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広島家庭裁判所 昭和35年(家)344号 審判 1960年6月15日

申立人 猿田正人(仮名) 外一名

主文

申立人等の氏「猿田」を「藤本」と変更することを許可する。

理由

申立人等は主文同旨の審判を求め、その理由として述べるところの要旨は以下のとおりである。

一、申立人猿田正人は当三十才、山口県熊毛郡平生町に於て出生し同町の小中学校から柳井商工高校を卒業後六年間国鉄に勤務し更に大竹市三菱レーヨンに転職し今日に及んでいる。申立人猿田春子は当二十五才、昭和三十一年十二月十日右申立人正人と夫の氏を称する婚姻をなし爾来猿田の氏を称している者であり両者の間には長男勝一(当二才)がある。

二、申立人等はその氏「猿田」は奇異な氏に属するものと考えている。申立人正人はその氏のため幼少時から他人に「サル」「モンキー」「キャッ、キャッ」などの渾名で嘲笑され「猿田」と呼んでくれる者がなく、そのため喧嘩をし又恥かしい思いをし性格すら変つたような気がする。申立人春子はお猿の童謡など歌われるのを聞くたびにいやな思いをしている。

三、そこで、申立人等としてはいうまでもなく申立人等の子供にも将来自分達と同じような「猿田」の氏から生ずるいろいろな苦しみを味わせたくない。

四、なお、申立人の亡父は生前乾物商を営み家号を「佐留田」と称し又それを通称として他人とも文通していた事実がある外亡母もかねてから機会があれば氏の変更を希望していた。

よつて按ずるに、氏に動物の名を冠したもの、多数存することは顕著な事実であつて猿田という氏自体が申立人等主張の如く珍奇なものであるとは言い難い。

然し乍ら、猿田なる呼称によつて一般人に動物の猿を連想させ申立人正人が成育の過程に於て又現在職場等に於て周囲の者より「猿」「モンキー」「キャッキャッ」等侮蔑若くは揶揄嘲笑の対象として呼ばれ著しく人格を傷けられ、氏に対し極度に嫌悪の情を抱いていること、更に申立人等の子に対しこの自己の痛苦を味わせたくないという事実並心情については申立人等の審問の結果及び家庭裁判所調査官藤本和男の調査報告書によつてこれを認めることができる。

そこで、この場合氏変更のやむを得ない事由があるかどうかを判断するに当つては単に申立人の主観的感情を考慮するだけでなく客観的にもその蓋然性があるかどうかを審究し呼称秩序の維持を要求する国家的利益と較量して決しなくてはならない。

当裁判所が申立人の氏の変更につき意見を徴した

(イ)  広島大学教授(社会心理学担任)酒井行雄は

「妙な連想をひきおこし、或は奇異な響を与える氏や名は少青年の集団では笑い草の種となり、感受性の強い時期の少青年には重大なこととして受けとられ、直接、間接に人格形成にも影響があると思われる、従つて出来ればそのような氏や名はさけた方がよい。然しその影響は絶対的ではない。本人の性格対人関係、周囲の指導によつてその影響を無害なものにすることも可能である」

と述べ

(ロ)  同大学助教授(教育心理学担任)小林利宣は渾名が人格形成に無縁なものとは考えられないとし人格形成の要因としてどの程度の比重を持つかという点について

「『猿田』という姓は非常に特殊的であり殊に猿に対する現代人の心的態度が軽蔑的嘲笑的傾向が強いのは他の動物の場合といささか異つたものがあるのは事実であり問題は本人がそのような社会的傾向を認識してそれを自分の姓と結びつけて考える場合は深刻になつてくる場合もあり得る」

とし

(ハ)  同大学教授(社会学担任)中野清一は変更を認めてよい根拠として

「猿田の場合文字面から見ると『田』が含まれていることで『猿』の文字の与える字感は余程緩和されているかに見える(この点は例えば「猿丸」「猿渡」など比較してみると理解されよう)。けれども問題は文字面よりはつの発音面、即ち「サルダ」と読める点にありそうである。「あれは猿である」と通ずる発音になつている点が問題で仮りに「サルタ」と濁らずに発音しても、いつでも「サルダ」に転化しうる点が問題になろう」と述べ、更に

「『猿』という動物の社会的位置の時代的な推移を考慮されてよい。戦後は動物園や動物園的施設の拡充普及が著しいし猿を飼う風景も以前になかつた程盛んになつた。猿の棲む場所を名所に仕立てたり(高崎山の如き)、名所に多くの人を招致しようとして新たに猿の移殖(?)繁殖、哺育に努めている例が増えている。かような風景の推移は社会学者のいう「労働時間短縮」→←「生活水準向上」→「余暇時間増大」→「余暇時間の使い方の変化」という事情がもたらしたものだとすると一時的な現象とは言いきれぬ。もしそうだとすると猿が人間社会に日常的に接触の多いものになるにつれて猿との姓名の上での結びつきを他人によつて悪用される機会も甚だ大になつてきていると思われる」

と述べている。

これ等の見解は要するに氏に猿という字が冠せられている場合は本人の性格対人関係周囲の指導によつて影響を免れることはあり得るとしても一般的に見て嘲笑侮蔑の対象とせられ人格形成に影響を及ぼす虞があるというのであつて現に申立人が其の悪影響を受けており且つその子の成育上人格形成に影響があるということは社会生活上十分に考慮されなければならない。

従来稍々もすれば呼称秩序の維持に急なる余りかかる場合単に個人の主観的感情の好悪によるものとして排斥した例がないではないが、申立人等が以上のような社会生活上の不利益を受けることは客観的にも認められるところである。よつて、当裁判所は本件申立はこれを理由あるものと認め、参与員中野清一の意見を聴いて主文のとおり審判する。

(家事審判官 藤井英昭)

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