばかりの原告を、金銭を取り扱う部門には置いておけないとの理由で、再び経済課の農機具業務部門に配置替えした。

同年三月二五日、被告の定例理事会が開かれたが、その際、木坂事件が報告され、同事件に関しての原告及び関係上司の処分については総務委員会に付託することが決まつた。これを受けた同月二八日の総務委員会では、原告については依願退職を勧告するのが妥当であると結論された。そこで、同月二九日、中井組合長は原告に対して「依願退職せよ。今後は出勤するな。」と述べた。そして、同月三〇日臨時理事会が開かれ、右総務委員会の結論が報告されたうえで、木坂事件(集金カード不使用の件も含めて。)の外平素の出勤状況及び勤務態度の不良さが議論され、結局、賛成一二、反対六の多数決で、原告について依願退職を勧告すると決定された。その際、中井組合長は、原告が右勧告に応じない場合は「依願退職を強要する。」と述べていた。なお、右決定については、右の反対六にもみられるとおり、役員の間でも、始末書の提出及び配転に加えては、減棒処分をするのはともかくとして、退職までさせるのは行き過ぎであるとの思いが少なからずあつた。

右決定に基づいて、同年四月一日、中井組合長が原告に対し「理事会で依願退職と決まつた。今後は出勤するな。依願退職しなければ懲戒解雇のおそれもある。」と通告した。

なお、当時、中井組合長及び塚本をはじめとして被告役員らの大方は、木坂事件は故意による着服横領であることを当然の前提としており、前記各理事会及び総務委員会においては、その点はとり立てて議論の対象にならなかつた。右のような役員らの認識は本件解雇時においても同様であつた。

(四)  前記(二)の各事実に<証拠>を併せると、右(三)のようにして依願退職を勧告された原告としては、中井組合長の言からして、また四月一日自分のタイムカードが備えられていなかつたことからして、実質的には解雇されたものと解釈し、以後は出勤せず、間もなく前記のとおり地位保全の仮処分申請及び不当労働行為救済の申立をするに至つたことが認められる。

(五)  前記(二)の各事実<証拠>を併せると、昭和五二年四月上旬に右の申立及び申請があつて以降は、原、被告は、専らこれらの審理での攻防を続け(但し、被告は、同年五月六日、木坂事件に関して原告を業務上横領であると告訴した。)、被告としても、その審理のために原告の出勤状況及び勤務態度についての資料を整理した以外には、原告についてその落度とみるべき新たな事実を発見するというようなこともなかつたところ、同年一〇月一五日に地労委における審問の際、却つて原告側から、前記の市本のゴールド積金につき、その積金元帳(乙第四九号証)の第七回次欄の記載に疑問があるとの指摘があり、被告は、これを契機として、右の点につき直ちに関係書類にあたるなどの調査をし、間もなく、前記のとおりの積金通帳、貸方票及び外務集金台帳の状況等からして、原告が一か月遅れて入金したものとの一応の結論を出したこと、被告が右結論をもつて地労委の次回審問に備えていたところ、前記のとおり原告が同年一一月五日不当労働行為救済の申立を取り下げたこと、以上の各事実が認められる。

(六)  <証拠>を総合すれば、右取下げ直後の昭和五二年一一月一四日に開かれた被告組合の定例理事会において、右取下げが報告されたうえで、原告の処遇についての議論がなされ、結局、普通解雇する旨決定された(賛成一七、反対三)こと、その際、解雇事由については、一カ月の入金遅れとして市本事件の報告があつた(しかも、同事件については、簡単な報告であり、これをそれ程重視する発言はなかつた。)外は、前記の同年三月三〇日の理事会におけるもの(木坂事件、集金カード不使用の件、出勤状況及び勤務態度の不良)以外の指摘、議論はなかつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

10  以上の3ないし9に基づいて、本件解雇当時原告に前記就業規則四七条二項2号、3号に該当する事由が存したか否か(ひいては本件解雇が有効であるか否か)につき判断する。

まず、覚書事件は、本件解雇当時被告は全く認識していなかつたし、農機具代金事件についても、被告は、かつて一時期不審点があるとして調査したこともあつたが、その調査の結果原告に非はなかつたものとして結着をつけ、本件解雇当時においては、解雇理由としては全く認識していなかつたことはもちろん、「原告が所定の入金処理をしなかつた。」などという認識も全くなかつた訳であるから、右の両事件は右判断の資料とはなし得ない(しかも、農機具事件については、昭和五〇年三月ころに売却した農機具代金一〇万円を同年四月二五日に原告自ら受領しながら、内二万円につき正式な入金処理が遅れたことは事実であるが、原告は、八万円を被告に入金処理した同年五月八日に残二万円についても経済課の前田を通じて同課の金庫内にこれを保管していたものであつて、その後正式な入金処理を失念していたにすぎず、原告が右二万円を自己の手元に置いたままにしていたわけではないこと前記6に認定のとおりであり、取り立てて原告の責任を追及すべき非違行為には該当しないものというべきである。)。

原告は、金融機関としての性格をも備える被告の職員として、本来極めて厳格さが要求される預金集金業務に関し、預金者から集金した金員の入金漏れ(木坂事件)及び入金遅れ(市本事件)という事態を惹起しており、しかも、右のような事態を防止するためにも重要な役割を果たし、かつ、規程及び指導に基づいて他のほぼ全職員が用いている手段を、あえて長期にわたり用いなかつた(集金カード不使用の件)のであつて、これらの点、被告の金融機関としての業務運営上軽視することのできない非違(ないし落度)というべきこと明らかであるし、これに加えて、その出勤状況及び勤務態度には前記のとおりかなり不良な点があつて、被告の業務運営に必ずしも軽視できない支障を及ぼしていたことが容易に推察されるから、前記2号(前段の点)、3号(後段の点)に該当する事由があつたとの被告の主張にも無理からぬところがある。

しかし、当裁判所の結論を先に示すならば、次に述べるとおり、本件解雇は、少なくとも解雇権の濫用に該たり無効というべきであるので、以下に敷衍する。

木坂事件が、本件解雇に至るそもそもの契機であり、被告はこれを本件解雇理由の最も中心に据えていたことが明らかであるところ、同事件についてみるに、まずもつて、被告の認識(故意による着服横領)とは異なつて、過失による入金漏れと認められるにとどまり(この点、被告が右のように「過失」と判断していたならば、果たして本件のように依願退職勧告、解雇という経過をたどつたか、大いに疑問の存するところである。)、その入金漏れ金額も二万六二〇〇円と少額であるうえ、原告は昭和五二年二月に被告から指摘を受けるや、同年三月一日には右金員を被告に弁償入金しているのであつて、しかも、被告は、前記のとおり始末書を提出させかつ配転した(これらは、正式な処分、制裁ではないにしても、同事件のみを理由とする実質上の処分というべきこと明らかである。)にもかかわらず、その直後に、何ら新しい事情が生じた訳でもないのに、依願退職の強い勧告という挙に出、その後本件解雇に至つている。

木坂事件にも関連する集金カード不使用の件については、前記5に認定のとおり被告側の指導及び体制にも少なからぬ落度があり、一概に原告のみを責められない面もあるというべきである。

市本事件については、そもそも被告に判明した時より三年以上も前に発生した、原告の過失による僅か一か月の入金遅れにしか過ぎないし、被告としても、本件解雇当時はこれをさ程重視はしていなかつた。

被告が、木坂事件と並んで、出勤状況及び勤務態度の不良という点をも、本件解雇理由の中心に据えていたこと、明らかであるところ、この点については、確かに前記のとおり原告にはかなり不良な面があり、しかも、木坂事件及び市本事件のような偶発的事後ではなく平素の行状であるからこそ、被告としてもこれを重視せざるを得ないこと当然である。しかし、出勤状況の点に関しては、前記のとおり原告の農機具専職としての職務内容の特殊性がある程度原因していたとも認め得るし、勤務態度の点についてみれば、他方で、必要とあらば残業とか休日出勤もよくして、結果面ではかなりの好成績を挙げていたものである(この点からすれば、果たして「執務能力が著しく薄弱」といえるのか、疑問が存する。)。

以上の諸点の外、これまでに述べて来た諸事情を総合的に考慮するならば、原告については、解雇理由自体、解雇するのでなければ業務の運営に重大な支障を及ぼすような場合にまで該当するものであるか疑問の余地があり、手続的に見ても、直ちに退職させるのではなく、まず戒告、減給、休職等の制裁処分(<証拠>によれば、被告もその就業規則においてこれらの制裁方法を定めていることが認められる。)をしたうえで、その後の改善をみてみる余地が十分に存したものというべく、そのような方法に措ることなく、本件のように、いきなり依願退職の強い勧告(実質的には解雇に該たるようなものであつたと評価すべきこと明らかである。)という挙に出、これにひき続いて解雇するに至つたのは、それが普通解雇であるにしても、少なくとも、社会通念上相当なものとして是認することができず、裁量の範囲を逸脱した不当なものであり、解雇権の濫用と評価すべきである。

11  以上から、不当労働行為の主張について判断するまでもなく、本件解雇は無効というべきであり、原告が、被告に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあること明らかである。

三請求原因2の内、原告の昭和五二年九月一四日当時の給与が月額九万五五〇〇円であつたことは当事者間に争いがない。しかし、原告の主張する昇給及び年末賞与の点については、原告も何らの立証をしておらず、これを認めるに足りる証拠はない。

従つて、原告の請求の趣旨第2項の内、昭和五二年一二月一五日以降毎月九万五五〇〇円の給与の支払いを求める部分は理由がある(本件解雇は同年一一月一五日であるが、原告は、同年一二月一四日までは給与の支払を受けたとして、同年一二月一五日以降の給与の支払を求めている。)が、その余は理由がないというべきである。

四結論

以上から、原告の本訴請求の内、雇傭契約上の地位の確認と昭和五二年一二月一五日以降毎月九万五五〇〇円の支払を求める部分は、理由があるから、これらを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(大西リヨ子 内藤紘二 貝阿彌誠)

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